第5話 (挿話)現政権与党内のとある政治グループでの講演:義一 前編

今日は、紫の突然の学級委員長への立候補というサプライズがあり、麻里という、まだ未知数だが親しき友人となれそうな予感のある子との自己紹介をし合った水曜日と同じ週、土曜日の夜。

学校は午前までだったのだが、放課後は、紫と麻里は先生に呼び止められて、今後の学級委員として活動する上での打ち合わせがあるというので、早々に別れた。

ここ数日は、二人共が何かにつけて、毎日昼休みや放課後に先生に呼び出されてしまっていたので、同じクラスにいるというのに、中々長く会話する時間が取れずに、せっかく裕美達のお陰で知り合えたというのに、まだ何だか繋がりが浅いという感覚は否めなかった。

藤花は明日の準備を含めての練習、律も地元のバレーボールクラブの練習があるというので、二人ともいつも通り、地下鉄連絡口付近で別れた。

久しぶりというほどでは無かったが、そんな感覚を味わいつつ、裕美と四ツ谷から二人っきりで下校した。

その間は和かに会話を楽しんでいたが、地元の駅に着くと、正面口辺りでサッとすぐに私達も別れた。

裕美は当然大会へ向けての練習があるというので、直でクラブに行くとの事だった。慌てて付け加えるので、暇じゃ無いアピールしてる様でイタイタしいが、私もこの日は師匠のところでレッスンの予定が入っていたので、同じく直で向かうのだった。

去り際、以前と変わらずに腰に違和感を覚えていると言っていた裕美に、「あんまり無理しないでよ?」と、私にしてはありきたりな言葉だが、本心からそう投げかけると、裕美は一瞬きょとんとした後で、満面の笑みを浮かべて「うん!」と明るく返事を返してくれた。


レッスンは夕方の六時まで及び、そこから師匠のご厚意に甘えて、数日前に二人で作ったお菓子を温めて食べつつ、二人で芸談を楽しむのだった。まぁでも、この日の議題の中心は、京子の事で終始した。最近の活動についてだ。

コンクールが終わり、こうしてふと冷静に思い返さなければ気付かないほど自然だったが、ここ数ヶ月は、以前から話してくれてはいたが、芸に関する話が一段と増えた様に感じた。コレは気のせいでは無かった。

何故なら、先にも触れた様に、師匠は自分の数多な蔵書の中から沢山の本を貸してくれてはいたのだが、それは音楽に関するものだけだった。それが今は、古今東西、いやそれどころかジャンルも、絵画から建築から彫刻、ありとあらゆるといった類の書籍群だった。

勿論それまでは圧倒的に義一から借りる分が多かったのだが、この時点でついにというか、芸関連に限って言えば、とうとう師匠から借りた本数が越えた程だった。

当然これは師匠の強制ではない。…のだが、私からも別段求めた覚えは…ん、無い筈だ。だが、何とは無しに、師匠が次から次へとかしてくれるので、勿論願ったり叶ったりの私は嬉々として喜んで借りて読んでいった。

まぁ…私からも聞かなかったし、師匠も自分の事をあまり話さない性格だから話さなかったが、大体の予測はついていた。

覚えておられるだろうか。去年、コンクールの決勝を観戦に来てくれた京子を、羽田まで師匠と送って行った事を。

あの時の雑談の中で、京子がふと能役者の例を出しつつ話した後で、それとなく師匠に、弟子の私に色々と本を貸してあげたら的な事を言ったのだった。

それがどの程度作用したのか、おそらくこの推測を話せば、師匠は苦笑いしつつやんわりと否定するだろうが、近からず遠からずといった所だろう。

そして、借りた中でまだ普通に取り寄せられるのがあった場合は、お母さんに頼んで同じものを買って貰っていた。これにより、ますます私の自室の本棚が速い速度で埋まっていったのは言うまでもない。

…あ、いや、我ながらまた大きく脱線するという、全くの成長がないところで苦笑する他ないが、無理やり話を戻すと、借りた本についての感想なりなんなりと、そんな話を紅茶だったりコーヒーだったりと、お菓子の事もあってその時々でマチマチだったが、二人で仲良く会話を楽しむと、大体七時半まで長居をしてしまうのだった。

それから家に帰り、これもケースバイケースだったが、お父さんがいる場合は三人で夕食を、まぁこの日はお母さんと二人でという多いパターンの方だったが、食事を済ませ、食器を親子二人で洗い、それらが終わると食卓でまた、私が家で以前作ったお菓子を肴にお茶を飲みつつお喋りをした。

その後は風呂入ったりなどの寝支度を済ませると、居間で例の日舞に特化した、中々にマニアックな雑誌を読んでいたお母さんに挨拶をして、二階の自室に入る頃には夜の十一時になっていた。それで一番最初に戻る。


さて、今日は土曜日なので、もし覚えておられる方がいたら、今私がパソコンの電源を入れてもオカシイとは思われないだろう。

私は普段からあまり、せっかく自室に自由に使えるパソコンがあるというのに、そんなに頻繁には使わないのだが、そう、例のネット上のとあるテレビ局のホームページを覗くために入れたのだった。

しかし、ここ最近は実を言うと、そんなに見てはいなかった。何故なら、これも何度か話した様に、このテレビ局に所謂オーソドックスのメンバーが出ない回などは、一切見ていなかったのだが、そう、実質と敢えて言わせて頂くが、神谷さんが引退して以降、まだ一度もオーソドックス特集が組まれていなかったのだった。

このテレビ局が義一や神谷さん達を出演させるという点では評価していたが、他のレギュラー出演者と称する面々、彼らの話があまりに表面的、近視眼的すぎに聞こえて、こう言ってはなんだが長い時間聞いていられないのだ。これは今もそうだ。

なので、今日も実は、毎週土曜日に討論番組が上げられるというので、一応確認はしたのだが、結局いつものレギュラー陣を中心とした討論だったので、そのブラウザーはすぐに閉じた。

と、本来はここで電源も落として、すぐに寝るか、もしくは目が冴えていれば義一か師匠に借りた本を読みだすところだったが、この日だけは違った。

私は有名な検索エンジンに、神谷さんと深い繋がりのある政治家が総理を務める与党名と、一つスペースを空けて『義一 FTA』と打ち込んだ。

すると、すぐに検索結果が表示され、ズラッと並んだ中の一番上に表示された、与党のホームページへと飛んだ。

そこにはとある動画が埋め込まれており、それをクリックすると、世界的に有名な某有名動画サイトへと飛ばされた。画面半分に、動画の一部分であろう静止画、所謂サムネが出ていたが、そこには苦笑い気味の義一の顔が出ていた。右下に小さく出ている動画時間は、約一時間と表示されていた。

さてと…

と私はおもむろに再生してみる事に…っと、いくらまた脇道に逸れるとは言っても、こればかりは流してはいけないだろう。キチンとこの事の経緯を説明しようと思う。


…コホン。まぁまだ動画を見ていない私が言うのもなんだが、そう、義一がこうして現政権内の政策グループの一つに、いわゆる講演を頼まれていた事は知っていた。

とは言うものの、何も本人の口から聞いたわけではない。

何せ義一はあの性格、自分から政治家に呼ばれて講演を頼まれたなどと、己を私から見ると必要以上に謙遜…いや、卑下している中で話すわけが無かった。

まぁ…やり過ぎだとしても、そんな点が、んー…私の大好きな性質の一つではあるけれど。

あ、いや…コホン。では何でそれでも知れたのかというと、まぁこれほど伸ばすほどの大した理由では無い。

ただ単純に、義一が毎週流しているラジオの中で、この宣伝がなされたからだった。

んー…しつこいようだが、これは義一が自分から宣伝したわけではない。

この件が出たのは今週の放送だった。先週は美保子がゲストで出ていた訳だったが、今週は義一とアシスタントの女性の二人だけでの放送だった。その日までのニュースを取り上げて、それについて義一なりの分析を述べるというものだ。

いらない補足…身内びいき、いや、義一に関して自覚あるほどの色眼鏡越しの評価だというのを前提に、私なりの素直な感想を述べれば…とても面白く興味深いものだった。

政治経済時事問題、それに加えて天文物理化学生理科学、そして芸能と、幅広い知見に基づきアレコレとツッコミを入れていた。その独特の切り口、そして絵里などに対してする様な、これまた独特のジョークを交えた物言いに、アシの女子がケラケラと笑うのが常だった。私もパソコンの前でクスクスと思わず笑ってしまった。まぁ実のところ、元もこうもない事を言えば、あの宝箱での会話と同じだ。それが公共の電波に流れているだけだった。義一自身はどうかは知らないが、その点は何というか…表現が難しいのだが、一番近いところで言えば”気恥ずかしさ”があるのは否めない。…のだが、それは決して嫌なものではない事だけ付け加えさせて頂く。

さて、まぁそれでも…義一はやはり私と同じで、所謂世間の流行りモノには疎いせいで、その手の話題では私ですら思わず呆れ笑いをしてしまうのも…本当だった。

この感想を覚えるのは私だけでは無かった様で、ついこないだも、絵里から直々にそんな感想を聞かされた。

…ふふ、なんだかんだ言って、どうやら絵里は私とは違って、毎週土曜日の早朝六時放送の生番組であるラジオを、早起きして毎週聞いているらしい。これは勿論絶好の”からかい案件”なのだが、そこは私も大人になって、いかにも呆れたと言いたげな表情を見せつつも、細部に渡る感想を述べる絵里に対して、私は自然と微笑みつつ聞くのだった。

とまぁ、絵里自身の言い方を借りれば、そんな”あざとい”天然ぽい点は置いとくとして、このジョークというか、お笑いのセンスは間違いなく、あの落語の師匠の影響が多分にあるのだろう。元はとても毒っ気のあるものだったが、義一の中で良い具合に中和されてるのが、良い様に作用しているみたいだ。私はどちらも好きだが。

因みに…って、誰も突っ込まないのを良い事に好き勝手話し過ぎだが、今出した落語の師匠、彼から私は師匠自身が勉強したという古今東西のジョークを網羅した本を頂いた訳だったが、今まで触れなかっただけで、私もキチンとそれらの本を読んで勉強(?)しているので悪しからず。

まぁ…その成果が出ているかどうかは分からないけれど。

…さて、話を戻そう。今週の放送終わりで、突然アシスタントが義一に、この講演について触れたのだった。

それを受けた瞬間、ラジオだから姿は見えないが、それでも”聞くからに”タジタジになっているのが口調だけで察する事が出来た。

勿論、急にそんな話が出たので、その内容に驚きはしたが、義一がそんな反応を示したので、それで思わず気が抜けつつ笑ってしまったのは本当だ。

それからは何やら、見て欲しいのか、見て欲しくないのか、宣伝になってない告知を辿々しくして番組が締められた。

それを聞いた直後、私は毎週ネットに上がる木曜日の大体寝る前に聞く様にしているのだが、その直後、迷惑だと思いつつも思わずそのまま義一に電話をしたのは言うまでもない。

もしかしたら、雑誌や何やで忙しくしているのを知っていたので、出てくれないかもと電話してから思ったが、数回のベルの後で出てくれたので、嬉しさを何とか抑えつつ、その反動か自分でも過剰に思えるほどに揶揄い気味に講演について聞いた。

義一は例の如く電話口の向こうで、そんな私の言いぶりに「あははは」と笑ってくれた後、これまた聞くからに照れ臭そうに、先ほど聞いたのと同様な、微妙な返しをしてきたので、私は鼻息荒く後で絶対に見るのを約束し、それを聞いて苦笑いをする義一にお休みの挨拶をした…という顛末だった。

さて、長い長い回想がやっと終わった。本編に戻ろう。



動画はオープニングもなく、いきなりまだ騒ついた会議室の様な映像から始まった。

真っ白な無機質な壁色の部屋の中に、全体は見えなかったが、見るからに長テーブルをいくつも繋げているらしく、天井から仮に見下ろしたら長方形に見える風だった。

上座というのか、ホワイトボードも見えており、その前には既に幾人かのスーツ姿が座っていた。この政策グループの幹部たちなのだろう。

と、その中で、一人居心地悪そうに肩身を窄めるように座る長髪で眼鏡かけた男性がいた。

珍しくスーツ姿だったが、見間違うはずが無い。義一だ。

手持ち無沙汰にキョロキョロ辺りを見回していたが、ふとすぐ横の、白髪の前髪を上げるヘアスタイルをした一人の男性議員に笑顔で声を掛けられると、義一も心安い感じで応対していた。

と、そんな様子が三十秒ほど流れたが、今まで義一と談笑していた議員が立ち上がると、電源の入ったマイクの先をトントンと叩いてみせた。

その直後、先程までのザワつきが嘘の様に一気に引いた。これを見て、安野先生が教壇を日誌でトントンと叩いた情景を思い出していた。

議員は一度ぐるっと辺りを見回すと、一度義一を見下ろしてから会を開く挨拶を述べ始めた。

…まぁ、この挨拶自体はありきたりなもので、特に取り上げるほどでは無いので、この時間を使って、少しこの議員について触れようと思う。何故なら、実はこの議員の事を知っていたからだ。

もちろん…というか、すぐに察する人もいろうかと思うが、雑誌オーソドックス繋がりでだった。義一から借りた過去の雑誌を読んだ限りでの情報だけだが、神谷さんと何でも二十年ばかりの付き合いだとの事だ。毎号ではないが、たまに彼も雑誌に寄稿していた。そこから汲み取れるだけの簡単な情報を話そうと思う。

彼の名前は安田裕司。京都から出ている国会議員だ。彼の父親も国会議員だった様だが、政界引退に当たって、その息子である彼に白羽の矢が立ち、あれよあれよという間に国会議員になってしまった…というのが本人の弁だ。いわゆるバブル崩壊後に議員になったらしいが、右も左も分からないままに、途方に暮れてたらしい。父親が議員だったというのもあって、政治への関心自体は深かった様だが、それでも当時の政治状況も含めて、新人だった彼は悩んでいた様だが、そんな時、偶然テレビをつけると、地上波にまだバリバリで出ていた頃の、若かりし日の神谷さんを見て、それで本人の言葉をそのまま借りれば、いきなり鈍器で頭を殴られた様な感覚を覚えたらしい。

そのまま言葉を引けば、今まで表面上では正しいと思ってきた、もしくは思わされてきた戦後の価値観を徹底的に批判して、その間違いを批判していたのを見て、『そうか、自分が何処か変だと思っていた事を、この人がズバリ言葉にして言ってくれてる事なんだ』と感動した…と雑誌内で述べていた。それからは神谷さんの本を全て網羅する勢いで読んでいき、そして自分の選挙区に呼んで講演を頼んだり、一緒に食事をしたり…とまぁ、今時珍しいというか、これは私見だが、今時珍しい、一人の知識人というか師匠を立てて師事、もしくは義一の様に私淑する、そんな大昔の良き政治家像を体現する人が、今の世でいるのかと、この議員の文を読んでそう思ったのを思い出す。

補足すると、まだ私の話には登場されていないが、神谷さんの一番弟子と言っていい、今年の三月に定年退職された、武史の師匠でもある佐々木宗輔とも、同じ京都在住というのもあって、懇意であるようだ。

とまぁ長々と紹介したが、それでも丁度挨拶が終わった辺りなので、このまま本編に進もう。

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