第三話: 軽はずみであっても、譲れない部分があるらしい




 ――とはいえ、だ。



 連れ帰ったところで、何の準備もしていないのだ。加えて、経験もない。とりあえずはと即席で作ったバスタオルのクッションに子猫を移した彼女は……さて、と頬を掻いた。


 まずは子猫のご飯だが……猫って、何を食べるのだろうか?


 漫画やアニメから得ている知識なら、魚やネコまんまだが……あれはあくまでフィクションだ。魚は食べるのだろうが、実際に白米を食べる猫というのは聞いた覚えがない。



(……調べてみるっすか)



 なので、彼女はパソコンの電源を入れ、諸々を調べることにした。その所用時間は、10分と掛からない。彼女の常軌を逸したハイスペックは、記憶力も含まれているからだ。


 加えて、彼女が所持していた以前のパソコンとは違い、この部屋にあるパソコンの性能は、かつてとは比べ物にならないぐらいに高い。


 おそらくは倍以上の値段がするであろうソレの処理速度は相応なモノで、かつてよりもスムーズに、かつ、様々なホームページを覗いては猛烈な勢いでスクロールを重ね……通算8分49秒の時点で、彼女はパソコンの電源を落とした。



「生き物を飼うって、大変なんだな……」



 そうして分かったのは、だ。自分が抱いていた『猫に関する知識』が如何にデタラメで、知らず知らずの内にどれだけ思い込んでいたのか……ということであった。


 まず、犬と違って猫は躾をしなくていいなんて、嘘。してはいけないことをしてしまった時はすぐに叱り、『してはならない事』、『守らなければならない事』を覚えさせる必要がある。


 また、猫は(原則は)完全肉食で、猫まんまを始めとした人間の食糧を与えるのは不適切。同様に、牛乳を与えると下痢を起こす可能性が高いので、猫用と明記されていない物は基本的にNG。


 どれもこれも猫が食べれば即死するような代物ではないが、長生きさせようと思うのであれば、守った方が良い。似たような理由で道端何かに生えていることが多い『猫じゃらし』も、実は猫にとっては有毒な場合が多く、基本的には与えない方が良い……等々。


 人々を楽しませる為の動画を見ている限りでは知ることが無かったであろう様々な猫の生態を覚えた彼女は……よし、と膝を叩いてパソコンデッキより離れ……すやすやと寝息を立てている子猫の前へと腰を下ろした。



(……落ち着いたら、身体を洗ってやらないと駄目だな)



 少しばかり汚れの跡が見られる子猫の寝顔を、見つめる。


 あの場に母親がいなかった原因は、彼女にも分からない。範囲の外にまで行っているのか、それとも既に……どちらにしても、飼うと決めた以上は、彼女も覚悟は出来ていた。


 さて……と。


 立ち上がった彼女は、水を入れた小皿を猫の傍に置く。そうしてからジャージを脱ぎ捨て、ジーンズと長袖のシャツを着ると……財布を片手に、外へと出た。



 ……。


 ……。


 …………ちなみに、彼女は以前の『自立行動モード』にて『様々な情報』を収集して記憶しているはずなので、わざわざ調べなくてもそれぐらい分かっているのではないか……と思っている人もいるだろう。


 その疑問の答えは、ただ一つ。それは、彼女が得た『様々な情報』の大部分が、日常生活においては使い物にならない類のものであるから……なので。


 中東に潜伏する国際テロリスト集団の潜伏先などの極秘情報を始めとした、各国の極秘情報、表ざたにはならない超巨大企業の暗部、裏社会の動向など。


 少なくとも……だ。平々凡々な生活を送ってきた彼女(太一)にとって、それらの情報なり知識は無用の長物以外の何物でもないのであった。










 ……彼女の自宅より、直線距離にして2km。自転車で15分の場所にあるそのペットショップの名は、『アニマル・フレンド』というものであった。


 店の大きさは、ペットショップとしては少しばかり大きいぐらい……だろうか。建物は二階建てのシンプルな感じであり、道路に面した正面には駐車場と駐輪場が設置されている。


 まあ、よくあるペットショップというやつだ。だが、この店は、ペットを一度として飼った事がない彼女も知っているぐらいに、良い意味でも悪い意味でも有名な店である。


 何故かと言えば、ペットを販売しているペットショップとしては珍しく、実物のペットが一匹もいないからだ。


 有るのはペット用の食料品やら何やらと、犬や猫などの写真が置かれているだけ。これですら、『実物は写真とは少し異なる場合がある』と注意書きが明記されているのだから、有名にもなるだろう。


 この店でペットを飼う場合は、店長にどのペットが欲しいのかを注文し、全額前払いしないとならない。当然、思っていたのとは違う等という理由で返金も出来ない。


 これは、興味本位や自己顕示欲を満たす為だけにペットを飼う者があまりに多過ぎるからという、店長の方針から決まっていることらしい。


 なので、店の中は平日休日昼夜問わず、客の影はまばらである。それで店をやっていけるのかと疑問に思う人もいるだろうが……まあいい。


 とにかく、そんな諸々の事で有名な店に到着した彼女は、半ば乗り捨てる勢いで自転車を置いて……店の前で呆然としていた。


 ……何故かといえば、答えは一つ。それは、彼女が店を訪れるにはあまりに早く……つまり、まだ営業時間前の為、店のシャッターが下りていたからであった。



(し、しまった……うっかりしてた。そうだよ、まだ8時にもなってないじゃないっすか……!)



 そう、彼女は失念していた。情熱の赴くままに家を飛び出して来たわけだが、そもそもがジョギング中の出来事なのだ。多少なり時間が経過していたとはいえ、店が開いていないのは当たり前であった。


 ……道理で、ここに来るまでにスーツ姿やら何やらの人を多く見かけるわけだ。


 そう、吐き捨てるように己に言い聞かせつつ、彼女は己の自転車以外は何もない駐車場兼駐輪場を見回し……次いで、シャッターに印字されている営業時間を見て、計画を練り直す。


 自宅から一番近い場所にあるペットショップが『アニマル・フレンド』なわけだが、ここの営業開始時間は今から1時間30分近く後だ。


 さすがに自宅とはいえ、あんな小さい子猫をそれだけ放置するわけにもいかない。いやまあ、それでどうにかなるのであれば、悲しいけどそれまでの命なのだろうが……それはそれとして、だ。


 この店を除き、ここから最も近しい店をスマホで検索する。もしかしたら開けている店があるかも……藁にもすがる思いで見てみたが、駄目だった。


 どの店も、営業開始時間は『アニマル・フレンド』と同じであった。


 中には9時前にシャッターを開けている店もあったが、そこは距離が遠すぎる。戻って来る時間を計算すれば、ここで大人しく待っているのとそう変わらない時間になってしまう。


 ……仕方ない。子猫には可哀想だが、もうしばらく我慢してもらおう。


 そう諦めた彼女は無表情のままに溜息を零すと、己の愛車(中古で買った、年代物)に乗る。最後に、もう一度だけ店のシャッターを見つめた後……諦めて、自宅へと戻る為にペダルに力を。



「――ちょっと、そこの。もしかして、お店に用があるの?」



 入れた……瞬間、掛けられた野太くも奇妙な声色に、彼女はつんのめって己を静止させた。



(……もしかして、俺かな?)



 辺りを見回して人影が無い事を確認した「上よ、う~え!」直後に掛けられたその言葉に、彼女は店の二階へと目をやり……軽く目を瞬かせた。


 視線の先、『アニマル・フレンド』の二階の窓からこちらを見下ろす男がいた。その男は遠目からでも分かる立派な体格をしており、顔つきも相応に厳つく、視線も鋭い。


 ヤクザ……というよりは、プロレスラーといった感じだろうか。以前であったならば思わず目を逸らしているほどの迫力を放っているその男は、これまた見た目相応に、ギロリと彼女を見下ろしていた。



「――あらや~だ、超綺麗な子じゃないの! こんな時間にどうしたの!?」



 と、思ったら。



「もしかして飛び入りの面接!? それならちょっと待ってなさい! すぐにシャッター開けるから!」



 何か、口調が……その、独特であった。そのうえ、声色も妙に甲高いというか、仕草がこう……中性的というか。何だかチグハした印象を彼女は覚えた。



(……ここの店長って、オカマだったのか?)



 あまりにも想定外の状況に、彼女は首を傾げることしか出来なかった。


 ……この店の事は、あくまで噂程度のことしか彼女も知らない。今までも通り過ぎる際に外から眺める程度で店に入った事はないし、店の人の顔を見るのもコレが初めてだ。


 もしかして、噂になっていないだけで有名なのだろうか。まあ、昨今は色々とそっち方面の話題は敏感だから、あえて噂にしないようにしているのかも……そう思っていると、眼前のシャッターがガタガタと震え……勢いよく、開けられた。



「――やだ……近くで見るともっと美人だわ」



 当然といえば当然だが、その奥から顔を覗かせたのは先ほどの男であった。ちなみに、近くで見るとという発言は、彼女の台詞でもあった。


 改めて対面して分かる、男の体格の良さ。薄らと生えた無精ヒゲもそうだが、兎にも角にも厳つく、迫力が凄い。店員(おそらくは、そうなのだろう)というよりは用心棒という方がしっくり来る。



 なのに、この口調と仕草……いや、まあいいか。



 内心、彼女は首を横に振った。どう振る舞うかなんて個人の勝手だし、己だって今は似たようなものだ。「……あたし、この店の店長をやっているの。それで、ご用件は?」そう結論を出した彼女は、見下ろしてくる男……いや、店長をまっすぐ見上げると。



「――子猫を育てる為に必要な物を一通り欲しい」



 そう、用件を述べたのであった。



「……子猫?」



 面食らった様子の店長に、彼女は(一部、隠して)事情を説明した。最初は目を瞬かせていたが、話を聞くにつれて真剣な眼差し始め……彼女が話し終えた後、難しそうな顔で唸った。



 ……いったい、どうしたのだろうか?



 今の説明では伝わらなかったのかと尋ねてみれば、違うと首を横に振られた。


 それならいったい何だろうと思って尋ねれば、店長は何かを考えるかのように何度も首を傾げて唸った後……先ほどと同じく真剣な……いや、それ以上に強い眼差しを彼女へと向けた。



「あなた、一人暮らし?」

「はい、そうですけど……」

「猫もそうだけど、動物を飼った事はないのよね? もしかして、猫カフェとかそういう場所以外で動物と触れ合った経験も、無い?」



 店長の問い掛けに、彼女は頷いた。すると、店長は大きくため息を零し……軽く周囲を見回した後、「初対面のあたしが言うのも何だけど、ね」屈んで、彼女と目線を合わせた。



「動物を飼うっていうのは、本当に大変なのよ。あなた、最後まで面倒を見る覚悟があって、ここに来たの?」

「え……?」

「気を悪くさせて御免なさい。でもね、近頃は本当に多いのよ。周りから注目されたい為だけに流行の動物を飼って、大きくなったら捨てるって人が」



 店長の口調は穏やかであった。だが、その声色の向こうより滲み出ている底知れぬ迫力に……自然と、彼女は居住まいを正していた。



「どれだけ見た目が可愛くても、中身は立派な生き物。涎もそうだし体毛だってそう。糞尿も出すし、発情期も来るし、病気や怪我だってする。当然、部屋や物も相応に汚しちゃうし傷つけちゃう」


「動物でも皆と同じ、感情もある。嬉しければ笑うし、悲しければ鳴く。言う事を聞かない時もあるし、悪戯だってする。意図せず粗相だってしてしまう時もある」


「可愛がるばかりじゃ駄目。駄目なことは駄目だと躾をしなければならないし、ペットが犯してしまった問題の責任を負うのは貴女。逆に、貴女の行動がペットに問題を起こさせる原因にもなっちゃう」



 そう話を続けた後、店長は……きっぱりと、言い切った。



「貴女、それを理解したうえで飼えるの? 拾ってきた野良だからって、軽々しく考えたりしてない? 猫って、長生きしてだいたい15年以上は生きるのよ」

「それは……」

「貴女に限った話じゃないけど、いるのよ。どうせ死ぬ命なら、自分が飼える数年間だけでも幸せに出来たらいいだろう……ていう人が。でもね、あたしから言わせれば、そんなのは一方的な自己満足に過ぎないのよ」

「…………」

「だから、生半可な覚悟で手を出すつもりなら止めなさい。最後は貴女が辛くなるだけだし、今なら私が元の場所にも保健所にも連れて行く。生き物を飼うっていうのはね、家電を買い替えるみたいに、そんな単純な話じゃないの」

「…………」



 静かに、それでいて力強く突き付けられた現実的な問題と思想。店長の言い分こそ一方的ではあったが……彼女は、何も言い返せなかった。



(……馬鹿だったんすね、俺は)



 それはまるで、夢から覚めたかのような気分であった。


 店長に言われるまで、能天気にこの後の事ばかり考えていた。

 店長に言われるまで、十年後どころか一年後のことすら考えていなかった。


 言われてみたら、そうだ。野良猫だとしても、命は命。自分に何かがあったら困るのは猫だし、万が一捨てなければならない事態になっても、一番困るのは猫の方だ。


 実際、彼女は軽く考えていた。店長に言われるまで、その事実に目を向けることすらしていなかった。初対面の相手であろうとなかろうと、関係ない。


 事実として、彼女は最初に目を向けなければならない部分に目を向けていなかった。まず、固めておかなければならない覚悟を、彼女は固めていなかった……ただ、それだけであった。


 ……言葉を失くす彼女を前にして、店長は何も言わなかった。返事を促すようなこともしなかったし、話は終わりだと追い返すようなこともしなかった。


 けれども、けして彼女を店の中に通すようなこともしなかった。決断を下すまでは通さない……そう、言外にはっきりと告げられているのを、彼女は察した。



「……軽く考えていたのは、事実」



 だからこそ、そうだからこそ。無表情のままではあったが、彼女は……目を逸らすことなく、向けられる視線に答えた。



「でも、あの子は私の掌の上で安心した。こんな私の掌のうえで、安心して眠ってくれた。牙や爪を立てることなく、ここは大丈夫だと思ってくれた」

「…………」

「あの瞬間、私はこの子の飼い主になると決めた。生まれて初めて、何かを守ってあげたいと思った。それでは……不足か?」



 ……しばしの間、店長はそのまま無言であった。そうして、店長が口を開いたのは、時間にしてきっかり3分後であった。



「……あたしもね、意地悪でこんなことを言っているわけじゃないの。ペットを飼ったことがないなら、今は分からないけれども……最後は辛いわよ」



 その言葉と共に、「――ここにね、目に見えない穴が開くのよ」店長は己の分厚い胸に手を当てた。



「長く付き合えば付き合う程、失った時に出来る穴は大きくなる。でも、当たり前なのよ。だって、家族を失うんだもの。大事に思う相手を失って、何も思わない人なんていないわ」



 穴が……思わず、彼女は己が胸に手を当てる。碌な人生を送って来ていない己(太一)には分からない感覚であったが……何となく、分かるような気がする。



「その穴はね、絶対に埋まらない。同じ品種の犬や猫を飼っても、それは思い出の中にある子じゃない。無理やり押し込んでも、ふとした拍子に隙間風がぴゅーって吹いちゃうの」

「…………」

「ペットを飼えば、必ず最後に穴が開くことになるわ。それでも、そうなると分かったうえで、飼うの?」

「はい」



 間髪入れず、彼女は返事をした。それが良かったのかは、生体兵器となった彼女にだって分からない。たぶん、太一のままであった時ですら、分からなかっただろう。

 でも、その返事によって。


 店長は困ったように笑みを浮かべると、ぐいっと背伸びをするようにシャッターを完全に開いて、ガラス扉を完全に開けた。どうぞ、と無言のままに促された彼女は……店内に足を踏み入れた。








 ……。


 ……。


 …………店中はまだ薄暗く、空調も点いていない。まだ、開店準備の途中だったのだろう。カートやらカゴやら旗やらが店の隅に纏めて置かれており、商品棚の幾つかにも隙間が見られた。


 天井から吊り下がっているプレートには、店内の何処に何の商品が置かれているのかが分かるようになっている。見れば、猫用・犬用を始めとした様々な物があり……中には、『冷凍マウスも置いています!』という文字もあった。


 ……冷凍マウス……つまり、冷凍されたネズミということなのだろう。さすがに、犬や猫が冷凍のネズミを食べるなんて聞いたことがないが……何の動物に与えるものなのだろうか。思わず、彼女は首を傾げる。


 他にも幾つか置かれている商品がある。しかし、当たり前だがペット用の物しかない。とはいえ、ペット用品のコーナーすら入ることが稀な彼女にとって、目に映る全てが新鮮であった。



(品揃え自体は違うけど、スーパーのそれとそんなに変わらないんだな)



 じろじろと店内を見回していると、先に店の奥に行った店長が「ほら、こっちよ~」と、声を張り上げた。


 営業時間前の不思議な空気の中を、小走りに向かう。その先で待ち受けていたのは、『猫用フード』というポップが目立つ、色取り取りの猫缶が置かれたブースであった。



「野良猫ってことは、兎にも角にも栄養状態が悪い。理想的なのはまず最初に病院に連れて行くのが良いんだけど……その猫ちゃん、変なところはなかった?」

「変なところ?」

「怪我をしているとか、目ヤニが酷いとか、体毛が剥げているとか、鳴き声が枯れているとか、色々よ」

「……いや、ない」



 しばし子猫の姿を思い浮かべていた彼女は、首を横に振った。「良かった、それじゃあ悪いのは栄養状態だけね」すると、店長は安堵した様子で朗らかな笑みを浮かべた。



「親猫が傍に居なかったのなら、空腹状態が続いているはずよ。まずは先にご飯。分からなくなったら相談に乗るし、元気になったら遠慮せずお店に連れて来なさい……いいわね?」



 なるほど、まずは食事を取らせることが先というわけだ。「分かった……どれがいい?」でも、どれを買えば良いのか分からない彼女は、素直に店長へと尋ねた。


 何故なら、彼女の視線の先にある商品棚。そこには猫用フードが置かれているわけだが、パッと見た限りでも缶詰だけで50種類以上置かれており、ドライフードやおやつを入れれば、100種類を超えている。


 ネットで何が必要かを一通り調べたつもりだが、どのメーカーの缶詰が良いのかまでは調べていなかった。とりあえず高そうなモノが良いのかと思って手を伸ば……そうとする前に、太い腕がそっと彼女の手を遮った。



「いきなり高い物を与えちゃ駄目よ。そういうのは基本的に成猫用だし、最初からそれを覚えさせちゃうと、それ以降にご飯の質を落とすのに苦労するから」

「そう、なの?」



 猫ってグルメなんだなあ……そう思って店長を見上げれば、「言っておくけど、それって只の誤解よ」当の店長は彼女の考えていることを推測したのか、苦笑を浮かべながらガリガリと頭を掻いた。



「貴女に限らず猫はグルメって勘違いする人は多いけど、実際は『偏食』の場合がほとんどなのよ」

「偏食?」

「そうよ。野良育ちの猫は幼い頃から何でも食べるからその傾向が弱いけど、家猫は基本的に缶詰やドライフード(要は、カリカリ)を与えられるものでしょ?」

「……そう、ですね」



 思い返してみれば、確かにそうだ。テレビやネット何かで動物に餌を与える動画を何度か見た覚えはあるが、家猫などに生きた生物をそのまま与える……等というモノは見た覚えがなかった。



「これは家猫の特徴みたいなものなんだけれども、そういった物だけを与えられた猫はね、最初に覚えた缶詰の味以外の食べ物を、食べ物と認識しなくなる傾向にあるのよ」

「……つまり?」

「人間で言えば、和食と洋食と中華のどれか一種類しか食べなくなるってことよ。もちろん、成長に応じて味覚も好みも変わるから、何でも食べる子になったりもするけど……好みが定着しちゃうと取り返すのが本当に大変だから、むやみやたらに高い物を与えるのは駄目よ」

「好みが定着すると、何が駄目?」

「極端な例だけど、経済的な理由で缶詰の質を落としたことが原因で食欲が激減して、重度の栄養失調状態になることもあるのよ。実際、それで餓死した猫もいたりするのよ」



 ……肝に銘じておこう。


 そう心に誓う彼女を他所に、いつの間にか片手にカゴを持った店長が、手慣れた様子で猫用フードを入れてゆく。それに目をやれば……その大半が、生後2ヵ月以内を対象とした子猫用フードであった。


 まあ、妥当といったところだろうか。だが、よく見ると同じ子猫用と明記されているのでも、けっこう違いがある。ペースト状だったり、ムース状だったり……何がどう違うのだろうか。



「歯がちゃんと生えそろっているかとか、消化機能がしっかりしているかどうかの違いよ。子猫はまだ、歯も胃腸も未発達な場合が多いから、与えるご飯によっては消化不良を起こしたりするのよ」



 と、ということであった。(そういえば、そんな事が書いてあったっすね)そう、思って眺めていると、「猫の年齢……は、分からないわよね?」振り返った店長に尋ねられた。



(いや、分かるわけないっすよ……)



 なので、素直に彼女は答えた。もしかしたら、持った時に『調べようとすれば、分かった』かもしれない。いや、確実に分かっていただろう事を、彼女は直感的に理解した。


 けれども、理解したところで、時は既に遅い。全ては後の祭りというやつでしかなかった。



「それじゃあ、体重とかは分からないかしら? 大きさでもいいわよ、だいたい推測するから」

「大きさは……だいたい、掌に収まる程度。重さは……」



 重さは……はて、どれぐらいだっただろうか。


 思い返そうとするが、上手く思い出せない。おそらく、興奮しっぱなしでテンションがおかしくなっていたせいだ。感覚としては分かるが、それを上手く説明出来な……いや、待て。


 近しい物を探してさ迷っていた彼女の視線が、己が胸元へと向けられる。おおコレだと手を叩いた彼女は、両手で作った掌の器の上に……ぽよん、と己が片方の胸を乗せた。



(えっと、これよりも軽い……軽過ぎ……重い……)



 クイッ、クイッ、と己が掌に乗せた、己の乳房からもたらされる圧力の微調整を繰り返しながら、掌に残っている感触から子猫の体重を推測する。


 あくまで感覚的な部分な為に正確性に少しばかり掛けるが……まあ、それでも誤差十数グラムといったところだ。「――だいたい、○○○グラム」とりあえずは満足出来る数字を推測した彼女は、店長を見上げ……おや、と首を傾げた。



「…………」



 何故かは知らないが、店長は凄い顔をしていた。いきなり肉襦袢を着たスケーターを前にした子供のような、彼女(太一)の語彙力では上手く説明が出来ない表情であった。


 ……そのまま、店長は黙ったままであった。


 常人には聞こえないであろう秒針の静かな駆動音を、彼女は耳にしている。かちり、かちり、かちり……きっかり秒針が2周した後……ようやく我に返った店長は、深々と……それはもう深々と、ため息を零した。


 そうしてから、改めて店長より向けられる視線。そこには今しがたまでの色合いはなく、あるのは……理解の及ばない何かへと向けるかのような、困惑の眼差しであった。



「あなた、変わっているって友達とか周りから言われたことない」

「ない。友人も、いない」

「……でしょうね。まあ、眺めている分には面白いけど……あんまり、人前でそういうことをしない方が良いと忠告しておくわよ」


(――それって、どういう意味っすか?)



 気になった彼女だが、苦笑しつつも手早く早急に必要な物をカゴに入れていく店長の邪魔をする気にはならず。結局、店を出る最後まで尋ねることは出来なかった。




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