世界で一番君が好き

 ヴァンパイアは倒した。

 なら、つぎは。


「――冬華!」


 僕は今にも倒れてしまいそうな体を無理やり動かして冬華へと駆け寄る。


「大丈夫か」


「う……あぁ……ヴァンパイア、は? アイツはどうなって……?」


「大丈夫、僕が殺した。もう心配はないから!」


 僕が冬華へ呼びかけると、重苦しい呻き声が聞こえた。

 ポッカリと空いた左胸。

 そこからはいまもなおドクドクと血がなかれ続け、顔色は青白い。


 今にも死んでしまいそうな様相を呈していた。


「ま、待ってろ。今ポーションを……」


 僕はすぐさまバッグからポーションを取り出そうとする。

 今、僕が持っているポーションは計二つ。


 手に入れた時は大量にあると思っていたポーションも、ここにたどり着くまでにそのほとんどを消費してしまっていた。


 しかし、ここでポーションの使用を渋るなんてことはあり得ない。

 僕は後先なんて考えずに、ポーションの栓を開く。


「ほら、口を開けろ」


 寝転がった冬華の頭を僅かに持ち上げ、口元にポーションを持っていく。

 冬華はピントのずれた虚な目でそれを見る。


 もう意識があるのかもわからないような容態だが、微かに残った気力が後押しして、口に流れ込んだ液体をゴクリと喉に通した。


 すると、朦朧として今にも死にそうだった身体に僅かな生命力が灯る。

 しかし、彼女の胸に空いた風穴は一向に治癒される気配がない。


 いや、さっきと比べれば流血の速度も大分緩やかになったが、それでもまだ足りない。

 未だ、彼女は死の淵に立たされたままなのだ。


 なんで……?

 困惑、次に焦燥が湧き出る。


「一本じゃあ、たりないってことか?」


 今まで、このレベルの致命傷を負ったことがない。

 だから僕は、単純にポーションの量が足りないだけ。

 あと一本のポーションを使えば、次こそは治るはずだと、根拠のない考えに抱いていた。


 そして、それは二つ目のポーションを使用してすぐに崩れ去る。


 傷の治癒が行われない。

 いや、正確にいうならば、回復スピードが極端に遅い。


 今までの経験から、このポーションを使えば逆再生でもしているかのような……いっそ恐怖すら感じるほどの超回復が行われることだろうと信じていた。


 だが、どうだ? 

 ヴァンパイアにやられた傷は一向に治る気配もなく、緩やかながらに、未だ胸の傷口からは血が流れ続けていた。


「どうすれば……どうすればいいんだ!?」


 もう手持ちのポーションはない。

 使い切った。

 打つ手がない。


 そもそも、なんでこの傷は治らない? 

 一番初めに浮かんだのは、ヴァンパイアの能力だ。


【鑑定板】を使っていないからヴァンパイアの能力について全てを把握しているわけではないが、傷の治りを遅くするようなスキルがあってもおかしくはない。


「クソがッ!」


 だとすれば、もうどうしようもないじゃないか。


 己の無力さに、何もできない歯痒さにイライラする。

 悔しい。

 本当にもう何も出来ないのか?


 考えても考えても、いい案なんてそう都合良くは出てこない。


 きつく握り締めた僕の手が、冷たい……氷のような触感に包み込まれた。


「とう、か……」


 満身創痍で倒れ臥す冬華の瞳に光が灯っていた。

 体はもう限界のはずなのに、必死に何かを伝えようと、パクパクと口を動かす。


「もう、私……死ぬん、ですかね」


 グッ、と僕は口を噤んだ。

 もう僕に出来ることなんてない。

 薄々、分かっていた。

 このままじゃあ、冬華は死ぬ。

 間違いなく。


 でも、言えるか? 本人に。今から君は死ぬんだって。


「……い、いや、死なない。死なないよ!」


 否。言えない。言えるはずがない。

 それが虚言でも、僕の口からは、絶対に。


「……そう、ですか。そうですよね」


 冬華はうっすらとまぶたを閉じる。

 閉じては開ける。



「ねぇ、奏くん。私ね……まだ、やり残したことがあるの」


「あ、ああ。そうだよな! ずっと言ってたもんな、自分の家を買い戻すって」


「……ううん、それは……もういいんです。もうね、途中から、家なんてどうでもいいって考えてた。なんでか、分かりますか?」


 僕の腕の中で儚く微笑み続ける彼女に、僕はたじろいだ。


 分からない。分からないよ。

 不意にじわりと涙腺が熱を帯びる。

 視界が歪む。


「それ以上に、やりたいことが、好きなことが見つかったからです」


 手にじんわりとした温もり、とヌメリがまとわりつく。

 それが一層、彼女の死を予感させた。


 だというのに、冬華はそんな気配を感じさせない笑みを浮かべる。


「わたし、わたしね。好きな人がいるですよ?」


 ドキリ、と胸が跳ねた。


「……君だよ。奏くん。わたしは君がだいすきです。だいすきでした」


 ギュッと、握られた手が強く締め付けられた。

 それと同じくらい、僕は心臓を掴まれたような感覚を覚える。


「俺、も。俺も好きだ。好き、だよ」


 もう我慢の限界で。

 必死に堪えていた涙が堤防を壊して溢れ出る。


「――だから、死なないでくれ……たのむから」


 自分でも、情けない声だったという自覚はある。

 でも、今は自分を偽る余裕もなくて。

 ただひたすら、懇願することしかできない。


「え、へへ。よ、よかったぁ……わたしたち、両思い、だったんですねぇ……こんなことなら、さっさと告白しちゃえば、よかったなぁ……っていうか、奏くんも早く、告白してくれればよかったのに。そうすればさぁ、もっと、いまごろ、恋人みたいなこと……できたのに、ねぇ」


 冬華の声が震えている。

 やはり血は止まらず、再び肌は青白さを増していく。

 僕はそんな彼女の体を抱きとめて、離さない。離せない。



「わたし、奏くんと、普通にカップルみたいに、街でお買い物したり、映画をみたり、いちゃいちゃしてみたり……そんな、普通の恋人みたいなこと、してみたかったんだけどなぁ……でも、たぶん、むり、かな?」


「そんなこと――」


「そんなこと、あるんですよ。分かってる。自分が一番よく、わかってますから」


 そう告げる冬華の顔は、どこか晴れ晴れしていて、でも、泣きそうで、悲しそうで――


「ああ、いやだなぁ……死にたくないなぁ……本当はもっと、生きていたかった、なぁ……」


「だったら、もっと生きてくれよ。僕と一緒に生きてくれよ。僕の隣で生きてくれよ! たのむから、たのむからさぁ……僕のそばから、いなくならないで」


 泣きじゃくる僕の頬を、冬華のか細い手がそっと触れる。


「泣かないで……」


 無理なことだ。

 涙がどうしても止まらない。

 そんな僕を、冬華は困ったように見つめる。


「私が死んでも、君は、君だけは生きて。生き残ってね……」


 自分を残して、逝ってしまうというのに、勝手がすぎる。


「むり、だよ。冬華がいない世界で、僕一人生きて行けっていうのかよ……」


 らしくない泣き言だってわかってる。

 でも、そう溢さずにはいられなかった。

 あふれる涙が、感情が、僕にそうさせた。


「うん。わたしがいなくても、君は、ちゃんと生きなきゃ、だめ。やくそく、して?」


 無理だよ。

 僕はかぶりを振った。


「ねぇ、奏くん。わたしは、世界で一番、君のことを愛しています……。奏くんは、どう?」


「さっきも言っただろ、僕だって……」


「なら、分かるでしょ? 好きな人には、簡単に死んで欲しくないの。生きて生きて生きて……しあわせに死んでほしい」


「まあ、私はむりっぽいけど」と、彼女はお茶目に笑った。

 とんだブラックジョークだ。

 笑えないよ。


「だから、約束して」


 僕は、答えられなかった。


「本当に、本当の、一生のお願い。だから、ね?」


 儚げな笑顔で僕の顔を覗き込む。


「わ、かった。僕は、生きるよ。最後まで、生きるから」


 その口から出た声は、今までにないほど震えていただろう。

 こぼれ落ちる涙が唇を濡らし、喉の奥が痛いほどの渇きを訴える。


「そっか。よかったぁー」


 スッカリ安心したように、彼女の顔がようやく綻んだ。


「最後に、さ。恋人みたいに、キスくらいしたかったんだけど、ね。ぁ、もう、力、出ないやぁ……」


 ホロリと、涙が頬を伝って流れる。

 僕の顔に手を伸ばそうと掲げた彼女の手が、無残にも空を切り……パタリと、力なく落ちた。



「とう、か?」




 最期は、アッサリと終わりを告げる。

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