第11話 バルティザンの主

スタ…スタ…スタ…


…ん?

と、ついさっきまで視界が真っ暗だった”ような”気がしたのだが、今はこうして目にハッキリと柔い、薄暗い光を感じた。

ずっと目を開けていたはずなのに、今までずっと目を瞑っていたかのような、そんな後味が残っていた…とまぁ、とても表現しづらい、不思議な感覚に襲われていたが、今となってはもう慣れたものだった。

そう、自分としては何気に久しぶりな感じだったが、例の夢にまた来てしまったようだ。

いつかの時のように、場所は違ったが、石畳の上をトコトコと無意識に歩いていて、両サイドにはのこぎり型狭間が延々と先まで続いていた。

前回からの続きというか、城壁上部の回廊にいるらしい。

進行方向左手には、すぐそこに岩肌があり、見上げると、ひび割れだらけの古びた、苔むしたお城らしきものが見えていた。

前回までに分かった事実を付け加えれば、今いるのが岩山というよりも、小さな島なのだった。

その島の表面に沿う様に回廊が設置されているので、基本真っ直ぐな部分は無く、緩やかなカーブを描いている。

空は相変わらずの曇天模様だ。濃い灰色の雲で覆われていた。

私は一度立ち止まり、右手の狭間に近づき外を見ると、そこには変わらずに大量の水が眼下に広がっていたのだが、前回と違って少しもやが出てきている様で、対岸の二つの大地の様子が、かなりボヤけてしまい、目を凝らさないといけないくらいだった。

「…ふふ、ねぇー?」

と、ここで不意に背後から声を掛けられた。

まだ幼さの残る少女の声だった。

「え?」

とすぐに振り返ろうとしたが、右肩にふと、何だか人の体温というか、気配というか、それをうっすらと感じたので、左から振り返り後ろを見た。

そこには一人の少女…だと思うが、未だにハッキリしない女の子が立っていた。

相変わらず真っ黒というか、全体的に”暗かった”。

そんな見た目にも関わらず、不思議と純白と感じられる様な、半袖のAラインワンピースを着ていた。

頭には、見覚えがあり過ぎる麦わら帽子を目深に被っていて、そして今は、真っ暗な顔の中に、真っ白な三日月の様な裂け目が見えていた。

右腕だけ不自然に私の右肩付近に伸ばしていたので、その先を見ると、人差し指だけを出す形をとっていた。

高さ的には、丁度私のほっぺが来る位置にあった。

と、私が振り返ってその指先を眺めていると、その三日月を横一文字に細めつつ言った。

「…ふふ、なーんだ、今回は引っ掛からなかったんだぁ」

あまりに残念そうに大袈裟に落ち込んで見せつつ…いや、それすらも面白がって見せつつニヤケて言うので、「ふふ」と私も思わず笑みを零しながら返した。

「そう何度も同じ手は食わないわよ」

それを聞いた少女は、「なーんだ、つまんないのー」と、頭の後ろに両手を回してボヤいて見せたが、影の中の三日月は大きくなっていた。

と、そうボヤくと、少女はトコトコと前触れもなく歩き出したので、そのマイペースっぷりに苦笑を漏らしつつ後を追ったのだった。

追いつき隣に着くと、少女が口を開いた。

「あーあ、何だか急に周囲をキョロキョロとしだしたかと思えば、急に立ち止まって海を見渡しだすんだもん…『スキありっ!』って思って、またしてやろうと思ったのになぁ」

…あぁ、やっぱり下のは海なんだ。

と、ここで改めて明快に事実が分かったのに安心したのだが、それと同時に、もう一つの事実が今の話から分かった。

そっか…この夢では、前回から時間が経っていないのね。

「ふふ」

と私は一度また微笑を漏らすと、そのままの調子で返した。

「もーう、本当に子供なんだから…”ナニカ”は」

「…え?」

と急に立ち止まるので、私は少し前に出る形となった。

そして後ろを振り返ると、ナニカの口元には、先ほどまでとは違い…というか、ここにきて初めて見る真ん丸の白い空間だった。

基本的に見えていたのが三日月だとすると、今のは夜空に浮かぶ満月といった趣だった。

「ど、どうした…の?」

と、ここで不意に、前回の夢の最後で正体を軽く明かしてきてはいたが、それでも本当に軽くで、まだまだ得体の知れなさは依然として残っている彼女について、急に態度を変えたのをきっかけに、全身が若干強張るのを覚えていたが、私のそんな恐る恐るの呼びかけには答えず、また満月を三日月に変化させると、トコトコと私の隣に歩み寄り、笑み交じりで言った。

「…ぷ、あはは!”ナニカ”…っか…。ふふ、私がそう自己紹介したんだもんねー…そっか、そっか」

と、ナニカは何かに納得したように一人ウンウン頷きながら、愉快げに、何だか今にもスキップでもし出しそうな様子を見せつつ、また勝手に歩き出したので、先ほどと同じ様に、その身勝手さに思わず苦笑いをしつつ付いて行き、横に並んで歩くのだった。


暫くして、

「ところでさ…」と、進行方向正面に顔を向けたまま、横のナニカに話しかけた。

「んー?なにー?」

と、子供特有…というか、大人が思う、大人が望む様な、そんな理想的な子供像を演じるかの様な、そんな無邪気な幼げな声色を使って返してきたので、ますますこちらの緊張が薄れていくのが分かった。

「…ふふ、うん、あのさー…」

私もクスッと一度笑みを零してから続けて聞いた。

「今私たちは…どこに向かっているの?」

「…」

とすぐには返事をしてくれないので、歩きながら顔だけ横に向けると、「んー…」とナニカは腕を組んで唸っていた。

が、これはなんというか…ただのフリなのが丸わかりだった。

それを証拠に、唸り終えるとナニカは腕を組んだまま、こちらにチラッと視線…って、まだここにきても目というものを見たことが無かったが、それでも感じとして視線を向けてきつつ、ニヤケ調で答えた。

「…んー、言おうか言うまいか、どうしよっかなぁー?」

と、変に出し渋ってくる、いかにも面倒臭いノリをしてきたので、私は少し苛立って見せ…いや、半分は本気で

「もーう…なんなのよー」

と、そんな調子で言うと、「あはは」とナニカは一度笑い建てた後でふと立ち止まった。

私も倣って立ち止まったのだが、ナニカは私には顔を向けずに、ふと、今までの進行方向上の先に、右腕をピンと伸ばし、遠くを指差した。

「あれだよ」

と短く言うので、「あれ…?」と真面目にナニカの右肩から二の腕、前腕、右手と順に目を這わせて行き、最終的に指の先を眺めた。

そこには、先ほどまで見えていなかったはずの、何やら小さな塔らしきものが見えるのが分かった。

あんなの、さっきまであったかしら…?

とすぐに疑問に思ったのだが、やはり慣れだしていたとはいえ、自分の夢とはいえ非現実な空間の中、得体の知れない少女と一緒にいるというので、神経がそっちに逸らされていたから、それで気付かなかったのだろうと結論付けた。

まぁ尤も、何度も言う様に、今いる回廊は島肌に沿って走っているというのもあり、緩いカーブを描いているのだが、すぐ脇に岩壁が迫っているというのもあって、カーブの先の物体が見づらいというのもあった。

と、そんな風に思考を巡らせていると、そんな私の様子を面白げに眺めていたナニカは「そう!」と明るく言い放った。

そしてまた前置きなく歩きだしたので、慌てて追いつくと、ナニカは正面を向いたまま、心から愉快だと言いたげな調子で言った。

「あのね、あそこにあなたを会わせたい人がいるの」



「…人?」

と途端に訝しく思った私は恐る恐る口にしたが、「うん!」とそれとは対照的に明るく返事をして、それからは何も答えてくれなかった。

こうしている間にも、これも前回から変わらず吹いている強風に流されてきたのか、今私”たち”のいるこの島にも乳白色の靄が若干かかってき出したせいで、少し霞んでしまっている小さな塔に向かい途中、ナニカが言った『人』という単語から、同時に連想したモノを思い出していた。

そう、例の古ぼけた、ばかに太い列柱が沢山乱立していた礼拝堂内の出来事だ。

乳香を振りまきつつ、礼拝堂の中を練り歩いていた、形だけは人型の謎のいくつかの異形。

今こうしてあの時のことを思い返しても、そのあまりにも得体の知れなさのせいで、不気味さと共に悪寒に襲われる感覚を覚えるのだった。

あの時も、あのろくに手入れされていない祭壇画などのチープさに呆れるあまりに恐怖がすっ飛んでしまったのだが、しかしやはり、今こうして冷静になって思い出しても、彼らの事を、どうしても”人”とは思えないのだった。

まだこの時は、あくまで直感的、肌感覚でしか無かったけど。

彼らがなんとなく修道士っぽい、つまりは人らしき格好をしているのがまた相乗効果を生むのだった。


どれほど歩いただろう?

あくまで夢だから具体的な時間は無意味だとは分かりつつも、それでも便宜的に言えば、おそらく五分ほどだっただろう。

その間、私たちの間に会話は無かったのだが、特にこれといった不都合はなかった。

まぁ私個人で言えば、さっき言った様なことをずっと考えあぐねていたところだったので、別にお互いに黙りこくってもむしろ好都合だった。

とその時「ふふ」と小さく隣から笑みが聞こえたので顔を向けると、ナニカの顔に三日月が浮かんでいた。

「着いたよ」

と言いながら、顔をゆっくりと正面に向けたかと思うと、そのままゆっくりと見上げた。

私は声を発せずに、倣って同じ様に顔を上げた。

そこには、先ほど見た時と変わらない…って当たり前と言えば当たり前だが、姿形が同じの塔が立っていた。

…細かい話だが、塔なのに敢えて”聳える”とは言わずに、”立つ”と表現したのには訳がある。

というのも、確かに塔は塔なのだが、ずっと今まで見てきた進行方向左手に聳え立つ、”島に寄生している”という表現がピッタリなお城…と言っていいだろう、それがあったために、どうしても目の前のと比べてしまう。

そのいわゆる本体と比べると、とてもとても聳え立つとは言えないサイズだった。

高さはそうだなぁ…だいたい、二階建て相当しかない様に見えた。そう、二階建ての一軒家である私の家と同じ高さくらいだった。

そのまま視線をゆっくりと下ろして、黙ったままのナニカをそのままに放っておきつつ、その背後を回って、この塔の周囲を歩いて見た。

どうやら簡単に言えば円柱型のようで、半分は回廊側、もう半分は側壁の外に張り出していて、狭間の間から覗き込んでみると、塔の半分の下には海が広がっていた。

と、ここまで自分でも不思議と…って、何でちゃんの私からしたら不思議でもないか、それでも熱心に夢中に色々と眺め回していたが、不意にここまで黙ってこちらを眺めていたナニカが「クスッ」と一度吹き出して見せてから声をかけてきた。

「…ふふ、そろそろ中に入ろ?」


「え、えぇ…」

と少し照れ笑いを交えつつ返事をしたのだが、それを聞いたのかどうなのか、分かりづらいほどにさっさと中に入ってしまったので、私も慌てて後をついていった。

中に入ると、すぐ目の前が壁になっていた。どうやら支柱のようだ。

入って右手も壁になっており、壁面の、私の身長より少し高めくらいの位置に蝋燭が三本ほどあり、それらが辺りを柔らかく照らしていた。

普通に考えたら、蝋燭が三本だろうと何本だろうとくらいに違いなかったが、そこはそれ、これがあくまで夢だということで、これくらいのご都合主義的な点は気にならなかった。

というより、むしろ他の事で強く思考が引っ張られてしまった。

というのも、この蝋燭の火が何と…強くオレンジ色の光を放っていたからだった。

…もしかしたら、何でそんな点に引っかかったのか、お分かりでない人もいるかも知れないので、おさらいの意味を込めて触れてみるとしよう。

…こほん、そもそもこの夢の世界というのは、全てが灰色を基調に色が占められており、その濃淡でしか違いが現れていないのだったが、二つだけ、そう、二つだけ例外がある。

まずは…私自身。私だけは不思議と肌の色なり何なりが、現実に即した色合いを発していた。

それはまぁしかし、今触れるべき大事な点ではない。

後もう一つ、それは…そう、ずっと今まで片手に持ち続けていた、例のカンテラの光だった。

この所は特に触れてこなかったが、あの礼拝堂からの登り階段を上がっての外へ出てからも、ずっとカンテラは変わらず優しい柔和なオレンジの光を今の今まで発し続けていた。

だから…最近では、それ以外の灰色系統、極端に振れても白と黒の世界でしかないモノトーンの世界の中で、カンテラの光以外でこのような色を見る事自体が珍しかったし、また、そのカンテラと全く同じ光の色というのも強く興味を惹かれた。

私はその壁面の蝋燭を眺めた後、自分の手元のカンテラを眺めると、何と言えばいいのか…下手に擬人化することもないとは思うのだが、まぁ”久々”だというので表現すれば、何だかカンテラの光の方でも、その蝋燭の光にそのー…例えて言うなら、久しぶりの再会の喜びを分かち合っている様に見えた。

それを証拠に…って、別に証拠不十分だが、カンテラの炎と蝋燭の炎の揺らめきが、全く同じ様にシンクロしている風なのだった。

まぁ…その場に同じ方向から風が吹けば、同じ様に炎が揺れることもあるだろうと、すぐに突っ込まれそうではあるけれど。

などとまた色々と立ち尽くしつつ考えていると、「おーい」と上から声をかけられた。

見上げると、真上にナニカがいるのが見えた。

ナニカは、おそらく二階部分なのだろう、そこに階段の踊り場のようなものがあるらしく、そこにあるらしい転落防止用の低めの壁から上体だけ少し乗り出して、こちらに手を振っていた。

「何してるのー?早く上がってきなさいよー」

…ふふ、本当に影みたいな色合いなのに、こんな薄暗くてもアレだけハッキリ見えるなんて…ご都合主義も、便利っちゃあ便利ね

などと呑気な考えがすぐに過ぎったが「えぇー」と私は返事を間延びに返すと、左手に続く、円柱型の建て屋内の壁に沿う様に設置された螺旋階段を、グルグルと一歩づつ、確実に上がって行った。

螺旋階段は中々に幅が狭く、両手を伸ばしきれない程度であった。

これも夢がなせる技か、いや、そもそも二階分しか無いのだから、息切れも疲れも現実ですらそれほど感じないのだが、軽々と、しかしゆっくりとしたペースで上がっていく中、ふと、この夢では”久しぶり”の臭いが鼻腔を刺激してきた。

…あれ?これって…油の臭い?

そう、久しぶりといったのは、この夢を見始めた一番最初の頃、あの五畳ほどの小部屋で、いつの間にか今持ってるカンテラを見つけて、そこに油の入った、漢字の”神”と書かれた油指しから注ぎ入れた時に臭ったのと全く同じ匂いだったからだ。

何だか懐かしい気持ちになりつつ、一歩一歩上がるたびに、その油の匂いが徐々に強まるのを覚えていた。

と、それに気づいた瞬間…と思ったのだが、同時に、徐々に何か液体がトクトクと何か容器に注がれている様な、また、ポト…ポト…ポト…と、何か液状のものが雨だれの様に規則正しく下垂れ落ちている様な、それらの複合的な音も聞こえてきて、音量も階段を上がるたびに徐々に大きくなっていくのだった。


最後の一段に足をかけて登り切ると、「おっそーい」とすぐにナニカに声をかけられた。

呆れ口調だったが、顔を見ると、こんな薄暗がりの中でもハッキリと三日月が見えるのだった。

「ごめんごめん」

と私は平謝りをしつつ、何かの背後の空間に目を配った。

まず階段上がってすぐ目に付いたのは、”ごく一部を除く”壁一面の大量の甕(かめ)だった。

壁も当然と言うか、上から見下ろしたなら真円の形をしていたのだが、そんな曲線しか無い壁には元々何段か棚が設置されていて、床から天井に掛けて一杯に所狭しと置かれていた。

その甕自体は、薄暗い室内、それに伴ってやはりと言うか、この場所も、所々甕の置かれていない壁にチラホラとある、下のと変わらぬオレンジの光を辺りにはなっていたが、それに照らされても濃い灰色のままだった。

だが、何となく、事前の知識は無くても、その甕の一つ一つの表面に漆が塗られていて、現実ならジブい良い色合いの焦げ茶色を見せてくれるのだろう事は容易に想像がついた。

…っていや、今までそんな大量の甕を見たことが無かったから、それに目がいったのは勿論だったが、それよりも…ちょうどその甕の一つに、何やらトクトクと液状のものを注ぎ足しているローブ姿がずっと見えていた。

初めてこの場に上がってきた時には、薄暗いというのもあってすぐにはすぐには気づかなかったが、当然少なくとも、大量の甕と同時には存在に気づいていた。

その瞬間、私が息が止まりそうになる程に驚いて身構えて固まってしまった。

もちろん、ナニカの次に現れた”動く者”だったので、それも大きな理由だったのだが、この謎のモノに対しては、二つばかりの驚かされる理由があった。

まず一つ、これはまぁ簡単だろう。何せこのモノは、例の礼拝堂で遭遇した異形と同じ様な、古典的な修道士僧侶風のフード付きローブを身に付けていたからだ。

しかし…何というか、この当時は、なぜそんな気がしたのか、自分で自分に説明が出来なかったが、とりあえずあの異形たちを一瞬連想したから驚いてしまったが、しかしすぐに、何故か不思議と安心にも似た感情に心が満たされていくのを覚えた。だんだんと気が休まっていく感覚なのだ。

これがどこから来るのか、何故初めて来たこの場で、しかも初めて見るこのモノに対して、そんな気を持ったのか、そんな点で、また初めとは違う意味で混乱してしまい固まってしまったのだった。

…っと、あともう一つの理由があった。一つ目の理由を長々と説明したが、不思議ではあってもそれが一等では無かった。この二つ目の”事実”を知って、ますます混乱を極めたのだった。

それというのも、今回この夢を見始めた時、そしてこの塔の中に入ってからも触れた様に、目に入る殆ど全て、私とカンテラの光を除いた全てがモノトーンカラーだったのだが、何と…このローブ姿のモノには、私と同じ様に色彩が宿っていたのだ。

これには一番驚かされた。先程来、だいぶ私が上ってきてから少なくとも五分以上は経っていると思うのだが、私達を背に、ずっと黙々と何やら一つの甕の前で作業をしていたのだが、チラッと手元が見えたのだ。

素手だったのだが、その手にはハッキリと、蝋燭の柔らかなオレンジ色に照らされてはいたものの、肌色だと認識出来たのだ。

それに気づいた瞬間、「…え?」と、何だか緊張して気が張っていた私だったが、思わず声を漏らしてしまった。

と同時に、『しまった』とふと思い、途端に口元を両手で覆った。

そんな私をよそに、ローブ姿はそれにすら気付かない様子で、黙々と作業を続けていた。

それにホッとしたのも束の間、不意にこの時何やら視線を感じたのでその方を見ると、そこにはナニカのニヤケ顔が待ち構えていた。

随分今の今まで静かだと思っていたら、ずっと私のことを静観していたらしい。

私と視線が…恐らく合ったのだろう、次の瞬間ナニカは顔をローブ姿に向けると、「はぁ…」と一度大きく溜息を吐き、そのままの調子で後ろから声をかけた。

「…ちょっとー?せっかく連れて来たのに、いつまで私達を放っとく気なのー?」

「あ…」

とここで私はまた無意識に声を短く漏らしてしまったが、そんな中、声を掛けられたローブ姿の手が止まった。

と同時に、先ほどまでずっとこの場に壁を反響して響いていた液体を注ぎ入れてる様な音も止んだ。

それから数秒ほど無音が続き、時間が止まってしまったかの様な錯覚を覚えていたのだが、ふと「…え?」という声がローブの中から聞こえてきた。

何だか気の抜けた、呑気な調子だった。

急にナニカが声を掛けたので、心の準備が出来ていなかった私は、またこの場に来た当初と同じレベルで身構えていたのだが、こんな調子を聞かされて、それと同時に緊張の糸が緩んでいくのを覚えた。

…と同時に、その拍子抜けな声色から、どこか懐かしさも覚えてしまい、それでまた一瞬、軽めに混乱してしまった。

そんな私の心境を知ってか知らずか、ナニカはこちらに一度顔を向けたかと思うと、ニヤッと一度笑ったのが視界の隅で見えていたのだが、それに対しては何も返さずに、私はただじっと、このローブ姿の次の行動に注目した。

と、ローブ姿は短く声を漏らすと、ゆったりとした動作でこちらに振り返った。

ローブ姿は男性だった。なぜ男性かと思ったかというと、声が明らかに男声だったからだ。背は私よりも高く、平均から見ても長身の部類だった。

ローブを前の高めの位置で止めていたので、あまり素肌は見えなかったが、胸元、そしてさっき見えた手を見る限り、男ではあるのだろうが、どこか中性的な雰囲気を、そんな小さな部位からでも醸し出していた。

顔も、下半分は見えていたが、目深にローブのフードを被っているせいで、鼻頭から上は影になっていて見えなかった。

だが、そんな少ない情報でも、やはりというか、そこから中性的な雰囲気が嗅ぎ取れるのだった。

と、そんな観察をしつつ、ますます不思議と懐かしさが胸に込み上がってくるのを感じていたその時、

「…おや?」

と小さく声を漏らしたかと思えば、男性は両手をローブに手をかけた。

この瞬間、この場の灯りである蝋燭の炎、そして、私の手元のカンテラの炎の勢いが、気持ち大きくなるのが分かり、「…え?」とまたもや私は一人、自分の手元に目を落としつつ声を漏らした。

そんな私には構わずに、

「これはこれは、珍しい客人だなぁ」

とローブ姿はしみじみと言いながら、そのままフードをバサッと脱いだのだが、その下から現れた顔を見て、「あ!」と今度は、漏らすとか生易しいものではなく、大きな声を上げてしまった。

何せ、その現れた顔というのが…


「…ん?」

と、目をまだ瞑ったままだったが、その瞼越しからも、外がすっかり明るくなっているのが分かった。

ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた天井が見えていた。

そう、ここは私の部屋だ。仰向けて寝ていたらしい。

眠気眼のまま顔だけ横に倒した。そこにはサイドテーブルがあり、その上にはデジタル時計が置かれていて、日付と時刻が出ていた。

今日は、義一と絵里とお喋りして楽しんだ日曜日の翌日、平日の月曜日、朝の六時半だ。

いつも通りの時間だ。だいたい私はこのくらいの時間に起きている。

…ってそんな事はどうでもいい。

私は腹筋を使って上体だけ起こし、そのまま両腕を天井に向けて大きく伸ばしたのだが、ふと、先ほどまでの、まだ鮮明なクッキリとした夢の情景を思い出し、今度は大きな声は出さなかったが、しかしまた「…あっ」と思わず声を漏らして独り言ちるのだった。

「あの顔って…もしかして…」

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