第1話・その2


 ファンタズマチャンネルの消滅後、次に忙しくなるのは医療関係者である。ひとたびチャンネルが発生すれば、怪我人ゼロでは決して済まない。

 とはいえ、治療を必要とする人が少数で済む時もある。3Sアサルトチームが発足し、避難誘導や魔害獣の対処を行うようになって、怪我人は劇的に減っている。一番多いのは光に巻き込まれての戦闘員化を強いられる人々だが、彼らには全身タイツを強制的に着せられる以上の実害はない。

 一方で、一見外傷も何もないように見えても、「魔害獣の中の人」は問答無用で入院させられる。

 魔害獣が倒され、大爆発を起こしても、不思議なことに中の人は傷一つ負わない。理由は不明だが、魔害獣のダメージは中の人の肉体にまったく影響を及ぼさないのである。

 それでも、救出された中の人は病院に運び込まれ、数日の入院生活を送る。念のための検査を行うため、そして事情を聴取するために。




「ご気分はいかがですかね、桜井さん?」


 人当たりの良さそうな笑顔を浮かべながら、飯江亮太郎――3S研究班の班長は、ベッド上の人物に問いかけた。年齢は三十八才、中背で痩身の眼鏡をかけた男性である。


「最悪ですよ。記憶が混乱して……何が何だか……」


 リクライニングベッドに横たわっているのも、これまた中年男性だった。パジャマに身を包み、いかにも気分の悪そうな表情を浮かべているが、血色自体は良く、怪我もしていなければ、健康を損ねている様子もない。

 市立八界病院の三階の一番隅、個室の病室に、桜井良二郎は入院していた。


「身体の方はいかがです?」

「それは問題ないです。少々擦り傷が残っている程度ですよ。入院する必要、ありますかね?」

「念のため、ですよ。入院費については心配なさらず。えー、本日は少々伺いたいことがありましてね。少々お時間いただけますか?」

「ええ……大丈夫です」


 桜井の承諾を得てから、飯江は後方に控えていたスーツ姿の女性、村上あやめに目配せした。応じてあやめはメモ帳とペンを取り出す。

 それから質問を始めた。


「桜井良二郎さん。あなたが魔害獣になって暴れたこと、覚えていらっしゃいますかね?」

「それは……」


 桜井が口ごもるのを見て、飯江はすぐに付け加えた。


「あなたが法的な責任を取らされることはありませんよ。その点も安心して下さい。我々は、あなたの率直な意見をうかがいたいんです」

「そうですか……」


 安心の吐息を漏らしてから、桜井は答えた。


「なんとなく記憶はあるんですが……悪い夢を見ていたみたいですよ。自分の意志とは無関係に身体が勝手に動いて……うーん……今でも何が何だか……」

「仕方ありませんよ。あまり深く気になさらぬように。ところで桜井さん、あなた、『恐竜超人ダイノロイド』お好きですね?」


 突然に特撮番組名を持ち出され、桜井は戸惑った。が、すぐに察する。


「私、ティラノスか何かに化けてたんですか……?」

「その通りです! ダイノロイドの主人公、ティラノスに変身してましたね! お気持ちはよーくわかります! ダイノロイドは七十年代特撮の傑作の一つですし、ティラノスは実に紳士的で男前なヒーローでしたからね! 例えば第三話で無関係の女性を巻き込んでしまって、大けがを負わせた時、――」

「……班長。趣味のお話はほどほどに」


 飯江の話が脱線しかけたところへ、あやめが鋭い注意を投げる。


「……これは失礼。こう見えても私、特撮オタクの端くれでして。つい語りたくなるんです」


 飯江は一つ咳払いしてから、説明をした。


「要はですね。あなたが魔害獣となったことで、ファンタズマチャンネルが発生したわけです。どういうわけだか、人が魔害獣に変身する時は、その人が最も好きなヒーローの姿になる。そしてその番組内の風景がファンタズマチャンネル内に再構成されるのですよ。今回は空中戦艦アンモノイデアが出現しましてねえ」

「アンモノイデアが!? それは見たかった……」


 その光景を夢想して桜井は笑みを浮かべた。が、不謹慎と感じたか、すぐに無表情に戻る。

 飯江は更なる問いを投げる。


「問題は、何があなたを魔害獣に変えたか、そのきっかけですよ。心当たりはありますか?」

「……あります」


 記憶をしっかりと思い出すべく、桜井は額を指でつついた。


「あれは……何日か前の会社帰りでした。残業で遅くなって……午後十時少し前くらいでしたかね。駅から公園を突っ切って、自宅に向かっている途中で……妙な人物に出くわしたんです」

「どのような姿でしたかね?」

「……アヌビスってご存じでしょうか?」

「もちろん。エジプトの冥府の神ですな。人の身体に黒い犬の頭が乗っかっている」

「そんな姿をした男性でした。犬の頭は帽子か何かみたいでしたけど。はじめ、こんな所でコスプレイヤーと出くわすなんて、と驚いたものですが……その男の視線に射すくめられた途端、身動きが出来なくなって……」

「視線、ですか」

「ええ。犬の頭の下に人の顔があって、その目が妙な光を放った途端……」

「どのような顔か、覚えてらっしゃいますか?」

「いや、わかりませんね。目が白い輝きを放って、まぶしかったもので……」

「なるほど。その後どうなりました?」

「男はカードを取り出しました。クレカサイズで、ほんのり金色に光っていました」

「ほうほう。それを……?」

「突然私の胸の真ん中に差し込んだんです。何故かカードは私の体の中に潜り込んで、すると全身が妙な感覚に襲われて……その後のことは、よく覚えていません……」

「なるほどなるほど。だいたいわかりました」


 飯江は大きく何度も頷いた。

 桜井は不安げな表情を隠さない。


「あれは現実だったのか……夢だったんじゃないか、と今でも思うのですが……」

「いえ、あなたの記憶は正しい。あなたが語ったことは、現実に起きたことですよ」

「そうでしょうか……?」

「魔害獣と化した被害者の方は、全員そんな話をするのですよ。『犬頭の男にカードを差し込まれた』とね。偶然とは思えませんな」

「何者なんです? その犬頭の男って? なんのためにあんなことを……?」

「さすがに、それは当人に聞いてみないと分かりませんな。一刻も早くその男を捕まえて、これ以上の被害を止めたいものですが。こちらからの質問は以上です。お手数をかけました」


 話を終え、飯江はあやめに目配せする。

 あやめは飯江と入れ違いにベッドのそばに立ち、桜井に語った。


「桜井さん。あなたが魔害獣だったということ、それからたった今語って戴いたことについては、他言無用に願います。今回の騒動で負傷した方も多数おりまして、あなたを目の敵にしないとも限らないので」

「……そうですよね……」

「必要以上に責任を感じてはいけませんよ。あなたもまた、チャンネルに巻き込まれた被害者なんです」


 そう言って、あやめはにこりと笑ってみせた。




 パストラール八界は買い物客で大いに賑わっていた。

 全国展開しているショッピングモール、パストラールの八界店である。中心街と郊外の境目くらいに建つ大型店舗で、市内のみならず市外からも広く利用客を集めている。

 夕食前の時間帯、フードコートの客の入りはまばらだった。その真ん中あたりで、三人の八界学院生が一つのテーブルを取り囲んでいる。

 一人は天浪魁。一人は瀬戸浦昴。そしてもう一人――


「これよこれ。『恐竜超人ダイノロイド』の主人公、ティラノス」


 織園蓮生は、スマホでウェブ上からティラノスの画像を探し出し、そのスマホをテーブルの上に置いた。

 背は平均より高目程度、痩身。陽気そうな雰囲気をまとった少年である。他の二人と同じく、この四月に八界学院二年生となったばかりだ。

 スマホの画面をのぞき込む魁と昴に、蓮生は作品解説をする。


「七十年代の特撮だ。絶滅したと思われていた恐竜たちは、実は空洞地球世界ダイノワールドに逃れて生き延びていた! って設定でね。そいつらが進化して人間みたいな姿になったのがダイノロイドって種族。そこの悪い王様が『地上を征服して取り戻したろ!』とか言い出して、まずは偵察兵として送り込んだのがこのティラノスに、力持ちのトリケラス、敏捷なヴェロキラスの三人組。人間に化けて活動するうちに、人間世界の素晴らしさに目覚め、かつダイノワールドの体制に嫌気がさして、反旗を翻して戦うってのが大筋だな」

「ふーん、そうなんだ。で、なんでこいつらの弱点が隕石なの?」


 昴の質問に、蓮生はあきれ顔をした。


「おめー、まさか、恐竜が隕石で絶滅したってのも知らねえのか?」

「知ってるよ! でも遠い昔の話でしょ。現代の生き残りが気にする?」

「作品の中ではそうなってるんだよ! ほれ、あの……本能に刻まれた種族的記憶って奴だ。多分。特にティラノスは拒絶反応が強くて、たびたびピンチに陥るし、敵もそこをついてくる」

「だからさっきも蓮生はそこをついたんだ。卑怯だねえ」


 昴は煽るような視線を返した。

 瀬戸浦昴。髪はショート、身長は蓮生よりやや低い。その態度、口調はいつもぶっきらぼうで、縄張りを守る猫のごとく目つきが鋭い。


「しゃーねーだろ。生きるか死ぬかの戦いをやってるんだ、卑怯もクソもあるか。弱点を克服していない方が悪い」

「一つ気になる点がある」


 魁が横から口を挟んだ。

 天浪魁。長身痩躯、眼鏡をかけた男子生徒である。その表情は常に硬く、笑うことはめったにない。成績優秀でまじめ、イケメンの部類に入る面構え、という少年だが、他者との交流に消極的な性格故に友人は少なく、当然彼女もいない。

 魁が蓮生、昴とつるみだしたのは、実はごく最近のことだ。


「あの魔害獣の反応は原作とまったく同じなんだな?」

「そうだな。頭を抱えて悲鳴を上げる。そこを攻撃されて大ダメージを食らうってシーンが多い」

「そうか……。外見のみならず精神的な特徴も模倣するのか。非常に興味深い」

「確かに。精神的弱点もコピーしてしまうってのは厄介な話だな。だからこそつけ込む隙ができるわけだがな。ダイノロイドには他にも面白い設定があって――」


 蓮生は更なる作品解説を進めようとしたが、


「ストップ。それ以上は興味ないよ。ティラノスはもう倒したんだからね」


 昴が制し、蓮生のスマホを押し返した。


「なんだよ。いずれまた別のティラノスが出現するかもしれねえじゃねえか」

「その時は改めて説明聞くから。蓮生が一度語り出すと、ちょっとじゃ済まないから困るんだっての。夕食の時間に間に合わないと親に怒られるんだよ」

「……昴が今食べてるのは夕食じゃ無いのかよ?」


 昴の目の前にはカレーの皿があった。スプーンでカレーとライスをかき寄せ、最後の一口を食する。


「これはおやつ。夕食は夕食で、家で食べる」

「はーん。カレーがおやつとは初耳だ」

「まったくだ。おやつ感覚でカレーを食べるなんて常軌を逸している」


 魁も蓮生に同意を示したが、蓮生は眉をひそめた。


「おまえも人のこと言えんのかよ」

「言える」


 と答えて、魁はうどんをずずず――っとすすった。

 魁は讃岐うどん(ちくわ天つき)を食していた。


「おやつにカレーは正気の沙汰じゃないが、おやつにうどんはまったく自然だ」

「讃岐の人もそんなこと言わないと思うけど」

「どうせなら俺は讃岐に生まれたかった。香川県ではとびきりうまいうどんが百円かそこらで食べられるそうだぞ」

「はいはい。俺はおまえが八界市に生まれて良かったと思うよ。うどんを食い過ぎると糖尿病になるらしいから。正気の人間は俺だけか」


 嘆いて、蓮生は手元のコーラを飲み干した。

 魁は鋭い視線を投げつける。


「正気の人間は、単身で魔害獣に突撃するような真似はしない」

「そこはまあ……結局、一人で勝てる相手だったしね?」

「生きるか死ぬかの戦いに卑怯もクソもないと言うなら、俺たちの到着を待って三対一で戦うべきだろう」

「……それを言われると、反論のしようも無いね。まだ怒ってる?」


 神妙な顔つきで、蓮生は魁をのぞき込む。

 魁の表情はますます険しくなった。


「いいか。俺がおまえの独断専行に怒っているのは、おまえの身を案じているからじゃない。おまえがヘマをやらかして、正体がばれたら、芋づる式に俺も身バレしかねないからだ。もしもの時は、ためらわずにおまえを始末するからな」


 その口調に冗談の気配はまったくなかった。


「おめーはおめーで、自分のことしか考えてないんだなあ」

「当然。俺がおまえ達と手を組んでいるのは、一人で魔害獣と戦うよりは、三人で戦った方がマシだからだ。もしそれで不都合が発生するなら、迷わずおまえらを生け贄にするぞ。もちろん、そんなことは起きて欲しくないが」

「……そりゃま、身バレには厳重に注意するよ。顔を晒されて、いいことなんて一つもねえからな」

「俺たちの活動は他人には絶対秘密だ。忘れるなよ。瀬戸浦もな」


 そう言って、魁は最後の一口をすすった。

 名を呼ばれ、昴は面倒そうに小さく首を傾げた。


「ボクらが魔害獣に変身して戦っているなんて、誰も信じないと思うけどね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る