第27話 健斗の苦悩

脇腹の出血がひどく、健斗は隊員に担がれて森を抜け、病院に搬送された。


大きな手術となり、輸血も必要となった。


何日も意識がなく、目が覚めた頃は、もうりつの葬儀も終わっていた。


悲しくて悲しくて悲しくて。


律を失った事を受け止められない日々と、自分の選択が間違っていたのではないかという苦しさに、苛まれる日々だった。


身体が動くようになっても、ベッドから出られない日々が続いた。


ノックがして、父が部屋に入ってきた。


「健斗、どうだ具合は?」


「お父さん、ごめん。俺、こんなで……」


父は健斗の肩を抱いた。

「いいんだ健斗、無事に目覚めてくれただけで充分だ」


その父の悲しげな横顔を見た時、お母さんが亡くなった時は、一体どんな顔したのだろうと思った。


そして自分まで、父の元を去ってはいけないと、そう思った。


そして、悲しみを乗り越えたこの父のように、自分も今を乗り越えなければならないという、試練のようなものを感じた。


「お父さん、律の家に……行ってもいいかな……」


父はしばらく考えるように黙っていた。


「そうだな、いつまでも今のままではいられないな。ただ、受け入れてもらえるかは……わからないが……」


自分の意識がなかった間、父と藤田の家との間に、どのようなやり取りがあったのかはわからない。ただ、父の表情からは、苦悩が見えた。


当事者である自分が、しっかりりつの父と母と妹に、話すべきなのではないかと、強く思った。


「父さん、俺、行ってくるよ」


父は黙って頷いた。




行き慣れたはずの東雲家への道のりは、季節が変わったせいもあり、いつもとは全く違って見えた。


まるで初めての土地に足を踏み入れたような、不安で心細い気持ちになった。


深呼吸をして、インターホンを押す。


「はい」

さゆりおばさんの声だった。


すぐに声が出ない。


「どなた?」


絞るように声を出した。

「健斗です」


「え?!」


「さゆりおばさん、僕……」

その言葉をさゆりは遮った。


「帰って」


「え、さゆりおばさん?」


「お願い! 帰って! 健ちゃんごめんなさい。もうここへは……来ないで。お願い」

そう言ってインターホンは来られた。


健斗はしばらくその場に立ち尽くした。

そして、力なくふらふらと元の道を引き返していった。


 考えてみろ、もうりつはいないんだ。

 俺のせいで律は……死んでしまった。

 さゆりおばさんの気持ちも考えないで

 あの家に行ってしまったなんて……

 俺はバカだ!

 恨まれても仕方がないんだ……


そう思いながらも、母が亡くなってから、まるで母親のように接してくれていたさゆりの笑顔を思い出し、同時に、さっきの冷たい声を思い出した。


悲しくて、悲しくて、涙を拭うのも忘れて家へ戻った。

布団に潜って叫ぶ。


「律! 帰ってきて! そうだ! 別荘に行かずに、別のところに遊びに行こう! そしたら今までのように過ごせるよ。お願いだ! 律!

帰ってきてよ!」


何度も何度も、律の名前を呼んだ。


ドアの外では、父が涙を流しながら健斗の叫びを聞いていた。



何日もろくに食事もとらず、暗い部屋にとじ込もっていた健斗のもとに、律の父、東雲しののめ亮一から電話がかかってきた。


「おじさん……僕は、なんてお詫びを言ったらいいか……」


力なく話す健斗に東雲は言った。

「健斗くん、君はひとつも悪くない。まだ幼いとはいえ勝手な行動したのは花梨なんだ。その花梨も救ってくれた。律のことも、命をかけて救おうとしてくれたじゃないか。君だって死にかけたんだ! 誰も君を責めたりしない、私もだよ。先日家に来てくれたそうだね。すまない……さゆりが門前払いをしたと聞いた……君を恨んでしたんじゃないんだ、まださゆりおばさんはね、律を失ったことを受け入れられてないんだよ。本当にすまない。まだ小さな君をこんなに苦しめて……」


「おじさん……」

健斗は、心の鍵が外れたように大きな声で泣いた。幼い子供のようにワンワンと、泣いた。


電話の向こうで、律の父も泣いていた。

「健斗くん、これから家に来ないか。律が残したものを、君の目で見てくれるかい」


「はい」



健斗はいつまでも流れ出てくる涙をシャワーで流しながら、身なりを整えた。

少し涼しくなった外の空気。

知らない間に季節は変わっている。


東雲家が近づくに連れて、鼓動が早くなるのを感じる。


色々な思いがこみ上げて、インターホンを押す指が震えた。


東雲亮一が迎え入れてくれた。

「今日は家には私だけだ、気兼ねしないでゆっくりしていってくれ」

そう言って健斗に小さな袋を渡した。


「あの事故の前日に、インターチェンジの土産物屋で律が買っていたものだ。律と君と花梨と3人お揃いのキーホルダーだ。君にもプレゼントするつもりだったんだろう。あの時……ポケットに入っていたんだ」


一瞬、頭に律の血まみれの手が浮かんだ。

鼓動が早くなり、健斗はぐっと胸を掴んで前のめりになった。


「大丈夫か?! 健斗くん!」


「あ……大丈夫です……」


その小さな袋から中身を出すと、『ポラリスキーチェーン』と書かれた台紙にキーホルダーが付いていた。

星を型どったチャームに、ブルーの字で『けんと』と書いたウッドプレートが揺れている。


「律……」


声にならない声で、彼の名を呼んだ。


律の父は、鼻をすすりながら、健斗の肩を強く抱きしめた。

そして、キーホルダーを握りしめて涙を流す健斗の背中を優しくたたいた。


「律の部屋にも、行っていいからね」

そう言って、その場を後にした。


階段を登って、律の部屋へ上がる。

いつものように、律が笑いながら「いらっしゃい」と言う幻想が見える。


律の部屋で、他愛もない話でじゃれあったことや、律の好きな本を見ながら、数学を教えてもらったことを思い出す。


日本屈指の進学校に通い、ジュニア数学オリンピックのファイナリストの律、数学嫌いな健斗にも、教えるのが上手くて、いつも律のお陰でテストの点もとれていた。将来は先生になりたいと言っていた律。


思い出す顔がすべて笑顔で、まるで事故なんかなかったかのような錯覚に陥る。


机の上に目をやると、律の父から受け取ったものと同じ包みがあった。

中を開けると同じキーホルダーで、ウッドプレートの名前が、ピンク色で「りつこ」と書いてあった。


それを見て、健斗は笑いだした。

「なんだよ律! 『りつ』がなかったから『りつこ』を買ったのか? あははは……間抜けだな! 聞いてんのか? 律! 返事しろよ、律!」


その時脳裏に、律の森での姿が再びオーバーラップした。

“花梨を頼む”と言った強い眼差し、そして、“僕は大丈夫”と微笑むように言った優しい顔……なのに……律は崖の下に……


健斗はうわーと叫んだ。

律の父が部屋に入ってきて、泣き叫ぶ健斗を抱き締める。


「律、律、ごめん、おじさん、ごめんなさい、律……」

東雲は更に健斗を強く抱き締め「君のせいじゃない」と何度も言った。



玄関で頭を下げて、東雲に見送られながら門までの道を歩いていく。


不意に門が開いて、ランドセルを背負った花梨が帰ってきた。


息が止まりそうになったが、その元気な姿に少し救われた。


立ち止まって「花梨」と呟く健斗の横を、彼女はスッとすり抜けて、父に向かって「ただいま」と元気に言った。


「おかえり」


ドアがしまる寸前に二人の会話が聞こえた。


「ねえパパあの人誰? それに、かりんってだあれ?」


健斗は一瞬立ちすくんだ、そして逃げるように思いきり走った。


どこを走っているのかわからないほど、夢中で走って、走って……


りつとよくバスケをした公園の前で泣き崩れた。


「俺は一体何をしたんだ?! 俺のせいで何もかもが壊れた。もう何も戻らない!」


自暴自棄な気持ちになっても、ただ泣き叫ぶしかできなかった。


そこに健斗の父が車で通りかかった。東雲から連絡を受け、健斗を探していた。


「健斗、帰ろう」


「父さん、俺……」


「もう何も言わなくていいから」


父は健斗を車に乗せて連れて帰った。

家政婦さんには帰ってもらって、二人きりで話す。


東雲家に行っていたことをはなした。


「聞いたよ、私も東雲から連絡をもらったんだ。今帰ったからちょっと様子見てやってくれって。随分心配してくれていたよ。ちゃんと家に帰ったことは東雲にも伝えてあるから、何も心配しなくていいよ」


健斗は黙って頷いた。


「さゆりおばさんがいないからって、呼んでくれたんだな」


母のいない健斗に母のように接してくれたさゆりおばさん……そう思うと、また涙が滲み出てきた。


「律君が亡くなって、精神的に耐えられず入院したそうだ。たぶん……もう会えないだろう」


悲しいけど、仕方がない……そう思った。


「お父さん、花梨が……僕のことをわからなかったみたいなんだ」


「そう……花梨ちゃんに会ったんだな。花梨ちゃんはあれから記憶喪失なんだ。あの日のことだけじゃない、自分に兄がいたことも、自分の名前もだ。だから健斗のこともわからなくなってるんだよ。でもね健斗、思い出せない方が幸せってこともある。だから、さゆりおばさんは健斗を花梨ちゃんに近づけたがらなかったんじゃないかな」


「ちがう、それだけじゃない、さゆりおばさんは、僕のことが憎いんだと……思う」


「そんなことないよ健斗……」


「いや、僕が悪いんだ、僕の判断ミスであんなことが……律が……律が……」


健斗は過呼吸になって倒れた。


父が抱き起こして、言った。

「健斗、強くならなきゃダメだ! 今のお前を見たら律君ならどう言うか、考えなさい。聡明だった彼が、今のお前を見たらどう思うか。律君の分まで、生きなきゃいけないんだ! わかるな健斗!」


父の強い眼差しを受け、じぶんがどうするべきか、考えなければいけないのだと、悟った。


健斗はキーホルダーを握りしめ、決心をした。



学校へはどうしても行けなかった。

近くに行くと吐き気がしたり、頭痛で立っていられなくなる。

健斗は自転車に乗って、学校と反対方向の図書館へ通うことにした。


ある日、以前、律の部屋で見つけた本を発見した。

その日から、健斗は記憶を頼りに律の本棚にある本を探すことにした。


そのうち、「きっと律ならこれが読みたいんじゃないかな」と思うような本を見つけ出しては攻略するようになった。


律の居ない夏を、別荘に行かない夏を、初めて体験した。


その寂しさを紛らわせるように、健斗は毎日図書館へ行った。


バスケは全くやらなくなってしまった。

クラブのメンバーが根気よく連絡をくれたが、大会に行くこともできなかった。


秋が終わる頃には転校したが、学校が終わると図書館へ通うという日々は依然かわらなかった。


そして、年が明けた2月に、健斗は律が通っていた屈指の難関校に入学した。


第27話 健斗の苦悩 -終-


→第28話 天海に託す

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