血色の夜
柊木さん……ではなく、奏くんはコートを脱ぎ捨て、走って行ってしまった。
奏くんは何かを言いかけていたようだったが、それも勢いに吹き飛ばされて曖昧に。
いつのまにか、彼の後ろ姿が黒い点へと変わってしまっていた、その時。
周囲にざわめきが広がり始めた。
イルミネーションのある、ある種観光スポットとも言えるここには、多くのカップルがつめ寄せていた……のだが、今この時をもって、甘い空気は剣呑な空気に呑み込まれる。
ざわめきが、悲鳴へと変わる瞬間だった。
赤く、紅い血飛沫が、 照り輝くイルミネーションに飛散した。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」と、甲高い女の叫び声と、男の野太い悲鳴。
現れたのは、群れを成したゴブリンたちであった。
薄汚れた緑色の肌に、申し訳程度に体を隠すボロ布。
錆びついた鉄製の短剣や棍棒を手に、ゴブリンたちはいやらしい笑みを浮かべていた。
二チャリと、嫌悪感を煽り立てるそれは、しかし、パニックに陥った人々の視界にも入らなかった。
突然現れた異形に、色めき立つカップルたち。
ある者はスマホで撮影を始め、ある者は混乱から嘔吐し、ある者はすぐさま踵を返して逃げ去り、ある者は……ゴブリンに襲いかかった。
その男は、喧嘩慣れしているのか、動きに迷いはなかったが、正直言って隙だらけであった。
素人同士の喧嘩であればまだしも、ダンジョン内では最弱とはいえ、ゴブリンは戦うために生まれた悪鬼であり、餓鬼。
飢えた鬼は、殺しに対して一切の容赦などない。
しかもだ。
丸腰の男とは反対に、ゴブリンたちはフル装備。加えて数の利もあるときた。
勝てる要素がない。
そんなことにも気づいてはいない男は、愚かな蛮勇でもって、矮小な暴力を振りかざす。
危ない! と、そう直感した。
ゴブリンがではない。男が、だ。
振り下ろした男の拳は寸分違わずゴブリンの頭部を殴打したが、しかしゴブリンは数歩フラついただけで大したダメージは見られない。
そこには、ニタリと得意げな顔で男を見る魔物の姿があった。
そして、この一幕が開戦の引き金となった。
見る限り、この場にいる戦える人間は……私だけ。
奏くんも、もういない。
走って行った方向から見て彼は、ここからでも感じ取れる、一際大きな存在感の下へ向かったのだろう。
この程度の魔物であれば、私がいれば十分だと判断して。
それは、私と彼の間に信頼があってこそ。
自分は、奏くんにも信頼されているのだと、そう解釈すると、何故だか胸が熱くなった。
滾る想いが溢れ出る。
思わずたじろいだ男は、無意識に一歩後ずさる。
これを好機と見たか、十を超えるゴブリンたちは一斉に男へと殺到した。
男の口から無様な悲鳴が漏れて出る。
本能的な恐怖から、目には涙が浮かび、鼻水が垂れる。
さらに、ベージュ色のスキニーパンツはしとどに濡れそぼっていた。
「だ、誰かっ……助けっ!」
必死の形相で助けを求めるも、誰も手を差し伸べる事はしなかった。
いや、出来なかった。
ゴブリンの小さな体から発せられる殺気に当てられて、身動きが取れなくなっていたのだ。
最弱とはいえ、立派な魔物。
一般人にとっては変わらず化け物なのだから。
動けたのは私だけ。
いつもの短剣は手元にないけれど、そもそも魔術行使にあれは必要ない。
私は、狙いを定めて右手を正面にさし向ける。
狂気を浮かべながら男へと迫るゴブリンたちに――
「“氷礫弾バレット”」
――氷の弾丸をもって死のクリスマスプレゼントをお届けした。
戦闘準備は万端だ。
この程度の魔物の処理、いつものダンジョン探索と比べれば造作もない。
冷笑が自然、顔に浮かぶ。
拳大、いや、それ以上の大きさにまで成長した氷の礫がゴブリンたちの貧相な体を吹き飛ばす。
頭部、腹部、手、足、どこに当たったかは各々の違うが、しかしそのどれもが例外なく部位欠損へと至らしめるほどの攻撃力。
今の私が使う【氷魔術】にはそれだけの“力”があった。
もう、昔の力がなかった時の自分とは違うんだ。
再度、宙空に氷の弾丸を装填する。
ゴブリンの瞳に焦燥と恐怖が色濃く映る。
せめて道連れに……そう考えた数匹のゴブリンは私めがけて走り寄るが、一部が欠落した体は言うことを聞かず、さらに未だ流れ続ける鮮血で出血過多。
道半ばにして傷だらけの体を横転させる。
しかし、慈悲はない。
放っておけば、被害は拡大する。
ここで私が殺す。
冷え切った瞳でゴブリンの群集を睨みつけ、氷の礫弾を射出する。
本物の弾丸を超える威力を持つだろう“氷礫弾”は緑色の肌を深く深く抉り、削った。
真紅が空を舞う。
遅れて、ゴブリンの汚らしい断末魔の声が聖なる夜の空に響き渡った。
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