第17話 ママチャリの相場っていくらだ?

「それでは、ユイ様の自転車はこちらになります。お帰りの際は、事故などにお気を付けください。お疲れ様でした」

 ルリがママチャリを持って、少女に渡す。相手が受け取りやすいように車体の右側に立つあたり、さすが自転車店のバイトだ。

「あー、かたじけない。では、楽しかったぞ」

 少女は自転車を受け取り、普通に跨った。ルリやアキラのように後ろから乗るのではない。車体中央を跨ぐ形で乗る。いかにもママチャリらしい乗り方と言えるだろう。

 そして軽快に走り出し、すぐにUターンして戻ってくる。

「あら?忘れものですか?」

「いや、違うでござる。何で拙者を追い返そうとするのでござるか」

「邪魔だからですが、なにか?」

「辛辣でござるな。せっかく出会ったのでござるから、拙者にそこの御仁を紹介して、なおかつ拙者をそこの御仁に紹介するのが筋でござろう。そうでござろう?」

 少女が強く懇願すると、ルリは一言『めんどくさい』と呟いてから、アキラの方に手を差し出した。

「こちらが、不知火翠様。先日、うちのお店でクロスバイクを購入してくださったお客様です」

「よ、よろしくな」

 紹介されたアキラは、少女に言う。少女が握手を求めるように手を差し出してきたので、アキラも手を出した。

 それを遮るように、ルリが割って入る。

「アキラ様にもご紹介します。こちらが、クマのぬいぐるみをしておられる、からあげ様です」

 ルリは少女からぬいぐるみを取り上げると、その手を差し出した。アキラは何が何だか分からないまま、ぬいぐるみと握手をする。

『ぼく、からあげ。よろしくね(ルリ裏声)』

「お、おう。よろしく」

 よく分からない空気の中、少女だけが阻害されたような雰囲気になる。ルリはぬいぐるみをママチャリのカゴに乗せると、その車体を少女に差し出した。

「それでは紹介も済みましたので、どうぞお帰り下さい。お出口はあちらになります」

「え?拙者は?からあげの紹介は確かにしたけど、拙者は?」

「ちっ」

「あ、ルリ姉。いま、舌打ちしたでござるか?拙者に舌打ちしたでござるか?」

 よよよ……とばかりに泣き崩れる少女を指さして、ルリは言った。

「こいつが天地 唯あまち ゆいです。覚えなくても差し支えありません」

 その一言で、泣いていた少女――ユイは、ぱぁっと笑顔を見せた。

「そ、そうでござるよ。拙者はユイにござる。ルリ姉。しっかりと紹介できるではないか。褒めて使わすぞ。ありがとう」

「いや、お前って結構酷い扱いされてんな」

 なんだか分からないが、ルリと仲がいいのやら悪いのやら……



「いやはや、さきほどは済まぬ。拙者、ああいった走り方が好みゆえ」

 ユイがアキラに頭を下げる。元気と勢いがあるのは良いが、そのまま前にひっくり返りそうで怖い。

「つまり、お前は俺を疲れさせるつもりはなかったのか?」

「うん?違うぞ。拙者は相手を疲労させる走りが好みなのだ。だから先ほどの行為も、わざとやったものでござる。許せ」

「いや、許す要素がなくなったぞ」

 それ以前に話し方や一人称に突っ込みたいが、突っ込んだら負けな気がしてならない。

「ところで、どうしてママチャリであんな速度が出せたんだ?俺のクロスバイクより速かったけど?」

 アキラが訊くと、ユイは自慢げに答える。

「まあ、拙者のビレッタは特別ゆえ、な。改造を施してあるのでござる」

「ビレッタ?」

 聞きなれない単語に、アキラが首をかしげる。

「うむ。拙者の自転車の名前でござる」

「ああ、そういうニックネームなのか?」

「いや、違うでござるよ。モデル名。いわゆる商品名でござる。ルリ姉のアイローネや、アキラ殿のローマと同じでござるな」

 アキラ殿……か。どうやら普通にアキラ君などと呼んでくれる人はいないらしい。殿だの様だの、まあ悪い気はしないが。


「で、そのビレッタっていうのは、普通のママチャリと違うのか?」

 アキラの問いに、先に答えたのはルリだった。

「いえ。本来なら、普通のママチャリでしたよ。ブリヂストンが開発したアルミフレームのシティサイクルです。当店で27000円ほどで販売していた車体ですね。ビレッタ自体は……」

 何やら棘のある言い方だ。

「2万7千って、高くないか?」

 アキラは驚いた。何しろその金額で、安いMTBやクロスバイクは買える。何よりこの間まで、ホームセンターで1万円で買えるママチャリに乗っていたアキラからすると、この金額は高級に思えた。

「相場は1万くらいだよな?」

「いいえ。大体2~3万くらいでしょう。まあ、ビレッタがそこそこ高級なのは確かですが」

「いや、俺からすると法外に聞こえるぞ」

 何やら最近、アキラの中の常識が壊れてきている気がする。

「それでは、分かりやすく話をしますね。アキラ様は、コーヒーの相場はいくらだと思いますか?」

「え?それは、缶コーヒーって事か?自販機やスーパーで売っているような?」

「はい。それで構いません。アキラ様はいくらが缶コーヒーの適正な価格だと思いますか?」

 缶コーヒーは相場が安定している。そのため、例えに出すにはうってつけだった。

「まあ、120ないし130円くらいじゃないか?」

 と、妥当だと思われる値段を言う。さほど悩むことではない。

 数年前までは消費税が5%だったため、自動販売機での相場は120円。その後は8%に引き上げられたため、ざっと130円。スーパーで買うなら100円を切る場合もある。

「ママチャリで言うなら、それが2~3万くらいの自転車です。そこ行くと、彼女が乗っているビレッタはちょっと高めですね。缶コーヒーでいうならデミタスくらいの高級感です」

「そう聞くと適正価格な気がするけどさ。じゃあ俺がこの間まで乗っていた1万のママチャリは何だ?」

「缶コーヒーで言うなら、量販店のオリジナルブランドで開発される29円のコーヒーですね。泥水みたいなやつです」

「ああ、あの苦いだけで香りも何もない奴か。墨汁みたいな」

「あるいは、砂糖だけでごまかした奴ですね」

 最近見ないが、一時期はよく見たコーヒーだ。29円という価格から設定して、中身をそれに合わせた商品である。缶の方が中身より高いのは言うまでもないが、そもそも缶の塗料すらケチってデザインされていた覚えがある。

「拙者は割と好きでござったが?」

 ユイが寂しそうな顔をする。しかしルリは無視して話を進めていた。

「まあ、そこ行くと私たちのスポーツバイクは、缶コーヒーに例えられないような価値を持っていますね。コーヒーに例えるなら、シアトルスタイルの紙コップのやつでしょうか」

「ああ、あれも俺は嫌いだわ。豆よりキャラメルやシナモンにこだわっちゃった感じがして嫌」

「そうですか……好みが合いませんね」

「拙者は何でも好きでござるよ」


 コーヒー談義はさておき、

「安物はどこまでも、商品価値を落としてコストダウンできます。嫌な事を思い出させるようですが、アキラ様のママチャリが壊れた原因を覚えていますか?」

 ほんの数日前の事だ。忘れるにはまだ早い。

「たしかパンクした後に乗ったのが原因だったな。空気圧が低かったせいでパンクしたんだっけ?」

「そうですね。これが2万の自転車なら、そもそも空気自体がそう簡単に抜けなかったでしょう。それにパンクしにくいよう、タイヤ自体に硬さを持たせた車体も多いです」

「つまり、俺の自転車も安物だから壊れやすかったと?」

「はい。もっとも、壊れたら乗り捨てるくらいに考えているなら、、コスト的にはどちらが安いのか分かりません。なので当店でも、必ず高い商品を勧めているわけではありませんけどね」

「ん?でも、高い方が安全なんだろう?」

「ママチャリに至っては、そうでござるな。まあ、お二方のようにスポーツバイクであれば話は別でござろう。軽量化のために強度を犠牲にしておるからのう」

 ここにきて、ユイが口を挟んだ。

「たとえば、拙者はこの自転車を、高校の入学時に購入したのでござる。それからもう2年が経つのじゃが、こうして元気に走っているのでござる。もう30000kmは走ったでござるか?これが安物なら10000kmでお釈迦でござろう」

「ってことは、やっぱり高い金を出して正解だったんじゃないか?」

「結果論でござる。なにしろ、拙者がすぐに原チャリに乗り換えた可能性もあったわけじゃからな。そうなったら、せっかくの頑丈な車体も持ち腐れと言えるのじゃ」

「あ、そうか。原チャリって高校生でも乗れるんだったな」

 まあ、実際にはユイも免許なんか持っていないわけだが、様々な可能性を考えるなら、どんな自転車が一番かなど分からないものである。

「まあ、拙者の自転車は高級だからこそ丈夫でござる。それは事実でござるがな」

 ユイが得意げに胸を張る。こうしてみると、彼女は口調を除けば普通の女子高生だと思った。


「異議あり」

 ルリが手を上げる。

「ユイ。あなたの自転車は、確かに本来なら頑丈な車体だったでしょう。でも、既に滅茶苦茶な改造を施してしまった。その車体には、もう高級ママチャリとしての価値は残っていません」

「なっ、ルリ姉。それは違うでござるよ。拙者はさらなる高級ママチャリを求めて、改造を施したのでござる。まあ、ほとんど叔父上にやってもらったのでござるが」

 改造、と言っても、アキラが見た感じではどこが弄られているのか分からない。見れば見るほど普通のママチャリだろう。もっとも、素人目に見たって分からない業界なのだろうけど。

「これって、どこが改造されているんだ?」

 アキラが聞くと、ユイは待ってましたとばかりにピョンと跳んで距離を詰めた。ぶつかると思ったくらいの至近距離から、グイっと見上げられる。

「よくぞ聞いてくれたのう。拙者の自転車は、足回りの部品を全部、競技用ロードバイクのものに取り換えているのでござる」

「はあ?マジかよ」

「マジでござる。ちなみに改造費だけで10万円ほどかかったでござるがの」

「どっちが本体だ?それ?」

 アキラのツッコミを他所に、ユイが嬉しそうに自分の自転車を持ってくる。その自転車の元を知らないアキラは、やはり首をかしげるだけだった。

 一方、元を知るルリは目を伏せる。そのくらい悲惨な改造に見えたのだろう。対照的にユイ本人が胸を張るのは、自己満足度が高かったからに違いない。


 初期装備としては、6段変速ギアと自動で点灯するライトが付いていたはずだが、この車体はそれらを一切外している。

 代わりに搭載されたのは、ロード用のホイールと22段変速ギア。そして強力なバッテリー駆動式ライトだ。

「おぬしらが使っている20段変速のTiagraより、もう一つグレードの高い105という名前の変速ギアでござる。競技用の変速ギアを搭載したママチャリに、普通の自転車が敵うはずなかろう?」

 一部で有名な、改造ママチャリ。よくYou-tuberがネタでやっていたりするが、その完成形と呼べるのがこの自転車、ビレッタレーサーである。

「そんなこと出来るのかよ……」

 アキラが驚く中、ユイとルリは答える。

「事実、出来てるでござる」

「残念ながら、出来ません」

 二人の意見は、真っ向から割れた。

「で、出来てるでござろう?ほら、よく見るでござる。実際に105を組み込んだでござるよ?」

 自転車を指さして、声高に主張するユイ。しかしルリは首を横に振り、無表情のまま口を開く。



 ここから次の行間まで読み飛ばすことを推奨します。



「確かに、一応組み込まれていますね。無理矢理に押し広げて、ですがね。そもそも元々はボスフリーハブの6段だったのでしょう?私の記憶が正しければ、そのフレームのエンド幅は126mmです。そこに105の130mmのハブが入るわけないでしょう。

 フロントディレイラーにしてもそう。本来なら取り付け不可能なところを、フレームにドリルで穴をあけて、その中にナットを入れて瞬間接着剤で固定する方式を取りましたね。器用なのは認めますが、フレームに勝手に穴をあけることが強度の不足に繋がります。BAAが付いていたって、さすがにこれではいつ壊れるか分かりません。

 それに、ハブごと交換したせいでリアブレーキが排除されてます。もともとは耐久性とメンテナンスフリーに特化したローラーブレーキをつけていたというのに……まあ、それを外すのは百歩譲っていいでしょう。

 問題は、その後にキャリパーをつけるために、チェーンステーのブリッジに勝手に穴を追加したことです。そのせいで強度が不足する事を考えなかったんですか?ただでさえ4mmもエンドを押し広げているのに、そのうえブリッジにも負担をかけたら割れますよ。

 確かに道路交通法では、こういった車両は違法になりません。けど、その辺の違法車両よりよほど不安定な改造です。なぜ素直にクロスバイクに乗らないのですか。

 フロントにカゴをつけっぱなしにするのも問題です。それにシフターケーブルが干渉して、上手くシフトできないのではないですか?いくら105でも、本来の性能を発揮できなければ宝の持ち腐れでしょう。

 700×23cのホイールにしたって、厳密にいえば0.5inほどのオーバーサイズでしょう。ギリギリで干渉しないみたいですけど、フェンダーが数ミリ変形したらどうなるか、あなたなら分かりますよね?ましてポリカーボネイト素材の純正品フェンダーです。アルミ製より割れやすいと、私は忠告したはずですよ。

 そもそも当店で購入いただいた車両を、誰が見ても危険な状態に改造し、ましてレース並みの危険走行を繰り返す。これで事故でも起きたら当店の整備まで疑われるでしょうが。

 改造すること自体が悪いと言っているわけではありませんが、規格をよく守って、無理のない範疇でしてください。まして本来の部品を勝手にドリルやルーターで加工するなんて、誰も想定できませんよ。もうすでにメーカー保証も、当店の修理サービスも、私の……いえ、最後はどうでもいいですが、つまり……」



 ここから読んでください。



「あー、落ち着けよ、ルリ。つーか久々に見たわ。それ」

 要約すると、ママチャリにロードバイクの部品をつけると壊れるかもしれない。そういう事だったと思う。

「し、しかしこれは叔父上が」

「あなたの叔父上さんが改造したんですか?ならその叔父上さんとやらをここに連れてきなさい。私が直々に説教してあげます」

 何やら、二人は仲が悪そうだという事だけは分かってきた。

「なあ、二人とも、どういう関係なんだ?」

 さすがに気になってきた。ルリはそっけなく答える。

「元、客と店員です。すでにこんな女を客だとは思っていませんが」

「あー、酷いでござる。ルリ姉のお店でビレッタを買った事、忘れたとは言わせぬぞ」

「そんな車体、もううちの商品ではございません。どうぞお好きに走って、勝手に事故でも起こしてください。私の知らないどこかで」

「だって、改造した方が楽しいと言ってくれたのはルリ姉でござろう?それに規格外の改造と言えば、ルリ姉だってこの前、アイちゃんをシマニョーロにしたいと……」

「あぁん?」

「ご、ごめんなさい……」

 ルリに睨まれて縮こまるユイ。多分、こいつらは自転車に対する考え方が違うんだろうな。それも、どこまでも分かり合えない程に。


 その後、ルリの説教は暴走モードのまま長くにわたり、アキラの代わりにユイが熱中症になりそうだった。




「ふむ、巡航速度の割り出しでござるか……難儀でござるのう」

 アキラからいろいろと訊いたユイは、頷きながら目を閉じた。何やら貫禄を出したいらしく、腕を組んでみたり、脚を開いてみたりしている。別に大した貫禄は無い。

「して、ルリ姉はどうやって、アキラ殿の巡航速度を割り出そうとしていたのじゃ?」

「そうですね。とりあえず走り込んで覚えさせようと思っていました。それ以外に巡航の決め手は無いでしょうから」

 ルリがさっぱりと言うと、にやりと笑ったユイは勝ち誇った。

「ふっふっふ、ルリ姉。その程度であったか。どうやらここは拙者の方が詳しそうじゃな」

「……一応、聞きましょうか?」

 ルリが嫌そうに言う。対するユイは楽しげだ。


「いいでござるか?自転車の巡航速度など、自分がこうだと思ったらそれが正解なのでござる。もともと、自転車のエネルギー効率は良くて当然。そこに車体ごとの違いはあれど、速度ごとの違いはないでござるからな。


 では、その巡航の仕方、拙者が走りながら説明しようぞ」

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