早朝、喫煙所にて

 手巻きタバコというものがある。


 コンビニに売られている既製品とは違う。自分で作るタバコ。


 キューバ産のタバコ葉。

 フィルターは22mm×6φ。

 それらを、無漂白の極薄ペーパーで巻く。


 素手で巻いても良いが、ローリングマシンという道具を使う。タバコをキレイに成形できる道具だ。ケースの中に巻いたタバコを整然と20本、並べ入れるために使う。


 早朝の喫煙所に入り、そんなこだわりのタバコを金属ケースから取り出す。

 そして、せっかくこだわって選んだタバコ葉の香りを台無しにするオイルライターで火を点ける。


 オイルの香りがする。健康に悪い香りだ。続いて、ふわりと香ばしい香りが鼻腔を抜ける。


 タバコの起源は儀礼用などと言われている。しかし、本当にそうだろうか。

 甘やかな香りを放つタバコ葉。うまそうな草。だがそれを一定量食べると、人は死んでしまう。


 私は思う。食べると死ぬ毒の葉。その未知なる美味、タバコ葉の甘み。喫煙とは、その甘みに死なずにありつくため人類が編み出した、唯一の摂取法なのではないか。


 口中に広がる香ばしい甘みとエグ味。ああ、美味い。


 化学物質をふんだんにトッピングした既成品のタバコでは、この味を出す事など到底出来ない。この味は葉巻やパイプ、煙管……そして、手巻きタバコでしか味わえないのだ。


 日本人は無添加が好きなくせに、タバコへの添加物には無頓着だ。そもそもタバコ自体が身体に悪いからだ。

 しかし、タバコ葉本来の味わい方はパイプであり葉巻であり煙管であり、手巻きタバコなのだ。味を良くするためにタバコ葉を加湿する、などという事はほとんどの喫煙者が知らない事だろうし、もとより興味もないだろう。


 私はゆっくりと煙を吐く。香ばしい香りが喫煙所に漂う。

 不意に、ツンとした嫌な香りが漂ってきた。既製品のタバコの煙だ。

 こんな早朝に、自分以外に喫煙者がいたのか。残念だ。


 その若い喫煙者は2本目をチェーンしようとして舌打ちした。最後の1本が折れてしまい、吸えない様だった。


「……よろしければいかがですか?」

 私は自分のタバコを1本、その若者に差し出した。


「え?ありがとうございます。これ、何ミリっスか?」若者は手巻きタバコを不思議そうに見つめている。ミリ数とは大抵、タールの事を指す。


「さぁ……分からないな。吸った感じ、15くらいかな……」手巻きタバコにはそんな無粋な数値は存在しない。


「へぇ……あ、手巻きってやつですよねコレ」

 若者はタバコに火を点けた。


「そうだね。怪しい葉っぱじゃないから安心して」


「ハハハ……おっ! これ、美味いっスね!」


 若者は嬉しそうだ。


 だが、私はどんなに褒められようとも、手巻きタバコの話を詳しくすることはない。大抵がめんどくさそう、と言われて終わるからだ。


 事実、手巻きタバコなどというものは面倒以外の何者でもなく、タバコを味わって吸う気がなければ、絶対に手を出すことはないだろう。

 そして喫煙者のほとんどは、タバコを味わう気がない。加熱式タバコが流行っているのがその証拠だ。


「あー……ひさびさに美味かった」

 若者は狭い喫煙所の中で、天を仰いだ。


「そりゃ良かった」

 私は若者に向かって、うっすら微笑んだ。


「俺、今度やってみます! 手巻き!」

 この話も何度となく聞いたが、実際にやってみたという者はいなかった。


「手巻きは面倒だよ」

 私は笑いながら答えた。


「俺、凝り性なんで! やります! じゃ、あざっした!」


 若者は一足先に喫煙所から出て行った。

 彼はクールスモーキング……燃焼をコントロールする吸い方が出来ておらず、同じたばこを私よりもずっと早く吸い終えていた。


「ふぅ……」

私のタバコはまだまだ消えない。


 喫煙所は緩やかな自殺集会所だ。そこには絶望感も覚悟も無く、ただ、人々は無為に死に向かっていく。

 私もまたそのひとりだ。ゆるやかに、漫然と死に向かう愚者。

 タバコの甘みとエグ味とニコチンの毒に、脳をやられた哀れな奴隷。

いくらこだわったところで、覆らない害悪の塊。それがタバコだ。吸い終えた後に幸せなどなく、ただ日常に帰るだけ。それだけだ。

 しかしそれでも、今日の様な出会いが、私の心に心地良い余韻を与える。


「ふぅ……」

 私が最後の煙を吐き出し、タバコを揉み消すと同時に、喫煙所には、徐々に人が集まりはじめた。私は足早に喫煙所を後にする。


 次にタバコを吸うのは夜。

 しかし、ここでは決して吸わない。私には、他人の汚い煙にまみれてタバコを楽しむ趣味はない。人のいない喫煙所でしか、私は喫煙しない。


 ……あの若者にもう一度出会えたら、また1本譲ってやろうか。


 それとも、その頃には彼も、手巻きタバコを始めているだろうか。いいや。ありえないだろう。


 しかし気分が良い。自分のこだわりが喜ばれるのは、やはり嬉しいものだ。


 明日もまた、同じ時間に来ようか。


 ゆるやかな自殺をしに、この喫煙所へ。

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