第6話 (挿話)現政権与党内のとある政治グループでの講演:義一 後編
「…というわけで、本日は望月義一先生にお越し頂きました。先ほども触れました通り、私と望月さんとは、先ほども紹介しました神谷先生を通して彼此二十年近くの付き合いになります。それをこうしてようやくと言いますか、国会までお越し頂くことになった事は、個人につきましては感慨深いのですが…あはは」
と、安田は苦笑いを浮かべる義一に気付き、一度微笑んでから先を続けた。
「今日は今我々の中でも最重要問題であるFTAについての講演を頂くわけですが、先生はそれだけではなく、経済全般、いや、もっと幅広い知見を持っていらっしゃるので、その多面的な見方もお披露目して頂くことをお願いしつつ、私の挨拶を終えさせて頂きます。では望月先生…よろしくおねがします」
と腰を下ろしつつマイクを義一に渡した。
義一は面と向かって、大勢、しかも現職の議員を前にして褒められてしまったので、最大限の照れと苦笑を織り交ぜた笑みを顔面中に浮かべつつ、ゆったりとした動作で腰を上げた。
因みにというか、この笑顔が動画のサムネイルだというのにこの時気づいた。
「えー…ふふ、只今ご紹介預かりました…いや、お褒めに預かりました、望月義一と申します。えぇー…ふふ、安田議員から”先生呼び”されるのは面映ゆい事この上ないのですが」
「あはは」
とすかさず隣の安田が笑みを零した。
「それでもこの場では、先生呼びが通例のようなので、私のような別に実際先生をしてるような大層な人間では無いのですが、まぁお言葉に甘えることとします」
「あはは…」
…ふふ、もーう、そんな場でまで卑屈にならなくても良いのに…。他の議員さん達も、反応に困って苦笑いしてるじゃない
「えぇっと、では早速、着座の上でお話をさせて頂きたく存じます…」
と断りを入れつつ、ゆっくりと腰を落とした。
この時、初めて義一が自分の事を”私”と称しているのを聞いて、とても新鮮さを覚えていた。
ここからは画面に義一一人が映る構図となった。
義一はマイクを手に話し始めたが、いきなり照れ笑いからだった。
「えぇー…ふふ、今安田先生から言って頂いたので、話しやすいのですが、今日は話題のFTAについてということでしたが、仮にこのFTAを阻止出来たとしても、んー…今日ここにお集まりの議員の皆さんは違うのでしょうが、その他大多数の頭の思考が変わらないのなら、今後同じ話が湧いた時に、また流されないとも限らないので、今日は基本的、根本的な話を中心に話そうと思います」
ウンウン
私は一人パソコンの前で頷きつつ、早速手元にノートを準備した。
「えー…私はですね、確かにそのー…ふふ、与党の皆さん方が前のめりに推進しようとしているFTA交渉についての批判本を書いたんですが」
「あははは」
ふふ
「今申し上げました通り、実際はこのFTAというのは、今日本が抱える問題からしたら下も下なのでありまして、それよりも比べ物にならない程に大事なのは、日本が過去二十年以上、デフレを放置してきた事こそが大問題なんですね。なので、えぇっと…先ほど安田先生に聞きました所、私以降も、たけ…あ、中山さんだとか、島谷さんなどもこちらの勉強会に出られるとの事なので、繰り返しになりますが、私からは今日は、大局的と申しますか、私自身経済学者ではないのですが、その学者達が如何に過去数十年に渡り、日本経済に多大なる悪影響を与えてきたのか、その事も含めて話したいと思います」
へぇー、武史さん達も講演するんだ。じゃあその回も見なきゃだなぁ
「えぇっと…はい、皆さん方に恐らく私が作ってきたレジュメが配られていると思いますので、それを元にでは早速始めたいと思います」
…ふふ、仕方ないとはいえレジュメを作ってくるなんて、義一さんも何だかんだでマメだなぁ
「えぇー…いきなり手前味噌で恐縮ですが、以降に出られる中山さんなど、私どもが発刊しています雑誌、オーソドックスに集う面々なのですが、我々はデフレというものを酷く深刻に捉えているのですが、その中で消費税増税とか緊縮財政とか、デフレを深刻化させる政策が推し進められてきた、そしてこれからも進められようとしていることに対して、大変懸念を持っています。これはマスメディアもそうですし、恐らく官僚の方々もですね、もしかしたらデフレの恐ろしさを知らないんじゃないかと思いまして、これまた自己宣伝のようで恐縮ですが…」
とここで義一は、ふとテーブルの上から一枚のプリントを取り出し、表をカメラに向けた。
そこには『国力・経済論』と題の書かれた本の写真が載っていた。その下には小さく義一の名前も入っていた。
義一は照れ笑いを浮かべながらも口を開いた。
「これは…恐らく六月だかに発売予定なのですが、ここで書いた内容も含めて今日お話ししたいと思います」
へぇ…って、もうまた新しい本を出すんだ…。義一さん、身体大丈夫かな…
と、そんな宣伝を聞いたせいか、当たり前と言えば当たり前だが、気持ち目の周りの隈が広がっているように見える義一の顔を、少し心配な面持ちで眺めるのだった。
当の本人は、一度ニコッと笑ってからプリントを元に戻したが、その直後、マイクを持っていないのでハッキリとは聞こえなかったが、隣の安藤が「その本も是非我々の勉強会グループで共有したいと思います」と言った後、「あははは」と画面脇で笑い声が聞こえた。
この笑いを聞いて、私は若干イラっとしたのだが、義一はそれを受けて愛想笑いを浮かべた後、話を続けた。
「えぇっとですね…まぁこの本ではデフレや経済の長期停滞の原因などについて大まかですが触れているんですが、この題に出ています”国力”、そう、国の力ってそのままの意味ですが、言うまでもなく経済力というのは大きなパーセンテージを占めているんですね。二十世紀前半で国際政治に多大な影響を与えた、ハンス・モーゲンソーなどは、国家には三つの要素があると言いました。それは…経済力、軍事力、そして…価値観です。戦後日本というのは、敗戦してからというものの、軍事は自国の領土の一部を差し出すという形も含めてアメリカに依存し、そしてこの価値観というものも、これは恐らく言うといわゆる右翼から袋叩きにあうのでしょうが、価値観もアメリカ的な自由、人権などの内容空疎で薄っぺらなものに自ら擦り寄っていった結果、その日本独自の価値観もほんのごく僅かを残して死に絶えた状態です。というわけで、戦後唯一国家の要素として存続してきたのは、経済力ただ一つでした。ですが、その経済力も二十年以上のデフレのせいですっかり失われてしまっているんですね。えー…っと、一ページ目に出ているグラフをご覧下さい」
と義一が言い終えた瞬間、画面一杯にある棒線グラフが出てきた。
「これはですね…世界の統計っていうまんまの名前から引っ張ってきたグラフでして、そこに出ていますように、WTOやOECDに関連する、先進国から途上国まで含めた百何十カ国もの国々の、過去二十年間の経済成長率ランキングです。えぇっと…これで見ますと、過去二十年で最も成長した国は、中東のカタールですね。1968パーセント、それほどまでに経済が成長したということです。次は中国。まぁ…中国の統計は眉唾だという人もいますが、それは置いといて、中国は1414パーセントと出ています。これを見れば、確かに日本が抜かれても仕方ありませんよね?でー…ですね、三位にナイジェリア、ベトナムなどなど、いわゆる途上国が上位を占めるわけです…。で、世界平均もこのグラフに入っているのですが、見ての通り、139パーセントと出ています。そのすぐ後ろにアメリカの1.37、8パーセント、この後くらいからG7の所謂先進国が続くわけですが…さて、果たして日本はどこにいるのでしょう?」
んー…あ
と私が見つけたその直後、一度溜めた義一の声がボソッと聞こえた。
「日本は…ここ、一番最下位です」
義一はそうため息交じりにボソッと言うと、ここからは静かな苛立ちを滲ませつつ続けて言った。
「…しかも見てください、成長率を…なんと、過去二十年の日本の経済成長率は”マイナス”20パーセントです」
「わぁ…」
との溜息をマイクが拾っていたが、溜息吐きたいのはこっちだった。
誰のせいなのよ…なんで議員が他人事なの?
「マイナスですよ?ワースト二位は、これで見るとドイツな訳ですが、そのドイツですら30パーセント、1.3倍成長しているというのに、我らが日本は成長するどころか、20パーセントマイナスに触れています。こんな国は世界広しといえども、この日本だけです」
とここでグラフの画面から、義一一人の画面へと戻った。
「これ見てですね…今までの過去の過ちを認めず、むしろ何も感じない様な政治家がいたら、私が言うのもなんですが、そんな人に政治家でいて欲しくないですよ」
と義一が静かにだったが、普段は薄眼がちでアンニュイな印象を周りに与えているのが、この時ばかりは目を力強く見開き、そして一同を見渡す様に視線を流していた。
辺りはシーンと静まり返っていた。普段あまり怒らない、怒らなそうな人が、しかもこうして感情的にではなく、あくまで理性的に静かに怒りを露わにされた時ほど、怖いものはないだろう。
そう触れた後でこれを言うのは何だが、私自身は怖さなどは一切覚えず、ただ単純に義一の一言一句に心底納得するだけだった。心は今見ている動画の様に静かだった。
と、ある程度間を空けた義一は、ここで一呼吸置くように用意された水を一口飲んでから続けて言った。
「とまぁ、ここからも分かるようにですね、日本は過去二十年もの間、マトモな経済政策を何一つとしてやってこなかった結果が、このザマな訳です。何も日本以外の国々の国民が、日本人よりも勤勉に働き、逆に日本人が怠けていたってことでの結果では当然ありません。まぁ…個人的な意見を言えば、日本も民主主義の国ですから、こんな経済政策の誤りを延々と続けるような国会議員を選挙で選び続けた、日本国民も当然責任はあるわけです。昔、十九世紀に活躍した、イギリスの文芸批評家にして保守思想家のトーマス・カーライルが名言を残しています。『この国民にしてこの政府あり』」
「あはは…」
と他の議員たちは苦笑いを漏らした。
…ほんと、その通りよ
「まぁ要は、その国民の民度以上の政府というのはあり得ないということです。まぁ、それはそうですよね?特に一般国民が投票する民主主義などは尚更です。まぁ尤も、実はカーライル自身の言葉ではなく、元ネタは同時代のとある修道士の言葉だと言います。それはこうです。『国民は、自分達と同程度の政府しか持てない』」
「…」
と議員たちが沈黙する中、今まで義一が触れたカーライルの言葉は、以前に宝箱で直接聞いたことのある話だったので、私は義一の所作を眺めていた。
義一の顔には冷静さが支配していたが、目の奥には強い意志を思わせるような光が見えるようで、普段私に時折見せる、”先生モード”にすっかり切り替わっているのが分かった。
と、同時に、この時、ふと我知らずにクスッと笑ってしまったのだった。
…ふふ、もーう義一さんたら…相変わらずなんだから。それも国会議員を目の前にして堂々と言うなんて…
とここで義一は表情を若干緩めると、口調も気持ち明るめに続きを話した。
「えー…さて、イントロダクションとして、今の日本の惨状を皆さんと共有出来たのですが、それに加える形で話を進めたいと思います。
先ほど紹介しました、私の新著ですね、あの本の副題は『レジュームチェンジ』としました。直訳すれば体制変革とでもなると思いますが、これはですね、過去繰り返されてきた構造改革などという悪政とは全く違っていてですね、どちらかというと、一番初めに申しました通り、そもそもの根本の、物の考え方を治さないとダメだと、捻れてしまった思考回路をマトモにする為に、そのためのレジュームチェンジをしたいと、そういった想いで付けました。皆さんもご存知の通り、本の題名は出版社が主に決めるのですが、この副題だけは、私の強い要望で付けさせて頂きました」
なるほど…
「えー…さて、日本は九十八年あたりからデフレになってしまったのですが、下手にですね、日本人はデフレ慣れをしてしまって、なんか低成長は仕方ないとか、成熟社会なんだから仕方ないだとか、少子高齢化だから仕方ないだとかと言いたがる方々が多いんですが、まずですね、初めにお見せしたグラフからも分かる様に、どの先進国も鈍いながらも成長しています。少子化は日本だけではなく、どの先進国でも悩んでいますが、それでも成長しています…と。なので、そんな話よりもですね、もっと大事なことは、戦後でですね、デフレになった国は、少なくともG7の中では日本だけです。もちろん低成長や不況はこの間もどの国でも経験しているのですがデフレだけは日本だけなんですね。がしかし、2000年代後半に起きた、100年に一度の金融危機のせいで、世界中でもその余波はいまだに消えずに、どの国もデフレ下の恐れに悩まされています。で、日本ですが、ただでさえデフレ”では”先進国なのに」
「あはは」
…ふふ
「要は二重の圧力を受けているわけです。…ふふ、しかもその一つは自ら自分に圧力を掛けてです。
えぇっとですね、過去の世界恐慌、1929年のニューヨーク株式市場の株価が暴落して、当時もデフレ化しますが、物価上昇に転じたのは四年後でして、かの有名なニューディール政策を執行し、デフレを脱却したのは四年後なんです」
「ほぉ…」
「しかしですよ?日本という国は、デフレに関して言いますと、約十五年以上もデフレから脱却出来ていません。これは…私はそこまでまだ調べてはいませんが、おそらくですねぇ…人類史上、ここまでデフレを放置し続けた国家というのは無かったと思います」
「…」
「でですね、日本以外の世界各国というのは、二十世紀の恐慌はもう嫌だと、デフレだけはもう嫌だというので、戦後なんとか阻止しようとアレコレと政策をしてきたわけです。
まぁそんな中でですね…未だに総理も含めて、デフレ化だというのに消費税を上げるとまだ抗弁しているわけです。デフレを理由に消費税を上げないとしたら、いつまで経っても上げられないじゃないかと言う政治家からなにからいらっしゃるんですが、何度も申し上げました通り、そもそも何十年もデフレを続けている方がよっぽど”イかれている”のでありまして…」
「あはは…」
ふふふ
「まずそこを大いに恥じて反省して頂きたいと思います。
さて、ここでますデフレとは何かという根本的な事ですね、確認のためも含めて話したいと思います。デフレというのは物価が下落することです。物価の下落というのは、需要と供給のうち、需要の不足、供給の過剰、この差分をデフレギャップという訳ですが、需要に対して供給が過剰だから物価が下がる…物価が下がるというのは、一見いい事のように聞こえますが、物価が下がるという事は、当然給料も下がるという事です。当然ですよね?物価が下がれば売り上げ額も下がるわけで、そしたら企業は当然給料も減らさざるをえません。
えぇ…あ、少し脇道に逸れますが、今総理が先頭に立って、企業に向かって給料を上げるように、ベースアップを求めていますが、それはあまりというか、全く無意味だと思います。何故なら、今確認しましたように、デフレ下の日本において、給料をあげようと考える企業なんぞ無いわけです。そんな変な頼み事をするくらいなら、さっさと今みたいに世界的に恥ずかしいデフレの状況からとっとと脱却してくださいって事です」
ウンウン
「えー…話を戻しまして、物価が下がるという事は、お金の価値が上がるという事です。お金の価値が上がるというならば、将来に向けて持っといた方が得なわけで、個人の消費や企業が投資するのは馬鹿だという考えになります。これは非常に合理的な考えなわけです。従って、誰も消費も投資もしないわけですが、それにより需要はますます低くなり、デフレギャップがもっと広がって行きデフレが悪化する、この悪循環をデフレスパイラルと言います。でですね、企業は投資せずに銀行にお金をどんどん預けていくわけです。企業の内部留保が毎年毎年過去最高を更新しているというニュースが出ているのは、ご案内の通りだと思います。しかし、銀行も営利企業ですので、儲けなくてはいけないのですが、どの企業もお金を借りるどころか預けてくる、仕方なく銀行は国債をそのジャブジャブのお金を使ってドンドン買うので、国債の金利も下がる一方ってわけです。
さて、ここでもっと根本な点に触れたいと思います。資本主義についてです。資本というのは事業活動の元手ですから、これは投資だとか融資の事なんですね。ところがデフレというのは今まで申し上げてきたように、投資も融資も行われない状態な訳でして、つまりデフレ下にある国家というのは、資本主義では無いってことなんです」
「あぁー…」
なるほど…
と、私も、カーライルの話が出た後くらいから、ずっとノートを取りっぱなしだった。
義一だけではないが、まぁ義一に限っていっても、本人が何かにつけて口にするように、経済学というのを忌み嫌っているので、まず私との会話でこのような内容は、ゼロとは言わないまでも無いに等しかった。
そんな大嫌いな学問のジャンルですら、ここまで話せる義一に対して、改めて尊敬の情が湧くのと同時に、なんだか微笑ましい心持ちにもなるのだった。
「この点でも、ですから戦後、特に自由陣営と呼ばれた国々ですね、ソ連率いる社会主義陣営に対するという、その国々は社会主義に対応する意味もあって、資本主義を守るというと言い過ぎですが、それを保とうとする意味もあって、資本主義で無くなるデフレを恐れていたわけです。資本主義というのは、マイルドな、2パーセント程のインフレ率を目指す、このような共通認識が生まれました。
えぇー…さて、デフレをどう脱却したらいいでしょう?まぁこれ自体はとても簡単に言えます。今まで話してきたのを改めれば良いわけです。つまり、あまりに広がってしまったデフレギャップを埋めればいいんです。供給過剰な経済を、需要が伸びるように変えていけば良いわけです。需要を刺激してあげれば物価は上がります。物価が上がり始めると、お金の価値が下がっていくので、今度は投資や融資をしなければ損だとまた合理的に行動しだします」
とここまで話すと、区切りのつもりなのか、義一は一度また水を一口飲み、続けた。
「…さて、今さっき私はデフレ脱却の方法自体は簡単だと申し上げました。…申し上げましたが、今話した中で一つ、重要、大変に重要な話を敢えて抜いて話したので、今ここで付け加えたいと思います。というのもですね、何度も触れてきましたように、デフレというのは誰も消費も投資もしない状態な訳ですが、そんな経済体制の中で、誰が果たして需要を喚起するような消費、投資などをするでしょうか?…するはずがありません。何故なら、個人にしても企業にしても、”この点に限って言えば”と留意を付けてですが、経済合理的に行動するので、デフレ下でそんな不合理な行動は絶対にしません。ただ損するのが目に見えてるからです。…さて、では誰が需要を喚起できるのでしょう?物価が下がる一方なのに、その中でお金を進んで使える、もしくは進んで使おうとしなくてはいけない大馬鹿者が必要になってくる訳です」
とここで義一は一度区切ってから続けて言った。
「その大馬鹿者な経済主体の事を…政府と言います。つまり政府が経済合理性を無視して、デフレギャップを埋めない限り、絶対にデフレから脱却出来ないという事実が、こうして明らかになる訳です」
ウンウン…
「この政府支出は、色々とある訳ですが、その中の有名なものでは、公共事業がある訳です。…ふふ、過去十年以上、ここにいる皆さんはどうかは知りませんが、構造改革の名の下に、公共事業を目の敵にして、政治家、マスメディア、そして国民も含めて総バッシングを浴びせかけたアレです」
「あはは…」
…ふふ
「ここで慌てて付け加えさえて頂きますが、何も公共事業を弁護したくて言ってるのではありません。まぁ…こう言った事で、土建屋さんか誰かが私にお金をくれるのであれば、喜んで受け取りますが、まぁ…私みたいな無名にして何処の馬の骨とも分からない怪しい人間には、なんの効果もないとくれないでしょうが…」
「あはは!」
あははは
私と同じと言ってはなんだが、基本的にお金の絡む話を口にする事自体を避けるタイプの義一が、わざわざそう冗談を言ったので、個人的にはそのギャップで他の人よりも一人ウケていた。
「えぇっと…ふふ、で、ですね、今話す限りでは無いですが、簡単に一例を話せば、公共事業をする事で、それに参加する人々にお金が渡り、当然その人々は国内で買い物したりと消費に回すはずで、公共事業に直接に携わっていない人々にもお金が回っていき、それが日本全国に広がっていく、そんな単純なイメージを、そのー…この動画をご覧の皆さんは持たれたら良いと思います」
と途中からカメラ目線で話していた。顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「『お金は天下の回りもの』とは昔から言われていますが、かなり的を得た金言ですね。えぇー…さて、話を戻すと、デフレ下においての政策としての公共事業を言えば、デフレの間はそうして需要を喚起して、もしそれでインフレになったら、徐々に減らしていけば良いだけの話です。で、ですね…私がこういう事を言うと、必ずと言っていいほどこのような反論が来ると思いますので、予め答えておこうと思います。『インフレになったら止めればいいって言うけれど、もしそれで止めれなくて、そのままハイパーインフレになってしまったら、どうするんだ?』という意見です。まずですねぇ…ふふ、誰がハイパーインフレになるまで需要を刺激しろって言ってるんだ、落ち着いてくれ」
「あははは!」
あははは
「ハイパーインフレというのは、有名なところでは第一次大戦後のドイツがありますが、要はハイパーインフレというのはインフレ率が13000パーセントの状態の事を言います。…ふふ、そもそもですね、インフレ率がマイナスを維持してる、そんなデフレ状況で悩んでいる時にですね、そんな天文学的な数字のハイパーインフレを危ぶんでいるのが”イかれてる”んですね」
あははは、また言ってる
「ふふふふ」
「これはですねぇ…栄養失調で骨と皮になってしまった様な状態の人にですね、何か食べなきゃいけないと食べ物を施した時に、「いやいや…それを食べて、もしも肥満になってしまったらどうしよう…』って悩んでいるくらいに馬鹿馬鹿しい話なんですね」
「あははは!」
「えぇっと、あまりふざけすぎてもアレなので…ふふ、話を戻します。で、ですね、公共事業は無駄ばかりだと散々言われ続けてきました。周知の通りですね。その根拠の一つが事業費だったりするのですが、これも議員さんだけではなく、国民もここで変だと常識的に考えて思わなければいけないんです。まぁここ数年間を見れば分かる通り、地震、それに伴う津波、大豪雨などなど、自然災害によって沢山の人命がなくなったりと、ありとあらゆる面で大打撃を受けてきた訳ですが、それらを見ても分かる通り、わが国というのは、G7の中でも際立って自然災害の起きる国だという事実です。そんな日本とですね、他の災害の少ない国々と比べて、公共事業費が日本が高いって騒ぐ、これも本当に馬鹿馬鹿しい事この上ないことです。だって、自然災害大国が、それに対応するために、事業費を大量に使って対策するのは当たり前ですよね?」
この辺りから、また義一の顔に静かだが熱い憤りが滲み出していた。
「日本はその点で、他の国よりもお金が掛かるのは当たり前なんです。んー…こないだですね、皆さんではなく、他の経済諮問会議とかいう選挙に選ばれたわけでも無いくせに、偉そうに政権与党に対して”助言”を宣う機関がありますが…」
あまりに苦々しげにいうので、また一人吹き出してしまった。
「そのメンバーの一人で、東大の経済学部名誉教授という肩書きをお持ちの…敢えて名前は伏せますが」
「あはは…」
「こんな発言をしているのを見つけました。『今このように自然災害が増えてきてるというので、公共事業に対する風当たりが弱まってきて、関心が高まってきている。確かに私も対策を講じた方が良いと思うが、日本は財政にも問題を抱えており、果たしてますます財政を悪化させてまでも、どこまでやれるのだろうか…』的な発言でした。表面上は理解を示している風ですが、結局この大先生が仰りたいのは、『災害対策は必要だけれど、何も財政を悪化させてまでやる必要はないだろ?』って事です。つまりこの方は…『財政のことがあるから、災害が起きて国民が何人死のうとも、そんなの大した問題じゃない』とズバッと言ってのけたんです」
「…」
はぁ…そんな人品骨柄の卑しい人間が、国内最高学府の名誉教授なのか…
「そもそもですね、今の日本に財政問題など一切無いというのが、我々グループの認識なのですが、その話をしだすと益々話が逸れてしまうので…」
とここで義一は話を止めると、隣の安田に視線を流した。向けられた安田は安田で、微笑みを浮かべつつ耳元でコソコソと何かを返していたが、それを受けた義一は、なんだか照れ臭そうに笑いつつ、それから発言を続けた。
「まぁまた何か機会がありましたら、そのことについても詳しく触れたいと思いますが、もし仮に財政問題があるとしても、国民の命、財産に関わる話な訳です。他の国でしたら、他国に借金をしてでも対策なり何なりを打つもんですが、それを日本国、日本政府は渋っています。
…さて、これ以上脱線するわけにもいきませんので、話を戻します。んー…ちょっと、元もこうもない発言をさせて頂くと、私はですね、公共事業が無駄か無駄じゃないかどうかとか、公共事業をすることによって国民の所得が増える、いわゆる乗数効果ですね、私が話してきたような事です、その効果は今は低いんだとか何だとかって反論もあったりするんですが、それを置いとくとして、そもそもデフレを脱却するためには、需要を喚起しなくてはいけない訳で、それをするのは民間では不可能だから、政府に頑張れって言ってるだけなんです。デフレギャップを埋められるなら、何も公共投資だけでなくても良いんです。ただ、今は、自然災害も頻発していますし、首都直下地震もいつ起きるか分からないといった話しも出てる訳でして、だったら、今やるべき公共投資が山のようにあるのだから、それをしたらどうですか?というのが、単純ですが私の意見です」
ウンウン
「敢えて極論を言えば、デフレ期に置いては、無駄な公共事業を削減するよりも、もちろん無駄を推奨している訳ではありませんが、無駄な公共事業をする方がメリットが断然多い訳です」
義一はここでまた一呼吸置いてから、話を続けた。
「さて、ここで少し包括的にといいますか、インフレのことも絡めつつ話したいと思います。えぇっと…確認のために繰り返しますと、今のデフレから脱却するためには、需要を増やして供給を抑制するという政策が必要な訳です。
インフレ対策は逆で、需要を抑制して供給を増やすという政策になります。需要を抑制する為には、公共事業などの政府支出を減らし、公務員の雇用なども抑制し、消費や投資への熱を冷やす為に、消費税増税などをする、まぁ政府の役割を小さくする政策を行うのが正解となります。供給を増やす為には、規制緩和をして、競争を促進して、非効率部門を淘汰し、労働移動も自由にし、それを拡大させれば、グローバル化させて、どんどん外からの投資を呼び込むなど、そうすれば生産力が高まるので供給が増えます…」
カリ…カリ…
「さて、もうお気づきだと思いますが、小さな政府、規制緩和、民営化など、いわゆる新自由主義的構造改革というのは、インフレ対策なんです。それをやったのは、前世紀からではありますが、極端に推し進められたのは今世紀に入ってから…そう、皆さんの前では恐縮ですが、皆さん方の党が与党だった時代に敢行された政策です。…が、それ以前で言うと、有名なのは、イギリスのサッチャーとアメリカのレーガンです。
この二人は1970年代の後半から、1980年代の初頭に、小さな政府、無駄を省けと、皆さん方がした事を先んじてしてた訳ですが、この二人は何故そんな政策をしたのか?それは…当時のイギリスとアメリカが、インフレで悩んでいたからなんです。インフレで悩んでいたから、その対策で新自由主義的な構造改革を行なった訳なんですね」
とここまで話すと、一度また一呼吸置いて、一口水で唇を濡らし続けた。
「…さて、デフレというのはインフレと逆の事ですから、デフレ対策はインフレ対策の逆をすればいい訳です。つまり構造改革と逆になります。さて、話が前後してしまいましたが、先ほどは、デフレ要因の一つ、どうやって需要を喚起したらいいのかの話をしたので、今度は供給をどう抑制したらいいのかについて触れたいと思います。供給を抑制させるというのは、要は競争を鈍化させる事を意味します。実際にこの間のデフレ期にはですね、大手百貨店同士や、ありとあらゆる業界内での合併が相次いだ訳ですが、これは供給が多すぎるからなんですね。で、ですね…」
とここまで先生モードの顔つきだったのを、少しホッペを緩ませつつ言葉を続けた。
「そういうわけで、まぁここで少しFTAを絡めて言いますと、このデフレ期に、ただでさえ多くて困っている供給を増やすような政策、グローバル化、今回騒ぎになっているFTAなんかが典型ですが、それに加えて経済を抑制する為だけの存在である消費増税など、それらの政策には私は断固反対です。…ですが、何も私は、何でもかんでも政府のやることに盾突きたくてやっている…面が無いわけでもないのですが」
「あははは」
ふふ
「一応、今まで説明してきました通り、まぁ私基準ではありますが、一貫性のある主張でありまして」
ウンウン
「話を戻しますと、さっきチラッと触れましたように、当時政権与党で、今また政権に復帰された皆さん方ですが、ずっと過去してきたのは、インフレ退治だったんです。デフレ期にインフレを退治する政策を延々と続けてきたわけです。そんな間違った事を続けていればですね…どんな国だって、デフレになりますし、デフレが悪化するのも当然だったという事です」
「…」
「えー…日本は1998年に消費税増税、構造改革をしたわけですが、あの時はバブル崩壊後というのもあり、経済が不安定だったのですが、それでも公共事業費は続けて増やし続けて、何とか需要を増やそうと頑張ってきてたんですが、この98年の時に、そんなデフレになるかどうかの瀬戸際だった時に、インフレ対策用の政策を断行してしまったために、とうとうデフレに陥ってしまいました。しかも我が国は恐ろしいことに、以降ずっと何年も、今に至るまでずっとやり続けてきたわけです。
えー…でですね、皆さんにお配りしているレジュメの五ページ目ですね、そこに、デフレになって以降、どれほどまでに失業者が増えたのか、その表が載っていますので、それを確認ください…」
と義一は言ったが、動画にはその表が出てこなかった。ただ単に、自分もそれを見ているのだろう、うつむき気味の義一が一人映っているだけだった。
動画に載っけてくれないのね…それくらいしてくれれば良いのに。政治家なんだし、これくらいの事をサボっちゃダメでしょ…
と途端にそんな感想を覚えたが、
まぁ…今度会う時に、義一さんからこのレジュメを貰わなくちゃ
と、義一の頭をぼーっと眺めつつ思うのだった。
「…で、恐るべきは98年から、二万人だった自殺者が、この年から毎年三万人に増えています。一万人増えて、それが十年以上ですから、この間、十年間で十万人以上の人々が経済政策の誤りによってお亡くなりになっていると…」
「…」
…
「戦争もしていないのに、十万人以上死んじゃったと、これが怖いからデフレは絶対にいけない…とまぁ、このような理由もあるわけです」
こう話す義一の声色からは、静かながら、また新たな憤りの含みが見て取れるのだった。
「えぇー…さて、皆さんの中で経済学について詳しい方がいらっしゃるならば、今まで長々と私が話してきた内容が、ケインズ政策じゃないかとお気づきになられた方もいらっしゃるかも知れません。それは…はい、実は私は、経済においてはケインズに大きく依っています。ここで改めて、安田先生はとっくにご存知ですが、遅くなりましたが、私の立ち位置を述べますと、経済に関していえば、ケインズ主義に立脚しています。
その見方で今まで話してきましたし、これ以降もそうだというのをご了承ください。
さて、話を続けます。でも、それほどまでに詳しい方なら、すぐにこう言われるかと思います。『でもケインズ主義っていうのはもう古いんでしょ?九十年代には効果が無かったじゃないか?』と。なので、実際にそうなのか、それを今から確認したいと思います。次のページの折れ線グラフをご覧ください。一つは民間の負債の額です。負債が八十年代から増え続けています。民間の負債が伸び続けているというのは、それは景気がいいという事です。家計と違ってですね、企業の負債が増えるということは悪いことではありません。もちろん限度はありますが。景気が良いと企業は銀行からお金を借りて投資をするので、必然的に負債が増えていくわけです。もう一つの折れ線グラフは、政府の公共投資です。これも八十年代は景気が良かったので増え続けています」
…え?
と私は瞬時に疑問に感じたが、それを知るはずがないが、ここで一度動画内の義一はニィッと口元を緩めてから話を続けた。
「見ての通り、民間だけではなく政府の負債も伸び続けていますが、さっきご説明したように、景気が良くてインフレの時は、ケインズ主義的な考えでいえば、公共投資を削減しなくてはいけません」
ウンウン
「それをやってるかというと、グラフを見て分かる通り、実は1986年くらいから何と、公共投資を増やしているんですね。景気が良いのに政府が投資を増やしています。そんな事をやると何が起きるかというと…バブルです」
あー
「ですから実際にもバブルが起きてしまったんですね。何故景気が良いのに投資を増やしてしまったのかと言うとですね、これはアメリカが貿易不均衡だと是正を求めてきてですね、内需の拡大を要求してきました。しかしですね、景気が良い日本で、内需の拡大はもう無理だったんです。少し話が逸れますが、よくマスコミに出てくる”経済学者”の先生方や、アナリストと自称する方々が良く言うセリフがあります」
…ふふ
点々で囲った部分を、馬鹿にするように半笑い混じりで言うので、私も思わず笑みを零してしまった。
と、同時に、見るかどうか分からない…ふふ、いや、おそらく、興味がないと言いつつしっかり見るであろう絵里が、苦虫を潰したような顔をして感想を述べる場面を、この時点で想像するのだった。
「『戦後日本は自由貿易、つまり外需の拡大によって経済成長してきたんだ。だから貿易量を増やさなくてはいけないんだ』とです。でもこれは…全くの間違いです。戦後日本の高度経済成長期、つまりは六十年代ですが、この時の経済に占める外需の割合は、全体の一割しかありませんでした。元々日本というのは内需大国なんですね。国内経済で発展してきた歴史があるわけです。
えぇー…っと、今私の手元には、それを証明する資料が無いのですが、この話はおそらく、次回ですね、中山さんが次回に詳しく資料に基づいて話してくださると思うので、私からはこの辺に置いとこうと思います。
話を戻します。そういった内需大国の日本なのですが、それでも日本はアメリカの要求を突っぱねるなんて事は、当時も今と変わらずに出来ずに結局受け入れて、公共投資で地方のリゾート開発などなどをせざるを得なかった、だから好況下で増やしたんですね。で、この時点で古い古いと言われていたケインズの言うことを無視した結果、バブルになりました。で、グラフをご覧になりますと、91年のところで順調に伸びていた民間負債が突然ガクッと折れています。これがバブル崩壊です。でですね、バブルが崩壊以降、民間負債の伸び率は横ばいなんですが、見ての通り政府は負債を増やし続けています。これは何を意味しているかと言いますと、九十年代前半の公共投資は、俵一本残してデフレに落ちるのを、土俵際で阻止してたんです。ですが、これしても中々景気が良くならないとか、赤字が増える一方だとか、そんな話が出てきまして、遂にと言いますか、九十年代半ば過ぎから公共事業を減らしにかかります。具体的に言いますと、九十六年からです。ところがご覧になればすぐに分かるように、公共事業を減らし出した途端に民間負債も減っています。負債が減るというのは、これはデフレです。デフレが遂に起きてしまいました。そして、しつこいようですが、このグラフからも分かる通り、デフレに突入したにも関わらず、公共事業を減らし続けています。これでデフレから脱却できるはずがありませんね?」
カリ…カリ…
ウンウン
「これ見て分かるように、八十年代後半とバブル崩壊後の九十年代後半と、二度続けてケインズが言った、もしくは警告した事と真逆の事をしたわけです。そんな事をしといてですよ?それなのに、勝手にケインズ主義は無駄だった、意味がないと言っているんですね」
はぁ…
「えー…で、ですね、公共事業を叩きたくてしょうがない人は、こう反論してくると思います。『そうは言ったって、日本はそもそも公共事業が多すぎる。日本ほど成熟した先進国なら、もう道路整備とかいらないんじゃないか?』という意見です。これは…さっき少しチラッと触れましたが、そもそも世界に冠たる自然災害大国の日本で、他の国よりもその対策をしなくてはならない以上、公共投資の額が多くなるのは、小学生レベルの足し算、引き算が出来れば分かるものだと思いますが…」
「あはは…」
…ふふ、ますますエンジンが掛かってきたわね
「それらを抜きにしても、本当に他の先進諸国の公共事業費がそんなに少ないのか、それを見るための資料を次のページに載せました。
…さて、次のページです。これは国土交通省の資料ですが、1996年を1として、各先進国の公共事業費の額を比べると、例えばイギリスはこの十年間で三倍にしています」
「へぇ」
へぇ
「アメリカは二倍にしています。フランスは一・五倍、ドイツはまぁ横ばいです。でですね…見ての通り日本だけですね、半分に減らしているのは」
へ?…へ、へぇ…
「だから、先進国だから要らないなんてことは無くてですね、どこの国もインフラを増やしているんです。因みに、しつこいようですが、この間は日本だけがデフレです。どうかしてるんじゃないですか?って話なんです」
…ホント、どうかしているわ
「で、ですね…このページの右側を見ていただければ分かるようにですね、九十年代は確かにGDPに占める公共投資額は6パーセントでしたが、今や欧米並みの3パーセントにまで落としています。ですのでとっくに日本は土建国家ではなくなってしまってるのですが、先程来申してきましたように、これを良いことだと言いたいのではなく、少なすぎると言いたいわけです。日本のような災害大国は、欧米並みでは立ち行かないってことです。実際に、これも触れましたが、ここ数年だけでも死者を幾人も出すような災害が頻発していますが、一向に復興が進んでいません。もちろん現場の方々は、それでも必死に頑張っていますので、その結果あまり表に出ませんが、それでもやはり遅れてしまっているのは否定出来ません。試しにここに写真を一つ挿し入れてみました」
と義一が言った瞬間、画面一杯に、その写真らしき物が映し出された。
…見せてくれるのはありがたいけれど、なんでこれだけ?
と、一人で苦笑を浮かべつつ見たそれは、どうやら高速道路の橋桁のようだった。
「これは二つともですね、高速道路の柱なんですが、片方は日本、そしてもう片方はフランスです。見てください…もう明らかに柱の太さが違いますよね?フランスのと比べて、日本のはパッと見でも三倍の太さがあるように見えます。何故日本のがそれほどまでに太いのか?もうお分かりですね?そう、フランスと違って地震大国の日本では、フランスほどの細さでは耐久力が無く折れたり倒れたりしてしまうからです。この太さのおかげで、ちょっとの揺れ程度では倒れなくなっています。これもかなりの技術らしくてですね、今なんとか日本が誇る技術がここにあったりするわけです」
「ほぉ」
「だからですね、もう見たまんまなんですが、これほどの柱を作らなくてはいけないという事は、それだけコストが掛かるって事なわけです。当然、他国よりも公共投資額が多くなるのは仕方ないことがお分かりになると思います。んー…もし」
とここで義一にカメラが戻ったが、その顔にはまた真剣な表情が一面に広がっていた。
「この話を聞いても、他国より多い公共投資額を問題にされる方が、皆さんの中…いや」
と不意に義一はカメラ目線でボソッと付け加えた。
「これをご覧になっている国民の中にいらっしゃるのならば、悪い事は言いませんから、さっさと他の国への移住をお勧めします。だって…日本はそういう宿命の元にある国なんですから。それを受け入れられないというのなら…出て行くしかないでしょう?」
…うん、本当だ
「…」
とまた議員たちはシーンと黙りこくっていたが、「はは…」と小さな笑みが聞こえたかと思うと、画面端から苦笑いの安田がインしてきた。
そして何やら耳打ちをすると、義一は我に返った様な様子を見せて、そして照れ笑いを浮かべつつ先を続けた。
「えぇー…っと…あ、コホン、では次のページです。日本の道路は多すぎるという話なんですが、また図を載せましたんでご覧ください」
案の定、またこの図は画面に現れなかった。
「保有自動車1万台当たりに占める道路の長さは、ご覧の通り、よく世間で流布されている話とは別で、欧米諸国と比べて長いわけではありませんし、むしろ、高速道路で計算してみると、先進国の中で日本が最低水準にあるんです。んー…だーれが日本の道路が多すぎるだなんて言い出したんですかねぇー?」
という義一の言い方が、あからさまなお惚けだったのを見て、静まり返っていた議員たちから笑みがこぼれた。
「あはは」
ふふふ
「さて、あまりおちゃらけやっているといけませんので、話を続けます。では話を戻して、では何故先進国はインフラ費用を増やしているんでしょうか?それは簡単な事です。インフラというのは当然老朽化します。先進国は二十世紀初頭から、電化の設備とか、モータリゼーションの影響で、一気に道路などのインフラを整備しました。で、ですね、まぁコンクリートを主に使っているわけですが、この様なインフラは老朽化により約五十年から七十年で更新時期を迎えます。ですから先進国では遅くとも1980年あたりから更新時期を迎えているんです。だからその対策のために投資を増やしているんですね。この時期、日本でニュースになっていたのか…実は私が生まれているかどうかくらいなので、あまりよく知らないんですが」
「あははは」
「先進国でですね、この時期によく橋とかが崩れたりして、甚大な被害が出始めたりしてたんです。それを深刻に受け取った欧米の先進国諸国の事情というのもあります。
さて、日本はといいますと、日本も同じ時期あたりに同じ様にインフラを整備してたのですが、先の大戦によって、それらが一度リセットされて、そして高度成長のあった60年代に一気にインフラを整備しました。ですから、日本のインフラの更新時期というのは、欧米に遅れて二十一世紀に入ったあたりから迎えているわけです。これはもう何度も触れていますが、日本はそもそも財政問題なんぞ存在しないんですが、もし仮にあるとしても、財政赤字を増やそうとも他国から借金してでも、国民の安全な生活の為に、インフラの再整備をしなくてはいけないんです」
ウンウン
「これは勿論民間にも波及しててですね、中小企業はこの長いデフレのせいで、設備投資をしなくなっています。すっかりボロボロの古い設備をフル稼働していますが、更新投資を出来ていません。これにより、本来起こらなくてもいい事故が起きて、下手すると人命を落とす人も増えてきています。こういう点でもデフレは恐ろしいんですね」
と義一はここまで話すと、一度小さく息を吐いてから、表情も穏やかに話を続けた。
「えー…さて、ちょっと趣を変えようと思います。私は先ほど自分で申し上げました様に、ケインズの理論に拠って話をしてきました。確認のために繰り返せば、デフレから脱却するためには、日銀主導の金融緩和と、政府による公共投資などの支出、つまりは財政出動ですね、この両輪を屈指する事だと、そう申し上げてきました。ですが、こんな意見をたまに聞きます。『財政出動は経済に効果が無い。金融緩和だけやればいいんだ』ってものです。まぁ財政出動に関しては、既に具体的な事例を含めて、どれだけ効果があるのか説明してきたので繰り返しませんが、果たして、本当に金融緩和だけでデフレから脱却できるのでしょうか?これは…ふふ、また今度…があればの話ですが」
と義一が隣に目配せをすると、マイクに安田の笑い声が入ってきた。
「あははは。ありますから心配なく」
「あはは、そうですか?ではまぁ…その機会がありましたら、もっと今日お話ししたよりも根本的な話を差し上げたいと思っておりますが、今日のところは深くは掘り下げずに、少し浅めのところをお話ししたいと思います。
…コホン、えー、これはよくケインズ派の経済学者がよく言うセリフなんですが、『ヒモでは押せない』と言うんですね」
ヒモ…?
「金融政策は、インフレの時は金利を上げて退治する事が出来るんですが、デフレ期に金利を下げて量的緩和をすれば退治出来るかというと、そうでも無いという意味なんです。何故ならですね、資金需要がないのがデフレですが、いくらお金を供給しても貯蓄に回ってしまう…あ、んー…」
と義一は自分で話しときながら、全く納得いっていな様子で先を続けた。
「んー…実はこの話も、実際は貯蓄云々の話ではなく、自分で今話しときながら実は違うのですが…ふふ、この話が実は次回があれば申し上げたかった話だったので、あるかどうか分からない次回に持ち越すのをお許し下さい。…もしお聞きになりたいのでしたら、是非、こちらにいらっしゃる安田議員に申しつけ下さい。いつでも駆けつけます」
「あははは」
ウフフ…
と私は微笑みつつ、今義一が仄めかした点をメモに書き、その周りをペンで何度も円で囲った。
次会った時にでも、この事を質問しなくちゃ
義一はここでチラッと手元にあるらしい時計に目を落とすと、口調を落ち着けつつ続けて言った。
「さて、先ほどの話が宙ぶらりんで、だったら触れなければ良かったじゃないかと言われてしまいそうですが、時間の制約上通り過ぎてしまうことをお許し下さい。
えー…さて、話を続けます。これまた趣が変わりますが、昔は良く、電化製品メーカーだとか、自動車メーカーだとかが利益出すと、なんだか日本国民も嬉しくなってた時期がありました。それは九十年代くらいまでですね?それは何故か?理由は単純です。これもグラフに出してますが、九十年代まで、その様な外需で儲ける企業に利益が出ますと、それと時を同じにして、日本国民の一人当たりの賃金も増えてたからです。だからなんだか直接には関係なくとも、喜びがあったんですね。でも二十一世紀以降をご覧ください。この時期は構造改革最盛期だったわけですが、その流れで輸出企業の利益が上昇していますが、賃金をご覧ください。…見ての通り、賃金はむしろ下がっていっています。これが…まぁグローバル化の弊害の一つなんですね。勿論ずっとデフレだから、グローバル化してなくても賃金は下がり続けていたでしょうが。
…で、グローバル化というのは、企業が国を選ぶ様になるので、企業の利益と国民の利益が一致しなくなってしまいます。むしろグローバル企業というのは、輸出を促進するためには国際競争力をつけなければいけない、国際競争力というのは一言で言ってしまえば人件費のカットな訳ですから、賃金をカットするか、従業員のクビを切るかに決まっているわけです」
なるほど…あ、ていうことは…
「そう、今までの話でお分かりの様にですね、輸出企業、グローバル企業というのは、デフレが大好きなんです。本当にそうなんです。ですから、名前は言いませんが、経団連みたいなグローバル企業が幅を利かせている団体がありますよね?」
「あははは」
あはは
「ああいった団体は、昔から何かと政府に意見をしたがるんですが、その意見を聞いてその通りに政治をしていると、デフレからは脱却出来ません。まぁ…ですね、これについては日本だけの現象じゃありません。レジュメにも載せてますが、先進国は今世紀に入って以降、労働分配率が下がっています。これはグローバル化によって、インドや中国などの低賃金労働者たちと、先進国の労働者たちが、ガチンコで戦わなくてはいけなくなったので、どの先進国の企業はみんな、人件費を圧迫せざるを得なくなったんですね。この事を一時期と言いますか、当時流行った言葉では『Race to bottom』と言います。まぁそのままで、直訳すると『底辺への競争』となります。低賃金労働者に立ち向かうために、自分の所の給料を減らすと、その様な競争がずっと行われてきた、これがグローバル化で分かりやすい弊害の一つです。えー…っと、その具体的なグラフは、そこに載せておきましたので、後でよろしければご覧になって下さい。
さて、この様な事なので、本来は国民の生命と財産を守るというのは政治の本分なわけですが、ここ数十年、政府は国民の味方でないばかりか、ずっとグローバル企業にとって良いようにずっと政策を打ってきたわけです。政治は行政は、その様な企業たちと対立してでも国民の側に付かなくてはいけないんです。
んー…昔はですね、石坂泰三や土光敏夫みたいな人はいました。つまり、企業の利益は勿論考えますが、同時に国民のこと、国家のことを考える立派な人たちがいたんですけど、今はもう目立っては…と敢えて一応余地を残しておきますが、ハッキリ言っていないんですよ。グローバル化したからです。大体ですね、これも敢えて名前は伏せますが、某有名な印刷会社などは、株主の半分が外資なんです。要は外人なんですね。意見を言える株主の半数がもう外国人な時点で、私はハッキリと、そんな企業は日本のものでは無いと捉えてます」
ウンウン…本当だ
「その様な企業は、ズルくも日本に籍を置いているだけで、やっていることといえば、外国企業と全く変わりません。平気で従業員のクビを切ったりだとかですね。まぁ今でも世界の一部では、高度経済成長期の日本の残影を追ってる国々がありまして、その幻想が生き残ってるが故に、電化製品などのハイテク製品は、メイドインジャパンと称する事が出来るなら、それだけで買うって国がまだあるんですね。それで私はズルくもと言ったわけです。
…っと、話が逸れました。で、えぇっと…そろそろ時間が差し迫ってきまして、本当は安田先生に、日本が財政破綻するというのはあり得ない、大嘘だという点についても喋る様に頼まれていたのですが、ちょっと時間がありませんので、軽くだけ触れたいと思います。
この財政破綻論と申しましょうか、その根拠として、政府の累積債務がGDPの200パーセントになってるからだと言ってます。ところが、ギリシャは100パーセントで破綻、少し古い所では、アルゼンチンもロシアも50パーセントで破綻してるんですね。これだけで、累積債務と財政破綻が、因果関係だけではなく、相関関係すら無い事が分かります。関係ない理由を今事細やかには述べる暇がありませんが、一つ、財政破綻する国の特徴の一つとして、国債の長期金利が上昇するか、通貨が暴落するのですが、日本は長期金利が1パーセントをもう十年近く下回っていますから、むしろ財政赤字が多過ぎるのではなく、少な過ぎるんですね。えぇ…っと、一つ一応簡単な例を挙げます。それは、バブルです。なんとバブル期の長期金利というのは、今よりも断然高い、6パーセントだったんですね。さて、果たしてあのバブルの時、誰か一人でも日本が財政破綻するかと心配した人がいたでしょうか?…これだけでも、破綻論者には十分だと私は思います」
「ほぉ」
へぇ…って、議員はそれくらいのことは知っててよ…
「さて、まぁそれでもうるさく反論してくる人のために、一番大きな答えを述べておきたいと思います。その理由は、日本国債が全て円建てということです。つまり、自国通貨建てということは、通貨発行権を持っている政府というのは、いつでもお金を発行して返せるので、自国通貨建ての国で財政破綻はあり得ないということです。歴史上でも、自国通貨建ての国で財政破綻した国は一国もありません。もし議員の皆さん方が、破綻論者に言われましたら、是非ともこう聞いて下さい。『国債が自国通貨建ての国で、財政破綻した国ってあったんですか?歴史上無いのでしたら、なんでそんなに財政破綻を言いふらすんですか?』と」
ウンウン
「実際先ほど紹介した国々などは、自国通貨建てではなく、国債が外貨建てだったから破綻したわけです。えぇっと…本当に時間が差し迫ってまいりまして、ただ、この話だけは今日絶対にしたかった話がありますので、それを今話させて頂きます」
とここで、流石の義一も疲れた様子で水を一口飲んでいたが、すぐに溌剌と口を開いた。
「えぇっと、その話というのはですね、私はもしかしたら、ここにいる安田先生からご案内があったかも知れませんが、私の本当のと言いますか、経済だとかそう言ったせせこましいカテゴリーではなく、本来は、そう、いわゆる”保守”という立場に立っています。安田議員もそうですが、私も私淑している神谷先生の元で日々学んでいる、まぁ今さっき保守だと言いましたが、まだまだのひよっこでして、厳密には保守見習いです。
…っと、そんなことはともかく、そういった私自身の根本中の根本の立場を示した所で、最後に、今の様に馬鹿げた社会状況に陥っていた過去の事例で、どうやって実際に対処し乗り越えていったのか、それに関連した過去の偉人が残した言葉、業績を述べたいと思います。
時は、二十世紀前半の世界恐慌の中のアメリカ。先ほども前半あたりで触れましたね。この時の大統領はフーバーでしたが、フーバーは不況により膨らむ債務への対処として、緊縮財政が良いんだと、まぁその様な、今の日本とさほど変わらない、括弧つきの常識というものを信じていたんですね。まぁ経済諮問会議に集まっている様な大先生方の様な人だったわけです」
「あははは」
ふふ
「従って、1929年の恐慌になった時に緊縮財政をやったお陰で、本格的に大恐慌に陥ります。その後に、フランクリン・ルーズベルトが政権を取ると、今度はフーバーと真逆のことをやりました。財政出動もやりましたし、保護的な措置も…例えば、農産品の買取なんかもやって、農産品の価格が下がらない様にするという、農家の所得保護など、ありとあらゆる事をやったんですね。もちろん有名なのは、先程来触れている、いわゆるニューディール政策です。ですが、ルーズベルトも初めから分かっててやってた訳ではありません。よく勘違いされてる話ですが、ジョン・メイナード・ケインズが書き著した『一般理論』を出した1936年の前にやった政策です。従って彼らは、自分たちでケインズ主義と同じ結論に達したんですが、この時ルーズベルトも最初分かっていなくてですね、就任当初はドヤ顔でこの様な演説をぶったんです。
『これからは健全財政を目指します』と」
…ふふ
「そしたら当時の新聞各紙は流石ルーズベルトだと手を叩いて喜んだんです。ですが、これはラッキーとしか言いようがありませんが、たまたまルーズベルトの周りに、優秀なブレーンと言いますか、優秀な人材が集まっていてですね、このスタッフたちは既存の経済学を疑問視する学者たち、実務家たちでした。この人々が『著名な学者たちが言ってる事をこのまま続けていても、こりゃダメだ』というのに気づいて、ルーズベルトに進言して、これは一応褒めた方が良いとは思いますが、その意見をルーズベルトが柔軟にも聞き入れて、そしてあのニューディール政策が編まれていくこととなります。
で、ですね、この時に活躍した人物を一人紹介したいと思います。その人物の名は、『マリナー・エクルズ』と言います」
マリナー・エクルズ…初めて聞く名前だ
「この人はユタ州で銀行を営んでいた実務家なんですが、銀行を経営してたので恐慌の打撃を直に受けてですね、何が経済で起きているのかを身を以て実感しました。そこで処方箋をバーっと一気に書いて、それを地元の国会議員に差し込んだら、これもラッキーの一つですが、その議員がエクルズの意見を面白がってくれて、そしてそのままルーズベルトに進言しました。で、ルーズベルト自身も面白い意見だと思い、なんとエクルズをワシントンに呼んで、国会で証言させました。
そして、その時の有力な、ルーズベルトを含む一部の議員たちが『ちょっとこいつにやらしてみるか』と思ったらしく、なんとエクルズを日本でいう中央銀行のFRBの議長に抜擢します」
へぇ…まだエクルズがどんな人か分からないけれど、でも当時の政治家には、こんな人を見る目があるのもいたんだなぁ…今の日本と違って
「エクルズはいわゆるケインズ主義的な事を、理論だとかを立てないで、一から同じ結論に達した訳ですが、事実として、彼は自伝の中で書いてましたが、『よく言われるし聞かれるが、実は私は一度もケインズの著作を読んだことがない』と言ってました」
「ほぉ」
「だから本当に現場で考えついたんですね。ところが、当然というか、当時も彼に対して大きな反発が寄せられました。それに対抗、反論するために、当時流行り出していたラジオ番組に出たり、論文を書いたり、また講演などもしているのですが、たまたまその講演録が残っていましたので、彼がどんな議論をしたのか、ご紹介したいと思います。『デフレは放置すべきだ。政府、民間の非効率部門は、そんなゾンビ企業は淘汰されれば良いんだ』と言う当時の主流派の発想に、エクルズがどう反論していったか。
『デフレは底なしだ。普通の不況と違って底は打たない。何故なら、人々は価格が下がり続けると信じている限り、物ではなくお金を欲しがる』
今日私が冒頭でお話ししてきた事ですね?インフレはヤバイけど、デフレの方がもっとヤバイとも言いました。
えぇっと…『政府は支出を減らして、民用を圧迫しなければ民間が伸びていく』これもいまだに日本で強い意見な訳ですが、当時もアメリカでよく言われていました。
エクルズはこう反論しています。
『それは、アメリカにまだフロンティアがあって、若くて投資機会が沢山あって成長していた時はそうかも知れないが、今はアメリカは成熟化し、フロンティアは無くなり、第一次大戦後は債務国から債権国となった。つまりお金が過剰になって投資機会が無い国になったので、常に投資不足のデフレ圧力がかかっている状態にあるのだから、公共投資をやりなさい』
とエクルズは言いました」
ふんふん
「で…『財政赤字は悪だ』と、これまたどこかの国と同じですが、その様な意見に対して彼はこう返しました。
『債務がなんで悪いんだ?』」
ウンウン
「『債務の拡大なしに一国が繁栄した時代はないでしょう?反対に債務の縮小なしにデフレに陥った時代も無い』
債務は拡大していなくてはいけないんだと言ってるんですね。で、1929年から1933年のデータを示してこう言いました。
『政府債務と民間債務はマイナス14パーセントと減ってるけれど、その代わり国民所得はマイナス50パーセント、半分になっている。だから、民間債務が減っているのならば、政府債務を増やして、トータルの債務を増やさないとデフレになる』
と言った訳です。
えー…っと、これも既視感ある意見ですが、財政健全化が正しいの様な意見にはこう答えました。
『予算の不均衡を正す前に、まず経済の不均衡を正してくれ』と」
あー
「経済の不均衡とは、もちろんデフレの事です。需要が不足し供給が多くて不均衡、これを直さなくてはいけないと言った訳です。
エクルズは、政府は補正的な役割、彼は補正原理と呼んでいましたが、補正的な役割をするべきだというアイディアを生み出しました。それはこういう事です。『政府財政は民間の信用が拡大している時には緊縮し、民間活動が低下している時だけ拡大するべきだ』
つまり、『民間が苦しくて身を切ってるんだから、政府も率先して身を切るべきだ』じゃなくて、その逆で、『民間が身を切ってる時には政府は拡大しなさい。一緒に並んでいてはダメでしょ』という事を言いました。
それから前大統領のフーバーは、今でいう消費税の様なものを増税したんですが、エクルズは当然そういう悪税は減税しろと言っております。
で、ですね、『財政破綻するー!』と言って、エクルズを寄ってたかってイジメてた人たちが当時もいたんですが」
あはは
「彼はそれでも敢然と反論しました。
『自国民から借りる事で、貧しくなる事はあり得ない』
んー…まぁこれに関しては、これだけだと誤解を生む様な気がするので、正す意味も含めて付け加えたいのですが、まぁ今は時間がありませんし、結論は変わらないので、このまま引用を続けます」
…うん
と、また私は質問したい内容を別にメモした。
「えぇっと…、
『もし仮に貧しくなるのだとしたら、それは財政赤字ではなくて、遊休の人員、資源、生産設備、そして資金の有効利用に失敗することによってだ』
と言ってます。遊休の人員というのは失業者の事ですね。生産設備の有効利用に失敗してるというのは、企業に仕事がない状態のことです。資金の有効利用に失敗してるというのは、銀行にお金がジャブジャブで国債しか買うものが無いことです。
デフレを放置することによって貧しくなるのであって、財政赤字が膨らむことで貧しくなる訳では無いんだと言いました。
で、エクルズはこれを歴史のデータで示します。
『十八世紀、イギリスがフランスと戦争した時、戦時国債を発行していたので、イギリスの政府債務は5000ポンドから8億ポンドに激増して、当時も財政破綻が叫ばれていた様だが、イングランド紙のどこを捲っても、イギリス政府が破綻したという記事は何処にも見当たらない』と言っています」
なるほどー
「えー…最後にですね、エクルズは国民世論を変える上で、昔の偉大な政治家が述べた様な、金言的な美しい演説も残していますので、これを是非紹介したいと思います。
『デフレ、世界恐慌はマズイ。我々は歴史上これまでに無い大胆で勇気のある指導力を必要としている。新たな経済哲学、社会思想の根本的な転換が必要だ』」
うんうん
「『十九世紀の経済学は役に立たない』ここで補足するのは無粋かも知れませんが、一応念のために軽く触れると、何も今になって初めてグローバル化、自由貿易が広がった訳ではなく、歴史的に見れば、すでに十九世紀に全盛になっていたんですね。話を戻します。『150年の経済学の寿命が終わったのです』
エクルズはアダム・スミスを念頭に置いています。
『自由競争と無制御、無秩序な個人主義による正統の資本主義システムはもはや役に立ちません』
…ここで面白いというか、興味深いのは、自由主義、個人主義だけではダメだと、アメリカ人であるエクルズが言ってるんですね」
なるほど…
「今は若干変わり始めている兆しは見えていますが、少なくとも戦後からの数十年のアメリカとは、多少とも違う、これほどに変わったわけです。
えー…で、ですね、エクルズは勿論資本主義を守らなくてはいけないと言ってたんですが、それ以上に、民主主義を守らなくてはいけないと言ってました。このままいくと、民主主義が壊れると言って彼はひどく心配します。
何故なら、デフレというのは、我々日本が過去二十年にわたって経験してきました通り酷く破壊的なので、失業者がいて、仮に解消されつつあっても賃金が上がるどころか下がり続ける、そんな状態の中でですね、痛みを伴う改革だとか言って、それで痛みを我慢出来るかというと、国民はこの痛みに我慢が出来ないんですよ」
うん…
「そうすると民主政治が崩壊してしまうので、民主主義を守りために、金融緩和、財政出動、が必要だとエクルズは叫び続けました。
で、エクルズはこの様な言葉も吐いてます。
『敵国との戦争から人民を守るために使われるための同じ債務が、平時においては失意と絶望から人命を守るために使われるのである』
んー…ふふ、敵国というのは、残念ながら当時は日本の事ですが」
と義一が無邪気な笑顔を振りまきつつ、そう付け加えたので、議員たちからはあからさまに戸惑いの苦笑が漏れていた。
そんな様子を見て、私は一人、理由は少し違えど同じく思わず笑みを浮かべていた。
「つまり、『日本と戦うために軍艦を作るために、軍事国債を発行する。財源が無いので軍艦を作りませんとはならないでしょ?普通はそんな議論はしないでしょ?』と彼は言いました。まぁ尤も…ここ最近あった大震災の時に、いきなり財源の話をし出した、我らが日本国家はどうかは分かりませんけれども」
「あはは…」
…ふふ、わざとって私は分かるけれど、…ふふ、議員さんたちがいい具合に引いてるわね
「まぁ話を戻しまして、恐慌というのは本当にマズイ状況なのだから、お金を惜しむな、財源を惜しむなと訴えて続けて、まぁ日本としては残念でしたが、先の大戦で、エクルズを中心とした立派で偉大なスタッフの言葉に耳を傾けたルーズベルトのアメリカに、日本は敗北し、そして長きに渡る戦後を歩む事となった訳です…」
とここまで言い切ると、義一はフゥッと一度息を吐き、水を何口か飲んでから口を開いた。
「さて、ここで長きに渡る私の発言のまとめです。まぁ私が申し上げたかった事というのは単純でして、インフレとデフレというのは真逆の性質なのだから、それに伴う対策も真逆だという事です。ところが我が国は、デフレ下だというのに、インフレ退治用の政策を延々とやり続けてきた訳です。これは…また自己宣伝で恥ずかしいのですが、今度出す新著の中で、この様な政策をし続ける体制を『デフレレジーム』と呼んでいます」
デフレレジーム…
「これは私の造語ですが、今話したのと同じ意味であります。要は思考がデフレありきの”体制”だという事です。このデフレレジームの中で皆議論しているだけなんですね。このレジームの中で首相や政権が交代しているだけでは、デフレは脱却出来ません。従って、デフレレジームからインフレレジームに、つまりレジームチェンジをしなくてはいけない、要は考え方、思想の転換をしなくてはいけないと言いたい訳です。今日本で主流の経済学者と言うのは、皆デフレレジームの中にあって議論をしているので、いくら彼らの意見を聞いたとしても、無駄です。それだけに留まらず、まさか皆さんは違うと思いますが、政策通と称される、もしくは自称する政治家、改革派と呼ばれている官僚、彼らは皆デフレレジームの中で評価されてきた人々なんですね。ですから、彼らの提言してくるものをそのまま執行すれば、デフレになるのは当たり前です。ですので、今日は細かい話を沢山させて頂きましたが、何よりもまず根本的な所を見直さないと、今の没落していく過程から逃れるのは不可能だと思いますので、何とか今の凝り固まった頑固な思想の転換がなされるのを期待し、また祈りつつ長い発言を終えようと思います。ご静聴ありがとうございました」
大きな拍手
パチパチパチパチパチ
私も思わずパソコンの前で小さく拍手をした。
ふと時計を見ると日付が変わる頃合いで、机の上には、夥しいメモで埋められたノートがあり、それを私は心なしか誇らしげに目を落とすのだった。
今回はというか、ラジオでもそうだが、これらは普段と違って一方的に話がなされる点で、こちらからすぐに疑問を返せないという難点は仕方なくあったのだが、それでも、やはりというか、義一の発言を約一時間に渡って視聴したのだが、その後味は、あの宝箱で繰り広げていた健全な議論の後の、清々しさと全く同じものだった。
…ふふ、あーあ、寝る前に聞くんじゃなかったわ
っと、一度大きく伸びをして、果たしてこんなに目が冴えてしまったというのに、寝付けるのか一抹の不安を覚えつつも、自然と笑みを零しつつ、気持ち軽やかにベッドの中に滑り込むのだった。
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