美しい雪から冷たさと甘さと優しさを

「モッさん!」


 ホテルから出た私を呼び止めたのは、30年来の友人である田所だった。学生の時から、田所は私をモッさんと呼ぶ。名字が長いが故に色々な通称を与えられてきたが、彼からの呼び名が2番目に短い。


「田所じゃないか。どうしたんだ、こんな所で」

 振り返りつつ田所を見れば、彼は浴衣を着崩して、顔を赤くしていた。手には発泡酒の缶が握られている。


「見ての通りよ!モッさんこそどうしたんだよ、こんな街に似合わない、かっちりした服着ちゃってさ。そこのホテルから出てきたのも……泊まりじゃなくて仕事か?」


「ああ。まあね」


 そう。ここは温泉街。私はここに、仕事で来ていたのだ。


 この温泉街の、最も大きなホテルのオーナーが私の得意客で、私はこの温泉街に、公私ともにお世話になっている。今日も打ち合わせでここに来ていた。


 この温泉街は複数の泉質の温泉が湧くのだが、掘り当てた時にそれらを分断する事が困難だったため、それぞれの浴場の泉質は全て混合状態となっている。そのため、日によって成分が変わる、ちょっと変わった温泉が楽しめる。


 今日は時間も遅い。この温泉街では宿泊客以外は、あらかじめチケットを購入していないと夜間の入浴が出来ないので今日はおあずけだ。しかし、温泉に入れない時も一応お楽しみがあり、私はそこに向かおうとしていたのだが、そこで田所に会ったというわけだ。


「……田所、平日に温泉旅行とは羨ましいね」

 私は田所のはだけた浴衣を直しながら呟く様に告げた。


「へっへっ。嫁さんがさァ、たまにはどこかに連れてってくれないと家出するわよーなんて言うもんでな。可愛いだろ」


「それはそれは……」


 田所の妻は私達の15歳下で、このだらしない男の従姉妹だった。プロポーズも彼女からで、その言葉も「あなた、私がいないと野垂れ死にするわよ!」だったそうだ。結婚式で大いに笑ったのを思い出す。

 最近、田所に声を掛けても「仕事で……」と断られるばかりで、働きづめだった事が想像できる。彼女は田所を休ませたかったのだろう。


「で、その可愛い奥さんはどうしたんだ?」

 私は周囲を見回すが、彼女の姿が無い。


「えェ?あれ?みゆき?みゆきィ!」

 田所は急に慌てて周囲をキョロキョロと見回し始めた。


「田所……お前、はぐれたのか」

 私は眉をひそめた。


「あれェ?たった今くるっと引き返したトコだったんだけどなァ……」


「引き返した?そうか。ならば私の目的地と同じだろう。行こう」


「ヘェ?」


 私は酔っ払いを連れて、すぐそこにあった土産物屋に入った。


「あら、最上川さん!」

 田所と揃いの浴衣をきちんと着こなした田所の妻、みゆきさんがそこにいた。みゆきさんは切れ長の目をした涼やかな顔の美女で、とぼけた顔の田所と、元から親戚とは思えぬ顔立ちをしている。


「お久しぶりです。田所とそこで会ったものですから、ご挨拶をと思いまして」


「……最上川さん。それ、嘘でしょ?この人が勝手にフラーッと出たのを見て、捕まえてここに連れ戻したんじゃない?」

 みゆきさんは私を上目遣いで睨んだ。


「あんだよみゆきィ、どこ行ってたんらよぉ!寂しいだろぉ?冷てぇなぁ!」

 田所が台無しなセリフを吐いた。私は溜息をついて頭を掻く。みゆきさんがニヤリと笑った。敵わんな。


「さすがは田所の奥様……よくお分かりで。ただ、ばったり会ったのは本当ですよ」

 私は苦笑いで白旗宣言をした。


「もう。この人と私には、いつもの気遣いはいりませんよ。ほんと、最上川さんはこの人と違って紳士なんですか……らっ」

 そう言いながら、みゆきさんは田所の尻を平手で叩いた。


「いってェ!」


「……で、ここにいらっしゃるということは……それですね?」

 私は尻をおさえている田所を一瞥してから、レジ横にあるPOPを指差した。


「もちろん!最上川さんも、お好きですよね!」


「ええ。では……」

 私は懐に手を入れた……が、みゆきさんにその腕を掴まれた。


「だめです」


「えっ?」


「『嘘をついたお詫びに私が払いましょう』でしょ?この人を連れてきてくれたんだから……」


「この人が払います」

 みゆきさんは田所の袖からサイフを抜き取って私を振り返り、微笑んだ。


「いや……敵いませんね……」


「みゆきィ……なんだよそれェ……モッさんには優しいのに俺にゃ冷たいんだもんな……」

 田所はがっくりとうなだれた。


「ふふっ……あぁ、ごめんなさいね、さわがしくて。バニラ2つ」

 みゆきさんは田所から奪ったサイフを使ってソフトクリームを2つ購入し、片方を私に差し出した。


「ではお言葉に甘えて。田所、いただくよ」


「おぅ、食え食え」


 この店のソフトクリームはイタリアのカルビジャーニ社という、ジェラートとソフトクリームマシンの老舗が作った最高級マシンを導入している。


 北海道産の牛乳を使おうが、最高のバニラビーンズを使おうが、マシンが良くないソフトクリームは食感が悪く、その味を充分に引き出す事が出来ない。

 また、購入客が多すぎたり、逆に少な過ぎても味が落ちる。人気店のソフトクリームは充分に準備をした開店直後と、閉店前より少し前の時間が美味いのだ。牧場で食べるソフトクリームより、街中のソフトクリームの方が美味しいことがあるのは、ほぼマシンの影響と言っても過言ではないだろう。


 この店のソフトクリームは最高級マシンと万全のメンテナンスに加えて、素材にまでこだわって提供される。そのため味、食感共に満点だ。ここ以上のソフトクリームを、私は知らない。


 見た目にも美しい、純白のソフトクリームの先端を口に運ぶ。口いっぱいに優しいミルクの風味が広がり、フワフワとした雪の様な口触りとなめらかな舌触り、そしてさわやかな冷たさが、一仕事終えた私を癒した。


「うーん!やっぱりこれよね!」

 みゆきさんも頬をおさえてソフトクリームに舌鼓を打つ。実はこのソフトクリームを教えてくれたのは他でもない、みゆきさんだった。


 みゆきさんは個人ブログでスイーツの食べ歩き記事を書いているほどスイーツが好きで、私も手土産や女性の接待の際の参考にさせてもらっているほどだ。彼女のこだわりはとにかく「味」。スイーツは見た目も大事ではあるが、みゆきさんは味を重んじる。彼女は素材のブランドや店の歴史にあぐらをかくスイーツを許さず、自分の舌が良いと認めたものだけを記事にしている。そんなみゆきさんが唯一ブログに掲載したソフトクリームが、この店のものなのだ。


「みゆきさんに教えられてから、ここに来るたびに毎回、食べる様になってしまいました」

 私は照れ笑いしながらソフトクリームを頬張る。


「ふふっ。お仕事でもここに来られるなんて、羨ましいです。私も久々に食べたくなって、ここがいい、っておねだりしちゃいました」

 みゆきさんは田所と腕を組んだ。仲の良い夫婦だ。


「モッさんもみゆきも、甘いもん好きだからなぁ。俺は……ここの地酒がありゃ糖分は足りるからよ」

 田所はいつのまにか買っていた日本酒の瓶を片手に、ニヤリと笑った。


「飲み過ぎるなよ」

 私は田所の肩をポンと叩いて釘を刺した。


「モッさんこそ、年甲斐なくアイスなんて食って、腹冷やすなよ」

 田所はカラカラと笑った。


 夫婦の邪魔にならぬ様、私は店の前で2人に別れを告げ、彼らと逆方向に歩き出した。



 一見冷たくキツい態度に見えるみゆきさんだが、誰よりも優しく、気遣いの出来る女性だ。

 彼女の鋭い観察眼と舌にかかれば、巷で流行りのスイーツも、何品ブログに掲載されるか怪しいところだ。それほどまでに妥協のないこだわりを持つ彼女が田所を選んだ理由は……奴の憎めないキャラクターと、抜け目ない優しさにある。


「田所が言うんじゃ、仕方ないな……」


 私は田所が私のポケットに放り込んだ入浴券を手に、この街で2番目に良い宿へ向かって行った。

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