第20話 修学旅行 後編 裕美

普段とは違った空間に気の知れた友達同士でいるせいか、内容としては普段とそれほど変わらないというのに、じゃれ合いにも気合が入っていたというのか、いつも以上にテンション高くお喋りを続けていたのだが、ようやくキリが良いというか徐々にスローダウンしてきたその時、

「あ、そう言えば…」

とここで不意に麻里が、何かを思いついた様子で声を漏らした。

「どうしたの?」

と紫が、先ほど買ったペットボトルから水を飲みつつ聞くと、麻里はニヤニヤしながら皆の顔を見渡しつつ言った。

「いやぁ…ほら、修学旅行の夜に、こうして女子だけで過ごす時にお喋りする内容って言えばさ…」

とここでやけに溜めたが、一気に吐き出す様に悪戯小僧宜しい笑顔を顔中に湛えながら言った。

「やっぱり…恋バナでしょ?」

「こ、コイ…バナ?」

と、まるで初めてこの単語を聞いたかの様に、他の皆で顔を見合わせつつ辿々しく口にし合った。

そのままほんの数コンマほど沈黙が流れたが、ここでまた我知らずに、私はクスリと思い出し笑いをしてしまった。

「こ、琴音?」

「琴音ちゃん?」

と、突然そんな反応を示した私の事を、皆が不思議そうに見てきていたが、それに構わずに笑みを保持したまま口を開いた。

「…ふふ、あ、いや、あのね?そのー…ふふ、一年生の時のほら、今回と同じ二泊三日の研修旅行の時にさ、今と同じ様に夜に皆で顔を突き合わせて…ふふ、したなぁー…って思い出してね」

「…?」

と麻里は首を傾げていたが、そんな中、「あ、あーー」と他のみんなは一斉に表情を明るくしながら声を上げた。

「うんうん、あったあった!」

とまず裕美が同意の言葉をこちらに向けると、「懐かしいねぇー」と、私の左隣にいる紫も、顔は私に向けつつも、当時を思い出しているのか中空に視線を飛ばしながら裕美に続く。

「…あ、あー…」

とここでただ一人、藤花が何だか居心地悪そうに笑いつつボソッと加わる。

「い、いやぁー…アレはなんていうか…恋バナとは違う様な…ね、ねぇ?」

「え?…ん、あ、いやぁ…まぁ…ふふ、どうだろ?」

と、ここでまた一人、藤花と同じ様に苦笑を漏らす律がいた。

そんな二人に私たち三人はニタニタ顔を向けていたのだが、ふとここで麻里の様子に気づいた紫が声をかけた。

「あー…って、あ、麻里、その時は当たり前だけど、あなたは一緒じゃなかったよね?あなたとかの他のクラスもそうだっただろうけどさ、その時にね?確か…あ、そうそう、確か藤花にふと聞かれたんだよー。…『そういえば私と律以外は外部生だよね?何か色々と違うでしょ?どんな事があった?そのー…男の子とか』てさ」

…ふふ、よくもまぁそんな二年ちょっと前の一夜の会話を、一字一句覚えているわねぇ…

と感心しつつ、

「ふふ、よく覚えているわねぇ」と、同意の意味を込めた笑みを零しながら返していると、「あー、そんなだった、そんなだった」と裕美も、時折薄目でチラチラと窓際の二人に視線を配りつつ言った。

「へー、そうなんだー」

と麻里も裕美に倣って視線を向けると、

「ちょ、ちょっとー」

と、実はというか、滅多にタジタジになる事が無く、個人的にこの中で一番肝が座っていると見ているのが藤花なのだが、この時ばかりは、まだ今ほど親睦になる前の昔のことを蒸し返されて、とても恥ずかしそうに照れて見せていた。

律はまぁ言うまでもないだろう。とっくのとうに仕切りに照れていた。

「ま、まぁそうだけどぉ…」

といまだに照れが引く気配を見せない藤花、それに律の様子を、当時当事者では無かった麻里も含めて四人揃って、ニヤつきながら二人のことを眺めていたのだが、そろそろ勘弁してあげようと思った私達は、話を少し戻してあげる事にした。

「まぁでも確かに、アレかなぁー?」

とまず裕美が口火を切った。

「麻里も確か同じ外部生だったよね?」

「うん」

「私たち外部生…っていうか、その前に男女共学だったじゃん?そんな私たちの修学旅行の夜の話題は、確かに…うん、恋バナだったわぁ」

と何だか裕美はシミジミと言うと、すぐに麻里が頷きながら話に加わる。

「うんうん、そうそう、そうだよねぇー?まずさ、同じ部屋にいるみんな一人ずつに聞いていくの。『ねぇ、〇〇ちゃんは今気になっている男子とかいないのー?』ってね」

「…あ」と、麻里のその言葉を聞いた瞬間、裕美は急に、さっきの藤花達とは比べ物にならない程に動揺して見せた。

この時、この手の話題には人より何倍も鈍い事を自覚している私ですら、すぐにその同様の原因を察した。

自分から不用意に蒔いた種とはいえ、事情を知っている者の務めというか、裕美の様子を不思議がりだした麻里を筆頭とする他のみんなの注意を逸らすべく、仕方がないと自ら肌を脱ぐ事にした。

「…えー?そんな話ってあったかなぁー?」

と、結局は何だか惚けた声色で横から話に加わる形となってしまった。

我ながら不自然だと思いながらも続けて言った。

「私にはそんな話を振ってきてくれなかったんだけど…」


…うん、実はこれは嘘で、実際は、小学校の修学旅行はギクシャクしつつも朋子達と同じ班になっていたのだが、そんな中で二、三班で同じ部屋に固まって泊まった夜に、朋子達以外の女子からアレコレと、ここぞとばかりに質問ぜめにあっていた。

…で、まぁ…そのー…私の相手の男子というのは既に皆の中で一致していた様で、仕切りにその特定の男子との関係性について根掘り葉掘り聞かれた。

その男子というのは…まぁ言うまでもない…かな?それは…うん、ヒロだった。

当時の私は、よりによって出てきた名前がヒロだったのもあり、それはもう全身を使ってウンザリしている雰囲気を隠す事なく打ち出しつつ否定し続けたのだが、周りはニヤニヤして聞くのみで、まるで取り付く島もないといった感じだった。

…って、そんな私の思い出話はどうでもいい。さっさと話を戻そう。


そう私が戯けてボソッと少し残念そうに漏らすと、次の瞬間、「…そりゃそうだよー」と、正面から声を掛けられた。

言うまでもないだろう…そう、声の主は裕美だった。

見ると裕美は、何だかついさっきのオドオドした表情とは一変して、毎度の通りなからかいたい気持ちを前面に出した笑みを漏らしていた。

「…何が、『そりゃそうだよー?』なのよ?」

と私がジト目を向けつつ聞くと、そんな視線は慣れっこと、ひるむ様子を一切見せずにニヤニヤしながら答えた。

「そりゃそうに決まってるじゃなーい。だって琴音、あなたは…ふふ、小学生の時から、高嶺の花のお姫様だったのに、いくら修学旅行のテンションの中でも、流石に姫に対してそんな下世話な話を触れないでしょー?」

「あー、それもそっかぁ」

と、ここに来て、これまで少し発言の少なかった紫が、私の横顔に向けてニタニタ顔を向けてきた。

「…ちょっと、紫ー?」

と今度は紫にジト目を流したが、全く効果が無かった。

「あはは」とただ企み顔で笑うのみだ。

…まったく、あなたが例の事もあって、何だか居づらそうにしてるから助け船を出してあげたっていうのに、こんな仕打ちをするのー?

と、そんな恨めしげな表情で顔を正面に戻したが、裕美のヘラヘラ顔は引かなかった。

…まぁいっか。目的は果たせたっちゃあ果たせたんだから。

と無理やり自分に言い聞かせて納得したのだが、しかしここで引っ込む訳にもいかずに、文句の一つくらい言ってやろうと口を開いた。

「…まったく、裕美もそうだけど、紫、それに…すっかりホッとして蚊帳の外にいる気になって、一緒になって笑っている藤花と律…みんな揃ってまるで成長してないんだから…。今の会話だって…ふふ、まったく一年生のアレと内容が同じじゃないの」

と、結局は最後まで持たずに途中から口元が緩みっぱなしになってしまい、遂には自ら言いながら笑い出してしまった。

私の言葉を黙って聞いてたみんなだったが、そんな私の醜態を見て途中からクスクスとし出し、最終的には私と一緒になって笑いだしていた。

「うるさいなぁー。成長してなくて悪うござんしたねぇ」

と大袈裟に拗ねながら返す裕美に笑みを返していると、「ふふ、でもさ…」

と不意に紫が私の右肩に手を乗せた。

私が顔を向けると、紫はニヤニヤしながら続けて言った。

「琴音…あなた、さっき私によく覚えているって事で呆れて見せていたけど…ふふ、あなたもそうじゃないか!」

と急に語尾だけ強く言い放つのを聞いた私は、「あ…」と素で我に返って視線を外に逸らすと、そこにはピタッと笑い声を止めた他のみんなの姿があった。

しかし、黙ってはいたものの、律を含めたそのどの顔にもニヤケ面が浮かんでいるのを確認した私は、

「い、いやぁ…まぁ…」

と頰を軽く掻きつつ煮え切らない声を漏らしていたが、

「…ふふ、私も他人のこと言えないか」

と開き直ってクシャッと笑って見せた。

そうした途端に、示し合わせたはずもないのだが、まるで予定してたかの様に同時にまた皆で色んな事を口にし合いつつ笑みを零すのだった。


この笑いが引き始めた頃、急にスッと素に戻った麻里が、今度は妙に真剣な顔を作りながら口を開いた。

「…で、皆さん、本題ですが…、何か…恋バナをお持ちですか?」

「…ふふ、何よそれ?」

「あはは」

「…えへへ」

と言った本人の麻里も自分で吹き出していた。

そんな中、「ち、な、み、にー」と藤花がここぞとばかりに口を挟んだ。

「私と律にはまーったく無いからねー?…だって、ずーっと男子禁制のこの学園の中で過ごしてきたんだし…ねー?」

「…ふふ、うん」

と律も微笑みつつ藤花に返事していたが、

「あはは、それなのに一年の時に話を振ってきたんだもんなぁ」

とすぐさま紫が悪戯っぽく笑いながらつっこむと「もーう、勘弁してよぉ」と藤花が思いっきり渋い顔を作りながら笑うのを見て、また一同はクスクスと笑った。


「さーてっと」と、ここでまた麻里がこの場を仕切り始めた。

「藤花と律ちゃんの内部組はそれで良いとして…はい、じゃあ外部組のみんなに話を聞くとしようか!…ふふ、まったく無いっていうのは…無しだからねぇー?」

「えぇー」

と裕美と紫は顔を見合わせて、いかにも渋っている風を見せていたが、事情を知っている私としては、正面の顔を見つつ、何だか複雑な心境だった。

まぁ…多くは言うまい。

「とは言っても…」

とここまで快活に話していた麻里は、途端に何だか決まり悪そうな表情を見せて言った。

「…えへへ、かく言う私自身、まずそんな恋バナという恋バナが、そのー…無いんだけどね」

「えぇー」

と藤花が大仰に驚いて見せると、「何それー」と続けてニヤつきながら言った。

「本当だよー」と紫も続く。

「あなた自身が、何も無いんじゃ企画として成り立たないじゃーん」

「まぁ…あっ、いやいや!」

と麻里は何か思いついた様な顔を見せると、少し得意げに続けて言った。

「そんな私だからこそ、他人の恋バナを聞きたいんじゃない!ね、藤花と律ちゃーん?」

「え?…ふふ」

と律がただ小さく微笑み返す中、「ちょっとー、さっきまで向こう側にいたのに、急に擦り寄って来ないでよー」と藤花は不満げな笑みで突っ込んでいた。

それに対して、例のごとく麻里は明るく笑うのみだったが、そんな中でふと紫は溜め息を一つ吐いたと思うと、私に話しかけてきた。

「はぁ…まぁいっか。…ふふ、昔を思い出して恋バナっていうのをしてみようか琴音?」

「…え?ん、んー…」

と、ここにきて少しばかり口数の減った裕美の様子を眺めていた私は、急に話を振られたので自然には返せずにいると、紫はそんなのには構わずにニコッと笑いながら続けて言った。

「…ふふ、どっかの誰かさんが言ったように、本当に一年の時から成長していないのか、確かめてみようよ」

「…ふふ」

と、そんな挑戦的な紫のセリフに琴線が触れたのか、思わず笑みを零しつつ「えぇ、そうね」と答えたのだった。


「じゃあそうだなぁ…、一年生の時をなぞるとしたら、まずは私からか…」

と、場に充満していた賑やかさが落ち着き始めた頃合いを見計らって、紫が記憶を攫うように中空に視線を飛ばしつつ洩らした。

「とは言ってもなぁ…何せ、別に学園に入っちゃった後は男っ気なんかあるはずも無いし…」

と独り言のようにボソボソ言うのを聞いて、またもや当時の事を思い出した私はクスリと一度笑ってから横から入った。

「…ふふ、あなたの話じゃ、小学生の頃、ヤンチャに男子たちと一緒に遊んでいたのに、途中から変に対立するようになって、それからは…あ、そうそう、こないだの文化祭というか、それだけじゃなくて、去年のクリスマス会にも参加してくれたあの子達と遊んでいたのよね?」

「…ふふ、本当にあなたは記憶力が変なとこまでバッツグンだよね」

「それって…褒めてるのよね?」

「ふふ、さぁー?どうかなー?」

と二人でやり取りをしていると、「あー、そんな話をしてた、してた」と藤花と裕美がすぐに加わり、会話が盛り上がりはじめた。

…のだが、「あー、クリスマスとか、そんな話をしてくれてたよねぇ」と麻里も、仕方ないが少し出遅れて中に加わる。

「そういえば、麻里も別にあの時来ても良かったのに。あの時は私と裕美、紫のとか、他の学園以外の子達ですら参加オッケーだったんだから。私と律…って、律、それに藤花の二人は教会の用事で来れなかったけれど、いくら私たち二人が違うクラスだからって、皆の友達だったら大歓迎だったのに」

と私が声を掛けると、「こ、琴音ちゃん…」と私の言葉を受けて、麻里は何だか照れ臭そうにして見せていたが、「あ、ありがとう…」と感謝の言葉をこちらに投げかけてきた。

「え?あ、うん…」

と、別に、言い方悪いかもだが、感謝される謂れは別にないと、私は私で少し戸惑いつつ返したその時、「私も誘ったんだけどねぇー」と、そんな私たち二人をニヤニヤしながら見ていた紫がすぐに反応した。

「この子ったら…ふふ、彼氏もいない癖に、何だか用事があったとかで断ってきたんだよ」

「…あー、なんか棘がある言い方だなぁ」

と、すぐさま目を細めて恨めしげに紫にガンを飛ばすと「あはは、ごめんごめん」と紫は陽気に平謝りで済ませた。

「はいはい、言い出しっぺの私だけど、彼氏どころか男友達だって、小学校以来いませんよー…」

と麻里は一人膨れて見せながら拗ねていたが、「…ん?あれ?」と何かを思い出したのか声を上げると、特徴的な猫目をまん丸にしつつ紫に話しかけた。

「紫…でもさ」

「んー?」

「いや、いつだったか忘れたけど…あなた、私の前で男子と親しげに話してなかったっけ?」

「…は?」

と、今度は麻里以上に、これまた特徴的なツリ目を丸くしながら呆気混じりの声を洩らした。

「それって…」

と続けて紫が問いかけようとしたのだが、「えーー!」という裕美と藤花の声に掻き消されてしまった。

「なになにー?初耳なんだけどー?」

「ホントホント」

と、自分の布団から上体がはみ出る程に紫の方に這い寄ったので、「えぇーっと…」と、紫はますます戸惑い具合を増していた。

普段はシャンとして、このグループのまとめ役を引き受けているのに、珍しく狼狽しているそんな紫の様子が何だか可愛らしく思えて、「…ふふ、どういう事?」と私もニヤつきながら悪ノリをした。

「ちょ、ちょっと琴音まで…」

と紫はついには苦笑いを顔一面に浮かべてしまったが、ここにきてようやく自分でも何か思い当たる節にぶつかったのか、「…あ、あぁ…あ?」と、しかしそれでもどこか自身でも納得いっていない様子を見せつつ、そのままの表情で麻里に話しかけた。

「ん、んー…あの事かな?…て、麻里、アレは今さっき琴音が言ってくれたけど、その小学生の時に疎遠になった男子の一人とたまたまあれは…何でだっけかな?まぁ何か再会っちゅうか、まぁ会ってさ、それでその時に連絡先を聞かれたから交換して…うん、その後で麻里、あなたとどこか遊びかなんか行くんで電車を待っていたら、たまたまアレと鉢会った…って、あの事でしょ?」

「あー…あ、ウンウン!そうそう!」

と麻里が笑顔で返すと、紫は大きく溜息を吐いた。

「アレは別に…そんなんじゃなくて…って、あれ?」

と、苦虫を潰して、それを口内に留めたまま…のような、そんな渋い笑みを浮かべながら返していた紫だったが、ここでふと、自分たち二人以外がやけに静かになっていたのに気付いたようだった。

紫はゆっくりと、恐る恐るといった調子で顔を左に向けると、そこには…ふふ、私を含めた四人が一人残らず意味ありげな微笑を浮かべつつ眺めている顔にぶち当たった。

「な、なに…?」

と、事態の変化に対して敏感に察した様子だったが、それでも一応念のためといった感じで、弱々しげに口を開くと、「いーやー、べっつにー?」と、裕美と藤花がまたもや顔を見合わせつつ間延び気味に言葉を合わせた。

「ただ…ふふ、何だかんだ言ってもさ、そのー…ふふ、紫がしっかりと恋バナをしてるなぁー…って思ってさ?」

と裕美が笑いを堪えるように言うと、「ウンウン!」と藤花が無邪気に笑いながら続いた。

「ふふ、そうね」とその後で私も遅れまいと続くと、「ふふ…」と何も言わないながらも、その態度が雄弁な律も続いた。

「だ、だからぁー、そんなんじゃないってばぁー」

とその後は、紫は今まで仰向けになっていたところでガバッと起き上がると、布団の上でペタンと女の子座りをしながら、次から次へと飛んでくる、裕美と藤花、そしてドサクサに紛れて麻里からの質問に対して、答えたり反論したりしていたが、数の暴力の前に防戦一方になっていた。

徐々に表情に疲れが見え始めた紫の横顔を、我ながら意地が悪いが、律と一緒に和かにやり取りを楽しんでいた。


「はぁー、ご馳走様でした」

と裕美が言った後で、「ご馳走様でした」と藤花と麻里が続けて頭を深く下げたのを見た紫は、「もーう…満足した?」と声にも疲れを隠さずに出しながら苦笑まじりに返した。

「うん」

という皆の気持ちのいい返事を聞いた紫は、やれやれと顔を左右に振ってみせていたが、ふとここで、「…あ、そういえばさぁ…」と急に私に顔を向けてきた。

「私のことはともかくさ…琴音、あなたも何か男関係で変化があったりしないの?」

「…へ?」

と、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。チラッと視界の端に入っていた皆の顔にも、おそらく私以上の驚きの表情を浮かべていた。

改めて何となく顔を正面に向けると、思った通りというか、その中でもダントツに裕美が呆気に取られていた。

「え?」

と、私と同じように裕美、そしてその後を藤花と律が続いて洩すと、ようやく矛先が逸れたと安心したのか、いつもの悪巧み顔を浮かべつつ紫は続けて言った。

「ふふ、確かにさ、私もそうだけど、みんなも知っての通り、ここにいる姫ってば、こんな見た目をしてるんだから如何にもモテモテなイメージじゃん?そんななのにさ…ふふ、今までにまーったく男の気配が無かったじゃない?」

「もーう、また姫って…って、まぁ確かに…ふふ、男の気配が無い、それは認めるわ」

途中から視界の右端に、あまりにも熱心な麻里の表情があるのに気付いたので、それに対して反射的に少し苦笑いをしつつも私が合いの手を入れると、紫はニコッと満足げに笑ってから先を続けた。

「ふふ、本人が自分で言ってくれるから頼もしいけど…でもさ、琴音…」

「…え?」

と、さっきと同様にまた私の右肩に手を置いてきたのだが、さっきとは状況が違ったために少し驚きを隠せないでいると、そんな様子はほっといたままに、企み顔を強めつつ続けて言った。

「…ふふ、琴音さぁ…さっきチラッと言ったけど、去年のクリスマス会の時にさ、あなた…口説かれてなかった?しかも…ふふ、結構なイケメンに」

「…へ?」

「え?」

「…ほほーう」

と、麻里だけ何だか反応の種類が違ったが、それ以外の皆でまたもや驚きの声を上げた。

…わ、私が…口説かれていた?…いつ?

と急に、身に覚えのない”罪状”を突きつけられた容疑者の心境を覚えさせられた私は、頭をフル回転させて当時のことを思い返していた。

思考の外では外で、「わ、私が…?」と独りごちつつ自分の顔を指でさす私をよそに、藤花と麻里を中心に妙にソワソワしたとでもいうのか、浮ついた雰囲気が作り上げられていた。

この時の私は正直藤花たちが何を話していたのか耳に入らない程に思考を巡らせていたのだが、ただ覚えているのは、向かいの裕美も同じように考えている様子を見せていた事だった。

と、そう考え込んでいた裕美だったが、ふと何かを思い出した風にハッとして見せると私に話しかけてきた。

「…あ、あー…それは琴音、アレだよ。…翔悟くんの事だよ」

「…え?」とそう言われてもすぐには思い至らなかったのだが、もうその次の瞬間には電光石火のごとく当時の事を事細やかに思い出して、「あ、あぁ…あれね」と返した。

「ふふ、思い出した?」

と紫がすかさずニヤケながら聞いてきたので、好奇心一杯といった風な麻里を尻目に、スンとした細目を作りながら答えた。

「思い出したっていえば思い出したけれど…ふふ、あれはただ単に、翔悟君が場の空気を読んでというか、彼なりにバカをやって盛り上げようとっていう、サービス精神のもとでやった事であって…」

と、途中からやはりまだ頭が混乱していたのか、自分でも何を言いたいのか分からないままに言葉を紡いでいると、「…ふふ、いや、琴音…」と呆れ笑い気味の裕美に口を挟まれた。

「あれは空気を読んでたっていうより…むしろ空気を読んで無かった、いや、空気を読めてなかったっていうか…」

「え?あ…そう、なの?」

と、本人はそのつもりがあったか知らないが、私としてはこの横槍が助け船のように思えて、ここに来てようやく息をつけたのだった。

「あ、違ったのー?」

と麻里が心底がっかりした風な声を上げると、

「ふふ、違ったらしいね」

と紫は相変わらず笑みを絶やさないままに言った。

「らしいって何よ、らしいって…ふふ、間違いなく違うわよ」

と私が念を押したその時、

「…あ、あぁー、前にクリスマス会のことをお喋りした時に言ってた男子のことかぁ」

と、言い方が悪いがここまで少し影が薄かった藤花が、ようやく合点がいった風な声を漏らした。

「なーんだ…はー、びっくりした!ちょっと紫ー?前に話したことだったらさぁ…そんな意味深な言い回しはやめてよー」

「えー、だってー」

と、明るく笑いながらではあるが抗議されているというのに、紫は今度は惚けた表情で返した。

「私ばっかりはズルいじゃーん?他にも生贄が欲しかったんだもん」

「なーに可愛い子ぶってるのよ?」

と私はすかさず横から口元を緩めつつも突っ込んだが、それもどこ吹く風だ。

「私もビックリしたわ…」

と今度はため息交じりに裕美も加わる。

「まさか…こんな初恋もまだにして、見た目からは想像できないくらいに恋愛偏差値が小学生以下の琴音に先を越されたのかと…ふふ、ヒヤヒヤしたわぁ」

「ちょっと裕美ー?」

と一応様式美として不満タラタラにツッコミを入れたが、まぁ流石というか、見た目がどうのはともかく、それ以外は正直一語一句反論のしようがなかったので、それ以上のことは返せなかった。

…それとまぁ、無駄に意味ありげに付け加えれば、それを言うのが裕美だったというのが大きかった。

「あー、それ私も思った」

と自分で言ったくせに、紫が裕美の話に乗っかると、皆で一旦は紫へ一斉にツッコミを入れたのだが、それ以降は、何故か一人残らず嬉々としながら私を題材にお喋りに花を咲かせだした。

「いやー、本当に琴音に色っぽい話が無くて良かったぁー」

とまず裕美。

「もーう…紫ー、この子の取り扱いには十分に気を付けてよー?この子に関してさ、特に…ふふ、恋愛関係の話が出たその時というのは、私達のグループの中で滅茶苦茶に大ごとなんだから」

「そんな大袈裟な…」

と一人冷めた風に私が口を挟んでも、まさに焼け石に水だった。

「確かにー」と藤花が同意した後で、「ごめんごめーん」と、今回は不思議と素直に自らの非を認めて謝る紫の姿があった。

とその時、「いやいやいやいや」とここがタイミングと、麻里が片手を顔の前で左右に振りつつ口を挟む。

「深窓の令嬢である琴音ちゃんに、そんな男の影が見つかったその日には…少なくとも同学年内で大騒ぎになるくらいに大変な事だよ!」

「ちょ、ちょっ…」

「あー、確かにー」

と他のみんなが揃えて納得の声を上げる中、流石にここまできたら看過が出来ないと、無駄と知りつつ、まず私は麻里の手元にあるペットボトルを手に取り眺めつつ言った。

「麻里…あなた、まさかお酒でも飲んで酔ってるんじゃないでしょうねー?まぁ仮にも無いことだけれど、私なんかにそんな浮いた話が出たところで、なんで同学年でも中には見ず知らずの子達も大勢いるというのに、そんな大騒ぎにならなくちゃいけないのよ?」

「あー…やっぱりそう返してくるかぁ」

と麻里は何だか心底呆れた風に笑みを零しながら言うので

「実際そうでしょうに、はぁ…ふふ、もういいわ」

とワザと大仰に疲れた顔を見せつつ返すと、そんな態度で満足したのか、麻里は今度は紫に顔を向けて話しかけた。

「…っと、ところでさぁ…?私達の令嬢に、ネタかどうかは置いとくとして、公衆の面前で口説いたという男子ってどんな子だったの?」

「え?えぇっとねぇ…」

と、当日参加した私、裕美、紫の三人で翔悟の特徴を思い浮かべ始めていたが、麻里はそのまま話を続けた。

「藤花や律ちゃんも知ってるみたいだけど、私は…もちろん紫、それに裕美からも当日の話なり写真なり見せてもらったけどさ?…えへへ、そんな今みたいな内容ありきでは見てなかったから、悪いけどまた改めて見せてくれない?」

「あ、確かに見た方が早いよねー。うん、ちょっと待ってねぇ…」

とここで全体がトーンダウンしたというのか、ようやく落ち着きを取り戻した私達は、まず初めに紫が自分のスマホで撮ったクリスマス会当日の写真を眺めつつ、アレコレと感想を言い合った。

「へぇー、この人が琴音ちゃんを口説いたっていう…」

「ネタでね」

と、我ながらしつこいと思ったが、途中から私も自分のスマホを取り出して、当日の写真を一枚だけ引っ張り出し、皆が見やすいように布団と布団の隙間に置きながらも、すかさず口を挟んだ。

因みに裕美も私と同じことをしており、ちょうど私と裕美が配置的に中間にいたのもあって、藤花や律にも見せる事が出来た。チラッと覗き見ると、裕美は私とこれまた同じ様に、カラオケボックスを出る直前にみんなで撮った集合写真を画面いっぱいに表示させていた。

「あはは!…へぇ、この男の子かぁ…ふふ、確かに紫が言った通り、女っぽい今時なイケメンだねぇ…坊主だけど」

「ふふ、野球部らしいからねぇ」

と私が相槌を打つと、「そうなんだぁ」と、麻里は紫のスマホを手に取ると食い入る様に見ていたが、ふとここで、何かに気づいたらしい麻里が「…あれ?」と声を漏らした。

そして何やら操作をちょろっとした後で、モニターを私たち側に見せながら口を開いた。

「琴音ちゃんを口説いたって男子は分かったけれど…ここに写ってる、もう一人の男子は一体…誰なの?」

「え?」

「へ?」

と、私と裕美は同時に声を上げてしまった。

その直後に私たちは視線を交わし合っていたのだが、そんな様子に初めのうちは何とも思ってない風だったのが、麻里だけでは無く他のみんなも不審がり始めた。

「…ふ、二人とも?」

「どーしたのー?」

と聞いてくる麻里と藤花に対して、すぐに答えられなかった私たち二人だったが、ここでふと、事情を知るはずも無い紫が助け船を出してくれた。

「ふふ、何を二人ともキョドッてんの?まったく…麻里、この男の子はね、確かー…うん、森田くんって言ってね、琴音と裕美の小学生時代からの幼馴染なの」

「へぇー、そうなんだ」

と麻里は改めて手元の紫のスマホを覗き込み出す中、ここにきてようやく動揺が引き始めた私は口を挟んだ。

「…ふふ、紫、よく彼奴のことを覚えていたね」

「あはは。まぁあなたのコンクール決勝の応援に行った時が初対面だったけどさ、その時でかなりお喋りをしたりしたし、その後で文化祭にも来てくれたり、あのクリスマス会にも来て盛り上げてくれたじゃん?…ふふ、まぁこんだけ接触してれば自然と覚えるってもんよ」

「あはは、そっか」

と私に遅れて裕美もやっと動揺が引いたらしく、笑みも自然と零しながら相槌を打った。

と、そんな私たち二人の変化に気づいた紫は、やれやれと不意に呆れ笑い顔になると口調も合わせて言った。

「まったく…なーんで私が、あなた達二人の幼馴染を紹介しなくちゃいけないのよ」

「ふふ」

「あはは、ごめんごめん」

と二人して平謝りをしていると、これまでいつも通りに静かだった律がふと口を挟んだ。

「…彼も、野球部なのよね。…でしょ?二人とも」

「えぇ」

「そうだよー」

と二人ですぐに同意の意を示したその時、

「あはは、律ー?そんな体育系の話を無理やりねじ込まないでくれなーい?」

と藤花がニヤニヤしながら口を挟むと、

「あ、いや…そんなつもりは…」

と律が照れ臭そうにタジタジになる姿を見て、

「まったく、律は本当に運動バカなんだからなぁ」

と言う紫の言葉を取っ掛かりに、研修旅行の初日に、海上のパーキングエリアを寄った時に、裕美が水泳をしているのを知って異様な食いつきを見せた当時の律について話が広がった。

仕切りに照れる律をよそに盛り上がる中、途中までは逐一質問をするなどして輪に交じっていた麻里だったが、また紫のスマホに目を落とすと口を開いた。

「ふーん…でもそっかぁ…。あ、いや、まぁ琴音ちゃんを口説いたって子と同じ坊主頭だもんねぇ。いかにも野球部らしい」

「だからアレは冗談だってば」

と私が苦笑まじりに突っ込んでも、それにはニヤッとしただけに留めて、麻里はまた続けて言った。

「この男の子はさっきのチャラ男と違って、何だか坊主頭がしっくりくるねー。顔に合ってるというか」

「ふふ、チャラ男って」

と私は思わずまた反応してしまったが、それ以上に正面で強く反応した者がいた。

…って、変に溜めることはないか。勿論裕美だった。

「でしょー?だよねぇー」

と、ここに来て何かのスイッチが入っちゃったのか、テンションもあからさまに上がっていた。

「翔悟君と違って…って、翔悟君ってのは、ふふ、麻里が言うところのチャラ男君のことだけど、ヒロ君は如何にも男らしい顔つきをしているからね、だから坊主頭がよく似合ってるんだよ」

「ひ、ヒロ…君?」

と、裕美のテンションに押され気味な麻里は、少し引き気味ながらも問い返した。

そんな二人…というか裕美の様子に私は心底ドキドキして静観していたのだが、これ以上なんかアラが出てはいけないだろうと感じて、仕方ないとここで口を挟むことにした。

「そうそう、ヒロ君…って、私は君付けなんかしないから、普段通りの呼び方にさせて貰うけど、ヒロは本名森田昌弘って言ってね、昔からヒロ、ヒロって呼んでるのよ」

「あ、う、うん、そうそう」

と、ここでようやく自分の妙なテンションの上がり具合に不自然さを認めたらしい裕美が、後からオドオドと続いた。

だが、そんな様子の大きな変化に気づいているのだろうが、そんなそぶりは一切見せずに麻里は笑顔で言った。

「そうなんだねぇ、へぇ…ふふ、うん、確かに。今裕美がなんか熱っぽく語ってたけど、その森田…君?ふふ、確かに顔つきが坊主頭に良く合ってるね」

「で、でしょ?」

…まったく、また調子に乗るんじゃないでしょうね?

と一人クスリとしながら、麻里に顔を向ける横顔に視線を飛ばしながら思いつつ、また口を挟むことにした。

「まぁ確かにヒロは坊主頭が合っているよねぇ…ふふ、うん、顔つきが男らしい…かどうかは分からないけど、取り敢えず見た目も立ち居振る舞いもお猿さんそっくりだからかしら?」

「もーう、琴音…ふふ、アンタはまたそんな事を言って…」

と不満げな声を漏らしつつもニヤける裕美と、それを見て微笑む私の二人を見て、他の四人もこちらに微笑を向けてきているのが視界の隅に入って見えていた。

「あはは!お猿さんかどうかは知らないけど」

と紫。

「さっきも言ったけど、あの場を盛り上げてくれようと頑張ってくれたキャラクターには、クリスマス会では助かったよ」

「…あーあ、本当に行きたかったなぁクリスマス会」

「…ふふ、うん」

と、藤花と律も後に続く。

「ふふ、まーだ言ってるの?」

と紫は苦笑を漏らしたが、その後で不意に柔和な笑みを見せるとそのまま続けて言った。

「まぁさ、別に今後一切あんな機会がなくなったわけじゃ無いんだし、また今度さ、皆が集まるような会をしようよ。…勿論、次回は麻里も一緒にね?」

「あ、うん!」

「いいねー」

「うん」

「えぇ」

とそれぞれが口々に賛意を示すと、そのまままた将来いつくるか分からないその機会について盛り上がるのだった。


「…しっかしなぁ」

と、その盛り上がりが落ち着いた頃、思い出した風な様子を見せた麻里が口を開いた。

「なんだか新鮮だわぁ」

「…え?何が?」

と、ふとこちらに視線を向けてきたので私が聞き返すと、麻里はニコッと悪戯っぽく笑いながら言った。

「だって…まだ琴音ちゃんと知り合ってから間もないけどさ?…琴音ちゃんの口からタメの男の子の話が飛び出すだけでも意外なのに…ふふ、そんなにイキイキと話すんだもん」

「…へ?」

と私は、あまりにも予想外な言葉を投げかけられて、素っ頓狂な声を漏らしてしまった。

…イキイキ?ヒロの事で…?…この私が?

「…まさか」

と心に留めておくつもりだった言葉を口にしてしまうと、「あー、確かにねぇ」と、そんな私をよそに紫から始まり、藤花なども後に続いて声を上げた。

「そうそう。麻里、私たちはアレ以来、何かにつけて森田君の話を二人から聞いたりしてるんだけど…ふふ、まぁ裕美はいつも地元の友達の話をする時と同じで楽しそうだけどさ、普段はスンと澄ましているこの姫様も…その時ばかりはテンションを上げてくるんだよ」

「へぇー」

「いやいや…何を言って」

と紫の言葉に反論を挟もうと思ったが、それは藤花たちに阻まれてしまった。

「ウンウン、確かに確かにー」

「…確かにそうだねぇ」

「…ちょっと、律まで?」

と、まぁ今回は具体的には初の状況下ではあったが、ノリとしては毎度お馴染みだったので、攻撃をかわすのに終始していたのだが、ふとこの時、視界の隅に、こちらをじっと見てくる裕美の真顔に近い表情が写り込んでいた。

それは、片隅だから本来は焦点が合っていないのもあり印象に残らないはずなのだが、今もこうして強く脳内に焼き付いているのだった。

…そう、ここ一年ばかりの間に、ごく稀に見せる裕美の表情だった。

それに気を取られつつも、他の皆の話はますますエスカレートしていっていた。

「分かるわぁー。普段はすごい大人っぽい雰囲気…てか、オーラみたいなのを漂わせてるのに、森田君の話をする時の琴音ちゃんの言い方がすごい砕けてて、それだけ森田君に対して気を許しているのが分かるもん!」

「…ふふ、分かるもんってあなたねぇ…。はぁ…何を言っても無駄ね」

と私は色んな意味を込めてそう小さく呟くと、その瞬間皆で笑い合いだしたのだが、その間、気になってチラチラとまた覗き見ると、裕美は真顔では無くなっていたが、見るからに無理して笑みを浮かべている様子だった。


「あー、でも良いなぁ」

と興奮冷めやらない雰囲気の中、麻里は相変わらず紫のスマホを覗き込みつつボヤくように言った。

「幼馴染…かぁ。幼馴染って良い…よねぇー。もうテンプレ中のテンプレじゃない?」

「テン…プレ?」

と、なんだか喉がすっかり乾いてしまった私は、お茶のペットボトルをゴクリと飲んでから返した。

すると、麻里はニコッと無邪気に一度笑うと、「そうでしょー」と天井に顔を向けつつ言った後で、顔を元に戻して続けた。

「世の中にいっぱいある恋愛モノでも、んー…そのー…」

と自分で話し始めたくせに、なんだか自分で急に照れ出した麻里だったが、意を決した風を見せつつ続けて言った。

「…ほ、ほら、何て言うの?んー…男女のさぁ、幼馴染とか、さぁ…その間に生まれる恋愛的なものとか…ふふ、女子なら一度は憧れるシチュじゃない?」

「…」

とこの時の私は、何の反応を示さない裕美の様子が気になり過ぎて、腰を入れて麻里の話を聞けていなかったのだが、それでもただの反射で答えた。

「そ、そう…かしら?」

「そうそう、そうだよー…って、アレ?」

と、途中まで変わらずにニコニコしていた麻里だったが、ふと周囲に視線を配った直後、ピタッと笑みを止めた。

それにつられるように私も見渡すと、そこには、それぞれのやり方で顔中に気まずげな表情を浮かべる皆の顔があった。

これには私も驚きというか不思議に思ったのだが、「ど、どうしたの?みんな?」と麻里が声を掛けたその時、「麻里ねぇ…」と思いっきり強めに苦笑いを見せる紫が口を開いた。

「ふふ、もーう…そんな私たちですら思ってても言えずにいた事を、そんな何でもない風にツラツラと言っちゃうんだもんなぁ」

「え?…え?」

と麻里は見るからに狼狽えて見せたが、それに違わず反応こそしなかったものの、私、それにチラッと見た限りでは、裕美も麻里に負けず劣らず狼狽している様子を見せていた。

実際はそんな私と裕美のことを見ていなかった紫は、麻里だけの驚きの顔を眺めつつ、一度ため息を吐いてから続けて言った。

「私たちもさぁ…ふふ、幼馴染…うん、しかもさ、いくら幼馴染とは言っても、他のパターンがどうかは知らないけどさ?いくら仲が良い幼馴染っていったって、話を聞く限りかなり急な話だったのに…他の用事があったって言うのにすっぽかしてでも、ここにいる琴音のコンクールの応援に駆け付けるとか…ふふ、何も無いって考える方が無理ってもんでしょ?」

「…へ?」

と、理解が追いつかないままに気の抜けた音を口から漏らす中、今度は藤花が引き継ぐように口を開いた。

満面の苦笑いだ。

「そうだよー。…決勝当日にさ、琴音が本番の準備で消えてる時に、裕美と一緒に森田君とお喋りをしてたんだけど…なーんか話を聞く感じじゃ、今紫が話したような内容でさぁー…うん、その時も、その後も特に触れなかったんだけど…なーんかあるんじゃないかってたまに話し合ってたんだー」

「…そう」

と間を置かずに今度は律が話に加わる。

「私と藤花、紫の三人…でね」

「ごめんね二人とも…勝手に裏でこんな話をしちゃって」

と、私たちが相槌を入れる暇を与えないためかの様に、紫が今度は済まなさげな表情で続いて言った。

「今話した事って、内容からしても、琴音だけじゃなくて裕美…これに関しては裕美にもちょっと話し辛かったんだよ…。でもこれだけは信じて?断じて変に二人…てか特に琴音、あなたが嫌がるような事を、推測で言い合ったりとかはしてないから。ただ…うん、気になっちゃっただけ…なんだよ」

「うん…」

「…」

と、それに続いて藤花、そして律は静かな表情でコクっと小さく頷いて見せた。

「…」

と、突然の告白に、相変わらず頭が追いついていなく若干混乱していた私だったが、ふと顔が合ったので見ると、どうやら裕美の方でもその様で、これぞテンプレという風なキョトン顔を浮かべていた。私もそうだっただろう。

と、少しの間そのまま顔を見合わせていたのだが、多分この時の私たち二人の、紫たち三人への気持ちは同じだったのだろう、どちらからともなく吹き出す様に小さく笑みを零すと、二人揃ってその笑みのまま周囲を見渡した。

「まぁ…ふふ、大体予想はついてたよ」

と、ここまで静かだった裕美が、呆れ笑いを浮かべつつ口を開いた。

「まぁ仕方ないよねぇ?…ふふ、私だって、逆の立場であのコンクールの時の会話をその場でしたり聞いてたら、そう勘繰っちゃってたもん。でしょ、琴音?」

と聞いてきたので、

「『でしょ?』って聞かれても…ふふ、私は本番に備えていたから知らないわよ」

と私は苦笑まじりに返した。


…まぁ、全く知らないという事はない。コンクールの本番時やその前後は、お母さんと師匠としか実質一緒にいなかったので、その裏でどの様な会話がなされていたのかは知る由もないのだが、それでも紫が話した様に、その後の普段の会話の中でどの様な内容だったのかは教えて貰っていたので、繰り返すが全く知らなかった訳ではなかった。

だがまぁ…言い訳というか一つ言わせてもらえれば、当日は当たり前と言えば当たり前だが、神経がピリついており、コンクール本番の事しか頭になく、皆との会話も正直朧げにしか覚えていないのが実情なのだった。


「ふふ、そりゃそっか」

と裕美は笑みで返すと、一度また周囲を見渡してから言った。

「だからまぁ…何というかさ、この姫みたいにちょっとだけ恥ずい事を言うようだけど…ふふ、紫、今アンタが言ったような事は、一々言われなくたって、私、それに…琴音だって分かっているからさ?そのー…心配しないでよ」

「あ、うん」

と紫がホッとしたような何とも言えない表情と同時に笑顔で答えた直後、

「藤花と、それに律もね?」

と声をかけると

「うん」

「えぇ」

と二人も紫ほど強めではなかったが、やはり同じ類の表情を見せるのだった。

「…これで良いでしょ琴音?」

と、皆のそんな様子を眺めつつ、私にだけ聞こえるような音量と声音で話しかけてきたので、私も一度皆の様子を眺めてから「えぇ、それは…うん」と、どこか裕美の言い回しに引っかかりはしたのだが、まだ何だか変に夢心地な状態が続いていた為か、頭が働かないままにそう返した。

それを聞いた裕美は目をぎゅっと瞑るような笑顔を浮かべて見せると、パンッと安野先生のように場の空気を入れ替えるかのように両手の手のひらを打ち合わせて、皆の注目が集まるのを確認した後で明るく言い放った。

「さてと!なーんか変な感じになっちゃったけど、話を一度戻そ?」


「話ー?…話って何だったっけ?」

と紫が斜め上に視線を飛ばしつつ、惚けた口調で言うと、

「あはは!」と藤花が底抜けに明るい高いトーンで笑い飛ばした。

「ふふ」と律も小さく笑っていたが、「何だったっけ?」と紫を真似するかの様に麻里が続くと、「ちょっとー?」と瞬間的に裕美が突っ込んだ。

ジト目ではあったが、口元はニンマリとしている。

「アンタが言い出したんでしょー?…恋バナがどうたらって」

「あ、そうだったー」

と藤花が乗っかったが、それは置いといたまま裕美は続けて言った。

「言い出しっぺがそれじゃ困るなぁ」

「あはは、ごめんごめん」

と麻里が笑顔で謝るのを聞いた裕美は、呆れ顔で顔を大きく横に振ると、ふっと力を抜く様に笑みを浮かべて、その直後にはぐるっと一同を見渡した。

「…まぁいっか。さてと、紫が始めたんだったよね?そのー…中一の時の研修旅行の夜をなぞろうって」

「まぁねー」

と間延び気味に紫が答えるのを聞くと、また笑みを強めつつ口を開いた。

「ふふ、あ、でさ…順番でいうと確かあの時って…私が、そのー…最後だったよね?」

「そうだったねぇ」

「うん」

などなどと、裕美の若干見せるもたつき具合を気にするでもなく、他のみんなは何でもない風に答えていたのだが、そんな中、私はただ一人、そう話す裕美の顔をじっと眺めて…というよりも、眺めずには居れなかった。

何故なら、その笑顔の中に、先ほど視界の隅に写った例の雰囲気が仄かに滲んでいるのが感じ取れたからだ。

言い方良いのか分からないが、その不気味さに目を奪われてる中、裕美は辿々しさを保ったままに、しかし笑顔を努めて言った。

「で、でさぁ…?あの時は誰かに聞かれた…って感じでは無かったはずだけど…」

「そうそう」

と紫がすかさず相槌を打つ。

「あの時は途中で…ふふ、みんなでお姫様を質問攻めするので一旦話が止まったからね」

「そうよ、まったく…」

「あはは」

とまた明るい雰囲気が広まりかけだした中、一人フゥっと何かを決心するかの様に息を深く吐いたかと思うと、裕美は何気ない風な顔つきを見せていたが、どこかピリついた心境を表情にほんのり滲ませながら口を開いた。

「…そう、琴音の話が終わった後で私の番になった訳だけど…あの時、私が何て答えたか覚えてる?…うん、そう、好きな人はいなかった…そう言った…よね?」

「うん…」

と、皆はそれぞれ合いの手を入れたが、どこか普段と違う雰囲気を感じ取ったのか、当時を知らない麻里も含めて全員で固唾を飲んで続きを待った。

「…でもね」

とここで不意に今までのトーンよりかは少し強く言葉を発すると、そのままテンションを落とさないままに続けて言った。

「あの時実は…私…嘘ついてたんだ」

「え?」

と私がまず一人で瞬時に一足先に反応をした。

…何を言おうとしてるの?裕美…?

「…へ?」

と、私に遅れることコンマ数秒後に、当時一緒だった三人が同時に、驚きというか呆気というのか、そんな色んな感情の入り混じった声を漏らした。

表情までキョトン顔の、私も含めた皆の顔を見た後、裕美は力無げな微笑を浮かべると、そのままの笑みのまま続けて言った。

「あの時の質問というか話って、確か…『小学校で好きな人はいなかったの?』って事だったと思うけど…私ね、じ、実は…」

とここで一旦止めて溜めると、息を整えるように一度大きく深く息を吐いて、若干の真剣味を帯びせた表情でジッと皆の顔を見渡していたが、やはり耐えきれなかったのか、一人思いっきり照れて見せつつ、口調も覚束無くやっとという風に口を開いて言った。

「…小学校時代…ね、ずっと、そのー…す、す…好きな人が、そのー…いたんだ。そしてそれは…うん、今もずっと続いているの」

途中から裕美の癖である、髪を短く戻して涼しげになった首の後ろを摩りながら、チラチラと私の顔を覗き込みつつも、それでも何とか最後まで話きった。

「…え」

と、また私は短い声を漏らしたが、中身としては先程よりも驚きが少なく見積もっても倍服していた。

自分でも気づいていたが、おそらく目を文字通りまん丸に見開いていたのだろう、そんな私の視線とぶつかると、裕美は何だか何かを諦めたかのような、しかし、どこか清々しげな、そんな笑みを満面に浮かべているのだった。

「え?」

「へ?」

と紫、藤花も、私とはまったく意味合いが違ったが程度としては同じくらい驚いて見せて、二人ともにジッと裕美を見つめる以外は何も声を発せない様子だった。

律も同様で、普段のアンニュイな薄めがちのその目を、今は恐らく私と同じくらいに真ん丸に見開いていた。

麻里も、当事者では無かったので私たちほどでは無かったが、ただ単純に、裕美に好きな人がいるという一点だけで、かなり驚いている様子だった。

そんな皆の反応を眺めていた裕美は、クスッと自嘲気味に笑うと、まだ照れ臭そうに言った。

「ふふ、隠しててごめんね?」

「…イヤイヤ」

と、裕美の言葉を聞いた瞬間、紫は目を丸くしたままで、片手を左右に何度も振りながら、横にしていた身体を起こしてペタンと布団の上に座りながら口を切った。

「いやいやいやいや!そんな内緒だとか隠してたとか、それはどうでも良いっていうか…え?本当…ってかマジなの?」

「うんうん、マジマジ、大マジだよ」

と裕美は笑顔で答えた後で、「信じてよー」と戯けてワザとらしく頼み込むように言った。

「信じてよー…って言われても…え?」

と、そんな裕美に、今度は藤花が口を開いた。

言い終えた後も、口をあんぐりと開けていた…が、次の瞬間

「…え、えぇーーー!?」

と、藤花はガバッとその場で勢いよく立ち上がりながら声を上げた。

そのあまりにも通りの良い声に、すぐ隣にいた裕美も紫と同じように身体を起こして座ると、「あはは、ちょっとー」と藤花の手を掴んだ。

そして「藤花ってばうるさいよ?」と言いながら手を引くと、「あ、う、うん…ごめん」と、はたと我に返った様子で、引かれるままに布団の上に座った。

「で、でもさ」

と座り終えた藤花は、声の音量こそ抑えていたが、しかし何だかエネルギーを持て余しているような、そんな声色を使いながら言った。

「えーーー、そうだったんだぁ…って、それって、今もって今言ったよね?」

と聞く藤花に、「あはは、うん、今もって今言ったよ?」と、何だか言葉のチョイスにまだ混乱が見えていた、その語感が面白かったのか、心なしか愉快げに返した。

そんなからかい風味な返しには一切取り合わずに、藤花は勢いそのままに続けて聞いた。

「え?って事は…あれ?今もその男子にずっと…そのー…なに?片思いをし続けてるって事?」

「え?…んー…」

と裕美はここで口を閉じつつ声を漏らしながら、考えてる様子を見せていたが、ふとニコッと笑うと答えた。

「…ふふ、そうなる…かな?」

「へぇーー、そうなんだぁー」

と、返答を聞いた藤花は、我が事のように益々テンションを上げていっていた。

この時の私は、口を薄っすらと無意識に開けながら、何だか吹っ切れたような顔つきで意気揚々と話す裕美を眺めていたのだが、何気なくふと隣を見ると、律も今だにキョトン顔のままだった。

「…って、あ、そうそう」

と、何だかここで我に返ったのか、意外にもここまで静かに控えていた麻里もガバッと勢いよく起き上がると、布団の上にペタンと座って声をかけた。

「話してくれて嬉しいんだけどさぁ…?そこまで話してくれるなら、ついでにそのまま長い間片思いをしている男子も発表しちゃってよぉー」

「お、麻里やるじゃーん」

と、直後に紫が目元を悪戯っぽく細めつつ続いた。

「あはは、さっきは空気を読んでよ的な風に突っ込んじゃったけどさー?今回の”敢えて”空気を読まないその感じは…グッジョブ!」

「なーんか前半に棘がありまくる感じだけど…えへへ、でっしょー?」

「えぇー?」

と裕美は渋って見せていたが、何だかニヤケ顔だ。

「いいねぇー…ね?」

と、藤花も紫たちのノリに追随し出したが、ここでふと、私と律が乗ってこないのに気付いたらしく声をかけてきた。

「え?んー…ふふ、うん」

と、律は律の基準で言えば即答に近い早さで返していたが、そんな中、私はすぐには返せなかった。


それは勿論様々な理由があるが、具体的にすぐ答えられる事で言えば、藤花が声をかけてきた瞬間に、紫と麻里の相手をしていたはずの裕美が、二人をほっといて、ギュンと勢いよくこちらに顔を向けてきたのが大きかった。

私はその瞬間ドキッとしてしまったが、そんな私の様子をジッと澄んだような、しかしどこか底知れない深さを秘めてるような、そんな瞳で見つめてきていた裕美だったが、しかし口元や頰は、気持ち緩んでいるのか、そこまできつい印象をこちらに与えてはこなかった。


と、それでも私が何も言えないで見つめ返していると、裕美は不意にクスッと笑って目を細めたかと思うと、鼻で小さくフッと息を吐きながら柔和な笑みを浮かべた。

それを見てようやく私は、自分でもこの時何を感じ取ったのか、それを具体的に話すのは難しいのだが、無意識に近いままに私からも小さくほほえみ返すと、

「…ふふ、えぇ」

と藤花に一度顔を向けつつ返した後で、これが自然だろうとまた裕美に顔を戻した。

その時の裕美の顔には、紫たちを相手していた時と同じ類の笑みが戻っているのだった。


…これだけ聞いても、私と裕美の間で繰り広げられた不自然な光景を、皆して見ていたはずなのだが、それには誰も触れずに、まるでそんなことが無かったかのように話は進行していった。


「でさぁー?」

と、麻里はここでグッと拳一つ分ほど裕美に体を寄せると、上目遣いで顔を覗き込むような体勢になりながら言った。

「それでそのー…その片思いの男子って、一体…誰なの?」

「そうそう!そこカンジーン」

と藤花もすぐに乗る。

「ふふ…」

とそんな麻里と藤花の様子を眺めながら、律、そして先程裕美の様々な表情を見たおかげか、まだ話題が終わっていないというのに、私も同じく、しかし控えめなのは変わらなかったが、それでも微笑んだ。

「あはは!」

とそんな私たちは他所に、紫は一度明るい笑い声を上げると、向かいの麻里に呆れ顔で話しかけた。

「…って、麻里ー?仮に裕美がその男子の名前を言ったところでさぁ…忘れてなーい?」

「え?何をー?」

と、麻里は猫よろしく目をまん丸にして黒目の少ない瞳を向けると、紫はふとぐるっと一同を見渡してからニヤケつつ言った。

「ほら…私たちの学園って女子校じゃない?そもそもこの話題ってさ…ふふ、共学にしか通用しないと思うんだけど」

「…え、えぇー?」

「えー?」

と、麻里に始まり、途中から藤花も混じって不満げな声を上げた。

「今更それ突っ込むのー?」

と麻里が言うのを聞いて、

「あはは、今更すぎるー」

「今までのは何だったのよー?」

などなど、これには藤花だけではなく裕美と私、律も一緒になって笑みを零したのだが、紫は何処吹く風とニコニコとするのみだった。

「だってぇ…名前を聞かされてもピンと来ないじゃーん」

と紫。

「…ふふ、いやいや、紫、さっき麻里が話してくれたけれど…私たちにとっては見ず知らずの、あなたの小学校時代のその男子との話題は、そこそこ盛り上がったじゃない?」

と私がすかさずニヤケつつ突っ込むと、

「あー!それをまた蒸し返さないでよぉ」

と紫は途端にいかにも参った風な表情で、恨めしげな視線を私に向けてきた。

そんなやり取りを見て、場はまた明るく盛り上がったのだが、そんな中で麻里がブー垂れた顔つきで紫に話しかけた。

「そんな事言ってぇ…紫はじゃあ気にならないわけー?そのー…普段を知ってるのに一切の男の気配を見せてこなかった裕美が、そんな何年も一途に片思いし続けてきた相手をさぁー?」

そう聞かれた紫は、「う、うーん…」と唸り声に近い声を漏らすと、

「それは、そのー…勿論、気にはー…ならない、って言ったら嘘になるけどさぁ…」

と、途中から顔は麻里に向けたまま視線だけ動かしていたが、最終的には顔ごと裕美に向けた。

それにつられるように、また一同は口を閉じて一斉に裕美の方に視線を集めた。何か発言を求めるためだ。

いかにも固唾を吞むといった状態が何秒間か続いたその時、それまで黙って自分からも見つめ返していた裕美だったが、フッと息を漏らすと、そのままため息交じりに笑みを浮かべつつ口を開いた。

「まぁ…ふふ、うん、まぁ…さ、自分からこんな話をし出したんだから、別に相手の男子の名前を出すのは、そのー…ふふ、変な言い方だけど、ここまできたら抵抗は無いよ?」

『ここまできたら抵抗が無いよ?』と言うセリフが、気のせいかも知れないけど、なんだかそこだけ私に向けられている様に感じられて、その言葉を心の中で反芻しつつ、表面的には裕美の一挙一動をただ見守るのだった。


「うん…えぇっと…」

とここで裕美はおもむろに、先程取り出して、布団と布団の間に置いていた自分のスマホを手に取ると、何やら操作をし始めた。

しかしそれも数秒足らずで終えると、「んー…っと」と呟きつつ、手元はそこで止めたまま、画面をじっと眺めつつなかなか動きを見せなかった。

そんな踏ん切りのつかない様子に、焦れったさを覚えていたはずと思うのだが、誰もそんな茶々は口にせずに、ただただ黙って裕美の動きを待った。

「…うん」と、これが最後と自分にでも言い聞かせる様にコクっと頷いたその瞬間、「ええっとね…実は…」と裕美は口にしながら、ゆっくりとスマホを横回転させながら言った。

「…こ、この男子なの」

と、裕美がこちらに向けてきた画面に映っていたものは、さっき皆にクリスマス会当日の様子を紹介する目的で引っ張り出してきた集合写真の一部を拡大したものだったのだが、この時同時に裕美が画面の一部を指で差していたその先には、翔悟と肩を組んで、昔からまるで変わらない、無邪気な少年…というよりガキ大将って感じの笑みを浮かべるヒロの姿があった。

「…え?そ、それ…って…」

と藤花が口をパクパクさせながら言うと、それを引き継ぐように紫が続けて言った。

「もしかして…森田くん…って事?」

「…」

と聞かれてすぐには答えなかった裕美だったが、クスッと小さく笑うと、「う、うん…」と少し俯きつつ蚊の鳴くような声で返した。

そして顔をゆっくりと上げたそこには、真っ赤になりながらも満面の笑みを浮かべる笑顔があった。

「…って、えーーーー!」

と、またもや藤花がその場で立ち上がったが、今回は同じように声を上げつつ紫も立ち上がった。

他の二人、律と麻里はというと、麻里も声を上げていたが、律と揃って目を丸くしながら、まだ向け続けている裕美のスマホ画面に出来る限りに顔を近寄らせて、マジマジと眺めていた。

私は、そんな皆の反応を見渡しつつ、相変わらず真っ赤な顔をしながら、今度は若干の苦笑いをしている裕美を眺めながら、なんだか色んな想いが頭の中で嵐のように渦巻いてしまっていたせいか、その量の多さにむしろ無心の境地に近い感覚を覚えていた。

「…ふふ、もーう、うるさいってばぁ」

とまだ突っ立ったままの藤花と紫の手を取ると、裕美が下に引っ張ったので、二人はそれに合わせてゆっくりと腰を下ろした。

しかし、座ってからも、私以外…って、私もそうか、仰天の面持ちでしげしげと話題の中心人物を眺めていたのだが、裕美の方では先に余裕が出てきたらしく、スマホを仕舞いながら口を開いた。

「まぁ…ね。そういう訳だからさ?そのー…ふふ、さっきあんた達は琴音の事を、ヒロ君に結びつけてアレコレからかっていたけど…さ?さっき琴音自身も言ってたけど、これに関してはっていうか…うん、実は、琴音じゃなくてそのー…ふふ、からかわれるべきは私だったって事だね!」

「…」

と裕美はチラッと私の方に視線を流しつつ言い終えた。

私はというと、その言葉を聞いた瞬間、裕美の一部の言い方に、理由も分からず不思議と引っかかる思いをしていたのだが、しかし当時はそれどころではなく、そんな些細な引っ掛かりに構ってられないと流してしまった。

と、そんな思いを私はしていたのだが、それとはまるで別な反応を、当然と言えば当然なのだが各々が返していた。


「あ、あぁー…」

と、まず裕美の言葉を受けて、紫がなんだか気まずげな顔つきを作ると、口調ももたつきながら口火を切った。

「そ、そうだったんだ…。ご、ごめん裕美!私、さっきはこの姫さまを弄るのに夢中で…さぁ…」

「おいおい…」

と紫のそんな横顔にツッコミを入れたが、まぁいつも通りにスルーされてしまった。

「あはは、仕方ないよ」

とそんな紫に、もう通常通りに戻った…いや、まだどこか照れが見えていたが、しかし気にならない程度には復活した裕美が笑顔を見せつつ返した。

「うん…ふふ、だって、私自身がずっと隠して…うん、隠してたんだもん。そりゃあ…ふふ、初めから察してよっていう方が無理ってもんでしょ?」

「う、うん…」

と、そんな裕美の笑みにつられるように紫も笑顔を見せると、「…怒ってないの?」と今度は藤花が、本人はもちろん無意識なのだが、上目遣いで聞いた。

聞かれた瞬間に顔をぐるっと回して藤花に向けた裕美は、今度も間を空ける事なくすぐに答えた。

「うん!ぜーんぜん!むしろ、皆に黙っててごめん…って感じだよ」

「別にそんな、謝られる事なんて…」

と返す藤花にニコッと目を細めると、「…でもまぁ」とここで一旦口を止め、ぐるっと一同を見渡してからニヤッと笑い言い放った。

「こんな恥ずい話なんて、そうそう自分からするものでもないと思うけどね!」

「あはは、それもそうだ!」

「あはは!」

とここでようやくというか、妙な緊張感が場から消え失せて、いつもの”私たち”に戻った気がした。


と、そんな風にしばらくしていると、「…あっ」と麻里がこちらに顔を向けつつ言ったので、私も顔を向けると、麻里は少し考えてる風な表情で声をかけてきた。

「…もしかして琴音ちゃん、あなたは裕美がさっきの男子を好きだって事…知ってたの?」

麻里の口調は普段の雑談時と同じトーンではあったのだが、その内容に思わず声を漏らしてしまった。

「…え?」

「あー…」

と私の声に被って、そこかしこから私のとは別の種類の声が上がった。

それに気づいた私は、なるべく顔を麻里の方向に保ちつつ周囲を見渡すと、裕美含む皆が皆、それぞれ何やら意味深な表情でこちらの出方を伺っていた。

「そ、それは…」

と洩らしつつ、何度か皆の顔を眺め回していたが、やはりというか最終的にはジッと正面を眺める事となった。

その視線の先にいた裕美の顔はというと、先ほど紫が言うところの私が弄られていた時にふと見せた、真顔に近いその表情の中に様々な感情を織り交ぜたような、そんな内容を浮かび上がらせていたのだが、ほんの数秒ほど見つめ合ったその時、フッとまた、これもつい先ほどこちらに見せた、どこか何かを諦めるかのような、しかしどこか清々しげな柔らかな笑みを見せてきた。

それを見た私は、二度目だというのもあって、その笑みの理由について、こんな時だというのにも関わらず質問したい欲望が胸辺りを渦巻き出したのだが、それをなんとか抑え込みつつ、自分なりに即興ではあるが私なりに解釈した態度を取ることに決めた。

「…ふふふ」

と私は途端に…うん、時間的には途端にで正しいと思うが、ここで意味深に普段の紫を倣って企み笑いを浮かべると、そのままの表情で皆を見渡しつつ言った。

「んー…ふふ、黙秘権を行使するわ」


「…えぇー?」

と瞬く間にまず藤花が頰を膨らませつつ不満げに漏らした。

「…ふふ」

と律は一人小さく笑いながら、わざとらしくドヤ顔を作っている私の横顔を眺めている中、「もーう…」とその反対側から別の不満声が聞こえてきた。紫だ。

「何よそれー?…まったく、この姫さまは急に妙な理屈を思いついたと思ったら、ケ・セラ・セラと逃げるんだからなぁ」

「ふふ、褒めてくれてありがとう」

「褒めてなーい!」

と紫と藤花が同時に突っ込んでくるのを聞いたその瞬間、「あははは!」と裕美が、大浴場から戻ってきてから一番の明るい笑い声を上げたのを聞くと、それをキッカケに皆が皆それぞれ各様に笑みを零すのだった。


つい先ほどまで楽にしようと寝っ転がったりしていたというのに、今では皆が皆揃って自分の布団の上に座りながらお喋りを楽しんでいた。

と、その時、

「黙秘権かぁ…それが一番、新聞部としては困るんだよなぁ」

と、皆と同じように笑顔ながら麻里がそう呟くと、「ちょ、ちょっとー?」とすかさず裕美が口を挟んだ。

「まさか、そんな記事を書くつもりじゃないよねー?」

「え?んー…どうしよっかなぁ?」

と、どう空気を読んだのか悪戯っぽく笑いつつ麻里が言うので、会話に耳だけ傾けていた私としては内心ハラハラものだったが、しかしそんな私の心配を他所に、裕美はジト目を向けつつも笑みは保ちながら返した。

「どうしよっかなぁー…じゃないよー?勘弁してよねぇ?その代わり…琴音と律に関しては、いくらでも記事にしていいから」

「あのー、もしもし?」

「ふふ、裕美ぃ…?」

と、私と律がほぼ同時にそう突っ込むと、「あはは」とこれまた毎度のように笑顔で誤魔化されてしまった。

途中から他の皆も一緒になるところまでもテンプレ通りだ。

「はぁ…もーう」

と私と律が諦めモードでお互いに顔を見合わせつつ苦笑を交換し合っていると、「…あ、あぁー…」とここで不意に紫が出来る限りといった感じで語尾を伸ばして見せたので、何事かと見てみた。

するとその顔には、ハッとした顔つきのなかに、どこかバツ悪そうな心情が滲み出てるのが見受けられた。

「紫…どうしたの?」

と麻里が声をかけると、「え?…うん、えぇっとねぇ…」と紫はすぐには答えなかったが、

「これもさっき…琴音についてアレコレと喋っちゃってたから、その後では話し辛いんだけども…」とふとここで、私と裕美の向こうに視線を飛ばした。

その瞬間、私と裕美は、その視線の先へと同時に振り返って見ると、そこには、一瞬は何だか理解して無さげな表情を浮かべていたが、ハッと同時に何か思い至ったらしく、藤花と律はお互いに顔を見合わせたかと思うと、苦笑し合い、そしてその表情のまま紫に揃って顔を向けた。

「…あ、あー」

「な、何よ皆して『あー』『あー』って…?」

と私が突っ込んだのも束の間、そんな藤花と律の反応についてすぐに察したらしい紫はコクっと頷くと、藤花たちも同じく頷き返すのを確認してから、裕美、そして私に顔を向けてからゆっくりと口を開いた。

「えぇーっと…ふふ、うん、それはね?まぁ端的に言っちゃうとさぁ…そのー…うん、実はね、私、藤花、律の三人の間でさ、これまた二人に内緒で悪かったんだけど…実は、裕美が森田くんの事、もしかしたら…好き、なんじゃないかな…って話は出てたんだよ」

「…へ?」

「…え?」

と、紫の話を聞いた直後、私と裕美は同時に声を上げて顔を見合わせた。

その直後、ふと紫とは反対に顔を向けると、そこには、藤花と律が、それぞれのやり方で、苦笑いと照れ笑いをブレンドさせたような笑みを浮かべていた。

「えー?そうだったんだ?」

と、そんな中、言い方が悪いかもだが、良くも悪くもこの中では部外者に近い麻里があっけらかんとした声で聞くと、「うん、そのー…まぁ、ね」と紫も藤花たちと同じような笑顔で返した。

「そ、それはまた…なんで?なんでそんな風に、そのー…思ったの?」

と、ここでやっとといった様子で絞り出すように裕美が声を出した。

見るとその顔には、キョトン顔ではあったのだが、しかしその表面上に徐々に赤みが増していくのが側から見ても分かるのだった。

と、そんな反応を見せた裕美を見て、三人は顔を見合わせると、何故かホッとしたような力の抜けた表情を浮かべて、また一度頷きあい、そして代表としてなのか紫がゆっくりと話し始めた。

「まぁ…繰り返しになっちゃうから簡単に言うとさ、さっきお姫様に言ったのと同じような理由だよ。初めて森田くんと知り合った琴音のコンクール決勝、文化祭、それにクリスマス会の時にさ、んー…うん、私個人の意見を言えば、その時に何度か裕美と森田くんが喋ってるのを見たり聞いたりした時に、そのー…ふふ、この言い方が良いのか微妙だけど、少なくとも裕美の方は、その時の顔が…ふふ、とってもキラキラとしてた印象だったんだよ」

「それは私も同じー」

と紫が話し終えた直後に、藤花がすぐさま加わった。

「…ある一点を除いてね?」

と一旦紫に悪戯っぽい笑みを向けた後で、藤花は続けた。

「まぁ紫はああ言ったけどさー?ちょっと揚げ足取りっぽくなっちゃうけど、琴音とは厳密には違うよね?…っていうのもさ、だって琴音とどうかって話は、わざわざ自分の用事を蹴ってまで応援に来たって点であって、それとは裕美のパターンとは違うもん」

「それは私も分かってるって」

と紫はすかさず苦笑交じりに突っ込んでいたが、それも想定内と「だから揚げ足取りだって言ったじゃーん」と、何だか言い訳になってない言い回しをニコニコ顔で返してから、藤花は改めて話を続けた。

「でもね、本当に後は紫が今言ったのと同じだよ。…ふふ、私、それに律はさ、紫と違って裕美が彼と一緒にいるのを見たのは二回だったけど…うん、それでも、それしか見てなくても、裕美の顔が何ていうか…うん、今までに見た事がない表情だったのに気付いたからさ?実はそうなんじゃないかって見てたんだよ…ね?」

「…ふふ、うん、前に同じ」

と律は、藤花に答えつつも裕美に向けて笑みを零した。

そんな計三名の告白を順々に聞くたびに、見るたびに益々顔を赤らめる一方だったが、ふと皆の話が終わったと見るや、裕美は顔色をそのままに、思いっきりバツが悪そうな顔つきで口を開いた。

「え、えぇ…?…わ、私って、そんなに顔に出るタイプだったのかなぁ…?」

「…え?」

と、裕美が自分の顔を撫でつつ、不意にこちらに視線を飛ばして来たのに気付いた私は、質問に対してどんな答えを求めているのか、求められているのかを私なりに頭を回転させて考えを巡らせた。

…だが、突然の事だったのもあり、結局は直感に従って返すことにした。

「…ふふ、まぁー…顔に出るか”は”知らないけどもね?…顔に出るか”は”」

「あー、大事だから二回言ったー」

と瞬時に何かを汲み取ったらしい藤花が乗っかってくると、「もーう、”は”ってなによ、”は”って」と裕美からも苦笑交じりに返されてしまった。

「…ふふ」

と私は微笑みつつ、咄嗟の割には間違ってなかったらしいのに一人安心するのだった。

…ふふ、だいぶ以前に触れて来た私たちの小学校時代には、今以上に恋愛偏差値が低すぎたせいか察せれなかったが、ふと振り返ると、裕美は私の前でわざとかと思うほどに露骨に態度を見せていた。そんなタイプなのだ。

だから、『あなたは顔には出ないけれど、態度にはすぐに出るタイプよ?…裕美』と本当は嚙んで含めるように言いたかったのだが、それは言わずに置いた。

…ふふ、敢えての内緒だ。


そんな事に思いを巡らせつつ微笑む中、この場はまた和やかな雰囲気に戻っていっていた。

「てかさ…紫と藤花、あなた達、実はそこまで目星を付けてたってのに…ふふ、何で私のさっきの告白にあんなに驚いたのよー?」

と、ようやくここに来てまた顔色が元通りになり、それと同時にいつもの普段通りのテンションに戻った裕美が、開き直りのようにニヤケつつ聞いた。

すると、紫と藤花、それに律を含めた三人は同時に顔を見合わせると、クスクスとお互いに笑い合ってから、藤花が口を開いた。

「いやぁー、だってさぁー?それは驚くよー。予想はしてても、こうして本人の口から実際に聞かされたらさぁ」

「そうだそうだ」

と瞬時に紫が合いの手を入れる。

この時、相変わらず律は静かに黙ってん眺めるのみだったが、ふと私と目が合ったその口元は、ほんのりと微笑を浮かべていた。

そんな様子に私は一度、益々盛り上がる裕美達に視線をチラッと向けてから、そしてまた視線を戻すと、肩を竦めてやれやれな笑みを浮かべた。

それに対して、すぐに察した律も、私と同じような動作をしながら笑みを強めるのだった。


と、そんな風に各々が笑顔を見せる中、ふと麻里がしみじみといった様子で口を開いた。

「しっかしなぁ…まさかのまさか、最後にこーんな特大の、甘酸っぱーいマジもんの恋バナを聞けるとは思ってもみなかったよ」

「あはは、本当だね」

「ウンウン」

と皆でまた同調し始めたのを見て、私と裕美はまたふと顔を見合わせると、今度はすぐにクスッと笑い合った。


そんな私たち二人の様子を笑顔で眺めていた麻里だったが、ふとまたメモを取るようなパントマイムをしつつ口を開いた。

「話をググッと戻すようだけど…琴音ちゃんの黙秘権も良いけどさー?…裕美、あなたはそこまで話してくれたんなら、馴れ初めだとかその辺くらいは話す義務があるよ?…ねー?」

「あはは、ねー?」

と麻里の言葉に藤花が無邪気に返すと、律は何も言わないままに、しかし微笑みつつ何度も頷いていた。

「あはは、確かにねぇー…ふふ、裕美」

と紫は胡座をかくと、腿の上で肘をつきながら続けて言った。

「そんなわけだからさぁ、もう少し惚気て見せてよ…ね?」

「…もーう、『ね?』って言われても…」

と裕美はここで言葉を濁しつつ、チラッとこちらの顔を伺ってきたので、私は何も敢えて言わずに肩を竦めて笑ってみせた。

そんな反応を見た裕美も、同じような態度を見せて、「やれやれ仕方ないなぁ…」とぼやいた直後、早速口を開きかけたがその時、不意に何かを自分で気づいた風な表情をみせた。

「べ、別に、その、惚気とかそんな、ま、まだ…いや、まだっていうか何つーか、そのー…つ、付き合ってもないのに…」

と途端にまた顔を赤らめつつ口調も辿々しげに、最後は消え失せるような声量で言い終えるのを聞くと、

「ふふ、裕美、かーわーいーいー」

と一斉に四方八方からからかわれてしまった。

その時、裕美はアタフタとしながらも、こちらに救いを求める視線を投げかけてきたが、この時”ばかり”はふと意地悪な虫が起き出してしまい、最終的にはニコニコと慈愛に満ちた笑みを意識したソレを向けるのみに終始した。

…ふふ、その時の恨めしそうな困り顔で見つめ返してくる裕美の表情は、今もありありと思い出せる。


と、またもやそんな流れが出来てしまっていたが、早く話を聞きたいという気持ちがあったためか、今回はすぐに収まると、早速、司会兼聞き手を務め出した麻里を筆頭とした皆からアレコレと、裕美、そして…まぁ成り行き上仕方ないのだろう、厳密には関係ないはずの私を含めた二人に対しての質疑応答が始まった。


「小学校時代って言ってたけど、具体的にはいつからなの?」

「え?えぇっと…私はね、小学校三年生からだよ」

「琴音ちゃんも?」

「え?…ふふ、いーえ、私は彼奴とは入学式の時に一緒のクラスになってね、その時に名前順で座らされたんだけれど、ちょうどその隣がヒロでさ?それで…ふふ、それからの腐れ縁ってわけ」

「あ、そうなんだー?じゃあ時間的には琴音ちゃんの方が長いんだね」

「あ、いや、まぁ…んー…長いといえば長いんだけど、私たちの学校って二学年ごとにクラス替えがあったんだけれどね?三年の時のクラス替えで、私とヒロは別々のクラスになってさ、それで…」

「…ん?あ、あぁ、そうそう、それで私と同じクラスになったんだよ。それからは五年に上がる時にもクラス替えがあったんだけどさ?その時にも私とヒロくんは同じクラスになったんだけど…」

「ん?…ふふ、そう、私と裕美が小学校では同じクラスになったことが無かったみたいな話は、麻里、あなたの前でも何度かした事があったと思うけれど、要は、私とヒロは小学校一、二年の時にしか同じクラスじゃなくてね、三年から卒業まで裕美が同じクラスにいた事を考えるとさ?…ふふ、そう、私よりも裕美の方が長く濃い時間を過ごしていた…”かも”知れないのよ」

…?

と、自分でも不思議なのだが、こうして説明しつつ徐々に胸の奥に、ここ一年ちょっと前から生じ始めた、”ナニカ”の気配とは全く別物の重しが、この時に突然現れだしたのに気付いた私は、最後の方で何だかある種の留保を差し込みたくなり、そのまま付け加えたのだった。


「そうなんだー」

と麻里がメモとるパントマイムをして見せる間、私は一人小さくも混乱しつつ胸元にそっと手を置いていたのだが、それを見てかいないか、向かいからフッと小さく笑う声が聞こえたかと思うと、裕美が苦笑交じりに口を開いた。

「いやいや、確かに学校では長い時間は過ごしてきたけどもさ…ふふ、それはあくまでクラスメイトってだけで、別に意識しないうちは、んー…こんな事自分ではいろんな意味で言い辛いんだけど…正直ヒロ君の事は、クラスメイトの一人としかカウントしていなかったんだし、少し嫌味な言い方すればさ…そのー…自分で言うのはかなり恥ずいんだけど…す、好きっていうかそのー…ふふ、意識し始めた頃からカウントしなきゃでしょ」

「あー、それはそうかもー」

と、私と裕美以外の外部組である紫と麻里が顔を見合わせながら同意を示し、

「そういうもんなんだー」

と内部組である藤花が口にすると、律が何も言わずに頷いて見せるのだった。

「え、あ、…え、えぇ…」

と、こうして冷静に聞くと理路整然とした理屈なので、普段の私だったら飲み込んだ後で素直に自然に同意をするはずなのだが、この時はやはり何だか足元…いや、口元覚束ない調子になってしまった。

そんな私のもたついた様子を見て、不思議と何だか見守るかのような柔和な笑みを浮かべる裕美が印象的だった。

「なるほどねぇ」

と今一度納得の声を漏らすと、また麻里は質問を続けた。


…まぁここからは、此れと言って取り上げるまでも無い…と言うと、恥じらいつつも頑張って説明した裕美に悪いかもだが、ただ裕美が説明したのは、それ以降、私との出会いに始まり、ヒロを入れた三人でどんな事をして思い出を作ってきたのか、増やしてきたのかという話に終始したので、まぁ…ここでは省略してもいいだろう。

中には過去に私自身が話してこなかった、触れてこなかった話も多分にありはしたのだが、それはまぁ、それこそ小学生にありがちな良くある仲の良い友達同士の遊びについての具体的な話に終始したので、これも改めて触れるまでも無いだろう…という算段で割愛させて頂いた。

なので、その話にひと段落がついたところから話を戻そう。


「…っと、さーて」

と裕美の話に対して、軽く相槌を打つのに留めていた麻里だったが、ここでふと、パタンと手帳を閉じる動作をして見せたかと思うと、今度は顔一面にニヤニヤ顔を蓄えて、そのまま口調も合わせて言った。

「ジャブはこの辺で良いにして…ふふ、これは聞く方もかなり恥ずかしいけど…裕美さん」

「は、はい?」

急にぐいっと上体を寄せてきたのを見て、裕美はそれに合わせて上体を後ろにそらしたが、しかし顔は笑顔だった。

麻里は一度演技臭く大きく息を吐いてから続けて聞いた。

「一番肝心なところ…ふふ、森田くんの一体どこにそこまで、三、四年も片思いをし続けるほどに惚れたんですかぁー?」

「え?えぇ…っと…」

「ウンウン、そこ大事!」

と、一気に苦虫つぶし顔を見せる裕美を他所に、他のみんなはまた口々に同じような内容の言葉を言い合っていた。

私はというと、一応形の上でだけ微笑みつつ、内心ドキドキしながら裕美がどう反応を返すのか見つめていた。

と、そんな私からの視線に気付いたらしい裕美は、こちらを向くと数瞬だけ間を置いた後で、クスリと小さく微笑んだかと思うと、途端に明るい笑顔を浮かべてぐるっと一同を見渡してから、口元に人差し指を当てて言い放った。

「えぇー…っと…ふふ、黙秘権を行使するわ」


「…えぇー」

「そりゃ無いよー」

「よー」

「…ふふ」

と、麻里、紫、藤花、律が声を上げる中、私と裕美はそんな四人の様子を和かに眺めていたその時、

ピンポーン

と部屋のチャイムが鳴らされた。

「は、はーい」

と裕美が我先にと慌て気味に立ち上がったのを見て、私は不意に昨夜の事を思い出し、

「ちょっとー?逃げないでよー?」

とニヤケながら声をかけた。

すると、ちょうどドアの前まで来ていたところだった裕美は、取っ手に手を掛けたまま一度振り返ると、ベーッとニヤケながら舌を出して見せつつ、何も言わずこちらに顔を向けたまま開けた。

「…って、あれ?」

と開けた途端に裕美が声を漏らしたので、私たちも一斉に見ると、そこには、昨日と同じジャージ姿の志保ちゃんが部屋の中に入ってくるところだった。

その後ろから裕美も続く。

「あ、志保ちゃんだー」

と、これまた昨夜と同じパターンというか、藤花が既視感そのままの反応をすると「はいはい、志保ちゃんですよ」と苦笑交じりに返していた。

「志保ちゃん、どうしたんですか?」

と紫が声をかけると、「はぁ…」と志保ちゃんは呆れ気味な笑みと共にため息を深く吐くと、「ん、ん」と口を閉じつつ音を出しながら部屋の一角を指差した。

つられるままに皆で一斉にその方角を見ると、そこには時計が掛けられており、夜の十一時を十五分程過ぎた辺りを表示していた。

「あー…」

と誰からともなく私たちが声を漏らすのを聞いた志保ちゃんは、また一度大きくため息を吐いてから、同じ呆れ笑いを漏らしつつ口を開いた。

「まったく…ふふ、今夜の就寝時刻は何時だったかなー?…学級委員長さん?」

「えぇ…っと…」

と紫は惚けながら、必死に思い出そうとしてるフリをして見せていたが、ふと何か思い出した風にハッとすると、苦笑いで答えた。

「十一時…でしたっけ?」

「でしたっけじゃなくて、そうです!」

と志保ちゃんは、一層その呆れ具合を強めつつ、しかし笑みは絶やさずに返した。

「まったく…今日はみんな知っての通り、宿に到着した時刻が昨日よりも遅かったというのと、明日の朝に時間の余裕があるからというので、十一時という破格な就寝時刻を設けたというのに…ふふ、あなたたちは、昨夜と同じように、ビミョーに就寝時刻をオーバーして見せるんだから」

…ふふ、いやいや、そうなってるのは、ビミョーなタイミングで志保ちゃんが見回りに来るからじゃ無いのかしら?

と、普段の私だったらすぐに軽口で突っ込むところだったが、今回は空気的なものを読んで、ただ「あはは」と棒読み気味の笑い声を漏らしていた。

それを知ってか知らずか、私のみならず他のみんなも同じ様な笑みを漏らすのを見て、志保ちゃんは三度目のため息を吐くと、「…まぁ、いっか。じゃあみんな、明日の起床時刻が遅めだからって気を抜かずに、私が出て行ったら本当に寝なさいよー?」と口にしつつ、部屋の出口へと向かった。

「はーい」

と私たちが揃って返事をしたのだが、ふとその時、「あ、志保ちゃん!」と慌てた調子で声を掛けた者がいた。

志保ちゃん含む他の皆で声の主を見ると、そこには紫がおり、なんだか立ち上がる途中みたいな、立て膝になりつつ続けて言った。

「…明日の朝の件、皆にも話したんで、その時はよろしくお願いしますねー?」

そう言われた志保ちゃんは、すぐには何のことか察せれていない様子だったが、ポンっと両手を打ったと思うと、「はいはい」と返した。

「もしも本当の本当に露天風呂に行きたいんだったら、今からでも早く、とっとと寝ちゃいなさいよー?」

と言いながらドアの取っ手に手を掛ける志保ちゃんの背中に、

「はーい」

と、さっきよりもしっかりとした口調で全員で返事をした。

それを聞いた志保ちゃんは、「ふふ、もーう…こんな時だけ良い返事して、本当にゲンキンなんだからなぁ」と苦笑しつつもどこか愉快げに部屋を出て行こうとしたその時、

「あ、志保ちゃん」

と、今度は裕美が声を掛けた。

「もーう、今度は何ー?」

と廊下に半歩出たところだった志保ちゃんが返すと、裕美は何だかバツ悪さげな笑みを浮かべつつ答えた。

「あ、いやぁ、そのー…ちょっと喉が渇いたんで、寝る前に水を買ってきても良いですか?」

…あ、あぁー

と、この時ふと見ると、裕美の分のペットボトルは中身が空になっていた。ついでに自分の分も見ると、同様に空だった。

「まったく…ふふ、よっぽど喉が渇くくらいに楽しくお喋りをしてたのね?じゃあ…チャッチャと買ってきちゃいなさいねぇー?」

と志保ちゃんは、先ほどからずっと浮かべている呆れ笑いで返しつつ部屋を出て行った。


「…さてと、言いつけ通りに寝る準備をしますか?」

と紫が声を漏らすと、「はいはーい」と藤花と麻里が返事をして、そのまま一斉に寝支度に入った。

「じゃあ私、本当にちょっとすぐそこの自販機に行ってくるけど…皆は何かいる?ついでに買ってきてあげるよ」

と戻ってきた裕美が、カバンから財布を出しつつ言うのを聞くと、

「私は大丈夫ー」

「私もー」

「…ふふ、私も」

と紫たちは返した。

「あ、そーう?…で、琴音は?」

と裕美が、財布を取った後で立ち上がりつつ聞いてきた。私はこの時、何気なくどうしようかと自分の空のペットボトルを眺めていたのだが、ふと急に、何だかこれが良い機会かも知れないと思いついたので、その考えに基づきつつ言った。

「んー…うん、私もちょうど欲しいと思ってたのよ」

「あ、そうなんだ?じゃあ何が欲しいか言って…って琴音?」

と、突然スクッと立ち上がり、一直線に自分のリュックに近付いていく私の様子を見て、裕美は背後から小さいながらも驚きの声をあげたが、私は構わずに中から自分の財布を取り出してから立ち上がって振り返ると、クスッと笑みを零しつつ答えた。

「…ふふ、せっかくだし私も行くわ。それに…あなたが私が頼んだ物を買ってきてくれる保証があるとも限らないからね?」


「な、何よそれー?」

と裕美が苦笑いをした途端、私たち以外の皆が一斉に笑い合うのを見て、私はその様子にまた一度クスッと笑みを浮かべると、複数の笑い声を耳にしつつ、早速裕美の背中を押しながらそのまま部屋を後にした。


昨日のホテルと同様にというのか、階段と廊下の中継時点であるホール…というより、踊り場に近い広さの空間が部屋のすぐ側にあったので、特に会話らしい会話もなく辿りついた。

まぁしかし、規模こそ初日のよりかは小さかったが、ソファーにテーブル、自販機が二台と、昨夜のホテルと設備と雰囲気が似たり寄ったりだった。

「まったく…」

と、ボーッと重低音な唸り声を上げる自販機の前に到着するなり、裕美が苦笑まじりに言った。

「琴音…アンタはどうせお茶なんだから、私に任せとけば良いのに」

「えー?」

と私は裕美のすぐ脇に立つと、同じように眺めつつ笑みを漏らしながら返した。

「…ふふ、まぁね。でもさ…んーっ」

と私はその場で大きく伸びをしてから言った。

「ずっと座りっぱなしだったからさ、ちょっと寝る前に出歩きたくてね?」

「あはは、…んーっ」と裕美も大きく伸びをした。

「確かにそれはあるねぇー…っと、私はこれにしよー」

ポチッ

…ガラガラ…ゴトンッ

「出た出た」と裕美はしゃがみつつ、買ったミネラルウォーターを手に取ると、早速キャップを外して飲み始めた。

「ふふ、じゃあ私はー…っと」

ポチッ

…ガラガラ…ゴトンッ

「何にしたの?」と頭上から裕美が声を掛けてきたので、「え?…ふふ、えぇっとねぇ…」

と私はゆっくりと立ち上がると、少し勿体つけながら今買った商品を裕美の眼前に出した。

それを見た裕美は途端に目を細めると、口元はニヤケながら言った。

「…なーんだ、やっぱりお茶なんじゃないのー?」

「ふふ、まぁね。…ん」

と私が何気なくペットボトルを差し向けると、「…ん?」とすぐではなかったが、「あ、あぁー、あはは。うん」と裕美も察して同じように出してきた。

それから私たちは、軽くお互いのペットボトルを当て合い乾杯をすると、あたらめて何口か飲むのだった。


「さてと…」

と半分くらい飲んだあたりでキャップを閉めた私が、部屋の方に戻ろうと片足を踏み出そうとしたその時、クッと浴衣の袖を掴まれてしまった。

振り返り見ると、裕美がどこか表情を静かに袖を掴んできていたので、その行動に少し驚きつつ声を掛けた。

「え?な、なに…?どうしたの?」

と聞くと、「あ、あぁー…うん」と裕美は袖から手を離して私から顔を逸らしつつ言葉を濁していたが、ふとソファーに目を向けると、何も言わないままストンと座ってしまった。

「…ふふ、裕美、そろそろ戻らないと、今度は志保ちゃんじゃなくて安野先生が来るかも知れないわよ?」

と私が微笑みつつ言うのを聞いた直後、クッとまたもや今回は座ったまま私の袖を掴んできた。

二度もあるとは想定していなかった私がマジマジと眺めていると、ここまで表情静かなままだった裕美は顔をほんのりと緩めつつ口を開いた。

「…琴音、ほんの少しだけ座っていかない?」

「…」

と聞かれた直後は、またさっきと同じセリフを冗談交じりに返そうと思っていたのだが、この時に裕美が身に纏っていた雰囲気が、いつだかの時と同じなのに気付き、今回は茶化さずに素直に従うことにした。

「もーう…ほんの少しだけよ?」

とため息交じりに言いつつ裕美のすぐ脇に座った。

「うん」

と裕美は小さく返すと、またグビッと水を飲んだ。

それに倣って、私もまたキャップを開けてお茶を一口飲んだのだが、それから…実際はほんの数秒ほどだっただろうが、とても長い時間二人の間に沈黙が流れたように思えた。

その間も、チラチラと裕美の横顔を盗み見ていたのだが、しかしいつまでも何のアクションも起こす様子が無かったので、ついにしびれを切らした私から口火を切ることにした。

「…って、裕美?何なのこれは?」

「んー?」

と裕美はまた一口水を飲むところだった。私は構わずに続ける。

「…ふふ、『んー?』じゃないわよ。何か話したいとか、やりたい事があって引き止めたんじゃないの?」

「…」

と私の言葉を聞いたその瞬間、口からペットボトルを離すと、クルッと私の方に顔を向けた。

その顔には、また例の静かな表情が支配していたのだが、ほんの少し見つめてきたかと思うと、クスッと一度吹き出すように笑い、そのまま笑顔を保ったまま口を開いた。

「…ふふ、何か話したい事…ってさ?…ふふ、むしろ琴音、アンタの方にあるんじゃないの?」

「え?」

と私が思わず聞き返すと、裕美の方では徐々に笑みを強めつつ続けて言った。

「…ワザワザさぁ、こんな風に二人っきりになれる状況を作るなんて…さ?」

「…」

…ふふ、さすが裕美ね。何もかもお見通しという訳か。やっぱり裕美相手には、小細工なんかいらないわね。

「…ふふ」とそんなことを考えていたせいか、思わず微笑を零して「えぇ、まぁ…ね」と返した。

「あはは。やっぱねぇ」

と私の答えを聞いた裕美は、満足げな満面の笑みを浮かべたが、すぐにまた、笑みを強める段階だった時点の表情に戻りつつ続けて口にした。

「…で?何を私と二人っきりで話したかったの?」

「え、えぇっと、それは…」

と私が答えようとしたその時、目をぎゅっと瞑った裕美に遮られてしまった。

「…とまぁワザとらしく聞いてみたけど…さ?ふふ、勿論何の事だかは分かってるけどねー」

「…ふふ、だったら聞かないでよ」

と、急に普段通りに戻ったらしい裕美の様子にホッと息を吐いて返すと、「あはは」と裕美は明るく笑い飛ばした後で、笑顔のまま言った。

「…ふふ、何で急に紫たちに、私のそのー…ふふ、秘密をバラしたかってことでしょ?そのー…んー…私が、アレ…ヒ、ヒロ君の事が、す、好きだって…事…」

と、途中からやはり恥ずかしかったのか、照れてしまったらしく、もたついてしまっているのを見て、またもや一人笑みを零してしまいつつも答えた。

「ふふ、えぇ…まぁね」

「…うん、そっか…」

と裕美は私の笑顔に緊張が緩んだのか、徐々に顔の強張りを無くしていったのだが、今度はふと真顔に一瞬なったかと思うと、ジッとこちらを眺めてきつつボソッと言った。

「…やっぱりっていうか…うん、琴音、アンタってやっぱり、”色んな”面で、本当の本当に分かってないのね?」

「…へ?」

と、いきなりの裕美の言葉に目を丸くする他に反応を返せなかった私は、それでも続けて何とか返した。

「…分かってない?私が?」

「うん!分かってない」

と裕美が目を瞑りながら無邪気に言うのを見て、全く何が何だか、何が言いたいのか皆目見当が付かなかった私だったが、しかしその様子から、とりあえず非難などではない事だけ分かったので、少しおちゃらけつつ返した。

「もーう、何がよー?…ふふ、まぁ確かに、今までの文脈から考えるにさ?私は確かにこの手の恋愛ごとには疎いし、それは勿論自覚しているけれどさぁ」

「…」

と、私のセリフを聞いた直後は、一瞬だけまた、こちらの思惑を探ろうとするかのような目付きをしてきた裕美だったが、しかしすぐに、今度は大きく溜息を吐きながら笑みに戻りつつ口を開いた。

「…まっ、当たらずも遠からずって感じかなぁー?」

「だから何がよ?」

とすぐに間髪入れずに聞き返したが、それにはただ笑みを強めることだけで返すと、そのまま裕美は私から顔を逸らして、目の前の自販機に顔を向けつつ、ゆっくり話し始めた。

「まぁ…ねぇ…。ふふ、まぁ…さぁ、私も本当は話すつもりは毛頭なかったんだよ?…うん、麻里があんな話を振ってくるまではね?…あはは、でもさ?中一の時の研修旅行を思い出したってのもあったけど…」

「えぇ」

と、私も同じく思い出していたというのを示すためだけに合いの手を入れると、それを当然すぐに察した裕美はニコッと一度目を細めると続けた。

「まぁさ、でも何を置いても…ね?…うん、琴音って自分でも疎いって言ってるから言いやすいんだけど…私がほら、ヒロ君の話をしてから…さ、もう大分経つよ…ね?」

「…え?え、えぇっと…」

と私は、裕美が『疎い』と言ったあたりで笑みを零していたのだが、ふとこう聞かれたので、馬鹿正直に当時の事を思い返していた。

…まぁ当然というか、思い出す事自体は何の苦労も無かった。それだけに、裕美だけではなく、私にとっても大きな出来事だったからだ。


忘れもしない。鮮明に覚えている。アレは…去年の十一月も終わりに差し掛かろうとしていた土曜日の夕方。この時期にありがちな、瞬く間に辺りが暗くなるのをハッキリと覚えつつ、その薄暗がりの中で裕美から告白されたのだった。


「ま、まぁ…ふふ、私はあなたが言った通りに、この手の事には疎いからさ?そのー…去年から数えて大分なのかどうなのかは…ふふ、分からないわ」

と、当時の事に軽く思いを馳せつつ、少しくだけながら返した。

それを聞いた裕美は「あはは、それもそっかぁ」と途端に陽気な笑顔を見せると、やっとここで普段の調子に戻ったらしく、いつもの裕美調のまま続けて言った。

「まぁ…さ、何でみんなに話しちゃったかって言うとね?んー…初恋もまだなお姫様に説明するのは難しいんだけど…」

「もーう、いいからさっさと教えてよ?」

「あはは、まぁ、要はね?…」

と裕美はここで視線を中空に向けながら続けて話した。

「…私自身、まぁ見ての通りっちゅうか…ふふ、まったく進展がなかったでしょ?…でね?んー…アンタが冗談抜きで、マジでどこまで分かっているのか分からないんだけど…さ、アンタに初めて話した時にも言ったと思うけど…あの時も、情勢的に…さ?いつまでもウジウジしていられなくなっちゃった…って言ったの覚えてる?」

「…えぇ」

と私は先程来、当時の事を思い出していたのもあって即座に返した。

『千華ちゃん…の事でしょ?』と、確認の意味も込めて付け加えようか迷ったが、結局は短く返すのみに留めることにした。

まぁ…何となくだ。

そんな私の心内を知ってか知らずか、「あはは、そう?」とあっけらかんと返すと、そのまま掘り下げる事はせずに話を続けた。

「あー…あ、でね、そのぉ…だからさ、あまりにも進展が無い…って、それは私の意気地が無いからなんだけど…」

「え?そうかし…」

「…ふふ、ダメだよ?今は何も言わないで?…っぷ、あはは!あ、でさ、私はどうやら…さ?水泳の事もそうだけど、私の場合は、自分でどうのっていうよりも、周りからプレッシャーを掛けられたり追い込まれないと動けないタチみたいでさ?それで…まぁあんな機会だったし、だったらこの際利用しようと思って…ね?他のみんなにヒロ君が好きなのをバラして、それで色々と後ろからプレッシャーを掛けてもらおうと、まぁ…ふふ、そんな打算的な考えがあった…かな?」

「…なるほどぉ」

と私は、裕美の説明に何も引っかかる矛盾点が、少なくとも個人的には感じなかったので、素直にそう返した。

「うん」

とそんな私の生返事にも満足した笑みを漏らしていた裕美だったが、その笑みのまま続けて言った。

「まぁもちろん…ね、こんな事が無くたって、いつかは自分から話そうとは思ってたんだけどね?…ふふ、もしかしたら…琴音、アンタがみんなにバラすんじゃないかと、内心期待というか、してなくは無かったんだけど…?」

と悪戯っぽく笑う裕美を見た私は、「何よそれー…?」と呆れ笑いで返した。

「好き勝手言ってくれちゃって…ふふ、まぁ止められては無かったけれども…あの手の話って、そのー…普通は他言無用なんじゃないの?」

と言う私の言葉を聞いた裕美は、一瞬目をまん丸にしたかと思うと直後には、「あはは」とまた陽気に笑いながら言った。

「あはは!琴音ー?…ふふ、一番”普通”から程遠い女子のアンタがそれを語るのー?」

「う、うるさいわねぇ…」

と痛いところを突かれた私は、ただ膨れるしか無かったのだが、そんな様子を見ると裕美は瞬時に柔和な笑みを浮かべると言った。

「…ふふ、でもまぁ冗談はさておき、改めて言うのはアンタじゃないんだし恥ずすぎるけど…うん、それには感謝してるよ」

「裕美…」

と私も、その表情の変化について行けないままに、ただ声のトーンだけ合わせて返すと、裕美はまた空気をガラッと変えるように明るい笑顔を作って見せた。

そしてその表情のまま大きく伸びをしながら言った。

「ん、んー…っと、まぁさ、こうして自分からバラしちゃったから…ふふ、これからは何かにつけて、からかわれたりするんだろうなぁ」

「ふふ、だろうね。でもさ…んーんっ」

と私も裕美の真似をして大きく伸びをしながら言った。

「…っと。それでも…ふふ、あの子達の中には…からかう事はあっても…ふふ、人の恋路を馬鹿にしてくるような子は一人もいないからね」

「…」

と裕美は、そう言う私の顔をジロジロと眺めてきていたが、クスッと一度笑うと言った。

「…ふふ、そんなの私だって分かってるってばぁー。…じゃなきゃ、そもそもバラさないし」

と言い終えたその顔が、ガキ大将そのものだったので、どっかの誰かさんを連想してしまった私は「ふふ」と笑みを漏らしながら言った。

「違いないわね」

「でっしょー?…って、あっ!」

と裕美は声を上げつつ急にガバッと立ち上がったので、

「な、何よ?」

と声をかけると、裕美は時計をつけても無いくせに手首に目を向けつつ言った。

「…って、私たちってどのくらいこうして…話してたんだろ?」

「…あ」

と、裕美のこの言葉だけで、何が言いたいのかすぐに察したのだが、それには答えずにいると、裕美は徐々にバツ悪さげな表情を浮かべつつ口を開いた。

「…あはは、まずこの時点で帰ったらみんなに突っ込まれるかも…ね?」

「ふふ…かも…ね?」

と私もゆっくりと腰を上げつつ、小さく微笑みながら返すと、裕美は腰のストレッチをしながら、今まで座っていたソファーに一度目を向けて、それから私に顔を戻すと言った。ニヤケ顔だ。

「…あーあ、どっかの誰かさんが私について来なければ、すぐに飲み物買って戻れたから、この後ほどには色々言われなかっただろうになぁー?」

「…ふふ、あのねぇ…?」

と、毎度の事だと私も同じようにソファーを一瞥してから苦笑まじりに返した。

「確かに私はあなたについて来た…って事は否定はしないけれど…ふふ、ここに留めたのは裕美、あなたじゃないの?」

「あははは!そんな細かい事は言いっこなしだって」

と裕美は明るく笑い飛ばすと、前触れもなくそのままスタスタと歩き始めてしまった。

「『あはは』じゃないわよ、まったく…ふふ」

やれやれと、首を大きく左右に振ると、「ちょっと、待ちなさいよー?」と声をかけつつ早歩きで裕美に追いつくと、

「細かい話は、あなたから始めたんでしょーが?」

と、無駄だと知りつつ細かいツッコミを続けていれつつ、それに対してやはりと言うか、想像通りただ悪戯っぽい笑顔で返してくる裕美とともに、みんなの待つ部屋へと戻って行った。

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