Beloved

輪円桃丸

Beloved

1


 司が生まれる十年程前、この国は『崩壊』したらしい。

 『崩壊』がなんなのかはわからない。毎日のように政府が繰り返すそれがどんな意味なのか、司は知らない。関心もそれほどない。司が分かっていることは、その『崩壊』の影響で父親が殉職したことと、父親を殺した奴がまだ元気に生きていることぐらいだ。

 端末のディスプレイが目的地を示している。あと数百メートル歩けば辿り着ける距離だ。

 司は特に父親に思い入れがあるわけではない。死んだのは幼い頃のことだし、家に帰ってくるのが珍しいような人で遊んだ記憶もたいして話をした覚えもない。ただ、小さな箱に入って帰ってきた父親と、普段快活な母親が見せた涙が、あの時の司の心には深く残った。

 そうして、まだのうのうと生きているそいつを、一発くらい殴ってやるかという気持ちが湧いた。

 それが今、司が行動する理由だ。

 端末が次の交差点を右に、とアナウンスする途中で、突然警報を鳴らした。周りの通行人も同じ音をさせて、付近は警報の大合唱になった。目前の交差点が地面から現れた壁で封鎖されていく。

 慌てふためく人々に混じり、司は近くの細い路地に駆け込んだ。物陰にしゃがみこんだ五秒後、重機の音と共に激しい銃撃戦が始まった。

 アスファルトが震えている。怒号や悲鳴が発砲音にかき消されていく。時折爆発が起きて、焦げ臭い煙が頭上を流れていった。

 何分経ったか、最後に大きな爆発音がして、あたりは静かになった。

 群衆が一斉に端末を取り出す。司もディスプレイを確認すると、封鎖解除までのカウントダウンが表示されていた。

 一分程度のタイマーがゼロになり壁が地面に収納されると、先程の騒ぎなどなかったかのように綺麗な交差点が現れた。我先にと時間を気にした人々が交差点に溢れ出し、通勤時間帯の街は完全に元通りとなってしまった。

 司はその様子をしばし眺めると、ため息をついて目的地への歩みを再開した。


 『崩壊』が起きて、この国は随分と様変わりしたらしい。

 だが司にはよく分からない。生まれる前の環境なんて知らないし、授業でも習わない。

 先程のことは少し驚いたが、これもすぐ日常になるのだろう。

 これからこの街で暮らすのだから。



「事前に交付された学生証はお持ちですか?」

「はい」

「ありがとうございます、確認致しました。生徒玄関はこちらの廊下を真っ直ぐ進んだ先です。あと十五分で施錠されますのでご注意ください。ご入学おめでとうございます」

「……どうも」

 司は複雑な表情で受付の女性を眺めた。見る限り人間なのだが、動きが若干かくついている。声にも抑揚がない。これがアンドロイドというやつなのだろうか。

 光沢を放つ学生証をしまい、司は歩き出した。

 無機質な白い廊下だ。壁材の継ぎ目も見えないつるりとした材質は少々居心地が悪い。

 あのあと司は結局三度も封鎖に捕まった。今日の運が悪かっただけと思いたいが、あれが通常頻度だとするならこれからの通学について考えを改めなくてはならないだろう。

 大きなガラスの自動ドアを通ると、内装が司にも馴染みのある構造に変わった。靴箱はないが、学校の間取りだ。おそらく司が最後だろう、周りには誰もいない。

 ──いや、一人腕を組んで立つ生徒がいた。

「入学初日からギリギリの登校とは、いい度胸だな」

 眼鏡が天井のライトに反射して光る。

「……はぁ」

 司は笑いたいのを堪えて会釈した。上級生だろうか。

「これからの生活にそんな怠慢は許されないぞ、藤堂司!」

 背後に集中線と『ドン!』という効果音が現れそうな迫力だ。司は頬の内側を噛んで耐えた。

「なんで名前を?」

「なんでだと? 新入生でまだ登校していないのはお前だけだからに決まっているだろう」

「やっぱり。いや、ことごとく封鎖に引っかかってしまってですね」

「それは今後遅刻の言い訳にならないぞ。敵の出現予測も仕事のうちだ」

「ええ……」

「御託はいい、さっさと教室に行くぞ」

 びしり、とハチワレの髪を揺らして指をさされる。なんとか笑いを咳払いで誤魔化すと、司はきびきびと歩き出す彼の後に続いた。

「自己紹介を忘れたな。俺は古川宗太。古い川に宗教の宗、太いでふるかわそうただ。同じ一年として切磋琢磨していけることを願う」

「あっ一年なんだ……」

「だが勘違いするな、この日ヶ守学園は中高一貫校。中等部から在籍する俺はお前より実質三年分先輩にあたる」

「ああ、はい」

「なにか分からないことがあれば遠慮なく聞くがいい。実質先輩としてアドバイスをやろう」

「そりゃありがたいですね……」

「ここが高等部一年の教室だ。施設は中高共用なので暇があれば案内してやる」

 きっちりした動きで教室の扉の前に止まると、宗太は腕時計を確認して引き戸を開けた。入口はハイテクだったのにここは引き戸なのか、と司は思った。

 教室に入ると、不安げな視線と好奇心に満ちた視線が同時に注がれた。おそらく、前者は司と同じ高等部からの生徒、後者は宗太のように中等部からの生徒だろう。

「席は苗字五十音順。藤堂はここだ」

 示された席は教室の一番後ろの列だ。右隣には読書に耽る小柄な生徒、左隣は空席だがもしや。

「俺はここだ」

 やはりか。長い付き合いになりそうだ。

 司が鞄を置いて席についたところでチャイムが鳴った。程なくして無精髭を生やした細長い教師が緩慢な動きで入ってきた。

「おし、入学と進学おめっとさーん」

 気だるそうな声で雑に言うと、教師は眠そうな目で教卓の名簿と教室を見比べ頷いた。

「ん、全員いるな。見知った顔がいなかったらそいつらは辞めたか留年だ。あとで中等部でも見に行ってこい」

 はは、と微かに笑いが起こる。

「えー、事前に知らせた通り入学式はありません。今日は説明とクラスのあれこれを決めて解散。顔合わせなんかはそっちで適当にやっといてくれ。それじゃまずは……」

「資料ファイルの二番目だ」

 宗太に促され、司は端末を操作して資料を呼び出した。理念やら何やらが書かれている。

「中等部からの奴は聞き流しといて構わん。えー、今日入学した人向けに話します」

 教師は教室の隅に置いてあったパイプ椅子を引き寄せて座った。

「あー、これから君たちの担任を務める浅野です。どうぞよろしく。じゃあ端末の資料開いて……開いた? えー、はじめに学園について。これは『ひがもり』って読みます。日の本を守るって意味が込められてます。その名の通り、君たちはこれからこの国を守るためにこの学園で多くの技術を学ぶことになります」

 『崩壊』が起こった年に創立された日ヶ守学園。自国防衛の人材育成を目的とし、これまでに多数優秀な軍人を輩出している。現在の生徒数は一四五名、うち三十八名が軍関係の組織に内定している。

「我々の最大の敵は今や国土全域に蔓延る『異常犯罪者』たちであり、その撲滅が学園創立の第一の目的である。異常犯罪者、わかるか?」

 ニュースで頻繁に耳にする単語だが、よくは知らない。横で宗太が勢いよく手を上げ、浅野が怠そうに頷いた。

「はい。異常犯罪者とは、『崩壊』を引き起こした犯罪者集団をはじめとする殺人犯たちのことです。過去においてはテロリスト、シリアルキラー、殺人鬼などと称されましたが、当時の希少性に比べ今日の総数があまりにも増えすぎたため罪の内容に関わらず十人以上の殺人を犯した者達を総称して異常犯罪者と呼ぶことを政府が定めました。彼らの行動や財源については未だ調査が」

「ストップ。そのへんでいい。あー、つまり大量に人を殺して楽しんでる奴らということだ。今朝もたくさんの事件が起きたように、今この国で安心して暮らせる場所はないと言われる。そんな危険な奴らを倒し、治安を回復させるのが君たちの役目というわけです」

 浅野に止められ若干不服そうに宗太が着席する。

「これから君たちは多くのことを学ぶ。それは主に、人を殺す知識となるだろう。入学試験を乗り越えたなら多少の覚悟はあると思うが、これから先は常に命のことを考えて過ごすことになる」

 浅野の重い瞼の奥で、瞳に真剣さが宿った。

「先生はいつでも退学願を受け付けている。君たちはまだ子供で、本来人の命を預かるような心構えは出来ていない。迷いが生じたり、自分には向かないと悟ったなら今すぐにでも申し出なさい」

 教室が静まり返り、生徒達は重々しい雰囲気に包まれた。とても入学初日の空気とは思えない。拳を握りしめる男子、俯いて黙り込む女子が司の視界に映った。

「……はい、真面目なのはこのくらいにしときます。まあ実践はまだまだ先のことだし、しばらく頑張ってみてください」

 浅野はボサボサの頭を掻いて椅子の背もたれによしかかった。パイプの軋む音が冷えきった教室内に響く。

 司も覚悟を決めたつもりで入学したが、こうきっぱり言われると少々不安になった。生来楽観的とは自負しているが命のやり取りを迷いなくできるかと言われれば難しい。

 気になってちらりと両隣を伺うと、宗太は真面目に頷いて聞き入っていた。右の生徒にいたってはイヤホンをして全く話を聴いていない。中等部からの生徒は色々な意味でやばそうだ。

「じゃあ次な。授業はほとんど班で行動します。なので、えー、この二十人を今から五チームに分けるか」

 浅野が顎を撫でて唸る。名簿としばらく睨み合ったあと、彼はよし、と呟いた。

「いい感じにばらけてるし、横の列で一班から五班だな。明日までにリーダーを決めておくように」

 生徒たちがきょろきょろと左右を見渡した。司は一番後ろの列だから五班。宗太と右隣の生徒、更に右を見やると、大人しそうな女子がはにかんで会釈した。

「ここは基本的に一人でどれだけの敵と渡り合うかを念頭に置いた授業をするが、当然団体行動も作戦で必要になる。個人として十分に動けた上でチームにも貢献できるようになってください」

 班分けが済んだあと、別棟などの説明とクラスの役員決めをして浅野は解散を宣言した。生徒たちは各々挨拶などを交わし、教室内は数十分で閑散とした。

「しかしお前、運がいいな」

「はあ」

 宗太が意味ありげに頷くのを司は脱力して眺めた。ずっとこのテンションに付き合うことになるのだろうか。

「聞いて驚くがいい。俺は中等部で総合二位の成績を収めている!班員としては申し分ないだろう!」

「わー、そりゃすごい」

 眼鏡を上げる仕草が微妙に鬱陶しい。

「そして更に、だ!」

 宗太は司を回り込んで勢いよく右隣の生徒を掌で示した。

「彼は中等部総合一位!文武両道、学園きっての天才と言われる鈴村圭その人なのだ!」

 宗太の笑顔が輝いた。中学時代の友人だったオタクのそれに酷似している。

「……」

 当の本人はまだイヤホンをしているようで、こちらには気づいていない。いや、気づいていて無視をしているらしい。

「……ん?鈴村、ホームルームは終わりだ。今は自己紹介タイムだぞ」

 宗太が眼前で手を振り出したところで、ようやく彼は顔を上げて司の方を見た。

 冷めきった目だと思った。何もかもどうでもいいという感情が伝わってくる。中等部一位の価値はいまいち掴めないが、なにか射抜くような感覚が司の心臓を襲った。

「……鈴村圭。苦手はない。ポジションは任せるから好きにして」

 圭は淡々と話すと再び端末に視線を戻してしまった。

「俺もそこまで苦手なものはない。素人がいようと鈴村と俺がいくらでもカバーしよう」

 宗太がドヤ顔で親指を立てる。反応を見るに圭は普段からこのくらいの距離感らしい。司が適当に頷くと、宗太は三人から少し離れて立つ女子に向き直った。

「それで、君は?」

「あっ、ええと、小野琴葉です。新入生で……ポ、ポジション? とか、よく分からないです、すみません」

「謝る必要はない。こいつも新入生だし、そういうのは明日から学んでいくからな。俺は古川宗太だ。古い川に宗教の宗、太いと書く」

自己紹介のたびに漢字のくだりを繰り返すのか。

「そ、そうなんだ。よろしくお願いします」

「藤堂司です、よろしく」

 およそ戦いには似つかわしくない少女だ。司より頭ひとつ程も小さな体躯だが、なにか秘めた特技でもあるのだろうか。

「でも、すごいね。一位と二位の人がいるなら安心、かもだね」

 もじもじと琴葉がはにかむ。端的に言って可愛い。

「ね。オレら出番ないかも」

「むっ、それはいかんぞ。チームの評価は全員のものだ。カバーはするがお前たちにも動いてもらう」

「もしもの話だよ、プレッシャーかけんなって」

 琴葉が不安に俯く。宗太はよく分かっていない顔をして、不意に口をあの形にした。

「それで思い出したぞ、二人の入学試験の結果を教えてくれ」

「試験の?」

「ああ、評定が書いてあっただろう」

 司はあまり覚えていなかったが琴葉のほうは思い当たったらしい。端末を操作して合格通知を表示させた。

「えっと、ここだよね……?」

「ああそうだ」

 司も合格通知のファイルを開く。スクロールしていくと、試験の評定がアルファベットでいくつか並んでいた。

「小野は総合Dか……なるほど」

「ご、ごめんね低くて」

「いいや、項目の中にB判定がある。特化させれば十分戦力になるだろう」

「ほんと……?」

 琴葉の表情がすこし明るくなった。

「藤堂は?……総合Bだと?中々やるじゃないか」

「なんかいいんすか先輩」

「うむ。お前もバランス型だな。持久力に難があるようだがこれは鍛錬でなんとでもなるだろう。しかし有能だな、俺の入学時の評価はCだった」

「へー……」

 宗太は空気が読めなさそうではあるが自然と相手を褒めることができるようだ。思ったよりも班行動は上手くいくかもしれない。

「ふむ、だいたい分かった。ひとまずリーダーは鈴村として、お前たちにはその結果をもとにメニューを考えておこう」

「メニュー? まさか自主練的な」

「当たり前だろう。授業で体力作りなどやらんぞ」

「うへ……」

「つ、ついていけるかな私」

「新入生同士励ましあっていこうな小野さん」

「うん……」

 二人で肩を落としていると、圭が鞄を掴みながら立ち上がった。

「終わったよね。帰るよ」

「ああ、また明日な鈴村」

 宗太が嫌な表情ひとつせず手を振る。司は特に慣れている訳でもないので、片眉を上げて不快を示してやった。

 圭は司を一瞬見て、そのまま教室を出ていった。

「では俺たちも帰ろう。二人は通いか?」

「オレは徒歩二十分」

「あ、私は学生寮で」

「寮なら近道を教えよう。藤堂は気をつけて帰れよ、明日から遅刻は許さんぞ」

「へーい」

 教室前の廊下で二人と別れると、司は生徒玄関に向かった。受付のアンドロイドに見送られて外に出る。

 ビルが建ち並ぶ街の中心部。司の地元では当たり前だった緑がここには見当たらない。遠くでサイレンの音が聞こえていた。



 宗太は運がいいなどと言っていたが、今日は厄日だと思う。

 家の付近を見ておくか、などと考えなければよかった。近道になる地下歩道を見つけ、ちょうど半分ほど進んだところで警報が鳴り響いた。瞬く間に両端が封鎖され、逃げ込んだ犯人が閉じ込められた通行人を人質として立てこもってしまったのだった。

「ちくしょぉ、ちくしょぉ、俺は終わらねぇぞ」

 犯人は錯乱した様子でナイフを振り回している。端末には事のあらましが表示されており、あの犯人はバーで客と従業員を刺殺して逃走中ということだ。被害者はすでに十人を超え、立派な異常犯罪者に認定されている。

「一日でこんなに遭遇するか普通……」

 司は円柱に隠れながらため息をついた。昨日引っ越して来た日が奇跡的に何もなかったのか、今日のこの状態が異常なのか。周りのうんざりした表情の人々を見ると後者のような気もする。

 犯人は人質の女性にしがみついて何やら喚いている。どうにか助けてやりたいが、司はまだなんの訓練も受けていない。今動いても無駄死にするだろう。

「地下に入るなんて、不用心な奴だね」

 急に背後から声がして、司は心底驚いて振り向いた。

「おま……、鈴村」

 背後にしゃがんでいたのは圭だった。制服はもう着ておらず、黒のハイネックとパンツで黒一色となっている。

「こんな逃げ場のない場所、奴らがいっとう好む場所じゃないか」

「……まあ、言われてみるとそうなんだけど。おまえのほうは」

「僕はあえて来たんだよ」

 圭は柱に張り付いて犯人を伺った。そして犯人が別の方向を見ている隙に、音もなく前方の柱に移っていった。

「忍者かよ」

 思わず小さく独りごちる。

 圭はするすると柱の陰を渡り、犯人のすぐそばまでたどり着いた。武器は所持しているように見えないが、まさか素手でどうにかする気なのだろうか。

「殺す……殺してやる……そうだここの奴らも全員……ヒヒ……」

 犯人は落ち着かず周囲を見渡し警戒している。捕まえられている女性は酷く怯えた様子だ。いたたまれない気持ちで隠れ見ていると、小さく手を動かす圭が視界の端にちらついた。

 司に向かって、なにかジェスチャーをしている。口の前で、手を嘴のように動かしている。気を引けということか。

「おいおい頼むぜ……」

 司は柱の陰に戻って深呼吸をし、もう一度圭と犯人を見た。数十メートル先で犯人が薄ら笑いを浮かべている。圭が頷いた。

「その人を離せ!」

 司は大きく言い放って柱から飛び出た。犯人が司に驚いてナイフを向ける。急な方向転換で女性がバランスを崩し、それを無理やり引き寄せようとして犯人がよろけた。

 それは一瞬だった。蛇のように懐に入った圭が掌打で犯人の顎を飛ばし、ふらついた体を肘と足技で追い打ち、背中を丸めた上から後頭部に一撃。倒れたところで肩の関節を外したのだろう、腕を捻られて犯人が呻いた。

「通報。右下にある」

 促されて端末を操作する。

「あ、もしもし。地下歩道ですけど、犯人拘束されました。はい、いえ別の人で。……はい」

 通話を終えて見やると、犯人はピクピクと痙攣していた。ナイフを踏みつけて圭が冷たく見下ろしている。

「今扉開けるって」

「いい囮になったよ」

「そりゃどうも」

 涼しい顔をして言う圭を胡乱な目で睨むと、司は震えて座り込んでいる女性に声をかけた。

「大丈夫ですか、怪我とか」

「ああ……ありがとうございます……」

 見たところ外傷はなさそうだ。司が息をついて辺りを見回すと、民衆は疲れきった様子で端末を眺めるばかりでこちらに関心がないようだった。

「他人の命より遅刻を気にする奴らだ」

「……冷たいねぇ」

 固く閉ざされた防火扉の一部が開いて、機動隊が入ってきた。

「御協力ありがとうございます」

 圭と司が提示した学生証をスキャンし、機動隊は犯人を連行していった。まもなく両端の防火扉が開放される。

「さすが総合一位」

「あの程度中一で習うことだ。囮だけじゃやっていけないよ」

「ほーん、肝に命じときます。てか意外と喋るなおまえ」

「あの場で僕が話すべきことはあれだけだった」

 圭は走り去るサラリーマンを避けながらウエストポーチに学生証をしまった。そのまま背を向けて歩き出したので、司はなんとなく後に続いた。帰り道が同じ方向というのもある。

「犯人を待ち伏せしてた?」

「……逃げ道を予測したらその通りに動いた」

「これも自主練の一環だったりすんの」

「さあ。僕はやりたいからやってる」

「でも丸腰じゃさすがに危ないだろ」

「武器の携行が許可されるのは来年からだ」

「え?なにそれ」

「受け取った資料は全て目を通しなよ。高等部からは課外時間の救助活動が認められるんだ」

 知らなかった。いくつもフォルダ分けされた資料なんて開く気にもなれない。

「オレでもやっていいやつ?」

「在学年数は関係ない。まあ今の君が飛び出しても死ぬだけだろうけどね」

「おっしゃる通りで」

 信号が青に変わる。昼下がりの街はそれでも忙しない。司は通り道のコンビニをいくつか記憶した。

「まだ何か?」

「ん? いや、もういいけど」

「じゃあなんでついてくるんだよ」

「オレの帰り道もこっちなんだって」

 アンティークな喫茶店を通り過ぎる。口コミを見るとここのワッフルが美味しいらしい。

 角を左折して、すこし奥まった立地のアパートで立ち止まる。他の物件より狭い部屋だが一人暮らしには問題のない程度だし家賃もそれほど高くない。通学時間も許容範囲だった。

 隣を見ると、圭も立ち止まっていた。

「……」

「……二〇二」

「まじ? 二〇三」

「昨日うるさかったのは君か」

「荷物入れてたからさ……蕎麦、いる?」

「いらないよ。騒いだらすぐ管理人に言うからな」

「壁ドンの慈悲をくれ」

「断る」

 無口だと思ったチームメイトは存外返事を返す奴で、遠い存在だと思ったがなんと隣の部屋に住んでいた。

 二人はしばし複雑な顔で見つめあったあと、無言でお互いの部屋に帰ったのだった。

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