第24話 もしも魔物が優しければ
『――ここまでだ』
しばらく街道を歩いていたら、勇者が足を止めた。
街道のど真ん中、横には迷いのスグダ森林、反対側には平原。
看板も村も何もない。
『私はこれから魔王城へ向かう。貴様は住処へ帰れ』
『魔王城に? 一人で』
『そうだ』
勇者は単身で魔王城へ向かうつもりらしい。
鎧は傷だらけでボロボロ。
荷物もなく、顔や肌は汚れてしまっている。
女の子なのに清潔とは言えない状態だ。
正直、痛々しいと思った。
彼女は強い。僕なんかよりずっとずっと強い。
でも、だからって気にせずにいられるはずもなかった。
『む、無茶だよ! そもそも魔界に行くまでに迷いの森を通らなきゃならないんだよ!?
魔物は沢山いるし、人間は惑わされて先に進めない!』
『知っている』
淡々と答える勇者に、僕は胸を痛めた。
『それに万が一迷いの森を抜けても魔界には魔物がうようよいるんだよ!?
上級の魔物がゴロゴロいるし、魔王城に着いたらもっと強い魔物だらけなんだよ!
その上に滅茶苦茶強い四天魔様もいるし!
魔王様なんか魔物の中で最強で、すっごい強いんだから!』
『わかっている』
どうしてそんなに無感情で答えるんだ。
自分のことなのに、まるで他人のことみたいに。
『それに君一人じゃないか!
従者とか仲間とか、いるんじゃないの!?
たった一人で魔界に行くなんて無茶だよ、死んじゃうよ!』
僕は必死に説得しようとした。
無理だ。絶対に不可能。
いくら勇者が強くても、物理的に無理!
絶対に死んじゃう!
もし仲間がいればまた違ったかもしれないけど、一人じゃ無理に決まっている。
僕は慌てふためきながら魔界がどれほど恐ろしいか、様々な魔物の特徴や強さを語った。
勇者は無言無表情のまま聞いていた。
彼女の心に僕の言葉は響いていないのだろうか。
でも、だからといって何も言わないわけにはいかなかった。
『――と、ということだから! 危険だから!
だからね、思い直して』
『なぜそこまで必死に止める?』
勇者が不意に言った。
僕は言葉を失う。
『貴様は魔物だ。私は勇者だ。
魔物である貴様は、勇者である私が死んだ方がいいだろう?
もしも私を殺したいと思うのならば、魔界に誘導する方がいいだろう。
だが貴様はどうも、私の身を案じて魔王城へ行かないように説得しているようだ。
なぜだ? 止める必要が貴様にあるのか?』
なぜ?
なぜって……。
なぜかな?
『なぜと言われると……うーん』
僕は考え込んでしまう。
なぜそこまで止めるのかと言われて、確かに止める必要があるのかと思った。
勇者は魔物を殺す。
たまたま僕は殺されなかっただけで、出会いが違えば簡単に殺されただろう。
僕にとって、魔物にとって勇者は脅威だ。
魔物を守るために彼女を魔界へ行かせない、というのならわかる。
でも彼女が魔界へ行けばほぼ間違いなく殺されるだろう。
それを僕は確信していたし、それが嫌だと思った。
だから止めた。
『僕は……僕は、きっと誰にも傷ついてほしくないし、死んでほしくないんだと思う。
関わった人、魔物なら余計にね。勇者だって関係ないよ。
僕は……誰かが危険な目に合うなら止めるよ』
本音を言えば勇者に殺されたリザードマン達のことも僕は気になっていた。
彼等は人間の敵で、僕を殺そうとした魔物だ。
でも彼等は彼等なりに理由があって、魔王軍のために行動していたという背景がある。
立場的には敵対していたけど、だからと言って死んで欲しかったのかと言えば、そうではない。
できれば穏便に帰って欲しかったし、勇者に殺されずに逃げて欲しかった。
正直、ただの援軍相手ならばそうなる未来もあったかもしれない。
むしろ僕はそんな風になるんじゃないかって期待してたんだ。
……でも現実はそう簡単じゃないんだろう。
だからこそ思うのだ。
できるだけ傷ついたり死んだりする誰かはいない方がいいって。
もしも止められるなら止めたいって。
『……魔物が勇者を心配するのか』
『うん』
返ってきたのは沈黙。
不快だったのかな。
でもこれは僕の本心だ。
彼女には嘘を言わなかった。
……いや目覚めて最初に嘘を吐いたら殺すって言われたからね。
僕は勇者の顔を見る。
汚れている。
ずっと一人で戦って、一人で旅をしてきたのかな。
そして一人で魔王城へ向かおうとしている。
彼女はどう思って、魔物と戦っているんだろう。
僕は複雑な心情になってしまった。
無意識の内に懐からハンカチを取り出すと勇者に渡した。
『……なんだ?』
『顔、汚れているから。綺麗な顔が台無しだよ』
『綺麗? 私の顔がか?』
皮肉か嫌味なのかと思ったけど、単純な疑問だったらしい。
僕は首をかしげる。
すると勇者も首をかしげる。
『初めて言われたな』
『……どうして?』
綺麗だと褒められたことがないから、聞いたわけじゃない。
様々なことに関しての疑問だった。
どうして、彼女はこんな風になってしまったんだ?
勇者は視線を落としながら、ハンカチで顔を拭う。
僕の意図を汲んだのか、ゆっくりと語り始めた。
『勇者とは名ばかりだ。勇者とは忌み子がなる者。
異端の不純物、異能を持って生まれた人ならざる人。
それを排除し、利用するための体のいい言い訳だ』
『……だから村の人は?』
恐れていた。
そして勇者を村から追い出した。
感謝も大してせずに。
思えば、勇者が来るまで時間を稼げと話していたが、あれは利用するだけ利用して、用がなくなったら追い出したという風にも取れる。
怖がり遠ざけているのに、いざという時は頼りにしている。
それが勇者自身もわかっているから、出て行ってほしいと言われて素直に応じたのか。
そう考えると胸が痛んだ。
『そういうことだ。私に比べれば魔物の方がマシなんだろう。
私が本気になれば小さな村は一瞬で壊滅できる』
淡々と話す勇者に僕は悲しみを覚える。
だって最初から無感情だったはずがない。
何度も悲しんで辛い思いをして、そして今みたいな状態になったはずだ。
これは何度目のことなんだろう。
何十、何百と起きたことなんだろうか。
『憐れんでいるのか? 勇者である私を』
僕は何も言えなかった。
ただ目を逸らして感情を見せないようにするだけだった。
僕みたいな魔物に同情されたと思えば、勇者の誇りが傷つくかもしれない。
そう思ったから。
『貴様の……君のような魔物もいるのだな』
はっとして顔を上げると勇者の……エリンの瞳が少しだけ揺らいでいた。
憂いだろうか。
何か悲しげなその感情に、僕は何も言えない。
『すべての魔物が君のように優しければ……。
もしも人が魔物を恐れずに近づこうとすれば、違う世界があったのかもしれないな』
エリンは汚れを拭いたハンカチを見て、何か迷っていたようだった。
数秒後、不意にハンカチを懐にしまった。
『これは洗っておく。次回……もしも出会うことがあれば、その時に返そう。
その場所が戦場でなければな』
エリンは森の中へと入っていく。
迷いなく、真っ直ぐ進むその背中に僕は声をかけた。
『し、死なないで! エリン!
危なくなったら逃げていいんだからね!』
背中を向けたまま片手を上げるエリン。
『ああ。またな、ワンダ』
そう言ってそのまま森の奥へと消えてしまった。
忌み嫌われ、排除されて、感謝もされず、報いもなく、勝手に責任を押し付けられて、それでも魔王様を倒すために一人で進むのか。
『そんなの……辛いに決まってるよ』
僕はエリンを止められなかった。
きっと何を言っても彼女は止まることはなかったと思う。
何かの理由が彼女にはあるんだろう。
けれどその理由が僕にはどうしても真っ当なものには思えなかった。
エリンは悪い子ではない。
話してみれば常識もあるし分別もある。
怖いと思う部分もあるけど、話せばわかってくれた。
彼女は……強い以外は普通の人間だったんじゃないだろうか。
もしもの話。
魔物が優しければ……争いのない世界になるんだろうか。
今みたいに魔物と人が殺し合う世界はなくなるんだろうか。
魔王様が人を殺したいと思わなければ、世界は変わるのだろうか。
……もしも【優しい魔物が魔王になれば】傷つく誰かはいなくなるのだろうか。
そうなればエリンも、勇者として戦う必要も、勇者として敬遠されるようなこともなくなるのだろうか。
僕はエリンが消えた場所を見続けた。
エリンが再び現れるはずもなく、ただ木々が織りなす擦過音と風音だけが辺りに響いていた。
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