積み重ねた想いを小箱に詰め込んで
「そういえば最上川さんって、奥さまに何をプレゼントなさるの?」
おしどり夫婦の良妻として有名な竹浦社長が私にそう問いかけたのは、妻の誕生日の一週間前の事だった。
竹浦商事の社長室は、女性社長らしくエレガントな雰囲気に染まっており、生け花が飾られ、上品なお香の残り香が漂っている。
「そうですね……その時その時で、妻が気に入りそうなものを選んでいます。去年はたしか……ハンドバッグだったかな」
毎年、妻には誕生日プレゼントを渡す。お互い良い年なのでケーキを用意してハッピーバースデーを歌う様な事はしないが、上等なスイーツを用意し、コーヒーを淹れる。余裕のある年は私が夕飯を用意したこともあった。
「お化粧品はいかがなの?」
やはり、そうきた。
竹浦社長の会社は高級化粧品を取り扱っており、訪れる客人の妻や恋人の誕生日をさり気なく聞き出して記憶しているのだ。
まさに商人の鑑。彼女の記憶力は無尽蔵で、一言でも失言のあった営業マンはなんらかのリカバリーをしない限り、永久に彼女に有利な商談を進められてしまう。
なので、私はいつも警戒しながら、竹浦社長と会話する様にしている。
「……妻は化粧品を使わないもので」
使わない、と簡潔に答えてはいるが、実際は違う。
妻は自ら取り寄せたハーブで化粧品を自作する。まるで実験室の様になった彼女の自室からは、定期的にハーブの良い香りがする。私が色々なものにこだわるのを黙認する妻もまた、彼女なりのこだわりを持っているのだ。
「……失礼だけど、最上川さんとお歳が近いなら、いい加減使ったほうが良いわよ。アンチエイジング化粧品もあるんですから!」
「……ありがとうございます。検討いたします」
「じゃあ、こちらのカタログにマルをつけてあるから、そちらから検討なさって。ぜひ宜しくお願いします」
竹浦社長はシワ一つない顔で微笑んで見せた。
たしか、竹浦社長は四十五歳……この顔は化粧品のおかげなのだろうか。年齢を重ねたことを感じさせない顔を、彼女の夫はどう思っているのだろうか。
私はカタログを受け取ると、竹浦社長と次回訪問の日取りを決めて、竹浦商事をあとにした。
「プレゼント、か……」
妻の誕生日を忘れた事はないが、プレゼントは毎年、頭をひねって、苦労しながらアイディアを出している。なぜなら、彼女には物欲がほとんど無いからだ。
妻は世界を飛び回って仕事をしているが、普段から持ち物が極端に少ない。彼女に言わせれば、世界を飛び回るのは旅行ではなく仕事で、仕事に余計なものを持ち込む必要など無いとのこと。
だが、仕事でなくとも彼女の持ち物は少ない。妻のバッグには自作の化粧品が数点と、ハンカチ、最小限の文房具、名刺入れ、コンパクトな財布……そして、私の巻いた手巻きタバコを数十本入れたケースとライター、携帯電話。それだけだ。鍵は財布に入れている。
上等なスカーフや財布……バッグ。ここ数年、妻が喜びそうな品は出尽くしていた。
彼女はプレゼントの額には特段こだわりは無く、ブランド物や宝飾品も好かない。そして、「余計なもの」を喜ばない。
これは……ネタ切れ、というやつだ。
妻へのプレゼント選びを悩みながら歩いていると、いつも電車に乗る駅をいつの間にか通り過ぎていた。考え事や気になる事があるといつもこれだ。
まあ、たまには一駅歩くのも悪くない。そう思いながら歩いていると、ふわっと、華やかな香りが鼻孔をくすぐった。
「花屋…か」
私の目の前に現れたそれは、色とりどりの花をディスプレイした生花店だった。妻は実用品を好むが、唯一、実用用途の無いもので喜ぶのが花だった。
私は店舗に足を踏み入れ、ぼんやりと花を眺める。花には詳しくないので、妻に贈るときはいつも店任せだ。
しかし、花を買うにはまだ早い。アタリをつけて、近所で買うか……そう思いながら、何ともなく店を見回っていた時だった。
「いらっしゃいませ、プレゼントですか?」
三十代くらいの女性店員が、私に話しかけてきた。
「ええ、まあ」
プレゼントと言い当てられ、私は軽い苦笑いを見せる。
「喧嘩ではありませんよね? 誕生日の贈り物に、お困りとか?」
女性店員はさらに私の思考を当ててきた。
「……よくお分かりになりましたね」
「お客様の眺めるお花で、だいたいわかるんです」
店員はまさに花の様に微笑む。
「それはすごい。花が、教えてくれると?」
「ええ。悲しげな顔や真顔で菊を眺めていたら、お葬式。穏やかな顔ならお供えです。お若い方がバラを眺めていたら、プロポーズや告白。渋い顔で明るい色の花を眺めていたら、仲直りの花束をお探しなんですよ」
「なるほど……で、私は」
「困ったお顔で、何ともなく眺めておられたので……今年のお誕生日プレゼントにお困りで、しかも、お誕生日はお花がしおれるくらい先なのかな、と」
その天真爛漫な笑顔からは想像もつかない、まるで心理分析官の様なプロファイリングに、私は心底驚いた顔になる。
「うーん、全くもってそのとおりです。すごいですね……」
「ふふっ。職業病ですね。ごめんなさい。それで……まだ先なら、いくつかおすすめがあるんですけど」
そう言って彼女は、店の奥へ私を誘う。
店の奥の棚には、小さな花の入った小瓶が並んでいた。
「ハーバリウム、ですか」
ハーバリウムとは、小瓶の中にドライフラワーなどを入れてオイルを満たしたインテリアの事だ。
ハーバリウムには、花をきれいな状態で長く鑑賞できるという利点がある。元は研究用に使われた技法だったが、近年では手軽なSNS映えインテリアとして人気を博している。
流行黎明期は細長い瓶に入ったものが多かったが、この店では、様々な形の瓶を揃えている。
「ええ。きれいでしょう?」
「そうですね……」
私は言葉を濁す。妻はおそらく、この手のものは好かない。生花は良いが、きっと、瓶入りの花は、邪魔に感じるだろう。
「……奥様、モノがない方がお好きな方ですか?」
「ええ。そうですね……なんでもお見通しですね」
私は眉間にしわを寄せたまま、微笑んだ。
「そういう方も増えてますから。じゃあ、こちらはいかがですか?」
そう言って店員は、小さな箱を取り出した。
「……これは?」
「こんな感じです」
店員が箱を開けると、その中には美しい花々が、ぎっしりと詰まっていた。一見不規則の様だが、その実はかなり規則的に、色彩が計算されて花が並んでいる。まるで、箱の中に一つの絵画が詰まっているかの様だった。
「生け花みたいですね」
「そうですね。これなら、お日持ちは一週間、ご自宅にお届けもできますよ!」
店員は満面の笑みで答えた。
「なるほど。では、これにします」
「ありがとうございます! 大きさは……お客様の想いの大きさと同じくらいが良いですよ」
「それ、一番大きいもの以外選ぶな、ということではありませんか?」
「いえいえ。どんな大きさでも結構ですよ。でも、長年連れ添っていらっしゃれば、それだけ想いも積まれていくでしょう?」
「……流石ですね」
花屋を出た私は、店舗の外に、先程の店員の顔写真が掲げられていた事に気づく。
なるほど。
彼女の職業病は花屋ではなく……そっちだったのか。
「世界初! 心理学者兼フラワーアーティストの近田優子が、貴方の心に寄り添う最高のお花をご提案します」
私は客の悩みを花で解決する、見事な手腕に関心しつつ、一輪の花菖蒲を手に、家に向かった。
花菖蒲の代表的な花言葉は……
うれしい知らせ、だそうだ。
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