第3話 浅はか嬢(上)

 翌週、私は朱美との同伴を思惑通り反故にした。メッセージアプリでもブロックしたから、朱美が私にどれだけ連絡を寄越していたのかもわからない。


 そして翌日が休みの平日のこの日、私は例の如くネオン街に繰り出していた。先週とは違い青年会のメンバーとの飲み歩きであったが、一人よりこの団体の方が行動回数として多数派である。ただこの日は、その青年会でキャバクラでの飲み会を終えた後も今一飲み足りなかった。それでキャバクラの閉店後、飲み仲間と解散してから私はまだ帰らなかった。

 どこに行こうか? そんなことを考えながら歩いていると、無意識に先週朱美とアフターをしたガールズバーの前を通り、そしてスーツ姿の男に声をかけられた。


「こんばんは。朱美さんのお客様ですよね?」


 彼はこのガールズバーのスタッフだ。もう朱美の客ではないのだが? と思い、私が表情もなしに立ち止まると、低姿勢ながら笑顔を向けた。


「私、この店の店長です」

「あぁ、そうなんだ」


 随分若いような気もするが、店長とのことらしい。ただ確かに思い返してみれば、先週来た時は店を仕切っているような動きをしていたので、納得もできる。


「良かったら、うちで一杯どうですか?」


 彼の目的は客引きだったようだ。とは言え、私は飲み足りないと思ってあてもなく歩いていたのだから利害は一致している。しかも一度は来た店だ。その際特段ぼったくられたという印象もなかったので、信用はしてもいいのだろう。


「こないだついた美玲みれいちゃんもいますよ?」

「ん?」


 確かに若い彼女は私が朱美を待っている間についた。しかしセット時間の半分で他のキャストに接客を代わったわけで、特段彼女を推す理由がわからない。すると私が発言するよりも先に、店長の彼は言うのだ。


「先週来店された時に、前半の方が楽しそうにしていたように見えたので」

「あぁ、そうかも」


 とは答えたものの、朱美が来てからは不愛想な朱美に雰囲気を壊されただけのような気もするが。


「当店、リクエスト制度がありますよ?」

「リクエスト?」

「はい。キャバクラで言う指名のようなものですが、指名料は特段かかりません」


 なぜそれを今頃言う? 知っていれば先週だって愛想良く接客してくれた美玲をリクエストしていたのに。……と思ってすぐに思い至る。先週は朱美がいた。系列店同士だからプライドばかりが先行するキャバクラの朱美に気遣って、美玲をリクエストさせないように黙っていたのだろう。


「そうか。それなら少し遊んで行くか」

「ありがとうございます」


 私が決断すると店長は嬉しそうに笑って礼を言い、私を店内に案内した。その際にリクエストを聞かれたので、もちろん美玲をリクエストした。


 この日は他に客がおらず、暇なようだ。そして客がいたところで先週の印象だと、トークがメインのように思うから、一気飲みコールをして騒がしい種のガールズバーではないと思う。

 先週と同じカウンターの端席で注文した焼酎の水割りを出されると、程なくしてカウンターテーブルを挟んだ向かいに美玲がやって来た。前回同様この店指定のポロシャツに身を包み、そしてあどけない可愛らしい笑顔を浮かべている。


「こんばんは」

「こんばんは」

「今日はリクエストで来てくれたんですね。嬉しいです」

「そりゃ良かった。何か飲む?」

「やった。ありがとうございます」


 美玲は実に嬉しそうにして、自分のカクテルドリンクを注文した。それがテーブルに置かれると私たちは乾杯した。それほど口数の多い私ではないが、相手が前回の来店の際その距離感に好印象を抱いた美玲なので、積極的に話しかけてみる。


「今日も五時まで働くの?」

「いえ。今日のシフトは三時までです」

「大変だね。今いくつなの?」

「十九になりました」


 まだ十代であった。少し驚いたものの、見た目年齢は高校生にも見えるわけで、こういう店で働いていなければ納得もできる。

 しかし未成年。まぁ、売り上げを上げるのに必死なこういう店に、コンプライアンスの意識は低いのだろう。美玲は美玲で歳をサバ読むこともなく、正直に答えているから、物事を深く考えていないのかもしれない。若さに加えて、それに見合う愛想の良さを出しておけば可愛がられるのだから、得なものである。


「えっと、ケンさん……でしたっけ?」

「よく覚えてたね」


 ちょっと驚きである。たった一度の来店で、しかも接客をしたのはセット時間の半分だけだ。更に言うと私からは名乗っておらず、私の名前を口にしたのは朱美である。これには感心した。

 しかし朱美を含めてこの界隈のキャストからは「ケンちゃん」と呼ばれるわけで、それが気に入っているわけではないが、多少の愛着はある。だから今更敬称を付けられてもむず痒い。


「大抵のキャストからはちゃん付けで呼ばれるかな」

「へー、そうなんですね。それなら私もケンちゃんって呼んでいいですか?」


 期待どおりの反応をくれた。少しばかり私の頬も綻ぶ。


「あぁ、いいよ」

「えへへ、ケンちゃん」


 私はロリコンではないので特段萌えるわけではないが、あどけなさの残る十代の美玲がそんな言い方をすると、確かに絵にはなるなと納得する。これが歴の長いキャバクラのキャストだと鼻につくなどと顰蹙を買うのだろうが、結局男である私にとっては好印象しかない。


「今日もうちの系列のキャバクラに行ってきたんですか?」

「いや、今日は行ってない」

「あれ? なのにうちには来てくれたんですか?」

「あぁ。もうそっちのキャバクラにはしばらく行くつもりがない」

「え? どうしてか、聞いてもいいですか?」

「ん? まぁ。単純に朱美にいい印象がないだけなんだけど」

「……」


 すると私が出したドリンクを宙で止めたまま表情を無くした美玲。一体どうしたのだろう? そう思っていると、かなり遠慮がちに問い掛けてきた。


「喧嘩……とか?」


 私が一方的に愛想を尽かしたので喧嘩ではない。


「いや。そういうんじゃないけど、ラインもブロックした」


 すると美玲は目を見開いた。二の句は繋げないようだ。とは言え、私にこれ以上の答えようはない。ヤリモク……つまり、性交渉をヤる目的で相手キャストの営業に乗っていた私だが、それが期待できないと知って朱美を自ら切ったのだから。そんなことは恥ずかしくて口にできない。


「そっかぁ……」


 すると美玲がトーンダウンした。やはり彼女の反応が解せない。


「どうした?」

「えっと、それだと私のところに通ってもらうのは遠慮しちゃうなと思って……」

「なんで?」

「ガールズバーの私なんかが系列店のキャバクラのお客さんを取ったって思われちゃうから」


 なんと、そんな考えに行きつくのか。これは盲点であった。と言うことは、店前で客引きをされた私だから、この店の店長も私が朱美を切ったとは思ってもいないのだろう。加えて今日は、既にキャバクラの営業時間を過ぎていたからキャバクラには行かないと思い、声かけに遠慮がなかったのだろう。


「関係ないよ」

「でも……」


 美玲は歯切れが悪い。それにちょっとばかりムッとしたので、思わず意地悪な口調で言ってしまった。


「来ちゃダメなの?」

「いえ! そんなことは!」


 途端に美玲が慌てたので私ははっとなり、クスっと少しだけ笑顔を見せた。それに安心したのか美玲の肩が下がった。すると彼女は言うのだ。


「今のお話、店長に報告しておいてもいいですか?」

「別に構わないけど、なんで?」

「ケンちゃんに通ってもらえそうだけど、ご本人さんの意思で来てもらってるからお客さんを取ったわけじゃないって」


 なんとも面倒くさい業界だ。金と時間を使っているこっちまで気を使ってしまう。それでも美玲に罪はないのだし、私は快諾した。


「あぁ、構わないよ」

「良かった。店長なら社内でうまく説明してくれると思います」


 そう言った美玲は本当に安堵しているようだった。社内とはつまり、キャバクラとガールズバー両方の運営会社のことだとわかったが、本当に煩わしい縛りがあるのだなと、私は呆れた。

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