職人は黙して語らず作品に愛を込める
三十年来の友人、田所から届いたメール。そこには、仕事の事で話したい事がある、とだけ書かれていた。
待ち合わせ場所は私が、田所の勤め先の近くに設定した。田所は私の様な半雇われの営業マンと違って、日中に自由に出歩ける訳ではない。ちょうど、田所の勤め先のすぐそばに良い喫茶店がある。そこで昼食がてら、話を聞く事にした。
「まァ、そんな大層な話じゃねンだけどさ」
田所はナポリタンをすすりながら、話し始めた。
「ウチで今度、ハンドメイドの企画をやろうって事になったんだけど……バイヤー共が、苦戦してんだ」
田所は鞄から黒塗りだらけの企画書を出した。友人に対してもきちんとこういうところを守るのが、田所らしい。
話を聞けば、担当のバイヤー達はブランド物の皮革、服飾系がメインの取り扱い商材だそうで、私はそれを聞いて苦戦の理由を悟った。そして、それを田所に説明する。
「……なるほどな。やっぱ、モッさんに相談して正解だな」
田所は私をモッさんと呼ぶ。なんだか間の抜けたあだ名だが、この男はそれを承知で言っているふしがある。田所は口端を上げて笑って見せ、企画書を鞄に戻した。
「あとは、モッさんにツテがあれば、お願いしたいってとこだ」
「そうだな……」
「あ、会計お願いします」
田所は店員に声を掛ける。どうやら田所はここの常連らしく、昼時間でもテーブル会計で良い様だ。
田所が鞄から財布を出す。三つ折りのコンパクトな財布だった。
「……財布か。革製品なら、心当たりがある。ちょうど、しばらく顔を出していないから、同行しても良いよ」
「おう、助かるぜ。じゃ、ここは俺が持つよ」
「なんだ。じゃあ、ハワイコナコーヒーにすべきだったな」
「上手くいったら、コナでもブルマンでもおごってやるよ」
田所は再び、ニヤリと笑った。
同行するバイヤーは身なりの整った青年で、ハイブランドを中心に営業をしている事がよく分かった。
「最上川です。よろしくお願いします」
「佐藤です。よろしくお願いします」
佐藤は使い込まれたハイブランドの名刺入れを取り出して、流れる様な手つきで私と名刺交換した。動きが洗練されている。
名刺入れと僅かにサイズが合わず、少しだけ端が擦れた名刺。彼らの勤めるアラカワホールディングスの名刺は特別規格で、他の会社の名刺と重ねたとき、数ミリ飛び出す様に出来ている。大手の割にそうした工夫をする企業だからこそ、未だに成長し続けているのだろう。
「はぁぁ……貴方が最上川さん……お噂はかねがね……」
佐藤は何か納得した様な表情で私を見つめている。
「田所は何て言ってるんです?」
私は苦笑いで問いかけた。
「伝説の営業マン、と」
私は思わず吹き出してしまった。
「ははは。それは田所のジョークです。真に受けてはいけませんよ。じゃ、行きましょうか」
「え? いや、あ、はい」
今日訪問する店は、皮革製品のハンドメイドメーカーで、社長のこだわりによって、日本で加工された上質な革だけでなく、世界の希少な革も取り扱っている。そのこだわりがウケて店舗は少しずつ広くなり、今は従業員も雇ってweb販売もするほどになった。しかし、素材のこだわりだけで、ここまで成長したわけではない。
店内には新しい革の香りが充満し、新品と共に使い込んだ後の革製品、いわゆるエイジングされたものもサンプルとして並んでいる。店の奥には工房があり、その入り口は広く、ドアもない。革製品を加工する様子が、よく見える。
「いらっしゃいませ……あら最上川さん!」
社長の計らいだろう。店頭には従業員ではなく、社長の妻が立っていた。社長もその妻もまだ若く、二人とも三十代だ。
「奥様。お久しぶりです。最近社長が呼んでくださらないので、私から伺う事にしました」
私は薄っすらと微笑み、冗談を言う。
「あらやだわ。最上川さんのおかげで、ウチは助かってるのに。ごめんなさいね。社長! 最上川さんよ!」
社長の妻が社長を呼ぶと、店の奥からしかめ面で背の高い男が現れた。ラフな格好にエプロンを掛けた姿は、一歩間違えばアルバイトにも見える。
「……最上川さん、そこの人は」
大男は私と佐藤を軽く見下ろすようにつぶやく。
「ああ、電話でお話したアラカワホールディングスの佐藤さんです」
私は彼をちらと見た。その瞬間、佐藤は素早い手つきで名刺入れを取り出して、私の前に出た。
「申し遅れました、私アラカワホールディングスの佐藤と申します!」
佐藤の差し出した名刺を片手で受け取った社長は、佐藤の手元と名刺を見てから、名刺をエプロンのポケットに突っ込んだ。
佐藤は社長が名刺を出すのを待ち構えていたが、社長はくるりと振り返り、工房の方へ向かって行った。
「ごめんなさいね。ちょっと待っててくださいねぇ」
社長の妻が佐藤に頭を下げ、工房へ入って行った。
「あの、最上川さん……僕、何か悪いことしましたか……?」
「気にしなくていいですよ」
「うーん……?」
佐藤は得心のいかない顔で工房の入り口を見つめている。社長は従業員と何か会話をしていた。
「まあまあ。商品を見てみたらどうですか。それを見に来たんでしょう」
「あっ、そうでした」
そう言って佐藤は商品をじっくりと見回り始めた。
「も、最上川さん……」
「何でしょう?」
「こんな値付けでいいんですか? 安過ぎる……!」
佐藤は驚愕のあまり、目をパチパチしながら商品の一つ一つを手に取って見ている。
「いや、創業してから少し値上げしているはずですよ」
「いやいやいやいや! これ、この素材! いや、栃木レザーはそこまで値は張りませんが……それでもこの加工でこれは安過ぎる! すごい!」
佐藤は感激しながら、長財布を手に取った。
「この財布だって……コードバンか。美しい……」
「ああ、それは私も使ってますよ。便利でね」
「へぇ……」
「これなんか面白いですよ」
「えっ? へぇー!」
「鞄も良くてね……」
「あのー……」
私達が盛り上がっていると、社長の妻が申し訳なさそうに工房の入り口から声をかけてきた。
「ああ。失礼しました。じゃあ、行きましょう」
私は工房の入り口へ向かう。
「えっと……」
佐藤は困惑しながら私についてきた。
工房では職人たちが黙々と革製品を加工している。
「すいませんね。ウチの人、無愛想でしょう?」
社長の妻が佐藤に苦笑いを向ける。
「え? あ、いや、そんな……ハハハ……」
佐藤は苦笑いで応えた。
「まあ、奥様の愛想あっての職人ですからね」
「あらお上手! さ、こちらへどうぞ」
社長の妻に促されて入った工房の奥の社長室。その応接セットの一方の椅子には、既に社長が座って茶を飲んでいた。
「失礼します」
私は部屋に入って直ぐに彼の向かいに座る。佐藤も困惑しながら恐る恐る席についた。席にどうぞの声掛けも、挨拶もなければ天気の話も時事の話もない。だが、それでいいのだ。
「……最上川さん、調子はどうですか」
社長がぼそりとつぶやいた。
「ええ。こんな感じで」
私はこの店で買った財布を取り出して、社長に見せる。社長は財布を手に取って開いたり閉じたりしながら、状態のチェックをしている。
「少し、コバにヒビが出てきてる。近いうちに修理します」
社長は財布の端、コバを睨みつけながら言った。
コバとは革製品の裁断してある部分の事で、裁断面が木目に見えることから「木端」と呼ばれる様になった。革製品において最も痛みやすく、ここの処理の良し悪しで革製品の加工の善し悪しが決まるとも言われている。当然、この店の商品のコバ処理は最高だ。
私はこの店で、自分の使いやすい様に財布をセミオーダーで作ってもらった。フルオーダーは流石に値が張るが、この店のセミオーダー品はさほど追加料金もなく、好みの機能を付加することができるのだ。
「ではまた近いうちに来ますね。こだわって作ってもらった、愛用品ですから」
私は微笑みつつ、財布を内ポケットに入れた。そして社長も少し、表情を緩めて佐藤の方を向いた。
「あんたは、どう思う?」
「え? あ、はい! 素晴らしい品ばかりで驚きました。帰りになにか買わせて頂きたいと思ってます」
佐藤は真っ直ぐな瞳で社長を見据えた。
「……で、ブースの広さとか、品数は?」
「えっ? あの……」
「……わからないのか?」
「あ、いえ! 分かります! こちらが……」
1時間後、店を出た我々は、手に小さな紙袋を持っていた。
「おかげさまでうまくいきましたよ!」
佐藤は満面の笑みだ。
「いえいえ。佐藤さんの見事なプレゼンあっての成約でしょう。で、社長は何をくれました?」
「ああ、そうだ……」
佐藤は紙袋に手を入れ、中身を取り出す。そこには予想通り、名刺入れが入っていた。
「最上川さん……これって」
佐藤が目をパチパチしながら言った。
「なるほど。さすが社長だ。ひと目で、あなたが革製品を大切にする人だと見抜いたのでしょう。あなたの名刺入れ……よく手入れされていた。でも、そろそろ限界だと分かったのかもしれません」
佐藤は自分の名刺入れを取り出す。そして、フラップを開くと私に見せた。中の糸はほつれ、コバ塗りも剥がれていた。
「……確かに、そろそろ買い替え時だと思っていました。表面はオイルでメンテナンスしていたのに……バレてたんですね」
「それもあるし、佐藤さんが、彼の作った商品を見て感動したからでしょう。あの工房はね、いつもお客様の声が聞こえる様に、入り口にドアが無いんです」
「……なるほど……しかし、良い名刺入れですね」
佐藤は名刺入れをまじまじと見つめている。
「アラカワホールディングスの名刺……少し長いでしょう? 入れて見てください」
「うわ、ぴったりだ……すごい…」
佐藤は名刺入れに名刺を出し入れしている。これでもう、名刺の端が擦れることはないだろう。
「彼には、革製品は常に良い状態で、なにより使いやすい物を使ってほしいという、強い想いがあるんですよ」
「……よく分かりました。今まで、ハンドメイドメーカーの皆さんに失礼な営業をしていたみたいです。イチからやり直してきます」
すっかり晴れやかな表情になった佐藤と別れた私は、最寄りの喫茶店で、紙袋の中に入った小箱を取り出す。私も社長からプレゼントをもらっていた。中には、薄桃色に着色された、革製のパスポートケースが入っていた。
「そう、きたか……」
以前訪問した際、社長には私の妻が日本と海外を行き来して仕事をしている事を、話していたのを思い出した。
職人は気難しそうに見える者も多いが、それは単に、コミュニケーションが少し苦手なだけ。ここの社長は心優しく、気遣いも出来る。気遣いができなければ、日常的に使う道具を、便利なものにする事など到底出来ない。格安のセミオーダー受注も、そうした革製品に対する彼の想いだ。彼のこだわりは、優しさと愛情に満ちている。
不意に手に入った妻への手土産を再び箱に収めた私は、田所に「次のおごりもブレンドで」とメールを送り、ハワイコナコーヒーを注文した。
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