第7話 修学旅行 前編

「んー…」

とヒロが顎に手を当てて、柄でも無いくせにワザとらしく考えるフリをしつつ、眉をひそめながら私の顔をジロジロと遠慮なしに見てきた。

「…何よー?」

と、私も負けじと眼鏡越しにジト目で応戦した。

「何か文句ある?」

すると、ヒロは急にニヤッと意地悪げに笑ったかと思えば、その笑みに合わせるように口を開いた。

「やっぱ…似合わねぇな」

「…うっさい」

と私がそっぽを向いて返すと、その先には裕美の顔があり、こちらに向けて明るい笑い声をあげるのだった。

今日は日曜日。そう、紫たちと約束したあの日だ。

待ち合わせ時間は、藤花達の教会の都合に合わせて少し遅めの三時の約束となった。場所は例の如く、御苑近くの喫茶店で落ち合う事になっていたので、時間に合わせて毎度の如く裕美のマンション前で待ち合わせをし、二人揃って地元の駅へとお喋りしつつ向かっていた。この時は、メガネは掛けておらず、ミニバッグの中にしまっていたのだが、その道中で、ふと、前を歩くイガグリ頭の男の子の姿が見えた。

格好は、これまたどこにでもいる中学男子といった見た目なのに、”誠に遺憾ながら”その後ろ姿だけで誰だかすぐに分かった。

まぁ…ご覧の通りというか、ヒロだった。

私は「げ…」と思わず声を漏らしてしまったが、やり過ごそうと思ったその瞬間、一度こちらにニタっと笑ったかと思うと、次の瞬間「ヒロくーん!」と、裕美が大きな明るい声を上げたのだった。

その声を受けて、遠目でも一瞬ビクッとしたように見えたが、すぐに勢いよく振り向いてこちらを見てきた。

私は腕を組みそっぽを向いて、不機嫌な”フリ”をして見せるなか、隣の裕美は大げさに大きく何度も腕を振って見せていた。

ヒロは驚いた顔を見せていたが、すぐにイガグリをぽりぽりと掻くと、そのまま初めは苦笑い、そして徐々に人懐っこい笑みに変化させていった。

だが、いつまでもこちらに近づいてくる気配が無かったので、どうするつもりだろうと横を見ると、その瞬間裕美が足取り軽くヒロに向かってドンドン歩いて行ってしまうので、「やれやれ…」と、聞こえるかどうかは二の次だったが、それでもわざと口にそう漏らしつつ、苦笑交じりに後を追った。

側によると、「おっす!」と呑気に明るく裕美、私の順に声を掛けてきた。

こちらからも挨拶を返すと、ヒロもこれから電車に乗ると言うので、今のように私を間に挟むという、小学生以来ずっと変わらないフォーメーションで一緒に駅まで向かうのだった。

その道中、ヒロに聞かれたので、これからの用事を私が答えた後、今度は裕美がヒロの用事を質問したのだが、それに答えてヒロが言うには、同じ野球部の部長兼キャプテンである、そう、翔悟と共に池袋にあるという、以前チラッと会話の中で出たスポーツ用品店に行くとのことだった。

…そう、裕美に”告白”されたあの日だ。

「翔悟くんの姿が見えないようだけれど…?」と私が周囲を見渡しつつ突っ込むと、それに答えて言うには、翔悟と、それに加えて千華の二人は、午前に何か二人で用事があったとかで、先に行ってるとの事だった。

ヒロの見立てでは、また毎度の如く、翔悟を千華がパシッているという事だった。

ここでヒロの口から”千華”の名前が出たので、思わず知らず私はビクッとしてしまった後、「そうなの…」とヒロに返しつつ、チラッと視線だけ裕美に向けた。

裕美はこちら…って、おそらく私ではなくその向こうのヒロに向かってだろうが、笑みを零していたが、どこか少し曇り気味のように見えた。

…まぁ、色々な前情報の元に形成された偏見が見せる”気のせい”だと勝手に納得して、その意味は聞かないことにした。

その流れ…というか、正直何の脈絡も無いように感じたが、急にヒロが口を閉じると、そのまま何も言わずに私の顔をジロジロと見てきて、その後で「メガネはしてねぇんだな?」と聞いてきた。

「えぇ」と私は答えた後、ミニバッグにチラッと視線を向けつつ「まぁ持ってきてはいるけれどね」と続けて返した。

その直後、ヒロも同じようにカバンを眺めてきたが、「なぁ…掛けて見せてくれよ」と、何故か悪戯っぽい笑みを浮かべながら頼んできた。

因みに、この時点で、まだヒロに私のメガネ姿を見せた事が無かった。まぁ、未だに家の中か、ピアノのレッスン時、学校の授業中にしか掛けていなかったので、それは当然の事だった。

その笑みのことも含めて、「何で今かけなくちゃいけないのよ?」と敢えて喧嘩腰で返したが、それからは、まるで駄々っ子のように面倒臭いほどに頼み込んでくるヒロ、そして、それを他人事のよう…いや、他人事の裕美も一緒になってニヤニヤしながらヒロに乗っかって来たので、数の暴力の前に無力な私は、泣く泣くこうしてメガネを掛けたのだった。

それで初めに戻る。


「あははは!」

と裕美は明るく笑い声を上げた後、薄目を使ってヒロに声を掛けた。

「ヒロくーん?自分で掛けさせといて、それは無いんじゃなーい?」

「え、あ、いや、そのー…何だ」

と、そう言われたヒロは、何故か辿々しい態度を取り出した。

そして、顔を少し私から逸らしつつも、目だけをこちらに向けつつ、さも言いにくそうに口を開いた。

「まぁ…いや…似合っては…いるぞ?」

「…は?」

と私は、急に何を言い出すのかと呆気に取られつつ声を漏らした後、何だかハッキリしないヒロの様子が伝染したのか、自分でも分からないほどに動揺しつつも、それを悟られまいと、またもや喧嘩腰で返した。

「な、な、何よー…?さっきと言ってる事が違うじゃない?」

「う、うっせぇな」

何だか、何キッカケだか忘れるほどに、妙な雰囲気が漂い始めたので、私は妙なテンションのまま、

「ね、ねぇー、裕美ー?」と、救いを求める意味でも反対側の裕美に顔を向けた。

すると、そんなテンションが吹き飛ぶほどに、おどろ…いや、大げさな言い方だが、それでもやはり少なからず驚いた。

何故なら、口元は緩めていたのだが、目元は真顔に近い、無感情に近いものだったからだ。

「ひ、裕美…?」

と私が思わず心配げに声を掛けると、「…え、…え!?な、なーに?」と、今まで少しの間顔を合わせていたというのに、何だか急に顔を鉢合わせた時のような反応を示した後、普段通り…と言っていいのだろう、”明るい何時もの裕美”の姿を見せつつ応じた。

「あ、…んーん、何でもない」

と、私がなすすべも無く、取り敢えず苦笑交じりに返すと、裕美は少し上体を前に倒して、私越しにヒロの方を見て、顔に悪戯っ子な笑みを浮かべつつ口を開いた。

「あはは、ヒロくーん、そんな見るからに矛盾な言葉を掛けたら、この”何でちゃんプリンセス”が素通りできるはずないでしょー?言葉遣いには気をつけないと」

「ん?」と言われた直後は、頭の上にはてなマークが浮かんでいたが、すぐに意味を理解したヒロは一度大袈裟に吹き出してから「あははは!」と笑い声を上げた。

「確かになぁー。こりゃ俺が迂闊だったわ」

「あははは」

と二人して笑い合う姿を見た私は、先程の妙な雰囲気が消え去ったのに気づき、ホッと息がついたのも束の間、これにはツッコミを入れなければと、二人とある意味一緒になって大袈裟に溜め息を吐きつつ口を開くのだった。

「はぁ…もーう、二人してー。っていうか、裕美、あなたも言葉遣いに気をつけなさいよー?何よ、その何でちゃんプリンセスって…?センスがまるで無いわよ?」

「あー、やっぱり小煩くツッコんでくると思ってた」

とケラケラ笑いながら裕美が返してきて、それと同時にヒロもますます笑顔を強めていったので、私も場の雰囲気に流されてというか、仕方なしというか、そのまま一緒になって最終的には笑い合うのだった。


電車に乗り込むと、数駅で池袋に向かう地下鉄の乗換駅に着いたので、そこでヒロと別れて、それからはいつものように御苑近くの駅まで、一度乗り換えをしつつ向かうのだった。



「じゃあ…かんぱーい!」

「かんぱーい」

「か、かんぱーい…」

と私たちに続いて、麻里が戸惑いつつも自分のグラスをぶつけてきた。

カツーン。

といい音を鳴らした後、各々の注文した飲み物を何口かづつ飲むのだった。

ここは例の喫茶店。座るテーブルも、御苑を見渡せる窓際の定位置だ。

だが、今日は麻里がいる関係で、座る位置だけはいつもと大分勝手が違った。

私と裕美が着いた頃には、既に紫たちは席に着いて待っていた。麻里もいた。

麻里も含めたそれぞれが各々と挨拶を交わしている間、チラッとテーブルを見ると、何も乗っていなかったので、誰もまだ注文をしていないのが分かった私が、「じゃあまず注文しに行こうか?」と声を掛けると、皆が揃って賛意を示し、ゾロゾロと一階の注文カウンターまで降りて行った。因みに今日も…と話上は言うべきだろうか、この日は里美さんは休みだった。

これも少し先回りして言うと、今日初めての麻里を、里美さんにも紹介したかったのだが、それは今回はお預けとなった。

さて、注文した後で、店員さんが随時持っていくと言う声を受け、私たちはテーブルに戻ったのだが、そこで少し皆して戸惑ってしまった。

誤解を恐れずに言うが、麻里という新しい人員が増えたことによって、どう座れば良いのか、一から考えなくてはいけなくなったからだった。

私と裕美以外は既に座っていたのだが、それでも注文しに行くというので、皆して荷物を全部手に持って行っていたこともあり、一からやり直さなくてはいけないのだった。

さて…どうしたものか?

と、初めの初めは少し前途多難だと思っていたのだが、その予想は外れて、思ったよりも難なくとすぐに配置が決まった。

一応説明してみると、そもそもこのテーブル席は六人掛けなのだが、テーブルを挟んで片方に、窓側から紫、私、裕美、そして反対には藤花、律と座るのが習わしとなっていたが、この日は、片方は窓際から律、私、紫、もう片方は藤花、裕美、そして麻里という座り位置となった。

長い間の位置と違うために違和感は否めなかったが、最初だというのに感想を述べさせて貰うと、不思議とすぐに馴染んでしまい、昔からこうだったんじゃないかと思わせるほどに自然に思えたのだった。

それぞれが飲み終えると、麻里がまず苦笑交じりに口を開いた。

「…ふ、えへへへ、紫が前に言ってたけれど、本当に乾杯をするんだねぇ」

「あははは」

と紫が瞬時に笑って見せたが、私も同じように笑みを浮かべつつも声を掛けた。

「麻里ちゃんは、そのー…初めてだった?」

すると麻里は、私と視線があった直後、何だか少しモジモジとして見せた後で、しかし軽くニコッと笑いつつ返した。

「んーん、いや、二年の時に、紫や、裕美、藤花たちと何度か喫茶店なりファミレスに行ってた時に、初めてしようって言われてビックリしたけれど…ふふ、琴音さん達ともしてるっていうからさ、だから、それならいっかって一緒になって乗っかったんだー」

と、最後の方は、私、そしてその左隣の律に視線を向けつつ言うので、思わず私と律とで顔を見合わせてしまった。

「へ、へぇー…」

と、律が何も返さないのを知っていた私が率先して返そうとしたはしたのだが、麻里の視線から、今までに出会ったことのないタイプの”圧”を感じた為に、戸惑いを隠せないままに相槌を打つと、紫たち他の三人はクスクスと面白げに笑い合うのだった。

「ほら…だから言ったでしょ?」

と、私の右隣に座っていた紫が、テーブルに肘を付き、顎に手を当てつつ、私…だけではないだろう、律も纏めて見るように視線を飛ばしつつ、ニヤつきながら口を開いた。

「嘘じゃないって」

「…?…あ」

と、初めの方ではすぐに気付かなかったが、先週…って、厳密には先々週だが始業式の日に、紫からそんな話をされたのを思い出したのだった。

もちろん、それと同時に、二年の時にチラッと聞いた話も同時にだ。

ただそう声を漏らした後、ふと左隣に顔を向けると、律は律で、何も声を発していなかったが、それでも緩急少ない表情の中でも、明らかに思い出した風な様子を浮かべていた。

そんな私達を見て、ますます裕美たちの”クスクス度合い”が強まるのを、見てはいなかったが敏感に察する事が出来た。

ただこの場で一人、麻里だけが何の話だか理解できていないらしく、一人首を横に傾げて見せていた。

…全然関係なのだが、その仕草が何だか麻里に良く似合っているなと言う感想を覚えていたのだが、そんな中「…あのさー?」と口を開いた者がいた。

言うまでもなく、それは麻里だった。

麻里は隣の裕美、藤花をまず見てから、最後に紫に視線の標準を定めた。

「さっきから何の話ー?それに嘘がどうとか…?」

と途中まで言いかけ風で言い止まると、チラチラと私、律に目を泳がせてきた。

律はどうだったかはともかく、私は視線から避けるように、私は私で紫を眺めた。

結果的にみんなの視線を集める事になったが、添えrにひるむ様子は無く、むしろイキイキとして見えた。

「ふ、ふ、ふー…それはねぇ」と意味深に”イヤラシイ”目付きをすると、向かいの麻里にそのままの視線を投げながら言った。

「ほら、麻里さぁ…二年の時に、よく私や、それに裕美とかにも聞いてきたじゃーん?」

「え?」

「ほらー…琴音と、律についてよぉ?」

と最後に、また私たちに向かって目を流してきた。

そう言われた麻里は、一瞬にして、顔自体には変化を見せなかったが、耳を赤く染めつつ…いや、やはり顔にもどこか気まずげな苦笑を浮かべつつ、口調も頼りなげに返した。

「え、あ、いや、んー…紫ー?」

と、それでも何とか反撃しなきゃと思ったのか、思いっきりジトッとした目つきをぶつけながら言った。

「なーんで、そういう事を本人達がいる前で言っちゃうかなぁ…?」

「あはははは!」と紫はまた特に何も具体的には返さずに、明るく笑い声を立てるのみだった。

「まぁまぁ麻里さぁ…」

とここで窓際に座っていた藤花が、先ほどの紫の様な態勢をとりつつ、彼女特有の無邪気な笑みを浮かべながら声をかけた。

「このままじゃ、私たちが律達二人から嘘つき呼ばわりされて終わっちゃうからさ、…はは、話してあげてよぉ」

「あはは、そうそう、おねがーい?」

と裕美もすかさず同じ笑みを浮かべながら藤花に乗っかった。

それらの追撃が決定打になったのか、

「あなた達がどう呼ばれようと構わないんだけれど、んー…もーう、そんな話を振られちゃったら、なんか話さなきゃな感じじゃないの…」

と、麻里は半ば諦めてるような笑みを一度浮かべて独り言ちると、はぁ…と一度溜め息を吐き、そしてまず視線から先に私と律に、そして後から顔も向けてきてから口を開いた。

「あ、あのね?そのー…えへへ、こんな改めて本人達前にして話すのは恥ずすぎるんだけれど…うん、まぁー…確かに、二年の時に紫達に琴音さん達の話を聞いていたのは…本当」

「へぇ…」

と、何でか自分でも不思議と他人事のように、それほど関心を示せない的なリアクションを取ってしまった。

だが、これは久々に言うと思うが、この歳になってもまだ相槌のボキャブラリーが依然として増えていなかったので、こうとしか返しようがなかった。

まぁでも、隣で無言を貫いている律よりかはマシだと、妙な自己弁護をしてみる。

そんな薄い反応しかしてこない私たち二人に対して、どう思ったか、麻里はここで少し慌てて見せながら続けて言った。

「で、でもアレだよ?別になんか疚しい事があって聞いたんじゃなくて、そのー…」

と一旦間を置いたが、ふとここでニヤッと一度何か含みのありそうな笑みを浮かべて続けた。

「私ってさぁ…先にもしかしたら紫たちに聞いてるかも知れないけれど、一昨日も安野先生が触れてたように…こう見えても新聞部だからね。それで、生徒間で密かに話題に上っている二人の事を取材したいと思っていた矢先で、たまたまというか、仲良くよく連んでいたこの三人が、琴音さん達と仲良さげにしているのを見つけてね?それでアレコレと聞いてた…まぁ、そういう事だったの」

と最後の方は、私たち二人から視線をそらし、藤花、裕美、そして紫に目配せをした。

「なんか…色々と裏で嗅ぎ回ってゴメンね?これも新聞部の宿命というかさ…」

ふーん、なるほどねぇ…

と、麻里の話を聞き終えた私は、また仕方なしというか、この場では同じ立場が律しかいなかったので、また左隣に顔を向けた。

そして、相変わらず無言、しかし苦笑気味の律と、やはり私も苦笑を向け合うのだった。

「いや、まぁ…」

…別にキチンと説明してくれたし、しかも、紫達から聞いてたよりも、それなりにしっかりとした理由だったから、別に構わないんだけれど…

「うん、そうして話してくれたのは、とても嬉しいし、よく分かったけれど…」

と斜め向かいに座る、なんだか気まずげな表情を浮かべている麻里に向かって、努めて微笑みを意識しつつ言葉を投げかけた。

それが功を奏したか、麻里は途端に自然な笑みを浮かべ始めたが、だがまだ私の中では”この一件に関してだけでも”肝心な疑問が片付いていなかった。

「でもさ、麻里ちゃん?」

「え?」

と無邪気に返す麻里に対し、私はまた一度律に目配せしてから、苦笑交じりに聞いた。

「何で私と律が、そのー…生徒の間で話題に上がっていたのかな?」

「え?えぇっと…」

と麻里がこの瞬間、紫達に視線を向け始めたが、私はこのまま咄嗟に思いついた話をする事にした。

「あ、いや、まぁ…律は分かるのよ?中一からバレーボール部でいきなりレギュラーになって、それから中二では副キャプテン、そして…今やキャプテンだもん」

と最後に律に向かってニヤケつつ言い切ると、

「ちょ、ちょっと…琴音ー?」

と律が瞬時に、ジト目を向けながら非難してきたが、口元はニンマリとしていた。

「ふふ」とそれに対しては小さく微笑み返してから、麻里に向き直り話を続けた。

「でもさ…私なんて、この学園内ではひっそりと端っこのほうで暮らしていたでしょ?まぁ…コンクールの件、それに…」

とここでチラッと藤花に視線を向けつつ続けた。

「…文化祭で悪目立ちしちゃったし」

「…」

と私が話し終えた直後は一瞬間が空いたが、次の瞬間には誰からともなく明るい笑い声が一斉に上がった。

その中には麻里も混じっていた。

裕美達は私の発言についてアレコレと口にしていたが、ふとここで、ある意味初めてというのもあるからだろうが、ふとその中で麻里が口を開くのが耳に入った私は、彼女の方に顔を向けた。

麻里の顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「あははは!いやぁ、紫達が言ってたように、琴音ちゃん、あなたってとても”面白い”人だったんだね!」

「え、あ、そう?」

と、本来だったら、初対面…ではなくとも、それでもまだ日が浅すぎる人からこう言われたら、無駄に人との間の壁が高くて硬い私からしたら、嫌悪感を覚えて不思議では無かったのだが、不思議とそれは全く感じなかった。

それはおそらく、裕美を筆頭とする彼女達が予め説明してくれての発言だったわけで、それだけ逆に言えば裕美だけではなく紫、藤花の事を、裕美と変わらないレベルまで信頼し始めている証拠なのだろう。

『…ふふ、中学三年になってやっと?』ってツッコミが聞こえてきそうだけれど。

それはともかく、私がただ何気無くそう返すと、「うん!」と麻里は力強く返した。

「えへへ、だってさぁ?琴音ちゃん、あなたってそんなお嬢様な見た目なのに、今軽く短く話してくれた発言なんか、これでもかってくらい理屈っぽくて、あまりにもイメージとチグハグなんだもん」

「そうだよねぇー?」

とここで、今まで大人しめ(?)だった裕美が後に続いた。

「黙っていればというか…ふふ、遠目で見てる限りでは、本当に”深窓の令嬢”って感じなんだけれど、いざ話してみると、理屈っぽい上に…毒吐きまくるんだもん」

「あははは!」

「何よそれー…喧嘩売ってんのー?」

と私が薄眼がちに真向かいの裕美を睨み付けると、

「えー、売らないよー。だって…面倒いもん」

と、私の言葉が冗談だと熟知している裕美が、そう言い終えた後で”可愛子ぶりっ子ポーズ”を取ったのを見た、麻里、そして律を含む他の子達は、また一斉に笑い合うのだった。

あなたも当事者でしょ…

とクスクスと上品に笑う律の横顔を眺めつつ心の中で突っ込んだが、しかし結局は私も同じように一緒になって笑うのだった。



「でもねぇ、今琴音ちゃんが言ったこともあるけれど、それだけじゃないよー?」

と、もうすっかり麻里の方でも私たちの空気感に馴染んできた様だ。それを証拠に、初めは私に対して”さん付け”だったのが、”ちゃん付け”に変化している所からも伺える。

そんなリラックスした雰囲気の中、素な自然な笑みを浮かべつつ口を開いた。

「だって、話題に上っていたのは、それ以前からだったもん」

「はぁ…そうなの」

と、今回はそう話していたという当事者が自分の口で言うので、これ以上逃げようがないと、やれやれ感だけでも醸し出そうとため息交じりに返した。

それを見た紫がニコニコしながら

「ほらね?麻里、言ったでしょー?このお姫様は、自分がこんな風に持ち上げられるのが苦手なんだって」

「あはは」

「あ、そっか…」

と紫の言葉を受けた麻里は、シュンと少しテンションを落としつつ、私に声を掛けた。

「琴音ちゃん、ごめんね?」

この手の事で改めて謝られるのが初めてだった私は、その新鮮さも相まって、「ふふ」と思わず笑みをこぼしてから、首をゆっくり横に振りつつ、しかしやはり苦笑交じりに返した。

「んーん、いいのよ…ってことは無いけれど、でももう慣れっこだわ。」

「そうだよ麻里ー?」

と、ふと裕美が隣の麻里の肩にそっと手を置いて、ワザとらしく柔らかい声音を使って、微笑交じりに言った。

「こんなの日常茶飯事なんだから、気を病むことは無いのよー?」

「…裕美、あなたはもう少し気を病みなさい」

と私がすかさず、絶対零度な声色で返すと、またここでひと笑いが起こった。麻里もすぐに明るい笑みを浮かべるのだった。

「でも本当にお姫様呼びされてるんだね?」

「…この中だけでよ?」

と私はそう返すと、ジト目でみんなを見渡しつつ続けた。

「みんな私をからかって面白がってるんだから…」

「あはは、そんな事ないよー」

「あはは、そうなんだぁ。…あ」

とここでまた、麻里は何かを思い出したようだが、それと同時にまた少し表情を曇らせた。

しかしそれは、本気でというよりも演技だというのが、この喫茶店に入ってしばらく会話していく中で、ようやく本気と演技の境が分かるようになってきていた。

「何?どうかした?」

と私が聞くと、麻里は何やら照れ臭げというのか、なんだか決まり悪そうな笑みを浮かべつつ答えた。

「あ、いやね、そのー…そもそもというか、事の発端というかね?まず二年になって、この三人と同じクラスになってさ、もうその一学期の時くらいに、琴音ちゃん、それに律ちゃん、あなた達二人の事を聞いていたんだけれど、その時にね、琴音ちゃん、あなたがみんなから”お姫様”って呼ばれているのを聞いてたの。…」

と麻里はここで、私の反応を見るが如く言葉を止めたので、急に何の話が始まったのかと思ったが、それでもやれやれとまたため息を一度分かり易く吐くと

「…ふふ、いいよ。先を続けて?」

と声を掛けた。

それを聞いた麻里は一度ニコッと笑うと、また話を続けた。

「えへへ…。あ、でね?それを聞いてさ、そのー…もう一人ね、私の友達で同じ新聞部の子がいるんだけれど…」

これだけ聞いて、すぐに、以前紫達が話していた中の、麻里以外のもう一人だというのが察せられた。

「でね、その子は記事中心で、私はどっちかって言うと、漫画専門なんだけれど…」

「えぇ、一昨日も言ったけれど、とても面白く毎回読んでいるわ」

と、なんとなく照れるだろうことを敢えて、今日の今までの流れでのお返しという訳ではないのだが、まぁそんな意識のもとに、悪戯っぽく笑いながら相槌を入れた。

案の定と言うか、狙い通り麻里はホッペを掻きつつ照れ笑いを浮かべたが、「あ、ありがとう」とお礼の言葉を返してから続けた。

「で、でね?まずどうやって琴音ちゃんと律ちゃん、あなた達二人に接触して、記事にする許しを貰おうかって話を、そのー…この三人にしてたんだけれど…」

「ふーん…」

と私はそれだけ声を漏らすと、目元は薄目で、しかし口元はニヤケつつ、向かいの二人の顔を眺めた。

「あははは…」

と、裕美と藤花、それに私の隣の紫も同様の乾いた笑いを漏らしていた。

「あはは。でもね、その時なんか色々と他に記事にする事があったりして、何だかタイミングが無くてね?結局それで一学期が終わって夏休みに入っちゃったの。…でさ、まぁ二学期に入ったら改めて取材しようって、その子と話してたんだけれど…えへへ」

と麻里は、私に一度ここで微笑み掛けてから続けた。

「二学期の始業式で、急に琴音ちゃん、あなたが壇上に上げられたのに、本当にビックリしたの。しかも、全国的に有名なピアノのコンクールで準優勝っていう結果を残したっていうんだもの!」

と、途中からヤケに麻里が熱っぽく話してきたので

「え、えぇ、まぁ…そうね」

と少し戸惑い気味に返した。

何せ、この時点であの全国大会から半年以上経っていたので、大分昔の遠い過去の様に思っていたものだったから、こうして時間差で熱っぽく、しかも褒めてくる様なニュアンスで来られたので、まぁ嬉しく思いつつも、繰り返しになるが戸惑わざるを得なかった。

そんな私の様子を照れ隠しだと受け取ったらしい麻里は、ここでニコッと一度笑ってから続けて言った。

「でね、これは取材のチャンスじゃないかって思ってね、琴音ちゃん、…えへへ、あなたには悪いけれど、これを利用しない手は無いって思ってね、早速紫達に相談しようとしていたの。…」

とここまで聞いて、ふとこの時、例の、志保ちゃんに校内放送で呼び出された時のことを思い出していた。

話では触れなかったが、あの時、私と律のいる一組でみんなと昼食を摂っていたのだが、その時の会話で、今麻里が話した様な話題が出ていた様な気がしたのだ。

まぁ簡単に触れると、『中学の部の全生徒の前で、あんな大体的に目立てば、そのうちに新聞部から取材が来るんじゃない?』ってな内容だった。

当時の私は、毎度の様にただ単純にからかわれているだけだと思い受け流していたのだが、今日こうして新聞部の中の人の話を聞くことによって、パズルのピースが全て繋がった様な気がするのだった。

結局取材されたのは、”後々”になってからだったけど。

「でも、その後もなんだかんだゴタゴタしていてさ、そうこうしているうちに…」

とここで一度溜めると、今度は私だけではなく、裕美の向こうに座る藤花に視線を一度向けてから、また何だか声に熱を徐々に込めていきつつ続けて言った。

「…そう!あの文化祭。いやぁー…文化祭前に紫達から話は聞いてたけれど、その後でしおりを見たら、後夜祭のトリに、二人の名前が出てるんだからねぇー…もう、色んな意味で驚いたのなんのって」

「あははは…」

と私と藤花は顔を見合わせて苦笑いを浮かべあった。

と同時に、私は直接には見なかったが、おそらく隣でずっと静かにしている律の顔にも、何とも言えない表情が浮かんでいるのを察するのだった。

そんな私達、律を入れた三人の心境をよそに、麻里はそのまま熱を引かせないまま話を続けた。

「で、実際にあの後夜祭での二人の演奏!もうねぇ…いや、琴音ちゃんのあの…えへへ、まさしくお姫様みたいな衣装を着てピアノを優雅に弾く姿…本当に惚れ惚れとしちゃって、”たまに”写真を撮るのを忘れかけるほどだったけれど…」

「あはは…ありがとう」

写真が云々は、この場はスルーしておいた。

何故なら、その事は今現時点では既に知っていたからだ。

「それに…藤花。あの時も、あの後で何度も言ったけれど、本当に良かったよー!私も、…いや、正直他の生徒達も、あの手の音楽についての学なんか全く無かったけれど、でもみんな感動しちゃってさ…中には泣いてる子とかもいたもん!」

「あ、え、あ、うん…ありがとぉ」

と、最後は上体をテーブルに被せる様に前傾しつつ、裕美越しに話しかけられた藤花は、これまでの付き合いの中で一番の狼狽を見せていた。

そんな様子の藤花を見て、我ながら意地悪いなと思うが、何だか微笑ましく、急に矛先が、今まで無関係っぽかった藤花に向いたというのもあって、それらを含めて微笑を浮かべた。

…これまた顔は実際には見なかったが、「ふふ…」と鼻で小さく微笑みを見せた点から見るに、おそらく律も同じ様に微笑んでいた事だろう。本当に律は藤花が好きなのだ。

と、ここまで話し終えた麻里は、ようやく自分のテンションが皆と違っているのに気づいたらしく、「えへへ…」と何だか照れ臭げに笑みをこぼすと、ギアをいくつか下げつつ、しかし笑顔は絶やさぬまま続けて話した。

「ま、まぁそれで文化祭が終わって、ようやくというかさ?…えへへ、琴音ちゃん、あなたの元に新聞部から取材が来たでしょ?」

「え…え、えぇ…」

と、取材がどうのという単語が大袈裟に聞こえてしまった私は、答え辛さを覚えつつも答えた。

…そう、当時は『始業式直後、そして文化祭直後は、何だかんだ、すぐに周囲の熱は収まった』といったように話したと思うが、話に出さなかったが、実は…そうでも無かった。

今麻里が話したように、文化祭から数日経ったある日、見知らぬ新聞部と名乗る同学年の女子から、取材というか…まぁおしゃべりをした。ここで分かるように、麻里では無かった。別の部員だった。アレコレと、文化祭だけではなく、コンクールの話も色々と質問された。その場には律がいたのだが、ただ黙って、しかし興味深そうにただ微笑んで私達のやり取りを眺めているのみだった。

因みにというか、この後で本人の口から語られるように、藤花にも新聞部が行ったようだが、その部員というのが麻里だった。

その後、一ヶ月か経ち、すっかり忘れかけていたある日の朝、ふと掲示板の周りに人集りが出来ているのを見つけた。

その大勢の中を行く気がしなかった私は、一緒にいた裕美に単独で偵察を…いや、頼む前におん自ら突っ込んで行った。

しばらくして帰ってきた裕美の顔には、ここ最近では一番のニヤケ面を浮かべていた。

そこから不穏な空気を察しはしたが、せっかく突っ込んで行ってくれたので無視するのもなんだと訳をきくと、何やらスマホを取り出し、液晶を見せてきた。

スマホごと受け取らずにただ見ると、そこには新聞部発行の新聞が出ていたのだが、構図的に上手いこと私と藤花の後夜祭での一コマを押さえた写真が、一面を占める勢いでデカデカとあったのだった。

「え…何…それ…」と、私の記憶が正しければ初めて言葉を失う感覚を味わっていたが、そんな私がお目目をパチクリしている様子を、裕美はますます愉快げにニヤニヤ見てるのだった。

と、その時、ふと多くの視線を感じたので、その方角を見ると、何と掲示板の周囲に屯っていた女子たちが、各々が顔中に好奇心を滲ませつつ、目を見開いてこちらを凝視してきていた。

それに本気で恐れ慄いた私は、無理矢理力任せに裕美の手を取って、その場を早歩きで立ち去ったのだった。

私に強引に有無を言わさず引っ張られたにも関わらず、さも楽しげな裕美の笑い声が、未だに耳の奥に反響するかのようだった。


「…とまぁ、本当は私は真っ先に琴音ちゃんの担当記者として名乗りを上げたんだけれど、でも他の部員も是非私がって名乗りを上げてね?」

「もうそれは良いって…」

と、そんな当時の事を思い出して一人力が抜けていた私の弱々しい苦笑交じりの抗議は、どうやら麻里の耳には届かなかったらしい。

「えへへ、それでまぁ…って、何でこんな事の顛末を話してるんだか、忘れちゃったけれど…」

とここまで来て今更我に返ったというのか、これまたバツが悪そうな笑みを零していたが、ハッと一度そんな表情を見せると、さっき藤花にしたように、今度は斜め向かいの私の方に前傾になりながら、まっすぐこちらに視線を飛ばしつつ聞いてきた。

「…さっき裕美だか紫だかが、深窓の令嬢って言ったけれど、そのキャッチフレーズは、さっきちょっと出したもう一人の部員の子が付けたニックネームなのね?」

「…」

「でさぁ、そのー…」

とここで一旦区切りを入れると、一度俯き、そしてすぐに勢いよく顔を上げてから口を開いた。

「琴音ちゃん、改めて…深窓の令嬢として取材を受けてくれないかな?」

「…」

とこの言葉を受けた私は、もう答えは決まっていたのにも関わらず、一度ぐるっと皆の顔を見渡した。

各々の顔は、予想したよりも静かだったが、しかしやはり口元や目元のニヤつきが抑えきれていなかった。

最後に、そんな同じような表情を見せていた律で顔を止めると、「…ふふ」と何だか思わず笑みを零しつつ、そしてその細やかな笑みを残しながら麻里の顔を直視した。

麻里の顔には期待に満ちた、キラキラした様子が隠れる事なく見えていたが、それに対して私は目をゆっくりと細めると、最大限の微笑を浮かべつつ静かに答えた。

「ふふふ…ダーメ」


「えぇー」

と直後に一斉に不満げな声があちらこちらから上がったが、そう言われた麻里は、特段残念そうにはせずに、むしろ分かってたといった様子で、明るい笑顔を見せていた。

「まぁ、急に申し込んでも無理だというのは分かってたからねぇー。でも…えへへ、諦めないよ?」



それからは、ここでようやくというか私への攻撃はやっと去り、麻里の矛先は今度は律へと向かった。

いつも落ち着きを払い切っている律だったが、私へと同じ猛攻を受けると、流石にアタフタと慌てふためきつつ防戦していた。

因みにというか、ここではもう細かくは触れないが、どうも律はある一部の学園の生徒たちに”王子様”と呼ばれているとの事だった。

まぁこれは個人的には分かる事だった。少なくとも、私をお姫様と称するよりかは、遥かに、比べ物にならない程にだ。

何せショートヘアーのスラッとした長身、宝塚の男役ばりの女にしては低めの声質などなど、王子らしさを取り上げようと思えばいくらでもある律には似つかわしいアダ名だった。

私がそんな感想をそのまま口にすると、どうも私たち旧一組以外のみんなには、既に知られた事実だったらしく、先ほどまで敵(?)だったくせに、今度は私と一緒になって律をからかうのだった。

初めのうちはアレコレと言い訳というか反撃していたのだが、私まで乗っかってからは、抵抗は無駄だと悟ったか、もうひたすらに苦笑いを浮かべるのみだった。

だが、そんな中でも、先ほどまでの私のように時折自然な微笑なども見せていた。

最後に、私へと同じように麻里が取材を申し込んでいたが、それには、私に倣ったのか、今日一番の微笑みを浮かべつつ、しかし意志強く断るのだった。


さて、まぁこれまで話してきた通り、本当は紫たちの学級委員の事だとか、それと後”もう一つの件”について、聞きたい事は他にもあったはずだったのだが、こんなわちゃわちゃとした会話ではあったが何だか満足してしまい、実は今日はただ会う約束をしただけで、この後でどこかに行く約束を特にしてはいなかったのもあって、それからは普通の女学生にありがちな…だと思うのだが、そんな雑談を別れるまでして過ごしたのだった。



「…じゃあ学級委員長、それに副委員長さん、後はお願いね?」

と安野先生が笑顔で言うと、「はい」と、既に黒板を背にして教壇前に並んで立っていた紫と麻里も笑顔で返事した。

今日は先週からちょうど一週間後の水曜日、五限目のLHRだ。

騒つくというほどではなかったが、それでも近くの人と生徒達がおしゃべりしている中、私はただ、麻里が黒板にチョークで何やら書き込でる後ろ姿をボーッと眺めていた。

と、その時、ふと紫と視線があったのだが、その瞬間、どちらからともなく何となく微笑み合うと、紫はチラッと後ろで作業していた麻里の作業が終わったのを確認して、トントンっと、先生の真似を一度して見せた。

この効果は抜群で、パブロフの犬よろしく、さっきまでおしゃべりが頻発していた教室内のザワザワが一瞬にして消え失せた。

その様子を、教室中をぐるっと見渡してから、コクっと一度頷くと、明るい笑顔と共に口調も合わせて口を開いた。

「えー…さて!皆さん、さっき先生から話があった様に、これから五月にある修学旅行のホームルームを始めまーす」

「はーい」

と次の瞬間、生徒達は紫以上のテンションを見せつつ明るく返事をした。

それを見た私は、一人ニコッと微笑むのだった。

さて、先週からの今週と、何やら例年になく忙しなさがあったが、今紫から話があった様に、然もありなんだった。

そう、今年中学三年生になった私たちには、来たる来月五月の下旬に、修学旅行を控えていたのだった。

まぁその前に、ゴールデンウィークが明けて二週間後には中間テストという誰もが避けたい”イベント”が待ち構えてはいたのだが、その直後にこの旅行が控えているというのもあって、私たちの仲良しグループだけではなく、他のクラスメイト達の間でも、既にこの時点でこの話題で持ちきりだった。

トントン。

と紫がまたもや注目させるために一度教壇を叩いた。

そして、ザワつきが冷めやらぬうちに、ニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべつつ言い放った。

「はい、では今日は取り敢えず…班決めをして頂きまーす!」

「いえーい!」

「一応ひと班の定員は、何名でも良いといえば良いみたいだけれど…」

と板書し終えた麻里も、教壇前に戻ってきて、教室を見渡しつつ続いた。

「一応最低人数は四人、最高で六人までにしてくださーい!」


「はーい!」

とクラスメイト達が元気の良い子風の返事をすると、机の動かす音、椅子の引かれる音も足されたせいで、今日一番の煩さを見せていた。

「班が決まったら、教卓の上に書き込む用紙があるから、随時取って行ってねー!」

と紫が少し声を張って投げかけていた。

私の周りの生徒達もそれぞれ既に思うところがあったのか、立ち上がって行ってしまったので、呑気に座ったままの私の周囲に人がいなくなってしまった。

そのお陰で視界が開けた先を見ると、黒板脇の前で、もともと余っていた椅子に座って、笑顔で教室を眺めていた安野先生が見えた。

…なるほど、紫達が学級委員に選ばれてからずっと、何やらしょっちゅう呼び出されているなと思っていたら、この事の打ち合わせのためだったのね

と、そんな推測を立てつつも、その姿を何となしに眺めていたのだが、ふと視線に気づいたのか、先生がこちらに顔を向けようとしたその時、ふと目の前の席に座る者がいた。

それは紫だった。まぁ…自分の席なのだから当たり前だ。そして手には紙が一枚あり、それがどうやら例の用紙のようだ。

その何テンポか遅れて、私の机のすぐ脇に麻里が立った。

その顔には、とても無邪気な、いやそれに加えて、何やら裏の考えを秘めていそうな、そんな意味ありげな微笑を浮かべていた。

まぁでも、これは別に麻里自身意図してやってる表情では無いようだ。こないだの日曜日に色々と会話した中で、まだ時間的な積み重ねは無くても、このくらいの事は察することが出来るようになっていた。

要は、麻里の生来の所謂”猫顔”が、受け手に対してそういう判断を持たせてしまっている、ただそれだけの事だった。

紫は半分ニヤケ、もう半分は他意無さげな、そんなある意味複雑な笑みを満面に浮かべていた。

「あーあっと…さて、私たちはもう決まりね!」

「え?」

と何となく惚けて見せると、「決まりー!」と背後から声が投げかけられた。

この甲高い声、聞き間違うはずが無いが、一応振り返ると、そこには藤花が、何故か胸を張って仁王立ちしていた。その後ろには、裕美と律も既に来ている。

二人とも笑顔だった。

紫だけではなく、この三人の笑顔まで見てしまったためか、一度教室をチラッと見てから私も自然に笑みをこぼして「そうね、決まりね」と皆に返すのだった。

こう返している時、頭の中で思い出していたのは、そう、あの入学して間もない頃に、麻里以外ではあるが、この場のみんなで班を作って、研修旅行と言う名の”ただの”旅行に行ったことだった。

その時も、クラスの中で一番早いくらいに班決め出来たということを、まだ覚えていたのだが、この時には話題には出なくとも、後々の雑談の中で誰からともなく、そんな話題が出たのを聞いて、私だけではなく他のみんなもそうだったんだと、ふと嬉しい気持ちに心が占められていったのを覚えている。


それからは、私と紫以外のみんなは、近くの空きの机と椅子を近くに寄せてきた。

それと同時に、私と紫もやおらに立ち上がると、机だけをまず持って、他のみんなと向かい合える様にセットした。机を三、三と並べた二列配置で落ち着いた。

座り位置も、日曜日の時に自然と決まった喫茶店の形と全く同じになった。

私もそうだが、他のみんなも別にこのことを想定していたはずは無いと思うが、それでも効率的に作業が出来た要因であるのに違いなかった。

「さてと…」

と私が座った後で声を漏らすと、スッと私の前に、右隣の紫が先程教卓上に乗せられてるのが見えた、あの用紙を回してきた。

「え?」

と私が漏らしながら顔を眺めると、紫はニヤつきながら口を開いた。

「ほら、班長!色々と書き込むの、よろしく頼みますよ?」

「…は?」

おそらくかなりのキョトン顔を晒していただろう、私の顔を見ると、ますます笑みを強めていった。

「班長…?私が…?」

と本気で戸惑いつつ周囲を見渡すと、何と他のみんな…律と麻里までが、紫と同じような笑みを浮かべて私を黙って見てきていた。

その異常な様子…としか捉えられなかった私が「わ、私…?」と自分に指をさしつつ言うと、別に裏で示し合わせたのでも無いだろうに、一斉に皆してコクっと頷くのだった。

「い、いやいやいやいや!」

と私はここで一気に自分の立場の危うさに気づき、顔の前で忙しなく手を何度も振りながら言った。

「な、なーんで私が班長なのが既定路線みたいになってるのよー?」

「えぇー?」

と、何だかテンポ良く、裕美、藤花が同時に合いの手を入れてきた。

相変わらずニヤケっぱなしの二人の顔から逃げるが如く、左隣で普段通り大人しくしている律を見たが、律は律で、机に肘をつき、顎を手に乗せつつこちらを眺めてきていたが、律なりのニヤケ面をただ浮かべるのみだった。

「ちょ、ちょっと…」

と、最後に斜め向かいの麻里と目があったが、麻里は麻里で悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだが、次の瞬間、眉毛の二つを一方は上げて、もう一方は下げるという、中々に器用な表情を作り出した。まぁ何というか、やれやれと言いたげな表情だったのだが、やれやれと言いたいのは私の方だった。

と、このやり取りが終わったその時「あははは!」と右隣から明るい笑い声が聞こえてきた。

そちらを向くと、紫が明るく笑っていたが、今度はそのままの笑みのまま、私の肩をポンポンと叩きつつ口を開いた。

「あー、いやぁ…やっぱ断られたかぁ…ね?」

と顔は私に向けたまま、視線を横に流すと、

「あはは、うん」

とすぐに麻里が応えた。

「断られちゃったねぇ」

「…”やっぱ”?」

と、私からしたら当然、紫のこの言葉に引っかかり、その理由について聞こうとしたのだが、紫の言葉に遮られてしまった。

「でもなぁー…このグループの中のリーダーは…琴音なのに…」

「…は?」

「ねぇー」

と私がまた呆れ声を漏らしたのも束の間、真っ先に藤花が暢気な声を上げつつ同意の意を示した。

それがきっかけとなって、またもや律と麻里も混じりつつ、皆して一緒に乗っかるのを見て、ますます何でこんな流れになっているのかと、ただ一人取り残された気持ちになるのだった。

「り、リーダー…?私が…?…なんでよー?」

と、肩にずっと乗せられていた紫の手を払いつつ、ここにきて初めて、不満げな声を上げて、ふと、日曜日にやり残していた宿題があったのを思い出し、これを機会にと解決の流れに持って行こうと画策することにした。

「そもそもさぁ…紫、こないだから私に一々色々と意見を求めてきていたけれど、それはどんな訳だったの?」

と私が、まだ笑みの残る場の中で聞くと、紫は一瞬「え?」と実際に口に出しながら驚いて見せたが、しかしすぐにニヤッと表情を戻して口を開いた。

「いやいや、別に前から変わらないと思うけど…ね、麻里、このお姫様はこんな風に全く自覚がないでしょ?」

「えへへ、そうだね」

「もーう…それは良いから」

とわざと膨れっ面を見せつけると、「あはは」ともう一度笑ってから続けた。

「いやねー、何だか周りから私たちの事を見るとね?どうも…このグループのリーダーが琴音っていう風に見られているようなのよー」

「…へ?」

これまたどこからそんな話を聞いてきたのか、もしくはまたからかいたいが為にそんなデタラメを言っているのか、私は表面上『また出たよ…』てな調子で顔を顰めて見せたが、しかし…何だか邪気の無い笑みを浮かべてこちらを見てきている麻里の方をチラッと見つつ、もしかしたら思いつきの妄想ではないかも知れないと思ったのと同時に、むしろそれによって憂鬱加減が増していくのだった。

「…誰がまたそんな事を言ってたのよー?」

と、それでも、これ以上余計なイメージを付けられまいと、何とか抗うことにした。

「私は別に何かを率先して目立つような事はしてこなかったでしょ?その…まぁ最近、去年なんかは少し悪目立ちしちゃったようだけれど…」

と、ここでチラッと藤花を見つつ、去年の一連の流れを思い返していた。例の新聞もだ。

「あはは!悪目立ちね」

と麻里が明るく笑う中、私は続けた。

「それにさ…みんなで行動する時だって、大体私なんかは後から、後ろからついて行く感じじゃない?…律と一緒に」

とここで律の方にも視線を配った。

律の顔には、まるで我が子を優しく見守るような、そんな慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいて、それが何だか居心地が悪かった。

とその時「ふふ」と笑ったかと思うと、裕美がニヤケながら諭すような口調で話しかけてきた。

「琴音…アンタがいくら理屈を積み上げて言い逃れしようたってね、アンタの気持ちとは別に、他のみんなはそう見ちゃってるって事実は変わらないんだから、そこは受け入れなきゃ!」

「そうそう!」

と裕美の言葉の直後で、途端に紫と藤花が賛意を示した。麻里と律はただ微笑んでいる。

「はぁ…何でこんな事に」

と、とうとう成す術なしと肩を竦めて…いや、同時に撫で肩になるほどに肩を落としつつ薄目がちでボヤくと、ここでまた他の四人が明るく笑い合うのだった。

「まぁ…」

と笑いもひと段落がついたその時、紫が机に肘をつきニヤケながらも、口調は優しげに私に言った。

「だからさ、ふふ、二年の時は良く麻里とは一緒にいたんだけれど、こうして三年になって、このグループで一緒に過ごすのは初めてだったじゃない?だからね、この子のイメージを壊さない為にも、まぁ…あなたに一々お伺いを立ててたってワケ!」

と最後に満面の笑みを付け加えたので、何だかそれを見て毒気が少し抜けてしまった私は

「…どんなワケなの、それは…?」

とボソッと言いつつも、しかめ面を保てずにニヤケつつ返した。

その直後にチラッと麻里を見たのだが、紫に日曜日の時のようにバラされてしまった事で、また何だか居心地悪さげな苦笑を漏らしていたのだが、それでも徐々に自然な笑みへと変化させていきつつ、おもむろに口を開いた。

「まぁ…そのね、琴音ちゃん、今の話もさ…実は私が発端なところが、そのー…無きにしも非ずって感じもある感じかも…」

と麻里が、不意に口を開いたかと思えば、何だか妙に勿体ぶって見せて、その挙句に、このように日本語になってない様な、フワフワとしたことを述べ始めたので、私は「ふふ」とその様子に折れた形で、笑みを浮かべつつ声を掛けた。

「ふふ、麻里ちゃんさぁ…それって、何が言いたいの?」

「あ、うん…えへへ」

と、なかなかに特徴のある特有の笑みを一度零してから、今度は普通の笑みを浮かべつつ応えた。

「あのね、いやぁ、なんて言うかさ、中二の頃ね、紫たち三人とよく連んでいて今があるんだけど、放課後とか休日にどこか遊ぶ予定を立てたり、私から誘ったりする度にね?…」

とここで一度切ると、麻里は藤花、裕美、そして最後に紫に顔を向けてから続けて言った。

「…えへへ、何かにつけてさ、この三人が言ってたんだよ。『じゃあまず琴音に聞かなくちゃ』ってね」

「…へ?」

と、これまた青天の霹靂…と言うと大袈裟すぎるが、しかし今初めて聞いた話だったので、それなりに驚き、そして呆れ返りつつ、麻里と同じ様に三人に視線を配った。勿論、ジト目でだ。

「あなた達…私に知らないところで、何を変なことを言ってるのー?」

と非難風に聞いたつもりだったが、受けた三人は顔を一度見合わせると、まるで何の裏も無いかの如くに、無邪気そうな笑みを浮かべて、それを私に見せつけてくるのだった。

「だってぇ」

「ねー?」

「ほら琴音…」

藤花、裕美がじゃれあう中、ふとまた紫が私の肩にポンっと手を置くと、何やら母親ができの悪い子供を教え諭す様な、そんな憐れみの含まれた視線を私に向けてきつつ、口調も穏やかに言った。

「あなたってさぁ…ほら、お姫様でしょ?だからさ…変に私たちが勝手な行動をして、お姫様が拗ねたら大変…面倒いし」

と最後の方でボソッとソッポを向いて呟くので、セリフ全部にツッコミどころがあったのだが、「ちょっとー?聞こえてるわよ?」と喫緊のものに突っ込んでおいた。

だが、分かっていた事だが何の効果もなく、紫はポンポンと今度は何度か叩いた後、私の肩から手を引いて、明るい笑顔を振りまきつつ言った。

「だからね、それで麻里だけに限らないけど、ついついそうやって言ってたんだよ」

「いやいや…『だから…』の意味が分からんし。そもそも今のあなたの発言で、理解出来た点が一つも無いんだけど…」

とあまりにも呆れたせいで、むしろ乾いた笑みを零しつつ続けて言った。

「そもそもさ、いつから私がそんなキャラになってた訳ー?」

と一応まとめて突っ込むつもりで言ってみたが、やはり効果は全くなかった様で、そんな私の言葉と様子を見た、律を含めた他の五人で顔を合わせて笑みを零すのだった。

それを見て、これ以上頑張れば頑張るほど普段の流れが続くだけだと知っていたので、「まったく…」と私が笑みをこぼしつつボヤくのを見て、紫は一度パンッと場の空気を入れ替えるように両手を打ち、口を開いた。

「…ふふ、これ以上お姫様をイジメても仕方ないから、ここはまぁ私たちが大人になって引いてあげよう!」

「あはは、ひとまずはね」

「そうだね、こっちが大人になってあげよう」

と、藤花と裕美がニヤケ面で続いたので、

「あなた達…全く、好き勝手な事をさっきから言ってくれちゃって…」

と、先ほどまでと変わらないイジけた風の表情でまたボヤくと、ここでまた皆で顔を見合わせて笑い合っていた。さっきからずっと笑って誤魔化されてる感は否めなかったが、そう思いつつも結局は私自身もそれにつられて一緒に交じるのだった。


それからは、結局この六人の中で簡単に民主的に話し合った結果、班長は紫に決まった。

いつも通りというか、この手の事では毎度の事で、一年生の時の研修旅行の時も、班長が紫だった。

こんな風で、初めのうちは全く修学旅行と関係ない話をダラダラとしていたのだが、それでもクラスの中ではこれでも一番に今日の話し合い分が決まり、例の用紙は紫が書いて先生に提出されたのだった。

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