第17話 修学旅行 後編 二日目

あれからもう一人の子と三人で軽く雑談をしていたのだが、徐々に廊下の方からドアの開けられる音がし始めるのと同時に、人の気配がフロア一帯に広まり始めた。

そしてその直後には、部屋の外に出て来たクラスメイト達が今いるエレベーターホールに来始めたので、お互いに顔を合わせると軽いノリで挨拶をし合った。

そうしつつ、ふと時計を見ると、起床時刻である丁度六時半を指し示していた。

「さてと…」

と数人の同級生たちで騒つくホール内を見渡しつつ、ふと紫が私を向きながら口を開いた。

「私たちは一旦部屋に戻ろうか?」

「えぇ…そうね」

と、まだ先程までの空気を引き摺っていた私は、我ながら客観的に見ても自然には返せなかったと思うのだが、それを知ってか知らずか、「じゃあ行こっか!」と紫は自然な笑顔を浮かべると、あれからずっと雑談を楽しんできた彼女に同じ表情を向けてその旨を伝えつつ立ち上がるので、私も倣って彼女に挨拶をして立ち上がり、二人してホールを後にした。


前にも触れたように、私の部屋はホールのすぐ側だったので、後で朝食の場で会おうと簡単な約束をして紫と別れた。

そして部屋の中に帰ってきたのだが、まず耳に何やら会話の音が聞こえてくるのに気づいた。

…何だろう?

と不思議に思いつつ少し足を進めて見ると、寝起きのせいか普段よりも頭のツンツン具合が増しているイガグリ頭が、テレビ画面を前にベッドに腰をかけていた。

会話の音だと思ったのは、テレビの音だったらしい。

…なーんだ

と、私が早速挨拶をしようと声をかけようと思ったその時、ツンツン頭をポリポリ掻きながら裕美がこちらに振り返ってきた。

そして私の姿を認めると、まだ眠気まなこって感じだったが、それでもニコッと笑みを浮かべつつ声をかけてきた。

「…あ、琴音ー…おはよぉー」

「…ふふ、えぇ、お早う」

とそんな気の抜けた声で話しかけられたので、その呑気な調子に当てられたせいか、思わず笑みを零しつつ挨拶を返した。

「今起きたの?」

と私がベッドに腰を下ろしつつ、朝のニュースの流れるテレビ画面を眺めつつ聞くと、

「うんー…まぁねぁ」

と、裕美はまた数回頭を掻きつつボヤけた調子で返してきた。

「アンタは…」

と裕美はこちらに顔を向けてきたかと思うと、私の手元に視線を流しつつ口を開いた。

「いつ起きたの…?なんか手元に美味しそうな飲み物があるけど…?」

「あ…え、えぇ…」

と聞かれた私も、自分の手元に握られた、半分程に減った地元限定の緑茶のペットボトルに目を落としつつ返した。

「まぁね」

「随分と…」

とここで、私の印象ではそんなに朝に弱いイメージはなかったのだが、先ほどからどこかまだ呆けた様子を見せていた裕美だったが、急にニヤッとして見せたかと、

「早起きだったんだねぇ、姫様ー?」

と軽口をぶつけてきたので、

「誰が姫様よ…?まだ寝ぼけてるんじゃないのー?」

と薄眼を使いつつも、口元は緩めながら返した。

と、そう返しつつ、ふと小さな疑問が湧いたので、

「…って、何?もしかして起きてたの?」

と、そのままのノリを維持しつつ続けて聞いた。

すると裕美は大きく首を振ってから答えた。

「んーん。…いや、てか、実は軽く一回起きたっちゃあ起きたんだけどさぁ…。何時か分からないけれど、薄っすらと意識があった時があってさ、そん時にアンタのいるはずの辺りから動きがあったような…そんな気がしてね。そん時に無理にでも起き上がっても良かったんだけど…眠気が勝っちゃってさ」

と途中から裕美はワザとらしく照れ臭そうに首の後ろを掻きつつ、要はイタズラっぽく笑いながら言った。

「二度寝しちゃったんだよ」

「…ふふ、なるほど。そういうことか」

とまた私はそんな裕美の様子を見て、クスッと笑いながら返した。

それからは、「何でそんな早起きしちゃったのー?」と聞いてくる裕美の質問を軽く受け流していた。

そして「どうせなら、私の分の飲み物を買ってきてくれれば良かったのに?」と続けざまに今度は駄々っ子よろしく言ってきたので、「あのね…」とすぐに呆れ笑いを浮かべつつ返した。

「別にまだ昨夜の分が残ってるじゃない」

とワザと冷たい声を作りつつ、テレビの乗るテーブルの左下にある小さな冷蔵庫に視線を飛ばした。

すると、「じゃあママー、私のを冷蔵庫から取ってー」と裕美が聞き分けの無い幼児風に冷蔵庫に指を差しながら言ってきた。

「誰がママよ、誰が…」

と良くある裕美のノリに苦笑いを浮かべて呟いたのだが、まぁこの冷蔵庫は私の腰掛けている位置の目の前に置かれていて、手を伸ばせば扉を開けられるほどの距離にあったので、「やれやれ…」と私は一人呟きながら手を伸ばした。

裕美の分の飲み物を取って手渡すと、「ありがとー」とようやく目が覚めてきたのか、裕美は明るい調子でお礼を言いながら受け取った。

そのやり取りの後は、どちらからともなく今来ているジャージなりTシャツなりを脱いで、部屋のハンガーにかけていた制服に着替え出した。

そして、これが短髪の強みか、支度がそれにて粗方片付いた裕美がテレビを見ている間、私は化粧ポーチを持って洗面所に行くと、櫛を取り出し髪をとかし始めた。櫛を通しながら、今日は昨日みたいにまた高めのポニーテールでも作ろうかと軽く悩んでいたが、結局は、これまた昨日の様に状況によって考えることにして、結局はいつも通りストンと後ろ髪をそのままにすることにした。

私自身の支度も粗方済んだその時、タイミングよく部屋のチャイムが鳴らされた。

「はーい」

と裕美が口にしながらドアに近寄って行ったので私も後を追った。

裕美がドアを開けると、そこには私たちの様にすっかり制服に着替えた、藤花と麻里を先頭に、その後ろに律とそして紫が立っていた。

皆は私と裕美の顔を見るなり笑みを強めてきたが、すぐに藤花が天真爛漫な笑みを浮かべて明るく言い放った。

「ほらほら二人とも!早く朝ごはんを食べに行こー?」


その言葉に私たち二人はすぐには返せなかったが、「…ふふ」とまず私が一度自然と笑みをこぼしてから「開口一番それなの?」と、悪戯っぽい笑みにシフトチェンジをしつつ返した。

「そうだよ藤花ー?」

と裕美も、立ち位置的に少し後ろにいた私をチラッと振り返ってから同じ類の笑みを浮かべつつ続いた。

「まずは、おはようじゃないのー?」

「そうだよ藤花ー」

と藤花のすぐ傍にいた麻里がツッコミを加えた直後、紫、そして律までもが流れに乗っかった。

「まずは朝の挨拶でしょ」

「…ふふ、やっぱり突っこまれたね」

「…もーう、うるさいなぁー。お腹空いちゃったんだから、しょーがないでしょー?」

とワザとらしくはあるのだが、本人の持ち前のキャラクターのお陰か自然に見えるほどに膨れて見せつつ藤花は返していた。

そんな皆の様子を二人で顔を見合わせてから笑い合うと、「じゃあちょっと待ってて」と四人に声をかけると、ドアを開けたまま簡単に貴重品だけを身に付けて部屋を出た。

朝食会場である昨夜の夕食会場だった階まで階段を降りている間、改めて朝の挨拶をし合い、それから簡単な雑談を楽しんだ。

紫と麻里を先頭に、藤花と律、最後尾を私と裕美が歩くという昨夜と同じ二列のフォーメーションで歩いていたのだが、そんな中でふと私から律に何気無しに話しかけた。

「…そういえば律、さっき『やっぱり…』って藤花を突っ込んでたけど、それってどういう意味なの?」

「…あ、あぁ…ふふ、それはねぇ」

と聞かれた律は、チラッと隣の藤花に視線を流しつつ、珍しく顔に悪戯っ子を召喚しつつ続けて言った。

「…ふふ、朝起きた時にね、二人ともほぼ同時に起きたんだけれど…私に対する最初の言葉がね、『お腹が空いたー』だったの」

と最後にニコッと目を細めて笑うのを見た直後、「ちょっとー、律ー?」と藤花が途端にまたもやホッペを膨らませて見せた。

「バラさないでよぉ」

「ふふ…」

とまた律が小さく微笑んだ直後には、私含む皆で和かに笑い合うのだった。

そんな私たちの様子を眺めつつ、「何だか…これだけだと私が食いしん坊キャラみたいじゃーん」と、苦笑いではあったが一人でボヤくのだった。


…まぁどうでもいい…とは言わないが、ついでだからと一応補足的に言うと、見ての通りというか、この班…いや、この”いつもの”グループ内では一番背が低く細身でもある藤花ではあったが、こう見えても食が太かった。

体育会系の裕美や律は当然というのか食欲旺盛なのだが、それにも引けを取らないほどだ。

だからまぁ…本人的には不本意らしいが、食いしん坊キャラというのもあながち間違ってないように思う。

…ふふ、だがさっきもチラッと触れたように、そんなに食べるというのに、これだけ標準よりもむしろスリムと言っていいほどの体型なのだから、一般的な女性目線からしたら羨まれる事であって、誇って然るべしだろうと私個人では思う。

…しかし、実際に今のような感想を過去に直接本人に言った事があったのだが、私が言うと嫌味ったらしいとニヤケながらではあったが返されてしまったことがあったので、今回と似たような流れは何度かあったのだが、折角藤花個人の話だというのに、何故か最後は私に藤花含む皆の矛先が向かうことになる事がしょっちゅうだったので、この時も毎度の流れが生まれないようにと、例の如くただ笑顔を浮かべるのみで静観するのだった。



そんな会話をしつつ、夕食と同じ会場に着いたのは、修学旅行のしおりに書かれた朝食予定時刻ぴったりの七時ちょうどだった。

丸テーブルがいくつもあるのは昨夜と変わらなかったが、それらは何処と無く気持ち壁寄りに配置変更されていた。

それによって空いた会場の中央部に大きな長テーブルが新たに設置されており、その上には所狭しに料理が配膳されていた。

要は、ビュッフェ形式だ。

スクランブルエッグ、ベーコンなどの、この手における典型的なメニューから、焼魚、味噌汁、そして面白いところで言えば筑前煮などがあり、まさに和洋折衷といった趣だった。

私たちの班が到着した頃には、すでに会場内に各クラスの生徒達の半数くらいが入場しており、各々がお皿を手に思い思いにビュッフェを楽しんでいた。

まず私たちは、会場の入り口付近で待ち構えていた担任の安野先生に朝の挨拶をして、トラブルが起きていないか、今朝の健康状態などの簡単な質問に答えてから、昨夜と同じ様に班ごとに決められた丸テーブル席に着いた。

そして間を置く事なく、私たちはすぐに席を立つと皆に倣って、好きに料理を自由に皿に取り分けていった。

そういった訳なので席に戻ってくる順もバラバラだったのだが、早めに戻ってきた人は料理には手を付けずに暫く待っていた。

まぁ…取り立てて触れるほどでも無いとは思うのだが、敢えて言えば、これも例の喫茶店での習慣が生きた結果とも言えるだろう。皆が揃って初めて乾杯をするというアレだ。

皆が着席したのを確認すると紫が、一旦私たちをグルっと見渡してから両手を行儀良く胸の前で合わせて「いただきます」と挨拶を口にしたので、私含む他のみんなで一度顔を見合わせてからクスクスと笑い合い、そして演技過剰なくらいに礼儀正しく振舞いつつ後に続いた。


食事を摂りながら、ここまで来る間の会話の余韻のせいか、まずは見かけによらない量の品目をお皿に乗せて来た藤花をからかうところから始まった。

「うるさいなぁ」と藤花はまた、食べ物が口内にあるからではなく、ただ膨れてるという意味で空気でホッペを膨らませて拗ねて見せていたが、すぐにそれも保てなくなり一緒になって笑っていた。


そんな食いしん坊の話題も適当に終わり、それと同時に皆の分の食事も粗方終わりかけて、食後の一服というので、これまたそれぞれが取って持ってきた飲み物に口を付けて一息ついていたその時、おもむろに麻里が思い出した様に口を開いた。

「あはは。…あ、そういえばみんな聞いてよー」

「んー?なにー?」

と牛乳を飲んでいた藤花の返しに始まり、オレンジジュースを飲んでいた他のみんなも続いて返した。ただ、細かい話だが、私と律は揃ってホットコーヒーを飲んでいたので、別にお互いに合わせた訳では無かったのだが、二人同時にカップをソーサーの上に戻した。

そんなみんなからの言葉を受けた麻里は、ふと今度はニヤッと悪戯っぽく笑ったかと思うと口を開いた。

「紫ったらさぁ、今日の朝メチャクチャに早起きをしたんだよ。…流石、学級委員長兼班長だよねぇ」

と途中から顔は正面に向けつつも、時折視線を隣の紫に飛ばしつつ言い終えると、

「ちょっとー、何が流石なのー?私が班長だってのと関係が見えないんだけどー?」

とすかさず紫がツッコミを入れた。

「あはは」

とそれに対しては、ただ笑って済ますという麻里特有の対応で返していた。

とそんな中、「あ、そっかー」とまずここですぐに藤花が反応を示した。

「昨日は早くバタンキューしちゃってたもんねぇ」

と藤花が両手で中身の飲み干されたグラスをテーブルの上で包みつつ、目線だけを隣に飛ばすと、その先にいた律も「そうだったね…」と短く微笑みつつ返すと、手に持ったカップからホットコーヒを一口飲んだ。

「早く寝たらしいもんねー?」

と律に続いて裕美が加わる。

「で、何時に起きたの?」

と裕美が聞くと、紫はふとここで斜め向かい辺りに座っていた私の方にチラッと視線を飛ばしてきた。

目が合った瞬間に、何となくその意図をこちらでも汲み取りはしたのだが、特に何を行動として起こせば良かったのか見当もつかなかった私は、ただ見つめ返すのみだった。

実際はほんの一瞬の間だったが見つめ合った後で、紫は裕美に答えた。

「えぇ…と、ねぇ…大体…四時半くらい…だったかなぁ?」

と紫が照れ臭そうに言うのを聞いた瞬間、「えー!」と”私以外”のみんなが驚きの声を上げた。

目を大きく見開いて見せたり、口元にワザとらしく手を当ててみたりと、反応は様々で演技くさいものなのだが、こんな三文芝居を見たり、その中にいるのが私としては何とも心地がいいものなのだった。

「あはは、そりゃ早いわ」

と直接答えを聞いた裕美の、呆れと言うか何と言うか…いや、やはりこれまた悪戯っぽくからかい風味の笑みを漏らしつつ返すと、「早い、早い」と囃す藤花を中心にこのテーブル内で笑顔が広がった。

そんなみんなの笑みを眺め回しつつ、「いやぁ…」と紫は相変わらずバツが悪そうに照れ笑いを浮かべて言った。

「やっぱねぇ…昨日は普段よりも早く寝過ぎたせいかさ、朝も早く起きちゃったみたい」

「あはは」

と麻里がまた明るく笑う中、「まぁいいんじゃない?早寝早起きで、何だかとても健康的でさ」と裕美もずっと表情を変えないままに言った。

「でも何だか…おばあちゃんみたいだけれど」

と最後に思いっきりニヤケつつ付け加えると、「何か言ったー?」と紫にすかさずジト目を向けられてしまっていたが、「あはは!確かにー」と続く藤花の援護射撃の前に、結局紫も他のみんなに混じって明るく笑うのだった。


「…で?そんな朝早く起きて、何してたの?」

とジュースを飲み干した裕美が聞くと、「え?ん、んー…」と紫はここで少し言葉を詰まらせた様子を見せつつ、またもや私の方に視線を飛ばしてきた。

当然これで二度目だったし、理由は分かっていたのだが、結局は一度目と同じように妙案が浮かばなかったので、私からはただ単純に、やれやれと言いたげ風な笑みを返すのみだった。

そんな私の表情をどう受け止めたのかまでは、本人じゃないので当然詳らかには分からなかったが、紫も同じような笑みを一瞬こちらに向けた後、私以外の興味津々って様子なみんなに視線を配りつつ口を開いた。

「朝起きちゃったんだけどさ、まだスヤスヤ寝てる麻里を起こすのも悪いと思ってね、数分くらいはボーッとベッドの上で座ってたんだけど、昨日そういえばみんなと琴音たちの部屋に遊びに行くって約束を思い出してたんだ」

「そうだよー。約束したのにー」

とここですぐに藤花が薄眼がちに口を挟んだが、それに対して「昨日寝落ちしちゃったのは…ふふ、ごめんって」と明るく謝って見せてから、紫は先を続けた。

「それでね、なんかそういえば寝る前から何も飲んだりしてなかった事を思い出したらね、急にドカンと喉が渇いてきたからさ、エレベーターホールに行ったの。そんで、あそこにある自販機で飲み物を買って、そのー…」

とここで一旦区切ると、私の方をチラ見してから続けて言った。

「あそこに椅子…ていうか、ソファーがあるじゃん?そこに座ってボーッとしてたんだ」

「そうなんだー」

と藤花と裕美が似たようなリアクションで返した。二人には、ボーッとの具体的な内容にはそれほど関心が向かなかったらしい。

二人はそれだけの簡単な反応をした後で、「まったく気付かなかったよ」と麻里もその輪に加わるように言った。

「そしたらね…」

と、そんな三人の反応を面白がるように笑顔でいた紫だったが、ここでまた視線をこちらに向けると続けて言った。

「少ししたら…このお姫様がお越しになったの」

「え?」

と麻里がすぐにキョトン顔でこちらを見てきたが、その直後、紫が余計な事を言ったせいで、またもや一連の流れが生まれてしまった。

「えー?って事は姫も早起きだったのー?」

という藤花から始まり、

「そっか…ふふ、姫も…ね」

と最初は真顔気味に口にしたのに、すぐに堪えきれない感じで微笑を浮かべつつ律が続いて言った。

その後で、キョトン顔から猫っぽい笑みに変わった麻里も加わったので、私も例のごとく一人一人にツッコミを入れていったのだった。

…んー、聞いてくれてる方々からしたらもう飽き飽きなのだろうが、その苦情は私にではなく、それこそ飽くなく何度もこのやり取りを繰り返す裕美たちに言ってください。話を戻そう。


「アンタもそういえば、紫と同じくらいに起きちゃったんだっけ?」

とニヤニヤしつつ裕美が聞いてきたので、「まぁ…ね。私は五時少し前くらいだったけれど」と私は、そんな裕美に対してジト目を向けつつ言った後で、視界の隅に映る紫の表情を盗み見た。

「紫と会ってたんだ?」と何の他意もない様子で自然と聞いてくる裕美に「えぇ、まぁね」と反射的に簡単に答えていた。

その最中も視界に入れていたのだが、紫の表情は一応笑顔と呼べる代物だったが、種類としては苦笑いと言っていいものだった。


そんな紫の表情を視界に入れたままで私は続けて言った。

「私もさ、起きたらすぐに喉が渇いちゃったから、少し紫とは違うけれど、じゃあちょっと飲み物を買おうって思ってエレベーター前に行ったのよ」

と途中から、裕美だけではなく、左隣に座っている藤花、その隣の律、紫、麻里と順に顔を流していった。

裕美はなぜ抜いたかと言うと、部屋で既にこの程度の話は済ませていたからだった。

私は、他のみんなから適当な相槌を受けつつ続けて話した。

「そしたらさ…物音一つしないっていうか、実際には空調なり何なりの機械音はしていたけれど、人の気配がなかった所で紫の姿が見えたから、驚いちゃったよ」

と最後に薄眼がちにおどけて見せつつ視線を飛ばすと

「そりゃ私もだったよー」

と紫もニヤケつつ返してきた。

おそらくこの時は、私と同じ様に紫の方でも今朝の情景を頭に思い浮かべていたはずだと思うのだが、それでも、これまた私と同様に、あの様な会話や雰囲気などがまるで無かった…もしくは遠い過去の事のかの様に、すっかり四月中旬あたりまでの普段通りの空気が二人の間に流れている様に感じていた。

そんな私たち二人のニヤケ合う様子に、他の四人がまた笑いあっていたのだが、その時、ふと麻里が口を開いた。

「そうだったんだぁー…あ、てかさ?」

「んー?」

と紫が直ちに反応を示す。

「何ー?」

と紫が聞くと、「んー…」と麻里は一旦保留して見せてから、それでも何気ない調子で続けて言った。

「あ、いやさ、二人とも朝の五時あたりにホールで会ってたんでしょ?…んで、紫は確か六時半のちょっと前くらいに戻って来たじゃん?」

「あ、うん」

と、この後で何を続けて言われるのか既に分かっている様子で、紫は何となく辿々しげに合いの手を入れた。

それは私も同じで、麻里はずっとすぐ隣の紫に身体ごと向けて話していたのだが、その横顔を私はジッと見つめるのだった。

「って事はさぁー?」

と麻里はここで語尾を伸ばしながら、今度は紫だけではなく私にも視線を配りながら、口調に少し力を込める様にして続けて言った。

「あそこで約一時間以上も二人っきりでいたって事でしょー?…二人であんな何も無いところで、そんな長い時間…一体何をしてたのー?」

と最後に語尾のトーンを気持ち上げつつ、相手を試すかの様に思いっきりニヤケつつ言い終えた。

その直後、「おー」と私の右隣に座っていた裕美が、これまた麻里に劣らないニヤケ顔を向けつつ口を開いた。

「さっすが新聞部だねぇ。些細な疑問をそのままにしとかないんだ」

「あー、なるほどー。”ぽい”ねぇ」

と藤花も裕美のすぐ後に続いた。

「ちょ、ちょっとー?からかわないでよー」

とそんな二人に対して、麻里は今度は困り顔を浮かべつつ、しかし笑顔で冷やかしを返していた。

そんな和かな雰囲気の中、それとは真逆に私と紫はお互いに顔を見合わせつつ固まってしまっていた。

紫はそうだったが、おそらく向こうから見たら私もそうだっただろう、キョトン顔と言うのか何と言うのか、少なくとも無表情に近い顔つきを向け合っていた。

…まぁ、ここまで話を聞いて下さった方なら、そうもありなんだと思われるだろう。

ついさっきの今朝方の出来事を、こうして痛い所を突かれる形で、二人からしたら時間を置かずに蒸し返された形になったからだ。

勿論、麻里にそんな目的があった訳がないのは重々承知だけれど。

それはともかく、ほんの数秒ほどお互いに一言も口をきかなかったのだが、さぁ質問の続きだと、テキトーに裕美達の相手を済ませた麻里が、また紫に話を振った。

「…で?だから何をしてたのー?」

「…な、何をって…」

と問われた紫は苦虫を噛み潰した様な表情を隠す事もなく表に出しつつ、こちらに顔を向けてきた。

「…ねぇ?」

「…へ?」

とここで思わず知らずに素っ頓狂な声を上げてしまいつつ、ふと視線を逸らすと、その先には裕美含む他のみんなが揃って興味ありげな小さな笑みをこちらに向けてきていた。

その様子に思わず視線を逸らしてまた戻すと、そこには、苦笑いには違いが無かったが、ふとその釣り上がり気味の目の奥に、何かを訴えてくる様な、そんな思惑が見え隠れしているかの様な鈍い光の様なものが宿っていた。

その訴えてくる内容を、流石の私でもここではすぐに察して、「え、えぇ…」と漏らしつつまた一度皆の方に視線を配ってから続けて答えた。

「別に…何をってほどの事はしてなかったけれど…」

と自分でも分かるほどの不自然さで私が言うのを聞くと、「えー、ほんとー?」とまず裕美が私の顔を下から覗き込む様にしてきながら言った。

「アヤシイー…」

と続けて目線は疑い深げな様相を表していたが、しかしキッチリと口元は思いっきりニヤケさせていた。

「ウンウン、アヤシー」

と想定内だったが藤花も裕美を真似つつ、体勢まで同じ様にしてきたので、結果的に私は両端から顔を覗き込まれる形となった。

その姿が妙だったらしく、続けて麻里がニヤニヤと、律はニコニコ顔をこちらに向けてくるのだった。

「怪しくないって…ね?」

とそんなみんなの雰囲気に飲まれてしまってか、苦笑いではありつつも緊張が緩んでしまった私が声をかけると、「あはは」と紫も笑顔で返した。

どうやら紫の方でも私と同じく場の空気に良い意味で流された様だ。

「そうそう、お喋りをしてただけだよ。…ふふ」

とここで一度区切ったかと思うと、私に向けて最近にしては珍しい柔和な笑みを向けてきたかと思うと、そのまま続けて言った。

「別に話すほどの大した事はしてないよ。…ただの雑談をしていただけなんだから。それを、そんな何をしてたかなんて聞かれても困っちゃうよ…ね?」

と紫は最後にニコッと目を瞑って見せつつ私に話しかけてきた。

…まぁ今ここではそうとしか言いようが無いとは思うけれど…紫はそれで良いの?…いや、まぁ紫自身が良いって言うんなら、私は全く構わないんだけれど…

と、紫のセリフを聞いた瞬間にこの様な感想を覚えたのだが、紫がそういった態度を取ろうというのなら、こちらも別に合わせるのは吝かではないと、最終的にはきちんと自然さを意識しつつ笑みを作って返した。

「…まぁねぇ。…にしては、確かにみんなが言う様に一時間以上はお喋りしすぎだと我ながら思うけれど」

と結局はこうして当たり障り無い、紫に合わせての普段通りの戯けた感じに落ち着いた。

そんなこちらの意図を汲み取ったのだろう、「あはは、確かに長話をし過ぎたわぁ」と紫も、表面上は明るく振舞いつつ笑みを返してきた。

そんな私たちの様子をただ眺めていたみんなも、

「いくら私たちがお喋りだとしても、朝っぱらから熱中し過ぎでしょー?」

と疑問風に口々に具体的にはセリフが違っても、内容的にはこの様な言葉を私たち二人に投げかけてきていたが、それ以上の私たち二人の、今朝における細部についての追求は行われなかった。

それからまたニコニコと笑い合う私たちを見れば、いつも通りのグループに見えていた事だろう。


と、そんな調子で和かに過ごしていたその時、パンパンと舞台の方で柏手の様な音が聞こえてきた。

その瞬間、それまで私たち以外にもそれぞれのテーブル席でガヤガヤとざわついていたのだが、一瞬にしてシーンと静かになった。

舞台には担任の安野先生が立っていた。その後ろには志保ちゃんともう一人の先生、それに学園長も立っている。

柏手の主はもちろん安野先生だった。先生のこの柏手はそれほど音が大きくは無いのだが、これぞパブロフの犬といった感じで、毎年私たちの学年での主任を務めてきた先生は、何かにつけてこうして注意を向ける様に仕向けてくるせいで、ついつい静まり返ってしまうのだ。

注目が集まったのを確認した先生は、このままこの場で退館式を行う旨を伝えてきた。

…ふふ、ここで漸く、何故私たちが朝食を終えたにも関わらず、いつまでもこの会場に留まって雑談に花を咲かせていたのかお分かりになっただろう。

そう、こうして朝食直後にそのまま退館式を行う事を知っていたからだった。これも事前に聞かされていた予定通りで、私たちからしたら意外性も何も無かった。

入館式の時とはまた別の、実行委員の女子が何やら挨拶を述べると、それに対してホテル側の代表の人が同じく挨拶を返していた。

そのやり取りが終わると、学園長から簡単な話がなされ、その後で志保ちゃんがこの後の予定を簡単に説明した。

それも終えると、その流れのまま早速出発の準備をする様に指令が下ったので、私たち生徒は全員揃って、ゾロゾロと会場を後にした。


私立に限らず、他校の修学旅行がどうなのかは当然詳らかには知らないが、私たちの学園に関して言うと、出発前に部屋の片付けが義務付けられていた。ベッドメイキングと言うほどの大袈裟なものでは無いのだが、まぁその真似事の様なものだ。

『立つ鳥跡を濁さず』の精神らしい。この標語はしおりにキチンと記されていた。

まぁ…『お嬢様校たるもの、周囲に恥じなく立ち居振舞いもしっかりと』と言いたいのだろう。これについて、私個人としては別に取り立てて反対も何もない。お嬢様かどうかはともかく、ただ単純にその通りだと思うからだ。

これは意外に思われる方もいるかも知れないが、私以外の一般的であるはずの他の生徒も、口にわざわざしなくとも同意見らしい。

それを証拠に、こうして一緒に作業をしている裕美からもそうだが、部屋に戻るまでの道すがらで、誰一人として不平不満を述べるものがいなかったからだ。

…まぁ私の見えない、影のところで愚痴ったりしてるかも知れないけれど。

…とまぁ、そんな話はともかく、何の自慢になるか知らないが、そもそも綺麗に使っていたというのもあって、私と裕美の部屋に関していえば、片付けは五分もかからずに終わった。


それからはまた他のみんなと私たちの部屋で落ち合うと、荷物を持ってホテルのロビーへと向かった。

そして、既に何人か立って待っている先生の中から担任を見つけ出すと近づいて行った。

班長である紫が私たち全員の部屋の鍵を渡しつつ、自分たちの班が出発準備を終えた旨を報告すると、安野先生から許可が下りたので、そのままホテルの外へと出た。


ホテルの正面玄関を出ると、強烈な陽光が目に飛び込んできたせいで、鈍いと言うには少し表現が甘い程度の痛みを覚えた。何気なく見上げて片手で帽子のつばの様に目元に日陰を作りつつ見上げると、昨日よりかは雲がチラホラ浮かんでいるのが見えたが、その向こうには真っ青な空間が広がっていた。控えめに言っても晴天と呼べる空模様だ。

今日も少し暑くなりそうな予感を覚えつつ顔を正面に戻すと、目の前には少しの間だけだったが昨日と同じの観光バスが三台停まっていた。

バスの側面の荷物扉が大きく開け放たれており、その近くにバスガイドと運転手が待ち構えていた。

私たちの姿を認めると、「あ、おはようございまーす!」とガイドさんが挨拶をしてきたので、私たちも同じテンションで返した。


それからは運転手さんに各々が自分の荷物を手渡して預けると、順繰りに車内へと入って行った。

既に車内には数名のクラスメイト達が乗り込んでいた。

入るなり彼女らとも改めて朝の挨拶をしながら、これまた昨日座った座席へと特に話し合うのでもなく座った。

まぁ、一々事細やかに覚えていたわけではなかったが、何と無く先に乗り込んでいた同級生達も前日と変わらない場所に座っていたのも理由の一つだった。

その後もゾロゾロと後から後からクラスメイト達が乗り込んできたのだが、先にも触れた様に私たちはバスの前方に陣取っていたので、位置的にまず私たちから挨拶をし合っていた。


全員が乗り込んだ後は、安野先生とガイドさんが乗り込んできて、二人して指を差し向けながら全員がキチンと乗ってるのか確認をとっていた。

確認が取れたのか、先生とガイドさんがお互いに頷きあうと、二人ほぼ同時に最前列に座った途端に、バスが前触れも無くゆっくりと動き始めた。

私は二列席の通路側に座っていたのだが、裕美の向こうに見えるホテルの最後の姿を何となしに眺めていた。


走り出してすぐにガイドさんが立ち上がると、こちらに振り返りざまに「おはようございます」とまた改めて挨拶をしてきたので、私たちも同じく返した。

ガイドさんはまず枕として今日の天気の話から始めると、次に昨日の行程について振り返っていた。その度に、通常時からテンションが高めな数人の生徒達が、ガイドさんに一々合いの手を入れていた。その数人にはもちろん藤花も含まれている。

そんな和かなコールアンドレスポンスがなされた後その流れのまま、本日、修学旅行二日目の行程のお知らせを聞いたのだった。


その間もバスは走り続けていたのだが、その連絡事項の途中で、ふと右脇を昨日行った平和記念公園を通り過ぎた。

次の瞬間、昨日の今日というので車内で少し話が弾んでいたが、ここ辺りで予定していた内容を全て話し終えたのか、「車窓からの広島の景色をお楽しみください」と言い残してガイドさんは着席した。


それから暫くは、外の景色も普通の市街地だったというのもあって、私たち班含む各々が、まだ出発したばかりというのもあってか元気溌剌と其処彼処で会話が盛り上がっていた。

ここで箸休めというか、軽く具体的に私たちはというと、流石は班とか関係なしに普段からまとめ役の、キチンとするところはキチンと締める事を知っている紫が、お喋りしながらも絶えず手に持っているしおりを眺めていたので、その姿を”かるーく”皆でからかいつつも、昨日に続いて今日の行程についての事前研究の成果を披露してもらっていた。

案の定というか、紫はしっかりと二日目に関してもリサーチ済みだったらしく、私たちからの、たまに揚げ足取りに近い様な質問にもすぐさま答えていくのだった。

途中から、班員だけではなく昨日を一緒に行動することが多かった、律と藤花と中の良い友達同士で組まれていた例の班員からも飛んでくる質問という名の”ボケ”に、四方八方に慌ただしく顔を動かしながらウンザリげに、しかし口元はニヤケさせながらツッコんでいく紫の姿を私は眺めていた。

もちろん会話に混ざっていたので一緒になって笑顔を浮かべてはいたのだが、心の底からといった感じでは無かった。気分的には周りほどでは無いにしろ、私なりにテンションが上がって楽しんでいたのは事実なのだが、そんな心の内でもある一角は、シーンと静かに落ち着いているのに自分でもこの時に気づいていた。

一応弁解というか付け足しておくと、冷めていた訳ではないし、その静まった心の一部に何も暗い感情の様なものが占めていたわけでも無い。

…無いのではあるが、んー…まぁ簡単に一口に言ってしまえば、”空っぽ”というのが近いと思う。


お喋りに混じりながら、そんな自身の心の隙間に少しだけ気を取られていたその時、ふと車内に傾斜が生じたのに気付いた。

皆はこの微妙な変化に気づかない様子でお喋りに夢中になっていたが、不思議に思った私はふと窓の外に目を向けた。

まぁ溜めるほどの事でも無いし、すぐに種明かしをしてしまえば、バスはどうやらこれから高速道路に入るところらしい。今生じている傾斜は、高架である高速に入るための連絡道路であるが故だった。

これといった汚れの見えない、なんだか出来立てホヤホヤといった風な連絡道路を抜けると、バスは予想通りに高速道路へと入って行った。


と、バスが高速に合流したその時、「あーー!」と突然裕美が明るい声を上げた。

そしてそのまま窓に齧り付くと、外の景色を見始めた。

「なに、なに?」と私含めて、その急激なテンションの上がり具合に対して戸惑いの言葉を漏らしたが、裕美の向こうに広がる風景を見た瞬間に、私は裕美のこのテンションの訳をすぐに察した。

何故なら窓の向こうには、初夏の陽射しを浴びて白くキラキラと反射し光っている瀬戸内海が広がっていたからだった。

…ふふ、そう、海…だけって事ではないのだが、海や川、湖などの水のある場所、風景が大好きな裕美としては、こうしてテンションが爆上げしてしまうのも無理も無い。


窓に顔を向けているせいで後頭部しか見えなかったが、それに向けて「ふふ」と私は思わず微笑みを零してしまったが、それに続く様に、他の四人も私と同じ様な笑みを浮かべた。

例の中学一年時に行った研修旅行から既に裕美のその様な性癖を熟知していた紫、藤花、律からしたら、不思議でもなんでも無いので、自然と受け入れていた。それに加えて、直接は聞かなかったが、一緒になって微笑む様子を見る限り、麻里も中学二年時で何かをキッカケに知ったのが伺えた。


その後は、残念ながら高速道路特有の両脇に立つ無慈悲な高い壁によって海が見えたり見えなかったりしていたが、そんな中、さっきまでからかいの矛先が紫に一点集中だったのが、自分で”安直な行動”をしてしまったせいで、暫くは苦笑したり拗ねて見せたりする裕美を中心に盛り上がっていた。


それから少しして漸く裕美をからかう流れが落ち着きを見せ始めた頃、バスがクローバー型のジャンクションに差し掛かったのだが、ここで裕美がまた性懲りも無く一気にテンションを上げて見せた。

何しろこのジャンクションが河口上に架かっているらしく、紫と麻里の座る進行方向左手には幅の広い河が、そして私と裕美の座る右手側にはまた大きく瀬戸内海が広がっているのが見えたからだった。

さっきまでからかわれ続けていたのに、裕美はまたしても懲りずにこの様な反応をしてしまった訳だが、今回ばかりは私含めた他の五人、それに車内の同級生たちも一斉に歓声を上げていた。

…ふふ、蛇足だが、ここで私含めて裕美にまた攻撃を仕掛けなかったのには理由がある。さっきの裕美は、すぐに道路に沿って立つ壁に阻まれて見えなくなってしまった、そんな海のチラ見にすらテンションを上げてしまったのだから、いくら水系が好きだからと言ったって、限度を超えてるだろうと冷やかされても仕方がなかったと思うのだが、今回はバッと壁が消えたのと同時に普通のガードレールの様な物しか無かったせいで、急に視界がひらけたと同時に周囲の景色が目に飛び込んできたのだ。裕美でなくともテンションが上がるのは仕方がないだろう。

…これは蛇足に次ぐ蛇足だと思うが、これとは別に、これはもしかしたら私だけかも知れないが、瀬戸内海だけではなく今通過している、道路が上下左右に滑らかな曲線を描きつつ交差するジャンクションそれ自体にも同時に見惚れていた。


…ふふ、ここで突然私の性癖の一つを予期せぬ形で披露することになってしまうのだが、許して欲しい。今までの話の中で、私にこんなフェチがある事に触れたことは無かったと思うが、もしかしたらこの時点で薄々『アレか』と察する方もおられるかも知れない。

察する上でヒントとなるのは…そう、あの例の夢だ。あの夢は言うまでもなく夢なので、実際に見聞きした物でないと現われないのは当たり前として腑に落ちることだろう。そして、自分の意識か無意識か細かいことは別にして、どれほど心に留めているのか、その程度に現れ方が変わることも同意して頂けると思う。

…と、またいつものクセで妙に分かりづらい話を長々としてしまったが、要は、私は自分でも、これほどまでにしつこく話す事自体を恥ずかしいと思ってはいるのだが、それでも忍んで話させて貰うと、言うまでもなく私は所謂芸術というものが大好きなのだが、この件に関して言えば、それは建築も当然含まれている。

この癖も勿論義一が深く関わっているのは否めないが、件に関しては、おそらく私の両親が発端の遠因になっていると思われる。というのも、ご存知の通りというか、私は物心がついた頃から毎年の様に夏と冬の長期休暇に両親共々とヨーロッパを周遊して過ごしてきた訳なのだが、その旅の行程で、有名なものから無名なものまで、教会なりお城なり何なりと、古いものから新しいものに至るまで様々な建築物に定期的に訪れていた。なので、義一と再会して深く関わる様になる前から触れていたので、これに関しては本人たちがどれほど狙ったかは別にして、それらの歴史的建築物なりに触れる機会を与えてくれた事に私なりに感謝をしている。

…んー、このタイミングで名前を出すのはどうかと思ったりもするのだが、まぁ義一の名前を出して出さないというのも変だと思うので付け加えれば、ここ一年弱ばかりに師匠から借りる芸事の本の中に、古今東西の建築に関するものの本が沢山混じっている事も指摘しておこう。よって例の夢にもあの様な情景が其処彼処に癖が反映されているのだろう。

…と、これはこの時点での私個人のあくまで推察だが披露をさせて頂きつつ、加えてこの辺でこれ以上の恥ずかしい性癖の披露も終えることとしよう。


この特徴的なジャンクションを抜けてバスは別の道路に入った訳だが、先ほどまで走っていた道路とは違い、今度は草木の壁が道の両端に鬱蒼と茂ってしまい、またもやそれ以上先の風景は見れなくなってしまったのだが、私達だけではなく車内は至る所で海にまつわる様々な話題で盛り上がりを見せていた。

そうしている間も緑が開けたり閉じたりと周囲の景色がコロコロと変化を見せる中、元々交通量が少ないせいか、バスは片側一車線を快調に走り続けていた。

お喋りと景色を楽しんでいると少しして、ここまでも数回トンネルに入っては出るを繰り返していたのだが、また一度入って出たかと思うと、いつの間にか車窓の外には市街地が現れていた。どうやら一般道に入ったらしい。目的地付近に近づいた様だ。


そのまま一般道を十分弱ほど走ると、バスがようやく目的地に着いたらしく、どこかの駐車場に停まった。

エンジン音が止まると、ガイドさん、先生の号令のもと、私達生徒は必要最低限の荷物を持って車外にゾロゾロと出て行った。

ここまで長々と話してきたが、広島駅すぐ近くの泊まったホテルからここまで、約四十五分ほどの時間経過だった。


外に出ると、若干雲の量が増してきていたが、しかしそれでも晴天には変わりなく、まだ朝の九時になるかならないかくらいだというのに、今日一日もこのまま天気が持つ予感を私たちに与えた。

と、同時に、車外に出た瞬間、ここ広島に来て初めての香りが鼻を刺激してきた。それは潮の香りだった。

その香りに気付いたのは私だけではないらしく、裕美を始めとする私の班だけに留まらず、そこかしこで海がどこにあるのかという会話が耳に入ってきた。

生徒が全員降りたのを確認した先生たちの引率の元、今いる駐車場の外に出る道すがら、敷地内に入った事を知らせる赤々としたレンガの敷き詰められている上を歩きつつ、相変わらず私も一緒になって香りの元を探そうと見回したその時、陽の光を反射して黒光りする大きな金属の塊が目に飛び込んできた。それは潜水艦だった。

…とまぁ今こうして事前に何も知らない体で話してみたのだが、これも実は事前に学園内で情報を報されていた中の一つだった。

そこは海上自衛隊呉史料館という、今私たちがいる呉…そう、今私たちは呉に着いたのだが、ここ呉に海上自衛隊の広報を目的とした施設で、愛称は『てつのくじら館』と呼ばれている。

その名の通り、海上自衛隊の歴史や装備品の紹介などが展示されている…のだが、”今は”まだ私達とは関係が無いので、この辺りで取り敢えず目の前の潜水艦が目に止まったというところで話を留めておくこととしよう。


…予め知っていたとはいえ、写真などで見た時の感想とは比べ物にならないくらいに、実物を見た時の衝撃は大きかった。

私以外の生徒達も同じ感想だったらしく、陸上にデンと潜水艦が屋外に展示されているという、非日常な光景から来る違和感を覚えるのと同時に、とても面白く興味深げに歩きながら眺めるのだった。


この間ほんの一、二分足らずだったが、駐車場を出てから変わらず煉瓦で舗装された道を、傍に展示されている真っ白に塗装された昔の戦艦の主砲身やスクリュー、主舵などを眺めつつ歩いていると、急に大きく拓けた所に出たのと同時に、ようやく先頭を歩く先生が足を止めた。

それに伴って私たちも立ち止まり改めて周囲を見渡した。私たちの眼前には、実は駐車場から側面は見えていたのだが、その建物のファサードが姿を見せていた。今までに歩いてきた舗装路と同じ様な煉瓦を惜しみなく壁面一杯に敷き詰めた様な箇所と、近代的な博物館なり美術館にありがちな大きなガラス張りの壁面が上手く調和し同居している…とまぁ、そんな外観をしていた。

その煉瓦側の壁面に『大和ミュージアム』と名前が掛けられていた。


生徒達が全員揃ったのを先生達が確認する中、いつからそこにいたのか、如何にも施設の関係者といった風体の男性が先生達の脇に数名立って待っていた。

確認が終わるや否や、黙って待っていたスタッフと思しき数人の中の一人が前に出てきて、今日の見学の流れについて簡単に説明をしてきたので、それを黙って聞いていた。

その説明が終わると、早速館内に入るのかと思いきや、ここで本日最初の、クラス毎の集合写真を撮る事となった。

当日は当然写真の内容について分かりはしなかったのだが、後日に見てみると、科学館の名前の書かれた小さなパネルを前にして私たちが整列して立つその背後に、先ほど脇を通った戦艦の砲台や、煉瓦調の壁、そしてこの位置からもハッキリと見えるほどに存在感のある潜水艦がしっかりと入る構図となっていた。


写真を撮り終えると、館内に向けて歩き始めるスタッフの後をゾロゾロと皆で揃ってついて行った。


…ふふ、ここでおそらく誰もが察しておられる事だろうが、ここから…というかここから”も”、暫くは観光案内風な話が続く事を予告しておきたいと思う。

まぁこれは、修学旅行という話の内容上、どうしてもそのような形式になってしまうのは否めないのだ…と、自分勝手に好き勝手に言い訳しつつ弁護を述べてから、話を続けたいと思う。


館内に入ると、スタッフの指示に従いまずは四階まで上がった。通されたのはだだっ広い空間で、椅子がズラッと並べられていた。その向かいには薄型液晶モニターが数台置かれていたのだが、背後には天井から床まである大きな窓が一面にあり、視界を遮る建物などの無い向こうには海が広がっているのが見えた。ここまで来てようやくハッキリと視認することが出来た。

元々天気が良いというのもあったが、大きな窓から入ってくる自然光のお陰でごく最小限の照明しか点けられていないにも関わらず十分に明るい大部屋に入ると、案の定というか私含む生徒達は海に目を奪われつつも、順々に着席していった。


全員が席に着き終わると、早速モニターを使いながらのガイダンスが始まった。制服なのか作業服なのか、オレンジ色の服装に身を包んだ女性スタッフが、これから見て回る展示の見どころについての紹介がなされた。

それが終わると間を空けることなく流れる様に、ここ呉の歴史と戦艦大和の生涯とでも言うのか、それに加えて大和に使われた技術が戦後どの様に活かされているのか、写真やイラストなどをモニターに映したりパワーポイントを使用しつつ講座が行われた。

その間、私たちは出歩き用のカバンの中からワークシートを取り出して、その中のメモ欄に頭に止まった所を書き留めていっていた。

これは前日の例の平和記念公園内でのと似た様な代物だ。展示の流れにそった、穴埋め式の冊子型ガイドブックで、問題を解きながら見学ポイントを押さえて学べるという仕組みになっていた。


その講座に続いて、実際に戦艦大和に乗艦して沖縄特攻作戦から生還した人や、戦争体験者の証言映像を視聴したりと、合計して約一時間ばかり大部屋で過ごした。

映像を一通り見終えると、いつの間にやら入室していたらしい、ほどほどに年老いた数名の男女がスタッフによって紹介された。

話によると、要はこの男女は私たち学生を案内する当館ボランティアスタッフらしく、館内の展示を丁寧に分かりやすく案内してくれるとの事だ。皆共通の青いベストを身に付けていた。

まぁ…これも昨日と同じパターンだといって差し支えない。

軽めの紹介が終わると、ここで安野先生が最低十人以上のグループを組む様に言ったので、私たちの班は早速、昨日一緒に過ごした班の子達とペアを組んだ。

私たちも向こうも六人班だったので、合計十二人だ。

速やかにグループが決まると、私たちの班の担当ガイドとして、いかにも人の良さそうな白髪の男性が自己紹介してきた。

簡単にお互いに挨拶をし合うと、そのまま流れるように今いる大部屋から出るのだった。


元来た道を戻って一階に戻ると、まずはこの館内で一際目立つ、この科学館のシンボルとも言える、十分の一スケールの模型の側に立った。

これ程の大きさの物で目立つ代物なのだから、実は先ほどの部屋まで行くまでの道中で当然の事ながら視界に入っていた。実物の十分の一の大きさとはいえ、全長が26.3メートルもあったので、こうして近づくと余計にインパクトが増した。

当時の設計図や写真資料を元に再現されてると説明するガイドさんの声を耳にしつつ、私はもちろんのこと、裕美を始めとする他のみんなも、目の前の精巧な模型をジロジロと穴が開くんじゃないかという程に眺め回していた。


それが終わると、まずは一つ目の展示室へと足を踏み入れた。そこでは、今いる呉の近代における歩みと、呉鎮主府の開庁から呉海軍工廠の設立に至るまでの資料、その工廠で建造された戦艦大和の設計図や建造技術の紹介、今もなお海中に沈んでいる大和から引き揚げられた遺品の展示、戦争下の市民の生活、戦後における海軍解体後の呉市が造船のまちとして発展していった経緯などを見て回った。


説明を聞きつつ私たちはペンを片手にワークシートの虫食い部分を書き埋めていった。


この展示室を出ると、大和の模型を挟んで真向かいのもう一つのエリアへと足を踏み入れた。

そこは実物の展示を目的としているエリアで、呉にあった広海軍工廠で研究開発された、機体全てを金属で製作する技術や運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術が活かされた零式艦上戦闘機六二型、通称零戦で知られる艦上戦闘機や、射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため燃料酸化剤に純粋な酸素を用いるという、世界初の実用化に成功した酸素魚雷である九三式魚雷と二式魚雷、小型潜水艦である海龍、そして…私個人としては一番目が止まらざるを得なかった、一般的には人間魚雷として知られている特攻兵器”回天”などなどが展示されていた。

今触れたように、他の零戦などにも目を奪われはしたのだが、義一や他のオーソドックスメンバーの方々との会話や議論などによって、普段からこのいわゆる”特攻”について自分で言うのもなんだが畏敬の念とともに深い関心があった。

そんな身としては、その一つである回天を目の当たりにして、ガイドさんの説明をそっちのけ…というほどでは無かったと自分では思うのだが、ついつい食い入るように説明文から何から凝視をしてしまっていた。

暫くして自分でハッと我に帰るというのか、恐る恐る振り返ると、皆がこちらにキョトン顔に近い真顔風な表情を向けているのに気づいたが、目が合った次の瞬間、呆れ笑いというのか揶揄い気味というのか、まぁそんな色んな感情が入り混じったような笑みを、何も言わずに一斉に向けてきた。

無言といえどあまりにも雄弁な皆の笑みに対して、私は苦笑交じりにホッペを掻いてみせるのだった。

因みに他の班の子達と、それにガイドのおじさんはというと、キョトン顔のままか愛想笑いを浮かべていた。


しかし、そんな態度を見せていたというのに、それからはガイドのおじさんに、こういったものに興味関心があるのかと質問ぜめというか怒涛のラッシュを受ける事となった。そんな”口撃”に私の性格上、引きはしなかったが押され気味ながらも返す中、振り返らずとも裕美たちがニヤケ顔をこちらに向けてきているであろう気配を背中に感じつつ、緩やかなスロープを歩きつつ二階へと上がった。

吹き抜け構造になっているために一階の広場が見えるのだが、先ほど見た大和の模型を見下ろしつつ、そのまま三階へと上がって行った。


三階に上がってすぐの展示室に案内されると、そこは今までとは打って変わった趣向となっていた。

造船に用いられたブロック建造工法や、浮力の原理、波の性質を学べる実験水槽などなど、要は体験型の学習展示場だった。

ガイドさんにアレコレと実験装置を体験するように勧められると、早速裕美、藤花、麻里、それに紫がここに来て一番の明るい笑顔を浮かべながら、それぞれが嬉々として次々と体験に手を出して行った。

それを私と律が時折顔を見合わせつつ微笑み合う…という、この手の事では毎度のパターンをしていたのだが、それでも自分たちの番になると、客観的には見えなくともおそらくそれなりにはしゃいだ表情を浮かべていた事だろう。


…と、ここまで一連の見学を約一時間ばかりかけて回ってきたのだが、この部屋を出ると、ガイドさんを含む皆でまっすぐに一階まで降りて行き、科学館の外に出た。

出た場所は、ここに来た時に一時的に集合した煉瓦で舗装された広場だったのだが、そこにはいつからいたのか、安野先生や志保ちゃんなどの先生たちが待ち構えていた。

出るやいなや早速私たちは安野先生に近寄り、予定の見学ルートを全て回った旨を紫が代表して報告をした。

それを終えると、まずここまで案内してくれたガイドさんにお礼を言い、笑顔で手を振りつつ館内に戻っていく背中を眺めている中、安野先生は腕時計に目を落としながら口を開いた。

「…さて。一番先に見学を完了させたのは紫さんたちの班なのだけれど、まだ昼食まで一時間ばかりあるから…その間だけこの敷地内限定でだけれど、自由時間とします」

「やったー」

と直後に私たちは笑顔で喜び合っていた中、先生も笑顔交じりに付け足した。

「あなた達、昼食会場は知っていますね?…そう。じゃあ昼食予定時刻の五分前くらいに着くように計算して行動しなさいね?」


「はい先生」

と声を揃えるように良い返事を残して、早速私たち二班は元来た道を戻り始めた。

…ふふ、先生は時間が余ったからと今急に思い付き風な空気を出しつつ言って見せていたが、この昼食までの空き時間も一応予定に含まれていた。とはいっても、自由時間が具体的にどれほど取れるかまでは決められていなかったけれど。

なので、この日初の自由時間…というか、昨日のあのタワー内での短いのを除けば、実質今回の修学旅行初の本格的な自由時間を与えられたというので、私含む皆が皆明るい笑顔を浮かべてテンションを上げていた。

…のだが、こうして歩いてる最中ここでもやはりというか、しつこいと思われるだろうが事実として、その中でも裕美が一番テンションが高く、表情もウキウキとしていた。

…まぁ、先ほどチラッと触れた話と、この後の流れを見ていただければ”然もありなん”と思われるだろう。ここでの自由時間の過ごし方を、もう一つの班の皆と揃ってどう過ごそうか、これまた事前に学園で既に話し合い決めていたのだが、それを実行できるのだから裕美の言い分からしたら仕方の無いことだった。


科学館の外周を駐車場のある方へ向けてぐるっと回っていると、小さな芝生の公園に出くわした。

整えられた芝生の上にテラテラと陽光を反射する黒い犬の像が何体か設置されていたのだが、その犬達の顔の先に目が行くと、「おー!」と途端に私たちは一斉に声を上げた。

目の前には海が広がっていた。ようやくここに来て、ずっと辺りに漂っていた香りの元に”直に”辿り着くことが出来たのだった。

声を上げつつ歩みは止めていなかったのだが、ここで不意に急に私の手を掴む者がいた。裕美だ。

突然のことだったので一瞬ビクッとしてしまった私だったが、それには構う気配を微塵も見せずに、次の瞬間には力任せにそのまま私の手をぐいぐいと引っ張っていきつつ早歩きになっていった。

「ほら琴音!海よ海!早く、早くー!」

と時折振り返りつつ、日の光のせいだけでは無い眩しい程の笑顔を向けてくる裕美に、「ちょ、ちょっとー…」と、予想していたし、それなりに慣れている私としても、やはりテンションのギャップを中々埋められずに戸惑いの声を漏らしたが、「ふふ」とそれでも結局はそんな裕美の様子に思わず微笑を零しつつ、私は私で後ろをチラチラと振り返りつつ引っ張られるがままになっていた。

こうして手を引かれながらふとこの時に、また例の一年生時の研修旅行を思い返していたのは言うまでもない。おそらく裕美、そして他の四人もそうだっただろう。

その予測を裏付けるように、四人と麻里はこちらに笑顔を向けて来ていたが、特に別班の子達は呆気にとられた表情を見せていた。だが、それでも徐々に笑顔に戻っていき、そしてそのまま、私と裕美の後を若干の駆け足で追うのだった。


…と、こうして駆けている間の時間を使って、そろそろ私たちが着いたこの場についての紹介を軽くでもしておくべきだろう。ここは大和波止場と呼ばれる所で、さっきまでいた科学館のすぐ真裏、海側に位置する公園だ。波止場と言うだけあって、海に細長く突き出す形状をしている。また、その名の通り、戦艦大和を模した箇所が随所に点在してあるのが特徴的だ。少し小高くなっている展望台のようなスペースには、司令塔などがあった戦艦大和の船橋があったり、公園内の一部が甲板をイメージしたらしく板張りとなっていて、主砲などの位置を表す模様があり、その大きさを実感出来る様になっていた。要は、この公園の大部分を使って、戦艦大和の前甲板の左半分を実寸大で再現しているのだ。


歩調を緩めた興奮の少し治まった裕美と、追いついた他のみんなと一緒にこの板張り部分をまず歩いた。

私はそもそも性格じゃ無いしキャラでも無いので数回ほどに留めたのだが、他のみんなは裕美を筆頭に律まで一緒になって、あちこちにスマホを向けて写真を撮るのに奔走していた。

その結果、当然として板張りの上を蛇行していたのだが、漸く船で言う所の船首に辿り着いた。ここまで来るのにも工夫がなされており、実際の戦艦のように船首の方に進むにつれて高くなっていた。

板張りのすぐ脇には普通のと言うのか、タイルの舗装路と芝生が並走するようにあり、船首まで来ると若干の高低差があった。

船首、つまりは公園内の一番先っぽということで、そこに立つと見渡す限り海に囲まれてる感覚に襲われた。駐車場で感じたよりももっと濃い目の潮の香り、そろそろ正午に差し掛かろうという時間帯の高い位置から降り注がれる太陽の光を、キラキラというよりもギラギラといった調子で小さな波によって揺らめく、じっと見つめるのが困難なくらいの強い光線を反射する水面、空気がこの日は澄んでいたのかいつもの事なのか、島が遠くにいくつか見えたり、今は民間の造船会社の工場だが昔実際に大和が建造された旧工廠近辺、この時たまたま停泊なのか浮かんでいた、戦艦大和よりも大きいコンテナ船を眺めたり、そういった景色を単体で、または人を入れて思い思いに写真を撮った。

こうして写真を撮っていく中で誰が言い出したか、ここが船首を模した場所にして、下の道に降りれば正面から近く写真が撮れるというので、若い男女二人が航行中の船首で女性が両腕を大きく真横に伸ばして、それを男性が後ろから抱くという、”某有名な映画”のワンシーンを真似して撮ったりした。

粗方撮り終えると、この場に二班、合計十二名いるというので、最後に班の全体写真を撮ろうというので、互いに撮り合うと、それからは皆で”戦艦”から降りて、全員で真横に並び公園の先端から海を眺めたのだった。


皆が一通りここでやりたかった事を済ませると、そのままノロノロと公園の縁とでもいうのか、視線を下に向ければすぐそこに海面が見える位置を、今回の修学旅行ではお決まりになりつつある二列のフォーメーションで科学館に向かって帰り始めたのだが、その時、「あ!」と急に先頭から声が上がった。主は紫だった。

「どうしたの?」と数人が声をかけると、紫はふと足を止めてこちらに振り返った。その手にはいつの間にやら”しおり”が握られていた。先頭を歩いていたので後ろからは気付けなかった。

紫は私たちからの問いかけには答えずに、しおりとスマホの液晶を交互に眺めたかと思うと、苦笑交じりに口を開いた。

「ほら、すっかり忘れてたけど…”鐘”はどうしよう?」

「…あー」

と紫の言葉を聞いた直後、私たちは皆それぞれ近くの人と顔を見合わせつつ声を漏らした。


”鐘”…というのは、この波止場内にあるモニュメントのことで、先ほどチラッと触れた艦橋のすぐ近くの芝生上に設置されている”時鐘”のことだ。時鐘とは、その艦が就役している間、昼夜を問わず三十分ごとに当直の時鐘番兵が鐘を鳴らして艦内に時刻を告げるもので、その艦のシンボルともいえるものだ。なので、大和を模したこの波止場にもそのモニュメントが置かれているのだが、ここ数年前あたりからこの鐘が今では恋人と一緒に鐘を鳴らすと恋愛が成就すると噂が広がり、休日には鐘を鳴らすカップルも多い…と、旅行前に何度か打ち合わせのためにたむろしていた例の喫茶店内で、紫が持ってきた広島の情報誌の中で紹介されていたのを見ていた。

…ふふ、見ての通りというか何というか、私達の学園は女子校なので、恋人もへったくれも”今の所、表に出ている点では”関係無いように思われるだろう。それは私もそう思ったのだが、それは置いといて「何でその大和の鐘が恋人の聖地になってるの?」とついつい”何でちゃん”の名に恥じない質問ぜめをしてしまうと、次の瞬間には五対一という数字上の劣勢のために「出た出た」と逆に攻め立てられてしまった。

それで結局折れてというのか、からかわれつつも紫から説明を受けつつも、納得は出来ずに終わった。だが不思議と皆が行きたがったので、趣旨が理解出来なくとも断固として行きたくないという訳では無かった私は、素直に提案に乗っかることにしたのだった。その後で学園で今一緒にいる他の班のみんなと打ち合わせした時も、不思議と誰からも反論が出ずに予定に組まれた経緯があった。

そんなこんなで、確かに話を聞いた直後からついさっきまでまだどこか腑に落ちない感じがしていたのだったが、しかしこうして現地に来てみて、先程来から色々と話をしてきたが、もうお分かりのように、この波止場は海と大和関連の物以外はこれといった目立つ代物は無く、何も知らずに来るとガランとした印象を与えられると思うのだが、私個人の感想でいえば、その何も無いシンプルな点がむしろ、周囲の景色を主役に際立たせる効果を生み出し、自分だったらデートするならこういった所に来て、海を眺めながらのんびりと過ごしたいな…という感想を、歩き回りつつ持つのだった。…まぁ、好きな男性どころか、初恋すらまだな私が言うのも何だけれど。


「どうしようって…別に今から行けば良いじゃん?」

と麻里が、横から紫の手元にあるしおりに目を落としながら話しかけた。

「そうそう」と他のみんなも後に続いたが、「んー…」と紫は再度スマホに目を落としながら言った。

「…まぁ行けば良いっちゃあ良いんだけれどさ?…微妙に時間がないんだよ」

とここで一旦区切ると、一度皆の顔を見渡してから続けて言った。

「ほら、みんなでそこで写真を撮ろうって話だったじゃん?その時間が…ねぇ」

「んー…」

と他の皆でスマホなり、私だったら腕時計に目を落としてみた。時刻は十一時四十分丁度といったところで、昼食予定時刻の十二時には、会場までの移動時間などを入れると確かに微妙だった。

他のみんなも同じような考え心境だったのか唸っていたが、「まぁさ!」とここで麻里が顔を上げるとニコッと笑いつつ言った。

「ここでウンウン言ってたって仕方ないし、取り敢えずその鐘まで行ってみようよ」


麻里が提案した直後、私たちは同意しゾロゾロと一直線にそのモニュメントのある芝地に向かった。

この向かう途中、先ほどまでの様に私たちは例のフォーメーションで歩いていたのだが、途中から隊列が乱れ出し、ついには何故か私と律が並んで先頭を歩く形となり、私と律の背後では、別の班の子達を含めた皆で何やら愉快げに話し合っていた。

…この時点で、何やら違和感というか不穏な空気を感じ取ってはいたのだが、まぁ良くある光景ではあったので、特にこれといって気に留めなかった。

…だがまぁ、この予感の様なものは後々で分かるように当たっていた訳だが、今はこの辺で留めておこう。


今いる波止場そのものが”ほどほどの”広さでもあり、距離的に然程遠くにあったわけではないので、数分歩いただけで目的地に辿り着けた。

着いた時点で既に、私たちと同じ考えを持っていたらしい先客の同学園生たちが写真なりを撮っている所だった。

因みに触れるまでも無いと話さなかったが、この波止場には同じセーラ服姿の女子が多く目立っていた。まぁ限られた自由時間内で女学生が来れる場所といえば、この近辺では波止場くらいなものなので、ある意味必然であった。


写真を撮るため列の最後尾に並んだ。私たちの後ろに並ぶ人が一向に現れなかった点を見ると、実質私たちが最後らしい。

最後尾とはいえ数分ほど待った後で順番が巡って来はしたのだが、タイムリミットは刻一刻と迫って来ていた。


「さてと…」

と私は何気なく前に足を踏み出し、鐘のすぐ側に立ち、「どうしようか…?」と言いながら振り返ると、不思議なことに、私以外の皆がこちらに来る気配が見えなかった。

その代わりに、律以外の皆が時折顔を見合わせながらニコニコ…いや、どちらかと言うと、例のごとく何か悪巧みをしているかの様なニヤケ面を浮かべ合っていた。他の班の子達も同じ表情だ。

そんな様子を見て、私だけではなく、どうやら事情を知らないらしい律もキョトン顔を浮かべており、こちらにそのままの表情を向けてきたので、私はただ肩を竦めて見せるのだった。

と、そんな風に私たちが顔を見合わせた次の瞬間、

「じゃあ…はい!」

と明るい掛け声を上げつつ藤花が律の背中を両手でグイグイと押し出した。

突然というのもあっただろうが、中々の勢いだったらしく、律は前につんのめる様に出てきた。

藤花が手を離すのと同時に律は足を止めたのだが、その位置がちょうど私の立つ真横だった。

「と、藤花…?」

と律が戸惑いの顔つきと声音で振り返りつつ声をかけていたが、藤花はウンウンと天真な笑顔で頷くのみだ。

そんな様子に律が続けざまに何かを言いかけたその時、「あはは!」とここで後を引き継ぐ様に麻里が特徴的な猫の様に懐っこく笑いつつ口を開いた。

「いやぁー、ゴメンね二人とも。実はさぁ…今回みたいに時間が足りなくなりそうな時用に、別のプランを二人に内緒で皆で立ててたんだよ…ねー?」

と最後に後ろを振り返りつつ麻里が声を掛けると、残りの十人が共に笑顔で頷く形で返事をした。

「へ?」

と突然のネタバラシに戸惑いの言葉を上げつつ、私と律が顔を向け合った。

それから、律の性格上自分から理由を問いたださす為に切り出さないことを知っていた私が、代表して質問することにした。

「いや、なんでまた私と律に内緒にしていたの?…って、まだ何を内緒にされていたのか知らされていないけど」

と私が聞くと、「だってー」とまず裕美が口を開いた。ニヤケ顔だ。

「言うと間違いなく二人とも嫌がるもーん…ね?」

「うん!」

と話しかけられた藤花が明るく同意した。

そしてその流れのまますぐ側の紫に二人同時で顔を向けると、紫は何も返しはしなかったが、チラチラとこちらに視線を向けてきたかと思えば、イタズラっぽく笑っていた。そのまま笑顔は別の班の子達にまで広がっていった。

「…なーにが『もーん』なのよ…?」

と私がため息交じりに口調を真似つつ裕美にツッコミを入れる中、麻里は続けて言った。

「あはは!…っと、そろそろ本気で時間が無くなってきたから端的に言うとね?そのー…」

とここで麻里は一度顔を下に向けると、いつのまに取り出していたのか、両手で持ったデジタル一眼レフに目を落とした。

…ふふ、急に妙なものが飛び出したと思われるだろうが、これは昨日にも実は登場していた。平和学習の合間合間だとか、あの夕景の素晴らしかったタワー内だとかで何度もシャッターを切っている麻里の姿があった。

事前に修学旅行の打ち合わせだとか普段の雑談時に、この様に一眼レフを持って行くことを教えてもらっていた。理由を聞くと、なんでも新聞部である麻里に、来月号の記事の一面に今回の修学旅行の特集をするとかで、写真なり取材なりをしてくるように指令が下ったとの事だった。

私たちのクラスには新聞部員が麻里しかいなかったので、このクラスの様子を麻里が一人で受け持つ形となっていた。


…もうすでに、新聞部が今回の私と律のコンビにだけ内緒に何かを企んでいたと聞かされた時点で、漠然と抱いていた嫌な予感がはっきりと具体性を持って目の前に晒された気がしたのだが、それでも自分からは言わずに麻里の言葉を待った。

麻里はまた顔を元に戻すと少し照れ臭そうに言った。

「全員分の写真を撮ったりする時間はもう無いからさ、せめて…琴音ちゃんと律ちゃんとで、そこの鐘を鳴らして見てくれないかな?」

「…は?」

と、おおよそ想像通りではあったのだが、こうして直に聞かされると自然と呆れによる声が漏れ出てしまった。

その後すぐにまた、私と同じ表情をしている律と顔を見合わせていると、ここにきて開き直りなのか、すっかり遠慮が吹っ飛んでしまった麻里が嬉々揚々とこちらに向かって言った。猫撫で声だ。

「だってさー、この鐘って恋人と一緒に鐘を鳴らすと恋愛が成就する…って話じゃない?だからさぁ…時間が少ない中、それでもせっかくだから一組でも写真を撮ろうと思ったら…」

とここで一度区切ったかと思うと、途端にまるで含みの無さげな無垢な笑顔を浮かべて続けて言った。

「我が学園の誇る深窓の令嬢である琴音ちゃんと、王子として名高い律ちゃんをペアで撮るしかないだろ!…って事で、皆で意見が一致していたんだよ」

と途中で妙に力みつつ言ったかと思うと、ここまで言い終えた後でまた調子を戻して「ねー」とまた麻里が後ろを振り返りつつ声をかけた。それに応じて他のみんなが同意の意を伝え返していた。

「は、はぁー?な、何よ、それ…」

と、ここまでも大概予想がついていた話の中身ではあったのだが、しかし見ての通りというか咄嗟には綺麗に反論を返すことが出来なかった。

「そ、そんな事、言われても…ねぇ?」

と、この妙な空気感の中、仕方なく味方であるはずの律に声を掛けると、「う、うん…」と、これまた珍しいタイプの苦笑いを浮かべつつ応えた。

「困る…ね」

「えぇー」

と律の言葉を聞いた瞬間、藤花が不満そうな顔つきで突っ込んだ。

「いいじゃん律ー?お願いだよぉー…律と琴音っていう二人の写真を撮りたいんだよぉ」

と直前の不満げな顔つきは何処へやら、すぐに上目遣いになると顔の前で両手を合わせて続けて言った。

そんな藤花の様子を見た途端に、「う、うーん…」と律が小さく唸りつつ苦笑いを浮かべ始め出した。

このパターンをもう数え切れないほどに目の前で見せられてきた私は

…ちょっと律さん?あなた余りにも藤花に対して激甘過ぎじゃありませんかね?

と心の中でツッコミを入れつつ「ちょっと藤花ー?」と律に向かう代わりに藤花に突っ込んだ。

「お願いだと言うのに、私を忘れてない?」

と私がジト目を向けつつ言うと、「えー?」と何故か藤花は笑顔のまま、また不満げな声を上げた。

『なんで不満そうなのよ…?』と突っ込もうとしたその時、「琴音ー」と私に猫なで声で話しかけてくる者がいた。…こんなに勿体ぶる必要も無いだろう。裕美だ。

「いいじゃないのー?お願いだよぉー…琴音と律っていう二人の写真を撮りたいんだよぉ」

と、ポーズから仕草から、つい先ほどの誰かさんとそっくりな調子で声をかけられた私は、「あのねぇ…」とジト目を変える事なくそのままの視線を裕美にぶつけて返した。

「裕美…あなたがそんな態度をして見せたって、私には何の効果も無いことくらい分かるでしょ?」

とここで私は一旦区切ると、真横に視線を移しつつ、口元だけニヤケさせながら続けて言った。

「…どっかの誰かさんみたいに、私はチョロくないんだからね?」

「琴音ぇ…」

と私のセリフを聞いた瞬間、すぐに自分の事だと察した律が、またもや珍しく今回は困り顔を前面に出しながら若干の苦笑を交えつつ反論風味の声を漏らしていたが、その声には力がまるでなかった。

「えー」と、律とは違う意味内容の不満声を裕美は上げていたが、「あはは」という藤花の明るい笑い声を発端に、最終的には私と律も混じって笑い合うのだった。


笑いも収まり始めると、「まぁ…さ?」と紫がスマホに目を落としつつ口を開いた。

「そんなわけだから、もう時間もそろそろ本気で無くなってきたし…二人で写真を撮られて貰える?因みに…」

とここで紫は腰に両手を当てたかと思うと、上体だけ少し前傾の体勢を取ると、目は薄眼がちだったが口元は緩めつつ続けて言った。

「ここまで来たら、イヤって拒否権は無いからねぇー?どうしてもイヤって言っても…ふふ、学級委員長として命令しちゃうんだから!」

と最後に悪戯っぽく笑うのを見た私と律は、一度顔を見合わせると、どちらからも無くクスッと笑みを零した。

律はそのままクスクス笑っていたが、私はまたジト目を作って返した。

「職権乱用じゃないの、それ?」

「あはは、何とでも言いなさい!」

と何故か誇らしげに、豊満な胸を張って見せる紫を見ると、さっきからではあったのだが殆毒気の抜かれてしまった私は、

「…本当に、他のみんなもソレで良いの?」

と、視線を裕美たちの後ろ、他の班の子達のいる方に視線を飛ばしつつ声を掛けると、

「良いよー」

「私にも撮らせてー」

といった反応が返ってきた。

そんな笑顔で明るく他意無い風に返されたらますます反抗のしようが無いと、最終確認の意味も込めて視線を向けると、どうやら同じ考えだったらしい律も力無げな諦め調の笑みを見せたので、私からも同じように返した。

そしてまた一同に顔を向けると、やれやれとオーバーリアクションを取りつつ溜め息混じりに言った。

「…分かったわよ。もう本当に時間が無くなってきたから、さっさと終わらせちゃいましょ?」


「はーい!」と私の言葉の後で一斉に声が上がる中、私と律とで鐘により近づいた。

「まったく…時間が無い時用に決めてたっていうのは百歩譲って良いとして、結局こうやって直前に聞かされたせいで余計に時間を取っちゃったんだから、だったらハナから教えてくれれば良かったのに…」

と私がわざとらしく拗ねて見せつつ愚痴をこぼすと、これが冗談だと分かっている、少なくとも私の班員たちが笑みを零す中、「だってさぁ」と裕美が皆の代弁をするように口を開いた。

「さっきも言ったけど、言ったら言ったで『ウン』って頷かなかったでしょー?」

「まぁねー」

と私が間をおく事なくすぐに答えると、「えー」と藤花から始まり、不満げな返しが他の皆の口々から零れ落ちていった。

そのやり取りの間、何やらカメラのセッティングをしていたらしい麻里が、ようやく一眼レフをこちらに向けると、それから撮影会が始まった。

…始まったのだが、これがなかなかどうして面倒…あ、いや、大変だった。

麻里はカメラを向けた途端、口調から何から人が変わった様に、明るい笑みを浮かべてはいたのだが、普段よりも一段階高めのテンションで、ハキハキとした口調でポーズなり何なりを事細かく指定してきた。そしてポーズが固まるやいなや、「笑顔頂戴ー」「良いよ、良いよー」と言ったセリフを写真を撮りながら随所に盛り込んできた。

…ふふ、そう、まぁ私には実際には知り合いにカメラマンがいないので詳しくは知らないが、一般的に想像通りの”ザ・カメラマン”を麻里は演じきっていた。

普段も明るい性格ではあるのだが、それとはまた種類の違う一面を見せられて、何だか言われるがままに私と律は素直に従ったのだが、その間、その麻里の両脇で、テンションに釣られたらしい他の皆も、口々に似非カメラマン風な言葉をこちらに投げつけてきながら、笑顔で写真を撮ってきたのだった。

何ポーズか撮り終えると、最後に二人で鐘を実際に鳴らした場面を撮りたいと言われたので、私と律とでタイミングを合わせる為に掛け声を上げつつ握った紐を揺さぶった。

カーン…とも、チーン…とも聞き取れる様な、まるでテレビののど自慢の終了合図の様な音色が、大きさの割に大きな音量で辺りに響き渡った。

そんな音色を聴きつつ、ここでふと昨日の、クラスを代表して紫が鳴らした平和公園内の鐘の事を思い出していた。


鐘の音の残滓がまだ残る中、麻里はカメラを熱心に食い入る様に覗き込んでいたが、不意に顔を上げると「…はーい、オッケー!」と、片手で”オッケー”を作って見せつつ、また普段通りの調子で声を上げた。

「いやー、琴音ちゃんに律ちゃん、今まで隠していた上に、ぶっつけ本番で了承してくれて、ほんっっっとうにありがとうね!」

と妙に力みつつお礼を言ってきたので、「はいはい」と、私と律は顔を見合わせてから微笑みつつ返した。

だが、これはある意味礼儀作法として付け加えないわけにはいかないと思い、「でも…」咄嗟に意地悪げな笑みを作ってから続けて言った。

「ぶっつけ本番はともかく、今回みたいな意味内容での頼み事を聞くのは…ふふ、もう無いからね?」

「えー…」

と私の言葉を受けて大きく肩を下にストンと下げつつガックシして見せた麻里を見て、皆でまた一斉に明るく笑い合うのだった。


「あはは…っと、いけない、いけない」

とふと紫がスマホを覗くと「そろそろ本当に行かなきゃ間に合わないよー」と口にしつつ、一人勝手にいきなり駆け出した。

「ちょ、ちょっと紫ー?」と私たちも慌てて後を追ったが、その誰の顔にも自然な笑顔が浮かんでいた。

時折振り返る紫も笑顔を浮かべていた。

そんな風に駆けながらも愉快な気分を共有しつつ、昼食会場へと向かうのだった。


私たち十二人全員が駆けながら入ったのは、科学館に隣接する、呉中央桟橋ターミナルという建物だった。その名の通り、広島港や他の近隣の港へ出入港するフェリーや高速船用のターミナルだ。

建物の外観はドームが特徴的な青銅色の屋根と、レンガ調の外壁が印象的で、どこか大正モダンな雰囲気を醸し出していた。内部は敷地内の中央部分が三階部分まで吹き抜けとなっており開放的だ。

それ以外の、漂う雰囲気自体だとかは良くある船の待合所といった体だったが、しかし改装されたばかりなのか、そもそも新築なのか良く知らないのだが、どこも目立つ様な汚れなどが見えなく清潔感があった。


私たちは中に入ると、早速エスカレーターに乗った。

乗りながら息を整えて、二階に着くと聞き慣れたざわつきに向かって歩いて行った。

そこは150席ばかりの椅子と長テーブルの設置された、普段は無料に開放している休憩スペースだった。

すでに私たちが着いた時には、大勢の生徒たちが席に座り、何やらお弁当を食べながら同級生たちと和かに過ごしていた。

丁度よく長テーブルが三つあったので、三クラスで行動している生徒達はクラス毎に座っていた。

そんな風景を眺めていると、テーブルの向こうで先生たちが何やらセカセカと動いているのが見えたので、早速私たちは一直線にその方向に向かって行った。

その途中で、「遅いよー」「何してたのー?」という風に同級生たちにからかわれてしまったが、それにはこちらからも悪戯っぽく返していった。

そんなやり取りをしながら、後少しというところまで来た所で、「あら?」と、こちらから声をかける前に安野先生が先に気付いた。

「遅くなりましたぁー」

と紫が口にしつつ早歩きで近寄って行ったので、他のみんなも同じ様に後に続いた。

近づくと安野先生の側には大きなプラスチック製らしき箱がデンとあり、その中にはビッチリと隙間無く弁当が敷き詰められていた。

「ふふふ、みんな…」

と安野先生が何かを言いかけたその時、「遅いよー」と、先生のすぐ傍にいた志保ちゃんに話しに割って入って来た。志保ちゃんの手には弁当があり、それを丁度自分のクラスの生徒に渡す所だった。

「もーう…ふふ、宮脇さんに新田さーん?あなた達学級委員だっていうのに、あなた達の班は最後の方の到着じゃないのー。いけないなぁ」

と志保ちゃんは弁当を渡し終えると、腰に手を当てつつ悪戯小僧よろしく笑いながら言った。

…ふふ、この字面だけ見るとなかなかに面倒で嫌味ったらしい絡み方だと思われるだろうが、そこは志保ちゃん、少なくとも私たちの学年で知らない者はいないキャラクター、その知名度なり”実績”から、これが彼女なりの冗談だというのはすぐに分かった。

そんな訳で、たまにだが見せる志保ちゃんのこのノリに対しては、「そんなこと言われたってぇ…」と紫が拗ねて見せつつ返した後で、「ねー?」と私たち全員とで声を揃えるのだった。

因みに、結局この昼食会場に到着したのは、予定の十二時を五分ばかり過ぎた時刻だった。

「もーう」と志保ちゃんは呆れ笑いを見せていたが、その時、「有村先生?」と安野先生が声を掛けた。

「は、はい…?」

と志保ちゃんは何だか急にタジタジとしつつも、見るからに背筋をしゃんとして返事を返した。そんな態度を見た先生は一度目を細めて笑った後で続けて言った。

「…ふふ、確かにこの子達は集合予定時刻を少しばかり遅れて来ましたが、その前に担任である私を差し置いて小言を言うのは…それこそ『もーう』ですよ?」

と最後にまたニコッと笑って見せると、「は、はい…す、すみませーん」と志保ちゃんは思いっきり苦笑いを浮かべつつ、心底バツが悪そうにして応えていた。

この様な光景は、学園内でしょっちゅうとは言わないまでもたまに目にする光景だった。志保ちゃん本人には悪いかもだが、今の様な二人のやり取りが毎度何だか微笑ましく見えてしまい、私含む生徒達は大概この光景を見ると自然と笑みを浮かべてしまうのだった。今回もそうだ。


…と、このちょっとしたやり取りからも、二人には、同じ教諭という同僚以上の何かしらの関係がありそうだと察せられると思うが、その具体的な内容については、もしかしたら話の上か、それともどこか全く別の所で触れる事があるかも知れない…ので、今はこの辺で置いとく事にしよう。


「ふふ」と志保ちゃんにまた一度微笑んだ後、安野先生に穏やかな調子で遅れた訳を訊かれたので、紫が代表して斯く斯く然然と説明した。

それを聞き終えた先生は、一瞬だけ真顔になると、また柔和な笑みに戻して「…ふふ、まぁ何も危険があったりなどの問題は無かったのだし、小言は良しとしましょう。…有村先生が代わりに言ってくれましたしね」

と先生が顔を向けると、「い、いやぁ」と志保ちゃんは照れ臭そうにホッペを掻いていた。

先生はその様子をニコッとしつつ見てから、ここでふと私たちの背後の向こうに視線を飛ばしつつ、微笑みの中に悪戯心を覗かせながら言った。

「それにまぁ…さっき有村先生も言われたけれど、あなた達が一番最後じゃ無くて、まだ何班か遅れてますからね」

「え?」

と先生の言葉に私たちが声を漏らしている間、「えぇ、そうですね」と志保ちゃんが悪戯っぽく笑いつつ応えた。

「見学との絡みもありますけれど、私のクラスでも何班か遅れてしまっていますねぇ…。ふふ、まぁでも、この遅れを考慮しての予定時刻でしたけれど」

「ふふふ、そうですね」

と先生が二人して微笑み合うと、「えー、何それー」と藤花が拗ね顔を作りつつ不満げな声を上げた。

それから私たち生徒側で同じように不満げを表に思いっきり打ち出した態度を取って見せつつブーブー言っていたが、そんな私たちの様子を見て益々二人が笑みを強くするので、結局先生達と私たちは全員揃って和やかに笑い合うのだった。

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