偶然の贈り物と天使の笑顔
我が家でクリスマスパーティーをした事は、実は一度もない。
妻はこの時期は特に忙しいし、私も顧客への年末挨拶に時間を割かれ、二人でクリスマスを過ごすという習慣は、結婚する前から全く無かった。
若い頃はそれぞれプレゼントを贈りあったものだが、今となってはそれもなく、気付けば年末になってしまう。この数十年、クリスマスらしい事など、何一つしてこなかった。
街は赤と緑と金の装飾で溢れている。この緑が白になると、正月がせまっているのだと、ようやく気付くのだ。
しかし、今年は不思議なことが起きた。
12月も中旬に差し掛かった頃、休みが合って家で過ごしていた私たちがリビングで映画を観ていると、テレビの中の、テンガロンハットのガンマンが発砲した瞬間、妻と私の携帯電話が同時に鳴った。
『最上川さん、申し訳無い! 先日お約束した24日の打ち合わせなんだけど……外せない用事が入ってしまって……』
いつも年末などお構いなしに仕事をしている取引先の社長から、珍しく断りの連絡。リスケジュールは、年始になった。
妻は妻で、中国語と英語が混じった言葉で何かを言っている。その顔は嬉しそうな、怒っている様な、半端な表情をしていた。
「……中国以外の国なんて、もう休暇中だものねぇ……」
電話を切った妻が、ぽつりと呟く。
「なんだ、お互い断られたのか」
私は妻に苦笑い向ける。
「ええ。珍しい事もあるものね。二人揃って、イブに予定が空くなんて」
「十年ぶりくらいじゃないかな」
テレビ画面はエンドロールを流し、テンガロンハットのガンマンは助けた町娘と抱き合っていた。
私たちはこの不思議な偶然に乗って、初めてのクリスマス会を開くことにした。
二人で出掛ける事も考えたが、家で過ごすのが良いだろうという話になり、妻が料理を作り、私が酒を選ぶ事になった。
「お互いいい年だから、チキンにケーキじゃなくて、何か和食でも作るわ」と妻。「なら日本酒にしよう」と私。
どうせなら、先日なじみの居酒屋で教えてもらった、日本酒を美味しく飲める酒器で酒を楽しもうと思い、私は食器の店へ足を運んだ。
店頭には年末らしく、陶器で出来た鏡餅やシャンパングラスが並んでいた。日本酒用の薄口のグラスも沢山並んでいる。しかし、目的の酒器はこの店には無かった。
別の店に行く前に、久々に来たからと色々と見ているとふと、徳利と猪口が目にとまった。
それは年末年始用の漆塗りの器や華やかな食器類の中にあって、厚塗りの釉薬で仕上げられた、ぽってりとした、オフホワイトの猪口だった。
なんとなしにそれを手に取ると、店員がやって来た。
「他のお色もありますので、ぜひ!」
若い女性店員は、満面の笑顔で接客している。クリスマスイブの幸せな空気と相まって、彼女の笑顔がとても眩しい。クリスマスの天使、という言葉が似合いそうだ。
「どうもありがとう。これは……」
「はい。益子焼と言います」
「ああ、栃木の……」
益子焼といえば、栃木の益子町の窯で作られる焼き物で、江戸時代の日用品から始まった焼き物だ。砂っぽい、ゴツゴツとした姿が特徴の陶器だ。
「お詳しいんですか?」
店員が私の顔を覗き込む。
「あ、いえ。たまたまです……でもこれ、軽いですね?」
本来益子焼は重たいのだが、この徳利は有田焼にも負けない軽さだった。
益子焼や備前焼など、粘土から作られる器は陶器、有田焼や九谷焼など、石の粉から作られる器は磁器と呼ばれる。磁器は焼成後にガラス質になるため、薄手で割れにくい。
一方陶器は割れやすい上に、水を吸うためカビが生じたり、急激な温度変化で割れることもあり、とかく扱いづらい。そのため、現代では多くの食器は磁器なのだが、未だに陶器が残るのは、多孔質であるがゆえの保温性にある。陶器は温まりにくく冷めにくい。その利点を最大限活用しているのが、土鍋というわけだ。
「あら、ホントはお詳しいんじゃないですかぁ? 実はこれ、うちのお店がお願いして、陶器なのに軽くなる様に作ってもらったんです! すごいですよね!」
そう言うと、店員は嬉しそうに特別オーダーの益子焼について語った。
「なるほど。もともと日用品ですからね。作り手が使いやすさを考えたというのは良いですね……これをいただきます」
「ありがとうございます! 贈り物ですか?」
「……贈り物はこれに入れる方なので、自宅用で結構です」
「なるほど! 美味しいお酒を選んで下さいね! 熱燗が良いですよ! なにせ、陶器ですから」
店員は満面の笑みで益子焼の徳利を包み、紙袋を差し出した。
私は気分良く買い物を済ませ、熱燗が合う酒を買って家に帰った。
「おかえりなさい。もう出来てるわよ」
妻が食卓に食器を並べる。
「ん? 食器、新調したのかい?」
並んだ食器は、ぽってりとした釉薬の塗られ方をした……オフホワイトの陶器だった。
「そうなの。この間、ボウルを割ってしまって。お店に行ったらね、軽くて使いやすそうな中鉢があったんだけど……米のとぎ汁で目止めしろって店員さんに言われて。土鍋みたいよね。今時珍しいでしょう?」
そう言った妻が食卓に置いた中鉢に盛られた筑前煮からは、湯気が立ち上っている。
「これ、もしかして益子焼かい?」
「あら、よく分かったわね」
「……笑顔の素敵な、若いお嬢さんが説明していた?」
「あら? もしかして……」
「私も、まんまと買わされたよ」
そう言って私は徳利を取り出した。
「あらあら……色までおそろいじゃない。今年は偶然が沢山あるクリスマスね」
「そうだね……聖夜の奇跡、ってやつかな」
「随分と小さな奇跡ね」
妻はあの店員にも負けない笑顔で、徳利を手に取った。
「いいじゃないか。年末年始をこの新しい器で迎えられる」
「そうね。じゃあ、映画くらいはクリスマスらしいものでも見ましょうか」
「この間の西部劇を見直さないのかい?」
「あれは、好みじゃなかったわ。古き良き西部劇は、ガンマンが娘を置いてかっこ良く去って欲しいもの」
「古き良き、ね……」
私は古き良き陶器を手に取りながらリモコンを操作し、古き良きクリスマスの定番映画を選択した。
「ホームアローン?」
妻が怪訝な顔をする。
「たまにはいいかなと思って」
「天使にラブソングを、の方が良くないかしら」
「天使か……なら、これにしよう」
私は、今日の私たちにぴったりの映画を選ぶ。
「……やっぱりあなたって、キザね」
妻は苦笑いをしながら、熱燗を準備し始める。
テレビは、人生をやり直す男の映画を流している。
その映画のタイトルは──
「メリークリスマス。私は、別にやり直さなくてもいいけど」
「メリークリスマス。私もそう思うよ」
私達は猪口で乾杯をする。
──「天使のくれた時間」
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