第7話 逃走勇者と姫さまの、甘いたたかい

「やっちゃったよ……」

「やっちゃいましたね……」


『アリア姫、魔王城から脱出する!』のニュースは、その日のうちに辺境をかけめぐった。


 俺たちは、宿屋から町長さんの屋敷に移ることになった。

 もちろん、アリアと俺は同室だ。「アリア姫を救ったものは婿に──」ってお触れが出てたのと、宿屋のメイドさんが俺とアリアのいちゃいちゃっぷりを証言しまくったからだ。


「アリアはなんだか、うれしいです」


 普段着にエプロンをつけたアリアが、俺にお茶を淹れてくれる。


「コーヤと一緒に、これからのことをお話できますから」

「これからのこと、か」


 俺には『逃走スキル』がある。今回の戦闘でまたレベルが上がったやつが。

 勇者とか、姫さまを救った英雄──って扱われるのはめんどくさいけど、逃げようと思えばいつでも逃げられる。もちろん、アリアを連れて。


 でも『いつでも逃げられる』『ここじゃなくていい』って考えると、嘘みたいに気が楽になっていく。先のことはそのとき考えればいいか。いまは、せっかくのお休みだ。のんびりしよう。


「そうだな。時間もあるから、アリアといろいろ話をしとこうか」

「賛成です。アリアも、コーヤのことをいろいろ知りたいですから」

「お互い、まだまだ知らないことがいっぱいだからな」


 とりあえず、アリアの領土のことを聞いておきたい。


「とりあえず、コーヤの好物を教えてください」

「そこから?」

「当たり前です」


 アリアは俺の前にひざまずいて、ちっちゃな手で俺の手を包み込んだ。


「コーヤとアリアは、生まれた世界も、過ごした時間も違います。これから一緒にいるのですから、ケンカしないように、細かいことでも知っておきたいんです」

「……なるほど」

「とりあえず、コーヤの性癖せいへきを教えてください」

「質問が変わってる!?」

「多少のことなら、アリアは受け入れるつもりです。お母さんのような包容力で」

「そうじゃなくて好物だろ? 俺の好物は……」


 あれ? 元の世界で、インスタント以外の食料を食べた記憶がないよ?


「……めんるい」

「麺類ですね。はい、ちゃんと王国にもありますよ。では、コーヤは暑いのと寒いのと、どちらが苦手ですか?」

「寒い方かな。ちょっとやせ気味だから、暑いのは平気なんだ」

「なるほど、わかりました」


 アリアが身体を寄せてくる。

 というか、椅子の隙間に身体をすべりこませてきてる。


「こうしてれば寒くないですよね?」

「そもそも今日は寒くないだろ?」

「辺境の天気は急変するんですよ? いつ気温が下がるか──」


 言ったとたんに、雨が降り始めた。

 さらに遠くから雷の音。近づいてくる。

 部屋が暗くなり、窓の外が真っ白になって──どん。


「──きゃっ!」

「──うわっ!」


「す、すいません。抱きついてしまいました」

「いや、俺もびっくりしたから」


「ところでコーヤは、どうしてなにもないところで、なにかを押すように指を動かしてるんですか?」

「──はっ」


 無意識にマウスで「保存」を探してた。

 うちの会社、耐雷用のプラグと、無停電装置がなかったから。中小なんで。


「元の世界の職場を思い出してた」

「コーヤは元の世界でもがんばってたんですね。えらいえらい」


 むぎゅ

 抱きしめられた。

 アリアって、胸は結構とあるよな……。


「えらいですね。コーヤは、すごくえらいです……」


 なでなで


 ……まずい。これ『沼』だ。

 あったかくてやわらかくて、すごく気持ちがいい。

 ここまま行くと抜け出せなくなりそうな気が──。


 ……なでなで。


「あの、コーヤ、どうしてアリアの頭をなでているのですか?」

「お返し」

「……あの」

「アリアも、魔王城で苦労してたから」

「…………う、うぅ」


 なでなで、なでなで。

 俺たちは10分くらい、お互いの頭をなでつづけた。


「ま、負けません。こうなったら次の勝負です!」


 アリアはテーブルの上にあるお皿を手に取った。

 さっき、メイドさんが持ってきたものだ。焼き菓子とジャムが置いてある。アリアはそれを手に取り、果物のジャムをめいっぱいつけて。


「はい、コーヤ。あーんっ」

「……う」

「どうしましたかー? ここにはコーヤとアリアしかいませんよ? 恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか」


 いや、元会社員20代半ばとしては、10代前半に「あーん」されるのって普通に恥ずかしいんですが。

 でもアリアは退きそうにない。目をきらきらさせて、こっちを見てる。


「わかったよ。ほら」


 俺はアリアの手を取って、焼き菓子を口に含んだ。

 勢い余って、アリアの指までくわえてたけど。


「────っ!?」


 アリアが、耳たぶまで真っ赤になる。よし。勝った。


「も、もう、しょうがない人ですね、コーヤは」


 アリアはそのまま──俺がなめた指を──口に含んだ。


「────っ!?」


 やばっ。動揺した。

 顔に出たか? アリア、にやにやしてる。

 だけど、元社会人としては、10代に負けるわけにはいかないな。


「おっとアリア、手の甲にジャムがついてる」

「え? あ、さっき焼き菓子に載せたときに──っ!?」


 ぺろ。

 俺はアリアの手の甲についたジャムを指ですくいとり、舐めた。

 ふっ。これくらいは造作もない。


「コ、コ、コーヤっ! か、か、肩が凝っていませんか!?」


 真っ赤になったアリアは、怒ったみたいな顔で立ち上がった。

 肩?

 いや、普通に凝ってるけど。職業病だから。


「マッサージしてさしあげます」

 ふわり。

 音もなく、アリアが背後に回った。

 小さな手が、俺の肩に触れる。……すごくあったかい。


 というか、俺の肩の血行が悪すぎるのか。アリアの手のひらが、ぺた、ぺた、と叩くたびに、ざざざっ、って感じで血がめぐりはじめる。ぎこちないけど、上手い。あと、熱がアリアの手だけじゃなくて──たぶん、俺の肩甲骨のあたりに当たってるやわらかいもののせいか──まずい、これも、はまったら抜け出せなくなりそうな気が。


 ここは、俺のスキルで。


「瞬間移動して逃げないでくださいねー、コーヤ」

「読まれた!?」

「おさな妻にしてお母さんのアリアをごまかせると思わないことです」


 肩越しに振り返ると、アリアはいたずらっぽく笑ってた。


「そういえば、俺も聞いておかなきゃいけないことがあった」

「なんですか? コーヤ」

「アリアの好物は?」

「好きな方が、アリアのお料理をおいしく食べてくれることです」


 ……よくわからない。


「アリア、食事はいつもひとりでしたから」

「王様とは? ……いや、ごめん」


 アリアは先妻の子供で、王様は今の奥さんの子供をかわいがってるんだっけ。


「アリアは離れに住んでおりました。趣味で料理を作ることもありましたが……メイドのようなことをするな、と怒られてました」

「王家ってそういうところなのか」

「なので、料理人が作る健康に良さそうな薄味のもので、毒味を済ませた冷めた料理ばかり食べてました。ひとりで」

「だから、アリアは好きな人に料理を食べさせてあげたい、ってこと?」

「はい。ずっと、アリアの夢でしたから」


 なるほど。


「こういうとき、俺の世界だったら『俺の味噌汁を作ってくれ』って言ったりするんだけどな」

「『みそしる』? それはどんな料理ですか?」

「味付けに大豆を発酵させた調味料を使ったスープだけど。この世界にそんなものは──」

「あります!」


 アリアは俺の背中にくっついたまま、ぱん、と手を鳴らした。


「アリアの幼なじみの故郷に、似たようなものがあったはずです。王都に戻ったあとでたずねてみましょう!」

「まじで? あるの?」

「コーヤの世界のものと同じかどうかはわかりませんが」

「いや。十分だ。似たようなものならぜいたくは言わない。ぜひ紹介して!」

「……もちろん、紹介することになるのですが……その、コーヤ」

「あ」


 いつの間にか、俺はアリアの肩をつかんで引き寄せてた。

 いかんいかん。興奮しすぎた。


 だってさ、この世界の味噌といったら、天然素材の発酵食品だよ? 化学調味料もなくて、自然そのままの味だよ? 生前カップ麺ばっかり食べてた身としては、興奮するのもしょうがないんじゃないかと。


「ふっふーん、アリアはコーヤの『甘えさせポイント』がわかりました」


 わかられた。

 弱点を把握されたかー。やばいなー。

 まぁ、アリア相手なら別に気にしないけどさ。


「やっぱり、男の方は胃袋を狙うのがいいようですね。勉強になります」

「公平に行こう」


 俺は言った。


「公平、ですか」

「俺にもアリアの『甘えさせポイント』を教えて欲しい」

「それは公平じゃありませんよ、コーヤ。アリアは自力で見つけ出したのです。コーヤも自分で、アリアの『甘えさせポイント』を探して──って、きゃ、コーヤ」


 とりあえず膝枕してみた。

 アリアを抱き上げて、膝の上に載せて、頭をなでてみる。


「……背中も」

「背中も?」

「背中をなでていただけると、アリアは落ち着きます」


「そうなの?」

「魔王城では堅いベッドで眠っていたのです。きっと、かちこちになってます。コーヤの手で暖めてください」

「はいよ。アリア姫さま」

「……もう」


 俺たちは夕食の時間まで、お互いについてわかりあうことにしたのだった。

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