第32話 フラッシュバック
前回訪れた時は確実に学生だったし、リビングで父と少し話しただけでそのまま一緒に食事に出掛けた。
外から階上を見上げる。
「いくつも部屋があるわね。こんな広い家にパパ一人で住んでるなんて、なんだか寂しそうだな……」
由夏と葉月に言われるまま、ここに
やって来たけれど……気分転換とか
言われてもなぁ……
パパに話を聞くのかと思ったら、
いない時間に探索して来いなんて……
小学生じゃないんだから……
とはいえ、どんな時も付いていてくれる親友二人が、心底心配してくれて提案してくれているのだから、素直に従おうと思った。
「こんにちは。万智子さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「まあ、お嬢様! おきれいになられて! 今日はどうされましたか?」
「突然すみません。あ……父は?」
「お父様はお出かけになっていますが」
「ちょっと急に立ち寄ってみたくなって……」
「そうですか、中でお飲み物でも。さあ、どうぞ」
リビングに通され、辺りを見回した。
学生の時に来た時と同じように、テレビボードの上にも暖炉の上にも、写真ひとつ飾られていない。
棚には海外で購入したであろう置物やお皿などが飾られている。
万智子が紅茶とクッキーを出してくれた。
「あ、ねぇ万智子さん。私…ここに住んでましたよね? 万智子さんが作ってくれたご飯、食べてたような記憶があって……」
「そうですか……お嬢様はオムライスがお好きでしたしね」
「オムライス?」
「よろしかったらこれからお作りしましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろんです、私もなんだか嬉しくて! じゃあちょっと待っていらしてくださいね」
「ありがとうございます。私もちょっと2階に上がって来ます」
「お2階ですか……?」
「ええ」
「……わかりました。ごゆっくり」
リビングから続く階段をゆっくり上がっていく。
階段のカーブにあたる壁には何も掛かっていなかったが、明らかに額縁か何かが掛かっていた形跡があった。
手に馴染むような手すりに触れ、頭の奥から何かを出そうと、注意深く周りを見ながら更に上がっていく。
上がりきったところから延びる廊下にはいくつかドアがあった。
一番近くはトイレ、その次はクローゼット、そしてその次は、ファンシーな壁紙の明るい部屋だった。
「ここ……私の部屋じゃないかしら? 多分ここがそうだわ。こんなお人形、小さな女の子しか持たないはずだしな……でもどうしてここで過ごした記憶がないんだろう? どれを見ても思い出がないわ……やっぱり私、記憶喪失になってたのね。いや、なってる最中かな」
部屋を出て隣の部屋へ。
「……この部屋なんだろう? なんか男の子っぽい。割と難しい本が並んでるけど……あ、これは健斗の書斎にもある数学の本! これも見たことがある、たしか飾ってあった本だわ。これは……ダッフルコート? パパのじゃないわね。ちょっと小さいかな……ん?」
頭の中で声がした。
「行ってくるね。いい子にしてるんだぞ」
優しい眼差しで頭を撫でる。
その顔……懐かしくて大好きで……
はっと我に返る。
「今のは……何?!」
机に歩み寄る。
引き出しを開いてみた。
くしゃくしゃになった小さな包み紙が二つ入っている。
自分の体が勝手に動きだしているようで、なんだか怖くなる。
かれんの手が、小さな包み紙を一つ取り出した。
袋から中身を取り出す。
『ポラリスキーホルダー』そう書かれた台紙に、はめ込まれたキーホルダー。
ネームプレートがついている。
「りつこ?」
その横に華奢なチャームが…
「これ!私が大事にしている キーチェーンと同じ……」
震える手でもう一つの袋の中身を机の上に出す。
キーチェーンだけが外されていたキーホルダーに、ネームプレートが……
「かりん?」
かりん?しののめかりん
「東雲……花梨」
そう呟いた瞬間、様々な記憶が頭の中にものすごい勢いで迫ってきた。
教科書に自分が書く名前「しののめ かりん」
りっちゃん。
そう叫ぶと優しい顔がこちらを振り向く。
「どうした? かりん」
私のことをかりんと呼ぶ。
「おーい律! あ、花梨もいたんだ? 二人ともこっちこいよ!」
その男の子に女の子は答える。
「健ちゃん!」
……健ちゃん?!
その瞬間、殴られたかのような衝撃と共に頭がガーンと痛くなって、警告ブザーのような音が頭の中を巡り続けた。
彼女はその場にうずくまり、悲鳴をあげた。
「どうしたんだ! 大丈夫か!」
父が部屋に入って、彼女に駆け寄った。
「パパこそ……どうして帰ってきたの……」
「万智子さんがかれんの様子が少し変だって、心配して連絡をくれたんだよ。どうしたんだ? そんなに震えて……かれん!」
「パパ、かりんって? 私……なの?」
「なにか……思い出したのか……」
「……パパ……なんだろう? この苦しい気持ち……あ……まだまだどんどん後ろから湧いてくるの……色々な事が……もう……」
そこで叫んで、彼女は気を失った。
意識のないまま、天海病院に運び込まれた。
かれんの携帯に電話をかけてきた由夏や葉月も、電話に出たさゆりに話を聞いて、病気に駆けつける。
ベッドで目が覚めると側に母がいた。
「かれん!」
「ママ……」
さゆりは立ち上がってかれんの肩を抱く。
「心配しないで、ここは病院よ。天海病院」
「ママ、私……」
そう言うと、 かれんの目からとめどなく涙が溢れ出た。
悲壮な表情を浮かべ、時折ぎゅっと目をつぶって耐えている、苦しそうな彼女の手を母が握った。
「こんな日がいつか来るかもって、いつも怯えていたわ」
「ママ……」
「あなたが辛くなるって、わかってた。だから記憶を失って、なにも知らない真っ白のかれんの笑顔を、出来ることなら永遠に守りたかったの」
「ママごめんね。私なにも知らなくて……」
「いいのよ」
さゆりは彼女の髪を撫でた。
「先生を呼んでくるわね。廊下であなたを心配している人たちも」
廊下のベンチでに由香と葉月はお互い前を向いたまま座っていた。
「こんなことになるなんてね……」
葉月が切り出した。
「さっき、かれんのお母さんから聞いて驚いた。かれんの亡くなったお兄さんと藤田先生が親友だったなんて……お互い気付かずに惹かれ合うなんてね」
「運命だったのかもね」
「そうね。藤田先生はきっと、何かのきっかけで気付いちゃったんだわ」
「だからかれんを遠ざけた。どうりで、不自然だと思ったわ。急に態度を変えるなんて」
「もしかれんが思い出したら、こうなることがわかってたんだね、藤田先生は」
「だからかれんが記憶を取り戻さないように、身を引いたってことか……にしても、藤田先生も相当辛かっただろうね。自分は悪者になってまでしても、かれんの心を守りたかったんだね。彼はすごい人だわ。あ! お母さん……」
「……こんなところで待たせてしまってごめんなさいね。意識が戻ったわ」
「ホントですか!」
「良かった!」
「会ってやって。どうぞ中へ」
「はい!」
駆けつけた担当医に話を聞いてから、さゆりは由夏と葉月にかれんを任せて、東雲が担当医と話している部屋へ向かった。
宗一郎と、精神科医の赤塚医師が座っている。
「さゆり、かれんのようすは?」
「意識が戻ったの。担当の先生が刺激を与えないようにすれば大丈夫って。今は同僚の2人に付き添ってもらってるわ」
「そうか! 良かった。後で顔を見に行くよ」
宗一郎も、側で安堵の表情を見せた。
「宗一郎くんが紹介してくれた、精神科医の赤塚先生だ」
さゆりが挨拶をして席につく。
「先生、あの子はこれから普通の生活が送れるのでしょうか?」
東雲亮一が組んだ指先にグッと力を入れながら尋ねた。
「記憶なんて戻らなければよかったのに……」
さゆりはハンカチを握りしめながらうつ向いたまま言った。
担当医の赤塚医師が話す。
「きっといつかはこうなったでしょう。彼女の場合、15年前の心的外傷、つまりお兄さんの死という極度のストレス状態から、脳が悲惨な感情を自分の意識から切り離そうとして起こった解離性障害といえると思います」
さゆりは顔を上げて精神科医に尋ねる。
「すべてを……あの子が体験したあの日のすべてを、思い出してしまったのでしょうか?」
「現段階ですべての記憶が彼女の中で再現されているのかどうかはわかりません。彼女の場合は当時の年齢もありますし、整理されていない記憶や思い込みもあるでしょう。それはよくあることなのですが、これから周りの皆さんが接するに際して、注意は必要でしょうね。彼女の記憶を把握していないと、違う情報や不必要な情報まで与えてしまい、彼女を混乱させる原因にもなりかねません」
「どうしたらいいのでしょう」
「催眠療法を試してみましょう。10才の女の子に辛い過去を思い出させるのですから、精神的負担は否めませんが、これから先のことを考えれば試す価値はあると思います」
「催眠療法……安全なのでしょうか?」
「現在の記憶と混濁する恐れはありますが、充分にケアしながら慎重に行いましょう」
「宗一郎くん、君はどう思う?」
東雲の目は、確信を探しているようだった。
「辛い記憶があっても、お兄さんとの大切な思い出も含まれています。お父さんやお母さんと育んだ記憶もです。それはやはり、彼女にとっては貴重な財産なんだと思います」
「確かにそうだね。……わかったよ。赤塚先生、よろしくお願いいたします」
第32話 『フラッシュバック』 -終-
→第33話 催眠療法
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