第32話 改めてヘルメット選びか?

「やはり、レースに出るなら必要なのはヘルメットでしょうね。チャリンコマンズ・チャンピオンシップは、そこまでルールが厳正ではありませんが……」

 と、ルリが再びアキラたちを案内したのは、やはりヘルメットコーナーだった。

「そういえば、レースではほぼ必ずヘルメットが必要になるでござるな」

「ええ。だいたいはJCF規格に合格した商品を持っていれば、参加できると思います」

「ふーん。まあ、拙者はレースに出ないし、ヘルメットも使わぬでござるが」

 ユイがヘルメットを手に取る。本当に軽い素材で出来ているため、力を入れずとも持ち上げられた。

「拙者はルリ姉と違って、髪も長いでござるからな。上手くヘルメットは被れぬでござるよ。中学の時もそうでござった」

「ああ、そういや中学のヘルメットってあったよな。なんであんなにダサいんだろう?」

 下手をすれば工事現場用よりもモールドの少ない、つるんと丸いヘルメット。実はこの店でも似たような商品は扱っているが、言うまでもなく不人気だ。大概は小学生の子供を持つ親が購入し、子供から嫌がられるたぐいのものである。

 ユイとアキラの間で「ヘルメットは要らない」との結論が出そうになっているのを見て、ルリは手を叩いた。

「私としては、ユイにもヘルメット着用をお願いしたいところなんですけどね。まあ、いいでしょう。アキラ様、せめて一度試着してみませんか?」

「俺か?」

「はい。そうですね……こちらのロード用で一番安い商品……これでどうでしょう?」

 自社ブランドの4000円ほどのヘルメット。残念ながらJCFマーク基準に満たない安全性しかないが、それでもCEを突破した商品だ。流線型で、後頭部は3本に分かれて尖っている。

「まあ、被れっていうなら、試しに被るけどさ」

「はい」


 いざ被ってみると、変な気分である。頭の横が締め付けられるような違和感と、ちょこんと乗せているだけのような不安定さがある。頭を振ったら落ちそうだ。

「これ、かえって危なくないか?……なんか走っているうちに落下しそうで、気になって集中できないって」

「ふむ。大概のヘルメットは欧米人向けに作られておるからな。日本人の頭の形には合わないのがよくあるのでござるよ」

 ユイが補足説明を加える。確かに欧米人の頭は前後に長く、左右に狭いと聞いたことがある。しかし……

「ああ、フィットしない理由は別にありますよ?」

「え?」

「む?」

 アキラはもちろん、ユイも怪訝そうな声を上げてルリを見た。

「アキラ様。ちょっと前かがみになってみてください。自転車に乗る時のような姿勢で結構です」

「お、おお。こうか?」

 クロスバイクだって、ロードほどでなくとも前傾姿勢をとるのが前提だ。軽く背中を曲げて、頭を下げる。そのまま前を向くように、首を伸ばすと……


「あ、あれ?」

「どうしたのでござるか?アキラ殿」

「い、意外とフィットする……」

 今まで不安定だと思っていたのが、ぴたりとはまった気がした。相変わらず深さはないが、安定はした気分だ。

「そうです。自転車用のウェアやヘルメットは、全てその姿勢に合わせて作られます。通常の服や帽子は直立姿勢に合わせてあるですが、自転車用はその基本姿勢が違うといった具合ですね」

「なるほど……ん?」

 そっと、ルリがアキラの頭に手を乗せた。そのまま軽く撫でられる。

「このまま走りますと、空気の抵抗を前方から受けることになると思います。すると、この流線形がダウンフォースを生み、より密着性を高められるのです」

「ダウンフォースか」

 自転車でも、速度が上がれば空気抵抗が増す。そのせいで帽子が飛ばされることもあるが、このヘルメットは逆だ。風を受ければ受けるほど、しっかりと頭に吸い付く仕組みになっているらしい。

「穴が開いていますので、そこから汗も飛びます。熱中症にならない工夫ですね。それと、もう少し目深にかぶってください」

「目深に?」

「ええ。基本的に自転車は、転倒したときに前頭部からぶつけることが多いんです。逆に言えば後頭部をぶつけることは少ないので、そちらは浅くかぶってくださっても構いません」

 額を覆うほどに、目深にかぶってみる。そのヘルメットの淵越しに見る景色は、なんだか……

「……レーサーって気分にさせてくれるぜ」

「ええ、悪くないでしょう?」



「ユイも被ってみろって。俺は気に入ったぜ」

 1分とかからずルリに丸め込まれたアキラが、ユイにも勧める。

「え?いや、拙者は要らぬ。要らぬでござるよ」

「いいからさ。ほい」

「きゃっ!」

 ほぼ無理やり、ユイの頭に乗せられる。

「……うむ?むー、やはり、気に入らんでござる」

 ユイが鬱陶しそうにヘルメットを振った。というより、頭を振った。彼女の長い髪が広がる。

「ああ、それ、髪を縛ってないからだと思います」

「いや、ルリ姉。縛ったら余計に当たるでござる。髪留めが」

 ポニーテールなどにするとき、縛った髪の毛が後ろ方向に跳ねる。それは誰でも知っている事だろう。

 しかし、それがヘルメットに当たるせいで安定感を失ったり、首を動かしたときに髪がヘルメットを前に押し出してしまうことを、あまりヘルメットメーカーは知らない。

「そういうもんか?」

「アキラ殿は殿方である故、おなごの悩みなど知らぬでござろう。あの突然ヘルメットがポニーテールに押されて前に垂れる恐怖……走っている最中に突然、目の前が真っ暗になるのでござる。危険でござるよ」

「そ、それは危ないな」

 ユイの意外な気迫に、アキラも圧される。きっとそれだけ恐ろしい目に遭ってきたのだろう。

「まあ、私も中学生の頃は髪を伸ばしていたので、気持ちは解ります」

「ルリ?」

「ルリ姉?」


 すっ、とルリが、ユイの髪に触れる。

 実はルリもそのくらいまで伸ばしたことがある。なので、彼女の悩みも多少であれば分かるのだ。ついでに言えば、通学用とレース用が全く別なものであることも。

「レース用ヘルメットは、前傾姿勢をとるために、後頭部が開いている。そう言ったでしょう?」

「う、うむ」

「だから、後ろでも低い位置で縛れば当たらないんです。絡まるのが気になるなら、このままお団子にしてしまうのも良いですね」

「ほ、ほう?」

 優しく彼女の髪を手櫛で梳いたルリは、そのまま適当に縛って折り返していく。まんざらでもないのか、ユイは抵抗しなかった。とはいえ緊張はするようで、借りてきた猫のように身体を硬直させているが、

「私のように編み込んでしまうのも面白いですが、ユイほどの長さになると大変ですね」

「む、そうなのでござるか?拙者、編み込みというものをやったことがござらぬのじゃが」

「髪束をクロスさせるたびに、櫛で梳いてください。そうしないと、毛先が絡まっていきます。まあ、自転車に乗るだけならそこまで気にしなくてもいいのですけどね」

 今回は適当に、細い三つ編みを作って、お団子の周りに巻き付けていく。漫画に出て来るチャイナ娘みたいなやつ。

(へぇ。こうやって縛ってるのか)

 アキラにしてみれば、まったく知らない世界。それを目の前で繰り広げられている感覚である。すっと細かく光を反射するユイの髪を、ルリの細い指が絡めていく。

 ――最後に、ヘルメットを被せれば……


「完成です」


「こ、これが拙者?」


 鏡に映る自分は、少し大人びていた。大きなヘルメットの恩恵か、いつもより少しだけ小顔に見える。頭にボリュームが出る分も含めて、ややシャープに。

「ユイの場合、こういったサングラスを合わせてもカッコいいかもしれませんね」

「ううむ……しかし、拙者はロードバイク乗りではないでござるよ。それに女子高生たるもの、もっと普通に可愛くても……」

「その喋り方でそれを言いますか」

「喋り方は放っといて欲しいでござる。そもそも戻せるなら戻したいキャラなのでござるからな!」

「はいはい」

 ルリの指がヘルメットの隙間を確認するように動き、ユイの耳を撫でる。

「ひゃんっ!?」

「ああ、失礼。このシルエットだと、頭の上ばかり大きくてボリュームが目立ちますからね。バランスをとるなら、大きめの耳飾りでも付けた方が良いかもしれません」

 つぅ……と、耳の淵から裏側へ、指を滑らせる。


「~~っ!」


 正直、とてもくすぐったいわけだが、

「耳自体に飾りをつける以外にも、髪を二つに縛る方法もありましたね。まあ、ユイの年齢的には少し抵抗のある頃かもしれませんが……」

 ルリに至っては真面目に話しているようなので、

(拙者が見悶えたり取り乱したり、というのも、変でござるな。こらえねば……)

 と、我慢するしかない。

 首の後ろを撫でられる。

「ユイのうなじ、綺麗ですね。剃った跡も無いようで」

「ま、まあ、そんなところ自分では剃れぬよ……っ」

「それはそうですね。……眉毛は剃ってますか?」

「う、うむ。多少は」

「なら、ヘルメットで隠してしまうのはもったいないかもしれませんね……前、失礼します」

 ヘルメットの被りの深さを調整するためだろう。ユイの顎に親指を当てたルリは、そのままメットを少し後ろにずらす。そして目に絡みそうな前髪をそっと分けた。

(んっ……毛先が――)

「このヘルメットより、もっと正面の丸いデザインの方が良いかもしれませんね。アキラ様が被るなら、このくらい尖っていても似合うと思うのですが……」

 そっと顎から首まで撫でられると、ざわざわする。猫じゃあるまいし、そうそう触られる経験もない部分だ。何より、自分で触るときと全然ちがう。

 頬に当たる髪も、前に後ろにと弄られる。

「ここも、下がっていた方が可愛らしいのですが、自転車に乗るときに邪魔になると困りますね。横を向いたときに口に入っても気になるでしょうし……」

「そ、そうでござるな……」

 サイドの髪が、耳にそっとかけられた。それだけでもムズムズしたが、


「ふーっ」


「ひゃぁあぁぁぁ、あ……?」


 急にルリが息を吹きかけるものだから、つい大きめに声が出てしまった。ついでに言うと、飛びあがって転びかけた。

「な、なななな何をするでござらららるられ!?」

 振り向きざま、ルリをびしっと指さしてみれば、

「あ……」

 そこには、気まずそうに店の窓の外に視線を向けるアキラがいた。

「あ、アキラ殿?」

「ん、何も聞いてなかったぞ」

「拙者が何も問わぬうちに答えるでないわ!」

 慌ててヘルメットを脱いだ彼女は、鼻に顎紐を引っかけて「ふがっ」と言ってから、それを棚に戻す。そして、

「る、ルリ姉。やはり拙者はヘルメットなど要らぬでござる。要らぬでござるからなーっ!」

 叫びながら、ぱたぱたと外に出て行った。

「……アキラ様。ユイは何が気に障ったのでしょうか?」

「それ、俺から教えないといけないの?」




 やや流線型ではあるが、思ったほど尖っていないデザインのヘルメット。それは『レースだ』と言うほど気合の入ったものでもなく、かといって『通学中です』と思われてしまうような子供っぽさもなく、

「これ、ちょうどいいな」

「ええ。OGK.kabutoの、RECTですね。レース用JCF公認でありながら、カジュアルに被れる優れものです。日本メーカーですので、アジア人特有の頭の形にも綺麗にフィットします」

 たしかに、ルリが普段使っているモデルよりも、もっとカジュアルだ。ただのクロスバイクに乗るのにも違和感なく、ラフな服装とも合わせやすい。

「私が使っているGIRO SONNETは、あまり日常使いには適しませんからね」

「でも、ルリもカッコイイぜ。なんっていうか、似合ってるって言うか……」

「ええ。気に入ってます。私はレーサーですから」

「そうだったな」

 結局のところ、ユイに髪型やアクセサリーまで勧めたように、最終的には『どう自分を飾るか』でしかないのだろう。

 デザインが自分に似合うかどうか、あるいはその日の気分に合うかどうか、そんな風にファッションとしてとらえても良いのかもしれない。

「ちなみに、一人でいくつも持っている人もいるのか?」

「ええ。たまにいます。私のお客様でも数名ほど。かくいう私も、レース用ジャージの時と通学の時で違うヘルメットを使っています」

「あ、そうなの?」

 全然気づかなかった。

 もっとも、ルリはそれに対して気を悪くはしなかった。『ちゃんとおしゃれしているんだから見てほしい』という気持ちも無いわけではないが、この手のマニアックな部分に注目している人が少ないのも知っている。

 逆に言えば、

「アキラ様も、きっと何を被っていても、あまりおかしな目で見られませんよ。せっかく格好いいクロスバイクに乗っているのですから、堂々とヘルメットくらい被りこなしてください」

「うーん。そういうもんかね?」

「ええ、そうですよ」

 強く頷いたルリは、続いて店のさらに奥を指さした。



「せっかくですから、次はレース用ウェアなどいかがでしょうか?気分も引き締まりますし、空気抵抗も減らせますよ。まるで前に引き寄せられるような異次元の走り。それは服装から得られるのです」

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