第五話 望んで手に入れたモノではないけれど




 ――何処に有るのかだけは知っていたが、初めて来る事になってしまった、最寄りの警察署。



 その、御世辞にも真新しいとは言い難い建物の中に入ってから、幾しばらく。


 薄暗く成りかけている時間帯なのを差し引いても、役所(こっちは開いている時間が厳密だが)と比べて明らかに人の数(警察官ではなく、住民の数)が少なかった。


 まあ、多種多様の証明書なり何なりを発行したり申請したりするからこそ大勢の人々が集まる役所とは違い、警察署はそのようなことはしない。


 いちおう、幾つかの公的書類(免許の更新など)を発行するので、それを目当てに来る者もいるが……絶対数が少ない。


 何故なら、警察の本分は治安維持に他ならない。


 故に、訪れる者の目的の大半は相談事で、それに連なる届出を出す者たちが集まる。


 何処となく雰囲気が厳かというのか、他の公的施設のように気軽に足を踏み入れる……というような場所ではないのであった。


 ……その警察署の中の、一角。


 その日、珍しく良い意味で注目を浴びる存在が警察署を訪れて、待合い席とも言えるソファーに腰を下ろしていた。



(……もしかして、俺は逮捕されるんすか?)



 言うまでもなく、彼女(太一)であった。


 どうして彼女が警察署を訪れているかといえば、答えは一つ。


 それは、『アニマル・フレンド』にて起こった『アクセルの踏み間違いによる衝突事故』の参考人として、店長と共に警察から任意同行を求められた結果だから。



 ――では、どうして彼女が注目を浴びるのかといえば、答えは一つ。



 それは、純粋に彼女が美人であるからだ。


 そのうえ、只の美人ではなく、スタイルとまでもがモデル並みという……言ってしまえば、異星人たちの技術力は伊達ではないというやつだ。


 何せ、顔立ち一つとってもすこぶる良い。


 大き過ぎる程でもなければ高すぎるわけでもない鼻に、薄らと潤んでいるのかと錯覚させるような形良い唇に、左右のブレが全くない骨格の形。


 極めつけは、遠目からでも分かるぐらいにきめ細やかな肌艶に、シャツの上からでも丸わかりの、どでんと張り出した二つの膨らみ。


 はっきり言って、これで注目を浴びないという方が、逆に不自然というものだろう。



 ……まあ、アレだ。



 現在は機能の大部分が失われているとはいえ、元々が、単独でその星の文明を破壊し、知性を持つ生命体を根こそぎ壊滅出来るよう設計された、悪夢のような生体兵器だ。


 より多くの人々の警戒心を解きほぐし、より多くの人々の心の内に入り込んで、内部分裂を引き起こす為に、その容姿は万人に愛されるモノでなければならない。


 実際に、本当に全ての人間から愛されるなんていうのは不可能だ。しかし、出来うる限り多くの人々から愛されやすい外見になるのは、そこまで難しいものではない。


 つまり、その結果が、今の彼女の姿であり、今の状況なのであった。



(とりあえず、猫にご飯を食べさせるのを許可してくれたから良かったっす……この身体のおかげで、警察の人達も親切っすね)



 キャリーバッグの中に入っている猫を、そっと覗く。たらふくご飯を食べてトイレを済ませて軽く遊んでやったおかげか、ぐっすりと寝入っているのが彼女の目に映った。


 改めて実感したことだが、この子は本当に賢い子だ。そう、彼女は思う。


 見慣れぬ場所に来ても興奮したり怯えたりする様子は見られないし、ご飯はしっかり食べる。並べて置いたティッシュの上でちゃんとトイレを済ませるし、みゃあみゃあと泣き喚いたりもしない。



 ……薄々、賢い子だとは思っていた。



 それが、本日。彼女と同じく事情聴取の為に同行された店長から、『この子、もしかしたら芸を覚えられるぐらいに頭が良いかもしれないわよ』と言われ……正直、誇らしい気持ちになったのは……心に秘めた事であった。



(……ちょっと、起こしてやりたくなってきたっす)



 それをすることに全く意味はないが、時折意地悪をしたくなってしまうのは猫飼いとしての性なのだろうか。


 あるいは、猫を飼うとそうなってしまうのか……そうやって一人、悶々と猫を眺めていると。



「――ごめんなさい、待たせちゃったわね」



 不意に、視界に影が掛かった。


 顔をあげれば、何時もの強面……しかし、幾らか疲れが見え隠れしている店長が立っていた。


 まあ、昼過ぎから今の今までずっと、任意という名の半強制の聴取をしていたのだ。疲れた顔をして、当然であった。



 ちらりと、店長の背後に目をやれば、だ。



 そこには年若い警官が二人、立っていた。


 軽く頭を下げれば、警官たちも同様に頭を下げた……あくまでそれは、市民に向けるそれではあったが、生体兵器としての彼女は色々と察していた。



 ……まあ、無理もない。



 彼女(太一)自身、客観的に見ても己は美人であると思うのだ。仮に己が太一であったまま、彼女を前にすれば……緊張のあまり、まともに視線を向けることすら出来なかっただろう。


 好みの違いはあるにせよ、大多数の人間に最も好かれやすい造形をしているのが、今の己なのだ。視線の中に多少なり下心が漏れ出ていても、(気持ちは分かるっすよ……)彼女は特に思うところはなかった。



「ようやく開放よ。後は向こうの保険の人が対応するらしいから、とりあえず今日は終わり。本当にごめんね、変な事に付き合わせちゃって」

「別にいい。ただ、待っていただけだから」



 頭を下げる店長に、彼女はそう答えた。彼女の言う事は謙遜ではなく、事実であった。


 実際、彼女自身は聴取らしい聴取を受けていない。


 時間にして……だいたい、十分かそこらぐらいだろうか。正確な時間は確認していなかったので不明だが、それでも、店長と比べれば明らかに譲歩されているのが彼女太一にも分かっていた。


 その理由は……ちらりと、彼女は店長を見やる。


 店長は彼女の視線に気付いているのかいないのか、「はあ……タクシー奢るから、帰りましょ」疲れた顔でスマホを取り出し、電話をかけ始めた。



『――いいわね。何か聞かれても、『突然のことで何が何だかで、よく覚えていない』、そう答えなさい』



 その姿を見ていると、警察署に来る前……店長より再三に渡って言われた言葉が、脳裏を過る。


 いったいどうしてそんな事をと思ったが、なるほど……店長が、代わりに聴取を受けてくれたというわけか。


 確かに、下手に何かを喋ろうものなら、店長ほどとまではいかなくとも、相応に聴取を取らされていただろう。


 今みたいに、猫のご飯云々でのんびり待つなんてことは、出来なかったかもしれない。



 ……けれども、そんな事よりも、だ。



(……店長、どうして何も聞いて来ないんすかね?)



 彼女が気になったのは、そこであった。


 菊治はまだしも、位置的に店長は見ていたはずだ。迫り来る1t近い金属の塊を真正面から受け止め、無傷でいる己の姿を。


 なのに、店長は何も言って来ない。


 警察が来る前も、ここに来た後も……タクシーを手配し終えて、「――近くにいるらしいから、すぐ来るそうよ」警察署の外へと出た後も……何も、尋ねて来ない。



 ……もしかして、幸運にも店長は目にしていなかったのだろうか。



 それなら、それでいいのだが……だが、分かっていて知らないフリをしているのだろうか。


 でも、それをする理由が……そんな感じで、彼女は無言のままに思考を堂々巡りさせていた……と。



「どうしたの? タクシー着ているわよ、乗らないの?」

「――あ、はい」



 言われて、我に返る。見れば、タクシーに乗っている店長が、不思議そうな顔で彼女を見つめていた。


 幾分か慌てて(表面上は、欠片も動揺していないが)隣に乗り込む。「――私は後でいいから」そう言われた彼女は、好意に甘える形で先に己の住所を伝えた。


 静かに、走り出すタクシー。キャリーバッグの中も、静かだ。


 自分から話しかける事はない彼女と、疲労による為か、外を見たまま何も言わず沈黙を保ち続ける店長。


 傍目から見る限りでは……厳つい強面の大男と、モデルかと思われるほどの美女の同席。


 仕事柄様々な人を見て来ているとはいえ、気にはなるのだろう。


 時折、ミラー越しに運転手の視線が注がれているのを感じながら……彼女も、ぼんやりと外を眺めていた。





 ……。


 ……。


 …………正直、気まずい。


 表情こそ、そのままだが、彼女は内心にて……緊張を抑えられなかった。



 ――いっそのこと、尋ねてくれた方が万倍も楽なのだが。



 そう思いつつ、そうなった時、きっと自分は狼狽して何が何だか分からなくなるだろう。


 我が事ながら、我が事だからこそ、その時の状況がはっきりと思い浮かぶ。



 ――いっそのこと、話すべきなのだろうか。



 そんな考えも、脳裏を過る。だが、全てを話して……いや、話して良いものなのだろうか。


 自分でも上手く説明出来ないのに……そもそも、話した所でどうしようというのだろうか。


 それに、仮に話したら……店長は、どんな反応を示すのだろうか。


 冗談だと端から信じないのか。それとも、信じてくれるのか。いや、そもそも……中身が男である――だと知って、変わりない態度を取ってくれるのだろうか。



(……ありえないっす)



 内心にて、彼女は首を横に振る。いったい、自分はどうしたら……悩み続ける彼女を他所に、車が走り続けること、幾しばらく。


 気付けば、タクシーは止まっていた。呼ばれて顔を上げれば……己が住まうマンションのエントランス前であった。



 ――かちゃり、と。



 後部座席の扉が開く。振り向けば、店長が一つ頷いた……なので、促されるがまま外に出る。もう一度振り返れば……扉が閉まった、後だった


 無言のままに、ガラス越しに車の中の店長を見やれば……視線が合う。


 けれども、店長は特に何かしらの反応を示すようなことはなく、車は……また、静かに走り出す。見送る彼女を置いたまま、夜の闇へと溶けていった。



「…………」



 何をするでもなく、彼女は夜の先を見つめる。生体兵器である彼女の視界は、夜なんて何の関係もない。いくら距離が離れようが、建物の向こうへと隠れようが……捕捉は容易だ。


 しかし、彼女はそうしなかった。


 さっと踵をひるがえし、マンションの中へ……現在の彼女が住まうこのマンションは、太一であった頃よりも数段高い家賃を取っている。


 それは立地的な意味合いもあるのだが、何よりも家の広さに加え、設備に金を掛けているからだろう。


 その証拠に、エントランスの中は明るく、まるで店の中を思わせるかのように眩しい。内装には汚れの一つもなく、点滅が放置されている照明だって一つもない。


 そうして、特に待たされることもなくエレベーターに乗った彼女は……ふと、小脇に抱えたキャリーバッグを覗く。



「お前は……どうなる、のかな?」



 相も変わらず眠りっぱなしの猫を見やりながら……ぽつりと、彼女は……太一であった彼女は、ぽつりと溜息を零したのであった。






 ……。


 ……。


 …………自室へと戻った彼女が最初に行ったのは、キャリーバッグの中で眠る猫を、いつの間にか定位置(バスタオルの重ねて作った寝床)になっているそこへ、優しく下ろすことだった。


 その際、猫は一瞬ばかり鬱陶しそうな顔をしたが、抵抗することはなかった。


 とにかく眠そうにしているばかりで、彼女がそっと手を外せば……それだけで、猫は再び寝息を立て始めた。


 何とも、気が抜ける。心配事の全てを捨ててきたかのような寝顔に、彼女は……無表情のままに、その小さい頭を指先で撫でた。



 ……本当に、小さい。



 けれども、頭蓋骨の硬さがはっきりと感じ取れる。こしょこしょとした手触りは、別段心地よくはない。


 けれども、どうしてか……何時までも撫でていたいと思えてくる。


 まあ、撫でようと思えばずっと撫でることは出来るが、それをするのは飼い主のエゴだろう。


 名残惜しさはあったが、彼女はそっと猫から手を離し……ふと、己が恰好を見やった。



(……ありゃあ、あんまり宜しい恰好じゃないっす)



 下着が丸見えになっているわけではないが、何かの拍子に見える程度には破けている。


 そういえば、暴走車との衝突によってボロボロになったのを、今更ながら思い出す。


 誰か一人ぐらい、声を掛けてくれれば良いのに……そう思いつつも、自分が第三者だったなら、声は掛けなかっただろうなあと一人納得する。



 ……風呂に入ろう。



 そう思った彼女は、猫を起こさないよう気を付けながら風呂場へと向かい、スイッチを入れる。


 かつての家と比べれば広い湯船だが、かつての家よりも高性能な湯沸かし一式のおかげで、思いの外、沸くのは早い。



 ――さて、風呂に入るまで何をしようか。



 時計を見やれば、もう夜も更けている。


 猫に構ってやるのは……可哀想だ。


 遅い晩飯……を、取る気にはならない。


 故に、手持無沙汰となった彼女は、ベランダに出て……ぼんやりと、夜空を見上げた。





 ……。


 ……。


 …………言っておくが、空腹感云々の話ではない。純粋に、食べなくても平気だからだ。


 この身体になってから毎日のように痛感するのは、生物として当たり前の欲求……すなわち、食欲に睡眠欲に排泄欲、そして、性欲が自覚出来るぐらいに感じなくなった点だ。



 言い換えれば、この身体の唯一の欠点である。



 感覚的……という言い方も何だが、それらを楽しめないというわけではない。眠ろうと意識した瞬間、定められた時間だけスリープモード(眠っているのとは、少し違う)に移行するのと同じだ。



 腹が空くよう望めば、空腹感が生まれる。


 排泄をしたいと望めば、即座に尿意を覚える。


 大きい方を出したと望めば、そのようになる。


 性欲ですら、途端に前後不覚になるまで興奮し、オーガズムに達した瞬間、スイッチを切り替えたかのように静まる。



 失って初めて分かることだが、それらは生理現象ではない。人の肉体も遺伝子に刻まれたプログラム通りに動いているに過ぎないにしても、今の彼女の身体に比べたら、まだ情緒がある。


 対して、この身体は……言うなれば、並べられたスイッチだ。


 様々な生理現象のラベルが貼られたスイッチを前に、無感動のままに腰を下ろしている。指先一つ、気紛れ一つで生理現象を楽しみ、終わればスイッチを切る。


 それが、今の己なのだと……彼女は、自覚していた。



 ――だから、なのだろう。



 今みたいに、隙間のようにぽかんと時間が生まれた時、何もやる気が起きない。何をすれば良いのかが、何をしたら良いのか、全く頭に浮かんでこないのだ。


 何とも、不思議な話だ。人間の……太一であった頃なら、こうはならなかった。


 インターネットで動画を見たり、近所の本屋に行ったり、酒を飲んだり……まあ、金が無かったので、だいたいやることは決まっていたが……今みたいにはならなかった。


 それが今……どうしてなのかは、彼女には分からない。精神的にも、肉体的にも、楽にはなっている。それは、それだけは、心から断言出来る。



 何故なら、生活するうえで余裕があるからだ。



 一か月後の生活、一年後の生活、十年後が保障されている。それは事故や災害云々ではない。金銭的な安定とは、それだけ心を平穏にするのだ。


 金が無くても云々を語るやつは、始めからそれが無くてもある程度生きられる環境に有るか、それがもたらす重圧を一度として感じたことがない金持ちかの、どちらかだ。



 少なくとも、彼女(太一)は違った。



 なのに……今、こうして、何不自由ない暮らしを得た彼女は……暇を持て余している。いちおう、以前と同じく三食取るように心がけ、身体の機能を図る為にジョギングをしているが……それでも、だ。


 元々、幼い頃から物欲を我慢し続けてきたせいなのだろう。


 欲しいと思う物は、頭の中に浮かぶ。通販サイトのカゴ(要は、注文の前段階)に次々入れていった。


 だが、いざ、注文確定をするに至って……どうしてか、買う意欲が薄れてしまうのだ。



 これを今、俺は必要としているのだろうか。


 買っても、すぐに飽きてしまうだけだ。


 どうせもうすぐ安くなるし、今は買う必要がない。



 クリックをする、その直前。そんな言葉が次々に脳裏に浮かんでくるせいなのだろう。


 気づけば、この身体になってからこれまで……猫以外(後は、食品)のことでは、ほとんど物を買っていない事に彼女は気付く。



(……まるで、定年を迎えて何をしたらいいか分からなくなる爺みたいっすね)



 ふと、脳裏を過った光景に、彼女は……ふう、とため息を零す。あながち、間違ってはいないなと彼女は思った。















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