氷魔術
「白月さん?」
ボス部屋の先、フロアボスと単身向かい合っていたのはあの白月さんだった。顔見知りということも相まってますます見逃せなくなっていた。一緒に過ごした時間は1日程度。しかも態度は悪いし、協調性もない。どちらかといえば印象は悪いほうだが、だからといって見捨てることはできない。
とはいえ、これで彼女があのボスに勝算があるというのならば僕の手助けは寧ろ邪魔になってしまう。出ていくにしてもタイミングが重要になってくるだろう。
それに彼女の持つ武器があの時使っていたはずの弓から短剣になっているのが気になる。
一週間練習したくらいじゃあ大して技量は上がらない。そんなことをするくらいなら前と同じように弓でも使っていた方が良かったと思うんだが……
僕の中の疑問は尽きない。
彼女たちは睨み合って互いを牽制。しかし、我慢ができなくなったのかボスを取り巻く一体のゴブリンが奇声をあげて白月さんへ迫る。
さて、どうするのか。僕は固唾を飲んで見守った。もし危ないようなら直ぐにでも駆けつけられるように準備だけはしながら待機。
錆びた剣を片手に向かってくるゴブリン。そして、それに焦ることなくただ佇む白月さん。もうその距離は数メートル程度。しかし彼女ら依然として武器を構えようともしない。
――なんでだ!?
僕の心配とは裏腹に彼女は驚きの光景を作り出す。
短剣を持った右手。それをまるで指揮棒のように軽く振るった。
するとなんということだろう。何もなかったはずの宙空に小さな氷の塊が浮かんでいるではないか。そしてその氷塊はかなりのスピードで飛来し、ゴブリンの体を貫いた。ゴブリンはにもできないまま吐血。力なく地面に倒れこんで黒い靄となって消えていった。
この光景に僕は思わず絶句。フロアボスであろうデカゴブリンは先ほどまでの見下した顔を醜く歪めていた。
「そうか、ギルドで噂になってた魔術系スキルを手に入れた人っていうのは白月さんのことだったのか……」
僕の呟きに誰かが反応することもなく虚しく消える。
そして、ゴブリンたちは同胞をやられた怒りか、ボスを残す全勢力が白月さんを襲う。しかしこれにも彼女は一片の焦りも見せない。
またもや迫り来る九体のゴブリンたちに生成した九つの氷塊を射出する。氷の弾丸とも言えるそれはゴブリンたちに一切の抵抗すらも許さずその命を断ち切った。
「すご……」
あまりの手際の良さに思わず感嘆の声が出る。
そんな僕とは反対に彼女の視線はボスゴブリンへと向けられていた。その視線に侮りはなく、警戒と緊張、さらに若干の畏怖すらも含まれていた。
ボスゴブリンの方は自身の部下が全て殺されたことに怒り心頭。緑の肌を赤く染め、瞳は充血、怒りの形相で剣を手に取った。
重い足取りで玉座から立ち上がりビュンビュンと軽く素振り。その風切り音は凄まじく、あの黒ゴブリンに負けず劣らずの威圧感が感じ取れた。
見た限りでは多分パワータイプ。スピードは大したことないがない代わり力と防御力はとてつもないと予想した。白月さんの攻撃手段は手に持った短剣と氷の魔術のみ。これでどうやってあのゴブリンを倒そうというのか。
勝敗を左右するのはやはり氷の魔術の運用。これをどうするか……
僕が頭の中でシミュレーションしていると、唐突に戦況が動いた。
先手を取ったのは白月さん。遠距離から氷の弾丸での攻撃。一気に十近い氷塊を生み出しては射出していく。近寄られる前に仕留める作戦だろうか。
だがその作戦はあっさり破られることになる。
このボスゴブリンはさっきまでのゴブリンとはものがちがう。レベルも骨格も、何もかもが違う。そんなチンケな氷のカケラ程度で自分を殺せるものかと余裕の表情で攻撃を受け続ける。
確かに体に傷は付いているだが、決定的な一撃がない。どうしても与えられるのはかすり傷程度。
ジリジリと近寄るボスゴブリンに白月さんは焦りを隠せなくなっていく。
「――くっ!」
ここに来て初めて、彼女は苦渋に満ちた声を漏らした。彼女の様子を見る限りだと今できる氷魔術の限界があの氷の弾丸ということだろう。であれば、彼女にもう勝ち目はない。
ボスゴブリンはニヤリと口角が上がる。愉悦の表情で焦らすようにゆっくりゆっくり一歩ずつ足を進めて恐怖心を煽っていく。
白月さんもせめてもの抵抗と氷塊を次々と生み出しては打ち込んでいくがやはりそれでは倒れてはくれない。
焦りが、恐怖に変わる。冷静沈着で澄ました顔が恐怖で歪み、目尻に涙が溜まって、体が震えだす。武者震いでもなんでもない、恐怖による生き物としての本能的な震え。
それによって攻撃は弱まっていく。力なく短剣を構えるがまるでなっていない。腰が引けていて隙だらけ。
これ以上はもう無理か……
彼女の限界を感じて、僕は足に力を込め、能力を発動させる。
――“黒鬼化”
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