第19話 しょうがないよね

 僕は人間の女の子の飼い猫として生きるよ――なんてことにはならなかった。

 僕は小皿に入っているミルクをぺろぺろと舐めていた。


『おいしい?』

「にゃっ」


 僕が返事をするとルルちゃんは嬉しそうに笑う。

 確かに美味い。

 なんだかちょっと心が折れそうになるくらいに、何してんだろうと思うけど。

 でもこの牛乳は美味い。

 どこからか仕入れたものなんだろうか。

 乳製品というのも悪くないな。

 今後の参考にしよう。


 調達の任務を達成するに当たり、狩猟という手も考えはした。

 しかし三百食以上を確保するのは不可能だと思ったのだ。

 まず解体するのが大変だし、腐ってしまうし、そもそも大量の塩や防虫、防腐処理に必要な素材を集めるのも大変だと思ったのだ。

 というか少数で三百食分を狩ること自体不可能だからね。

 まあだから作物を育てるという、無茶ながらも、達成可能かもしれないという手段を選んだわけだけど。


 そんなことを考えながらも僕はずっとミルクを飲んでいた。

 やがて全部飲み干すと、満足した僕はその場に転がった。

 今、僕はルルちゃんの家にいる。

 ルルちゃん以外には誰もいないが、結構広い家だ。

 どうやら農家らしく、近くには広大な畑がある。

 かなり広いな。廃村の数倍はある。

 作物はないようだけど。


 やっぱりきちんとした農家はすごい。

 農家は村から少し離れた場所にあった。

 まあ畑があるから当たり前だけど。

 農家の娘かぁ。

 ご家族は、農作業に出ているのかな。

 その割には見た感じ誰も作業していたようには見えなかったけど。

 僕は窓から外を覗いてみた。

 やっぱり誰もいないし、農具も手入れされていないように見えた。


『……この畑、ルルだけじゃどうしようもないから売る予定なんだ』

「にゃ……?」


 売る?

 どうして?


『お父さんとお母さんが大きな街に行く途中で魔物に殺されちゃって……。

 もしも何かあったら畑は売りなさいって言われてたから、だから売るの。

 一人で農業はできないからって』


 殺された……のか。

 襲撃部隊の仕業だろうか。

 魔物は人に対して容赦がない。

 それは知っていたけど、直接聞くと心が痛かった。

 僕もその一員なのだと思うと余計に痛みが強くなった。


『……これからどうしようかなぁ』


 悲しさよりも、空虚な感情がそこにはあった。

 いつ起きたことなのかはわからない。

 ルルちゃんの姿は、僕の目にとても儚げに映った。

 目を離せば消え入りそうなほどに存在感が薄い。

 僕はルルちゃんの顔を舐めた。

 するとルルちゃんは嬉しそうに笑う。


『慰めてくれるの? ありがとう、優しいね』


 よしよしと撫でてくれた。

 その所作があまりに優しくて、ルルちゃんへの同情心が強くなる。

 ああ、ダメだな。

 あんまり深入りするとダメだ。

 すでに彼女のために何かできないかと思い始めている。

 これ以上、事情に踏み込めば手に負えなくなるんじゃないか。

 でも……さっさといなくなるなんてできない。

 少しでも慰めてあげたいなんて、おこがましいかもしれないけど。

 子供がたった一人なのに、放ってもおけない。

 僕はルルちゃんの顔に身体を擦りつけた。


『……もふもふ……ふふっ』


 そうするとほんの少しだけルルちゃんの心が落ち着いた気がした。

 うーん、少しくらいなら一緒にいてあげてもいいかな。

 たった一人で大きな家にいるのは寂しいもんね……。

 僕はルルちゃんにされるがままでいた。

 むぎゅっとされて、顔が歪んでも。

 身体の脂肪を掴まれてむにむにされても。

 お腹に顔を埋められて『むふー!』と言いながら顔をぐいぐい動かされても。

 顎や耳や背中を撫でられても。

 ただただ僕はすべてを受け入れた。

 ちょ、ちょっとは手加減してっ!


   ○●○●○●


 時刻はすでに夜。

 僕はルルちゃんと一緒にベッドで寝ることになった。


『おやすみなさい……猫ちゃん』


 僕は出会って間もない少女と寝床を共にする。

 ぎゅっと抱きしめられて、まったく逃げられる気配がしない。

 のおおおおおおおおおーーーーーっ!?

 逃げられぬうううううーーーーーっ!!

 本当は逃げようとしたんだ。

 みんなを待たせているのはわかっていたから。

 少し一緒にいたら帰ろうと思ったのだ。

 でも無理だった。


 だってどこか行こうとすると『どこに行くの……帰っちゃうの? 猫ちゃんもルルを一人にするの……?』とか言われたら、一人にできないでしょ?

 あんなに悲しそうな顔されて、振り切るのは無理!

 もう大抵の願いは聞いてしまうと思う。

 でもルルちゃんも寂しいんだろう。

 ……まだ子供なのに、一人なんだ。


 とにかく少しだけ一緒にいて、隙を見て逃げよう。

 ううっ、でも逃亡したら余計に悲しむかな?

 かといってきちんと別れてもルルちゃんは納得しないだろう。

 あれ? これ詰んでない?

 ど、どうしたらいいんだ!?


『ねこちゃぁん……ふふっ……』

「にゃう……!」


 かなり力強く抱きしめられて、僕の顔は斜めに歪んでいた。

 ちょっと苦しい。

 いやかなり苦しい!


「ぐにゃにゃっ……!」


 僕はじたばたと暴れて、ルルちゃんの腕から逃れると、ベッドから逃げた。

 し、死ぬかと思った!

 ルルちゃんは寝たままだ。

 丁度いい。

 このまま家を出た方がいいかもしれない。

 僕は部屋の扉に向かう。

 と。


『……ううっ、ぐすっ……お父さん、お母さん……』


 後ろから聞こえた寝言に僕は足を止める。

 …………ああ、もう。

 僕は踵を返してベッドに戻った。

 だって無理だよ。

 あんな風に泣く子を一人になんかできない。

 ルルちゃんは涙を流していた。

 僕は涙を手で拭うと、ルルちゃんの頭を撫でた。

 すると少しだけ表情が和らいだ気がした。


 少しだけ一緒にいてあげよう。

 別れが辛くなったとしても、少しの思い出が心を救うこともあるはず。

 僅かでもいい。

 ルルちゃんの寂しさを紛らわせることができるのなら、ちょっとだけ一緒にいようと思う。

 コボくんやジットンくん、ドーラちゃんには申し訳ない。

 僕が留守の間、作業をしてくれているのに。

 帰ったら謝罪して、自分ができることで報いようと思う。


 だからごめん。

 今は少しだけルルちゃんの傍に居させてほしい。

 僕はルルちゃんの頭を撫で続けた。


『よしよし、大丈夫だからね』


 僕はルルちゃんの泣き声が聞こえなくなるまでずっと頭を撫で続けた。

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