第21話 修学旅行 後編 最終日 

「…あ、あーーーっ!」

と突然、視界が真っ暗で、意識も薄っすらと纏まらない感覚でいる中、誰かが大きな声を上げるのが耳に飛び込んできた。

「な、なに?なに?」

と私はガバッと起き上がって漸く、ここで瞼を開けて見渡すと、他のみんなも同じようにその場で上体を起こして見渡していた。

一通り皆で何事かと顔を見合わせていたのだが、そんな中、すでにメガネを掛けていた紫が、スマホを覗き込んだままの体勢で固まってしまっていた。

…まぁ、声からして誰が上げたのか分かってはいたのだが、そう、その声の主は紫だった。

「もーう…一体どうしたっていうのー?」

と、この中では一番まだ目が寝惚け眼の麻里が、目元をこすりつつ聞くと、そんな麻里とは対照的に、紫はバッと手に持ったスマホの画面をこちらに向けてきつつ、少し慌てた様子で声を発した。

「一体どうしたじゃないよー!…ほら見て?…もう、起床時刻まで、すぐそこまでになっちゃってる…」

「…え?」

「へ?」

「…は?」

「…うん」

と、私たちが声を漏らすことしか出来ない中、律一人が冷静に自分のスマホを覗き込んでボソッと言った。

「…確かに、もうそろそろ起床時刻だね。…って、藤花?」

と前触れもなく、不意に勢いよく立ち上がったのを見て律が声をかけたが、それには答えずに、藤花はすぐそこの昨夜に閉めていた障子をサッと勢いよく開けた。

その瞬間、部屋全体を真っ白な光が充満し、すぐには目が開けられない程だった。

「わっ!…って、わぁ…」

と、目の中の鈍痛が和らぎ始めてゆっくりと目を開けると、その眼前に晒された光景に、思わず私は立ち上がると、吸い寄せられるように、すでに障子の向こう、窓のすぐ側に立っていた藤花の真横に立った。

目の前には燦々と照らす朝日を反射する濃紺の瀬戸内海が広がっているのがありありと見え、チラホラと木々が隙間なく茂る小島が浮かんでいるのも見えて、今日は昨日とは少し違い、初日の様な快晴になるだろう事を今から予感させるのだった。


「…あー…」

と、他のみんなも私の後に続くように、ゾロゾロと徐に窓の近くに立つと、自分のスマホと窓の外を見比べつつ、ため息交じりに声を漏らしていた。

「…ビックリしたよー」

とそんな中、一番右端に立っていた紫が苦笑交じりに口を開いた。

「なーんか心地いい感じでウトウトと何気無くスマホを見たらさぁ…ふふ、もうこんな時間だったんだもん。そら声を上げるってもんっしょ?」

「もーう、急に大声出すから驚いちゃったよー」

とその隣に立っていた麻里が、そんな言葉で返していたが、ふと、紫は今度は上体を前に倒して、私、それと藤花に顔を向けた。例の企み笑顔だ。

「ところでさぁ…?そこのお二人さん方?…何かお忘れじゃないですかねぇー?」

「え…?」「へ?」

と私と藤花は同時に声を漏らしてから顔を見合わせていたのだが、ふとほぼ同時にお互いに、おそらく同じ内容だろう、思い至った。

そして私たち二人はコクっと頷き合うと、手に持ってきていた自分のスマホを確認し始めた。

私ので言うと、そこにはメッセージが何件か来ていたのだったが、それは全てが志保ちゃんからのものだった。


『琴音さん?そろそろ準備が終わってる?いつ来ても大丈夫ですからね?』

『琴音さん?藤花ちゃんにも連絡してみたんだけれど、通じないんですが、今まだ準備してますか?終わったら一度連絡をして下さいね?』

『琴音さーん?もしかして…ふふ、まだ寝ちゃってる?』

と、具体的にはこの三つが、約十分おきに送られてきていた。最後のメッセージには、わざわざニヤニヤ顔をしたキャラクター物のスタンプ付きだった。


「あはは…」

と思わず乾いた笑いが漏れたが、見るとどうやら藤花も同じような内容だったらしく、似たような笑みを浮かべていた。

「…どうだったー?」

と、もうハッキリと結果が分かっている風にニヤケ面で紫が聞いてくるので、私と藤花は苦笑いを浮かべたまま、二人同時にスマホの画面をそっち方向に向けた。

この時、紫だけではなく、位置的に麻里と裕美も食い入るように覗き込んできたのだが、その直後には「あー…」と、やはり私たち二人と同じ乾いた笑みを浮かべていた。

ふとこの時振り返ると、藤花は個人的に律にも見せていたが、不意に顔を上げたので視線を合わすと、途端に「ふふ」と小さな微笑を向けてくるのだった。


それに対しては私からは、笑みを保ったまま肩をすくめて見せる他に対処のしようが無かったのだが、ふと思い出して、志保ちゃんに今起きた旨を今更とは思いつつ返事を返している中、私のすぐ隣に立っていた裕美が、恐る恐るといった様子で、上体を屈めてから麻里越しに紫に声をかけた。

「…って、こんな時間になっちゃったって事はぁー…」

とここまで言ったところで、不自然に語尾を伸ばしたまま続きを話さなかったが、その様子からすぐに察したらしい紫は、目を細めると、途端に笑顔の中に参り顔を混じり合わせたような表情で答えた。

「まぁ…うん、残念だけど…ふふ、今回は露天風呂は…お預けだね」

「…」

と、裕美は私に背を向けたまま紫を見ていたので、その表情までは分からなかったが、少しばかり間を置いたかと思うと、バンと窓の手すりを両手で掴んだ後で、大きく背後に仰け反りながら声を上げた。

「えぇーーー?」

「えーーーー?」

と藤花も負けじと全く同じ動作をしつつ声を上げた。

そんな二人の様子に、私を含む他の皆で思わず笑みをこぼしてしまう中、裕美は体勢を戻して言った。

「そんなぁーー…」

「ふふ…あ」

と、ここまで微笑を継続していた私だったが、不意に手元にあったスマホの存在を思い出し、それと同時に一人バツが悪い思いに駆られながらも、それでも声をかけずには居れなかった。

「ひ、裕美…?」

「んー?何よー?」

と裕美は拗ねた風な声音で返す。

それには取り合わずに、意識せずとも少し俯き加減になりながら続けて言った。

「そ、そのー…御免なさいね?こんなに志保ちゃんから、モーニングコールというか、メッセージが何件も着ていたというのに、それに全く気付かないほどに爆睡しちゃって…あんなに楽しみにしてたのに」

「…え?」

と、私の言葉を聞いた裕美は、すぐには私の言葉を理解していない様子を見せていた。呆気顔だ。

そんな中、ふと私の隣で裕美と同じように拗ねて見せていた藤花も、ふとスマホに目を落とすと、そのまま顔を下に向けたまま、必然的に上目遣いになりながら照れ臭げに口を開いた。

「わ、私もー…そ、そのー…気付けなくて、みんな…ごめん」

「ちょ、ちょ」

と、藤花までそんな反応をし出したのを見て、これは想定外だったのか、裕美はますます見るからに狼狽えて見せていた。

「あはは」と、そんな私たちの様子を紫たちが笑いつつ眺めていたが、「もーう…」と裕美がふとジト目を私に向けると、口元はやはりというかニヤケながら言った。

「琴音が急に変なことをしだすからぁ…」

「ふふ、変なことって何よー?」

と私は、実際には半分以上は本気ではあったのだが、それでも裕美のそんな様子を見て、ここは敢えてネタだった風にした方が無難だろうと、少し戯けて見せつつ返した。

そんな私を呆れ笑いで一瞥くれた後、裕美はぐるっと周囲を見渡してから笑顔を保ちつつ言った。

「もーう…まぁ確かに、昨夜とか、今ついさっきとか…うん、私が一人浮くくらいに楽しみ風だったかもだけどさ…ふふ、それはみんなだってそうでしょー?」

「あはは、そりゃそうだよー」

と、途端に藤花が高いトーンで反応した。無邪気な藤花調の笑みだ。

その後は「もちろん私もー」と麻里や紫も加わって盛り上がる中、

「アンタも…でしょー?」

と裕美がニヤニヤしつつ聞いてきたので、「はぁ…」と何となく間を埋める意味でため息をついて見せてから、ニコッと笑いつつ「えぇ、もちろんよ」と答えた。


…昨晩はアレから部屋に戻ると、案の定というか皆から何で遅くなったのか質問ぜめにあったのだが、私たちはただ笑顔でやり過ごしつつ、そのまま二人揃って洗面所に向かって歯を磨き出した。

…ふふ、そう、これは部屋に戻る途中で二人で立てた作戦だった。歯ブラシを口に突っ込んでしまえば、取り敢えずはやり過ごせると考えての事だ。この作戦は功を奏して、歯を磨いている間はもちろんのこと、部屋に戻ってからも話はお流れとなっていた。

それからは紫が部屋の電気を消したので、明日に備えてというので横になったのだったが、暫くは皆して黙っていたものの、

「…もう寝た?」

「んーん」

といった風な有りがちなやり取りに始まり、それからは布団に潜りながらではあっても、顔を合わせてしばらくお喋りに興じてしまった。何時に寝たのか見当もつかない。

…ふふ、だからまぁ…このような結果になってしまったのは連帯責任という訳なのだった。


「あはは!まぁ私も自分で起きれれば良かったんだしね!…でもなぁ」

と裕美は、そうはいってもまだ名残惜しそうな顔と声で言った。

「…あーあ、やっぱり入ってみたかったなぁ」

「あはは、まだ言ってる」

と麻里が笑顔でツッコミを入れていたが、同じ様に紫も笑いつつも、引き継ぐ様に言った。

「あはは、まぁさ?温泉は残念だったけど…ほら、ここからでもこんなに良い景色が部屋から見れるんだから…さ?」

と窓の外を眺めつつ言う紫に

「あはは、確かにー」

と藤花が無邪気の続く中、「なーんか誤魔化されてる気がしちゃうけど…」と苦笑まじりに裕美は誰に言うでもなく突っ込んでいたが、その直後にフッと全身の力を抜く様な笑みを浮かべると、紫、藤花と同じ様に窓の外を眺め始めたので、私、律、麻里は顔を見合わせると誰からともなく微笑み合い、そして後を倣う様に、朝日を浴びながら口数少なく海を眺めるのだった。


結構長い時間眺めていた気がしたのだが、実際はこの間は十四、五分くらいのことで、あらかた景色を眺めるのに満足すると、誰からともなく窓から離れて、それぞれ朝の身支度を始めた。

今来ている部屋着がわりのTシャツとジャージの下を脱ぎ、制服に着替え終えると、裕美や律などの短髪組以外はそのまま髪などのセットに専念していた。

…ふふ、すべての準備を終えたのが私が一番最後だったのは言うまでもない。


と、最後の仕上げとまた一度髪を櫛で梳かしていたその時、部屋のチャイムが鳴らされた。

その直後と言っていいくらいに間をおく事なく、ガチャっとドアを開けて誰かが入ってきた。

開けっ放しにしていたのか、おそらく私たちの誰かが見てない間に外で飲み物を買うなどの用事を済ませた後、戻ってきてから、どうせすぐに外に出ることになるのだと鍵を閉めずにいたのだろう…って、こんなどうでもいい推測は止すとして、皆で一斉に音の方を見ると、そこには、昨夜のジャージ姿から着替えを済ませた志保ちゃんの姿があった。

「あー、おはよー」

と早速毎度の如くに藤花が声をかけると、

「…もーう、そんな呑気に…ふふ、おはよう」と志保ちゃんはやれやれとため息まじりな笑みを浮かべつつも挨拶を返していた。

と、その直後、不意にグルっと各人が各様の作業をしているのを眺めると、今度は途端にニヤケ顔を浮かべつつ口を開いた。

「…ふふ、今朝は結局起きれなかったみたいね?少しは心配したのよー?だって、中々うんともすんとも連絡なり入れて来ないんだから。だから少し心配して部屋に行ってみようかとも思ったんだけど…ふふ、でもまぁ、藤花ちゃんや望月さんから連絡が後で来たから安心したんだけどね?」

「ふふ」「あはは」

と私と藤花は顔を見合わせつつ微笑み合った。

志保ちゃんは続ける。

「でもまぁ…昨夜の様子を見た限りで、そんな予想は出来てたんだけどねぇ?…ふふ、あなた達、昨夜は何時に寝たのよ?」

「え、えー…」

と聞かれた私たちは、一斉に皆で顔を見合わせると、特に意味のない声を漏らしていたが、誰からともなく苦笑を浮かべ合うと、そのままの笑顔を志保ちゃんに向けた。

ある意味これ以上に分かりやすい反応もないせいか、瞬時に察した志保ちゃんは、「もーう…」と、腰に両手を当てつつ呆れ笑いを漏らした。

と、そんな様子を見ていた私たちの中で、不意に藤花が不満げな声をあげた。

「てか志保ちゃんさぁ…そこまで分かっているなら、部屋に乗り込んで叩き起こしてよぉー」

「え?…ふふ、あははは!」

と藤花の言葉を咄嗟には飲み込めれない様子の志保ちゃんだったが、それでも早い時点でクスリと吹き出すと、それから陽気に笑いつつ言った。

「もーう、無茶言わないの。言ったでしょー?…って言ったのは、二人にだけか」

と一旦紫と麻里に目を配ってから続ける。

「あなた達だけ特別ってわけには元々いかない話だったんだからねぇー?そこんとこは分かってよね?」

「はーい…」

と、これまた事前に取り決めてた訳でもないのだが、私含む皆で同じ様に不貞腐れて見せつつ返事を返した。

そんな私たちの様子を見て、志保ちゃんはまた一度明るく笑い飛ばすと、「じゃあそろそろ朝食の時間だから、早く会場まで来ちゃいなさいね?」と言葉を残して部屋を出て行った。


それから私たちは、早速言いつけ通りというか、粗方適当なところで荷物などの整理をし終えると、ホテル内の宴会場へと向かった。

この宴会場は、初日のとはガラッと趣が変わり、如何にも旅館らしい、畳張りの純和室の大部屋だった。その畳の上に所狭しと同じ和室用テーブルと椅子がズラッと並べられていた。

着くと既に、私たちクラスメイトだけではなく、他のクラスの子達も何人か着席しており、パッと見では約半数が来ている様だった。

早速私たちは、まず安野先生の元に行き、朝の報告を行った。

「ふふ、今朝は残念でしたね?」と微笑まれながら言われたので、私たちは全員で苦笑する他になかった。

先生への報告が終わると、幾人かの同級生達と挨拶を交わしつつ席に着いた。

それから少しすると、他の生徒達も全員揃ったというので、昨夜、浴室の管理を任されていた、安野先生や志保ちゃんとはまた別の、もう一人の先生が食事開始の音頭をとった後で、私たちは一斉に食べ始めた。

内容としては、これまた典型的な旅館的朝食だった。ホカホカの炊きたてご飯に温かい味噌汁、焼き魚をメインとした、ご当地の海の幸をふんだんに盛り込んだ、いくつもの小鉢に分けられたおかず類などなどで、納豆と生卵も付いていた。


食事を終えると、その場でこの後の大まかな流れを聞き、それからは各班が部屋に戻って、後片付けなどの整理をした。昨日のホテルと同じだ。

その後で旅館のロビーに集合し、これまた前日と同じ様に修学旅行の実行委員による退館式が速やかに執り行われ、それを終えるとそのまま流れでゾロゾロと外に出て、既に待ち構えていた観光バス、その乗り口前で立っていた毎度のガイドさんに朝の挨拶を交わしつつ乗り込み、そして、旅館の正面玄関前にぞろっと、女将をはじめとするスタッフ総出で見送られながら旅館を後にした。


バスが動き出した直後、毎度恒例のガイドさんからの朝の挨拶と共に、私達側とのコールアンドレスポンスが取り交わされたのだが、本日が最終日というのもあり、その話にも触れる中で、ガイドさんも心持ち鼻息荒く、話の最後に付け加えて言った。

「…はい、では、今ついさっき出発したばかりですけれど、もうそろそろで厳島に渡るフェリー乗り場に着きますので、準備をしておいて下さいねー?」


…ふふ、あまりにもワザとらしすぎる引きの演出だったと我ながら苦笑ものだが、そう、修学旅行最終日は、厳島観光だった。

昨夜はディナークルーズ船からライトアップに浮かぶ厳島神社を見た訳だったが、今日は実際に島に上陸して詳細に観光する内容となっている。

…ふふ、ここで予め言い置くと、ここでもまたある種の観光案内的な内容となるので、もしそれがもう飽き飽きなら、ここ辺りで読み飛ばすのをオススメする…というより、止めても実際ストーリー上には何の支障もないので、暫くは流しても大丈夫だ。

…と、言い訳じみた保険を一応述べた上で、早速話を進めようと思う。


ガイドさんが言った通り、ものの十分ほどでフェリー乗り場に辿り着いた。フェリーとはいうものの、島内は車で回れるところは限られているというので、昨日の様に一旦ここでバスとはお別れとなった。

朝の九時少し前、私達が乗り込んだフェリーはノソノソとゆったりとした船足で、もう既に目の前に見えている厳島へと発進し始めた。


…ふふ、ここで急に私個人の話をし出して恐縮だが、実は今回の修学旅行の中で一番”心から”楽しみにしていたのは、この最終日の厳島観光だった。

このわざわざこれ見よがしに点々で囲った”心から”というのが肝なところだ。

というのも、少しここまでの軽い感想を述べるが、初日の平和学習などはツラツラと述べてきた様に、義一やオーソドックスの面々と話したり書いたものを読んだりして身に付けていた事前情報があったためだろうが、元からさほど特別関心は無い…というよりも全く無く、楽しみにもしていなかった。ただ収穫としては、義一達がからかい気味に話していた、世間一般の平和に対する認識がどうなのかを、身を以て知ったというのみだった。

ある意味で平和を叫べば平和になるというお花畑的な思想…いや、とてもじゃないが思想とは到底呼べない程度の考えに基づいたのが初日だとすると、打って変わって二日目の、それに関連した旧日本軍の歩みを辿るというのは、世間で言う意味での右、保守的な考えに基づいた修学という事になるのだろう。まぁこう話してみると、結構私たちの学園は、片一方の考えに固執していないというので、一般的にはバランス感覚が素晴らしく賞賛に値するのかも知れないが、まぁそれでもやはり、私個人としては厳島観光と比べるとそれほどまでに関心を寄せる程では無かった。

…私は勿論、義一が元とする所謂”保守”という立場に私自身も立つ…いや、立ちたいと日々思っているわけだが、”そんな私だからこそ”、旧日本軍をはじめとする過去を”いたずらに”美化する右翼的な考えには反発しか覚えないので、繰り返しになるが、これまた平和学習と同じくらいに関心を抱くことは無かった。

真正保守と、世間で言う保守、右翼とは全く違う、むしろ真逆の立ち位置だと言っても良いくらいだという話は、義一、それに神谷さんを始めとする面々が散々、あれが全てでは当然ないが、一部とはいえ私の前で議論を繰り広げて見せたので、ここでは割愛させて頂こう。

そんなわけで、初日、二日と言い方が悪いが、一々目や耳に入ってくる情報にツッコミを入れる以外は、修学そのものについて改めて何か得たものも特に無かった…というのが二日間の感想だ。

まぁ純粋に楽しんだとするならば、裕美達と一緒に旅行しているという事実くらいなものだった。これに関しては、恐らく他のみんなも同じだっただろう。

考えの出発点は私一人がズレているのは勿論自覚しているのだが、それでも結論は他のみんなと同じなのだった。

…と、またもや長々といらない話をしてしまった様だ。話に戻るとしよう。


今回も裕美に引っ張られるままに船のデッキまで手を引かれて、途中から昨日までしょっちゅう一緒に行動を共にしてきた例の他の班の子達も合流し、海や島々などの景色を眺めつつ、昨日買ったハート型の南京錠の話などで盛り上がっていると、体感的にはあっという間に厳島側の船着場である宮島桟橋に船が到着した。

因みにというか、ついでに話すと、例のハート型の南京錠の話になったと言ったが、ふとここですぐに察する方もおられることだろう。

そう、この鍵が含有する意味合いからして、不意に裕美の話にまで発展しなかったかどうかということだ。

結論から言うと…実際には、裕美の”ひ”の字も出なかった。私たちの中では圧倒的に、これまでも話してきた通り、他の班の子達は主に”内部組”で構成されていたので、当然の事ながら藤花と律の二人と親交が篤いわけなのだが、それでも藤花と律の二人は一切触れずに会話を楽しむのに専念していた。

…ふふ、私は所謂友達付き合い、特に同年代で構成されたグループ内で、所謂恋愛話が出た後の全員の対応がどういったものになるのか、経験が無い分知らないのだが、しかし、個人的な素直な感想を述べれば、あれだけ昨夜は裕美を肴に盛り上がったというのにも関わらず、こうして他人…と言うとあの子達に悪いかもだが、私たちグループ内に限る秘密ごとという事で、何も示し合わせた、約束したわけでも無いのに一致している…というのが、何となく『良いなぁ』と、皆の会話を傍目で聞きつつ一人思いながら微笑んでいるのだった。

…でもまぁ、とはいっても、何かにつけて、そんな喋りを楽しみつつ、皆で一々裕美に意味ありげな微笑を湛えつつ視線を飛ばしては…いた。

それは…ふふ、私も同罪で、その皆の視線の意味が当然わかる裕美本人は、そんな視線に対して、ただただ苦笑いのみで返すのだった。

船が桟橋に着くと、早速私たちは全員で速やかに下船した。


…さて、ついさっきも述べたところだが、暫くはまた観光協会の回し者と思われかねない話が続くので、もしも興味が無いようならば、先に読み飛ばして頂いても、本筋には何も影響が無いと念を押した上で話を進めよう。

平日の朝だというのに人でごった返す、こんな言い方も何だと思うが、ここに来て個人的に一番何だか雰囲気が良いと思う船のターミナルを、現地で落ち合ったガイドさんの案内と先生達の先導の元、出て右手に行くと、松の木が整然と植わっている海岸通りに出た。

歩きながら、嫌でもって言ってはなんだが、そこら中に鹿の姿が見えたのだが、ガイドさんが言うには、奈良の鹿と違い観光客の餌やりは禁止されているとの事だ。

「今は時期的に食べれる餌も多いから奈良のと遜色は然程ないけど、冬場みたいに餌が無い時なんかは痩せてる鹿も多いんよ。だから…ふふ、奈良のは餌目的に人間に寄ってくるけど、ここのは人を怖がりはしなくても近寄っては来ないんよ」

という冗談混じりの話に笑みを零しつつ、そのまま後についていった。

因みにというか、今日という最終日でも、クラスの中では私たちの班が先頭なのには変わらなかった。班長である紫がグイグイ前に出ていった事でなったフォーメーションなのだが、こうしてわざわざ取り上げるからといって不満があるわけでは無い。私個人としては、せっかくだし、そして、なんども繰り返しているが、一番楽しみにしていた観光でもあったのもあり、紫みたいなタイプが率先して前に出ていってくれると、自分も後に続けば良いだけなので、とても助かっていた。


それから私たちは、海岸通りから表参道へと入って行った。ここには宮島名物だという穴子飯や、ここでもやはりというかお好み焼き屋なども建ち並んでいた。

桟橋でもそうだったが、道幅も狭い事もあり、尚一層人でごった返して賑わっていた。

んー…こういう所が変に冷めてて空気が読めないと言われるのだろうが、私としてはさっさとこの人の多い通りを抜けたかったのだが、裕美達に留まらず、その他の同級生達はこの参道を素通りするのに名残惜しそうだった。

それをすぐに察したのか、安野先生が「後で自由時間があるのですから、その時までは我慢して下さいね」と微笑みつつ言うのを聞きながら表参道商店街を抜けると、デンと大きな石鳥居が見えてきた。

参道の両脇に鎮座する狛犬の間を抜けて鳥居下まで来ると、ここで本日最初の、クラス毎の集合写真が撮られた。


撮り終えた後、左手に石垣、右手に松、石灯籠、松…と、ほぼ順々に並ぶ向こうに広がる瀬戸内海を眺めつつ先に足を進めると、ようやくというか、昨日は船から遠目で見るだけでしかなかった、厳島神社のシンボルである朱色の大鳥居が姿を表した。

繰り返すが、昨日も見たといえば見たのだが、それでも、写真でしか見たことの無かったこの、鳥居というもの自体は神社に行けばまず見れるので珍しさは無いわけだが、しかしここ厳島神社のは、海の中にあるという言うまでもないがその不思議な光景に目が奪われてしまった。

天気も初日と同じくらいに、空に片手で数えられる程度の小さな雲しか浮かんでいない快晴のお陰か、また、午前の日差しの方向が上手いこと作用して、私たちから見ての鳥居の様子は、燦々と照る陽光によって尚一層朱色が際立っているのが見えていた。

「おー」

と私のみならず、他のみんなも鳥居の姿を見た瞬間に声を上げる中、「もう少し遅ければ、干潮になって、鳥居の足元まで歩いて行けるんだけどもねぇ」と、ガイドさんは我がことのように少し残念がって見せていた。

その言葉を聞いた私たち側はどうかと言うと、残念がるのとそうでも無いのと反応は半々だった。

因みに私は、そうでも無い方だった。さっきも言ったように、海に浮かんでこその特別感の滲み出す鳥居だと個人的に思うので、もちろん鳥居単体でも姿形や綺麗な朱色などなど素敵ではあるのだが、しかしそれでも海の中にあってこそ…と、知ったかぶって恥ずかしげも無く言えばそう思っていた。

それに、もしも干上がった後で足元まで行くにしても、当然ぬかるんだ元海底を歩かなければならないという事前情報を聞いていたのもあり、別に近くまで寄らなくても陸地からのこの距離が一番見栄えとしても良いだろうと、これらの感想は流石の私もいちいち口にしないまでも、思いながら、それでも若干潮が引き始めてきたというので、普段は海面下にあるのを示すかの様に、若干黒ずんだ部分が見え始めている鳥居の足元に目を向けるのだった。


ここまで来る道のりは、先ほどの参道と比べると人の数は少なかったのだが、やはり絶景スポットの為か、ここはまた観光客で賑わっていた。

そんな中、写真は後に自由時間でと言う先生の話と、

「現在の大鳥居は、143年前に建てられた8代目のもので、高さは16メートル、重さが60トンになりまして、鳥居の重さだけで海の中にたつことができるよう、横木の中にも石が敷き詰められているんです」と言うガイドさんの話を聞きつつ足を進めた。


…さて、ここからはいよいよ厳島神社の本殿を参拝する流れになった訳だが、ここでは早足で流すことにしよう。

…ふふ、もちろん自分で先ほど言った通り本当に楽しみにしていたのはその通りなのだが、それはあくまで個人的なことで、日本全国で知らない人がいないと言って良いほどの厳島神社の中身などを、いちいち描写する必要は無いだろうという判断をさせて頂く…という趣旨を述べさせて貰ったところで話を進めよう。


まず私たちは東回廊の入り口まで行くと、入場券などを販売している受付真向かいにある手水舎へと赴き、まずは身体を清めるために手を濯いだ。

その後は東回廊の中に足を踏み入れたわけだが、進む前に身を清めた後は穢れを祓わなければいけないというので、そのまますぐにある祓殿へと入った。


古来より”穢れ”というのは、人が生きる中で自然と湧き起こる”悪意”などの”負の感情”、これらの「負の要素」の増殖によって最終的に紐づく”血”や”死”のことを指してきたらしい。

古来の神社の神事において女性が遠ざけられたのは、女性特有の”生理”、つまり”血”な訳だが、こういった祓うことの出来ない生物的自然的な現象があったためとの事だ。


これを初めて聞いた時、他の女性は知らないが、私の様な者からすると、とても理に叶うというか、少なくとも筋がしっかりと通っている気がして、元々女人禁制自体にさほど反発などなかったのだが、それにしても尚一層腑に落ちる思いがしたのだった。

と、ここで余計な補足だろうが、この情報も義一から事前に聞いていた事を付け加えておこう。

…ふふ、こうして事前情報を、いくら興味があるとは言え収集していたというのは、私も紫や麻里の事を言えないのだろう。


さて、早速穢れを祓うために私たちは、言われるままにまず祓串を持たされた。

祓串は本来は大麻と言い、神道の祭祀において重要な道具の一つで、見た目は白木などの棒の先に何本もの真っ白な紙垂を付けたもので、よく神主が手に持って振ってる棒を見たことがある方もいるだろうが、アレを想像して貰えれば間違いないだろう。


まず祓串の根元を持って左の肩と頭付近に串の紙垂を持って行き、次に右の肩と頭付近に紙垂を食らわせた。

これを左、右、左と順に終えると、ここで漸く穢れも祓われたというので、本格的に参拝する事となった。


祓を行なった場所の真向かいにある、本社よりかは当然規模が小さいのだが、小さいなりにも本殿、幣殿、拝殿、祓殿からなる客神社を参拝した。入る前に勿論、二礼二拍手一礼を忘れずにだ。

次にそのまま廻廊のままに歩いて行き、重要文化財である朝座屋、用途は不明と一般にはされているが、一説では海水を利用した神事を執り行う為に水を汲み取る装置が組まれているのが見える揚水橋、内侍つまり巫女さんが神饌を供進する際に通った事から名付けられた、国宝である内侍橋を見て回った。


従来の厳島神社の内侍は何十人といたらしく、参詣した貴族の世話役や舞踏などでもてなしていた…と話すガイドさんの言葉を聞きながら、吹き抜け構造のお陰で始終目に入る瀬戸内海の景色も同時に楽しみつつ見学を続けた。

私たちはいよいよ本社本殿まで辿り着いたのだが、拝殿よりも向こうには行けないというので、遠くから眺めてから、拝殿前のお賽銭箱に箱の隅から滑らす様に納入れてから、先程と同様に二礼二拍手一礼をした。

…ふふ、順番ずつだったので、前の子たちの事を眺めていたのだが、皆して神妙な面持ちで参拝している姿を見て、我ながら相変わらず上から目線だと思うが、

中々に今時の子としては私の通う学園の生徒達というのはしっかりしてるなぁ…

などと、年寄り臭い感想を覚えるのだった。


それらを終えると、右楽房、右門客神社、平舞台を一旦通過して、左門客神社、左楽房と参拝と、また廻廊に沿って参拝していったのだが、この時の私は、その背後にある”あるもの”にずっと意識が向いてしまっていた。

というのも、この神社自体にも当然興味が大きかったのは事実なのだが、その中でも特に実際に見てみたいと思っていたものだったからだ。

左楽房を参拝し終えると、少し足を戻して、高舞台と呼ばれる舞台へと向かった。

そう、この舞台こそがこの境内で一番見てみたかった箇所だったのだ。


国宝に指定されている高舞台は、推定鎌倉時代に創建されたと言われ、一度千六百八十年に再建されており、室町時代のここ厳島神社の宮司であった棚守房顕という人が造営したとの事だ。

住吉神社の石舞台、四天王寺の石舞台と共に、日本三舞台と言われている。

高舞台という名前の通り、下の平舞台よりも高く造られていた。美しい朱塗りの階段が付いた舞台だ。周囲に目を見張る様な朱色の高欄が張り巡らされており、四辺の合間合間に擬宝珠が付けられた”宝珠柱”が八本据えられていた。

そのうちの二本の高欄には、当時の宮司が奉納したという刻銘が残されており、そのことについてガイドさんが説明をしてくれていたのだが、私はずっと耳を傾けつつも舞台に顔と視線を釘付けさせていた。

そんな私の様子に触発されたのか、すぐに私の横に藤花が立つと、同じ様に舞台を興味深げに眺めだした。

…ふふ、やっぱり藤花もこの手のモノには興味深々なのね

と、どこか不思議と嬉しさに似た気持ちに心が占められていき、背が私よりも大分低めなせいで見下ろす形で藤花を眺めつつ笑みを一人零していると、今度は藤花と反対側にスッと裕美も寄ってきた。

なんども触れてきているが、アレ以来裕美も演劇なるものに関心を深める一方だったというのもあり、私や藤花の様に興味を持ったのだろう…と私は勝手に解釈し、またもや一層一人笑顔を浮かべるのだった。


まぁ私個人で言えば、何故いくら芸事とは言え、ここまで関心を深めたのかと述べさせて頂ければ、これも繰り返し触れてきた様に、例のコンクール後に京子を見送りに行った羽田空港での一件が発端なのだった。

あの時の喫茶店での雑談で、京子はふと、戦後日本でその世界ではかなりの有名人にして影響力、発信力のあった、とある能役者の話をしてくれたのだったが、その後で、実際に師匠にその人の書いた能を中心とする芸についての本を借りて読んでいくうちに、義一からは落語、ついでに講談などへの扉を開いてもらったわけだったが、師匠と京子からは能への興味を持つ発端を開いて貰ったのだった。

それ以来私は、落語などの話芸に留まらず、能を含むその他の伝統芸への関心も深めていっていた時期というのもあって、勿論後で述べる様に、この舞台は実は能舞台では無いのだが、それでもこうして日本古来の造りをしている舞台というそれ自体を見たいと欲して、実際に見れば目が止まるのは仕方ない事だろう…と自分で弁護しておこう。


なので、ただの舞台だというだけなのに、私、それに藤花と裕美が熱い視線を向けていたのだが、ここでただ一つ、個人的に残念だったという話を付け加えなくてはならない。

というのも、漸くさっき途中で意味深に言い残していた事について触れられるのだが、この舞台…そう、この舞台は能の舞台ではないと言ったばかりだが、では何のためのかというと、それは…舞曲の舞台なのだった。

上古、インド、中国、朝鮮半島を経て日本に伝えられた音楽…そう、世界最古のオーケストラとも呼ばれている雅楽と、それに付随する舞いのことを舞楽と言い、十二世紀後期に平清盛が大阪四天王寺から楽所を宮島に移して盛んに奉奏されたのが始まりらしい。舞楽自体は発祥の地のインドはもとよりベトナム、中国、朝鮮半島にも現在は残っていないとの事だ…と、私も紫たちの様に、これも事前に自分で調べていた。

…と、別にここで調べたばかりの知識をひけらかしたいが為に話したわけではないことを慌てて付け加えないといけない。

何故この様に調べていたのかというと、例年の学園の修学旅行では、この後で実際に、この高舞台で催される舞楽を観る流れがあった”はず”だったからだ。

はず…というのは、そう、あくまで”はず”であって、今回、私たちの年の修学旅行では、時期が少しズレたというので舞楽の観覧が叶わなくなってしまったのだ。具体的にいうと、推古天皇遙拝式というのが五月の中旬にあったらしいのだが、ご覧の通り中間テストとの兼ね合いもあって今は五月の下旬、つまり一足遅い結果となってしまった。

…これが先ほど述べた、とても残念な理由なのだった。その前に毎年この舞楽を観覧するというのは知っていたので、修学旅行の話が出る前から軽く調べていたのだが、こうして実際に今年に限ってダメだという事実を知らされると、寧ろこの際もっと調べてやろうとヤケになってやってしまった…という、聞いてる方からしたらどうでも良すぎる理由があったのだった。


ガイドさんの話が終わり、同級生たちがゾロゾロと舞台前を後にし始める中、話し中は少し憚れたので控えていたのだが、私はここがチャンスとスマホを取り出し、いそいそと色んな角度から舞台の写真を撮り始めた。

向こうに大鳥居が入る様に舞台の周りを回ってみて撮ったり、今度は真逆、厳島神社の御本社を正面に捉える事が出来る位置に回って撮ったりと、せかせかと動き回った。

もちろんこれは、義一や絵里、そして言うまでもなく師匠や京子に見せたいが為の行為だった。本人たちに頼まれた訳じゃないのだが、それでもどうしても写真含む、実際には観れなくても思い出話をしたいという欲求の元で自然と無意識に動いていた。


そんな私の側をどんどん生徒たちが通り過ぎていくのを脇目で気付いていたのだが、それでも満足するまで撮り終えた辺りで、漸くその他の周囲の声がしないことにも遅れて気づいた。

まぁ…もう毎度のこと過ぎて一々取り上げるのも何だと我ながら思うが、まぁ事実として周囲を見渡すと、思った通りというか、まぁ思っていたよりも側に立っていたが、裕美を始めとする五人が、皆が皆各様に違っていたが、悪戯っぽい、どこか企み顔な笑みなのは共通していた。

…いや、ただ一人、少し後ろに立っていた紫だけが、笑顔ではあったのだが、呆れ顔…いや、どこかうんざりしてる風な気配を滲ませてる…様に私には見えたので、他の皆よりも離れた位置にいたというのに印象に残っている。

と、それはともかく、

「…あ」と私はハッとしながら思わず声を漏らして皆の顔を眺めた後、「ご、ごめん…」と少し…いや、思いっきり照れながら笑み交じりに返すと、その次の瞬間、他の皆から一斉にからかいの言葉を貰うのだった。


ある程度一頻りやり取りがあった後、「まったく…」と、ここまで静観していた紫が苦笑交じりに口を開いた。

「琴音ー、あなたのせいで最後尾になっちゃったじゃないの」

とそう言う口調が、辛うじてからかい調に聞こえたので、

「ふふ、だからごめんってば」

と私からも戯けつつ返し、この場はそのまま流れて、私たちは揃って他の同級生たちの後を追った。


私たちはクラスの最後部からついていった訳だったが、西回廊に入り、大国主命が御祭神である、かつてはお供え物を仮に安置し御本社に運んでいたという大国神社、毎月二十五日にその拝殿で連歌を興行したことから連歌堂とも呼ばれている、学問の神様でもある菅原道真公を御祭神とする天神社、そして次に到着した、中央部が盛り上がっているという特徴的な見た目形をしている、太鼓の胴部分を横から見た時の様な形状の様に丸くアーチを描いていることから太鼓橋、また朝廷からの使者である勅使だけが通る事を許されていた事から勅使橋、一般的には反橋と呼ばれている、重要文化財の中では最古の橋を見学した。

そしてここ、厳島神社見学の最終地に辿り着いたのだが…ふふ、これも先ほどの高舞台と同じ程度にとても楽しみにしていた、西廻廊の先に位置し、日本でたった五つしかない重要文化財に指定登録されている舞台、それが能舞台だった。

…そう、勿論舞楽にも私だけでなく藤花も同じ意味合いにおいて、つまり先にも軽く触れた様に世界最古のオーケストラと称される事もある雅楽と深い関わりがあるというので関心は強かったのだが、それと同じくらいに能の舞台を実際に初めて見れるというので、とても楽しみにしていた。

因みに、舞楽と違って例年ずっと能自体を観る慣習はなかった様なので、より一層がっかり感もなく素直に見学を楽しんでいた。

…ふふ、ここでも他のみんなをそっちのけで、写真撮影に熱中してしまったのは言うまでもない。

…我ながら、昨日は呉の大和公園で海と共に裕美を中心とした皆が写真を撮りまくるのを少し冷ややかに見ていた私だったが、こうして冷静に振り返ってみると、自分も皆と何ら変わりがないなと思い返す度に苦笑を漏らしてしまう。


撮り終えると、また私たち班は慌てて同級生たちの後に続き、廻廊を抜けて境内地から出たところで、最後に全員揃って厳島神社に向かって一礼をして、漸くここでの見学を終えた。

まぁ言うまでも無いと思うのだが、一応言うと、やはり想像していた様に、いや、想像以上にここ厳島神社での修学を楽しみながら堪能出来た。事前に予想していた通りに、ここでの見学が今回の修学旅行で一番楽しめた内容だった。


厳島神社の裏を回る様にゾロゾロと歩く皆の最後尾で、撮り終えた写真をスマホ画面で確認していると、脇から裕美や藤花などを中心に覗き込まれつつ色んな感想を言い合いながら、自然と笑みを零しつつ、とても満足感に浸っていると、ようやく本日の昼飯処に到着した。

我ながらのほほんとしてると思いつつ久々に腕時計を見てみると、時刻は丁度正午になっていた。昼飯時だ。

それを認識した瞬間にドッとお腹が空いてきた気がしながら、昼食会場へと足を踏み入れた。


昼食の内容としては、厳島神社まで向かう途中の商店街でよく見かけた、宮島名物だという穴子の釜飯と、イカの刺身、そしてこれまた名産だという牡蠣のフライがセットとなっている御膳だった。

他の例を知らないのでハッキリとは言えないが、感想としては中学生の修学旅行にしては中々に豪勢な昼食を楽しむと、そのまま着席したままで、安野先生から今後の予定が話された。

まぁ色々と具体的に話されたのだが、要するに、ここに来て漸く一時間半ばかりの自由行動の時間が与えられることとなった。

この話を聞いた瞬間、私たち含む皆が揃って歓声を上げたのは言うまでもない。

ここまでキチキチに決められた旅行の行程をこなしてきた訳ではあったが、おそらく他の皆も同じと信じているのだが、まぁ別にこれといって、不満などは抱いていなかった。

だがこうして自由を与えられたとあれば話は別で、途端に各班内であーだこーだ、こうしよう、ああしようとお喋りが始まった。

私たちの班はというと…勿論同じ様に話し合いが始まりはしたのだが、そこはただの確認だけに留まった。

…ふふ、なんせ我が班には、こういった事務的な事になると滅法強みを発揮する紫という班長がいるお陰で、事前にこの自由時間がある事も知らされていた事もあり、例の御苑脇の喫茶店で皆で予定を組み終えていたのだった。


お喋りが収まるのを待たずに、安野先生が最後に集合場所である桟橋に何時までに集合という旨だけをサラッと述べると、解散の号令を発した。

その次の瞬間、各場所で椅子を動かす音が鳴り響くのと同時に、ガヤガヤと会場を後にする物音で辺りは占められていった。


私たちも早速立ち上がると、この三日間一緒に過ごしてきた他の班の子達と、途中まで一緒に行動する確認を取り合いつつ、飯どころを後にすると、まず真っ先に向かったのは、先ほどは通り過ぎてしまった、厳島の大鳥居をバックに写真が撮れるスポットだった。

先ほど通り過ぎた時は、観光客でごった返ししており、写真を撮る順番待ちの列が出来ていたのだが、まだ今は昼食時のためか、ゼロとは言わないまでも人は疎らになっていた。

初日の様に今の時間までしっかりと雲の疎らな晴天下の中、先に出て行っていたはずの他の生徒たちの姿も数人しか見えないうちに、私たち二班はお互いに順繰りに写真を収めていった。

お互いに撮り終えると、ここで一旦行動予定が別だというのでその場で二手に分かれた。

私たちは早速、先ほどこれまた素通りしていた表参道商店街へと向かった。

清盛通りとも呼ばれる宮島のメインストリートで、道の左右には土産物屋や、さっきも見た牡蠣やアナゴを使った名物料理屋の店が軒を連ねていた。

お土産物はかさばるから後にしようと話し合った後、取り敢えず、今昼食を食べたばかりだというのに、早速歩きのお供にと、これまた名物だという、紅葉を象った焼きまんじゅうの一種、その名も見たまんまである揚げたてホヤホヤのもみじ饅頭を買った。それと同時に、これは中々のネタ商品だと思うのだが、鹿のフンアイスクリームなるものも、ついでに買った。本当は麦チョコっぽいのだが、それを鹿のフンに見立てているらしく、それをバニラアイスクリームの上にトッピングしてあった。

もみじ饅頭は勿論私ですらここ宮島の名産品だというのを知っていたので、それなりに楽しみにしていたのだったが、思いの外それ以上にこのアイスクリームの印象が強く、皆も同じ様で、食べ歩きしながら鹿のフンについての感想ばかりで話題が占められる結果となった。

アイスを食べながらそんな話をワイワイ言い合いながら、商店街の中を、さながらウィンドウショッピングしていくと、食べ終えるのと同時くらいに商店街を抜けた。


次に予定のままに向かったのは、いわゆる町屋通りというスポットだ。

さっきまでいた表参道商店街とは打って変わって、ザワザワと観光客で犇めいているという意味での活気ある華やかさとはまた別の、ここ宮島が最も華やいだ古き良き時代のメインストリートといった雰囲気だった。今この時点で人の姿も疎らだというのが、その神さびた私好みの雰囲気に拍車をかけていた。

当時は本町筋と呼ばれていたらしく、白壁やベンガラ格子などの伝統的な宮島商家の趣きを残す町屋建築に、まるで時代劇にでも出てくる様なレトロモダンな宿屋や商店、ギャラリーなどが建ち並ぶという、古い物好きの私としては垂涎ものの景色がここにあった。

…ふふ、まぁこんな話をしなくてもお分かりだとは思うが、今回の自由時間にここに是非訪れたいと言ったのは勿論私だった。…そう、勿論私ではあったのだが、その私に続いて強く推してくるもう一人の姿があった。そのもう一人とは、意外…ってほど意外でも無いかもだが、それは麻里だった。

麻里は今時の女子校生らしく”キャピキャピ”しているタイプなのだが、意外や意外に、私と同じ様にこの様なレトロなものが好きな様だった。

なので、こうして実際にここ町屋通りに到着すると、早速私は私でスマホで色んな角度から、麻里は麻里で持参の本格的なカメラを屈指して写真を撮りまくっていた。

そんな私たちの様子を、他の四人は遠巻きに、まるではしゃぐ我が子を眺める母親の様な、そんな視線を向けてきつつ、その後は辺りの家屋を覗き見たり眺めたりしていた。

お互いに満足すると、お喋りしながら通りを改めて揃って練り歩き、最後は、五重塔が正面に出迎えてくれる所まで辿り着くと、他の観光客の一人を、私からしたら流石のコミュオバケな麻里が捕まえて交渉をし始めた。

女性二人組だったのだが、そのうちの一人が快く了承してくれると、早速麻里は自分のカメラを手渡し、私たちの待つ場所まで駆け足で近寄ってきた。

と、着いた瞬間に麻里は、またもや写真家よろしくそれぞれの配置に口を挟んでいった。

「麻里…この写真までは、まさかとは思うけど、学校新聞に使わないわよねー?」

とジト目で、しかし口元は緩めっぱなしに私が聞くと、

「あはは、どーでしょー?」

と、配置が満足いく形で決まったらしく、さっとこちらに背を向けつつニヤケながら返してきた。

「どーでしょーって…ふふ、まったく」

とため息吐きつつ隣に目をやると、「ふふ…」と目が合った律も小さく朗らかに微笑み返すのだった。

「あはは」

と藤花が高らかに笑い、それにつられる様に裕美と紫も笑みを零す中、

「じゃあ…お待たせしてすみませーん!写真、お願いしまーす!」と麻里が女性に声をかけた。

「はーい、では行きますよー?…はい、チーズ」

カシャッ

という音が終わって少しして、微動だにしていなかった身体を皆で一斉に解く中、麻里が一目散に女性の元に駆け寄った。

「これで大丈夫ですか?」

と女性がカメラを手渡しつつ聞くと、

「んー…どう?」

と、後から駆け寄った私たちにカメラの背面液晶を見せてきた。

他の皆と同時に覗き込むと、私と律がまっすぐに背筋を伸ばして並び立つその前を、裕美達他の四人がそれぞれ思い思いのポーズを取っていた。私と律がシンと立つ中、その前でおちゃらけて写る裕美達の姿とのアンバランスが、とても面白みを増していた。

女性の腕のお陰か、背後の五重塔も綺麗に全景が収まっていた。

「ウンウン」

と私たちが皆して頷いて見せると、「うん」と麻里も改めて頷いてから、「はい、ありがとうございました!」と挨拶をしたので、私たちも同じ様にお礼を言った。

「いーえ」

と笑顔で答えてから、連れの女性と一緒にこちらに手を振りつつ去っていく後ろ姿を眺めてから、また改めて何枚か好き勝手に写真を撮った。


粗方撮るのに満足すると、意外にもというか予定通りに時間も”いい時間”になってきたので、次は最後にお土産だと、表参道へと戻って行った。

その道中、いわゆる海岸通り沿いを歩いていると、一頭の鹿が近寄ってきた。

…ふふ、今思えば、食べ歩きしていたのもあって、その匂いにつられて寄って来ただけかもしれないのだが、何となくこの時の私を含めた全員は、先程のガイドさんからの事前情報とは違って、妙に馴れ馴れしく見えるその一頭が可愛く思えて、順々にペアを組んで写真を次々と撮っていっていた。

良いのかどうなのか…一応この島では鹿は神の使いかなにかとかで、本来はいけなかったかもだが、撫でても逃げないくらいの人懐っこさにすっかり絆されてしまっていた中で、向こうの方で飽きて行ってしまうまで、その場を誰も動こうとはしないのだった。


さて、鹿との触れ合いも堪能し商店街に戻ると、さっき分かれた他の班の子達と合流し、それからは一緒にゾロゾロと両脇に見えるお土産物屋の前の通りを何往復もしながら物色して行った。

「んー…そうだなぁ…って、あっ!良いにおーい」

「ちょ、ちょっと、藤花、どこに行くの?」

「ほらー、律も早く早くー」

「ちょっと、二人ともー?一体何なの?」

と裕美が後をついて行ったので、私も自然と何も言わずにその後を追った。

「ほらみんなー、牡蠣カレーパンだってー」

「か、かきカレーパン?」

となぜか片言調の律には笑顔を向けるのみで、藤花は続ける。

「もうめっちゃくちゃ良い匂いしないー?」

「…ふふ、確かに良い匂いだけれど…食べるの?」

と私が意地悪げに笑みを浮かべつつ聞くと、「んー…どうしよ」と藤花は自分のお腹を軽く撫でて見せていたが、「うん」と声に出しつつ頷くと、お店のおばさんに声をかけた。

「オバチャーン、この牡蠣カレーコロッケっていうの、一つくださーい」

「ふふ、あいよー」

「あー、良い匂い…って、あれ?他のみんなは買わないの?」

「え?んー…まぁ良い匂いだし、美味しそうだけどさぁ」

と紫。

「…ふふ、さっき昼食食べたばっかじゃない…ね?」

と苦笑まじりに話しかけられた麻里も「うーん…」と同じ様に苦笑いを漏らしていた。

「あんだけ食べてなぁー…そりゃあ、さぁー?藤花みたいに食べても太らないタイプなら良いけども…」

と麻里が、藤花とは違う意味合いで自分のお腹を手で撫でるのを見ると、藤花は仁王立ちの様に足幅広く立ち、腰に両手を当てながら返した。

「もーう…食べ盛りの私たちが、こんな美味しそうな物の前で我慢するなんて、絶対に後悔するよー?」

「あはは、ありがとうねお嬢ちゃん。はい、どうぞー」

「あ、ありがとうございまーす」

と受け取った藤花は数歩ほどカウンターから離れると、「じゃあ一足先にいっただきまーす!」と明るく言い放つと、ガブリと大きく口を開けて一口食べた。

「あっ…つ、ふ…あ、っつ、っつ…」と出来立てのためか、熱さのあまりにハフハフしていた藤花だったが、ようやく落ち着いて口の中がカラになると、「おいしー!」と満面の笑みで言い放った。


…ふふ、これを直にお見せできないのが歯がゆいのだが、藤花は本当に凄く美味しそうにご飯を食べるので、眺めてるだけでこちらも何だか気持ちが良くなるのだった。

だが、そうは思いつつも表面上は呆れ笑いを努めて作っていた私と他のみんなだったが、その時「藤花…?」と話しかける者がいた。律だ。

藤花のすぐ脇にずっと立っていたので呼ばれた瞬間に顔を向けていたが、律は少し照れ臭そうにしながら続けて聞いた。

「…ほんのちょっとだけ貰っても…いい?」


…ふふ、これも表現のしようが無いが、滅多に見せない弱気な律のねだり攻撃は、長年の付き合いである藤花にも効果がバッツグンの様で、「仕方ないなぁ…」と言いながらも、パンの包装紙越しに一口ぶんを千切ると、それを律に渡した。…ふふ、この時チラッと見えたのだが、その一口分にはしっかりと、牡蠣も入れてあるのだった。

「ありがとう…んっ」

と口に含んだ瞬間、先ほどの藤花と違って程よい温度に下がったお陰か、同じ様な行動にはならなかった。

律はゆっくりと口の中で味わう様に咀嚼し、ゴクッと飲み込んだかと思うと、

「…うん、本当に美味しいね」と、すぐさま藤花に微笑みつつ応えていた。

「ふふ、美味しいよ?」

と律がその笑みのまま、今度は私たちに顔を向けて言うと、それを聞いた紫が、「それは匂いから分かってるんだよぉー」とため息交じりに返した。

「だよぉー」とすかさず麻里も後に続く。

そんなやり取りを、私と裕美は時折顔を見合わせつつ笑い合っていたのだが、同じ様に紫と麻里の二人にニコッと目を細めたかと思うと、律はカウンターに近づいて行った。

「はい、いらっしゃーい」

「あ、あの…すみません。あの子と同じの…ください」

と途中から背後にいた、カレーパンに齧り付く藤花を指差しつつ言うと、「はいはい、毎度ー」とおばさんはすぐに慣れた手つきでサッと同じカレーパンを手渡した。

「あ、ありがとうございます」

と軽く会釈しながら数歩ほど後退りすると、藤花のすぐ脇に立ち、パクッと品良く小さめに一口口に入れた。

その様子をじっと藤花が見ていたのに気付いた律は、口に物が入っているせいで口を閉じたままだったが、コクコクと数回ただ頷くと、藤花はこの時は口の中が空だったと言うのに、真似して口閉じコクコクと目元はニヤケつつ頷き返すのだった。

そしてそれからは二人して、私たち他のみんなの方に同じ様に顔を向けると、律はさっきのお返しと牡蠣を一つ返したりしながら、そのままモグモグとこれ見よがしに食べ始めたのを見ていた裕美が、「んー…うん、もう我慢できない!」と突然一人で声を上げると、カウンターへ駆け寄り明るく言い放った。

「すみませーん!私にもカレーパン下さい!」

「…ふふ、裕美ったら」

と裕美が走り出した瞬間に、思わず引きずられる様にすぐ後を付いて行き、到着してからは背後に立っていた私が苦笑交じりに突っ込んだ。

「カレーパンってだけで注文したら、牡蠣入りなのか別のなのか、お店の人が分からないでしょう?」

「あ、そっか」

「あはは、んーにゃ」

と私たち二人のやり取りを笑顔で眺めていたおばさんが口を挟んだ。

「ウチんとこのカレーパンと言やぁ、牡蠣入りのだかんね!あはは、カレーパンだけでも通じるよ」

「あ、そうなんですね」

「ほらー、もーう…アンタは細いとこばっか気にするんだからぁー」

「…ふふ、今のはたまたまじゃないの」

「あはは!…っと、ありがとうございまーす!」

「いーえー」

と言いながら手渡し終えたおばさんは、ふと私の方に顔を向けると話しかけてきた。

「んでー…ふふ、別嬪のお嬢ちゃん。アンタも食べてみるかい?」

「べ、べっぴ…え?あ、えぇー…っとー」

と、ただの社交辞令だと言うのに真に受けてしまって私がすぐに返せない中、「あ、そっか…」と今まさに口に入れようとしていた裕美がボソッと言うのが聞こえた。


…もう大分前になってしまうのだが、覚えておいでだろうか?…そう、まぁ結論から言ってしまえば、私は実は牡蠣が苦手なのだ。覚えておいでだろうかと聞いた訳はというと、初めて聡に連れられて義一と一緒に数奇屋に初めて行った時に、おつまみとして美保子と百合子が牡蠣料理を食べていて、それを勧められた時に、私は苦手なんだと返したからだった。

牡蠣が苦手なのは今も継続中で、ついでに言ってしまえば、私はいわゆる海の幸全般がそれほど得意ではなかった。…いや、ここまで言い切るのは誤解を生むだろう。いわゆる磯の香りが強い幸が苦手という意味なのだ。なので、いわゆる刺身とか、少し癖のある青魚などでも平気なのだが、牡蠣を始めとする様な類は苦手なのだった。

…ふふ、苦手をしつこく連呼してる時点で、どれほどのものかお分かりだろう。

…っと、それこそ私の好みの様などうでもいい話をしつこく話し過ぎてしまった様だが、それを裕美、そう、この中では唯一裕美だけが、私が牡蠣が苦手なのを知っていた。

これもキッカケとしては、今回の中では何度も持ち出してきた、例の小六の時の小旅行内でだった。海沿いに行ったというのもあり、必然的に海の幸を食べる事となった訳だが、この時に牡蠣も同時に出てきており、それを食べない私を見た裕美と裕美のお母さんから突っ込まれて、その時に説明したのだった。話を戻そう。


という事で、すぐに察したらしい裕美が漏らした声を聞いた瞬間、チラッとなんとなく後ろを振り返ったのだが、その視線の先には、二人仲良くカレーパンを頬張りつつも、視線だけこちらに向けてくる藤花と律、ただ何気ない感じだが同じ様に視線を飛ばしてくる紫と麻里、そして…熱々で食べたほうが美味しいだろうに、紫たちと同じ様に何気ない風だがどこか顔中に心配色を浮かべる裕美と、その様な順に眺め返していた私だったが、ふとここで何だか自分でも分からないのだが急にチャレンジ精神が芽生えて、サッと今度は勢いよく顔をカウンターに戻すと、人差し指を空に向けて立てて口を開いた。

「あ、はい、すみません。じゃあ…私も同じのを一つ下さい」

「へ?」

と途端に背後から呆気にとられたのが丸わかりな声が聞こえたのだが、それには特に反応せずに「はいよー」と返すおばさんの準備の一挙手一投足を眺めていた。

「はい、どーぞー」

「あ、ありがとうございます」

と律を倣った訳でないが、会釈しつつ受け取ると、そのまま裕美の横に立った。

「あ、アンタ…」

『アンタって、牡蠣ダメじゃなかったっけ?』と続けて聞きたげな様子を微塵も隠そうともしない表情を浮かべていた裕美だったが、それには微笑を浮かべつつコクっと意味ありげに頷くと、早速私は勢いよくガブッとカレーパンに噛み付いた。

まぁ…うん、勢いをつけた方が躊躇いなくイケると判断しての行動だった。

「あ…」とまたもや声を漏らしつつ、私の横顔に痛いばかりの視線を飛ばしてくる裕美に意識が持っていかれそうになったが、構わず恐る恐るながらも口に入った牡蠣とカレーパンを咀嚼し始めた。

まず当初は先ほど述べた通りに、私が苦手としている磯の香りに警戒して、鼻で息をしない様にしていたのだが、いつまでもそうしていては意味ないだろうと、覚悟を決めて鼻で息を吐いてみた。

すると…まぁ冷静に考えてみれば当たり前なのだが、まず鼻を吹き抜けていったのは、カレー特有のスパイスの香りだった。ここで少し一安心したのだが、しかしどうせすぐ後から磯の匂いが後から来るものだと警戒していた。だがしかし、いつまで経ってもツンと来る様な類のものは来なかった。…もちろん、全くないなんて事はなく、もし全く無いなら、牡蠣が好きな人からすると寧ろダメだと判定されかねないと思われるが、しかし私個人としては、ほんのり、ほんの微かに磯の香りがするのみで、気になるほどでは無かった。

と、同時に、モグモグとゆっくりと噛み始めると、そもそもこれは触れてなかったが、牡蠣、特に過去に食べた生牡蠣のプルっとした噛み応え、このなんとも言えない絶妙さをも苦手としていたのだが、こうしてカレーパンの具になった牡蠣はというと、プルプル度合いが、これも牡蠣愛好家からするとどう判断するのか分からないが、程よく弱まっており、なんの抵抗も無く噛むことができ、後はスルリと飲み込むことが出来た。

「ど、どう…”これは”?」

と、皆の中でただ一人不安げな表情で顔を覗き込む様に聞いてくる裕美に対して、私はなんと無くワザとらしく真顔を作って間を置いた後で、途端にニコッと笑顔を浮かべて答えた。

「えぇ、…ふふ、”これは”美味しいわね」

と、点々で囲った部分を強調しつつ返した。

その言葉を聞いた直後、裕美は何かを言いかけたが、その時、「ねー?でっしょー?」と突然私と裕美の間に藤花が割って入ってきた。顔は無邪気な笑顔だ。

「だから美味しそうだから、さっさと食べよーって言ったのにー」

とここで不意に膨れて見せたので、

「もーう…ふふ、まぁこうして買って食べてるんだから許してよ?」

と私が手に持ったカレーパンを向けつつ返すと、藤花はそれ以上は何も言わずに明るく笑い飛ばすのだった。

「もーう、藤花ったら…ふふ」

と後から律に微笑まれつつも、窘められていた藤花を尻目にもう一口口に入れていると、ふと裕美が私の耳のそばに顔を寄せてきたので「なに?」と聞くと、「よかったね」と口元に手を当てつつ言われたので、ふと背筋を伸ばして顔を見ると、裕美の顔には微笑の様な、どこか悪戯っ子のような、その二つが同居してるかのような笑みが浮かんでいた。

それを見た私は、口の中を整理してから「えぇ」と目をぎゅっと瞑って見せながら返すのだった。


それから私たちは、「ごちそうさまでしたー」とおばさんに手を振りつつ挨拶をすると、手を振り返してくれたおばさんの笑顔を背に、また散策を始めた。

「…ふふ、何よ麻里ー?」

「…へ?」

と通りを練り歩く途中で、裕美が口を開いた。

「なにが?」

「ふふ、なにがって…」

と裕美は手元に目を落としてから、視線だけ麻里に戻しつつ返した。ニヤケ顔だ。

「そんな私のカレーパンを物欲しそうに見ちゃってさぁー?…ふふ、アンタも食べたかったんじゃない?…ね?紫ー?」

「…え?」

と急に振られるとは思っても見なかったのか、紫もキョトン顔で返していたが、裕美のニヤケ顔は変わらずそのままだ。

「あはは。だって紫…アンタだって、そんな琴音の手元ばっか見ちゃってさ?…ふ、ふ、ふ、実は二人とも食べたかったんじゃなーい?」

「え?」

と今度は私が声を漏らしてしまった。おみやげ物屋の店頭に置かれた商品群に目を奪われたせいか、カレーパンにそれだけ夢中になっていたのか、理由は定かでは無いが、取り敢えずそんな紫からの視線があったことには気付けないでいたからだ。

裕美がそう言うものだから、思わず私と紫は数瞬ばかり見つめあってしまった。

紫の方ではどうだったか知らないが、私の脳裏には、なんだかずっと印象に残っていた例の、高舞台脇で少し離れた位置から冷めた表情で私が写真を撮りまくっていたのを眺めていた、その姿がありありとこびり付いていたせいもあって、なんだか紫の出方を伺う形となってしまっていた。

そんな私たち二人がどんなわけで…って、おそらく紫もかも知れないが、本人たちですらイマイチ分からずに固まって見つめ合ってしまっていたのだが、そんな二人を他所に、言葉を受けた麻里はわざとらしブー垂れながら返していた。

「だからー…ふふ、別に私たちだって食べたくなくて買わなかった訳じゃないんだってばぁ…ね、紫?」

「…へ?あ、あぁ…」

とここで不意に我に返ったような様子を見せると、途端に紫は普段通りの調子に戻って、顔も麻里と裕美に向けつつ続いて言った。

「…ふふ、そうだよー?あなた、それに律みたいなゴリゴリの体育会系もそうだけど…ふふ、琴音や藤花みたいな文系女子でも、普段してることがしてる事のせいなのか知らないけど、そんなあなた達四人はさぁー…食べても太らないんだろうけど…さぁー…」

「…ふふ」と、ここでチラッと紫がボヤキ調で話しながらこちらに視線を配ってきたのだが、その顔にはやはり普段通りの企み顔が浮かんでいるのが見えた途端、見てるこちらも安心感に包まれたと同時に自然と笑みがこぼれた。

この時ついでにというか、他の二人に視線を向けてみたのだが、既に藤花と律は完食し終えていた。

なるほど、先に買っていた二人の手元にはもうカレーパンが無くなっていたので、私が引き合いに出されのか

と一人納得する中、そんな私の様子に対してかどうかはともかく、紫は企み笑顔のまま顔は裕美に戻すと、不意にここで、すぐ隣に立っていた麻里の肩に手をかけた。普段よく私もされているアレだ。

「んー…あなた達と違って、私と麻里みたいな極一般的な女子中学生はさぁ…食べたら食べた分だけ身についちゃうんだからねぇー?そこんとこは分かってよぉ?」

「えー、私も同類なのー?」

「同類でしょー?ほらぁ…こしょこしょー」

「ちょ、ちょっとゆか…っぷ、あははは!くすぐったいってぇー」

「あはは」「ふふ」

と、そんな様子を、いつの間にか前に出て行っていた藤花と律が振り返りつつ笑みを浮かべてみている中、ここがツッコミどころだろうと、「はぁ…」と、きちんと皆に聞こえるように音量大きめの溜息を漏らすと、道のど真ん中でくすぐる紫、くすぐられてるのにも関わらず、口とは反対にロクな抵抗を見せない麻里の側に立った。

「もーう、二人とも?学級委員長様なんだから、こんな人通りの多いところで戯れ合わないの」

「あはは、ごめんなさーい」

と満面の笑みで謝ってくる麻里のすぐ後で、紫はなんか含みを持たせたような意味深な笑みを浮かべつつ返した。

「もーう…この姫様は、時々お母さんみたいに…な、なるんだからー」

「…」

と、途中までは普段通りだったというのに、”ある箇所”で急に辿々しくなった紫の様子を見て、私は瞬時に、昨日の早朝、ホテルのエレベーターホールでの二人っきりの会話を思い出していた。

なので、私もなんだかすぐには言い返せなかったのだが、一人、今度は誰にも気取られないように注意しながら溜息…というより深く息を吐いて落ち着いてから、普段を思い出しつつ返した。

「…ハイハイ、この際、姫でもお母さんでもなんでも良いから、道路の脇によって」

「はーい」

と麻里がイイ子ちゃんよろしく良い返事をするのに続いて、「はいはい」と、私からの個人的な印象として元の調子に戻りつつ紫が間延び気味な調子で返しつつ言われた通りに行動した。


「はいはい…っと」

と口にしつつ、着いた途端に裕美が器用に包装紙ごとカレーパンを半分に綺麗に割りつつ言った。

「そんな御託は無しにしてさ…はい!」

と裕美は割った、食い掛けじゃない方の半分を麻里に差し出した。

「え?」

「ほーら、しのごの言わずに食べちゃってよ。…ふふ、どっかのグルメ家がさっきいい事言ってたじゃん?『美味しそうだと思ったものを食べなかったら、後で後悔するんだし、それだったら食べちゃった方がいいじゃん!』ってね」

「そうそう!」

と、立ち止まった近くにあった自販機で飲み物を買ったらしい藤花が、キャップを開けつつ明るく合いの手を入れた。

「そ、そっかなぁ…う、うん!そうだよね!」

と、初めはどこか訝しげだったが、それもほんの一瞬で、すぐに開き直った…いや、どこか解き放たれたような笑顔を途端に浮かべると、「裕美ー、ありがとー」と言いながら受け取った。

そして間をおく事なく「いっただきまーす」と言いながらガブッと勢いよくかぶりついた。

「…んーっ!ンマーイ!」

「でしょー?…ふふ」

とそう返しつつ、チラッと視線があったのだが、この時既に私は私で自分の分の片方を、全く同じように割る途中だった。そう、同じく私のを紫にあげるためだった。


…ふふ、ここで若しかしたら、こう思われた方もおられるかも知れないので、いきなり横道に軽く逸れるが許して欲しい。

それは『裕美が勝手に流れを作っちゃったせいで、琴音は琴音で自分のお金で自分の意思で買ったというのに、あげなきゃいけない空気になっちゃったんじゃないか』というものだ。

んー…ふふ、まぁ確かに、私たちの間柄をあまり詳しく知らない人が見たとしたら、そう思われても仕方ないだろう。逆の立場というか、私もおそらくそう思ったと思う。

ただ…まぁ、当事者の立場というか当人として話させて貰おうと、単純な事で、この手の流れは中学入学時あたりから、私たちの間に散々繰り返されていた流れだった。

その時は当然、今裕美がしたように、まだ麻里との付き合いはなかったので、麻里の代わりに藤花だったりしたのだが、私は何故か決まって紫に与えるのが断然多かった。

…ふふ、またしてもどうでもいい事で時間を割いてしまったようだが、なので、このように私が何も言われる前から自分の分を割き始めたのは自然な流れなのだというのを確認して話を戻そう。


「…ふふ、ほーら、紫も」

と、さっきの藤花のように、牡蠣がキチンと中に収まるように工夫しつつ割いた、私が口を付けた部分を避けた半分を、包装紙ごと差し向けた。

この時私は差し向けつつも、声のトーンが不自然ではないか、手が変に強張って下手したら震えたりしてないかなど、内心ではそんな心配をしていたのだが、差し向けられたカレーパンに一瞥をくれたかと思うと、「あはは!」と途端に紫は、底抜けに明るい笑い声をあげた。

「ありがたく頂戴しますわー…お姫様?」

と最後にニタっと笑ったかと思うと、勢いよく私の手からカレーパンを奪い取った。

一瞬あっけにとられて反応が遅れてしまったが、

「ちょっと、紫ー?」と、これもいつも通りと一気に不機嫌げな表情を作って声をかけた。

「また姫呼ばわりして…ふふ、そんな事言うなら、その手にあるカレーパンをあげないよ?」

「えぇー」

と惚け顔を見せる紫に向かって、

「もーう、反省が無いようね…ほらっ!返しなさーい」

と手を目一杯伸ばして奪い返そうとしたが、「やだねー」と身軽に体を交わして数歩ほど私から離れるや否や、「じゃあ、いっただきまーす!」と言い終えるかどうかというタイミングでガブリと噛みついた。

と、その瞬間、「んーー!」と噛みついたまま声をあげると、モグモグと口の中を忙しなく動かして空にするなり、「おいしー!」と無邪気な声をあげるのだった。

「でっしょー?」

「だよねぇー?」

「んー!」

と、麻里、藤花に続いて、口にカレーパンを入れていた裕美も口を閉じつつ何度も頷いてみせていた。

「まったく…」

と私は一人苦笑まじりにボヤくと、パクッと最後の一口分を口の中に放り込むのだった。


「姫ー、ごちそうさまー」

と食べ終えた紫が、まるで何も他意などまったく無いかのように振る舞うのを見て、これ以上突っ込むのも無駄だと、

「はいはい、どういたしまして」

と、なるべく感情を入れないように気をつけつつ、棒読み気味に返した。

そんな返しに紫はニコニコと顔一面に浮かべる中、「でもちょっと喉渇いたねー」と、麻里が言うと、「うんうん、確かにー」と裕美もすぐに同意した。

「でっしょー?」

とそんな話を聞いていた藤花が、手に持った買ったばかりのペットボトルをフラフラと揺らしながら言うと、そのすぐ隣にいる律も同じようにしていた。

藤花は無邪気な笑み、律はほんの微かな笑みだというのに、手元の動きはそっくりそのままという様子を見て、「…ふふ」と私は自然と笑みを零したが、「確かにねぇ…」と笑みを引かせる事もなく、そのまま続けて言った。

「紫、何かこの辺で歩き回るのに丁度いい…ふふ、名物的な飲み物とか無いの?」

「え?」

と急に話を振られたせいか、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見せていたが、ふと急に顔中に不満を露わにしながらも、口元はニヤケつつ返した。

「…まったくー、なーんか私に一々聞いてくるのが裏がありそうなんだよなぁ」

「ふふ、裏がありそうというか…」

と、ここで不意にスマホを取り出した紫の隣に近寄りつつ続けた。

「だって紫、あなたの事だから、そんな所まで下調べは済ませてるんでしょ?」

と言うと、スマホにずっと落としていた視線を上げて、こちらに顔を向けると、紫は企み笑顔を満面に浮かべつつ返した。

「まぁねぇー…っと、どこだったかなぁ」

「…ふふ」

とスマホ画面と睨めっこを始めた紫を見ていた私は、この時、ふと中学一年時の夏休みのことを思い出していた。

そう、夏休みの前半、お盆に入るまでは、裕美はプール合宿、藤花は歌の個人練習とミサの練習、律は地元のバレーボールクラブの練習と、暇していたのが私と紫くらいだった。勿論他の四人も毎日が忙しかったわけでは無いので、チョクチョク会ってはいたのだが、それでも、毎回その場に集まっていたのは私と紫の二人だけだった。

ここまでお浚いをしたところで、何故今ふとまた思い出し笑いをしたのかと言うと、当時二人で遊ぶ時に、その当時から紫は事前に私とどこへ行って何して遊ぼうか計画を練ってきてくれてたからだった。

…ふふ、そう、今回の修学旅行とまったく同じだ。当時で言えば、自分だってまだ同じ中一女子だというので繁華街のことなど何も知らないに等しかったはずなのに、それでも一緒に同行する、この場合は私一人だが、退屈させないようにという細やかな配慮をその時点で身につけていたのだった。


その時のアレコレを思い出していた中、私と紫の周りには他の四人もゾロゾロと集まり、一緒になってスマホ画面を覗き込んでいた。

と、しばらくすると、紫は不意にスマホ画面を閉じると、一同を一度見回してから、最後に私の顔で止めた途端にニヤッと笑って言い放った。

「…よし!じゃあ、姫さまのご要望に合いそうなお店がありそうだから、あっちに行ってみよー!」


「おー!」

と紫が声を上げた途端、ぐんぐんと歩を進めていってしまった後を、同じように声を上げながら、私を除く他の四人は後について行った。

「まったく…本当に飽きないんだから。…ふふ」

と、一応様式美だろうと、私は一人その場で、誰も見向きもしていないのを知りつつも大きく肩を落としながら溜息を吐くと、「やれやれ…」と口に出しながら苦笑を浮かべつつ皆の後を追うのだった。


「…ってかさぁ」

と、丁度私が追いついたその時、藤花が恨みげな口調で紫に話しかけるところだった。

「そんなお店を知ってるんだったら、もっと早く言ってよー?さっき自販機で飲み物買っちゃったじゃなーい」

「あ、そういえば」

と、私を待っててくれたのか、私と同じく最後尾にいた裕美が合いの手を入れると、「ほらー」と藤花は後ろを振り返りつつ、半分ほど中身の減ったペットボトルを先ほどと同じ様に左右に振って見せた。

「あはは」

とここで不意に前方から聞き慣れた笑い声が聞こえたので見ると、紫と共に前を歩いていた麻里が後ろ歩きしつつ律の方を眺めていた。

相変わらず物音一つ立てないでいるので、この時に初めて気づいたが、律は律で正面に向かって、藤花とまたもや同じようにして見せていたらしい。それを受けての麻里の笑みだった。

「あはは、それは悪かったねぇ」

とここで紫もくるっと半回転すると、ニヤケ顔で言った。

「タイミング悪かったかもだけど、結構評判のお店らしいからさ?それで機嫌なおしてよ?…ふふ、あ、着いた着いた。あそこだよー」

と紫が指をさしつつ歩いて行ったそこは、小ぢんまりと纏まった佇まいのお店だった。今時のオシャレ風な雰囲気だ。

まぁここは軽く飛ばすが、要はフレッシュジュースのお店で、どうやら紫と同じ様に下調べしてたのか、それともたまたま見つけてなのか、私たちと同じ制服姿もチラホラと見えていた。

早速私たちはそれぞれが目に止まったジュースを頼んで行った。

これもまぁ全員分のを紹介することもないだろう。…ふふ、まぁ今まで散々細かく説明をこれでもかとしてきた所ではあったけれど。

それでもまぁ一応私だけでも触れると、ピンクグレープフルーツを搾ったフレッシュジュースだった。

…ふふ、なんだかんだで昼食後にスイーツからカレーパンから色々と味の濃いものを続けて食べたので、一旦口の中をサッパリさせたかったのだ。

これは私だけではなかったらしく、皆それぞれが中身が違っていたが、どれもサッパリする様なものを頼んでいた。

「あ、おいしー!」

と、さっきまでの大袈裟なわざとらしい不機嫌さは何処へやら、藤花が高らかに声を上げると、「ふふ、美味しい」と律も微笑を浮かべつつ続いた。

「でっしょー?」

とニヤケ顔ですかさず口を挟む得意げな紫と、そんな三人のやり取りを他の三人で笑顔で眺めていたのだったが、ここで私は不意に気になり腕時計を眺めると、そこに表示されている時刻を見て、苦笑まじりに言った。

「…ふふ、そろそろ本格的にお土産やさんを回らなきゃね?」


「あーっ、そろそろ時間が来ちゃうね」

と私の言葉の直後に、自分のスマホを取り出して確認した裕美が言うと、「あはは、さっきから食べてばっかだもんね」と笑顔で言う麻里の言葉に皆で同意を示してから、ゾロゾロとまた商店街の中を改めて回った。


具体的には集合時間まで二十分ほどだったのだが、しかしまぁ、麻里が言った様に食ってばかりではあったものの、それぞれがそれぞれなりに、さっき見て回った時にある程度の目星はつけていた様で、最終的に全員がバラバラになりながら、お目当のお土産を迷いなく一直線に買い求めに行くのだった。


一応皆であらかじめ決めていた集合場所へ、予定していた物を漏らさずに買った私が行くと、すでに他の五人が立って待っていた。私が一番最後だったようだ。

「おっそーい」

とまず第一声を裕美に貰ったので、「ふふ、ごめんごめん」と苦笑まじりに平謝りを返していたのだが、ふとその時、裕美を含む全員が、私の手元に一斉に視線を向けているのに気づいた。

そして、皆そろって同じような表情を浮かべていたのだが、代表するかのように裕美が続けて呆れ顔で続けて言うのだった。

「…って、琴音ー…ふふ、アンタ、どんだけお土産を買って来たのよ?」

「え?」

と私は自分の手元に視線を落としつつ声を漏らすと、

「あはは、多すぎー」

と藤花が無邪気に笑いつつ言った次の瞬間、

「ほんと、ほんと」

とそれぞれが口々にニヤケ顔で言うのだった。

「そう…かなぁ?」

と私はチラッと顔を上げて一度皆を見回してから、また手元の紙袋群に目を落としつつ言った。


…ふふ、とまぁ表にはこうして惚けて見せたのだが、確かに明らかにパッと見でも、紙袋などの荷物が多いのが分かった。他の皆が多くても紙袋が二つ分くらいなのに、大小の大きさの違いこそあるが、私は片手で二つ三つ持っていた。

…うん、確かに皆が呆れるのと同時に、からかいたくなる程の量だと認めざるを得ないだろう。

だがまぁ…ふふ、勿論他の皆が誰にお土産を買ったのかは具には知らないが、私の場合はまぁ…ふふ、幸せなことにと言った方が良いだろう、お土産を買って行きたいと思わせる相手が大勢いたのだから仕方がない。

ここでは詳らかには触れないが、相手だけでも簡単に挙げれば、まず何を置いても義一、それと師匠、それと…ふふ、これは裕美もだろうが絵里、今度いつ具体的に行けるか決まってはいなかったが”オーソドックス”向け、お店以外でも会える百合子と、あらかじめ予定を聞いた限りでは、近々百合子と一緒に会えそうな美保子、後はまぁ勿論両親向けと、後は…まぁ一応ヒロ向けと、まぁこれだけの数なので、繰り返して言うが、荷物が多いのは仕方がないのだった。


「何をそんなに買ったのー?」

とそれぞれが質問してくるのに、簡単に答えていると、

「もーう…帰りが大変だよ?」

と裕美がまた一度呆れ笑いを向けてきたが、その中に若干の心配の色を滲ませていたので、私はまた一度、両手を塞ぐ紙袋の群れを見下ろしてから返した。

「ふふ、でもまぁこれも想定内だったからね…っと」

と私は紙袋を持ったまま、なんとか無理やりに背中に背負っていたリュックの中から、特大の折り畳まれた状態の布製バッグを取り出して、さも自慢げに見せた。

「これに全部入るはずだから…ふふ、どこかで落ち着ける場所で入れるし、それなら嵩張らないから大丈夫よ」


そんな風に得意げに話す私の様子が何やら面白かったらしく、裕美も含めた他の皆が、さっきとはまた違った意味合いで笑い合うと、そんな様子にクスッと微笑む私と共に、まずは鳥居まで一緒に行動していた他の班の子達との待ち合わせ場所へと向かった。

落ち合うと早速、やはり私の姿がいの一番に目に入ったらしく、開口一番一斉に荷物の量への質問が飛んできた。

それに対して苦笑しつつ返していた私を、ニヤニヤ顔で眺める他のみんなの様子が視界の隅に入っていたが、その後は簡単な会話だけ済ませると、揃って”本当の”待ち合わせ場所である桟橋へと向かった。


着くと既にクラスの半数以上が来ていたのだが、安野先生に全員無事に集合場所に辿り着いた旨を、紫が代表して伝える側で、私は早速近くに目敏く程いいベンチを見つけたので、その上で五つばかりの大きさバラバラの紙袋を、クシャクシャにならないように気を付けつつ纏めていった。


んー…まぁ確かに、流石の私も予期はしていたのだが、私ほどにお土産を買う子は他にいなかったようで、そんな風に整理する姿が珍しかったのか、ここでもその間も同じクラスの子や、他のクラスでも顔見知りの子達に色々と質問などをされて一々答えていったばかりに、中々作業が進まなかったのだが、それでも何とか終わらせる事が出来た。

…ふふ、我ながらしつこい描写だと思うが、事実なのだから仕方ないだろう。

「…っしょっと」

と私が声を漏らしつつ腰を伸ばすと、

「あはは、お疲れ」

と、他の皆がそれぞれ好きに他の同級生たちの元などに行ってしまった中で、ずっと側で様子を眺めていた裕美が、悪戯っぽい笑みを浮かべつつ言うので、

「ふふ、えぇ」

と、私の方では少し照れ臭げに笑い返した。

と、ここでタイミングよく、全三クラスの生徒達が無事に全員集合出来たというので、簡単な安野先生から今後の予定を聞いてから、揃って既に停泊している船へと乗り込んで行った。


…まぁここからは、もう駆け足でも良いだろう。

ネタバラシをすれば、いわゆる本来の意味での”修学”旅行はこれにて終わりだからだ。要するに、後は帰るだけだ。

船は午後二時になるかならないかという時間に、宮島港を出港した。

昨夜に、ディナー船が通った航路をそのままなぞるかの様に、今乗っている高速船は走っていた。

そう、向かう先は行きの港ではなく、広島港だ。

私たちは乗船するなり、もう今更言うまでもないだろうが、裕美に引っ張られつつ、最後の船旅を楽しもうと船内を通り過ぎ、デッキへと足を踏み入れていた。

デッキに出てからは、早速目の前に広がる風景について声を上げたりし合った。

前にも触れた通り、この船は昨日と同じ場所を走っていたのだが、体を打つ風の強さの違いや流れる景色の速さなどなど、高速船ならではの違いは当然として、何よりも今回は昼間の瀬戸内海、そして昨夜と違い、夜の闇に隠れていた部分、全ての姿形がクッキリと見えるその沿岸の風景が眼前に広がるのに、私含む皆でテンションを上げて眺めていた。

目に入ってくる物をそのまま口にし合いながら賑やかにお喋りに興じていると、約二十五分ほどの船旅はあっという間で、少しだけ馴染み深く思える広島港へと船は入って行った。


降りてからは、これまた昨夜と全く同じ様に、ターミナルを抜け、市電沿いを歩いて駐車場に入ると、そこには今朝別れたバスが三台停まって待っていた。

バスの乗り降り口前にガイドさんが立っているのまで、昨夜とデジャヴだ。

これまた同じ様に姿が見えたのか、遠くからガイドさんは声を掛けつつ迎え入れてくれた。

「お帰りなさい」

という言葉を受けつつバスに乗り込み、三日間変わらなかった座席位置に座った。

座るなり、全員がとりあえず自分の身の回りの整理を始めるのまで一緒だったが…ふふ、ただ私だけは、一旦裕美に持ってもらってから整理と忘れ物の確認だけ済ますと、それ以外は、パンパンに膨れた折り畳みバッグを抱えるのみだった。


先生とガイドさんが全員揃ったのを確認すると、バスはゆっくりと駐車場を後にして、すぐに昨夜とは違う道に入って行った。


バスが広島市内の市街地、一般道を快調に走る中、ふとバスガイドは立ち上がり、こんな風にツッコミを入れる事自体が無粋なのだろうが、毎度の様にまずは今さっきまでの修学についての感想から聞かれた。

それに対して生徒側から返すという幾度と無く繰り返されたやり取りを終えると、ここでコホンと徐に咳払いをしてから、ガイドさんは今日まで三日間一緒に付き添えたことへのお礼と感謝を述べた。

「広島はどうでしたかー?」的な質問に、「良かったー」と皆で返すと、

「そりゃー良かった!じゃあまた皆さん、機会があったら…ふふ、いや、無理にでも機会を作ってでも…また来てつかぁさいねー」

と最後に目をぎゅっと瞑るような笑顔で言ったので、

「はーい」

とそんなガイドさんのキャラにつられて、私も一緒になって笑いながら返すのだった。


…ふふ、まぁ普段というか、私自身も小学校でも今回のような校外授業は何度もあった訳で、その度に例外なくバスガイドはついてきていたはずなのだが、言ってはなんだが彼らの印象は、それ程には残っていなかった。

だが…最後の最後で急に触れるのもなんだと思うが、年齢も若めというのもあり、それに加えて、この程よく馴れ馴れしい感じ、まるで同年代かのような…そう、志保ちゃんの様な打ち解けやすい雰囲気を纏ったこのガイドさんの事は、今もこうして思い出せる程度には思い出に残るのだった。


ガイドさんの挨拶が終わり、流れで運転手さんにもお礼の挨拶を皆で言った辺りで、ちょうどバスは広島駅前のロータリー、新幹線口のバスバースに停車した。

皆で順々にバスから降車すると、先に降りていたガイドさんと運転手さんから、朝から貨物室に入れっぱなしだったボストンバッグなどを受け取ると、バスの乗降口付近で一旦集まった。

荷物を全部降ろし終えて戻ってきたガイドさん、運転手さんに、三日間お世話になったお礼を改めて声を揃えるように口にした。これは私たちだけではなく、各クラスも同じ様に挨拶をしていた。

それに対して笑顔で対応された後は、すぐそこの、歩行者の通行専用の高架へ入る用の階段を上がって行った。

…っと、ここまでの流れで、今私たちがいる所をすぐに察した方がいたとしたら凄いと素直に感動するが、そう、ここは修学旅行初日、広島駅に着いた後、集合場所として使い、その後で食事処までぞろぞろと皆して歩いた、ペデストリアンデッキだった。

その事実は当事者の私たち全員が勿論すぐに気づいたので、妙に大げさに懐かしみながら歩いて行くと、上から見たら半円の形をしている、まるで傘を広げたような形をした天井の、例の特徴的な駅前広場へと到着した。

このまま通り過ぎるのかと思っていたのだが、行列はそこでピタッと止まり、それによって後から後からくる他の生徒達によって、人口密度が増えていった。

騒つくこの駅前広場の中、私は裕美達とお喋りしつつ、ガイドさんにああ言われたが、取り敢えず暫くは見納めだろうと傘のような天井を眺めていると、パンと少し離れた位置で手を叩く音が聞こえた。

その瞬間、もうパブロフの犬と化している私たちがピタッと私語を止めて音の方を見ると、そこには各クラス担任の三人を後ろに、こう言っては何だが三日間ずっと影が薄かった学園長が立っていた。

学園長は一同をぐるっと一度眺めた後、そのまま今回の修学旅行の解散式を執り行う宣言を発した。

その旨と、修学旅行についての軽い話の後は、立ち位置を入れ替わって、今度は教諭代表として安野先生が前に出てきた。

学園長と同じように修学旅行の反省、そして、この後東京までの流れ、着いたらそのまま自然解散の旨が伝えられた。

言葉の合間合間に「はい」と相槌を打っていた私たちだったが、

「では…解散。皆さん、お疲れ様でした」

と安野先生が微笑みつつ言うのを聞いて、

「お疲れ様でしたー」

と私たちからも返すのだった。


その後は乗る予定の新幹線の発車が約三十分ちょっとというので、余韻を引きずる事なくそのままぞろぞろと駅構内へと入って行った。

止まる事なくホームまで着くと、列車内で飲む飲料水などを売店で買ったりして過ごしていた。

まだ飲み残しがあるはずの、藤花と律も私たちと一緒に買い求めていた。

しばらくして、これから乗る新幹線が徐行で滑らかに到着した。

「行きとは違って、他の学校の生徒さん達はいません。私達だけです。それに加えて、今回は途中駅ですから、乗り込みは速やかにねぇー?」

と志保ちゃんが、乗車口付近で声を張って繰り返しいうのを聞いて、何となく周囲を見渡しながら、私も他の皆の後に続いて乗車するのだった。


帰りの座席も事前に決めており、私達のような六人班は行きと同じ三列側にまた座った。

必要なものだけ出して、後は持ち運び用に使い続けてきたリュックだけ手元に置くと、棚の上に大きな荷物を置いた。

「ふぅ…」と、自分で買った物だから文句を言う資格は無いのだが、それでも暫くはやっと解放されると息を吐いたその時、音も無くスーッと新幹線がホームを滑りだすのが車窓から見て分かった。


普段乗る電車とは違う、特徴的な高出力モーター音を鳴り響かせながら列車は、高架の線路をスルスルと滑らかに走り始めた。その間、行きと同じような、例の喫茶店でと全く同じのフォーメーションで座っていたが為に、律越しに眺める結果となったが、朝、そして宮島にいた時とは違い、徐々に青空のあちらこちらに白雲が増え始めているのに気付きつつ、目の前を流れる風景は、こう言っては何だが東京郊外の風景と何ら変わりがない、変哲の無い景色であったのにも関わらず、どこか名残惜しい心境が胸に渡来し、ついつい釘付けとなり目が離れなかった。

と、ふとチラッと周りを見渡してみると、それは私だけでは無かったようで、乗り込んで座った直後は、行きと同じように早速お菓子を開けたりと、四時間ばかりの長旅を快適に過ごす為にアレコレ画策しつつお喋りに興じていた皆だったが、それにもひと段落がついたらしく、私と同じように、全く口をきかなかったわけでは無かったが、口数少なく、徐々に早く流れていく景色に何となく見惚れるのだった。


少しすると、急に窓の外が真っ暗になったために、鏡の役割を果たしだした窓には、私達六人が同じ方向を見つめる姿が映し出されていた。

そんな光景を見た瞬間、誰からともなくお互いに顔を見合わせると、クスッと微笑みあったその後は、乗り込んだ直後と同じようにワイワイとまたテンションを戻していった。

「…っと、そういえば」

と私は徐に、座席下に置いていたリュックを取り出すと、中から一つの菓子箱を取り出した。

「なーにー?それー?」

と早速食いしん坊キャラ…って言うと、ふふ、本人に悪いかもだが、藤花がすぐさま反応して見せたので、「ふふ、これはねぇ…」と私はワザとらしく含み笑いを浮かべつつ、顔の前に箱を持ってくると表紙を皆に見せつつ答えた。

商品名はここでは避けるが、カステラ生地で林檎の果肉とカスタードクリームを包み込み、表面に林檎の焼印が押された洋風饅頭だった。それは一つ一つ包み紙に入れられているスタイルだったが、フランス国旗風なのが洋菓子ならではといった感じだった。

「あー、可愛いー」

と麻里も食いつくと、他の皆も麻里の意見に同意を示した。

「さぁ、どうぞー」

とその間私は、上蓋を箱の下に仕舞うように重ねると、丁度皆が取りやすそうな位置に差し出した。

「わーい、やったー」

と藤花。

「こんなの、いつの間に買ってたのー?」

と不思議がりながら取るニヤケ顔の裕美。

「いいねー」

とシンプルな麻里。

「…ふふ」

とよりシンプルな反応しつつ微笑む律。

という順番に手にとっていったのだが、「ふふ…」と律のすぐ後で小さく笑みを零しながら紫が最後に手に取った。

「…ふふって、紫、何よー?」

と私が薄目を使いながら声をかけると、紫も負けじと、企み顔故ではあったが目を細めつつ言った。

「いやぁー、さっすがお姫様だなぁ…って、思ってさ?」

「は?」

と私が無表情な声色を使っても、毎度のことだとビクともしない。

「あはは、いやだってぇ…ふふ、こんなセンスの良いものを選ぶってのがさ、いかにも舌が肥えた姫っぽい」

「洋菓子だしね」

と早速口にお菓子を入れていた裕美が、ニヤニヤしながら加勢した。

「もーう…ってか裕美?何を勝手に食べてるのよ?私への挨拶は…って」

と私が何気なく周囲を見渡すと、裕美だけではなく、他の皆もすでに一口口に入れてるところだった。

「…あ」

と、律まで含む他の四人がバツが悪そうな表情を浮かべた後、その直後にはクスッと皆して笑うのを見て、「はぁ…全く、しょうがないわねぇ」と呆れ笑いを零しはしたが、すぐに自然な笑みにギアチェンジすると、私は自分の分を手に取って、びりっと包装紙を破き、中身のお菓子の頭だけチョコンと出しながら言った。

「そんじゃ、まぁ…いただきます」


「いただきまーす」

と既に食べ始めていた他の皆も明るく言い放つと、残りをパクッと一口で平らげてしまった。

それからは私の買ってきたお菓子を中心に、みんなも車内で食べるように色々と買ってきていたので、それをつつきながら、修学旅行で撮った写真なりを見せ合いつつ、まだ思い出になるには時間が経ってないのだが、それでも記憶新しい旅の話は尽きることが無かった。


だが、やはりというか溜まっていた疲れがここに来てドッと出てきたらしく、皆で最後に麻里のカメラで撮った写真を見終えた頃くらいから、まず、既にお喋りに参加しつつもコク…コク…と船を漕いでいた藤花が寝落ちし、意外というか、それに続いて律と紫という私の両脇、紫に少し遅れて、カメラを整理し終えて少しして麻里と脱落していった。

最後に残ったのは、私と裕美だった。少しの間二人だけで、他のみんなの邪魔にならないように声を抑えてお喋りし合っていたが、ふと途中で、さっき広島駅内で買った飲み物が切れたのに気づいた私は裕美に断って、席を立ち、紫の腿の上を大股で跨いで通路に出て、列車内の自販機に向かった。

裕美も欲しいと言うので、私のお茶と、裕美の頼んだミネラルウォーターを買って、戻る途中、私達だけの班のみではなく、他の生徒たちも疲れが出たのか、半数以上が寝静まり、三分の一ほどは一人静かにスマホを弄るなどして一人の世界に入っているのを眺めていたのだったが、戻ってみると、ついに裕美までが眠ってしまっていた。

「…もーう、自分で頼んでおいて、寝ちゃうかなぁ普通ー…?…ふふ」

と私は消え入るような声で独りごちながら、出た時と同様に大股で紫の上を跨ぎ着席した。

裕美に買ってきたミネラルウォーターを、裕美が気付かないようにそっと本人の席の小さな空きスペースに置くと、私は自分の分のペットボトルのキャップを開けて一口飲んでから、ふと左側を見た。

窓に寄りかかるようにして眠る律の向こう側で、当たり前だが出発当初よりも比べ物にならないほどにスピードを上げて流れる車窓の向こうを眺めていた。

広島市内でも山肌は見えていたけれど、しかし今いるところはもっと山が近いように感じるなぁ…

などという、我ながらどうでも良い感想を覚えつつ、それからはボーッとしていたのだが、この場合、周囲の皆が全員眠りこけているというのと、流石の私も、今もしっかりとリュックの中に入っている、結局一度も読めなかったフィッツジェラルドでも読もうかと一瞬思ったりもしたのだが、もうほんの少しの動作さえ面倒なほどの、心地よいと思えるほどの気怠さに支配されてしまい、それまで眠気だけは感じていなかったはずなのだが、それでも結局は、ウトウトとし出したところまでは覚えているのだが、いつの間にか私も寝落ちしてしまうのだった。


「…ん?」

滑らか、滑らかとしつこく話してきたが、そんな中でも当然動く列車内、背中なりから振動は少なからず感じて、そのリズムが程よく心地良く感じてついつい寝てしまう…とまぁ、普通の在来線の中でもよくある現象に身を委ねていたわけだったのだが、その揺れが消えているのにふと気付いて、恐る恐るといった調子でゆっくりと目を開けた。

まだスヤスヤと眠っている裕美の姿がまず目に入り、私から見て右手、通路側に座る麻里も、そして左手、窓際に座る藤花も最後に見た時と格好は変わっていたが、眠りに落ちたままだった。

それから私は何となく、まず紫に顔を向けると、俯いていて表情は見えなかったが、どうやら同じく眠っているようだった。

最後に左隣を見てみると、最後に見たのと同じ体勢のまま、窓に寄りかかって眠る律の姿があったが、そのまま向こうの景色に少しばかり目を奪われた。

窓の半分くらいまでを無機質な壁が覆っていたが、その向こうでは人々が引っ切り無しに蠢いているのが見えた。

どうやら…って、こんな勿体ぶった言い方しなくても良いだろうが、ボケた頭ではここでやっと、列車が駅に停車したことに気付けた。

窓半分ほどの高さの壁は、転落防止のホームドアらしい。人々の頭上にある案内板には『名古屋』と表示されていた。

他の車両は人々の入れ替わりで騒がしいのだろうが、志保ちゃんが広島駅で言っていたように、行きのように全車両が貸切とまではいかなくとも、結局は各三クラス毎に一車両を使うという、要は三車両は結局貸し切っている形となっていたので、他の車両の喧騒とは全く関わりがなく、外からの音もそんなに入って来ないというのもあって、車両内は静かなものだった。

ホームの天井の隙間から空が見えたのだが、少し黄色とオレンジのグラデーションが綺麗な、典型的な夕焼け模様だった。

名古屋に着いて夕景とは、今が何時なんだろうと腕時計を見ると、時刻は五時半を少しばかり過ぎたくらいを指していた。

広島駅を出て約二時間と少し、単純計算で時間的には中間地点に来ているという事になる。

現在時刻を確認すると、私は両隣に気を使いつつ大きく両腕を天井に向けて伸ばした。

んーん…っと、何だか…眠気も吹っ飛んじゃったわね

と思いながら、腕をゆっくりと下ろしたのだが、先ほど買ったお茶の残りを飲んでいたその時、ある事を思いついた私は、キャップを閉めると、まず足元からリュックを取り出した。

そしてペットボトルをリュックに仕舞ったその流れのまま、代わりに中から例の、フィッツジェラルドの本を取り出した。

…ふふ、そう、寝落ち間際に一瞬考えた事を、まだ皆が起きて来なそうなのを良いことに、今改めてしようというのだ。

リュックは下に戻さずに両膝の上に置いたままにし、早速本を広げると、それと同時に、やはりまるで前触れを感じさせないままに、列車はゆっくりと名古屋駅のホームを滑り出るのだった。


ホームを出てほんの数秒ほど経つと、途端に線路の周辺が拓けたせいか、オレンジ色の西日が車内に容赦なく入り込んできて、私の左側の横顔を照らし出していた。

眩しいことは眩しかったが、しかしもうそろそろ沈まんとするレベルの陽光だったので、むしろ眩しさよりも紫外線特有の暖かさを感じ、とても心地良く覚えつつ、本のページにすら光が入り込んできていたのにも関わらず、特に気にせず内容に没入する事が出来たのだった。


…ふふ、まぁ今さっきに没入していたと言った手前、すぐにこんな事を話すのも何なんだが、発車して十分ほどすると、列車が一つ目のトンネルに入った為に、今まで明るかったのが車内灯のみの光源になってしまったその変化に気を取られてしまい、ふと顔を上げて反射的に窓の外に目を向けてしまった。

それからほんの少しばかりだけ暗闇に浮かぶ自分たちの姿を眺めていたのだが、その時、ふと寝静まる中でただ一人、一瞬だが動きを見せる者がいた。

まさかそんな事は想定していなかった私は、大袈裟な物言いに聞こえるかもだが、自分でも分かるほどに体をビクッとさせてしまった。

そのまま私は窓の外を眺め続けてはいたのだが、視線は窓に映る、私の背後へと視線を注ぎ続けていた。

この間だけで言うと三十秒足らずだったのだが、ふとトンネルを抜けた瞬間すぐに西日が目に飛び込んできたので、じっと目を見張っていた私は、弱くなったとはいえ突然の陽の光に目を塞がれ、避ける意味でも顔を反対側の右に向けた。

とその瞬間、思わず私は目を見開いてしまった。

何故ならそこには、薄目ではあったが瞼を開けてこちらを見つめてくる、紫の姿があったからだ。体勢は名古屋駅で見たのと同じだったが、顔だけは俯いていたのを起き上がらせて、向きも若干左に向けて倒していた。

私と目が合ってからも、ジッと見つめ返してくるのみだったが、ただその瞳からは、薄目だったせいもあって、寝ぼけているのか何なのかハッキリと判断の付かない、精気がまだ戻っていないように見えた。

い、いつから起きてたのかしら…?

と私の脳裏にまずそんな単純な疑問が湧いたのだが、ふと少しして薄目のままの紫の瞳が左下に向かったのが見えたので、私も同じように向けた途端に、「あ…」と思わず、小さくだが声を漏らしてしまった。

紫の視線の先には、そう、閉じないように両手で押さえたまま、ずっと開きっぱなしだった本が置いてあったからだ。

私はこの時に、今回の修学旅行での紫関連の出来事が一気に甦って、映画のフィルムのように視界に流れていくような錯覚を覚えた。

それらを受けて、同時に泉の如く感想が次から次へと湧き上がってくるのを整理するのに、私はやっとといった感じだったのだが、明らかに起きていて、しかも視線を本に飛ばしているのも丸分かり…とバレている事も気づいているはずなのに、紫が一向に何の反応も示そうとしないので、私は恐る恐るというか、慎重に躊躇いがちに視線、顔の順に紫に戻した。

時を一にして、相変わらずの眠気まなこだが紫も視線を合わせて来たので、また少しの間見つめ合ったのだが、私の方が耐えきれなくなり、間を埋めたいが為、色々と誤魔化す為にと、少し自嘲気味に黙って笑みだけを浮かべて見せた。

そんな苦し紛れな私の様子を、やはり無表情のまま見つめてくるのみだったが、フッと小さく鼻で息を吐いたかと思うと、ここに来て漸く私にも分かるくらいな表情の変化を見せた。それは微笑みにも似た笑みだった。

それを見た瞬間、自分でも想定外なほどにホッとした心持になったらしく、われ知らずに自然と笑みを強めたのだが、それを確認してからと決めたかの様に、紫はまたゆっくりと瞼を閉じていった。

しばらく私は、目を閉じてしまった紫の顔を、後から思えば少し不躾だと思うが、それでも繁々としばらく眺めてしまった。

どれほどそうしていたのか、我が事なのに恥ずかしながら知る由もないが、粗方眺めるのにも満足した私は、性懲りも無くと言うのか、より一層西日を弱める窓の外に一旦目を通してから、視線を下に戻し、それから三、四十分の間、また紫か、それ以外の誰かが起き出して来ないかに警戒しつつ、それでも何だかんだ集中して読書を楽しむのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る