第23話 バイバイ!

 目を開けると天井が見えた。

 おや、いつもの癖で仰向けに寝ていたのだろうか。

 これはまずい。

 猫としてはこの恰好で寝ているのは違和感がある。

 まあ、こういう風に寝る猫もいるから別にいいっちゃあいいけどさ。

 ほら、お決まりっていうか、暗黙の了解ってあるじゃない?

 例外を考えたら可能性は広がりすぎて、何が正しいかわからなくなるからさ。


 しかし何だか手に重みが。

 自分の手を見下ろすと、ルルちゃんが寝ている姿が目に入る。

 どうやら僕の手を握ったまま寝てしまったらしい。

 そうじゃなくって!


「い、生きてる!? 生きてるぅ!

 ぎゃあっ! い、いっつぅ……」


 僕は全身を確かめる

 背中が痛い。めっちゃ痛い。

 けど動けるし大丈夫みたい。

 服の下には包帯が巻かれているし、服も補修されていた。

 誰かが直してくれたみたいだ。

 魔物だしこれくらいの傷ならすぐに治る。

 尻尾もあるし耳もある。

 背中以外には問題ないようだった。


 あれ?

 僕生きてるよね?

 殺されなかったんだろうか。


『起きたか、魔物』


 不意に生まれた異常なほどの殺気。

 部屋の入口にその主はいた。

 勇者エリン。

 彼女は腕を組んで壁に体重を預けていた。

 近くで見ると普通の少女であった。

 顔が妙に整っている以外はどこにでもいそうな女の子だ。

 だけど防具は傷だらけで年季が入っているし、所作には隙がない。

 強い圧迫感を醸し出している。


 怖い。なにこの子。

 触れるものすべて傷つける、みたいな感じだ。

 思春期、というわけじゃないよね……。


『え、えっと? 僕はあれからどうなったのかな?』

『……気絶した。そこの子が貴様を必死で庇ったから殺さないでやった』


 端的且つわかりやすい説明だった。

 ルルちゃんのおかげで見逃してくれたってことか。

 本当にありがとう!

 心から感謝を言いたい!

 勇者は僕が寝ているベッドの横まで移動すると椅子に座った。


 なんだろう。

 彼女には感情が薄いのだろうか。

 冷たい印象が強かった。

 この子は一瞬で魔物を殺した。

 圧倒的な戦闘力を持っている。

 気分を害したら僕も殺されるんだろうか。

 そんな風に考えると身震いしてしまった。


『話せ。貴様はなぜ村にいた? 目的はなんだ?』


 凍えるような視線を僕に向ける勇者。

 僕は生唾を飲み込んで恐怖を抑え込む。

 怖すぎるよぅ、この子!


『先に言っておく。

 嘘を吐けば殺す。人に仇為すならば殺す。敵ならば殺す。

 怪しいと思えば殺す。気に食わなければ殺す』


 殺す条件が多すぎて話すの怖いんだけど!?

 慎重に話さないと本当に殺されちゃいそうだ。

 と、とにかく嘘は吐けない。

 少しでも疑われた終わりだ。

 もうどうにでもなれ!


『じ、実は――』


 僕はすべてを話した。

 事の発端は、魔王軍に無理やり入れさせられたこと。

 それから人や魔物を傷つけないように作物を育てたり、誤魔化したり、演技をしたりしていたらいつの間にか調達部隊の班長になっていたこと。

 種を求めてやってきたらルルちゃんと出会ったこと。

 それからかわいそうになってしまって帰る機会を失ったこと。

 村に買い出しに行ったら魔王軍の襲撃部隊が来たこと。

 そして村やルルちゃんを守ろうと魔物達と敵対したこと。


 嘘偽りなくすべてを話した。

 魔王軍に入った経緯などは話さなくていいかとも思ったけど、僕が今のような考えになった理由としても説得力があると思い、全部話した。

 僕は勇者の顔色を確認しつつ話を続けた。

 勇者の表情に変化はなかったけど、殺されることはなかったので、嘘だとは思わなかったのだろうか。


『――ということなんだけど』


 僕は窺うように勇者を見た。

 彼女は無表情のまま。

 うーん、感情が本当に見えない。

 この子、どうしてこんな風になっちゃったんだろう。

 勇者なのに一人だし。

 というか滅茶苦茶若いよね。

 多分、十五、六歳くらい?

 人間だとそれくらい若い見た目だよね。


 それに勇者って普通は従者とか仲間とかいるもんなんじゃないのかな?

 鎧も傷だらけだし。

 そもそも援軍って勇者のことだったのかな?

 それとも偶然、彼女は通りかかったのかな?

 疑問は尽きないけど、下手な質問をしたら殺されそうなので黙っていた。

 すると。


『理解した。貴様は……とりあえずは殺さないでおいてやる』


 よかったあああああああ!

 どうやら一先ずは敵ではないと思ってくれたらしい。

 僕は心底安堵して嘆息した。


『だが魔王軍の一味であることは変わらない。少しでもおかしいと思ったら殺す』


 殺す殺す殺すって!

 もう!

 魔物も勇者も魔王様もみんな殺すってすぐに言いすぎだよ!

 なんでもっと他の解決策を考えないのさ!

 僕も君も、人も魔物もみんな、考える力があるのに、どうして思考停止するのさ!

 考えてよ!

 もっと疑問を持とうよ!

 ふんとにまったくぷんすかぷんっ!

 なんて感情は表に出さず、僕は不意に疑問を口にした。


『あ、あの、援軍って……君のことだったの?

 時間を稼ぐって門衛の人が言っていたから援軍が来るかと思ったんだけど』

『……私の旅の順路は事前に村に伝わっていたはずだ。

 恐らく、そのための時間稼ぎだったのだろう』


 やっぱり勇者の到着を待つつもりだったのだ。

 なるほど、それで時間稼ぎか。

 納得した。

 僕の中で疑問が氷解する中、なぜか少しだけ勇者の様子がおかしかった。

 顔をほんの少しだけしかめている気がしたのだ。

 いや、これは笑っているのか。

 なんというか自嘲的な……そんな印象を受けた。

 どうしたんだろう?

 僕の言葉が不快だったのだろうか。

 気をつけないと。

 下手したら殺されちゃうもんね……。


『ん、んんっ……』


 そうこうしているとルルちゃんが目を覚ました。

 目を擦りながら顔を上げると僕と視線が合った。


『猫ちゃん! 元気になった!?』


 ぎゅっと抱きしめられる。


『にゃぎゃああっ!?』


 痛い。背中の傷がああああああ!

 僕が思わず暴れるとルルちゃんが慌てて離した。


『ご、ごめんね! 痛いよね、ごめんね……』

『い、いいよ。大丈夫』


 僕は思わず返答してしまう。

 ルルちゃんは驚愕した後、すぐに笑みを浮かべた。


『やっぱり猫ちゃんは魔物なんだね』

『…………ごめんね、黙ってて』

『ううん、いいの。猫ちゃんは助けてくれたし、それに……』


 ルルちゃんはキュッと自分自身の手を握る。

 何かを確かめるように、意を決するように。


『それに一緒にいてくれたから。楽しかったから。

 だから……魔物でも、大丈夫!

 他の魔物は怖いけど、猫ちゃんは怖くないよ!』

『ルルちゃん……ありがとう』


 やっぱりとってもいい子だ。

 ルルちゃんには幸せになって欲しいな。

 自然にそう思っていたら、視線を感じた。

 咄嗟に見ると勇者がこちらをじっと見つめていた。

 目が合っても逸らさない。

 なぜか僕の方が居心地が悪くなって視線を逸らした。


 な、なんか落ち着かないな。

 自分の感情を誤魔化すように僕は辺りを確認した。

 今いるのはルルちゃんの家みたいだ。

 気絶した後、運んでくれたんだろう。

 不意に部屋の扉が開いた。

 そこにいたのは見たことのない老人と二人の門衛の若者だった。


『……起きたのだな』


 立ち位置的に村長かな。

 後ろの二人は多分護衛として連れてこられたんだろう。

 僕のことは魔物だと知れ渡っている。

 だったら当然の対処だろう。襲われるかもって思うもんね。

 村長と護衛二人が部屋に入ってくる。

 ベッド横までやってくると村長は言った。


『出ていってもらえるか?』


 予想通り、いやむしろ比較的柔らかい表現だった。

 冷静に聞いていた僕とは違って、ルルちゃんは立ち上がると村長に不満を表した。


『ど、どうして!? 村長さん! 猫ちゃんは村を守ろうとしてくれたのに!』

『その魔物が他の魔物を連れてきたのかもしれんではないか!』

『そ、そんなこと猫ちゃんがするわけがない!

 だって、だって怪我してるもん! 猫ちゃんは頑張ったんだもん!

 猫ちゃんを追い出すなんてひどいよ!』


 僕が魔物を手引きしたなら殺されかけないはずだ。

 そのルルちゃんの考えは冷静な判断としては正しい。

 しかし正論が常に正しいと判断されるとは限らない。


『魔物は魔物なのだ! 村に置いておくわけにはいかん!

 殺さずに追い出すだけありがたいと思え!』


 多分、その通りなのだろう。

 殺すという判断もできたのに、殺さずに追い出すという対処をすることになったのは、僕が魔物達に敵対して時間を稼いだからだ。

 ちらっと門衛の若者を見ると、苦虫を潰したような顔をしていた。

 彼が進言してくれたのかな。

 それとも別の誰かか。

 どっちにしてもありがたい。

 人と魔物は相容れない存在でも、慮ろうとする人はいるということだから。

 うん、それで十分かな。


『わかりました。出ていきます』

 僕が言うと、ルルちゃんは信じられないといった表情をした。

『ね、猫ちゃんは悪くないもん! 頑張ってくれたもん!

 猫ちゃんは優しいから! 大丈夫だから!

 ま、魔物でもいいから、ルルと一緒にいてよっ!』


 ルルちゃんは僕にしがみつく。

 必死な姿が胸を打った。

 でもこうなることはわかっていたんだ。

 いつかは別れなければならなかった。

 今回はいい機会だったのかもしれない。

 僕はやんわりとルルちゃんを押しのけるとベッドから降りた。


『猫ちゃん!』

『ありがとう、ルルちゃん。一緒に過ごした日々はとっても楽しかった。

 幸せだったし、ずっとこんな日が続けばいいなって思ったよ』

『じゃ、じゃあ!』

『でも僕は魔物だから……一緒にいられないんだ。ごめんね』


 僕は振り払うように扉へと向かった。


『そ、そんな……嫌だ。嫌だよぉっ!』


 肩越しに振り向くとルルちゃんが僕に手を伸ばして、駆け寄ろうとしていた。

 しかし護衛の若者たちに遮られてそれは叶わない。

 辛いな。わかっていたのに。

 本当に幸せな日々だった。

 ありがとう、ルルちゃん。

 さようなら。

 僕が部屋を出ようとした時、村長の声が聞こえる。


『……勇者殿、そなたも村を出てくだされ。

 感謝はしております。ですが……村には置いておけません』


 え?

 どういうこと?

 村を救った英雄に出ていけ?

 なぜそんなことを?

 受けた恩を返さずにむしろ無碍に扱うの?


『わかった』


 勇者はただ了承し、なんの抵抗も不満も見せずに部屋を出て行った。

 どうなってるんだ?

 彼女のおかげで村は守られたんじゃないのか?

 僕は言いようのない感情に戸惑いながらも、ルルちゃんを一瞥する。

 彼女の悲しい顔を見てしまうと決心が揺らいだ。

 意を決して踏み出し、部屋から出る。

 僕と勇者は自然と共に村から出ることになった。

 無言で家を出て、村を出て、街道を進む。


『お、おい!』


 背後から誰かの声が聞こえた。

 振り返るとそこには門衛の若者が立っていた。

 彼の後ろからは何人かが荷車を引いて来ていた。


『……ルルちゃんから贈り物だ』

『ルルちゃんから?』


 荷車には麻袋が幾つも入っていた。

 その中には種が大量に入っている。

 倉庫にあった種だ。


『あ、ありがとうございます』


 覚えてくれてたんだ。

 ……ルルちゃん、ありがとう。


『……ゆ、勇者殿にはこれを』


 門衛は緊張した様子で懐から袋を取り出す。

 ジャリッと鈍い音が聞こえた。

 多分、お金が入っているんだろう。


『いいのか?』

『せめてもの感謝の印です。村の者からですので』

『そうか』


 勇者は懐に袋を入れる。

 そこに感情は一切見えない。

 勇者ってもっとキラキラして、人に称賛されて、魔物を無残に殺す人なのかと思っていた。

 でも違うのかもしれない。

 ……僕にはよくわからないけど。


『猫ちゃん!』


 遠くからルルちゃんの声が聞こえる。

 彼女はこちらへ走ってきていた。

 後ろには村の人も続いている。

 あれは肉屋の店員さんと店主さん?


『ルルちゃん』

『……行っちゃうんだね』

『うん。仲間が待ってるし、帰らないとだから』

『そっか……』


 意気消沈してしまうルルちゃん。

 僕はそっと彼女の手を握った。

 するとルルちゃんは悲しげに笑みを浮かべる。


『また、会える?』

『わからない。でも会えたらいいな』

『きっと会えるよね!』


 お互いに根拠のない願いを口にする。

 人と魔物は決して手を取り合えない。

 少なくとも今は。


『ありがとな、猫ちゃんと……その、勇者様。

 おかげで村が救われた。本当に……ありがとう』


 精肉店の店主が頭を下げる。

 すると他の村人や門衛も倣って頭を下げた。

 後ろからは村長が走ってきて、村人の様子を驚き見ていたが、端っこで頭を下げた。

 ……よくわからないけど、勇者にも感謝はしているのかな。

 魔物の僕よりも勇者のエリンに対しての方が壁が見えた気がする。

 彼女は人なのに。

 勇者ってなんなんだろう。

 ……疑問は今は置いておこう。

 僕はルルちゃんの手を離して、荷車を引いた。


『最後に名前、聞いてもいい?』

『僕はワンダ。ケット・シーのワンダだよ』

『ワンダちゃん……良い名前だね!』

『ありがとう。それじゃ』

『うん。バイバイ……バイバイ、ワンダちゃん!』

『バイバイ、ルルちゃん! 種、ありがとう!』


 僕はルルちゃんや村人達に手を振り、別れを告げた。

 なんでかな。

 魔物の僕が、人と普通に会話ができたのは。

 もちろん一緒にいられないし、村から追い出されはした。

 でも、少しは分かり合えたのかもしれない。

 もしかしたら……こうやって人と魔物は分かり合うことができるのかもしれない。

 そう思うのは僕の願望なんだろうか。


『初めてだ……感謝されたのは』

『……そっか』


 突然、勇者が呟くように言った。

 懐に入れた袋を取り出し、凝視していた。

 その一言が何だか悲しくて、僕は勇者の横顔が見られなかった。


『……僕も人に感謝されたのは初めてだよ』

『そうか』


 その会話を最後に、僕達は黙して街道を進んだ。

 なぜか別れる気にはならず、一緒に歩き続けた。

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