1-5 闇


 作戦開始からすでに五分程の時間が経過したが、未だに龍とは遭遇していない。

 木々が乱雑に立つ森はまったく人の手が入っていないおかげで、そこを走るだけでもふかふかの腐葉土に足を取られて体力を消耗する。

 朝靄によって空気中には大量の水分が含まれており、ただでさえ悪い視界がさらに損なわれている。鼻で息をすれば水と土が合わさったような泥臭い臭いが鼻腔をぬけた。


「敵反応はあるか?」


 先頭を走りながら言う。それに答えるのは最後尾のエルフィだ。


「距離二百五十、十一時の方向に三ですぅ!」


 身長と同じ程の巨大な狙撃銃を抱えて走るエルフィは、荒い息づかいのまま答えた。

 重量のある狙撃銃を抱きながら走っているんだ、疲労が蓄積しやすいのは仕方が無い。


 俺はエルフィに言われた方向を睨むが、薄闇と白い霧が広がっているだけで敵の姿は見えない。

 流石に視界の悪さが厳しいな。


「いいかセレーネ、実戦で一番大事なのはいかに有利な状況で相手に戦闘に入るかだ! 初手一撃必殺を心がけろ! まずは俺とエルフィで片づける!」


「はいっ!」


 ようやく教育係らしい事をできるなと思い、携える剣を構え直す。


「距離五十、まもなくです~!」


 薄闇の先で煌々と光る赤眼を確認。身体強化の魔術を自分に施し、地を践む足に一層の力を込めた。


 敵との距離は数秒で縮まり、先手を取る形で会敵する。


 エルフィの索敵魔術は組織の中でも随一であり、彼女の索敵は完璧だ。感知範囲は広く、どんなに悪い視界だとしても、エルフィが敵の位置と数を違う事はない。そんな彼女の優秀さを活かして立ち回れば、こちらが一方的に有利だ。


 姿を現したのは細長い体躯に鳥の様な嘴を持つ小型の龍。体の表面はツルツルとしており、森に紛れるには最適な緑と茶色の斑模様。鋭利な爪を持ち、翼は持たない下位種。


 龍には種類があるが、多くはない。上位の龍の指示のまま動く雑魚の下位種。そして下位種を束ねる上位種。それらの個体とは全く異質で単独行動をとるものを変異種と呼称する。細かい分類はあれど、龍はその三つに分類される。


 俺達の接近を間近まで許した鳥龍は、けたたましい叫び声を上げた。一匹の叫びに他の二匹も反応し、六つの視線が俺達に向けられる。


「遅い!」


 俺は剣を下段から跳ね上げ、鳥龍の細い首を切り裂く。血飛沫をまき散らしながら倒れる一匹目を尻目に、俺の剣は止まらない。続けざまに剣閃を走らせ、もう一匹の鳥龍に手をかける。


 俺が二匹始末したのと同時に凄まじい銃声が響く。後方から放たれたエルフィの弾丸は寸分の狂いも無く最後の鳥龍の眉間を撃ち抜く――、どころではなく跡形も無く消し飛ばした。


 時間にして十秒未満、一方的な殲滅だ。それでも俺は自分の劣化に苦虫を噛みつぶした様な顔をしているに違いない。

 やはり、か。実戦レベルになるとまだ腕の動きが鈍い。後付の腕じゃこんなものか……?


 納得はできないが、今のところは割り切るしかない。セレーネに偉そうな事を言っておいて、模範であるべき俺が感情に流されるのはナンセンスだろう。

 一度深く、息を吐き出して呼吸を整える。


「周囲に敵はいるか?」


「感知無しです~」


「よし、このまま進むぞ」


 最初の一度こそセレーネは攻撃に参加しなかったが、二回目以降は初撃を担当させた。実戦で緊張し、ぎこちない動きをするかと思っていた俺をあざ笑う様に、セレーネの攻撃は繊細で慎重だった。文句の付けようなど無い完璧な動作だ。

 そして、リンシアを出発して三十分が経過した頃、ようやく森を抜けた。本来ならば、森を迂回する補給用の道を使って一時間の道のりだ、上出来だろう。


 南北を二つの山に囲まれたこの盆地は少し強めの風が吹く。辺り一面に芽吹く新緑を風が撫でると、太陽の光を反射して緑の波が生まれた。

 第二防衛キャンプはすぐに目視できた。これほど何も無い草原では、嫌でも目がとまる。

 設置されたキャンプの設備は鉄柵のバリケードに、狙撃手用の鉄塔。バリケードの内側には複数のテントが並び、その中心に五メートルはあろうかという巨大な水晶が屹立している。


「見えるか? 水晶が停止してるぞ」


 本来ならそれはゆっくりと回転しているはずで、微動だにしないという事はやはり何かあったのだ。しかし、設備に損傷は無く、戦闘の痕跡は窺えない。


 バリケードを飛び越え、キャンプに踏み込んだところで俺は絶句した。


 人が死んでいた。


「二人はキャンプ周囲を索敵、警戒! 俺は中を調べる!」


 そう叫んで、二人に指示を飛ばす。俺は二人の返事を待たずに死体に近寄り、抱き起こした。

 身体は石のように重たく、肌は恐ろしく冷たい。口元には血が付着しており、風化して黒ずんでいる。見開かれた瞳には驚愕の色が浮かんでいる。

 致命傷は一目瞭然で、首が掻き斬られている。

 キャンプ内を軽く見回したが、やはり戦闘の形跡は見つからない。背後から仲間にやられたのだろうか?


「……ふざけんなよ」


 流石に俺も感情的にならずにはいられなかった。

 自分を信頼し、背中を預けてくれる仲間を背後から殺すなど、到底許せるものではない。組織がどうとかじゃない、人として絶対にやっちゃいけない事だ。


 死体の眼を伏せさせ、キャンプ内の捜索を始めようとしたところで、こちらに近づく足音に気がつく。


「久し振りね、ゼル」


 声の主は元気が無さそうに笑った。

 逆光のせいで彼女の細い輪郭が光を帯び、長い銀髪が土地特有の強風に煽られて派手に踊る。肌は病的に白く、長い睫に赤い綺麗な瞳。女神をも嫉妬させる美少女が立っていた。


「一年ぶりだな、イヴ」


 セレーネやエルフィと同じ、白を基調とした軍服に身を包む彼女は、かつて共に戦場を駆けたイヴ・ストラスに他ならなかった。


 身長や体型こそ、お子様じみているが年齢は十八。甘い果実酒が好物だ。

 見た目に反して化け物じみた戦闘能力を持つイヴは、ミッドガル最高峰の戦力として数えられている。部隊でのポジションは遊撃、アタッカーだ。


「はぁ……、嫌な再会ね」


 イブは肩にかかった髪を払いながら溜息を吐く。

 しかし、真紅の相貌には言葉とは裏腹な強い怒りの色が窺えた。

 この惨状を見て何も感じない方がおかしい。


「まったくだ。積もる話もあるが、今は急を要する。俺より先に到着してたって事は、もう現状の把握は終わってるのか?」


「勿論よ。まぁ、あたしがここに到着したの、あんたの数分前だけどね」


 イヴは言いながら、コートのポケットから小瓶を取り出し、中に入っていた砂糖菓子を口へ流し込んだ。


「それじゃあ共有を頼む」


 ボリボリと砂糖菓子が租借される音が響くだけで、すぐに返事は返ってこない。間の悪い奴だな、会話中に菓子を食うな。


「……水晶の損壊は無し、再起動もしておいたからそのうち動き出すわ」


 何食わぬ顔で報告を始めるイヴ。このやり取りも久しい。


「了解。それで、この惨状は?」


「まぁ、見ての通りよ。隊長は行方不明、それ以外の四名が死亡。全員が不意を突かれた暗殺ね。状況証拠からして犯人は明確。水晶の停止も人為的なものね。破壊されていたらもっと早く気づけたもの、悪意のある行動よ」


「そうかよ、胸糞悪い」


「同感ね。でもまぁ、八つ当たりくらいはできそうよ?」


 イヴの視線の先には、ゆっくりと回転を始めた水晶があった。

 本来の機能を回復した防衛キャンプには、周辺の龍が一斉に群がって来るはずだ。四方八方から攻撃される事になる。

 苛烈な戦闘が予想されるが、最悪な気分のこの瞬間だけは都合が良い。


「そうそう、今からあたしはあんたの指揮下に入るわ。部隊の戦力増強に歓喜しなさい?」


「嬉しすぎて涙が出るね」


 一応皮肉を言うが、イヴが部隊に入った事で戦力が飛躍的に上がったのは事実だ。


「それと、手を出して。良い物をあげる」


「ん?」


「ほら、早く」


 言われるがまま掌を差し出すと、イヴは小瓶に入っていた最後の砂糖菓子を俺にくれた。

 どうやら、このちっぽけな砂糖菓子が良い物らしい。俺が菓子を口に運ぶのを見て、不敵な笑みを浮かべる。


「暴れるわよ」


「そうだな、とりあえず考えるのは止める事にする」


 イヴとの再会も本来なら喜ばしいのだが、今はそんな気分にはなれそうにない。

 彼女の言葉通り、俺の胸中に渦巻くこの黒い感情は、これから押し寄せてくる龍共にぶつけるとしよう。

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