1-6 カグラ・ジングウ


 第二防衛キャンプの機能停止、及び対龍組織であるミットガルから裏切り者を生み出した事実は上層部に重く受け止められる事となった。


 まぁ、上層部の判断も当たり前な事だ。何故なら、人類と龍のバランスがすでに崩れているためから。これ以上龍へと傾けば人類の滅亡は確定してしまう。

 どんな思考をしていれば種族を道連れにする道を選ぶのか定かではないが、裏切り者を放置していれば今回以上の災厄を引き起こす。龍ではなく同胞を殺める任務を帯びたのは遺憾だが今回ばかりは流石に仕方がない。


 俺は上層部から受け取った資料を机に投げ出し、大きな溜息を吐き出す。

 現在、俺の所属する独立遊撃部隊にあてがわれた部屋にいるのは、俺一人だ。女性陣は揃って親睦会という名目で街へ飲みに出掛けている。

 それで俺一人書類と睨めっこしていた訳だが、流石に気が滅入ってきた。俺も一緒に飲みに行けば良かったと悔やんでも遅いか……。小窓から覗く夜空には三日月が輝いており、水上都市は夜の喧噪に包まれている。


 面白くないなと天井を見ていると、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 アイツらの帰りにしては早すぎる。誰だ?


「よぉ、誰がいんだ?」


 顔を出したのは黒髪の男だった。ソイツは部屋をぐるりと見回し、俺と視線が合うと今にも吐きそうな顔をしやがる。


「久し振りだな、クソカグラ」


 現れた男の名前はカグラ・ジングウ。イヴやエルフィと同じ昔の仲間だ。俺より数ヶ月先に生まれたというだけで威張り散らしてくるバカだが、実力は肩書きに相応しい。

 目つきが悪く、いつも機嫌が悪そうな顔つきをしているカグラだが、ああ見えて部隊のなかで一番顔が広い。人は見た目によらないとは良く言ったものだ。


「ハァ、部屋にいたのはテメェかクソゼル。あのままくたばってりゃいいものを、ノコノコと戻って来やがってよぉ」


 カグラは悪態をつきながら部屋の奥へと進み、二人がけのソファへと腰を下ろす。俺は机に投げ出した書類を拾い、ソファを我が物顔で占拠しているバカに投げつけた。


「こっちの部隊に戻ったなら読んでおけ。楽しいピクニックのしおりだ」


 カグラは返事をしないが、書類を確認しはじめる。軍服の胸ポケットから潰れた煙草の箱を取り出し、煙草を口に咥えるとオイルライターで火をつけ、煙を吐き出す。


「何の為の特務部隊なんだか笑えてくるぜ。これならまだトカゲ共をミンチにしてる方が楽だな」


「おい部屋の中で吸うなよ。臭いがついたらどうすんだ」


「うるせぇ。女共がいたら騒ぐから今吸ってんだバカ」


 カグラは俺への当てつけか、口の中で溜めた煙を器用に吐き出し、白煙のリングを飛ばしてくる。


「なぁ、ゼル。本当に教官が裏切ったと思うか?」


 そう聞いてくるカグラの表情には迷いが見えた。

 俺、カグラ、イヴは同期なのだが、俺達の教育係を務めた人間が今回の事件を引き起こした人物だ。他の誰かなら特に疑問も持たないのだが、教官が犯人だと言われると疑念の余地が生まれてしまう。


 教官は情に厚く、仲間との信頼関係を最も優先する人だった。まさかそんな人物が部隊の仲間を暗殺し、龍を内部へと引き込んだなど信じられない。


「状況証拠から基づいて判断すれば、間違い無く犯人だろうな。手に掛けられた第二防衛部隊の致命傷は、明らかに人間の手によるものだ。それに、龍が人を殺したのだとすれば食われているはずだし、死体は残っていない」


 自分の感情は度外視した、客観的な視点でカグラの質問に回答する。


「当然そうなるわな。だがよぉ、動機は何だ? あの人は一度部下を亡くして冷めちまったが、それでも仲間殺しをするようには思えねぇ」


「部下を失った? 待て、それはいつの話だ」


 俺の知らない情報が出てきて困惑する。


「お前が暢気に病院のベッドで寝ていた時の話だ。外地調査に行って、無事返ってきたのは教官だけだったんだよ。それからは人が変わっちまった」


 カグラは短くなった煙草を灰皿に押しつけて火を消した。


 ……なるほど。確かに俺が離脱していた時期に何かあったとすれば、全く予想ができない動機が生まれていてもおかしくはないだろう。だが、人格を根本から変えてしまうものなのか?


 だが、外地調査はかなりの危険が伴う任務だ。防衛拠点に守られる内地とは違う、混沌に支配された無法の大地。何が起きても不自然ではない。それこそ行動原理がひっくり返る様な事も。

 

俺達特務部隊にこの一件の調査が回ってきたのも、外地での任務になるからだ。フルメンバーの現状ならば、優秀な新人一人守りつつ任務をこなすのは難しくない。


 今まさにやめろと言ったはずの煙草に再び火を灯しているコイツも、戦闘に関してはエキスパートだ。外地の様な予測不能の場所では最も頼りになる。


「そういや、テメェ二年も働いてないんじゃあ金が無ぇだろ。妹の治療は大丈夫なのか?」


「まぁな。ヤバイ実験に付き合ってやる代わりに、復帰までの間の治療費を負担してもらった」


 カグラは俺の言葉を聞いて、その実験がどんなものかを想像したらしい。俺の両腕に一瞬視線が向けられた。


「なるほど。それでウロボロスに食われた腕が生えてきたって訳か。気持ち悪ぃ」


「生えたんじゃない。作り物を繋ぎ合わせたんだ」


 今は軍服で隠れていて見えないが、俺の二の腕の部分に手術の跡がくっきりと残っている。継ぎ接ぎのゾンビみたいだと妹には笑われたが、同意見だ。

 

 ――ガシャァァンッ!!


 カグラと他愛ない話をしていたところへ、突如轟く爆音。舞い散る火花と、軽々と吹き飛ぶ部屋の扉。現れたのは俺達の命を狙う襲撃者……、ではなく、顔を真っ赤に染めたイヴだった。


「うえっ、……うっ」


 口元を抑えながら嘔吐きだすイヴ。足取りはおぼつず、フラフラと歩み寄ってくる。手には空になった酒瓶が握りしめられている。どうやら完全に出来上がっているらしい。


 イブがここまで羽目を外して酒を飲んだのをみるのはいつ以来か。

 ……ん? 待てよ。どうしてかわからないが、何か重要な事が思い出せない気がする。記憶を手繰ろうとすると、なぜだかこめかみが痛んだ。


 すぐ側で煙草の煙をくゆらせていたカグラの様子を伺ってみる。アホ面を蒼白にさせ、吐き出した煙草を靴底で踏んで隠していた。


 どんなヤバイ状況でも笑ってみせる男とは思えない態度に、俺はただならぬものを感じた。


「……やべぇぞ、ゼル」


 今まで俯いていて表情が見えなかったイヴだが、光彩の消え失せた真紅の瞳と視線が重なった。

 その瞬間、全身を悪寒が駆け巡った。感覚で説明するなら、変異種の龍と遭遇した時に似ている。


「……ぜぇるぅぅ」


 可憐な見た目のイヴから発せられたとは思えない、獣が唸る様な声音。次の瞬間にはイヴが飛びかかってきていた。


 咄嗟に横に転がる様にして逃げるが、今まで俺が座っていた椅子に酒瓶が叩きつけられて粉々に飛散したのを目撃し、思わず瞳を見開いた。


「何で避けるのよぉ! 当たんないじゃない……!」


 人間はどうにも思い出したくない嫌な思い出というものを、記憶から切り離して排除する習性がある。これは、たぶん、そういう事だろう。

 過去の俺はどんな恐ろしい目に遭ったんだ?


「おい、ゼル、何やってんだ! 早く逃げねぇと殺されるぞ!」


 俺は本能のままカグラの声の方へと慌てて走る。部屋のリビングから飛び出し、通路をぬけ、すでに準備万全といった体勢のカグラが待つ昇降機へと乗り込む。カグラは死に物狂いでボタンを連打し、その祈りが通じたのか鉄柵がゆっくりと降りた。


 降下を始める昇降機の鉄柵の先に、ちょうど角を曲がったイヴが現れる。その空虚な瞳は、恐怖そのものだった。



 酒に飲まれたイヴの暴走は、これから四時間あまり続くことになる。

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