第12話 修学旅行 “中間”
四月第四週平日 参議院 第1委員会室
参議院予算委員会にて
議長「…では、続けて…安田議員」
安田「はい、議長。えー、続きまして、今ずっと国会内でも、世の中的にも話題になっている今回のFTAについてお伺いをします。まずですね、岸辺総理の基本的スタンスについて認識をお聞かせ願いたいと思います」
議長「岸辺内閣総理大臣」
議長に名指しされると、画面見て右端の大臣席に座っていた一人の男性がスッと手を挙げて立ち上がった。
確かオーソドックスでの情報しか知らないが、年齢はこの時六十歳丁度だったと思うが、その割には真っ黒な豊かな頭をしていて、それをしっかりと綺麗に纏めていた。
以前にチラッと触れたかも知れないが、一度総理をしていたが、体調面などの一身上の都合というので、たった一年足らずで身を引いてしまっていた。
体調のせいとはいえ、その辞め方もあって、普段から日本の伝統文化、天皇がどうのと口にしていた事もあって、いわゆる右系統から支持を受けていたのだが、その彼らを含めた世の中全体から総バッシングを掛けられて、それ以来しばらく表舞台には出ずに息を潜めていた。
その間、義一が言うには『いくら辞め方が酷かったからだって、体調を悪くした人を皆してあーだこーだ言うことはないだろう』と神谷さんが発案して、それまでほとんど面識の無かった岸辺に近寄り、勉強会と称してオーソドックスのメンバーで二、三年ばかり励ましていたのだった。その間の苦労もあったのだろう、年齢の割に豊かな髪の割には、顔には深いシワがそこかしこに浮かび上がっていた。だが、その顔は何処と無く、時の総理に言うのはどうかと思うが、私の第一印象を言わせてもらえれば、何となくブルドッグか、要は少しブサ可愛めの犬を連想させる見た目をしていて、とても穏やかそうな雰囲気を身に纏っていた。
岸辺はゆっくりとした足取りで演壇前に着くと、舌の短い人にありがちな、少し聞き取りづらい調子で、しかし和かに答えた。
岸辺「FTAについてはですね、以前から申してますように、聖域無き関税撤廃には反対というのを前提条件にしてきましたので、それが守れないのであれば、交渉にも参加しない、つまり、国益を守ることが出来るのか、その点から判断しなければいけないと思っております」
安田「はい、でですね、我々与党は政権公約で、今総理が言われました通り、聖域を具体的に六つ挙げています。私から言わせて頂きますと、米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物の六品目です。で、ですね、今申し上げました品目の通りと言いますか、今回のFTAに関しまして、最も強い反対の声を上げていますのが、肌身に一番危険を感じておられるようであります農業関係の方々なんですが、勿論その通りで、農業関係ではデメリットしかないと思っていますが、しかし、それだけではなくてですね、総理、今ご自身で国益の為にと立派なことを仰いましたが、そもそも私が分からないのがですね、今回のFTAに入って、何が得なのか、メリットがよく分からないんですよ。メリットは何なんでしょうか?」
岸辺「えー…アジア、太平洋地域の、えぇっと…自由貿易体制を作るって事であります。米国とは…今、そうですねぇ…新しい大統領が就任しまして、その中でなかなか話をまとめるのが大変にはなっていまして、今も積極的に参加の表明を辞退しないように働きかけている最中ですが、それはさておき、それ以外のその他の国々、これらとの自由貿易圏を作るわけですから、全く新しい試みであるわけであります。今自由貿易圏に日本も入ることによってですね、他の国々の経済成長を日本が取り込んでいくことが出来る…」
…へ?それってまるで前世紀前半までの帝国主義の考えじゃないの?日本って帝国主義的な覇権国を目指しているの?
「…交渉次第でメリットを得ることが出来る…まぁ、必ずメリットがあるかという質問なのですが、これは繰り返しになりますが、交渉力によるところがあると思います」
交渉力…ね。
安田「えぇーっと…、次は事務局にですね、事務的にお伺いします。そもそも今回のFTAで、十年間でどれだけのGDPが上がるかという話がありますが、どれくらい増えるものと予想されてるんですか?」
議長「内閣官房FTA特別審議官、宮脇審議官」
…あ、紫のお父さんだわ。経産省から来てるのかしら…?良く知らないけれど。
官僚がズラッと並んで座っている委員会室の後ろの方から、人を掻き分けるようにして書類を持ちつつ男性が出てきた。
以前に紫に画像で見せて貰った、その通りの見た目だった。ピチッとした綺麗な七三分けの髪型をして、キリッとした眼鏡を掛けていた。どうも紫のものとタイプが同じに見えた。
目尻が若干釣り上がり気味、鼻の頭も上を向いているような点などから、紫は顔は父親似だというのがよく分かる。
余計な事を付け加えれば、体型は言うまでもなく母親譲りだ。
これ以上は本人に怒られるだろうから…ふふ、やめておこう。
宮脇「お答え申し上げます。えー、FTAの経済効果につきましては、現在これを経済的に参照できる関税の部分につきまして、高い経済連携を前提にということから、100パーセント関税を撤廃するというまた前提を踏まえつつ計算しましたところ、実質でGDPが0.54パーセント、2.7兆円分全体として底上げされるものと試算しております」
安田「はい、ありがとうございます。まぁ少し私たちの政策グループの話に触れますが、そこの中で議論などをしていく中でも、出てくる数値は今審議官が仰ったような数字なんですね」
…義一さん達の事だ
「でですね、総理、まぁ私たちのグループに来て頂いた先生方というのは…ふふ、総理も個人的によく知っておられる方々ばかりなのですが…」
…ふふ
と私は自然と笑みを零していたが、丁度カメラが向いたので見ると、岸辺も和かに微笑んでいた。
「ですがね、総理、こうしてまた改めて数字を聞きますと…意外と少ないなというのが私の感想なんですね。そこでもう一つ聞きたいんですがね、岸辺総理、総理が政権を奪還されて二年ばかりが経とうとしていますが、まず喫緊の所でいきますと、総理が就任して直後に円高是正が進みまして、これによって企業の収益も改善してきたと思うんですが、まだ今年の分はもちろん分かりませんが、総理が就任してからですね、一年目という意味ですが、その一年でどれほどの経済効果が上がってきたのか、どのように認められるでしょうか?」
議長「内閣政策統括官」
内閣政策統括官「お答え申し上げます。一昨年の政権交代がありまして以降、いきすぎた円高の是正に加えまして、緊急経済対策、日銀との共同政策で示されました金融緩和、及び成長政策などの”等”によりまして…」
…”等”か…。まぁ当然よね、財政政策みたいな赤字を生む話なんか口にしたくないんだろうから
「…実質GDPの成長率は、以前は1パーセント程度でしたが、去年の成長率は2.5パーセント程度と見込んでいます」
あー…ふふ、2.5パーセントか…それって
安田「ですからね(笑)、総理の経済政策で、”たった一年で”2.5パーセントも上がってるんです。上がってるという予想、で…今度のFTAでは”十年間で”GDPの約0.5パーセント上がると…」
…ふふ
「…ふふ、総理、総理が登場してもう十分経済が活性化しているのではないでしょうか?(笑)」
岸辺「ま、まぁ…この今回の参加についてはですね、先ほども申し上げました姿勢でですね、条件をしっかりと吟味して臨まなくてはいけない訳でありますが、このFTAについてはですね、まだまだこれ以降も議論をしていく訳ですが、もしですね、もしも交渉に参加するという事になったらですね、その後では更にはEU、東南アジアと、どんどん広がっていく訳でありまして、それらを含めたトータルで考えなくてはいけないのかも知れないと思っております」
…は?な、何言ってるのこの人…?
安田も苦笑いで立ち上がる。
安田「ま、まぁとにかくですね、岸田内閣で経済は成長しているんですよ。それは良いんです。是非どんどんこのままやっていただけたらと思います。まぁ個人的にと言いましょうか、また手前味噌で恐縮ですが、私が発起人を務めさせて頂いていますグループでは、先ほども出しました、お呼びした先生方の話も受けて、もう少し財政政策をして頂けたらとは思いますが…」
ウンウン。
と、ネットに上げられていた国会中継の動画を見つつ、一人頷きはしていたが、それと同時に、こんな感想を覚えずにはいられなかった。
しっかし…義一さんの本も出て、私みたいに巷の流れに疎い人間でも、世の中的にはあの本をキッカケに雑誌やテレビで毎日騒がれてるのに、まだこんな初歩的な時点でうじうじと議論をしなくちゃいけないのか…。
「…ふふ」
若干日差しが紙を反射して眩しくはあったのだが、私は思わず、目を落としている雑誌のページの単語に対して一人笑みを浮かべた。
今日は五月の第一週…つまりは世間的に言われているゴールデンウィークの半ばだ。午後一時五分前といったあたりだ。
私は今こうして地元の駅前にある、地元民としては待ち合わせ場所として良く知られて使われている、例の時計が先頭に乗っかっているポールの下で待ちぼうけていた。
もちろん私服でだ。肩には普段使いのトートバッグを提げている。
なぜトートなのかはすぐに分かる事だ。
まぁ…こんな勿体ぶる必要は無いのだが。
さて、私が待ちぼうけていたその相手は、言うまでもなく裕美だ。
今日は、今度修学旅行で一緒の班になった麻里を含む、私を入れた六人で集まって、旅行前に乗り越えなければならない障害である、一学期の中間テスト対策のための勉強会を開こうという話になっているのだ。場所はこれまたいつも通り、例の御苑近くの喫茶店だ。
このゴールデンウィーク、半ばと言ったが、もう何度かすでに皆んなと何度か遊んではいた。
私が言うためか、なんだかヘンテコな表現になってしまうのだが、中々に女子校生らしい連休を過ごしていたと思う。
そんな中、当然と言うかなんと言うか、裕美だけ、その数回の遊びの中では一番出席率が低かった。
まぁ当然だろう。まぁこの場を借りて裕美の参加する大会日くらいは簡単に触れておこう。
前回は、軽く今までも話にちょろっと出しただけではあったが触れたように、中学に上がってからの大会は、今日の様なゴールデンウィーク内で催されることが多かったのだが、今回はそれには参加せず、本人曰く少し背伸びしたというのだが、その中身について詳しく言うのは今は避けるとして、裕美が参加しようとしている大会は来たる今年の七月末、つまりは夏休みにあると言うのだ。
とまぁ、現時点ではこの辺りで終えておくとして、まだまだ私個人の素人考えではまだ先だというのに熱がこもり過ぎじゃないかと思うのだが、その裕美の熱心ぶりを目の前で見せつけられると、そんな冷や水を掛けたくなるような感情はすぐに消え失せて、心から真摯に裕美にエールを送るのだった。
ということで、裕美はクラブから直接来るというので、私たち二人の普段の待ち合わせ場所であるマンション下ではなく、今こうして時計の下で待ち合わせているのだった。
なんせ、私と裕美の家の位置と、水泳クラブの位置が駅前のこのロータリーを挟んで真反対に位置していたので、裕美がこの場所を指定してきたのは英断だったと言えるだろう…裕美個人の手間暇として。
…ふふ。まぁそういうわけで、もう少し家にいても良かったのだが、なんだかジッとしていられなくなってしまい、試験勉強の道具を入れたトートバッグの中に、今手にしている雑誌を加え入れて来たということだった。
…さて、まだ裕美が来ないようなので、この暇を使ってそろそろこの雑誌のネタをバラすとしよう。
…って、もう何度かこの流れはあった気がするが、まぁそんなデジャヴ感は無視して話すとしよう。
んー…コホン、って、これこそここまで引き延ばす意味がなかっただろう。なんせ私が進んで読むような雑誌は、この世で片手で数えられる程に限られているからだ。
例えば…そう、京子が寄稿している、毎月発売される日欧で展開されている、クラシック界では有名な雑誌だ。
これもいまだにというか、京子の記事を読みたいが為に買って読んでいる。師匠も私と同じだ。
…って、また毎度のごとく話が逸れた。その雑誌もあるのだが、あともう一つ代表的な物、それは…そう、義一が編集長をしている雑誌オーソドックスそれだった。
しかもこれは、こないだ義一から絵里がいる前で貰った最新号だ。
せっかくだからすぐにでも読もうと思ってはいたのだが、しかし…あの後、義一からそれ以外に十冊以上の大量の本をまた借りてしまい、それを読んでいるうちに熱中してしまい、結局せっかく貰ったのに今の今まで読んでいなかったのだった。
こないだも一気に義一から本を借りたのだったが、ここ最近は一度の量が今までよりも何冊分か増えていた。
というのも、何度も触れているように、義一はここ最近…というか、今年に入ってから目に見えて忙しくしていた。
…まぁ、本人の話をそのまま語れば、最初の本を書き出したのが去年の下旬辺りかららしいから、厳密には去年からなのだろうけれど…。
で、前回には話には触れずとも雑談で絵里と共に会話した中で、義一の最近の動態への話になった。
まぁ尤も、私、それに絵里も義一の行動の中身について以前から聞いてはいたのだが、それでも改めて聞くには、今義一が矢面に立って反対している、今度の自由貿易協定について、その事についての講演の依頼があるようなのだ。
頼んでくる業種はそれこそ様々らしいが、その中でも取り分けて世間的に騒がれているというせいもあるのか、一番目に見えて打撃を分かりやすく受けそうな農業団体からが圧倒的に多いようで、その団体は必然的に地方にある為に、義一は日夜日本全国…というと大袈裟だと本人は笑っていたが、話を聞く限りでは、北は北海道、南は九州まで足を運んで講演してきてるらしい。
また例の、オーソドックスグループである政治家の安田が発起人の政策グループで開かれた勉強会で、義一が講演しているのを関係者がこぞって見ていたらしく、あのせいで益々依頼が飛び込んでくるようになった…というのは、これまた義一本人の弁だ。
因みに、私から触れはしなかったが、義一以降に出演した武史、それに島谷も、あの講演をキッカケとして、同じ様に全国を回っているらしい。まぁ、武史は一人京都の大学で准教授という役職があるせいか、他の二人と比べると楽している…と言うのも義一の言葉だ。
とまぁ、そんな話を前回の宝箱で聞いたのだが、その度に、絵里が呆れ顔を晒す中、私一人はクスッと思わず微笑んでしまうのだった。
というのも…ふふ、今年に入ってから、義一が忙しくしているなぁ…っとふと思う度に、あの、私が小学生の頃の夕暮れ、慣れ親しんだ土手の斜面に二人して腰を落として会話した情景を思い浮かべてしまうせいだ。
そう、私が質問したからとはいえ、いきなり小五の女の子に、アリストテレスを持ち出して、暇が如何に大事かを熱弁したあの日の事だ。
その会話の内容のせいだろう、なんというか…ふふ、ついつい忙しそうにしている義一に対して同情の念を覚えると同時に、どこか意地悪な考えも浮かんでしまい、だからこうして一人知れず笑みを零してしまうのだった。
…っと、またもや話が逸れた。いかんいかん。
コホン、とまぁそんなこんなで今手元に例の雑誌を眺めて、ある意味一番関心事である例の部分を見つけたのだが…ふふ、これまた思わず一人外だというのにクスッと笑ってしまった。
今年に入ってから数寄屋に行ってのあの対談、私もその場にいたのだが、黙っていようと一応決心していたのだが、すぐに崩れて口を挟み議論に加わったあの件だ。
私が言うのは馬鹿馬鹿しいにも程があるが、義一含む神谷さんなどから面白かったと太鼓判…いや、分かりやすく言えば上手く乗せられて、そのまま雑誌に載せる許可をしたのだが、その中で名前を伏せるというので、どう伏せるのかずっと気になっていたのだ。
で、今こうして見てみると、私の吐いた言葉のカギカッコの上には…ただ一言、『少女A』とだけ出ていた。
これを見た瞬間、
…まるで、夕方のニュースとかで出るような、どこかの非行少女に付けられる名称みたいね。
という感想を覚えたと同時に、繰り返しになるが、今言ったような自分の感想を含めて”色々な”感情が胸に去来して微笑んでしまうのだった。
ついでだがこれより先の話なのだが言うと、今日の後別の日に絵里のマンションに遊びに行った時に、この件について話すと、絵里も私と同じような感想、そして、私とそれほど違わない理由で思わず笑ってしまったという事を話してくれるのだった。
ふふ…っと、ご都合主義的だが、ここにきてようやく、私たちの家とは反対方向から裕美が近づいて来るのが見えたので、この話はこの辺りで終えるとしよう。
「琴音ー!」
と明るい声が聞こえたので、さっきチラッと目線だけ上げた時に、その姿が見えていたのだが、まるで初めて今気づいた風にゆっくりと顔を上げてその方角を見た。
そこには、背後からの陽光を受けたために余計に際立って見えるツンツン頭を、走ってるがために上下に揺らしながら、外行き…って、今だに服装などに疎い私からすると言いようのない、相変わらず可愛い私服姿の裕美が駆け寄ってくる姿があった。肩には、私のと同じサイズのリュックを提げていた。
姿が見えたと同時に私は雑誌をしまった。
…ふふ。何度も言って本人達には悪いかもだが、作りがちゃっちいお陰で、それほど嵩張らずに済んでいた。
「ごめーん、待った?」
と、どの辺から走ってきたのか知らないが、これほどの体育会系であるにも関わらず息を弾ませていた。
「え?」
と私は、すぐ真上の方のを見ても良かったのだが、今日も例の如く、左手首に手巻き式の腕時計をしていたので、それに目を落とした。
時計は一時一五分を指し示していた。
…ふふ、裕美が来るまでという中で長々と話していた訳だったが、どうやら思ってた以上に時間が経っていたらしい。
待ち合わせ時間が一時ちょうどだったので、確かに、こう言うのはどうかと思うが、何気に時間にしっかりしている裕美からすると、片手で数える程しかない待ち合わせの遅れを言ってるというのに、すぐに気づいた。
「んー…」
と私はどう返そうか少し悩んだが、結局はいつも通りの軽口で返すことにした。
「そりゃあもう…待った、待った、待ちくたびれたわよぉ」
と私がやれやれといった調子で言うのを聞くと、裕美も説明なくとも瞬時に理解して、「もーう…」と呆れ笑いを浮かべつつ、しかし目だけはジト目気味に返してきた。
「こういう時は、嘘でも『今来たとこ』っていう場面でしょー?」
「…ふふ、何よそれ」
と、私もすぐに同じような笑みで返すと、クスッと一度笑ってから「あはは、でも本当に少し遅れてゴメンね?」と続けて言ったので、「ふふ、構わないわよ」と私からも笑顔で返すのだった。
軽い雰囲気の中でも、簡単に流さないで締めるところは締める変に真面目な一面なんかは、数多くあるうちの裕美の美点だと思う。
…まぁ、認めたくないけれど、こんな所もヒロと似ているのだった。
それからはどちらからともなく、何も言わずとも自然と駅の中へと揃って入っていった。
…さて、以前にもチラッと触れたように、地元の駅から御苑までの道のりは、乗り換えが一度だけとはいえ約四、五十分程の時間がかかるので、まぁ…私自身は当然当事者なのだが、着くまでの間、私と裕美がお喋りに花を咲かせている間に、一つ大きな疑問が出ているであろうから、それを解消しようと思う。
そう…それは簡単な事だ。何故今、たまたまだが二人分空いていた席に並んで座ったのだが、私の隣にいる裕美の格好が外行きなのか?
もっと言えば、なんで水泳の練習帰りだというのに、私服で普段使いの持ち物なのかという事だ。
まぁ…これは本当に単純な話だ。裕美が言うには、今日は厳密には練習ではなく、ただ単純にミーティングだったとの事だった。
ミーティング…。この単語を聞いたのはこれが初めてではなく、もう何度も裕美の口から聞いているのだが、聞くたんびに、あの、例の…というか、土手で聡に再会した時の事を思い出すのだった。
勿論、あの時だって別に初めてでは無かったのだが、突然ミーティングが入ったというので、手持ち無沙汰になり、何気無く土手に行ってみようと思い立ち、実際に行ってみたら、思いがけずに聡と約五年ぶりに再会し、そしてそれをきっかけに、あの数寄屋という普通なら中々関わることが無さそうな、特殊な空間へと足を踏み入れる事になったのだから、それはもう、私からしたら思い入れも一入なのは仕方ない事だった。
さて、そういう訳なので、別に今日の裕美は、別にクラブで泳いできた訳でも何かトレーニングをしてきた訳でもないので、本当にいつも通りの、私の目からしたら可愛くお洒落な私服姿でいるのだった。
ただまぁ、そうはいってもこの後で勉強会をするというので、それなりの荷物量にはなっていた。
「…っと」
と不意に向かいに座っていた裕美が顔を上げたので、私を含む皆が手を休めて見ると、裕美は大きく伸びをしながら笑顔で言った。
「まぁとりあえず、この辺で休憩にしない?」
「さんせーい」
と途端に藤花が明るい声を上げたので、それにつられるように他のみんなで合意した。
チラッと腕時計を見ると、夕方の四時になっていた。
御苑近くの喫茶店。五月の頭だというせいか、まだまだ日差しは高く、窓がとても大きいのにも関わらず、いい具合に店内までは光が入り込んでこなかった。
私の左隣に座る律の向こうに御苑の木々がチラホラと見えていて、陽光を跳ね返す新緑の色がとても綺麗だった。
私と裕美が着いた頃には、既に私達以外の四人が全員着席してお喋りをしていた。私達二人がいつも最後なのは毎度恒例となっていた。
まぁ言い訳をさせてもらえれば、この中で一番遠くから来てるのが私達なので、それを皆が分かっているのもあってか、取り立てて文句なり何か言われることは無かった。
…まぁ、それでもまぁ毎度毎度の如く、結局は紫や藤花から冗談交じりに色々言われはするけれど。
それからは、私たちの中では恒例の、”誰が注文をしに行くかジャンケン”をして、負けた裕美と麻里がシフトが変わる直前の学園OBである里美のいる一階に降りて行った。
し終えた二人が席に座りしばらくすると、おぼんを持った里美が笑顔でこっちまで来た。私服に着替えていた。どうやらもう上がった後のようだ。
もう上がった後だというのに、お店用のおぼんを使って持ってきてくれた事に私たちがお礼を言う中、各々の注文の品をそれぞれの前に置いて行く流れで、裕美が隣に座る麻里のことを紹介した。この時になって初めて漸く顔を見合わせる事となった。
麻里が挨拶をすると、里美は「よろしくね」と無邪気な笑顔で返していた。
それからは、少しばかり世間話をしたが、この後で用事があると言うので、「別に私は構わないけれど、あまり長居はしないようにねー?」と悪戯っぽい笑顔で言い残してお店を後にするのだった。
「じゃあ取ってくるねー」
と、さっき注文をしに行ってくれた裕美と麻里が、何も誰も言わずとも席を立って行ってしまった。セルフサービスのお冷のお代わりを取ってくるためだ。
残ったみんなでその後ろ姿に声をかける中、ふと私は、その視線の途中にいる、店内側に座る紫の横顔をチラッと眺めていた。
側から見ると、なんの変哲も無い事だと思うだろうが、私がこうしたのには理由があった。
というのも、なんだか今日の紫の雰囲気が違って見えたからだ。具体的に…でもないが言うと、普段よりも何段階もテンションが低めに見えるのだ。
先ほど、私と裕美が遅れると毎回ヤンヤヤンヤとからかわれる様な話をしたと思うが、今日に限っては、藤花、そして麻里に真っ先に言われた後、数瞬遅れて紫が混じってきたのだ。これは珍しい反応速度だった。
自他共におそらく共通認識であろう、このグループ内でのまとめ役にしてツッコミ役であるはずの紫が、後に続いていくような事は滅多に無い事だったのだ。
他のみんなはどうかは知らないが、この喫茶店に来た瞬間、まずその違和感に気を取られてしまった。
”何でちゃん”の私としてはすぐにでも理由を聞いてみたかったのだが、如何せん、それをどう言葉にして聞けばいいのかすぐには見当がつかなかったので、話の流れも、皆がお互いに会わない間、ゴールデンウィークをどう過ごしたか、その話に終始したので、それは置いておく事にしたのだった。
今だって、いつもなら店内側に座っている紫が率先してお代わりを取ってきてくれるというのに、特に自分から声を発せず、それを知ってかしらずか汲み取ったのか、また裕美と麻里が行ったという次第だった。
まぁそんな訳なのだが、あぁ言ったばかりだというのに、それでもやはり持ったが病というのか、こんな事を当時も思い返したせいなのか、我慢できずに結局紫に声をかけるのだった。
「…ねぇ、紫?」
「んー?」
と、まだ裕美たちが階下に行く階段の方を眺めていた紫の後頭部付近に声をかけると、紫はゆっくりと顔をこちらに向けた。声のトーンから表情から、今この瞬間は普段通りに見えた。
「なに?」
「あ、いやぁ…」
普段通りの、ハキハキとした声の調子などなどから、一瞬、別に聞かなくてもいいかって気にもなったが、それでも乗りかけた船だというので、そのまま言葉を続けた。
「なんか…さ?」
「うん?」
「んー…いやぁ、紫、あなた、そのー…今日は元気が無いなって…思って…」
と我ながら不思議だが、変に途中から辿々しくなりつつ言った。
それを聞いた瞬間、「へ?」と紫はツリ目気味の目を大きく見開いて、何というか…まぁ一言で言えば驚いているように私には見えた。
「何のこと?」
と紫が苦笑まじりに私に返したその時、
「あ、やっぱりー?」
と、ここまで静かだった藤花が声を上げた。
見ると、藤花も若干目を見開き目で紫と私を交互に見ていた。
まぁ藤花が目を大きくしていたのは、驚きではなく、ただ単純に好奇心からだろう。
「私もそう思ってたー」
「ち、ちょ、ちょっとー…」
とここで紫が途端に思いっきり苦笑いを浮かべて何かを言いかけたが、
「…うん」
と、それを遮るように今度は右隣からボソッと低めの声が聞こえた。
顔を向けると律だった。律も普段は半目というか、私見で言うと色っぽく横に細く切れてるような目元をしていたが、今この時ばかりは少しだけ縦に開けるようにしていた。
「あ、そうなんだ」
と私は賛同者を得られた安堵を覚えつつ二人を眺めてから、右隣の紫に顔を戻した。
紫は相変わらず苦笑を浮かべている。
それでも私は、少し…いや、それなりに心配ではあったから、真剣味を入れつつ声をかけた。
「…で、何か…あった?」
「…」
と紫はすぐには答えず、私、そして私の背後の方に視線を流した。
私は視線を変えなかったから分からなかったが、恐らく藤花と律も、多かれ少なかれ私と同じような表情と様子を見せていた事だろう。
ほんの数秒ほどだろうが、体感的にはそれ以上に感じる程の時が過ぎようとしたその時、「…あは」と紫が笑みを零した。
「もーう、どうしたの急に?」
と紫は今度は明るい笑顔を”作りつつ”言った。
「別に何でも無いよー?ってか…」
とここで紫は薄めを使うと、私の背後に目を向けつつ続けた。
「普段を知ってるからさぁ、琴音、あなたのそのど直球な反応は慣れっこだけど…ふ、藤花と律までそんなリアクションするなんて」
「だってぇ」
「うん」
「もーう」
と、そう返す二人に対して紫は呆れて見せていたが、すぐに「あはは」とまた明るく笑い飛ばして言った。
「二人とも、この姫様に毒されてきてるんじゃないのー?」
「えぇー」と藤花がさも嫌さげな様子で私の方をチラ見しつつ言うと「ふふ」と律は律で、視線は藤花と同じにしつつも小さく微笑むのだった。
「なによー」とむくれる他になかった私だったが、そんな様子の私を見て三人はまた笑みをこぼす中、その流れで紫が、若干の真剣味を声に交えつつボソッと言った。
「…うん、本当に、そのー…何でもないから。だから、麻里と裕美が戻ってきてもこの話は蒸し返さないでよー?」
「え、えぇ」
と、最後は冗談めかして言っていたが、その裏に『この事についてこれ以上聞かないで』と意味を含ませているように認めた私は、そこからやはり何かあった気配を感じ取りつつも、しかしここは素直に紫の言うとおりに従うことにするのだった。
「お待たせー」と裕美たちが戻ってきたので、人数分のお冷やが回ったところで、また一度乾杯をした。
「そういえばさぁ」
とまず紫が普段通りの様子で口を開いた。
「例の論文だか何だかってやつ、みんな何にするか決めた?」
そうなのだ。…というか、他の学校は知らないが、私たちの学園は中高一貫の私立なのだが、中学三年に上がると、固く言えば卒業論文なるものが課題として出るのが恒例となっていた。
まぁ大学などであるような程のガチなものではないのだが、恐らくそれを見通してもいるのだろう、今のうちに慣らしておく意図もあっての課題らしい。この論文の執筆作業を一年掛けてやるというものだった。
ゴールデンウィークに入る直前のLHR(ロングホームルーム)で安野先生から休みが開けるまでに、取り組みたい課題を自ら見つけておくようにとのお達しだった。
その課題によって、学園の先生たちがそれぞれの生徒に担当としてつく習わしのようだった。厳密には違うが如何にもな感じだ。
「んーん」
とまず藤花が首を振りつつ答えると、私含めた他のみんなも同様のリアクションを取った。
それについてはこれ以降特に盛り上がらず、喫緊の課題である中間テストについて話は渡った。
そんな中、ふとテーブルに各々が教科書なり何なりを広げたままだったのだが、それに目を落としつつ裕美がボソッと言った。
「しっかしなぁー」
「どうしたの?」
と真向かいの裕美に向かって私が声をかけると、裕美は苦笑いで返した。
「え?あ、いやぁ、んー…あ、いや、ほら、何で私…中々数学の点数が上がらないのかなぁって思ってね」
「うん…」
と裕美の言葉の直後、私の左隣に座っている律も、裕美よりもまた一段と小さな声で相槌を打った。
「確かに。私も」
「あー…」
とここで藤花が、何とも言いづらそうにはしていたが、それでも明るく振舞いつつ言った。
「確かに、律も裕美も、”理系”の点数は振るわないもんねぇ」
…意外とというか、普段の天真爛漫的なキャラが手伝ってるおかげか、藤花が歯に衣着せぬ言い方しても、極稀ということもあって嫌味な印象を相手に与えはしないのだった。
藤花の役得だ。
「うん」
「まぁねぇ。はぁー…」
律が頷いた直後、裕美は大きく両腕を天井めがけて伸びをしつつ溜息を漏らすので、私も裕美との仲というのもあって、変に気を使う方のは悪いと、藤花のように苦笑まじりに言った。
「まぁ裕美は医学部目指しているからねぇ…国公立じゃなくて私立だとしても、”理数系”科目は外せないものね」
…因みにというか、裕美が将来の夢として医者を目指しているというのは、この時点で麻里を含めて皆知っていた。
私が知ってる範囲でという意味で、麻里を除く他の三人に関して言えば、二年になっての例のクリスマス会、そう、師匠と一緒に教会に行って、その後で師匠の御用達の小さな洋食屋さんにみんなで行ったあの日の事だった。
その後師匠と別れて紫の家に皆で泊まっての中で、恐らく私のコンクール挑戦に関しての会話の流れだろう、それぞれの夢…というと、私以外の三人は例によって私の理解出来ない理由で恥ずかしがって照れて見せていたが、将来の夢という、今だに何でか私は分からないのだが、他のみんなからしたら”恥ずい”話題になったのだった。寝支度を済ませて寝っ転がりながらだ。
一年の時には皆が不思議と疲れていたせいか、寝っ転がるとすぐに寝落ちしてしまったわけだが、この時は不思議と皆目が冴えていたらしく、理由の分からない妙なハイテンションが場を占めていたせいもあってか、こんな話に及んだのだった。
この場には当然の事ながら麻里はいなかった。
誰からこんな話を振ったのか…覚えてはいないが、何となくこんな事を言うと、皆が一斉に『琴音、あなたからだよ』と言ってきそうな光景がすぐに目に浮かぶ。
と、一応みんなが同意したとは言っても、中々誰も口火を切ろうとしないで少しばかり時間が過ぎたその時、モジモジしつつも一度大きく息を吐いてから言話したのが裕美だった。
その裕美の話を茶化さずに揃って聞いていたのだが、んー…まぁ、こんな事を言うと少し悪いかも知れないが、以前から知っていた私はともかく、聞き終えた他の三人も内容に対してそれ程には驚いてはいなかった。
「へぇ、そうなんだー」っていった調子だ。
まぁそれもそうかも知れない。何故なら、これも以前に裕美が教えてくれた事だが、今私たちが通っている学園というのは、いわゆるお嬢様校として有名なだけではなく、都内にある女子校の中では一番医学部進学人数が多かったからだ。
実際に、私は直接は当然聞いてはいないが、裕美の夢を聞いた後の雑談の中で、この学園の生徒の中でもやはりというか、医学部志望がとても多いとの事だ。
とまぁ、裕美としては軽く話が流れたお陰で、それ程には”恥ずい”思いをしないで済んだわけだった。
さて、次の番として紫、律と回ったのだが、もしかしたらただの照れで、本当は夢があるのに堂々と言えなかっただけかも知れないが、先ほどまで裕美をからかう空気を醸し出していたにも関わらず、いざ自分たちの番となると、照れ笑いしつつも「無い」の一点張りだった。
まぁでも、少なくとも紫に関して言えば、真正面から話す事はなくても、その会話の端々から、自分の両親、特に父親の仕事ぶりに対して誇りを持っている事が見え隠れしていたので、何となくだが”そうなのだろう”という気は、恐らく私だけではなく他のみんなも思っていた事だろう。
そんな中、藤花だけが、初めは少し渋って見せていたが、私の事をチラッと見ていたかと思うと、今までに見たことのない程のハニカミ笑いを見せつつ、自分の歌の実質的な師匠の話を簡単に簡潔にしてくれて、その流れで、『その人の様になれたらいいなぁ』『同じ道に進めたら嬉しい』の様な話をしてくれたのだった。
この話も私からしたら、同じ芸事の話だったというのもあって、とても興味深い話だったのだが、以前の時にも触れなかった事からもお分かりだと思うが、面白くてもとても長い話にはなってしまうので端折ってしまった経緯もあり、ここでもこの辺で済ませておくとしよう。
この話も、もしかしたら何処かで深く話せることもあるだろうが、取り敢えず置いておこう。
そんな照れくさいにも関わらず話してくれた藤花に、私は自分でも分かるほどに真剣な面持ちで聞いていたのだが、ふと周りを見ると、律はまぁ言うまでも無いが、こんな時に『恥ずい』と苦笑まじりに突っ込んできそうな裕美や紫までもが、初めのうちはまぁそんな表情ではいたのだが、それでも途中から静かな面持ちで、時折頷きつつ聞いていたのだった。
藤花が話し終えた後、和やかな空気が場を支配していたのだが、恐らく裕美や紫の差し金だろう、順番的に一番最後となった私の出番となった。
「何で私が最後なの…」とこの時点でそう仕向けられた罠に気付いていた私はまず不平を漏らしつつ、改めて考えてみた。
しかし今だにというか、誰かさんのせいでただでさえ理屈っぽかったのに拍車が日に日に倍増していた訳だが、そのくせ自分自身の事となるとまるで分析分解が出来ていなかった。
だいぶ前になるのでお忘れかも知れないが、初めて小学生時代に裕美に問われて以降、改めて自分の将来について考えてみた事が無かった。
自分の事なのに他人事の様に分析してみるが、色々理由は考えられるが、まぁ単純にすぐに思い浮かべられるところから言うと、将来どうこう考える以前に、まず自分が何に興味があって、何が出来て、何に身を投じたいのかがまだはっきりとしていない以上、ありとあらゆる知識や何やらに手を伸ばし、手を出すのに夢中だったというのがあり、漠然とした将来の夢というものに対して考えを及ばす暇が無かったというのが大きい様に思える。
こんな私の態度について、世間的な社会の尺度から見れば反論が色々と来そうではあるが、それにはさして興味がない。本人がどこまで、どういうつもりかは今だに計れはしないのだが、それでも漠然とこの歳にして生意気だが、自分のこの態度は正しいことの事のように思っている。
何故なら、一番側にいて、…本人には流石の私も恥ずくて言えないが、一番尊敬している師友である義一が、会話から汲み取るを見るに、今の私のように思春期を過ごしていたのが分かるからだった。
それと同じ轍を踏んでいるのなら、周囲から仮に批判されたとしても、義一を始めとするオーソドックスの面々など、彼らと同じだと思えたその時、私は自然と勇気のようなものがフツフツと湧いてきて、それが自信にも繋がるのだった。
…って、またあまり関係ない話をしてしまった。
とまぁそんなわけで、すぐには答えられなく、終いには律たちのような答えでお茶を濁そうと思ったのだが、”何故か”紫たちは見逃してくれなかった。
律は何も言わずに微笑んできていたが、紫はニヤケ面で食い下がってきたので、ここで私は、さっきから話に出している、そう、厳密には塾に向かう電車の中が最初だから違うのだが、感覚として裕美が初めて私に自分の夢を話してくれたあの土手の風景、そして会話を思い返していたのだった。
そして、結局その時に裕美に話したのと同じだというのに行き着いた私は、チラッと裕美に視線を送りつつ、ほぼほぼそっくりそのまま話した。
話している間、ふとまた裕美を見ると、途中からハッとした表情を一人浮かべると、次の瞬間には、微笑んでいるような、もしくは苦笑いのような、その二つを織り交ぜた様な複雑な笑みを浮かべて見せるので、私も思わず「ふふ」と微笑んでしまうのだった。
それを聞き終えた他の三人は、やはりというか想像通り、小学五年生の時の裕美と同じ様なリアクションを取ってきたので、また私と裕美は顔を見合わせると、今度は心から二人で微笑み合うのだった。
…って、またもやいつもの様に、少しだけ触れるはずが長々と話してしまった。慌ててここで話を戻すこととしよう。
まず紫と麻里を見て、それから私と藤花を眺めて言った。
「まぁ紫と麻里は言うまでもないけれど、琴音と藤花は見るからに文系的に見えるのに、何でか”理系”科目が凄くできて、逆に文系がそこそこなんだもんねぇ…」
「何よそれぇ」
と藤花が笑顔で言った直後、すっかり側からみると普段通りの紫が肘をつきつつ、私と藤花を眺めてニヤケ顔で言った。
「まぁねー。確かに琴音と藤花は打ち込んでいる事からしても明らかに文系っぽいんだけれど、でも何故か理系が強いもんねぇ」
「あはは、確かに」
と相槌を入れるのは麻里だ。
「琴音ちゃんと藤花は理系科目で言えば、毎回私と紫よりも少し点数が上だもんね」
ここで敢えて触れれば、麻里は結局打ち解けてからも、私、それに律に対しては”ちゃん付け”で固定したのだった。
私に対しては『琴音ちゃん』、律に対しては『りっちゃん』だ。
これに関しては私は別に不平不満は無い。まぁ…私の事を『姫』呼ばわりする連中と比べたら、何だか朋子をはじめとする小学校時代を思い出す様で、それをこの学園内で知り合った友達から言われるのは恥ずかしかったのだが、まぁ遥かにマシなのは事実だった。
律も、この呼び名は、以前師匠とクリスマスを過ごした時にも触れた様に、私の知る限り律の事をこの呼び名で言う人は見なかったのだが、その時にも言った様に、律自身としてはこの呼び名自体は気に入っていたらしく、呼ばれるたびに表情が少なめながらも満足げな笑みを小さく浮かべているのだった。
因みに、またもや横道に逸れるようだが、あまり話に触れようが無かったので、ここで敢えて軽く話してみようと思う。
藤花と律は学園という大きな中の小学校の部からエスカレーターで上がってきた組なのだが、勿論この二人だけではなく、少なくとも生徒の半分くらいは藤花たちと同じだった。
なので、中学一年時からエスカレーター組とも律…いや、口下手な律ではなく、やはりというか藤花伝いによく紹介されたりしていたのだった。
そんな中、前にも言ったように、律はその小学校時代の同級生達からは『りっちゃん』とは呼ばれなくなっていた。
彼らは藤花を呼ぶ時には『藤花』もしくは『トーカ』と言った呼び方だったが、律に関しては『律さん』呼びになっていた。
これを初めて聞いた時、さん付けなのが何となく律の雰囲気にマッチしているように見えて『良いなぁ』と思ったものだったが、律自身としては少し不本意のようだった。
まぁ以前に藤花が説明してくれたが、あの通りの理由だったのだろう。
というわけで、麻里も初めは律だけではなく私に対しても”さん付け”だったが、それほど時間的には経っていないにも関わらず、この呼び名の変化からも、少なくとも麻里の方で心を許してくれてるのが分かるだろう。
普通に聞いたら嫌味に聞こえかねない紫と麻里の物言いだったが、まぁ私は言うまでもないと思うが、裕美を含む他の三人もこれといって何も嫌な気を持たなかったようだ。
まぁ、私が分かる範囲という意味で紫に限って言えば、いつも通りだったのもある。おそらく中学二年時、裕美と藤花は紫と麻里と仲良くつるんでいた訳で、そこからも彼らにとっても”いつものやつ”だったのだろう。
良くも悪くも、成績如何で嫉妬がどうのと生じる気配は一切無かった。まぁ、進学校の学生としては少しは起きた方が良いのかもしれないけれど。
「あー、言ったなぁ」
「嫌味ったらしい」
「あはは」
と和やかな雰囲気の中、一緒になって笑っていたのだが、ふとある一つの事を思い出し、そして今更言うまでもないが、思いついた考えなどが沸き起こったら口にしないではいられない性分故に、こんな良い空気にも関わらず思わず口を挟んでしまった。
「あはは。…んー、まぁ、でもさぁ」
と私は一度アイスコーヒーで口を濡らしてから先を続けて言った。
「アレよ?別に私や藤花みたいなタイプが、”理数系”に強くたって、珍しくも何も無いのよ?」
「え?」
と途端に相槌を打ったのは裕美だ。顔には笑みが浮かんで…はいるのだが、どこか呆れてる…ように見えるのは、どこか裕美自身がそう私のことを想っているんじゃないかと私が考えてるせいだろうか…。
私の事だからいつだかに聞いたことがあるのだが、その時は心からの呆れ笑いを浮かべつつ否定してくれたけれど。
まぁそれはともかく、自分で言うのも何だが毎度の事なので、一番瞬発力早く対応してきた。
「どういう意味?」
と裕美が続けて聞くと、他の四人も一斉に私に視線を向けてきた。
やはり…というか、皆それぞれ各様の笑みを浮かべてはいたが、その顔には共通して『またか、この子は…」という声が聞こえてきそうな表情に見えた…というのは、被害妄想が行き過ぎているだろうか…。
しかしまぁ、この感覚もこれまでもずっとあったことなので、ここでやめられる程私もデキていないのもあり、「うん」と一度裕美に相槌を返してから話を続けた。
因みに、自覚している中でと保険を置いときつつ言うと、この時が恐らく私のこんな様子を見たのが初めてだったのだろう、麻里だけキョトン顔を晒していたが、徐々に何だか興味津々げな顔つきに変化させていっていた。
この時に思ったのは、『コンクール関係で公衆の面前で晒されたあとに取材に来た、新聞部の子と同じ表情だわ』といったものだった。
「んーっとね、これは私の師匠から聞い”たり”した話なんだけれどね、今テレビ…は私は見ないからアレだけれど、電車内の広告とかでさ、たまに見ない?『リベラルアーツ』がどうのって」
「あはは」
「出た出た」
「…うん」
藤花、裕美、律の順に、このような呆れ調のリアクションをしてきた。
まぁ流石の私も、この反応自体がいつも通りだったので軽くスルーしたのだが、ただ一人、裕美的なリアクションを真っ先にしてくるはずの紫だけが不思議と静かな表情を浮かべているのだった。
それを横目で気付いていたが、さっき念というほどでは無いにしても押されてはいたので、少し引っかかりつつも置いとくことにした。
と、もう一人、そう、麻里一人が相変わらずキョトン顔で「え?」と声を漏らしていたが、そのまま続けて私に返してきた。
「あ、あぁー…うん、確かになんか見た事あるかも。アレ…なんていうの?大学紹介的な広告の中で、今琴音ちゃんが言ったみたいな学部があるとか、新たに出来るとか」
と、視線を斜め上に向けて如何にも思い出してる風を見せつつ言うのを見て、私は自然な笑みを零しつつ応えた。
「そうそう、それと同じだよ。で、えぇっと…別に詳しく何かを言いたい訳では無かったんだけれど…」
とここにきて、今更になって視線が私に集まっているのが気になりだし、急に自分でも過剰に思えるほどに辿々しくなってしまった。
さっきから言ってるように、既にこの様な私の様子を何度も幾度となく見てきている皆んなの前だから、本来は流石に慣れていたはずだが、今日は中三になって初めて知り合った麻里がいる手前、急に我に返った感があったのだった。
と、なかなか先を話そうとしない私に対してヤキモキしたのか、ふと向かいの裕美が肘をつくとニヤニヤしながら顔を麻里に向けて、視線をたまにこちらに流してきつつ言った。
「…ぷ、あははは。琴音ー、今更何を変に気を使いだしているの?アンタが凄い変わり者だなんて事は、少なくともこの場にいる皆んなは重々知ってるんだよ?」
「あはは」
と藤花が無邪気に笑うと、「ふふ」と律も小さくだが笑みを零した。
「そうそう」と、気づくと紫もため息交じり風だったが、呆れ笑いを浮かべつつ、まぁでもよく見せる類の笑みを見せていた。
そんな紫の様子を見て、心なしかホッとした様な心持ちになったのだが、そんな最中に裕美は麻里に話しかけていた。
「さぁ麻里、これからお姫さまがとても面白い珍説を披露してくれるから、楽しみに待ってて」
「…いつ誰が珍説を披露したのよ?」
と私がジト目で裕美に言うと
「いつもでしょ?」
「知らないよ。あんたがいつも自分から勝手に話すんじゃない」
と、先程来の麻里のとはまた別の種類のキョトン顔を皆して晒して悪びれる事もなく返してきた。
と、次の瞬間、これまた恒例だが皆が一斉に笑みを交わし合いつつワイワイとしだしたので、初めのうちはムスッとむくれて見せていたが、これも毎度の流れ通りに、結局は私も一緒になって混じっていた。
そんな中でも、チラッと隣を見てみていたのだが、紫も一緒になって笑っているのをみて、一層ホッとしていたのだった。
この流れにもひと段落がついた頃、私はまた話を続けた。
「あー…あ、でね、まぁ…こんなに引っ張るほどの話でも無いんだけれど、さっき言ったリベラルアーツというのはね、別名自由七科とも言われていて、古代ギリシャ・ローマ時代からある考え方で、人が持つ必要がある技芸や知識、知恵の基本とされた、その名の通り七つの科目のことを言うの」
「へぇ」
「それで?」
「うん。で、その七つというのはね、まず文法学、修辞学、論理学という、皆が言うところの文系科目が三つあるの。文法はいいとして、修辞学は分かりやすく言うと、まぁ簡単に言ってしまえば人前で如何に弁論をするか、その技術的な学問だね。で、論理学はというと、まぁ論理ってだけ聞くと色んな考え方があるけれど、ここでいう論理っていうのは、思考の形式、法則、つまり物事事象を考えていく上で、何と何がどう繋がっているのか、どう繋げて考えられるのか、どう繋げて考えれば正しく論理が組み立つのか、まぁそれの技術を学ぶという意味なの」
「ふーん」
と他の、麻里を含む皆が簡単な相槌を打ってくれた。
そのどの顔からも、どの程度関心興味を持ててるのか分かり兼ねるものだったが、それでも相槌を打つというその行為だけでも、何かしらの気遣いを毎度の様に感じるのだった。
「でね、もう一つ、いわゆる皆が言う理系で言うとね、算術、幾何学、そして天文学とくるの。この三つは別にそれほどの説明はいらないよね?算術は簡単に言えば計算の技術、幾何は私たちが中学に入ってから本格的に授業科目としてしているし、天文学はそのままだしね」
「へぇ、それが学問の基本とされてきたって言うのね?」
と裕美が普段の調子で合いの手を入れた。
「確かに、今言った科目というのは”ザ・基本”って感じがするわ」
と裕美が言うと、「ウンウン」と藤花に始まり、そこあから波状的に皆が同じ様なリアクションを取った。
と、その時、「あれ?」と声を漏らした者がいた。麻里だった。
麻里はもうすっかりさっきまでのキョトン顔は消え失せて、代わりに、これは私の勝手な受け取りかも知れないが、とても興味にそそられている様な表情を浮かべて、そのまま私に声をかけてきた。
「琴音ちゃん?」
「ん?なに?」
と私が聞き返すと、麻里は手の指を一本ずつ折って見せてから続けて言った。
「…やっぱり。さっき琴音ちゃん、自由七科って言ったよね?」
「えぇ」
「でもさぁ…今言ったのって、どう数えても六つしかなくない?」
「…」
「…あ、本当だ」
とまた藤花がいの一番に声を上げると、これまた同じ様に各々が同じ反応をしてきた。
そんな中、このリアクションが想定内だった私は、一人ニコッと笑って、求めていた返しをしてきた麻里に笑顔を向けつつ答えた。
…ふふ。この様に、妙に勿体ぶって、なかなか手の内を明かさずに、無駄に色々と手の組んだ話し方をしてしまうところも、師友の影響をモロに受けているのが自分でもよく分かる。
「…ふふ、麻里ありがとう、私の求めていた質問をしてくれて」
「へ?あ、いやぁ…」
と、なんでお礼を言われたのか明らかに分かってない風の麻里だったが、その麻里に「ね?変わってるでしょ?」と隣の裕美がボソッとヒソヒソ耳打ちするのが私にも聞こえた。
だが、まぁこれも流石にしつこいが毎度の事だというので、一々突っ込まずにそのまま話を続けた。
「えぇ、そう。確かに、文法学、修辞学、論理学、そして、算術、幾何学、天文学…と、これだけでは六つしか無いよね?…うん、ここでようやくというか、これまで何でこんな小難しい話を私が急にし出したのか、その理由に辿り着くのよ。というのもね、残り一つの科目というのが…」
とここで私は一度溜めると、フッと藤花の方に視線を向けつつ続けて言った。
「…そう、それが音楽なのよ」
「え?…へぇー」
と、今回は先程までの辞令的な相槌ではなく、少しは興味を持ったかの様な反応を皆がしてくれた。
それに気づいた私は、「そうなんだー」と応えてくれる中さきを続けて言った。
「えぇ、そうなの。まぁこの七つの上に哲学があってね、哲学がこの七科目を統治するって古来から考えられてきたの。まぁ…この話も掘り下げていくとキリがないから、この辺にしといて…」
とここで私は一度「こほん」と咳払いをしてから話を続けた。
「まぁ細かい事はともかく、これで私が言いたい事が分かって貰えたと思うけど、要は私や藤花がまぁ何ていうか、皆が言うところでいうと、のめり込んでいる音楽という芸能というのは、昔から色んな専門的な学問なり何なりを勉強する前の基本科目のうちの一つと考えられていてね、これを私的に勝手に考えてまとめると、同じ基本科目に国語科目があるけど同時に数学があるわけで、だったら私達みたいなのが数学が得意科目でもおかしくないって話よ」
…私的にと言ったが、これも例によって義一由来が大半を占めていた訳だが、この考えもキチンと私なりに納得いくものだったので、それを披露したのだった。
私が話し終えると、ほんの数秒だがテーブルに沈黙が流れたが、ここでふとクスッと裕美が笑みを漏らして、そしてその笑顔のまま口を開いた。
「…ふふ、相変わらず前置きが長くて、どこに話が行くのかと思ったけれど、ここに着地するのね?」
「あはは。確かに、いつもの事だけれど、どこに行っちゃうのかと思ったよぉ」
と後に続く藤花。笑顔だ。
「うん」
と短く言い微笑むのは律。まぁこれもいつものってやつだ。
「まぁそんなだけれど、今回も何だか面白い話を聞かせて貰ったわ。…でも結局…」
と最後に悪戯っぽい笑みを裕美が浮かべて言った。
「今の話だと、じゃあ何で文系科目がそこそこな理由が説明出来てないけれど?その七科に入ってるっていうのに」
「あ、本当だー」
とハッと今気づいたかのようなリアクションを藤花は取りつつ言った。「あはは、確かに」と、ここで麻里が笑顔で口を挟んだ。
そんな二人の反応を見た私は、想定内とは言いつつも、自分でも分かる程の未熟な論理に気づいていたので、
「まぁ…ふふ、だから言ったでしょ?私が言いたかったのは、理数系を私や藤花が得意としてても変ではないって話なんだから。まぁ…」
とここまで言うと、曖昧な笑みを浮かべつつ続けて言った。
「確かにその逆の証明は不十分だけれど…」
「なーんだぁ」
と裕美と藤花が不満げを見せつつも笑みを絶やさずに口にする中、ふとまた麻里がクスクス笑ったかと思うとそのまま私に顔を向けて言った。
「あはは!…あーあ、うん、なんか急に妙な感想を言うようだけど、前も言った通り、こうして話してみると、それまで持っていたイメージとかけ離れているんだけど、それがまた不思議と余計に面白さを増してさ、余計に興味が湧いてきたよ」
と言い終えた直後に、さっきもチラッと見せた、新聞部特有なのか例の表情を見せてきたので、我知らず若干怯みつつも「え、えぇ、ありがとう」とだけ何とか返すのだった。
この時ふと思ったのだが、変な言い方かも知れないが、私はどうも妙に関心を寄せられると引いてしまう癖…というよりも性格をしている様だ。この時ハッとそう思い至った。
と同時に、こんなところもどっかの誰かさんと自分が似てると思い、一人クスッと笑うのだった。
「本当にさ、琴音のお陰で、女子校生らしくない過ごし方を出来てるよねぇ」
「ウンウン。普通女子校生がゴールデンウィークに喫茶店に集まって、今姫さまがした様な話なんてしないもん」
と、藤花と裕美が和かに言い合うので、
「別に今日は、そもそもの目的が遊びって訳じゃなくて、休み明けての中間試験に向けての勉強会だったでしょうが…」
とすかさず私も、照れ隠しの意味も含めて不満げを隠さず、しかし同時に笑みを浮かべつつ言った。
「私だって普段からこんな話ばかりしないでしょー?」
と言うと「いやいや、普段からこんな感じだよ?」とすぐさま満面の笑みで、またもやさっきと同じセリフで有無を言わさぬ調子で返されてしまった。
と、ここまではまたもやいつもの流れではあったのにも関わらず、すぐにふと、ちょっとした違和感に気づいた。
今日はずっとこんな調子だが、私をからかうというこの流れに一人だけ乗ってこない人がいたのだ。
そう、それは紫だった。
いつもなら裕美と同時に一緒になってくるはずが、今回は笑顔ではいつつも、どこか上の空といった様子だ。
律や麻里も混じってワイワイしている中、「それってさ…」とボソッと紫が漏らした。
「え?」と空気でだが私に向けられたのが分かったので聞き返しつつ顔を向けると、紫もこちらに顔を向けてきていた。
表面的には笑顔に見えはしていたが、中学入学時からの付き合いというのもあってか、その笑みにはどこかしらの裏に何かしら含意がありそうな、そんな意味ありげな影が見え隠れしている様に感じた。
ほんの少しばかり私と紫は無言で見つめ合っていたが、他の四人はそんな私達の様子には気づいていない様子で、私へのイジリの流れから雑談に興じていた。
自分たちのことを褒める様だが、一般客もいる店内だというので、和やかにしつつもそれなりの節度を持って…と自分たちは思っているが、しかしそれでも同じテーブル席なのだから他の会話の声は必然と耳に入ってきそうなものなのに、この時の私には裕美たちの会話の内容が入ってこなかった。それだけ、自分でも不思議だが紫に対して集中していたようだ。
と、その時、とうとうと言うか、かろうじて残していた笑みまでもスッと引かせると、特徴的であるツリ目を気持ち大きくしつつ紫が口を開いた。
「今話してくれたのって、それって…例の、あなたのおじさんから聞いた事なの?」
「え?」
と、またもや同じ様な返しをしてしまった。
だがしかし、このセリフ自体は実は初めてでは無かったので、それに対して意外に思った故では無い。
過去に何度も、私がついつい思い出すままにこうして皆に対してこの様な話をしてしまう度に、その都度「私のおじさんが云々」と付け加えていたのだった。
側から見ると…いや、そう何度も叔父さん叔父さん言うので、明らかに”叔父コン”と受け取られても仕方ない言動をしてしまっていたのだが、中学二年に上がってからというものの、私がそう付け加える前に、今紫が言ったようなセリフで先回り的に突っ込まれるのが常にはなっていたのだ。
だからこのセリフ自体に新鮮味はなく、特段驚くに値はしないのだが、やはり何度も言う様に、それを言う紫の様子が全くいつもと調子が違っているせいで、この様な反応をしてしまったのだった。
それもあって、いかにもいつもの軽口風では無かったので私もすぐには返答出来なかったのだが、しかし変に黙っているとますますおかしくなると直感し、「え、えぇ…」と戸惑い気味に返した。
「そ、そうだけ…ど?」
と疑問調で答えると、紫はジッと私の瞳を覗き込んできた。
なんだかその行為から、私の言葉の真意を汲み取ろうとする、そんな空気が伝わってきたので、「な、なに?」とまた続けて問うのがやっとだった。
私がそう聞くと、今度は途端にフッと見るからに全身から力を抜いたかと思うと、それと同時に、呆れている様な、何かを諦めるかの様な、そんな印象を与える様な類の笑みを一瞬見せたかと思うと、ポンと私の右肩に手を置いた。
これは予期していなかったので、自分でもわかるほど一度ビクッとしてしまったが、それに気づいているはずの紫はそれには何も言わずに、ニコッと目を細めるように笑い「そっか」と言った。
なんだかこの短い時間の間に紫の百面相を見せられたので、
「む、紫…あなた一体」
どうしたの…?と私としては当然として疑問をぶつけようと試みたのだが、その気配に気づいたか何だか知らないが、またニコッと微笑んだかと思うと「何の話をしてるのー?」と顔を私から逸らし、さっきから盛り上がっているらしい裕美達の会話に混じっていった。
その行動から、藤花と律だけの時にも念を押された時の事を思い出したのもあり、何も聞かないで欲しいという気持ちが伝わってきた気がした私は、変に固執して無理強いする事も無いだろうと、やれやれとため息混じりに笑みを一人浮かべて、それからは紫に何テンポか遅れて私も雑談の輪に入っていったのだった。
この日は結局そこから、裕美と紫が会話を回すという普段通りの私達の流れとなり、律の向こうの窓に私達の姿が反射して映るほどに外が暗くなるまで楽しんだのだった。
ゴールデンウィークが明けた一週間は、それぞれがそれぞれ各様に普段通りに過ごした。
そんな中、私、藤花、律はいつも通りだったが、言うまでもなく裕美、そして学級委員である紫と麻里も当事者では無くても忙しくしているのが分かった。
まぁ詳しくは知らないが、二人の口ぶりから見るに、旅行含む学校行事に関しての打ち合わせなり何なりがあるらしい。
なので、何気なくゴールデンウィークはそれなりに一緒に皆で過ごせてはいたのだが、この週は放課後に六人全員が集まれる事は皆無だった。
しかしそれでも旅行に向けての買い物などは、予定が合った数人で一緒に学校帰りに行ったりして過ごした。
次の週からは、部活動なり委員会活動なりが休止となるテスト前一週間というのもあって、教室だったり、図書室だったり、そしてまた喫茶店に六人で行ってテスト勉強をした。
その勉強会の合間でもちょくちょく雑談をしたのだが、その数回の間では、私と紫の間で、連休中のあの時の会話の様なものは繰り広げられなかった。
これだけ聞くと普段通りに戻ったかの様に聞こえるだろうが、そんなことがあったためだろうか、明るく快活に振舞う紫のそんな様子に、どこか暗い影の様なものが指している様に私は感じ取っていた。
明るくサバサバとイメージ通りに振舞うたびに、そこからむしろどこか無理している様に見えたのだ。
だが、この時の私は、義一の様に何かにつけて物事をハスから見たくなるという悪い癖が見せる思い込みだと思い至り、それ以上は特に何も考えなかった。
それはさておき、そのまた次の週になると中間テストを迎えて、週末にかけての四日間、日によって違うが一日に二、三教科の試験を終えると、間を置く事なく次の週には修学旅行の日を迎えるのだった。
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