第22話 Ladies’ day ①

「じゃあ…かんぱーい!」

「かんぱーい!」

カツーン

と私、絵里、美保子、百合子、有希で乾杯をした。

…ふふ、勿論乾杯と言っても、私がいるというのもあってお酒ではなく、絵里所有の茶器に入った紅茶だった。


さて、早速気になっておられる事だろう。そう、何せ私含む五人が揃っているという所は初めてお見せするからだ。

と、何故今この五人が集まっているのかを説明する前に、アレコレと前情報を述べておこうと思う。


今日は、修学旅行から帰って来たから二日後、月も変わっての六月第一週目の土曜日。午後三時、つまりは私からすると午前まで学園で過ごしてからの放課後という事になる。

そして次に場所だが、まぁご覧の通りというか、絵里の茶器が出てきた時点でお分かりだろう。そう、絵里のマンションだ。今は私たち五人で居間にあるテーブルの周囲を囲む様に座っている。

…ふふ、こんな細かいところまで覚えてはいないだろうが、少し不思議に思われた方も少数でもおられるかもしれない。というのも、絵里の居間の正方形型の天板をしたテーブルというのは、本当に細かい話だが、四人で使うのが精一杯だったからだ。一辺に一人使う計算だ。それが今私たちは、しかも余裕を持って五人座っているわけで明らかに矛盾を生じさせているのだが、この種明かしはとても単純なものだ。ただ単に、絵里が以前のテーブルを処分して、新たに六人用のテーブルを買ったのだった。

今回お目見えするのが初めてではなく、既にこのテーブルになって半年ばかりが経っていたのだが、理由を聞いたところ答えるのには、今の様に例の去年の観劇以来、有希がしょっちゅうここへ遊びに来るようになり、それと同時に、自分の所属する劇団員なども度々、勝手に連れてくるようになったらしい。その流れで、以前の四人用では人が溢れてしまうというので、本人曰く、場所を取るからと嫌々ながらも新たにテーブルを買ったというわけらしい。

…ふふ、勿論というか、この元凶を作り出した有希にも半分以上は出して貰ったようだ。

とまぁ本人はうんざりげに話していたが、まず自分が尊敬し憧れていた学園生時代の先輩が連れてきたとは言え、それに対してはこれといった文句を言わずに受け入れてしまっている点にまず微笑みつつ、当然私はツッコミを入れた。

それに対して、絵里は途端に照れ笑いを浮かべて見せていたが、そうしつつ説明してくれたのを要約すると、今だに演劇なるものに対する自分の思い入れが、減るどころか年取るごとに増していっていたというのもあって、現役の、それも有希が長い事所属しているという劇団関係者との繋がりが出来た事というのは、絵里にとっても、とても喜しい事だったらしい。

…という話ついでに、もう一つ話してくれたのは…ふふ、このようなキッカケが無くとも、元からテーブルを買い換えるつもりでいたようで、良い踏ん切りの言い訳を与えてくれたと、後は…テーブルの買い替え費用が安上がりになったと、ここでは悪戯っぽく笑いながら話してくれた。


…ふふ、その理由もついでに話した方が良いだろう。というのも、それは、今なぜこの場に美保子と百合子が普通だと言いたげにいるのかという話にも繋がるからだ。

以前軽く流しつつ触れてはいたが、ここで確認のために話すと、そう、絵里は去年、私がコンクールの全国大会決勝に進出したことを祝ってくれる為に、数奇屋まで同行してくれたわけだったが、その時に美保子と百合子の二人と懇意となっていた…のは承知だと思う。

これを言うと、絵里は恐縮してしまうのだが、絵里の日舞、美保子のジャズ、百合子、有希の演劇と、ジャンルは違えど己の芸に対する姿勢などなどは共通するところが大きいと、今このように私の前で会ってるところを見せられる事も幾度かあったが、私の見てない所でも、あれ以来、美保子はシカゴ住まいなのでそうはいかないが、その他の絵里入れた三人ではしょっちゅう会っては話しているらしい。

場所は、大半は普通に外のお店で会う事が多い様だが、それ以外だと絵里のマンションか、私はまだ行けていない有希の家、ついでに付け加えると、以前から何度も百合子に誘われてはいたのだが、タイミング的に私と、それに加えて絵里がまだ行けていない百合子の家にて、美保子が帰国している時などは三人でお泊まり会をしてるとの事だ。


こうして何度か集まっているうちに、不意に美保子がこの会合に名前つけようと提案してきた事があった。

それを聞いた瞬間に、神谷さんが名付け親だという数寄屋の事を思い浮かべた私は、他の皆と一緒に同意し、それからは一斉にアレコレとアイデアを出し合った。

だが…ふふ、これは他の皆も巻き込む事になるので悪いかもだが、皆して芸に帰属している割には、この手の事でのネーミンングセンスは壊滅的だったので、結局は、”女子会”という名前だとあまりにも”まんま”過ぎると言うので、シカゴ在住の美保子が、英語圏ではこの手の集まりをこう称していると言うので、それをそのまま受け取り、名前は”Ladies’ day”と相成った。

…さて、場所や集まりの名前みたいな、それこそ私たち当事者以外はどうでも良いような情報はこの辺にして、少しだけ話を戻そう。


ある時に絵里と二人っきりでの雑談の中で、私がいないところで何を話しているのかという質問に答えるに、勿論近況報告からいくようだが、その次に芸の話でもするのかと思いきや…ふふ、真っ先に話題に上がるのは義一の事らしい。まぁ確かに、有希は今だに直接は会えていないはずだが、その分からないのが丁度いいらしく、まず共通の話題…と、絵里は苦々しげな表情で言うので、毎度のネタなのに私は吹き出し笑いをしてしまうのだが、絵里の言葉をそのまま述べれば、百合子との間で共通の”敵”である義一の話になるたびに、すぐさま有希がアレコレと質問責めをしてくるらしい。それに対して百合子は微笑みつつ、絵里は…自分では苦々しく答えていっていると話していたが…ふふ、おそらく有希と、それに加えてもしかしたら百合子からも義一との仲についてからかわれてしまい、その都度顔を真っ赤にしてあたふたして見せていた事だろう。

これは証人つきの証拠があるので断言できる。というのも…ふふ、それは私の前でも何度も繰り広げられているからだった。

まぁそれはともかく、なのでまだ四人までは今までのテーブルでも収まっていたのだが、美保子が帰国して来た時などは一人溢れてしまうというので、そういう理由もありこのテーブルを買う羽目になったという話だ。


…ふふ、何だかテーブルの話に始まり、途中からあっちこっちと脱線し過ぎたせいで変に時間を割きすぎたが、まぁでも、それに関連してその周辺の話も出来たのだからヨシとしよう。

さて、ここにきてようやく、今回何故皆して揃って絵里の部屋に、美保子までが揃って集まっているのかという、本題の話に入れる。

…と、その前に、やはりというかまた簡単な前情報を述べておいた方が良いだろう。後ほんの少しだけお付き合い願いたいと思う。

まず私個人で言えば、当然の事ながらここに来た一番の目的は、先日の修学旅行で買ってきたお土産を渡す為だったが、この日にちに会うという約束は、実は修学旅行に行く前に既に話していた事だった。あの例の、義一の宝箱内で雑談した時”では無く”別の日に会ってだ。

「お土産買ってくるから」と私が言うのを聞いた絵里は「期待してる」とニヤケ顔で返してきたのだが、その時、ふと顔に静寂を宿したかと思うと、口調も静かに、六月の第一土曜日は空いてるかを聞いてきたのだった。

そのあまりにもな急変ぶりに少し驚きつつも記憶をさらい、ちょうどその日は、毎週の日課である土曜日の師匠のレッスンが休みになった事を思い出し、快く承諾したのだった。


…うん、もしかしたら既に”これ”についても、不思議にずっと思われている方もおられるかも知れない。

というのは、頻繁にではなく片手で数えられるくらいしか無いが、時折こうして、師匠が不意に前触れもなくいきなりレッスンを中止してくる事があったからだ。

これも度々話の中で触れてきたが、”この時までは”まだその理由は知らないし、いくら私が小学二年生になったばかりからの付き合いとはいえ、師弟の関係上、気軽に理由を聞くのが躊躇われたので、こちらからも聞けず仕舞いだった。

まぁ勿論、私が師匠に対して全幅の信頼を寄せているからというの”も”…というより、というの”が”一番聞かない理由なのは言うまでもない。

まぁ…ふふ、ちょっとネタバレ的だが、この件も追々解明というか話が出てくるので、そこに譲るとして師匠の件は今は置いておこう。


その旨を伝えると、絵里はホッとしたような…いや、どこか緊張をまだ表情に覗かせたままでいたが、それでも笑みを作って「それは良かった」と返してきたと同時に、この日は他にもお客さんが来ると言ったので、誰が来るのか聞くと…まぁ、ご覧の通りだった。

それを聞いた直後、美保子まで来るというので、まだ本人から聞いていなかった私はテンションを上げつつ楽しみにしてる旨を伝えてその場はお開きとなった。

ついでに、どうでも良いって言っては悪いが、美保子は毎回直前になって帰国する連絡をしてくるので、この時に初めて知ったのだった。


…さて、ここでお土産と聞いて、ある一人の事を思い浮かべた方もおられる事だろう。

そう、その一人とは言うまでもなく裕美の事だ。私は当然、早速絵里と話した後すぐに裕美に話した。土曜日にお土産渡しに行く件だ。

と同時に、その場には他に三人がいる情報も付け加えてだ。裕美もあの観劇の時に、百合子と有希に会っているし、まぁその後は百合子とは会えてはいないのだが、有希とは私と同じように絵里のマンションで数回会っているので、心配はしていなかった。

美保子とはまだ面識が無いはずだったが、美保子にしても裕美にしても、そのキャラクターからして、初対面でもすぐに打ち解けそうなのはすぐに分かった私、それに絵里の二人は、この場にせっかくだし、そういう意味でも裕美も呼ぼうと思った次第だった。

…ふふ、そう、つまりは”Ladies’ day”には厳密には裕美は加入”し切れていない”のだった。

…と、それはさておき、しかし…これもまぁ見ての通りというか、残念な事に裕美の都合が今回は合わなかったらしい。

今日は学校が終わって地元までは一緒に帰ってきたのだが、駅前で二手に別れてサヨナラをした。

裕美は相変わらずというか、修学旅行の疲れも残っているだろうに、それにメゲずに、こうして私が皆とおしゃべりしている裏では、今頃大会に向けての猛練習に精を出している事だろう。

「じゃあ絵里さんたちに宜しくねぇー?」と声を掛けてきつつスイミングスクールの方向に足を踏み出そうとする裕美に、

「えぇ。でも…無理しないでよ?」

と私は裕美の腰回りに目を向けつつ、心配げ…いや、心から心配して返した。

「あはは、もーう誰に物を言ってるのー?自分の体なんだから、そんなの分かってるって」

と悪戯っぽく笑って返してきたが、「…ふふ、でもありがとう」と柔らかな笑みに作り変えつつ続けて言うと、それからは一度もこちらに振り向く事なく行ってしまうその後ろ姿に、「えぇ…」と、もう聞こえないのは百も承知でも言葉を投げ掛けるのだった。

…そう、やはりというか、最近の裕美の様子の変化が何だか気がかりだった。最近では紫の様子にもずっと引っ掛かっていたのだが、例の修学旅行中の二人きりでの会話だとかで、ほんの一部だろうが、そこから推察する材料を貰えたのもあり、紫については良くも悪くも前進した感があったのだが…裕美については、こちらもある意味目に見える点で寧ろ、”見づらくなっている”ような印象を持っていた。

今の話は、分かりづらい事この上ないだろうが、それでも何とか説明を試みると、つまり、紫に関しては内面からの変化だったわけだが、裕美はどちらかと言うと肉体的という意味で、外面に出ている変化という点で二つは違っていた。

きっかけは勿論、例のというか、今年の三月十四日ホワイトデーに毎年恒例という事で、途中から千華と翔悟が合流してきたというサプライズはあったものの、ヒロを合わせた三人で始めのうちは話していた中で、覚えておられるだろうか…そう、背中に違和感があると何気ない調子で裕美が話した事だった。

あの時も、腰痛という単語を聞いたその瞬間、ヒロが血相を変えてとまではいかないが、それでもアヤツなりに真剣になって心配し出していた。

いつも能天気で、それでいて自分の分野である野球からの見方についてはいつも”マジ”そのものなヒロが心配するのを見て、それがあまりにも印象的すぎた私は、あれ以来脳裏から、妙な言い方に聞こえるかも知れないが、裕美に会うたびに、ついつい腰の事が気になってしまっていた。

修学旅行の二日目、一緒に温泉に入った時なんかも、お互いに裸だったしジロジロとは流石に見れなかったが、しかしそれでも、お湯の中で何気なく腰回りを撫でている裕美の様子を横目でチラチラと盗み見たりしていた。

そんな私の事だから、母親の如くその度に腰の状態がどうかと聞くのだが、もう何度も何度も聞かれた裕美は苦笑交じりに「大丈夫だってばぁ」と少しおちゃらけ気味に答えていた。

そう返される度に、「そう?」と自分でも納得いかない風の表情を意識して浮かべて返すというのが、ここ最近の私たち二人の間での挨拶のようになってしまっているのだが、このおちゃらけ具合…その裏になんというか…言い方が難しいが、その口調から意固地を張っている気配が滲み出ているように私には感じられるのだ。

そう何度も、怪我してるのではないかナドナドと、しつこくクドく聞かれたり言われたりすれば、反射的に違うと反論したくなるのは、まぁ人間のサガとして、なんとなく分からないではないのだが…この裕美の態度の場合は、そんな安易なものでは無く、もっと深いところで裕美なりの強い意志というか想いがある様に、これも勝手ながら私が個人的にそう汲み取っていた。

それと同時に、流石の私も、裕美が今どれだけ自分を追い込んで、んー…本当にしている人に対して、あまり軽々しく口にしたくは無いのだが、頑張っているという事を当然知っている私からすると、気合に水を差すような事は言う事が出来ないでいるのだった。


…と、話がまたいつの間にやら逸れてしまったが、話を戻すと、要は裕美は今日は都合が合わないって事で、代わりに明日の日曜日に一人で行く約束を、絵里と事前に交わしたようだ。


…ふぅ、…ふふ、ようやく粗方の話に触れることが出来たので、本筋の方へと話を戻すことにしよう。


「…あ、そうだ」

と、まだ乾杯直後で全員がカップに口を付けて紅茶を飲んでいる間に、私は一度家に帰ってからここに来たのだが、家から持ってきた大きめの紙袋の中から一つの菓子箱を取り出した。

「琴音ちゃん、それなーにー?」

と早速目敏く美保子が声を掛けてきたが、「これはね…」と私はただ微笑みつつ言葉を濁すと、「はい」とその箱ごとを絵里に差し出した。

「ん?」

とカップを置いてから絵里はそのまま受け取るのを確認すると、私は他の三人に視線を配りつつ言った。

「それね、私がこの間修学旅行に行った先で買ってきたやつなんだけれど、せっかくだし御茶菓子として、どうかなって思ってさ」

「あらー、悪いねぇ」

と絵里は口を開きつつ上箱の商品名を眺めて言った。

「なになにー?」

と今度は有希が興味津々といった風で身を乗り出すようにして覗き込んでいたその時、明るい声をあげた。

「あ、もみじ饅頭じゃなーい?」

「ふふ、えぇ、そうですよ」

と私が微笑み返す中、

「あー、もみじ饅頭かぁ」

と美保子が声を漏らした。

「じゃあ早速お皿に出してくるね」と絵里はおもむろに立ち上がると、私、それと百合子の後ろに位置するキッチンへと向かった。

「あぁ…そっか。広島に行ってきたんだものね?」

とここで小さく隣の百合子が微笑みつつ言うのを受けて、「うん、そうなの」と私も釣られるように柔らかな笑みで答えた。


因みに今更座席配置を話すと、今さっき触れたようにキッチンを背にして私と百合子が隣り合って座り、私の向かいに有希、百合子の向かいに美保子が座り、私と有希の斜め向かい、いわゆる上座の位置には絵里が座るというフォーメーションだった。

「絵里ー?空箱は捨てないでね?」

と準備をしている絵里の背中に声を掛けるのは有希。

「なんでですかー?」

「いやね、キチンと今見れなかったからさ、どんな箱に入っているのか、その入れ物を見てみたいんだよ」

と有希は途中から私に視線を流しつつニヤケ顔で言った。

「はーい、分かりましたよー…っと」

と絵里は、片手に饅頭を乗せたお皿、もう片手には空箱を要望通り手にして持ってきた。

それと同時に、もう慣れたものと私以外の三人がいそいそとお皿を置くスペースを作った。テーブルのど真ん中だ。

こうしてどかした理由というのは、既に絵里含む他の四人の手土産としてのお菓子類が所狭しと置かれていたからだ。

因みに大体みんな毎回同じ物を持ち寄ってくる事が多かった。

というのも、勘違いないように慌てて付け加えた方がいいと思うが、何もケチったり面倒だったりしての事ではなく、ただ私たちの間で好評だった物を再度持ってくるのが無難だからであった。


…って、何の言い訳をどんな効果を狙って今したのか、自分でも理由は定かでは無いが、せっかくなのでついでと軽く紹介しておこうと思う。

まず絵里だが、絵里は以前はよく地元の駅中にあるケーキ屋さんでおやつを買ってくるのが常だったが、最近は何だか以前よりも実家の目黒に行く事が多いらしく、タイミングが合えばの条件付きだが、実家近所の駅前にあるという有名な和菓子屋さんの、バターどら焼きなるものを買って出していた。名前の通り、餡子に加えてホイップバターが挟まっていて、私と百合子、それに有希も和菓子が好物ではあったのだが、この中でも特に、普段はアメリカにいるせいか、特に美保子に好評なのだった。

続いて有希。有希も大抵決まっており、劇団の練習場所近くにあると言うパン屋の、フィナンシェやバウムクーヘン、ラスクなどの焼き菓子がたんまりと入った詰め合わせセットを持ってきていた。

次に百合子。先ほども述べた通り、何度も誘われながらも今だに私自身行った事はないのだが、成城にあるという自宅近くにある和菓子屋から、カステラ生地の中にあっさりとした、甘さ控えめなこしあんが入った生菓子を買ってきてくれるのだった。

最後に美保子。美保子は向こう、シカゴ土産で有名だという…って、当然のことながら、美保子に教えてもらうまで知らなかったが、Frangoというチョコレートを毎回のように買ってきていた。なんでも、空港内のお土産ショップで買えて、しかも中身が小分け式になっているというので、そんな点でも美保子以外の人にもシカゴ土産として重宝されているとのことだ。

それと、これは毎回ではないのだが、今回はたまたま買ってきた回になったので、それも一緒に紹介しよう。

それは…実は、今絵里に出してもらっている紅茶がそうだった。シカゴ発のお茶専門店だとかで、美保子の御用達らしい。ついでに、今私たちが使っている茶器も、実は以前、美保子が二度目の絵里宅への訪問時に、そのお茶専門店で買ってきた物だった。

初めて絵里の部屋にお邪魔した時に、紅茶を皆が飲むならと、二度目の時に茶葉とともに買ってきてくれたのが、お店のロゴの入った黒地を基調とした洒落た六つのマグカップなのだった。

それ以来、私たちがここに集まってお茶をする時は、絵里が必ずこのマグカップに紅茶を入れてくれるのが定番となっている。


…と、これで粗方全員の手土産紹介も終わったところで話に戻ろう。

各々が私の持ってきたもみじ饅頭について感想を思い思いに言ってくれたのを受けて、私も自然と笑みを零しつつ、それからは、それぞれに向けてのお土産タイムとなった。

「じゃあ…っと」

と私は足元の紙袋をまた手に取り腿の上に乗せると、中をまさぐった。

そして中から四つの、大きさ、見た目や柄もそれぞれに違う紙袋をまず自分の前に置いて、その中から一つをまず絵里に手渡した。

「はい、まず絵里さんから…お土産」

「あっ、ありがとー」

と絵里は受け取りながら明るい声をあげた。

「開けていい?」

と言うので、「もちろん」と私が答えると、

「…はい、これが百合子さん…で、これが美保子さん…っと、あと…はい、有希さんにもこれ、お土産です」

と、私自身はその間に、自分の位置から見て時計回りに順々に手渡して言った。

「ふふ、ありがとう」

「おー!ありがとー」

「あ、私にも?やったー!ありがとねー」

と、手渡す度にそれぞれから感謝の言葉を貰ったので、全て渡し終えたところで「いーえー」と私からも微笑み返した。

「私たちのも開けていい?」と美保子が代表して聞いてきたので、「えぇ。まぁ食べ物でも良いとは思ったんだけれど…」と私が独り言風に口にしたその時、既に開けていた絵里が口を開いた。

「あ、しゃもじだ。…あぁ、懐かしいなぁ」

と絵里は、手に持った杓子をクルクル回して見ながら言った。

「そうそう、宮島といえば杓子なんだよねぇー…ふふ、私の時も、同じように杓文字を買ってたの思い出したよ」

とシミジミ言うので、

「へぇ…ふふ、よくそんな昔のことなのに覚えてるんだね?」

と、毎度の事ながら揶揄いたくなり、ワザと柔和な笑みを浮かべつつ声をかけた。

「…ちょっとー?どういう意味なのそれー?」

と、絵里がふてくされて見せつつ、しかし口元はニヤケながら返すのを見て、私は今度は自然と笑みを零したのだがその時、正面から話しかけられた。有希だ。その顔には絵里とは趣が違うながらも、しかし同じ類の笑みを浮かべていた。

「ちょっと、琴音ちゃーん?私がいることも忘れないでよー?」

「あ、あぁー…ふふ、有希さんもそういえば、私たちのOBだったね」

と、一瞬何だかバツの悪い思いがしたのだが、この時点で有希に対しても特に遠慮の無くなっていた私は、絵里と同じ様にニヤケ顔で返した。


…と、まぁここでどうでも良いって言ってはなんだが、見ての通り、私は有希に対して、敬語とタメ口を使い分けていた。

…いや、使い分けてるのでは無く、ついついたまにタメ口が出てしまうというだけだった。

観劇以来、もう両手で数え切れないほどに、絵里の部屋で会ってはお喋りなどをしてきたのだったが、今だに敬語が抜け切れないでいた。

有希本人は、絵里に対してタメ口なのだから、私に対しても良いと言ってくれてはいるのだが、それでも出来ずにいた。

…でもまぁおそらくというか、これが一番の理由なのだろうが、我事ながら他人事のように分析してみると簡単な訳があるのが分かる。

というのも、毎回会う場所からして当たり前なのだが、絵里がいつも同席している中で、絵里は当然、一歳違いとは言っても学生時代を先輩後輩の間柄で過ごしてきたのが今にも引き継がれて、今まで見てきて頂いた通りにずっと敬語を使っている…という絵里を差し置いて、中々直接に関係ない私が敬語でなくなるというのは難しい注文なのだった。

因みに裕美もずっと変わらずに敬語だ。…っと、ここで今更ながらもう一つ気付いたが、私にしても裕美にしても有希がOBであるのには変わらないのだし、絵里という特殊な例外を除けば、敬語を止めるのはどこか心理的な違和感が残るのも当然といえば当然だろう。

…っと、また私の悪い癖が出てしまった。くだらない分析はこれくらいにして、さっさと話に戻るとしよう。


「そうだよぉ」と有希は変わらずに目を細めつつ、しかし同時にニヤケながら返してきたが、その後すぐに、自分も同じように、手に持ったストラップをクルクル回しながら絵里に話しかけた。

「でもそうだったねぇ?私の時も皆で杓子を買ったわ…ふふ、絵里みたいなマジな物じゃなくて、今私が持ってるような小さいヤツだったけど」

「あら、可愛いわね」

と美保子が、隣の有希の手元を見ながら口を挟んだ。

「それって…」

と美保子はそのまま名前を言ったのだが…ふふ、なんとなく色々とまずい気がしなくも無いので、敢えて固有名詞は控えさせて頂こう。


まぁ簡単に説明すれば、日本発祥の、私はそうでもない…と言うと、それはそれで問題がありそうだが、一般の女の子に限らず大人の女性にも一定の支持を集めている、おなじみの猫のキャラクターが、両手に杓子を持っているというストラップだ。

そう、いわゆるご当地グッズという物だった。


「あら、本当ね」

と百合子も少しだけ腰を浮かせて斜め向かいに顔を向けると、「あはは…」と百合子にこのタイミングで話しかけられたせいか、有希はどこか照れ臭そうに笑って見せていた。

そんな様子を見ていた絵里は、何かを思いついた風な素振りを見せたかと思うと、途端にニヤニヤしながら百合子に続くように口を開いた。

「…ふふ、先輩って、キャラに似合わずというか、そういう少女趣味っぽいの好きですもんねぇ?」

「あら、そうなのー?」

と、すぐに反応良く美保子も続いて含み笑いをしながら隣に視線を流す。百合子はただ微笑むだけだ。

「いやぁ…ま、まぁ…」とまだ気まずそうに照れてる有希を含む、そんな皆の様子を眺め終えると、私は私で、あくまで他意の無い…風な笑顔を浮かべて口を開いた。

「…ふふ、お土産屋さんの中を見て回っていたらね、たまたまそれを見つけてさ…ふふ、そういえば、この手のモノを”誰かさん”が好きだったなぁって思い出してね、それでせっかくだし買ってきたの」

「あはは、さっすが琴音ちゃん、分かってるなぁ」

と絵里は変わらずにニヤニヤを保ったまま、顔は私に、視線だけを意味深に有希に流しつつ続いて言うのを聞いて、

「…ふふ、いやぁ参っちゃうなぁ」

と、ここでようやくというか、開き直りにも近い苦笑いを浮かべると、有希は手に持ったストラップを愛おしげに眺めつつ言った。

「いや、まぁ…ふふ、ありがとね」

「ふふ、どういたしまして」

と私が返した瞬間、ドッと皆で合わせて笑い合うのだった。


因みにというか、”マジ”な杓子の絵里以外はと言うと、美保子は猫が好きなのを知っていたので、漫画調の猫のイラストが書かれた杓子、百合子はシンプルなのが好きなのを知っていたので、厳島神社の大鳥居が描かれているという、一番”オーソドックス”な物をチョイスした。


美保子と百合子の二人も紙袋からストラップを取り出したので、今度は二人の杓子を中心に話が盛り上がっていたのだが、その話も収まり始めたその時、私としては買ってきた甲斐があったというものだが、大切に労わるようにストラップを紙袋に戻した有希が私に話しかけてきた。

「…あ、そういえばさ、なんで私たちにはストラップで、絵里にはマジもんの杓子にしたの?」

「あ、そういえば」

と、自分の事なのに、絵里は呑気な声を漏らしていたが、

「確かに、なんで?」

と美保子が続いて聞いてきて、隣の百合子も無言ながらも同じ心境だと目で訴えかけてきたので、私は別に隠すことでも無いと、勿体ぶることなく素直に答えた。

「あ、それはね…ふふ、ほら、絵里さん、最近そのー…料理に取り組み始めたでしょ?」

「へ?」

と、予期してない言葉だったのか、絵里は素っ頓狂な声を漏らした。

そんな反応には構わずに、私はそのまま続けて言った。

「だからさぁ…ふふ、この杓子って色んな意味が込められてるらしいから、私の意味ではお土産にしないんだろうとは思うんだけどさ?そのー…ほら、杓子っていわゆる日本人みたいなご飯が主食の民族からすると一番身近にあるものじゃない?だから…ふふ、絵里さんにはもってこいだと思ってね」

「なるほどねぇ」

と有希がすぐに相槌を打った。

「…あ、そういえば」

と美保子も思い出した風な反応を示した直後に有希に続く。

「絵里ちゃんにとって、料理の師匠は琴音ちゃんだもんね?」

とニヤケつつ言う美保子の後に、「ふふ、そうだったわね」と百合子も微笑みを浮かべつつ隣に顔を向けてきたので、「いやぁ…師匠ってほどじゃあ…」と私は思わず照れてしまった。


んー…ふふ、まぁ師匠という大袈裟なものではないはずだが、ここ最近…そう、今年に入ってすぐに、不意に絵里に料理をしてみたいから教えて欲しいと頼まれたのだった。

そう、軽く何度か触れてきたが、そもそも絵里は基本綺麗好きだし、実家が伝統芸の中にあるお陰か知らないが、家事のほとんどを完璧にこなしていたのだが、唯一というか、勿論何も作れないわけではないのだが、極々単純なものしか出来ないのだった。

私が小学生の頃の方が料理のレパートリーがあったくらいだ。

勿論私は「良いよ」と快く承諾しはしたのだが、前触れもなく急にそんなことを言い出してきたので、個人的には当然としてその理由を聞いた。

だが、絵里は、「琴音ちゃんが作るお菓子などを食べていくうちに、自分でも作ってみたくなったの」…などと、まぁ歯の浮くような…とまた変に冷めた感想を述べてしまうが、普通にいって当たり障りないことを言ってきたので、すぐさま問い詰めてやろうかと思ったのだが、実際は実行に移さなかった。

何故なら…ふふ、自分でいうのもなんだが、”この手”の事には滅法疎いと自負(?)している私ですら、絵里のその本来の目的に気付いてしまったからだった。

と同時に、それは私個人としてはとても喜ばしい、歓迎する事なので、これ以上追求して絵里の気が変わってしまう方を心配した私は、自分なりに大人になって流してあげた…という経緯があったのだった。


「…ふふ、そういう事か」

と絵里は一人クスッと笑うと、また少し照れたままの私の方に顔を向けてニコッと笑いつつ言った。

「じゃあそういう理由なら、ありがたく杓子を頂きます師匠」

と言い終えたと同時に、その場で深々と頭を下げた絵里を見て、「はいはい、良いから顔を上げて?」と私は呆れ笑いを浮かべつつ声を掛けた。

そんなやり取りを眺めつつ、美保子たちが笑い声を上げる中、ニヤケ顔を浮かべつつ絵里が顔をあげたその時、有希だけが自然な微笑を浮かべつつ口を開いた。

「しっかし本当に琴音と絵里は仲が良いねぇ。…姉妹みたい」

「え?」

姉妹という言葉を受けた瞬間、反射的に私は声を漏らしてしまった。

「ほんとほんと」

と美保子が同調し、「ウンウン」と百合子までが明るい笑みを浮かべつつ頷く中、私は嫌な予感を覚えて恐る恐る斜め向かいに顔を向けると…やはりというか案の定というのか、想像通り絵里が満面の笑みを浮かべてこちらを見てきていた。

「え…絵里…さん?」

と私が辿々しく声を掛けた次の瞬間、何気なく投げ出していた私の右手を不意に取ると、それを自分の頰に持っていき当てつつ口を開いた。

「やっぱりそう見えますー?」

とさも嬉しげに返す絵里に対して、

「ウンウン、見える見えるー」

と有希があからさまに面白がりつつ返すのを耳にしながら、「ちょ、ちょっと絵里さんってばぁ」と、私はスリスリとしてくる絵里の頬と手からなんとか逃れようと、ブラブラと腕ごと動かしていた。

それを何度か繰り返していると、絵里の方で満足したのか不意に離したので、私は早速自分の手を労わるように、もう片方の左手で右手をスリスリと摩って見せた。

「もーう…私が幾つになっても、スキンシップが過剰なんだから…ふふ」

と、初めのうちはうんざり顔を保っていたのだが、結局は自分で吹き出してしまい、終いには笑みを零してしまった。

そんな私の様子がきっかけとなったのか、「ごめんごめん」と全くその気がないのが丸わかりな平謝りをしてくる絵里を含む、皆でまた一斉に笑い合うのだった。


その流れのままに、

「杓子って広島…ていうか、宮島で有名なの?」

と、美保子が聞いてきたので、雑談のタネにでもなればと、早速仕入れたウンチクを披露した。

内容としては、寛政の頃、つまり江戸時代だが、光明院の修行僧である誓真という人によって考案されて、島民に製造法を教えたのが始まりという起源についてと、弁財天の持つ琵琶の形から取られたという由来などなどだ。


「百合子は知ってた?」

と私の話を聞き終えた美保子が聞くと、

「え?んー…ふふ、知らない」

と一瞬だけ考えてるそぶりを見せていたが、百合子は小さく微笑みつつ返した。

「えー?私は普段向こうにいる事が多いから、知らなくて当然だと思うけど、百合子、あなたは知っといてよぉ」

「ふふ、そんなこと言われてもねぇ」

「あはは、私たちだって、修学旅行で行かなかったら、多分今も知らないままでしたよ」

と苦笑まじりに返す百合子を見た有希が明るく笑いながら会話に混じるのだった。


それからは、また私の買ってきたお土産に話が向かった。

「…あら?」

と美保子は、ストラップと入れ違いにテーブルの上に出したのは、こじんまりとした箱だった。

「これってなーに?」

と美保子が箱を様々な方向から眺め出したので、思わず笑みを零しつつ答えた。

「ふふ、まぁ取り敢えず開けて見てよ」

「え、えぇ…っと」

と美保子が作業をするのを、他の皆も同じように紙袋の中身を見ていたというのに、その手を休めて様子を眺めていた。

「…?これって…?」

と美保子が口にしつつ箱から出したのは、コルクで栓してある小洒落た小瓶で、中には砂が入っているのが見えていた。

「…砂?」

と美保子は皆に見えるようにか、テーブルの中央に置きつつ聞いてきた。

置かれた瞬間、他の三人も顔を寄せて観察しているのを見つつ、「えぇ、そうよ。それってね…」と私は答えると、そのまま続けて中身の説明へと入った。


まぁここでは要約するが、かつて旅人が道中の無事を祈って、安芸の宮島の砂を持ち帰る習わしがあり、それを現代風にアレンジした砂のお守りがこの”守り砂”で、宮島で最古の寺院、宮島大聖院でご祈祷した砂が詰められているらしい。


「…それでね、同封されている願い紙に願い事を書いて願いが叶ったら、再び宮島を訪れて砂を返納する…って事らしいよ」

と私が説明をし終えると、「へぇー」と美保子を始めとする他の皆も声を漏らした。

「そうなんだー」

と口にしつつ美保子は瓶を手に持って改めて眺め始めたが、その時ふと百合子が私に質問をしてきた。

「…これはまたなんで、琴音ちゃんは美保子さんにお土産として買ってきたの?」

「ウンウン」

と間を置く事なく有希が続いて頷きを入れてきた。

…ふふ、先ほどの件があったせいだろう。

絵里はただ黙って答えを待つ様子を見せていたので、私は有希の時と同じように躊躇わずにすぐさま答えた。

「あぁ、それはね?んー…ふふ、まぁ今さっきこの砂の由来を話だけれどさ?そのー…ほら、美保子さんって、しょっちゅう日本とアメリカを行き来してるじゃない?それってある意味、旅ばかりしてるとも言えなくもないなって思うの。まぁ、だからね…うん、まぁ、そういう事だよ」

と、本当はキチンと言い切ろうと思ったのだが、流石の私も途中から小っ恥ずかしくなったのか、最終的にこのようにあやふやな形で終わらせた。

そんな私の言葉を受けて、美保子はほんの数秒ほど真顔でいたが、フッと力を抜くように笑みを浮かべると、「あはは、ありがとね」と言うのと同時に瓶を持つと、顔の前に持ってきて、それを避けるように顔を傾けつつこちらを見てきた。

「う、うん」

と私からも笑顔で返しているのを、他の三人は微笑ましげに眺めていたのだが、ふと隣でガサゴソと紙袋を漁る音が聞こえた。百合子だ。

「ふふ、良かったわね美保子さん。…っと、あれ?何だろうこれ?」

ヨッと掛け声を上げて百合子が中から取り出したのは、檜だろうか…って、自分で買ってきたのだから私が知ってなくてはおかしいのだが、木箱を取り出した。その上蓋にはシンプルに『宮島張り子』と書かれていた。

「宮島…張り子?」

「うん、そうだよ」

「なになにー?」

と、今度は向かいに座る美保子と有希、それに絵里までも

身を乗り出すように覗きこもうとしてきていた。

そんな三人の様子をよそに、一応気を使ったのか、早速とった上蓋を、その表面の字が見えるようにテーブル中央に置いたのだがその途端、「…あら」と百合子は声を漏らした。

「…可愛い」

「え?」

と、それまで上蓋を興味深げに見ていた三人が、声に反応してほぼ同時に顔を向けると、そこには、顔の前で張り子を持って見せる、微笑の百合子の姿があった。

それは、フクロウだった。真っ白の下地に黒の嘴と、目の周りは朱色で縁取られているという顔部分と、朱色を下地としたその胴体部分は、お腹の前が白く塗られた中で羽紋がやはり朱色で付けられており、羽も白地にしてあったが、模様はここだけは、夏前の草木の若葉のような柔らかい黄緑色で付けられていた。

朱色と白という、いかにも日本の古典的な色合わせ具合が特徴となっていた。

「ホントだ可愛いー」

とまず有希が反応早く口火を切ると、

「色がキレイだねー」

と合いの手を入れるように絵里も続いた。

この間、美保子は紅茶を啜っていたのですぐには口を開けなかった様だが、口の中を空にするなり笑みを浮かべつつ口を開いた。

「そうねぇ…これって、ふくろう?」

と百合子に話しかける風だったが、視線は明らかにこちらに向いていたので、「えぇ」と私は頷きつつ返した。

「百合子さんがね、ある意味で一番お土産迷ったの。…ふふ、勿論愚痴なんかじゃなくて、何というか、その分楽しみながら迷ってたんだけれど。…あ、でね、ほら、この面子の中では一番百合子さんが、そのー…こんな風な伝統的な工芸品が好きでしょ?」

「あはは、そうだね」

とここで美保子が合いの手を入れる。

「百合子の家には、どっか旅行だとかで行くたびに、ご当地の民芸品なり伝統工芸品なりを買ってくるもんだから、溜まりに溜まっているもの」

「あはは、そうですよねぇ」

と明るく笑いながら有希も続く。

「一応飾る用の棚だとかに仕舞ってますけど、もう溢れそうになってますもんねぇ?…ふふ、それに」

とここで一旦区切ると、有希はニヤッと百合子に視線を飛ばしながら続けて言った。

「…それらからの匂いもあったり、雰囲気もあったりしますけど…ふふ、百合子さんの家に遊びに行くと、何だか”良い意味で”おじいちゃんの家に来た気になりますもん」

「ふふ、先輩ってばぁ」

と絵里が苦笑しつつも、しかしどこか愉快げに笑みを零していた。

当の百合子はというと、美保子と有希の物言いを心から楽しげにニコニコしながら聞いていた。

「まぁそんな女っ気のない私の家だけれど、琴音ちゃん、絵里ちゃん…ふふ、もう何度か前から言ってるけれど、もし興味があるのならいつでも遊びに来てね?」

と柔らかな口調で声を掛けてくれたので、私と絵里は顔を一度見合わせてから「えぇ、是非」と二人同時に返すのだった。


「あ、それでね」

と、何が”それでね”なのか、前後の話の繋がりがないのを無理やりに引っ付けつつ続けて話した。

「色々と工芸品のお店を回ったんだけれどね、いや、勿論沢山ね工芸品があったの。例えばね、木地の持ち味を生かしながら色んな手法を駆使した、見るからに繊細でかつ巧緻なね、江戸時代末期から続く宮島彫ってものがあったんだけれど…」

と私は途中からスマホを手にして、実際に撮った宮島彫をファイルから取り出すと、百合子にまず本体ごと渡した。それからは何も言わずとも、よくある流れだというのもあって、そこから自然と私のスマホを時計回りに手渡していった。

「へぇー、良いねぇー…百合子が好きそう」

「…ふふ、そうだね」

と美保子に百合子が返すあたりで、絵里から私のもとにスマホが戻ってきた。

私はそれを一旦テーブルの脇に置くと話を続けた。

「…ふふ、あ、でね、この宮島彫なんか良いなぁって見てたんだけれど…詳しくは言わないけれどさ、なにぶん…ふふ、お値段が張ってね」

「ふふ、そうなんだ」

と、百合子に始まり、私の普段を知っている皆が揃って笑みを浮かべた。

それによる場に充満した雰囲気を心地良く味わいつつ言った。

「だから…ふふ、学生時分の私でも手がまだ出しやすかった張り子にしたの。これも色んな種類があったんだけれどね、ほら…美保子さんと有希さんは猫が好きだけれど、百合子さんは所謂そういった、一般的な犬猫どちらが好きかって話になっても、頑なにフクロウを推してたでしょ?…ふふ、だからね、このフクロウの張り子を選んできたんだ。柄もね、二、三種類があったんだけれど、この朱色と白無垢の組み合わせが、以下にも、特に神聖な古典的な色合いだと思ってね、それもまた百合子さんにぴったりかなって思って選んだんだ」

「…」

といつの間にか熱っぽく一人で話してしまっていたが、そんな中、百合子は耳を傾けてくれつつ、私と、手に持った張り子を交互に眺めてきていた。柔和な微笑だ。

他の二人は私たち…いや、私の事を見守るかの様な視線を向けてきていた。

…とは言ったものの、当時は話すのに夢中で、百合子の方を重点的に見ていたので、実際にはっきりと見て認識していた訳ではなかったのだが、まぁあながち間違ってはいないだろう。


それからは、まだまだ私の話が無駄に延長して、張り子の由来まで話を広げていってしまった。

元々宮島に古くからあったのだが、継承者不足で一旦は途切れてしまったのを、ある一人の男性が昭和も終わりに近い時期に復活させた…という経緯と、一般的な張り子と違って、石膏の型の内側にクラフト紙を貼りつけて整形する事で、滑らかで美しい表面となっている創意工夫の点などだ。

…ふふ、まぁこういったお土産を買ってきて渡す時に、同時にこんな風に細かい話を、特に女しか場にいない中で一般的にするのかは、他に体験がないだけに判断が出来ないのだが、まぁ個人的な見解を述べさせてもらうと、私が言うのもなんだが、絵里を含めて”良い意味で”この場にいる人で”普通”の人は一人もいないという点で、それなりに気を遣っているつもりではあるのだが、必要以上にはせずに済んでいた。

それを証拠にというか、元々この手の工芸品が好きな百合子に留まらず、こんな細かい説明をする私の話の合間合間に、興味を持ってくれたらしい美保子、有希、それに絵里が何度も質問なり感想をくれたりしたのだった。


「…とまぁそういう訳でさ」

と粗方説明が終わると、私は一旦喉を潤す意味で紅茶を一口飲んでから、顔を真横に向けつつ言った。

「こんなに可愛いからね?せっかくだし…ふふ、我ながら恥ずかしいんだけれど、ここに集まるみんなと一緒にね、この張り子を持ってたりしたら良いなぁ…とか、一瞬思ったりしたんだけれど…」

「琴音ちゃん…」

と私の言葉を聞いた瞬間、百合子を含む皆が一斉に何かを言いかけたのを察知した私は、慌ててそれを遮り、調子もなんとか照れを引っ込ませながら続けて言った。

「あ、で、でもね?そのー…ふふ、この張り子はさ、さっき見せた宮島彫と比べれば、確かにお買い得だったんだけれど…それでも、やっぱり中学生の財布的には厳しくてね?…ふふ、だからまぁ、今回はっていうか、それを代表して、百合子さんの分だけ買ってきたってわけ!」

と、まぁ大分前から自覚していたのだが、少し、いや、かなり喋りすぎたと反省し始めていた時だったので、そのバツの悪さを悟られまいと、最後は勢いまかせで言い切った。

…まぁそういくらごまかしたところで、ここにいる面子で私の小賢しい目論見など見破れない人はただの一人もいないわけで、皆して顔には意地悪げな含みを覗かせるような笑みを浮かべていたが、そんな中、「…ふふ」と一人小さく微笑みつつ、百合子がまた顔のそばに張り子のフクロウを持ってくると目を細めつつ言った。

「…うん、ありがとうね琴音ちゃん。早速家に持って帰ったらきちんと飾るよ」

「うん」

と私は、幸薄そうな…って、これは今更言うまでもないが、私なりの褒め言葉な訳だが、そんなある種の静かな品と呼ぶのにふさわしい普段の表情からは一変して、悪戯っぽく目を細めて笑う百合子の顔を見て、これを含めた様々な点でその都度私はついつい雰囲気が似ているためか律を連想してしまうのだが、この時もそんな事を頭に過らせつつ、さっきの恥じらいも何処へやら、素直に返したのだった。


「いやぁ、ありがとね」

とそのような言葉をそれぞれから受け取ると、「いや、別に…」と我ながら可愛くないと思うが、スンと澄ました調子で返していたのだが、ふとここで、また残りがあることを思い出した。

「…あれ?そういえば、まだ一つあるはずだけれど…」

「え?でも…私のはこれで全部だったよ?」

と紙袋を覗き込みつつ言う絵里に、私は少し気まずげな笑みを浮かべつつ返した。

「あ、いや…ふふ、うん。実はね、絵里さんにはそれで、今私たちが食べているお菓子を含めて全部だったんだけれど…あっ!」

とここで、不意に思い出した私は、他の三人に顔を向けつつ続けた。

「…ふふ、美保子さん、百合子さん、有希さんの三人向けに、後一つだけ共通して買ってきたのがあるんだけれど…ふふ、また別の紙袋に入れてたの忘れていたわ」

「…?」

と何も言わないまでも熱い視線を向けてくる皆には構わずに、私はまとめて持ってくるために用意した、自分の足元にある一際大きめの紙袋の中から、三つの同じ見た目形の紙袋を取り出した。

「…っと、やっぱり入れたまんまだったわ。…はい」

と特に何も付け加えずに、私はサッと流れ作業的に順々に紙袋ごと渡していった。

「あら、可愛い手提げねぇ」

と受け取った瞬間に、まず美保子が声をあげた。

確かにこの手提げというか、紙袋はその見た目からして洒落てて可愛い…と、ふふ、美保子は言ったが、私からすると可愛いと言うより綺麗な見た目だった。

全体の9割型を白地が支配していたのだが、チラホラと、何の花かは分からなかったが、描かれたその模様はやはり濃いめの朱色でアクセントとなっていた。手提げ部分も朱色となっていて、全体的にシンプルに纏まっている印象だった。

「確かにー」

と美保子に合いの手を入れる有希のすぐ後で、

「ふふ…でしょ?」

と私もすぐに返す中、

「えー?私には無いのー?」

と絵里がワザとらしく拗ねてきた。

それに対して私が笑顔で返していると、ふと隣から百合子が声を漏らすのが聞こえた。

「…あ、ハチミツ?」

と百合子は紙袋の隅に控えめに書かれた文字に目を向けつつ言ったので、

「そう、中身は蜂蜜だよ」

と私はニコッと笑いつつ答えた。

「あ、ハチミツなんだー」

と美保子も百合子と同じ様に紙袋を観察し始める中、ふと有希も紙袋を眺めつつ口を開いた。

「…って、あれ?宮島ってハチミツも名物なんだっけ?」

「んー…ふふ、いえ、私は少なくとも記憶にないですね」

と絵里も何だか腑に落ちない様子で返していた。

その返しは何となく想像がついていた私は、ニヤッと意味ありげに二人に笑みを見せると、他の二人にも視線を配りつつ言った。

まぁこれも要約に留めておいても構わないだろう。簡単にいえば、宮島内でつい数年前に養蜂業を始めた方がいて、最近事業を始めたというのもあり、養蜂もITを屈指するという珍しい企業体系との事だ。


とまぁ、こう話していて私自身本当に理解できているのか微妙だったので、結局は、絵里と有希の疑問に対して、

「…まぁ要はね、二人が学園生として宮島に来た時には、まだ養蜂自体が無かったのだから知らなくて当然よ」

と答えた。

「あ、そうなんだねぇ」

と相槌を打つ有希を尻目に、

「…なーんか琴音ちゃん、あなたがそう言うと凄くトゲが込められている様に感じるんだけど?」

と、絵里は目を途端に細めたかと思うと、自分の顔を私に近づけてきながら言った。

「えー、ソンナ事ナイヨー」

と私は視線を逸らしつつ、大袈裟に棒読み気味に返した途端、有希を始めとする他の二人も合わせて明るく笑うのだった。終いには絵里も混ざっていた。


そのまま流れとしては、笑いが治らない中こちらが何も言わないうちから三人は丁寧に紙袋の口を解くと、中身を取り出した。

三人がほぼ同時に取り出したそれは、紙袋と同じ様に朱色と白の二色で装飾された、これまた洒落た箱だった。

「開けて見ても良い?」

とさっきの砂の時と同じ質問をしてきた美保子に、「えぇ、勿論」と返すと、三人はそれぞれのペースで箱の上蓋を開けた。

と次の瞬間、「おー」と、美保子と有希の二人だけではなく、百合子、それに有希の分を眺めていた絵里までもが声を漏らした。

朱色一色の下箱の中には、小瓶が三つ入っており、デフォルメされた厳島神社の大鳥居が、やはりこれも朱色で瓶の表面に控えめなサイズで描かれていた。その三つの中には、半透明な黄褐色、飴色の液体で満たされていた。

「へぇー、綺麗な飴色ね」

と、解き終えた美保子が、その中の一つを取り出すと、さっき自分がした様にまた顔の側まで持って持ち上げて眺めていた。

「えぇ、本当ね」

と百合子も同じ様にする中、「へぇ…あ」と有希はふと、その中から二つの瓶を取り出すと、部屋の照明に透かして見ながら口を開いた。

「これって全部、微妙に色が違うんだね」

「あ、本当ですね」

と絵里が言ったその直後、「えぇ、そうなの」と私も合いの手を入れた。

「ここの養蜂場はね、初夏、つまりは六月と、夏、つまり七月と収穫時期が二つに分かれているらしいの」

「へぇー」

と有希や絵里だけではなく、美保子と百合子も声を漏らしたのを聞いて、私は続けて話した。

「まぁ…ふふ、私が行って買った時期は五月の終わりだったから、シーズンとしては一番のハズレ時期に買ったとも言えなくもないけれどね?…ふふ、あ、今有希さんが手に持っているのがその二つでね、色が薄めのが初夏に採れた蜂蜜で、色が濃いのが夏に採れたものみたい」

「ほほぉ」

と、この時点で、有希だけではなく、他の二人ももう一つの瓶を手に取って見比べ始めていた。

それを目で確認しつつ私は微笑みつつ言った。

「まぁ…ふふ、後は同封してある説明書に色々と書いてあるみたいだから、暇な時に読んで見てね?」

「はーい」

と美保子と有希が返事を返してきたのに、ウンウンと私は頷いて見せると、キリをつけるためにパンッと一度軽く両手を打ってから口を開いた。

「…はい、これにて私のなっがーいお土産紹介タイムはお終い」


「あはは、お疲れ様ー」

と有希が明るい笑顔で言った直後、「いやぁ、ありがとね?こんな沢山のお土産」と、さっきのセリフに少し付け足しつつ美保子も続いて言った。

「うん、本当にありがとうね」

と絵里も笑顔で言うのを聞いて、

「あぁ…いやぁ…」とここにきて少し照れ臭くなってきた私が言い淀んでいると、クスッと隣で笑みが漏れたのが聞こえたので顔を向けた。

そこには百合子の微笑があった。

「うん…大切にするね」

と、途中までは柔らかな微笑のままだったというのに、手にさっきの張り子のフクロウを手に持ったかと思うと、それを顔の前に持ってきて、腹話術風に言い、その直後にフクロウの後ろから覗く様に顔を傾けてきた。

その無邪気な子供っぽい行動に似合った、これまた幼げな笑みを顔面に浮かべているのを見た私は、つられる様に自然と笑みを浮かべると、「えぇ…」とまず百合子に声をかけてから、時計回りに顔を回しつつ返した。

「ふふ、どういたしまして」


それからは二言三言交わした後、三人が丁寧に紙袋に蜂蜜の入った箱を仕舞うのを眺めていた絵里が口を開いた。

「…いいなぁ、私だって蜂蜜欲しかったなぁ」と絵里が両頬を膨らませつつ、また拗ねて見せてきた。

「へへ、いいでしょー?」

と有希が紙袋を持ち上げて、顔の脇まで持ってきつつ言うのを見て、私は笑みを浮かべつつ声をかけた。

「…ふふ、まぁ本当はね、絵里さんの分も買ってこようと思ってたんだけれどさ、そのー…ふふ予算的にね。でもね…絵里さんにあげたその杓子、値段のことは言いたくないけれど、物はかなり良いもののはずだから…ふふ、それで許してよ」

「えぇー」

とやはり絵里はすぐには拗ねる表情を崩さなかったが、不意に体を傾けたかと思うと、

「あはは、まぁでも、本当にありがとうね?」

とサッと杓子を取り出したかと思うと、それを両手で握り締め、そのまま胸元に持ってきたので笑みを零した。

「ふふ、いーえー」

と私も返したその時、「ところで…」と不意に百合子がこちらに顔を向けてきつつ口を開いた。

「何?美保子さん」

とすぐに気付いた私が返すと、百合子はまず美保子、そして有希の順に顔を向けてからこちらに顔を戻して続けて言った。

「いや…ね、まぁ単純な疑問なんだけれど…ふふ、それなのに何で私たち三人にだけでも買ってきてくれたのかな?…ってふと思ってね」

「あー、確かに」

と百合子の言葉を聞いた途端に、美保子は悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、そのままニヤケ顔に移行しつつ口を開いた。

「琴音ちゃん、あなたのことだから…ふふ、そうしたのにも、何か深い意味があるんでしょ?」

「あ、そうなの?」

と有希も続く様に美保子と同じ類の顔つきをこちらに向けてきつつ言った。

チラッとこの時に皆の視線から逃れる様に右に瞳を泳がしたのだが、そこには何も言わないまでも、目の奥に好奇心の光を浮かび上がらせている絵里の姿があった。

やれやれ…ふふ、やっぱり逃してはくれなかったか。…ふふ、まぁこの展開は、買い物時点で予想していた事だったけれどね。

と私は苦笑交じりに首を数度左右に振ると、その笑みのまま話し始めた。

「まぁ…そもそもっていうか、この蜂蜜を買おうって思ったのはね、ほら…絵里さんは知ってるけれど、私の学園での同級生で藤花って子がいるんだけれどね」

「あ、うん、藤花ちゃんね」

と絵里がすぐに反応を返したのは想定内だったが、

「…?…あ、あーいつもよく話してくれる子ね」

と、その直後に美保子も続いた。


ある種、この美保子の反応の早さも想定内だった。何せ、初めて数奇屋に行ったのが言うまでもなく初対面だったわけだが、それから二度目にお店以外で会って話したその時から、藤花の話は出していた。

それはそうだろう…と私個人は思う。何せ私たちと敢えて言わせて頂くが、私と美保子と同じレベルに音楽という芸能について入れ込んでいる藤花を紹介しないという選択肢は私には無かったからだ。

私があまりにも熱を入れて話したせいか、その内容を含めて美保子の方でもすぐに興味を持ってくれたらしい。だが、美保子はしょっちゅう日本にいるわけでも無かったし、その他のタイミングも合わなかったりとで、まだ顔を合わせるどころか歌さえ聞いていないのだった。


因みに、当然その場には、百合子も同席していた。なので、百合子の方でも思い至ったらしく、美保子が視線を向けると、百合子の方では何も口に出しはしなかったが、それでもコクっと微笑みつつ返すのだった。

「とうか…ちゃん?」

と有希は一人だけ、一応記憶を探る素振りを見せていたのだが、しかし検索に引っかからなかった様で、この様な反応を示していた。

この時に私としては初めて有希の前で藤花の話を振ったのだが、これを見る限り、藤花を直に知っているはずの絵里の口からは、一度も名前が出てないことが分かった。

「絵里は知ってるんだ?」

と有希が声をかけると、

「はい、琴音ちゃんのコンクール決勝を応援に行ったその時に、知り合ったんです」

と絵里が答えた。

「へぇー、そうなんだ。…ねぇ、どんな子?」

と、まぁ当然というか有希が身を乗り出す様に聞いてきたので、少し話が脱線しそうだと一抹の心配を覚えはしたが、しかしこの後話す内容からして触れないわけにはいかないと、簡単に藤花についての話をした。

その間に絵里はもう冷めたでしょうと、皆の分の紅茶をまた淹れにキッチンへと立った。


絵里が戻ってきて、全員の空のカップに紅茶を注ぎ終えたちょうどその時に、私の話も終わった。

聞き終えると、有希は淹れたてでまた熱いはずなのだが、躊躇いなく紅茶を一口ズズッと啜ると、カップを置きつつ口を開いた。

「…へぇ、あなたくらいの若い女の子で、そのー…ふふ、あなたみたいに変わった女の子がいるんだねぇ」

「あはは…」

と私は何か気の利いたセリフでも返そうかと思ったのだが、特に思い付かず、取り敢えず何も返事をしないというのは無粋だろうと、何となく乾いた笑いを零しておいた。

有希の言葉を受けた瞬間、美保子を中心に皆でクスッと朗らかに笑い合っていたその時、

「それを先輩が言いますー?琴音ちゃんと同じ歳の時の先輩だって…ふふ、他の部員がたまに引くくらいに演技に熱中してましたよ?」

と絵里がニヤケつつ言うと、その直後は有希は真ん中分けのロングヘアーの上から頭を照れ臭そうに掻いて見せていたが、掻き終えた途端に、負けじとニヤケつつ返していた。

「…って、絵里、そんなあなただって、私のことを言えないくらいに演技にのめり込んでいたじゃないのー?それに加えて、あなたの場合は日舞が…あ」

と、ここで急に、それまで快活に止めどなく調子良く話していたというのに、最後のところで不意に口を止めた。

「…?」

と、私はこの二人のやり取りを、淹れてもらいたての紅茶を啜りつつ聞いていたのだったが、この不自然な中断に思わずカップから口を離して、有希の顔を眺めた。

その有希の顔には、何かをしくじってしまったかの様な苦い表情を浮かべて、顔は絵里に向けたままだったが、視線だけはこちらに向けてきていた。

この時の絵里はというと、顔を真正面に有希に向けていたせいで表情までは見えなかったが、何となく有希と同じ表情をしているだろうことは想像が出来た。

それから私は何となく、こちらから見て左側にも顔を流して見たのだが、何と美保子、それに百合子までが、苦い顔では無いにしても、何だか苦笑に近い小さな笑みを見せているのだった。


何をきっかけにして急にこの妙な空気が場に流れたのか皆目見当がつかなかった私は、取り敢えず少ないヒントでも得ようと全員の顔を眺めていたのだが、恐らくこの間は数秒足らずだったのだろう、「あ、いやぁ…って」と無理やり空気を変えるがためにか、急に声のトーンを数段階上げつつ有希が私に話しかけてきた。

「あ、いや、それはともかく…で?その藤花ちゃんがどうしたの?」

「あ…うん」

と、勿論何でちゃんの私としては、何で急に言い淀んだのかその訳を知りたくて仕方なかったのだが、まぁこの場合は空気を変えることが先決だろうと、その思惑に乗っかることにした。

…ふふ、だが勿論、この疑問を後で行われるであろう雑談の中でしっかりと解消することを決心しつつだ。

「あ、でね、その藤花はさっきも紹介した中で言ったけれど、今回私たちは同じ班で一緒にずっと行動してたんだけれどね?最終日にお土産屋さんを回っていた時に、ふと藤花がこの蜂蜜屋の前でじっと品定めしているのが見えたの。横顔しか見えなかったけれど、その顔つきがあまりに真剣そのものだったから、そっと何となく近づいて話しかけたの。そしたら藤花ったら驚いてね、文句を笑顔で言ってきたんだけれど、それには平謝りをして、早速何で蜂蜜をそんな真剣な表情で見ていたのか質問をしたの」

「…」

と私の悪い癖で、もっと簡単に話せばいいものを、んー…ふふ、これを聞いたら藤花が思いっきり苦笑いをする事請け合いだが、何せそれだけ藤花の、それも少しネタバレになってしまうが芸関係の話ともなると、ついつい事細やかに覚えている当時の内容を思い出せるだけ話してしまうのだった。


まぁ…ふふ、急にお門違いも良いところな話を付け加えれば、そんな私の話に対して、この場の四人が黙って、しかも顔つきだけで判断するに興味ありげに振る舞ってくれるせいで、それについつい甘えてしまうというのもある。

絵里は当然として、美保子や百合子も勿論、そろそろ私の生態を理解し始めてきた有希ですら、目元を緩めつつ、私の持ってきたお土産だけではなく、自分たちの持ち寄ったお土産類にも手を付けながら、紅茶も楽しんでいた。

私は続ける。

「何をそんなに蜂蜜を見てるのかってね。そしたら藤花は急に悪戯が見つかった子供の様な表情を見せてね、少し言いにくそうに答えてくれたの。まぁ簡単に言うとね、ほら…ふふ、”この場にいるみんな”は知ってるだろうけれど、蜂蜜って一般的に喉に良いって言われてるじゃない?私もそう言われたから『えぇ』と返したら、そこから藤花は何だか吹っ切れた風な、何だか開き直った風な、まぁそんな感じで続けて言ったの。『喉にいいって言うし、せっかくだから自分の分と、あと…うん、私の歌の先生のぶんも買って行こうかって思ってね』」

「なるほどー、藤花ちゃんらしいっちゃらしいね。あんな天真爛漫って言葉がぴったりなのに、修学旅行中もそればっかり考えて、お土産についてもそう行動しちゃう所とかさ?」

「ふふ、でしょ?」

と私の話では無いにも関わらず、毎度の如く藤花のことを褒められると、ついつい我がことの様にテンションが幾ばくか上がってしまい、そのまま保ちつつ返した。

「でも、それと皆と何の関係が…あ」

と絵里は質問するために口を開いたのだが、途中で言葉を止めると、何かを閃いた風な表情を見せつつ三人に顔を向けた。

それを見た私も小さく微笑みつつ続けて言った。

「…ふふ、そう。まぁこんなに引っ張ることはなかったかも知れないけれど、ふとね、藤花のそんな様子を見てたらさ、んー…流石の私でもチョビっとばかり恥ずかしいのだけれど…うん、その瞬間にさ、美保子さん、百合子さん、それに有希さんの事を思い出してね?…うん、それならこれなんかピッタリじゃないかって思って買っちゃったんだ」

「…」

と私の言葉が終わってからも、すぐには誰も口を開かなかったのだが、クスッと誰かが小さく吹き出したのを合図に、一斉に皆が明るい笑みを浮かべ始めた。

「そっか、絵里ちゃんを除け者にしちゃう様で悪いけど、私たち三人って皆が皆喉に関わる芸能してるもんね」

と陽気に笑いつつまず口火を切ったのは美保子。

「…ふふ、確かにね」

と相槌がわりに微笑むのは百合子だ。

「美保子さんみたいなシンガーだけじゃなく、私たちみたいな舞台の人間だって喉は大事だもの…ね?」

「あはは、そうですね」

と声を掛けられて明るく笑い返すのは有希。

「いやぁ、自分でも買いますけど、こうして蜂蜜だとかプレゼントして貰うと、すごく嬉しいですよねー」

と有希は言い終えると、今度はギュンと勢いよくこちらに顔を向けたかと思った次の瞬間、ニコッと目を瞑りつつ言った。

「あはは、てなわけで…琴音ちゃん、今までのも含めて、まさに欲しかったお土産ばかり買ってきてくれて、ありがとね」

「あ、いや、まぁ…はい」

と有希の勢いに押されつつタジタジになってしまったが、勿論嫌な気などさらさら起きずに、最後は私からも微笑みつつ返した。


それからは改めて絵里も混じってのお礼の言葉を色んな方向から受けることになってしまったが、その流れのままに、話は私にとって妙な方向へと向かって行った。

「しっかし、流石の琴音ちゃんだなぁ。ふふ、ここまで一人一人渡す相手のことを考えてまでお土産選んだ事ないよー」

とまず絵里が口を開く。

「あはは、確かにそうだねぇ。本当にそこまで世話になったりした相手だったらするかもだけれど」

と有希が後に続いた瞬間、「いや先輩、世話になった相手だったら、そこは”するかも”じゃなくて、しましょうよ」

とすかさず絵里がツッコミを入れた。

「あははは」

と有希は突っ込まれても明るく笑い飛ばすのみだったが、そんな中、斜め向かいに座る美保子が、この場の雰囲気を思いっきり味わうかの様に、両肘をテーブルについて、両手で顔を支えるような態勢を取りつつ口を開いた。

「いやぁー、本当にねぇー?…あはは、この私たちへのお土産のチョイスだけでも、どれだけ普段から私たちの事を見てくれてるのか分かるってものよねぇ」

「あ、いや…」

と、この流れは毎度毎度の事なので、またこうして褒められるのが根本的に苦手にして、繰り返されてきた流れだというのに、今だにこの歳になってもどう返せば良いのか途方に暮れるばかりの私が、それでも反論を言いたい意思だけはある風に口を開くと、ふとここで隣から、これだけ変に盛り上がっている中だというのに、その品のある特徴的な微笑が溢れるのが耳に入ってきた。

顔を向けると、言うまでもなくそこには百合子が座っているわけだが、その顔には先ほど聞こえたのを証明するかの如く、しっかりと微笑を湛えていた。

…いや、やはりというか、その薄幸にして、それ故に色っぽい笑みの中に、若干の悪戯心が垣間見えていた。

「…ふふ、そうね。…ま、私たちにもそうだけれど、琴音ちゃんはこの歳にして、周囲の外面から内面に至るまで…ふふ、まるでエスパーか何かの様に、痒い所というか、是非触って欲しい所に、ピンポイントに手を伸ばしてくれるんだからねぇ…ふふ」

とここで百合子は一旦区切ると、目をスッと細めつつ続けて言った。

「…そんなところも、やっぱり…ふふ、似てるんだねぇ」

「あ、百合子さん、いやらしぃー」

と百合子が言い終えた直後、斜め向かいから有希がニヤケながら口元を手で隠しつつ、ツッコミ(?)を入れていた。

「へ?い、いやら…し?」

と、ついさっきまでは、これは想定外だったが、百合子が不意に長々と、すぐ隣で私がいるというのに、またよりによって妙な褒めてきかたをしてきたのを聞いた私は、最後に勿体ぶって付け加えた内容を含めて、それこそどうツッコミを入れようかと思いを巡らしていた。

だが、不意に脇から有希に先をやられたのと同時に、その内容が飲み込めない類のものだったので、それまでの考えがすっ飛んでしまい、今の有希の発言の意図が一体どこにあるのか、一体どういう意味なのかを真剣に考え込み始めてしまった。

「え?…ふふ、何言ってるのよ?」

と、そうこうしている内に、百合子が呆れ顔で笑いつつツッコミ返してすぐに話が流れてしまったので、質問する機を逃してしまった私だったが、だがまぁしかし、有希には悪いが…ふふ、何となく大した中身は無いのだろうと、そう、イソップ寓話の『狐と葡萄』もしくは『すっぱい葡萄』の中の狐のように判断し、そのまま別の話題についていく事にした。


…っと、何はともあれ、またこうして私を冷やかす流れが出来てしまった点などから、んー…ふふ、予想していたとはいえ、こんな事ならお土産を買ってこなければ良かったと…ふふ、ほんの一瞬だけ思いはしたのだが、それと同時に、思惑通りというか、何はともあれ喜んでくれたのにもホッとしたのと同時に嬉しかった。

だが、それは奥面にも出さないように気をつけつつ、顔一面に苦々しげな、呆れてる風な、時には苦笑を交えつつ、皆との会話を楽しむのだった。


そのまま話は、んー…ここで自分で言うのは馬鹿馬鹿しい事この上ないのだが、修学旅行についての具体的な内容に向かった。

その流れの最中、私はおもむろに一旦しまっていたスマホを取り出して、テーブルの中央に置いた。

そして、その中に保存されている幾多の…って、あくまでも私基準だが、旅先で撮ってきた写真の数々を解説入れつつ見せていった。

…まぁスマホサイズというのもあって、幾ら中央に置いたといっても画面のサイズ的に致し方なく、”初めのうちは”私含む皆して若干腰を浮かしつつ前のめりになり、お互いに頭を近付けつつ上から覗き込んで見ていた。

だが、ほんの少しばかりしてだが、確か有希だったと思うが、

「…ふふ、あはは!何もこんな一人のスマホを皆で覗き込まなくても、ほら、私たちってSNS内で同じグループ組んでるんだから、そこで共有すれば良いじゃない?」

という、今から思えばごく当たり前の提案をされた私たちは、それでも当時は良い提案だと声を上げて、私は私で早速そのグループに次々と写真をアップしていった。

んー…ふふ、この中で圧倒的に若い私が、真っ先に気付かなくちゃいけないってツッコミは無しでお願いします。


…さて、それから間を置かずにして、それぞれが口々に声を漏らしつつ、感想を次々と述べていった。

「あー、懐かしいー!ほらほら、見て見て絵里、私たちの時にも行ったお好み焼き屋さんより、綺麗な所に行ってるよ?琴音ちゃんだけズルーイ」

とスマホ画面を一度絵里に向けてから、有希はこちらにも向けてきた。写っているのは、おばさんを挟んで、エプロン姿の私と紫がコテを持っているものだった。背後に辛うじて店内も写っている。

「ふふ、ズルイって言われても」

と私が返すのと同時に絵里が加勢してきた。

「そうですよ先輩。…ってか、先輩、『ほらー』って言われたって…ふふ、私と先輩は当たり前ですけど、別々に行ったじゃないですかー?…学年違うんだし」

と一旦溜めてから付け加えて絵里が言うのを聞いた有希は、大袈裟に顔をそっぽに向けたかと思うと、口調も拗ね気味に言った。

「あー、それ言うんだー?…もーう、絵里は何だか年取ってから細かい性格になっちゃったんだねぇ…先輩悲しい」

「…ふふ、何ですかそれぇ?」

と絵里が苦笑交じりに突っ込むと、他の私たち三人で微笑ましげに眺めつつ笑うのだった。


それからは、私がまず順々に日程通りにアップしていったので、自然と初日から皆が同じように写真を見ていっていた。

平和記念公園でも数枚撮ったのだが、それはまたもや絵里と有希が懐かしがるのみで、すぐに通過となった。

…ふふ、こう言ってはなんだが、予想通りというか美保子と百合子の二人は、そんな二人に対してただ相槌がわりに笑みを零すのみで、これと言った感想を述べなかった。

それが何だか個人的には想定内すぎて、我ながら変だと思うが、ホッとしたとでも言うのか、それに近い感覚を覚えていた。

結局は初日の写真で皆で盛り上がったのは、例の平和記念公園脇のビルの中、屋上で撮った夕景についてだった。

このビルは当時にはまだ出来てなかったというので、絵里と有希は自分たちが行けなかった事について不満を漏らしていたが、これに関しては美保子も百合子も興味を示し、「ここに”は”行ってみたいね」と意味深な言葉を口にするのだった。

そのまま間を置く事なく二日目に進んだ。博物館内も一応”テキトー”に写真を撮りこそしたのだが、その写真から私のその時の心境も汲み取ったのか、特に盛り上がらずに他の皆は例外なくサッサッと流していった。

だが、ふと皆一斉に手を止めたので、何かと思って見せてもらうと、そこには、私と律があの鐘の近くに立って、まさに今鳴らさんとする瞬間…風な姿が写っていた。

「これなーにー?」

と、美保子と有希から二人同時に質問をされたのだが、当日の事を思い出した私が一人苦笑を漏らしていると、代弁するかのように絵里が口を開いた。

「…あー、この子はアレですよ。琴音ちゃんの友達の一人で、確か…そうそう、りっちゃんって名前の子です」

「りっちゃん?」

「…って、あ、えぇ、そうだよ」

と、最初は話しかけられてるのに気づかずにスルーしていたのだが、ふと視線を感じたので見ると、美保子と有希が同時に顔を向けてきていたので、すぐには調子を戻せないままに答えた。


…っと、ここでちょっとした補足を述べるが、この通りというか、絵里は勿論あのコンクール決勝の場で律と会っていたのだから、知っていて当然だ。まぁ、それからはまだ会う機会は出来てない中でも、こうして思い出せた事だし、絵里について触れることはない。

では何に触れたいのかと言うと、そう、この場合は、まだ私自身とこのメンツの中では付き合いの浅い有希はともかくとして、美保子と百合子には話したことが無かったのかということだ。

結論からすると、まだ無かった。さっきもチラッと触れたように、二人は私の口を通して藤花の事は既に知っていたのだが、まぁ…あまり聞かれた事がない上に、私から学園生活についての話をする事がほとんど無かったせいで、ここまで律…だけではなく、紫や、言うまでもなく麻里の存在も知らないのだった。


因みにというか、何故か裕美とヒロについては私から話す前から二人は知っていた。名前こそ知らなかったが、私に小学校時代からいつも連んでいる男女が一人ずついる点についてはだ。

数奇屋以外の外で二度目の再会を果たしお茶を飲んでいた時に、雑談の中で不意に裕美とヒロの話が美保子の口から飛び出した。

当時の私としては、大袈裟に聞こえるかもだが心臓が口から飛び出るのではないかと思えるほどに驚きつつ、それでも素早く何故知っているのかを問い掛けると、美保子と百合子は意味ありげにアイコンタクトをした直後、どちらからともなく笑い合い、その後で美保子が答えてくれた。

まぁ…ふふ、こんなに先延ばしにしなくても良かっただろう。何せ誰がどう見てもネタ元が誰だか見当がつくからだ。

そう、その情報源は義一だった。なんでも私たちが再会した小学五年生時あたりから、よく聞かされたらしい。

「…でね、何かにつけてあなたの話をしてくれたんだけど、その中身の一つに、『自分はまだ男の子の方しか会った事が無いんだけれど、同い年の仲の良い男女の友達がいるらしくてね、とても楽しそうに話してくれるんだ』ってね、そう話す自分自身がさも嬉しげに愉快げに話してくれたのよ」

…との事だった。

さて、毎度のように話が脱線し過ぎてきたので軌道を戻そう。


それからは軽く律について説明をした後で、そのまま何でそんな写真を撮る事になってしまったのかを説明したのだが…うん、これがまずかった。

口に出した途端に気付いて咄嗟に噤んだのだが、遅かった。

「へぇー、そんな写真を期待される程に琴音ちゃん、あなたは同級生たちに担がれてるの?」

とまず先制パンチを美保子からもらった。

「あ、いや…」

と私が何とか事態の打開を図ろうと、何でも良いから言葉を口に出そうと齷齪している間、美保子のそんな物言いに、百合子は小さくウケつつ紅茶を啜っていた。

それを尻目に何とか頭を巡らせていたのだが、時間が経ちすぎたのか、案の定というか、この手の話で黙っているはずの無かった一人が、さも愉快だと良いだげな表情で口を開いた。言うまでもないだろう。絵里だった。


んー…昔はそれでも何とか実際の会話などの内容に触れてはきたのだが、この歳になると…って、まだお前は中学生じゃないかと年輩から突っ込まれそうだが、それはともかく、今回だけでもかなり恥ずかしい中身を述べてきたつもりなので、ここでの過剰なほどに褒めちぎってくる絵里の話す内容は、本当に省略して触れるのみにするのを許して頂こう。

毎度毎度の事と同じだ。まず絵里は、自分の判断として、おそらくこの場では有希だけが実際に知らないと踏んだのだろう、私を介して仲良くなった裕美についての紹介から入った。そのまま絵里は、続けてその裕美から、小学校時代ですらそうだったが、学園に入学してからも『お姫様』として一目置かれているといった話をし出したので、口を挟まないわけにはいかない。

「いやいや、絵里さん、あのねぇ…その裕美の話は殆ど全て間違っているんだってばぁ」

「ほとんどー?」

と、ここですかさず美保子がツッコミを入れてきた。ニヤケ顔だ。

「そ、そうだよ」

と私はそういった細かいツッコミに返す余裕が無くなっていたので、それには取り敢えず適当な返しをしといてから、また絵里と有希に顔を戻して続けて言った。

「ひ、姫だなんて小学校の時も言われた事ないし、そ、そのー…学園でだって無いよそんな事」

「えー?そうなのー?」

と絵里は目を細めつつ、しかし口元をニタニタさせながら口を挟んだ。

「私はその後で、裕美ちゃんだけじゃなく、ほら、あのコンクールの時に他の子達からも、そう呼ばれてるって聞いたよー?」

「…あ」

と、この時に今更ながら思い出した。そう、あのコンクールの時の記憶としては、当然本番の中身ばかりが強烈に鮮明に残っていたので、それ以外の記憶、つまり、空き時間だとか、その前後で話した会話などの中身などは、冷静に腰を落ち着けてジックリと探らないと思い出せないのが常だったのだ。

だから、こうして絵里にニヤケ顔で言われて思い出した私は、思わずハッとしながら短く声を漏らした次第だった。

だがここで黙ってしまっては、今日まで私が学園内の”極一部”とはいえ、ただの冷やかし揶揄いとはいえど、姫様呼びなどされてるという事実を知る人間が、これ以上増えるのを恐れていた私が、こうして必死になるのは仕方がない…だろう。

「い、いや、だってあれだって、裕美がそんな事を言いふらした事から始まったんだし、それに…うん」

と、そう気負っては見たものの、この時に不意に一同を見渡したのだが、その皆の顔に浮かぶ表情を見て、言うなれば戦意を喪失してしまった。

何故なら、四人共に私に向けて目元を緩めつつ微笑んできていたからだ。

さっきまでのようにニヤケ顔ばかりだったら、反骨精神が芽生えて何とかしようとする意欲が湧いてくるというものだったが、こんな風に見守るかのような笑みを向けられたら、折れない訳にはいかないだろう。


と、それでも最後の反抗にと、恨みがましげな視線を向けたのだが、それを受けた絵里は一度声を上げて笑ってから、不意にテーブルに投げ出していた私の手に軽く触れつつ口を開いた。

「あはは、ごめんごめん。もうこの辺にしとくからさ?…ふふ、機嫌直して、ね?」

「もーう…まったく」

と私は不機嫌風を保とうとしたのだが、これも毎回の事だが溜息を吐くのと同時に、我知らずに笑みを漏らしてしまうのだった。

それからフッと、実際に眺め回したわけでは無いので、皆がどんな表情を浮かべていたのか知る由もないが、しかし場の空気が和やかになったのを肌感覚で感じていた。

取り敢えずこの場では、少なくとも美保子と百合子から揶揄われる心配は無さそうだと、何となく察して安堵していたその時、「…ふふ、でもさ、絵里ー?」と有希が、先程まで私に向けてきていたのと同じ類のニヤニヤ顔を…いや、そのニヤニヤ度合いを数段階強めた表情を浮かべつつ、絵里に話しかけた。

「色々と琴音ちゃんの事を言ってたけどさぁ…まぁ確かに、この子は見るからにお姫様然としているけど」

「ふふ、もーう、有希さんまで」

と私が口を挟むと、こちらに向けてただニコッと悪戯っぽい笑みで返してから、また顔を絵里に向け直して続けて言った。

「絵里…あなただって大概だったじゃない?」

「…へ?」

と、急に何を言い出すのかと言いたげな顔つきで、絵里が気の抜けるような声を漏らしていたが、それには構わずに、ますますニヤケ度合いを強めつつ有希は続けた。

「だって…ふふ、あなただって学園時代に、厳密には姫じゃ無かったと思うけど、姫的なアダ名を他の生徒達から付けられてたじゃなーい?」

「あ、そうなのー?」

と私は急に元気を取り戻すと、さっきの仕返しとばかりに水を得た魚といった感じで、有希に負けず劣らずのニヤケ顔で絵里に声をかけた。


「い、いやぁ…そうでしたっけ?」

と、視線だけ私に流しながらも惚け調で返す絵里だったが、尚も有希は攻撃を緩める様子が無かった。

「そうだったでしょー?もーう…ふふ、琴音ちゃん、あなたの反応や、今の絵里の反応を見るに、こんな話を聞いた事はまだ無いみたいだね?」

とニヤケつつ聞いてきたので、「はい、なので是非聞かせてください」と私も同じタイプの表情を浮かべて返した。

「ちょ、ちょっと琴音ちゃーん?」と絵里が参り顔でこちらに声をかけてきていたが、それに対してただ微笑む私に向かって、有希は話を続けた。

「…ってまぁ、そうは言っても、実はそんなに話す内容もないんだけど、要はね、ほら…絵里が私と同じ演劇部だったっていうのは知ってるでしょ?…ふふ、そう、その話は絵里が言ったのが正しい。うん、私が廊下で絵里とすれ違った時にね、あまりにも可愛いし、また、日…あ、うん、日舞をやってたせいもあったのか、歩き姿も他の子と比べても全然違ってて、私の目には目立っていてね、思わず声をかけちゃったんだ。そう、いわゆるというか、スカウトそのものね」

「ちょ、ちょっとセンパーイ…」

「…ふふ」

…まただ。今度は有希さんか…。何でそんな何でも無いところで一度言葉が詰まったりしてるんだろう…?

と何だか引っ掛かった私は、そう疑問を持ったのだが、その疑問を解消する前に、言っては悪いが有希の話を聞きながら絵里がアタフタしている姿が可愛らしくて、今は流してしまってもいい気になっていた。

「でね、それから絵里は入部してくれたんだけど…ふふ、そこでね、何度か全校生徒の前で演劇をしたんだけどさ、その中で毎回絵里が演じる内容が大きかったと思うんだけど、暫くして他の学園生たちから姫って呼ばれるようになったの」

「せ、センパーイ…その話はもう、この辺で…」

と絵里はますますドギマギしながら、何とか有希の口を塞ごうと画策していたが、そんな様子をニヤニヤしつつ見ていた私が構わずに先を促した。

「それって、具体的にはどういった事なんですか?」

「うんうん、どういう事?」

と私の後で、ここまであまり関わり合いの無い内容が続いたためか静かに笑みを顔に湛えつつ聞いていた美保子が乗っかってきた。

「…有希、続けて?」

と百合子までが続く。

「もーう…百合子さん達まで…」

と心底参った様子を見せている絵里の顔には苦笑いが浮かんでいた。

それを見た私たちはクスッと小さく笑うと、有希はまた話を再開した。

「少し話が逸れちゃうかもだけど…ほら、私たちの学園って言うまでもないけど女子校でしょ?でさ…まぁ無いこともないけれど、あまり登場人物が女だけって事は無くて、普通は当然男も出てきたりするものでしょ?それでね、まぁ男の役というのは誰もね、他の学校ではどうかは知らないけど、私たちの当時の部内では、あまり演りたがる子がいなくてね?それで部長でもあった私が男役を引き受けてあげてたの」

「へぇー…って、有希さん自身は男を演じるのは嫌じゃ無かったんですか?」

と私が聞くと、有希は目をぎゅっと瞑るように一度笑ってから答えた。

「うん!まぁ今さっきは引き受けてあげた…なんて言い方しちゃったけど…ふふ、実は私は一人で演じるのに楽しんでたんだよ。…おかげで、自分で言うのも何だけど芸の幅も広がったし…んんっ!」

とここで不意に有希は、喉元に手を当てて一度大きく咳払いをすると、ニヤッと一度笑ってから口を開いた。

「…こんな風にね」

と、これは字面では到底伝わらないだろうが、突然有希の口からドスの効いた低音ボイスが出てきたので、「おー」と、私、それに美保子の二人が同時に声を上げた。

「へぇー、凄いですねぇ」

「ホントホント、普段とまったく違う、まるで別人てか男みたいな声ね」

と、私たち二人が口々に感嘆からくる感想を返している中、百合子が小さく笑いながら口を開いた。

「…ふふ、本当に有希は器用よねぇ」

「あはは、ありがとうございます」

と有希は途端に普段のトーンに声を戻しつつ返した。

「んー…っと、あ、うん、でね、グググっと話を戻すと、当時によく演っていた演劇というのがね、中世の話というか、まぁ簡単に言えば王子様とお姫様の恋愛話が多くてさ、それで私はいつも王子的役してて…で」

とここで一旦意味深に区切ると、顔は私に向けつつ、視線だけ絵里に方に流しながら続けて言った。

「…お姫様的役柄を毎度毎度演じて、私の相手を務めていたっていうのが…ここにいる絵里だったってわけ」

「…あー、それで姫ってあだ名が付けられてたんだ?」

と、私はまたふと思いついて、ニヤニヤを意識的にしつつ声をかけると、「あ、ま…んー…いやぁ…」と絵里は思いっきり困り顔をしつつ、終いには笑うしか無いといった様子を見せていた。

「なーんだ…ふふ、私はただの濡れ衣だけれど、絵里さんの場合はキチンと呼ばれる理由があるじゃない?」

「こ、琴音ちゃんってばぁ…」

と絵里は心底納得いってない風な顔つきを向けてきていたが、しかしやはり苦笑いは浮かべたままだった。

その間は、他の皆で私と絵里のやりとりを和かに眺めていたのだが、不意に絵里が突然何かを思い出した、もしくは思いついた表情を表に出すと、顔中にうんざりげな雰囲気を滲ませつつ有希に声をかけた。

「…というか、先輩?先輩こそ、そこまで私の事を色々と言える立場なんですかー?」

「え?それってどういう意味ー?」

と有希は惚けた調子で返していたが、その瞬間、絵里はため息を一度吐くと、その後味を顔に残しつつ続けた。

「どういう意味って、そのままの意味ですよぉ…だって先輩…ふふ、仮に私が姫と呼ばれてたとしたら、先輩だって王子って呼ばれてたじゃないですかー?」

「…へ?」

「…あら、そうなの?」

と、今まで静かに微笑みを浮かべていた百合子が口を挟んだ。意外だったのもあり、ついつい左に顔を向けると、そこには珍しく、ニヤケ顔を浮かべる百合子の姿があった。

そんな百合子の反応にいち早く反応した有希は、「あ、いやぁ…」と今日一の照れ笑いを浮かべつつ、頰を掻いて見せていた。

「…あれ、そうだった…け?」

と、辿々しいながらもそう聞き返す有希に、「そうですよぉ」と、絵里は絵里でジト目を向けつつ返した。

「私はまぁ…はい、あ、いや、ていうか他の皆がやりたがらないというか、消去法でいつも私がお姫様的な役柄を演じる事が多かったっちゃあ多かったですけど…先輩だって、さっきして見せた男声を含めた演技の内容なりなんなりと…ふふ、だってね琴音ちゃん」

「へ?あ、うん、なに?」

と突然話を振られたので、準備をしていなかった私は妙な応対をしてしまったが、それには取り合わずに絵里は、不意に私のそばに体を寄せると、内緒話する風に私の耳元に手を当ててきながら、視線だけバッチリと有希に向けつつ言った。

「先輩ったら本当に王子だったよー。だってね…ふふ、女子だっていうのにさ、先輩は同性の女子生徒からラブレターを何通も貰ったことがあるんだから」

「あ、ちょ、ちょっと絵里ー?」

「ふふ、そうなの?」

と私も、何だか乗っかって良いものか、本人がどう思うかは別にして、少し躊躇いはしたのだが、しかしまぁこれも礼儀(?)だと思い、こうしてしっかりと乗っかりつつ、絵里にも向けた表情を有希にも向けた。

と、絵里の話を聞いて、今年の四月、学園近くのまだ桜の残る公園内で屯していた時に、ふと律の姿を見つけて駆け寄ってきたバレー部の後輩だという彼女のことを思い出していた。

「余計な事を言わないでよぉ」

と、先ほどまでの威勢は何処へやら、すっかり先ほどの絵里と同じタイプの顔つきを見せていた有希が膨れて見せつつ返すと、

「それはこっちのセリフですぅー」

と、絵里は絵里で、もうこれ以上無いってほどに幼児化して見せつつ、同じようにほっぺを膨らませていた。

それを見た有希は、一瞬ハッとした様子を見せたが、その直後には、絵里とまったく同じように返してきて、そこから二人は非生産的な同じやり取りを繰り広げ始めた。

私は私で、矛先が大分前からだが外れたのに安心して眺めていたのだが、そろそろ飽きてきたその時、

「あはは、まぁまぁ」

とここで見かねたのか美保子が両手を使って宥める風な動作をしつつ口を挟んだ。満面の笑みだ。

「もうね、二人ともどっこいどっこいって事なのは…ふふ、よーく分かったし、ね?百合子ちゃん?」

と美保子が最後に話を振ると、百合子はすぐには声を発しないで、一度ゆったりとした動作で、私、絵里、有希の順に顔を向けて行った。

「…琴音ちゃんと、そのー…ふふ、律ちゃんみたいなものかな?」

と語りかけるように口を開いた百合子に、私はその態度を含めた様子に対して、これといった相応しい反論を思いつけなく、結局はただ何となく苦笑で返すのみだった。

そこからはまた私と律の話に戻り、時折、絵里と有希ペアの話も挟みつつだったが、王子と姫様云々の話で暫くは盛り上がり続けた。


…さっき律の紹介を絵里を除いた皆に向けてしたわけだったが、今さっき有希が披露してくれた男声を聞いた瞬間に、自分で察せなければいけなかったなと、この時点で同時に反省していた。

なんせ、私自らの口で、律も宝塚の男役ばりに程よく低音の効いた声だと説明してしまったからだ。なので、このように関連づけて囃されるのは簡単に想像できる事なはずだったが、まぁこんな展開になるとは思っても見なかったし、律のことは私がしなくても絵里が説明したかも知れないし、んー…それらを置いといたとしても、現実は事実として仕方ないなと、諦観に近い心境のまま甘んじて受け入れるのだった。


「今まではごまかせてたけど、こうして学園生時代を知ってる人が身近になると、こんな風にあっという間にバレちゃうんだなぁ…」

と、またようやくというか、私がこのグループのSNSに載せた修学旅行の写真群を参考に思い出話、お土産話に戻ろうというところで、絵里がそう独り言ちて見せると、「あはは、本当ねぇ…」と、有希は有希で、自分のスマホに顔を落としてはいたが、から笑いを浮かべつつ目だけは斜め向かいの百合子へと向けていた。結果的に上目遣いだ。

私はそれに釣られるように何となく脇を見てみると、百合子も軽く同じように顔を俯けつつも、小さな微笑を浮かべるのみだった。

それを見た私も自然と笑み浮かべつつ、

「ふふ、そんなの分かりきってた事じゃない?」

と、”どっかの誰かさん”を棚に上げて最後はニヤケつつ口を挟むと、「あはは、違いないわね」と明るく笑いながら続く美保子の言葉を受けながら、絵里と有希は顔を見合わせては”しかめ笑い”を浮かべあっていた。

そのまま間を特に開ける事なく、これが自然と言わんばかりに”本当に”話が本線へと戻って行った。


話は続きというか…ふふ、もうお忘れかも知れないが、例の海辺の公園で、麻里を中心とした皆に頼まれて、私が彼女、律が彼氏役で鐘の元で写真を撮られた訳だったが、その中身について補足的に少し話した後、一度からかったというので満足したのか、この時は無事にスムーズに通過となり、その後の修学内容について簡単に触れていった。


それらを流してから、二日目の最後、ディナークルーズ船でのテーブルマナー講座を受けながらフレンチを食べた事を、それも写真を見ながら私が触れ始めたその時、ここでまた一つの盛り上がりを見せ始めた。

「へぇー、流石お嬢様校は違うわねぇ」

と美保子が早速悪戯っぽく笑いながら言った。

…ふふ、何を今初めて知った風に…行く前に美保子さん、あなたにも粗方の内容を話してたでしょうに…

と私はすぐに心の中で突っ込んだが、しかしそれをそのまま口にするのはやめにした。

何故なら、ツッコミを入れても当然良かったのだが、

「あなた達二人の時も、こんなお嬢様なマナー講座を受けていたの?」と、美保子が質問…いや、ただ冷やかしたいだけだろう、そう声をかけると、さっきの件をまだ引き摺ってるのか、絵里と有希がバツ悪そうにして見せつつ、写真を眺めながら、どれだけ当時と共通点があるのか答えていき始めており、そんな二人の様子を見て、私は何だか満足してしまったからだった。

と、そんな様子を私が顔を緩めつつ眺めていたその時、ふと今度は美保子が私に話しかけてきた。

「…って、あれねぇ…こうしてフレンチの講座を折角受けたのだったら、近いうちに数奇屋に行く予定になってるけれど…ふふ、今のうちにマスターに話しておかないとね?…『そういう訳だから、今度はマスター、あなたの専門だったフレンチのコースで統一してよ』ってさ?」

「あら、良いわねぇ」

と美保子が言い終えた瞬間、百合子もテーブルにふと肘をついたかと思うと、顔を手で支えつつこちらに顔を向けてきながら言った。

「…え?あ、いや、それはぁ…」

と、私は私で、美保子の話が途中だった時点で既に頭の中でその光景をシミュレートして見たのだったが、寡黙なマスターの前で、よく言って良い加減な、修学旅行の一時だけで身につけた付け焼き刃など、すぐに剥げ落ちてしまって場を白けさせるのが途端に思い浮かんでいたので、こうして口籠もりつつ、しかし折角の提案というのもあって、はっきりと反対することも出来なかった。


…と、ここで意図せずに美保子が話してくれたので、ただの繰り返しになってしまうが改めて触れると、そう、私は今月、つまり六月中に数奇屋を訪れる手筈となっていた。勿論その時が、お父さんとお母さんが区内の医者仲間同士でいく、月一の研究旅行と言う名の慰安旅行に、土日を使って一泊二日で行く日程と被ったので、お誘いも同時に貰ったのもあり、当然私は喜んで行く約束を取り付けていた。


因みにこの慰安旅行は、実は今年に入ってから顕著だったが、「お前も来るか?」とお父さんから打診されるようになっていた。それも毎月、そう、タイミングとしては、いざ行くとなった一週間前などでだ。

初めて聞かれた時は、驚いて理由を聞き返したのだが、それに対してお父さんが素直にすぐに答えるのには、本当に軽くだが今までも触れてきたように、私もお父さんの”社交の場”に何度も顔を出すようになっていっていた中で、こんな事を言っては何だが事実として、私としてはそんな気はサラサラ無かったのだが、あの場にいる他の大人達はすっかり私と顔見知りになっていた。

…いや、むしろあの狭い社交界の一員として、場にいるのが相応しいと私を見做すくらいに、あの場の常連の大人達が…認めて”くれた”らしい。

彼らから、『別に本人が望むなら慰安旅行に同伴してくれても構わない』『いや、むしろ華やかになりもするし、是非にでも頼んでみてくれないか?』…などと、お父さんは聞かされて提案されたとの事だ。

そんな会話内容まで含めて聞かされた私は、『どうする?』と続けて聞かれたので、一旦頭の中で整理することにしたのだが、この時ふと昔のことを思い返していた。


…そう、私が初めてお父さんの社交界に出た時に、その場にいた連中…と敢えて言わせて頂くが、その繰り出される会話の内容の無さ、その場にいて表情変えずに同じように会話に交じる父、そして二次会での親しい仲間同士との間での、方向性こそ一次会とは違っても同じ意味で内容が全く無い会話の数々、そんな程度なのに、あれだけ沢山の内容を身体一杯に蓄えていて、それ故に一つ一つの会話、言葉の内容が濃い義一に対して、馬鹿にし、毛嫌いし、憎んでるようにしか見えない様子を見せている”父”への憤りを噛みしめながら、自然と色んな意味が込められた大粒の涙を流しつつ、一人地元の駅前からトボトボと帰路についていた暗い路地裏…などなどだ。


なので、どうせまた、ただ単純に、その旅行に同行したところで、良く言って、ガッカリしてうんざりするだけだろうと、想像に対して感想を持った私だったが、しかしやはり持ったが病と言うのか、そうは言いつつも経験してない事に対する好奇心が湧いてきていたのも事実で、しかもその欲求を堪えられるほどに堪え性のある私では無い故に、結局は断りはしたし、それ以降も断り続けて今日なのだが、しかしいつかタイミングが合った時は是非行きたいと、その意思だけは伝えておいてあった。


…っと、何だかまた無駄に長い回想と言うか話が脇道に逸れてしまったので戻そう。


そんなあやふやな態度しか見せないでいる中、ふとここで視線を感じたので美保子から顔を逸らすついでに見ると、そこには思いっきり顔を顰めつつ、しかしやはりと言うか笑みも同時に浮かべる絵里の姿があった。

「もーう…またあそこに行くのね?」

と絵里が言うので、「ふふ、えぇ、まぁね」と、私は逆にギャップをわざと付けようと無邪気に笑って見せつつ返した。

「まったく…ふふ、そんなに頻繁に出入りしていたら、益々ギーさん度合いが強まってっちゃうじゃないのぉ」

と絵里が呆れ口調で言った次の瞬間、

「あはは、絵里ちゃんってばぁ…」

と美保子がすかさずツッコミを入れた。含み顔だ。

「そのお店の常連というか、そこで屯している私たちが目の前にいるってのに、そんなはっきり言わないでよ?」

「ふふふ…」

と、美保子のそんなイジけた風な雰囲気と口調を聞いた瞬間、百合子が思わずと言わんばかりに笑みを零す。

…ふふ、これも私たちのladies dayの中の会話では、しょっちゅう繰り広げられてきた内容だった。

数奇屋に行く事を、自分で言うのも何だが嬉々としている私の様子を、ため息交じりにツッコミを入れる絵里に対して、こうして美保子が横槍を入れて、それら流れ全てに対して百合子が笑みを零すまでがだ。

この後の流れも、具体的中身こそ台本がある訳じゃないので言うまでもなく違うが、大まかに見て同じだ。

「…そういえば絵里?」

と有希が絵里に声をかける。

「そんな事を言う絵里だってさぁ…ふふ、そのギーさんとやらの色男と、百合子さんたちが集まるお店に行った事あるんでしょー?」

「あ、いやぁ、まぁ…そうですけどぉ」

と絵里は、まるで軽く叱られた子供の様に、少しむくれて見せつつ返した。勿論演技だ。

「ふふ…」

と、その間に有希の『色男』発言に私は一人受けていた。

というのも、こんな細かい事まで覚えておられる方はいないだろうが、そう、初めて絵里の部屋で裕美を含めた四人で集まった時に、ふと義一の話になった事があった訳だがその時に、裕美が例の花火大会の時の写真を見せてきて、そこに写っていた浴衣姿の義一を見て、有希は”色男”と、あだ名と呼べる代物なのかはともかく、そう呼んだのだのだった。

それ以降、何かにつけて、こうして美保子や百合子も混じるようになってからも、有希はまず第一声は間違いなく”色男”と呼ぶのだった。


因みにこの時点では、まだ有希は義一と会えていなかった。

…ふふ、話し下手な私のせいで、これもずっと疑問に思っておられた方もいるかも知れない。

何故なら、さっきも触れた、裕美を入れた四人でワイワイお喋りを楽しんでいた時に、有希は義一を知らない風だったのは案内の通りだったのだが、”それが何故なのか?”と思われただろうからだ。

それをこんな章をいくつも跨いでから説明するのを許して頂きたい。

…ふふ、さて、説明する前に、念のために何故そんな疑問を持つ事になってしまうのかという整理をさせていただこう。

そのわけは例のマサ、百合子、そして有希の劇は当然の事ながら、義一も劇場に足を運んで観劇したはずだったからだ。その時にもマサ自身が終演後の楽屋で私に説明してくれたように、千秋楽に義一は武史と一緒に来るような旨を伝えてくれてもいたので、ずっと頭に引っかかっていた方もいたかも知れない。

そう、私たちですら楽屋に案内してくれたのだから、比べ物にならないほどに付き合いの深い義一達二人を招待しない訳がないと思うのが自然で、その時に当然有希と顔を合わせて自己紹介をし合うのも極々自然な流れだと思うだろうからだ。

しかし…そう、見ての通りというか、聞いての通り現実にはそうはならなかったらしい。

というのも、マサが話してくれたように二人は千秋楽に観に来た事には来たようだが、武史はそのまま楽屋に伺ったらしいが義一だけは、そこで別れて一人で一足先に帰ってしまった…と、ここまではマサ、武史、それに百合子と、別々に話を聞いた。

それを聞いた直後は、そんな行動をとった義一が変だと感じ、まず三人に理由を知ってるか、何でちゃんの面目躍如の勢いで質問を飛ばして見たが、三人ともに別々に聞いたというのに、三人ともが反応が似通っていた。

何といえば良いのか…そう、まぁ簡単に言ってしまえば「知らない」と笑顔の一点張りだったが、今思えばその笑顔がどこと無く裏に何かを含んでる風だったのに後で気づく始末だった。

ラチが開かないと、話を聞いた後で真っ先に今度は本人に直接だと、義一に理由を聞いて見たのだが、やはりというか…うん、ここでも三人と同じように含み笑いを浮かべるのみだった。

んー…いや、これを言うと誤解が生まれそうではあるが、素直に言えば、他の三人よりも今まで時間的な積み重ねもそうだが、何よりも議論や雑談などのちょっとした会話などを含めて濃厚な時間を宝箱などで過ごしてきた経験から、他の三人の時とは違い、流石に義一が出す違和感には敏感に察知出来た。

その時に私の事だからすぐに噛み付いたのだったが、そこは義一、真剣かおちゃらけか関係なく、大体においてはすぐに答えを返してくれるというのに、ここばかりは数少ない例外というのか、最後まで答えてくれなかった。

これは後々で、義一が本を出版するという話を聞いた直後…というほど直ぐには察せれなかったが、少ししてから思い返した時に、観劇後に楽屋に寄らずにすぐに帰ったのは、この本の事が関係しているのだろうなぁ…と、今この時点でも結局聞けずじまいなので真相は闇の中だが、おそらくそんな所で間違ってないだろうと自分では納得していた。


さて、ことのついでと言うか、経験を早速生かして忘れないうちにとでも言うのか、何故有希が数奇屋のことを知っているのかを、周辺事情も合わせて触れるのを許して頂きたい。

数奇屋の存在自体は、初めてこの四人で絵里の部屋で女子会を開き始めた頃辺りで、その中での会話の内容から既に有希が知っている事が、私、それに絵里にも知れていた。

十年以上の付き合い、そう、つまりは有希が大学を中退して演劇の世界一本で生きて行こうと決心し、齷齪し始めた頃くらいに、とある舞台に出演するにあたり、そこで一緒に出ていた百合子と知り合い、それ以来、特に有希が百合子に惚れ込んで仲良くさせてもらっている…という思い出話というか”馴れ初め”は有希自身の弁で、その場に当然居合わせた百合子は少し困り顔…と同時に照れを滲ませつつただ微笑んで聞いていた姿を覚えている。

その付き合いの中で、百合子はこの通り、あまり自分のことを気の知れた人相手にも中々話すタイプでは無いにも関わらず、この十年以上の歳月の中でチラホラと、それでも有希は数奇屋の名前と中身について耳にしていたらしい。

有希曰く、女優における自分が好きな先輩の百合子が、普段はどちらかというと引っ込み思案な先輩が、自ら進んで入れ込み訪れている数奇屋の存在には、常日頃から話を聞くたびに興味は膨らむ一方だったとも話してくれていた。

勿論、雑誌オーソドックスのことも知っており、百合子から毎号貰っては読んでいて、芸関連の特集号は勿論楽しく読むのと当時に、それ以外の他分野の難しい文章も、世間ではあまり話されていない内容だけに興味深く、興味津々に頑張って読んでいると、そう嬉々として初めて話していた時には、その側で聞いていた絵里が苦虫を噛み潰して残骸を口内に留めたままにしている様な、そんな顔つきで有希の横顔を眺めていたのは言うまでもない。


…と、またもや説明に裂きすぎてしまった。話を戻そう。


百合子の微笑を取っ掛かりに、少しばかりの間、絵里も混じって毎度の通りに笑い合っていたのだが、普段なら、このまま義一の事を、本当の所どう思っているのかと絵里を皆で質問攻めにする、ある種健全で一般的な女子会トークに雪崩れ込むのだが、今日ばかりは流れが違った。


「そういえば…有希ちゃん、今回はどうする?」

とまず美保子が聞いた。

「え?えぇっと…って、あぁ!はい」

と、有希は何を聞かれたのかすぐには分かってない様子だったが、すぐと言っていい間合いで返した。

「お店の方にですよねぇ?えぇっと…美保子さん達はいつ行くって言ってましたっけ?」

「私たちの日にち?今月の…第三土曜日だったかな?」

と美保子。

「第三土曜日ですか…っと」

と有希は一人呟きつつ、自分の足元に置いていた鞄の中から手帳を取り出して眺め始めた。

「んー…っと、あぁ、残念!」

と、有希は顔を一度天井に向けて声を上げてから、顔を戻しそのまま美保子に流しながら言った。

「私、その日は夕方まで劇団の方の稽古ですぅ」

と口を尖らせつつ言う有希に対して、

「あら、そうなの?残念ねぇー」

と美保子も両眼を瞑りつつ肩を落として見せていた。


…ふふ、このやり取りは、私の前で何度も繰り返された流れではあったのだが、微妙に歴史が古いらしく、有希自身から以前に何となしに聞いた話なのだが、初めて美保子を百合子に紹介して貰った時に、その日のうちに美保子から強く、せっかくだし数奇屋の方に顔を出して見ないかと誘われてから続いているらしい。


これも繰り返しになるが、それ以前から百合子に話を陰に陽に聞いていた頃と重なっていた時期だったようで、その時には是非にとは返したらしいが、実際はそれこそタイミングが合わずに、今まで行けずじまいとなっている状況のようだった。

…ふふ、行く気があるのにまだ慰安旅行について行けてない私と全く同じだ。

…とまぁそんな訳で、有希は時間がまた合わないと残念がって見せるのまでが今までのテンプレートだったのだが、これまた今日の内容は微妙に違っていた。


「あーあ、行きたかったなぁ」

と有希がボヤくのに対して、「そんなに行きたいですかぁ?」と絵里がすかさず細目を流しつつ呆れ笑い混じりに不満げを隠すどころか全面に打ち出しながら返していたのだが、それに対して私と美保子がクスクスと笑う中、ふとここで、そんな二人の笑みに混じり、もう一人が少しばかり毛色の違う笑みを零した。

「…ふふ、有希?それなら大丈夫じゃない?」

と声をふと漏らす人がいたので、皆で一斉に視線を向けると、そこには微笑を湛えつつ、ちょうど一口紅茶を飲み終えた百合子がカップを置くところだった。

「え?どういう意味ですか?」

と有希が聞き返すと、丁度カップを置き終えた百合子は、微笑を絶やさぬままに有希に話しかけた。

「だって…ふふ、私もあなたと一緒だもの。あなたと少し理由は違うけれど、私もその日は前に予定が入っていてね?途中から参加する予定なの」

と言いながら、途中から美保子、そして私に視線を配りつつ話すのを受けて、美保子はただ小さく表情を緩めつつ紅茶を飲むのみだったが、私は何となくコクっと頷いておいた。

というのも、百合子が今回は途中参加だというのは、それこそ事前に聞いていた話だったからだ。具体的に何をしてなのかまでは知れなかったが、要は、今演っている舞台の役作りの一環として、それ関連の稽古ごとに通っているとの事だった。

恐らくこの土曜日もそういった理由なのだろう。

それを承知しているという意味で、私は頷き返したのだった。

「だからね?」

と、話を聞いても、一体自分とどう関わるのか理解出来てない様子の有希に、語りかけるように百合子は続けて言った。

「有希…あなた、さっき自分で稽古が夕方くらいまでって言ってたじゃない?だったらさ…ふふ、勿論無理強いはしないし、あなたのその劇団の皆と稽古後に何か打ち上げ的なものに繰り出すこともあったりするだろうし、それは当日にならないと分からないこともあるだろうけれど…うん、もしも暇だったら、私とどこかで落ち合って、そのままお店に行きましょうよ?」

「へ?」

と有希は気の抜けるような声を漏らしたが、「あー、良いわねぇー、そうしなさいよ」という、美保子のボリューミーな声量にかき消されてしまった。

私はというと、有希がどんな反応を示すのかを注視していた。


…うん、先ほどまでツラツラと有希の話をしてきた訳だが、それはあくまで表層の話というのか、自分の口では私の前でも何度もお店に行きたいといった話をしていたのだが、それがこうして実際に行けそうな提案をされた時に、果たして今までの言葉が社交辞令で述べていた軽いものなのか、それとも本心から行って見たいと思っていた、もしくは今思っているのか、それを知れるチャンスだと思っていたからだ。

それと後もう一つ、これは私の本当に個人的な話ゆえに一々触れずとも良いのだろうが、以前…って、それはもう小学生時代の話になるが、それを本当に暫くぶりに話せば、中学三年生になった今でも、いや、今になると昔以上に、まだ付き合いの浅い人物に対して、義一についてどう思っているのか、義一という人物を知って、どういった感想を覚えるのかが大きな判断基準となっているのに変わりはなかった。

今回は数奇屋という事で厳密には違うのだが、それと深く関わり合いのある、今では雑誌の編集長まで義一が務めているのもあり、間接的にではあるがどう思っているのか、それを知れる判断の一つにと、私自身は勝手にそう定義づけていた。


そんな間抜けな声を有希は漏らしていたのだったが、しかし美保子に声をかけられて直ぐに「あ、あぁー」と顔をハッとさせつつ口を開いた。

「あ、そっかぁ…途中参加でも構わないんですね?」

「えぇ」

とすぐに百合子が微笑みつつ返す。

「今も言ったけれど、私自身途中から顔を出すのだし」

「あ、そうなんですねぇ…良かったぁー」

と、百合子に確認を取り終えた有希は、心底ホッとした風な様子を見せつつ、声を上げた。

その様子を見て、本業が女優だと知っているせいか、そんな色眼鏡ありきで見てしまったせいか知らないが、妙に芝居がかって見えて演技かと錯覚するほどに大袈裟な反応を有希は示した訳だったが、しかしそんな有希の反応を見て、今更前置きは要らないだろうが、生意気な言い方をすれば、私の中での有希に対する心の壁のようなものが、一つ徐々に薄れていくのを感じるのだった。

「いやぁ、ホッとしましたよぉ…百合子さんが一緒に行ってくれるって話を聞いて」

と有希はそのテンションのまま続けて言った。

「ほら、いきなり初めてというか、新参者の私が、そのー…ふふ、話を聞く限りでは中々に濃いメンツが集まっている中に遅れて入って行くっていうのは…ふふ、ちょっと勇気がいるじゃないですかー?それで、今までも遅れてなら行けなくも無かったんですけど…断ってたんですよねぇ」

「あら、そうだったのねぇ」

と、この話は初めて聞く内容だったらしく、美保子がそう相槌を打っていると、ここまで少し静かに話を聞くのみに徹していた絵里が、ふとニヤケ顔を浮かべながら口を開いた。

「先輩って…そんなに繊細でしたっけ?」

「ちょっとー、絵里、それってどういう意味よぉー?」

と、絵里の言葉を聞いた途端に、有希はツンとして見せながら返していたが、しかしすぐに自分で小さく吹き出すと、その笑みのまま続けて言った。

「まったく…私が繊細かどうかなんて、舞台での演技を見て分からないかなぁ?」

「えぇー?…ふふ、あはは!」

と絵里が何も言わずに明るく笑みを零すのを見た有希は、

「笑って誤魔化さないでよぉ…もーう、全くこの後輩はこれだから…ふふ」

と途中までは不満たらたらな様相を浮かべていたのだが、終いには絵里と同じように明るく笑うのを見て、私含む他の皆も自然と笑顔になるのだった。


因みにというか、絵里はあれ以来、新たに有希が舞台に出るという時には、少なくとも一度は必ず顔を出すというか観覧に行っているらしい。チラッと触れてきた今現在進行中のもそうだ。

ついでに私も有希から何度も誘われてはいたのだったが、これも例の如くタイミングというものが合わないせいで、あの人形の家からはまだ観に行けていないのが現状だった。

…そう、有希の舞台に行けていないくらいだから、当然というか百合子が今出ている芝居にも観に行けていなかった。


この話の流れのままに少しだけ脱線させて頂くが、あの初めての観劇以来、本人が側にいるのに言うのもなんだが、私はすっかり百合子の演技に魅了されてしまっていた。まぁそれは有希にしても同じではあるのだが、付き合いが長い分、それだけの単純な理由で現時点では百合子に対しての方がその度合いが強かった。

あの後で義一にそのような旨をそれとなく伝えると、向こうは向こうですぐに察したのか、宝箱の中の膨大な映像作品でひしめき合っている一角の中から、百合子が過去にまだテレビなり映画なりに出ていた時の作品を貸して貰ったので、早速自宅の私の部屋の中で観てみた。

まぁ…ふふ、こんなことを言うのもなんだが、まず百合子と初めて出会った時に、その場にいたマサが話してくれてはいたが、その時にはまさかと思い、その思ったままに思わず返してしまったのだったが、実際にその通りに、全ての作品の中で百合子が主演を張っているという作品は一、二本くらいしか無く、殆どが脇役ばかりだった事が実証されたのだった。

さて、それはともかく、これは私の主観が入っているのを承知で言うと、いくら脇役とはいえ、他のどんな女優よりも演技力の差が際立って見えて、それと同時にやはり、私がこれこそ初対面の時に感じた、白黒時代などを含めた往年の名優と呼ばれた女優達と同じオーラを解き放っているのが分かった。

…ふふ、その類い稀なる演技力やこの独特の身に纏う雰囲気のせいで、単純に言って他の演技する俳優達を”食ってしまう”という理由から、こうしてチョイ役ばかりをするようになってしまったのかも…と、百合子当人はこんな言い方されたら必死に卑下して否定して来るのだろうが、決して過大評価では無いと私個人は素直に思っている。

…っと、ついつい百合子について語り過ぎてしまったが、そんな過去の映像を眺めて行くたびに、ますますあの観劇の時の感動をまた味わいたいと、誘われるたびに何とか都合を合わせようと画策したものだが、やはり実家住まいの未成年という立場が大きく、そんな好きに自分の時間を作れないというのが実情なのだった。

…ふふ、これは一度触れてから最近は話にも出てこないのでお忘れの方もいるかも知れないが、我が望月家は代々、高校生になったら一人暮らしをさせるという方針というか慣習が存在するのだが、お父さん達の考えとは別のところで、こういった点からも、自分で自由に使える時間を手に入れるためにも、今か今かと一人暮らしの時を楽しみにしているのだった。


またもやクドく話をダラダラとしてしまっているが、この関連だと今こそ触れた方が良いと思われるので、もう少しだけお付き合い願いたい。

というのは、美保子の話だ。まぁ簡単な話なので軽く述べれば、美保子も当然のことながら、百合子が出る舞台がある時は必ず一度は観に行っていた。それも初日にだ。

何でも自分のスケジュールを無理やり変えてでも、その初日に間に合うようにシカゴから、文字通り飛んで帰って来るらしい。今上演中の舞台も既に観たとの事だった。

…ふふ、何故ここで美保子の話を差し込んだのかと言えば、『例の人形の家を美保子はいつ観に行ったのか?いや、むしろ、一切触れて来なかったから観に行ってすらいないのか?』と思われた方もおられるかも知れないと思ったからだ。

まぁ今まで話してきた通り、人形の家も例に漏れずに初日に観にいったとの事だ。話を戻そう。


「んー…あっ」

と、自分から話を振った割には、途中で百合子が引き継いでくれたお陰か少し影を潜めていた美保子が、何かを思いついたのか、この様な反応を示して口を開いた。

「せっかくならさぁ…ふふ、遅れて行っても良いかどうかは、ちょうど編集長であり今では数寄屋の席亭…と、ふふ、言っても良いであろう義一君の姪っ子、秘蔵っ子の琴音ちゃんがここにいる訳だし…一応ちゃーんとこの子から許可を得なくちゃね」

「…え?」

と、急に何を言い出すのかと私は自分でも分かるほどに目を丸くして美保子を眺めていたが、しかし私以外の皆の反応はまるで違っていた。

「ふふ…確かにね」

とまず百合子が目を薄っすらと細めつつ、気持ち若干ニヤケながら言った。

「あはは、そうですよセンパーイ」

と、”この事”については否定的というか少なくとも肯定的では無い絵里までもが乗っかる。

「ここは琴音ちゃんに許可を得ないと」

「ちょ、ちょっと絵里さんまで…」

と私がブー垂れつつ絵里に突っ込んでいると、「あはは、確かにそうだねぇ」と当人の有希は有希でニコッと明るく笑ったかと思うと、私の顔にじっと真っ直ぐな視線を飛ばした。

まだそれだけで、これといった言葉などをかけられたわけでも無いのに、思わずというか何となく私は私で背筋をピンと伸ばして待ち構えた。

それを見て何かを感じ取ったのかどうかは当人では無いので分からないが、ふとまた有希は表情を崩すと口調も柔らかに聞いてきた。

「…ふふ、琴音ちゃん…少しだけ遅れるかもだけれど…それでも行っても良いかな?」

「…」

と私はそれに対してすぐには答えなかった。何故なら…ふふ、この場でどういった返しをした方が正解なのか考えあぐねていたからだ。

ふふ、私は私なりにこの場のノリというのか、空気を一応は崩しはしまいと気にしていたのだ。

しかしこれといった、それなりに面白い返しが思いつかなかった私は、仕方なしに自分なりの素直な態度で臨むことにした。

「…ふふ、もーう、一体全体この今のノリは何なの?…美保子さーん?」

と私はまず疑問を呈してから、すかさず諸悪の根源である美保子にジト目を流したが、美保子はただニコニコと笑うのみだった。

それを見て、これ以上は先が無いなと観念した私は、顔を有希に戻した。

有希はというと、さっきは柔和と言って良いような笑みを浮かべていたというのに、今私と目が合ったその瞬間に、大袈裟に体を震わせて見せたかと思うと、先ほどの私の真似のつもりなのか、ビシッと背筋を伸ばして、妙”過ぎる”ほどに神妙な顔つきを見せていた。

そんなおちゃらけた様子に、私はまた一度クスッと笑みを漏らしてしまってから、こちらからも反撃と、コホンと一回咳払いをしてから、笑顔を顔に湛えつつ返すのだった。

「何で私が義一さんの代理をしなくちゃいけないのか分からないけれど…ふふ、私個人の意見だけ言わせて貰えれば…うん、有希さん、遅れてでも良いから、出来るだけお店に行くことを優先させてね?」

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