第一話: 型落ちとはいえ、その潜在能力は銀河レベル





 ……太一(現・彼女)が住まう部屋は、言うなれば単身者用のワンルームマンションだ。



 ユニットバスに小さいキッチン、押し入れに、約7畳の洋室が一つ。パソコンやらテレビやら冷蔵庫やら生活に必要なものが所狭しに置かれた部屋……それが、彼女(太一)の自宅であった。



(……鍵、無いじゃん。スマホも無いじゃん。そうだよ、全部鞄の中だったの忘れていたよ)



 あっさり己が住まうマンションへと戻った彼女であったが、思いもよらない所でとん挫してしまった。


 まあ、要は鍵を現場に忘れてきたのである。残念なのは、その忘れ物は全て炎の中に置かれて灰になってしまったという点であるが……まあいい。


 思考を切り替えた彼女は、屋上より降り立ってベランダ側より自室へと向かう。不幸中の幸いにも、太一が住んでいるのは最上階である8階のマンションだ。


 例え見られたとしても、見間違いとしてその人の中では処理されるだろう。そう判断した彼女は、ベランダへと降り立って自室に入る。鍵は、かけ忘れていたみたいだ。



 ――掃除……しっかりするようにしよう。



 照明に照らされたゴミやら何やらが、妙に目に止める。普段の己のズボラさが、こんな形で役に立つとは思わなかったと内心苦笑しつつ、ようやく彼女……は、どっかりとベッドに寝転がったのであった。






 ……。


 ……。


 …………静かであった。



 かちり、かちり、聞こえてくる秒針に目を向ければ、相も変わらず規則的に時刻を告げている。テレビは……どうにも、点ける気にはなれなかった。



 ――色々あったなあ。



 ポツリと頭の中を過った言葉に、彼女は心の中で苦笑する。


 遠出している最中に事故に遭い、死んだかと思ったら宇宙人たちが捨てたゴミと接触し、それが上手い事作動して太一の精神(肉体は諦めた)を護り、こうして自我を保ったまま自分の部屋に戻れた。


 こうして考えてみると、ティーンノベル向けの設定も真っ青な展開だ。何の脈絡もなく改造されて女になっただけでなく人間ですらなくなったとか、展開が早いにも程がある。


 以前の太一であったなら、喚き嘆き混乱しとんでもない状態になっていたのは間違いない。


 だが、その改造のおかげで、こうして冷静に自らを受け入れ、客観的に思考を巡らせることが出来るのは……本当に、皮肉以外の何物でもなかった……まあ、それはそれとして、だ。



(これからどうしたものかな……とりあえず、今のバイト先にはもう行けないからクビは確定しているとして……そっから先だよなあ)



 むくりと身体を起こした彼女は、がりがりと頭を掻く。とりあえず三ヶ月はのんびり過ごしていられる余裕はあるが、それまでに仕事を見つけておかないと家賃が払えなくなるという問題が発生することに、彼女は目を向ける。



 ……何とか、出来ないものだろうか。う~ん、と、彼女は唸り声をあげた。



 改造された彼女(太一)の現在は、人類という分類からは遠く掛け離れた超高性能(ハイスペックボディ)である。それ故に、現状をひっくり返せる機能の一つや二つは備わっている……はず、なのだけれども。



(――あるとは思うんだけど、使い方がさっぱり分からないんだよなあ)



 表面上は無表情のまま、胸中にて彼女は肩を落とす。残念なことに、そういうことだ。万を優に超える優れた機能が自身に備わっているのは分かっている。しかし、それだけなのである。


 言うなれば今の彼女は、革命を起こせる優れた道具が収められた『万を超える引き出し』を持ち得ながら、その引き出しの鍵と、その中身の詳細(ガイドライン)が分からなくなってしまっている状態なのだ。


 ……宝の持ち腐れとは、まさにこの事を言うのだろう。


 おまけに、基本的な感性は元のまま。肉体的には飲まず食わずの不眠不休で全く問題ないが、気持ち的にはそうではない。


 家無しとなるのは、ちょっとこう……気持ち的にかなり厳しい。可及的速やかに職を得なければならないと彼女は強く思った……のだけれども、それも難しそうだ。



(せめて男の身体であったならある程度誤魔化せたかもしれないのになあ……さすがに、この見た目で男ってのは無理があるよなあ)



 ……今から何とか出来ないだろうか。


 そう思って、今の己に残された、数少ない使用可能な機能の一つである『自己診断』をしてみる。


 結果、改造されたこの身体には本来、見た目を自由自在に変える機能があったのが分かった。しかし、分かっただけであった。


 というのも、強引なアンインストールのせいで、その機能の大部分が失われているからだ。修復も不可能。このチグハグな恰好も、どうやらそのせいらしかった。


 辛うじて変化出来るのは……髪の長さ、目や肌といった色を変えるぐらいだろうか。服装はまあ大抵のものは出来るが、肉体の質量(身長や性別など)を大きく変えることは出来ないようだ。



 ……まあ、仕方ない。



 万が一にもヤバい機能が復活しないように徹底的にやったせいで、もはや自分でも失われた機能を復活させることは出来ない。ある意味、後遺症と思って諦めるしかない。


 そう結論を出してから、部屋の隅に置かれた姿見に映る己を見やれば、『黒髪の美少女or黒髪の美女』、そのどちらか一言だ。見た目の年齢的には、高校生と大学生の境目ぐらい……か。


 視線を落とせば、お世辞抜きでデカいと断言できる膨らみが二つ。サイズは分からないが、シャツを押し上げるそれを立ち上がって見下ろせば、足元が見えなくなるぐらいには大きい。



 ……ちょいと、手に持ってみる。



 意外と……重い。それでいて、思っている以上に柔らかい。力を入れれば入れた分だけ、指先が沈む。カッターシャツ越しであるのが信じられないぐらいだ。



 ……興味が湧いて来た。



 気になった彼女が念じれば、身に纏っている衣服が光の粒子となって弾けてゆく。背中を覆っていたマント、ボタンが弾けそうになっていたカッターシャツ、何故か装着されていたブラ、デニムや(これまた女物)パンツ……最後に、目元を覆っているマスクも光へと変わった。



(……って、普通に使えるじゃん)



 時間にして、二秒程。その時間を経て生まれたままの姿になった彼女は、ごく自然的に動かせる機能を無意識に動かしていることに、目を瞬かせる。



(もしかして、頭では分からなくなっていても、身体は覚えているってやつ……か?)



 ということは、今後も無意識に……まあ、考えた所で何かが変わるわけでもないし、もういいやと納得する。そうしてから、改めて己が身体を見やれば……だ。


 自分で言うのも何だが、まるで精巧なフィギュアのような身体だと率直に思った。自慢というわけではないが、そう思ってしまう程に白く滑らかな肌は、綺麗であった。


 顔立ちは言うまでもないが、首から下が特に凄い。両手でも完全に掴みきれない膨らみは重たくも瑞々しく、垂れる気配もなくツンと前に飛び出していて、形も綺麗だ。


 脇腹は細く、これが人間の腰回りかと思う程にすらりと曲線を描いているのに、どこかむちっとした柔らかさを覚える。それは腰から下へと降りるにつれて増してゆき、尻から太もも周りの見事なバランスと来たら言葉では言い表せられない。


 ぶっちゃけ、エロい身体であった。


 カッターシャツ越しでも十二分に分かってはいたが、裸になってみてそれがよく分かる。乳輪の大きさ、色、恥毛の具合に至るまで、どの角度から見てもエロいのだ。


 その美しさは、十年に一度……いや、五十年に一度現れるかどうか、だろうか。見事な黄金比に保たれた、女体の最高傑作といっても過言ではないのナイスバディであった……のだが。



(あー……なるほど、男も女も虜にして操るって、こういうことなのか……えげつねえっすな)



 当の彼女(太一)は、他人事であった。


 むしろ、自らの肉体のえげつない機能に内心頬を引き攣らせていた。ただそれは、不感症あるいは精神的ED……というわけではない。


 これも、生体兵器としての影響だ。女体としての己を見るのはこれが初めてだが、覚える感情はあくまで事務的で。どうしてか、『見飽きた』というような気持ちにしかならないのである。


 何とも不思議な気分だ。自分の身体だと自覚し、それが二つとない至宝にも等しい優れた女体であるのは分かっているのに、それ以上がない。感覚としてはそう……同性の裸を見て、すげえ、と感心しているのが近い。


 まあ、胸をもみもみするのは何となく気持ちいいのは確かなので、そういった感情が完全に失われているわけでは……言っておくが、快感ではない。手触りが気持ちいいのだ。ほう、ほう、ほう。もみもみと膨らみを揉みながら、彼女は感心する。


 ……ちなみに、興奮もしない。


 周囲の性的興味を煽る凄い身体をしているということを客観的には理解しているものの、主観的には……まあ、(走ったら揺れそう)というぐらいの価値でしかなかった。


 一しきり身体を触って具合を確認して満足した彼女は、ぱちん、と指を鳴らす。途端、床に落ちていたマントやら何やらはパッと弾けて光の粒子になり、身体を覆う。


 ものの数秒で元の恰好へと戻ったのを確認した彼女は……あっ、とブーツに包まれた両足を見やって頭を掻くと、再び脱いで玄関へと放った。



(服を戻すと靴まで自動的に戻されるのか……ああ、玄関に置いてあったブーツが無くなって……もしかして、この服って自分の身体の一部……ってことは、風呂に入りたくなったらこの恰好のまま入らないと意味が……いや、止そう)



 下手に考えると、色々なところが目に付いてしまう。かつかつと目元を覆うマスクを指で叩くと、やれやれとベッドに腰を下ろし……そのまま流れる様に仰向けになった。



(貯金があるからしばらくは大丈夫だとして……問題は、働き口がないってことだよなあ)



 そう、問題はそこだ。


 姿形が変わった今の彼女には、身元を保証する公的な物が何もない。今の彼女(太一)は第三者から見れば、男性が住んでいるはずの住宅にいつの間にか住み着いている身元が不明な不審人物に他ならない。


 ――これは、かなり痛い。


 今時、身元を一切気にせず雇うところはバイトですら皆無と言っていいぐらいに少ない。頼れる友人はおらず、元々が天涯孤独の身だった故に援助を乞う相手もいない。


 警察に……助けを求めた所でどうにかして貰えるだろうか。


 たぶん、どうにもならないだろうなと彼女は自答する。普通じゃないことの証明は容易いだろう。しかし、その結果の先に彼女が望む暮らしが待っているようには……思えない。


 漫画や映画の見過ぎと言われればそれまでだが、良くて監視の檻の中……悪ければモルモット扱いだろう。自分で言うのも何だが、この身体は未知の科学の塊みたいなものだし……そう、彼女はため息を零した。



 ――いや、本当にどうしよう。



 詰んだ、という言葉が脳裏を過った。


 慌てて、それを振り払い……視線が、パソコンへと止まる。ネットで相談……駄目だ。どうせ、質の悪い作り話として笑われる。というか、自分が第三者の立場なら、絶対に笑う。



(寝ている間に諸々が解決してくれていたら、いいんだけどなあ……はあ、寝るか)



 思うだけなら、タダだ。どうにもならない現実を前に、彼女は一度寝ることにした。兎にも角にも、もう夜だ。考えるのは、朝になってからでも遅くはない。


 そう結論を出した彼女は、つい癖でスマホの定位置となっている場所を見やり……それも無くなっていることを思い出し、苦笑する。まあ、バイトには行けなくなったのだから、起きる時間を気にしなくても――。





 ――。


 ――。


 ――――いいか。



 そう思った瞬間、光が眼前を満たした。まるで、いきなりライトを眼光に付きつけられたかのような唐突さに、驚く暇すらなかった。



 うわ、眩しい。



 思わず手で遮った彼女は、何だ何だと光が差す方向へと目をやる。瞬間、その光の正体が、ベランダの向こうに広がる青空と、そこから差し込まれる日光であることが分かり……えっ、と目を瞬かせた。


 朝日……そう、朝日だ。


 紛れもなく、疑いようもない、朝日だ。思わず枕元に置いてある時計に目をやれば、時刻は朝の8時15分を差している。バイトに行く日の、起床時間であった。


 ……全く眠った感じがしない。やっぱり、疲れていたのだろうか。


 あまりに唐突で、彼女はしばし呆然とする他なかった。まあ、それでも10分程大人しくしていれば、自然と状況は呑み込める。しかし、精神的には全く休んだ気はしな――あれ?



(……ここ、何処?)



 胡乱げな眼差しを辺りに向けた彼女は、はて、と頭を掻く。はっきり言えば、見覚えのない部屋であった。暮らし慣れた己の住処とは、根本的に間取りが違っていた。


 目に止まる家電は全て最新式のやつで、家具もどことなく可愛らしい物に。状況が理解出来ず、何気なく目に付いたタンスを空けてみれば……中には、丸められたパンツやらブラやら衣服やらが綺麗に収められていた。



(……どういう事? 寝ている間に引っ越しでもされたんすか?)



 冗談交じりにそう思った瞬間、カチリと脳裏で何かが動いた……そう知覚した直後。凄まじい勢いで脳裏を過って行った膨大な情報を前に、「おっ、おお?」彼女は思わず目を白黒させた。



 ……次いで、絶句した。絶句せざるを得なかった。



 何故なら、彼女は現状を認識したのだ。夜が明けたと思ったのは間違いで、実際は二か月近くも意識を失っていたということを。そして、この部屋はその間に借りられた彼女の新たな住処だということを、だ。


 どうやら、眠る前にポツリと考えた、『眠っている間に諸々が解決していたら~』という思考が原因のようだ。


 それが引き金となって詳細不明の機能の内の幾つかが起動してしまったらしく、本当に寝ている間に諸々を解決したようなのである。


 あえて名を付けるとするなら、『自立行動モード』というやつだろうか。そのモードになった彼女は二か月間の間、夢遊病のように自覚無く行動し続けていたようなのである。


 何故そのような状態になったのか……もしかして、消し損ねたヤバいプログラムが復帰したのだろうか?


 戦々恐々としつつ自己診断した結果……思わず脱力した彼女は、大きく肩を落とした。次いで、枕元に散らばった各銀行のキャッシュカードやら身分証の束を見て……深々と、ため息を零した。



 眠っていた彼女は、その間、何をしていたのか?


 一言でいえば、『色々とやっていた』、であった。



 具体的に言い直すのであれば、一日で各種コンピュータ言語を習得し、二日間でそれらを用いたクラッキングで公的機関へアクセスし秘密裏に掌握、関係各所のコンピュータ内に戸籍と身元を作ったのである。


 合わせて、可動した機能の一つ、『原子変換』というSFパワーによる物質的な意味での公文書偽造を行う。その際、各種免許、保険証、学歴、各種カードといった様々な身元を表す物やモノを精製。


 かくして彼女はたった三日で戸籍を手に入れ、学歴を手に入れ、公的証書を手に入れ、各種資格を手に入れたのである。どこぞの00ナンバーズだって、こうも素早くは出来ないだろう早業だ。



 ――しかも、まだ終わらない。



 戸籍を手に入れた自立行動中の彼女は、そのままの勢いで世界中の各種銀行のメインコンピュータをクラッキングし、次々に口座を開設していったのである。


 技術を結集させて作り出された、物理的&電子的な防壁も、異星人が生み出した科学力には手も足も出せなかったようで。


 あっという間に世界中の銀行に口座を作った彼女は、それら一つ一つに物理的にも電子的にも数千万単位の預金を精製した。


 そうして、五日目。驚くべきことに、自立行動中の彼女はその資金を元に、それから50日間ほどを掛けて地球上における様々な情報を収集しつつ、普通の人間であるように取り繕ったのである。


 その一環として、偽造した個人情報を使って新たな住居を借り、『真坂太一であった頃の繋がりを断った』。次いで、年頃の女性が持っていて当たり前な物を用意し、部屋も同様にした。


 そして、一通りの用意を終えたので自立行動は停止し、太一の人格が表に出た……それが、眠っていた間に起こったことの全てであった。



「…………」



 展開の速さに言葉を失くしたまま、彼女は無造作に放られている免許証を手に取る。そこには無表情の黒髪美女が映っていて、名前の欄には『立花・エプレシア・舞子』と印字されていた。



 ……無言のままに、ベッドを下りて洗面所へ向かう。



 勝手知るとは少しばかり意味合いは異なるが、間取りは記録として頭の中にある。一直線にそこへ向かった彼女は、露わになった己が姿を見て……もはや、溜め息も零れなかった。


 そこに映っていたのは、猫のキャラクターがプリントされた可愛らしいパジャマを着た、正しく美女であった。


 それも、美女の文字の上に超の文字が三つぐらい付き、かつ、その文字の上に『稀代の天才の』……が、付くぐらいの。


 目元を覆うマスクは、なくなっている。だが、失われたわけではない。どうやら、自動行動中に一般人というやつを学習したようで、平時はこの姿にしていたようだ。


 さすさすと、目元を摩った彼女……つまり、旧真坂太一改め、現立花・エプレシア・舞子という少しばかり長ったらしい名前に成ってしまった彼女は、最後にもう一度しっかりと己が姿を見つめると。



「……年も明けたみたいだし、新しいバイト、探さなきゃ」



 おもむろに、自己逃避(日常サイクル)を始めるのであった。




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