思い出のイルミネーション

 僕は、冬華の雪のように白く、か細い手に自分の手を伸ばす。


 互いの手は少しずつ少しずつ距離を縮めて……


 指先がチョンと触れた。

 それだけで、頬が発熱するのを感じた。


 意識してしまってから、僕はこんな些細な接触にさえ照れを感じてしまうのだ。


 ダンジョンで、戦いの中での接触ならば割り切れるのだが、今は、そんなこと出来る気がしない。


 ああ、やっぱり僕は冬華のことが――好きなんだ。


 再度、僕は思い知る。

 自分の中に燻るこの気持ちを。

 湧き上がるこの感情を。


 動きを止めた僕を、彼女は手を差し伸べた格好のまま、不思議そうに見る。


 彼女は、僕のことを一体どう思っているのだろうか。

 途端、それが気になり始めた。


 しかし、それはまだ時期尚早か。


 そう、思い直して、僕は彼女の手を握った。


 互いに手袋もしていないため、体温がダイレクトに伝わる。


 冷たい。


 僕の手が感知したのは暖かな温もりではなく、冬の寒さに熱を奪われ、ひんやりとしたものだった。

 気遣うようにして、僕は彼女の手を包み込む。


 それに反応して冬華は、驚愕と困惑、羞恥に染まる。


 いつまでも、道路のど真ん中で立ち往生しているわけにもいかない。


 僕たちは、手を握ったまま歩き出す。


 目的地はない。

 ただ、ぶらぶらと冬の街を漂う。

 僕は、それだけで充足感に浸ることができた。


 ◆



 だいたい五、六時間くらいが経っただろうか。

 日も沈みかけ、空が紫紺に染まるころ。


 僕たちはまだ、東京の街をぶらついていた。


「結構歩きましたね」


 甘い笑みを浮かべながら、彼女は言った。

 駅で路上ライブを聞いてみたり、話に聞いたことがあるような観光地に行ってみたり、と僕たちは今日という日を満喫していた。


 僕は彼女の言葉に首肯で返して、つられて笑みが溢れた。


 流石にもう手は繋いでいないが、あの時の感触を覚えている。

 柔らかかった。そして冷たかった。

 それだけを、今も覚えている。


 ゆっくりと歩きながら、しかし、ボーっと意識を手放していた僕へ、少し先を歩いていた冬華がくるりと振り返って口を開いた。


「あの、帰る前に行ってみたいところがあるんですけど」


 僕から見えた彼女の顔には、強い哀愁を帯びた強引な笑顔があった。


「寄っても、いいですか?」と尋ねる彼女に僕は肯定の言葉で返した。


「あー、楽しみです!」


 繕うように、冬華はいつもよりハイテンションに声を上げる。


 どうしたのだろうか? と疑問を抱きつつも、ここは触れないでおくのが吉、と察して、僕は彼女に合わせて話を振る。


 冬華は少しだけ早足になりながら、僕を先導していく。

 足を進めるたびにフワリと揺れる長い黒髪。

 斜め後ろから見えた彼女の顔には、崩れかけた笑顔。


 泣きそうになりながらも、涙をこらえる女の姿があった。


 僕は、思わずギョッとした。

 冬華のこんな顔を見たのは、初めてだ。

 いつも強気で、凛々しく、礼儀正しい。

 大和撫子を体現したかのような女の子。それが、白月冬華という人間だと、そう思っていた。


 そんな彼女の泣き顔。

 何が彼女をそうさせたのか。


「す、すみません……」


 グズッとコートの端で涙を拭い、僅かに俯く。


「ここら辺は、去年も来た記憶があるんです。家族、全員で……」


 ハッ、と僕はようやく察しがついた。


 ゴクリ、と生唾を飲み込む音が夜の喧騒に掻き消された。


 僕が何も言えないでいる間に、彼女は涙を隠すように目元を隠しながら再び足を進める。


 それから数分。

 目的の場所に到着したのか、冬華は足を止めて光の群集を仰ぎ見た。


 巨大なクリスマスツリーを中心に彩る様々なイルミネーション。

 近年ではクリスマスの定番とも言えるものとなってきた一種のアート。


 彼女はそれを、複雑な感情の入り混じった瞳で見上げている。


「このイルミネーション、去年は家族三人で見に来たんです」

「……そっか」

「……去年までは、お父さんもいて、何も変わり映えしなかったけど、それでも幸せで、普通の日常だったのに……って考えると、ど、どうしても、涙がっ……出て、きてしまって……すみ、ませんっ……!」


 ブワッと、再び溢れ出る涙。

 ダムが決壊するかのように、瞳から流れ落ちるそれは、ポタリポタリとコンクリートの地面にシミを作る。

 冬華は恥も何もなく、嗚咽を繰り返す。


「こ、これ……ど、どうすれば!」


 僕は突然の事態に慌てふためき、そして、無意識のうちに彼女の頭を包み込むように抱き寄せていた。


「だ、大丈夫、大丈夫だから……!」


 何が大丈夫か、なんて考えていなかった。

 けれど、何か言わないと。

 そんな意識に駆られて、僕はひたすらに繰り返した。

 小さな子供をあやすように、頭を撫でながら。

 それも、しばらく続けていると、冬華は落ち着きを取り戻し始めた。


「あ、あの、痛い……です」

「あ……ごめん……」


 パッと、手を離し、彼女の頭を解放する。

 しばし、沈黙が流れる。


「私、男の人にこういうことしてもらったのって……初めてです」


 うぐっ、と僕は言葉に詰まった。


「でも、嫌いじゃあ……ありませんでしたよ?」


 照れ臭そうに、涙の跡が残るその顔で、小さく微笑んだ。

 色とりどりに煌めくイルミネーションの光が彼女を写し、一枚の絵画のように美しく照らす。


 ドキリと、またもや僕の心臓は早鐘を打つ。


 ――ああ、やっぱり僕は君が好きだ。好きなんだ。


 この気持ち、打ち明けるなら今じゃないか?

 ドクンドクンと鳴り響く心音。


 それは、僕を急かすように勢いを増していく。


 ついに、意を決した。


「ぼ、僕はっ……!」


 必死の、魂からの叫び。


 ――しかしそれは、絹を裂くような悲痛な叫びの数々によって打ち消された。

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