第26話 森での悲劇 Leave the forest

『東雲コーポレーション』会長の東雲亮一と『藤田グループ』=現『JFMコーポレーション』会長の藤田公彦は、大学の同窓で、特に親しく、お互いが結婚してからは家族ぐるみの付き合いをしていた。


二人の妻、東雲京香と藤田さゆりは同じ時期に懐妊がわかり、6月25日に藤田健斗が生まれ、2週間も経たない7月7日に東雲律が生まれた。

それから4年後の12月24日に、東雲花梨が生まれた……


二人は幼稚園も小学校も、いつも一緒の幼なじみ。


健斗はスポーツが得意で、特にバスケ好き、NBAプレイヤーに憧れていた。

律は小さな時から勉強が得意で、特に算数がすごく出来た。


健斗が10歳の時、東雲京香は不治の病で帰らぬ人となった。

それからは、藤田さゆりが時折様子を見に行っては、健斗をサポートするようになった。


そんな両家は、毎年夏休みに藤田家の別荘へ行くのが恒例行事となっていた。


子供たちに、都会の生活だけでなく、生き物たちの息吹きが感じられる環境を体験させたくて、毎年欠かさず連れてきていた。


着くや否や、荷物の整理もそっちのけで、ドングリで作った駒をまわし、図鑑片手に様々な木の実を拾う。


「あ、リスがいたよ! 花梨、こっちこっち」


「どこどこ?」


声をひそめる。

「しーっ、静かにな、驚かせないようにそっと近づくんだぞ」


「わぁ、かわいい!」


「あれは『日本リス』だよ。夏の時期に見られるのはなかなかないんだ」


「そうなの?」


「実がまだ木になってるだろ? だから秋みたいに地面に木の実が落ちてないから、木から降りて来ないのさ」


「そっか」


「良かったな花梨、写真撮る?」


「うん、撮った! りっくんはなんでも知ってるのね!」


「そうそう、律は物知りで天才だ!」


「あ、健ちゃん、静かにしなきゃリスが逃げちゃうよ!」


「ごめんごめん!」


「ああ、やっぱり気付かれちゃった……」


頭をかいて舌を出す健斗。


立ち上がるときに木の根っこに足をとられて転びそうになる。


「おっと!」

みんなで笑う。


「そろそろ戻ろうか?」


「そうね、お腹もすいてきたし」


「花梨は食べることばかり考えてるなぁ」


「そんなことないもん! 健ちゃんなんてご飯、何杯もおかわりして一番食いしん坊じゃない!」


「俺は花梨よりずっと背が高いんだから、たくさん食べて当たり前なんだ」


「すぐそうやって言うんだから!」


「まあまあ、とにかく戻ろう。さあ花梨行くよ」


「うん!」


別荘に戻ると庭にテーブルが置かれていて、ジュースとケーキが用意されていた。


「健斗、おじさんの書斎に入ってもいいか?」

りつがそう言った。


父の書斎の奥には図書館さながらの本の壁があり、多くの蔵書を蓄えていた。


曾祖父からの藤田家のライブラリーは、健斗よりもその親友の律の心をわしづかみにした。


「いいよ、俺も久しぶりに入ってみたいし。今日の目当ては?」


「物理学の本がいいかな?」


「さすが! 日本を担う数学者になるヤツの言うことは違うよなぁ」


「花梨も行きたい!」


「いいよ、俺が小さいときに持ってた絵本もいっぱいあるはずだから、見に行こう!」


ケーキをたいらげて、キッチンの家政婦さんに声をかける。


「ごちそうさまでした!」


藤田家と東雲家の両親は今日は帰宅が遅くなると聞いていた。



まだ陽が高い初夏の夕方、書斎には明るく、ライブラリーへ続く螺旋階段の横のステンドグラスから差し込む光のコントラストは、まるで宝石のような壁面アートを作り上げていた。


「わぁ、きれい!」

花梨が花のように微笑む。


律は何処からか数式の本を見つけ出し、机に広げていた。


「うわ、記号ばっかりで何かいてるか全然わかんないな。花梨は何を持ってきたんだ?」


「絵本よ『リブ・イン・ザ・フォレスト』リスが出てくるの!」


「ああ、覚えてるよ! 雨がキライなリスが主人公で……」


「うん、それでね嫌われもの雨の妖精がみんなの役にたっているってことを色々発見しながら、だんだん雨が好きになっていくお話」


「そうそう、雨が降るからみんなが幸せになるって、みんなで雨が大好きだって歌うんだよな」


「うん、そうしたら虹の妖精が出てきて、太陽と雨の妖精を仲直りさせるの、最後には空に七色の橋がかかるの!」


花梨はステンドグラスを見上げ、光の差す方を指さした。

「あんな風に!」


3人で美しいその絵本を覗き込んだ。


こうして3人でこの本を見るのは久しぶりだった。


洋書の絵本に手書きの日本語訳が書き込まれている。


亡くなった健斗の母、京香が書いたものだった。


リスの優しい表情、森の息遣いが聞こえてくるような鮮やかな色彩……


健斗にとっては母との思い出がつまったこの絵本を、律と花梨が寄り添うようにして覗き込みながら、一緒に時を過ごしている。


「今日は父さん達は食事してから帰って来るから、俺たちも夕食までに風呂に入っておいた方がいいな、誰からはいる?」


律がいつもみんなをまとめている。


「私、まだ絵本を読んでいたい」


「俺もちょっと庭でシューティングしたいんだよな」


「じゃあ僕が先に入らせてもらうよ」


「オッケー、じゃあ一旦解散な!」


健斗が庭にあるバスケゴールでシューティング練習をしている。


中3の先輩達が卒業し、健斗がキャプテンに確定していた。

秋からの大会ではシード校指定されているので、何とか勝ち進んでベスト4には食い込みたいと、監督と話していたところだった。

チームでの健斗の役割は重要で、ゲームを大きく左右する。

もっと上手くなりたい! 

強くなりたい!

夢中でボールを投げて夢中で飛んだ。

汗がほとばしった。


ドリブルをつきながらリングを背にした時、緑の森の中にピンクがひらりと見えた。


「あれ? 花梨?」


何度か呼び掛けてみたが返事はない。


家に走り込んでいって、靴を脱ぎ散らかしたまま、花梨を探した。


どこにも居ない。

書斎には『リブ・イン・ザ・フォレスト』が開いたままになっていた。


……森の妖精がリスに話しかけている……


「花梨のやつ!」


あわてて靴を履いて、家から飛び出した。


「花梨!、花梨!」

そう叫びながら走った。


 俺も小さいとき、森の妖精を探しに  

 行って迷子になったことがあんだよ、

 頼む、花梨! 遠くへ行くな!


 道路から向こうは敷地外だ、迷ったら

 なかなか出てこられない。

 奥へ行くなよ。


祈るような思いで茂みに入っていく。


「花梨! 花梨!」

すると、微かな声が聞こえた。


「健ちゃん……」


「はあ、無事だったか!」


そう安堵したものの、どの方向から声が聞こえたのわからない。


わざと大きな音を立てながら、花梨の名前を呼びつづけた。


「健ちゃん……」


すぐそばで聞こえたかと思うと、健斗の袖口を花梨が掴んだ。


「健ちゃんごめんね、すぐに帰るつもりだったんだけど、リスを見つけて、こっちに走ってきちゃって……」


「もういいから、早く帰ろう」


「うん」


来た道がわからない。

何度も同じ場所に出てきて、それでも歩き回ってるうちに、花梨の疲労が目に見えるほどになってきた。


「もうすぐ道が見えてくるはずだからしっかり歩くんだぞ!」


花梨が木の根っこにつまづいて、バランスを崩した。


健斗が体いっぱい伸ばしたが、その手は空を切り、花梨は崖に滑るように落ち、健斗はそのまま前のめりに倒れ、体に激痛が走った。


意識が遠退きそうになるのを遮って、なんとか身体を起こし、崖を覗き見た。


すぐそばに花梨はいる。


なんとか手を伸ばしその手をつかもうとするが、あと少しのところで届かない。


ふと自分の服を見ると白いシャツが真っ赤に染まっていた。


雨が本格的に降り始め、このままだと花梨の体力も自分の体力も奪われて行くだろうと思った。


助けを呼ぶしかない、そう思った。


「花梨、助けを呼んでくるから、絶対に動いちゃダメだぞ!」


「わかった!」


「本当に絶対だぞ!」


「わかった!」


健斗はどんどん赤く染まるシャツに臆することなく、走り続けた。


道路が見えたと思ったその時、りつが走ってきた。


「律!」


「健斗、無事か! 花梨は?」


そう言って駆け寄ってきた律は、健斗の姿を見て声を失った。


「健斗……血が出てる、怪我してるのか……」


「律、そんなことより花梨が崖から落ちそうなんだ!」


「え?!」


「早く! 手を貸してくれ!」


よろめく健斗を支える。


「健斗、その怪我じゃ……」


「なにいってる! 花梨が危ないんだぞ!」


「わかった……僕につかまって! 行こう」


律に身体を支えられながら、花梨がいる崖に向かった。


戻ると花梨は崖の淵にしがみついていた。


「花梨、待ってろ、今助けてやる!」


「健斗、そんなに出血してるんだから、そこでじっとしてて。僕が花梨を引っ張るから」


引き上げようとするも、雨足が強まって足場も悪く、なかなか花梨を引き上げることができない。


「あっ!」


バランスを崩したりつを健斗が捕まえようと手を延ばす。


またもやその手は空を切り、律も落下してしまった。


「律!」


声が聞こえた。


「大丈夫! 落ちてないから」


その声に、心底安堵した。


「今から花梨を持ち上げるから、健斗、引き上げて!」


「わかった!」


「せーの!」


「よし! もう少しだ!」


何度も声を掛け合って、律が押し上げた花梨を健斗か引っ張ることが出来た。


「花梨! 大丈夫か?!」


ショックで口がきけない様子だった。


りつ、花梨は大丈夫そうだ、次はお前の番だ! ほら!」


健斗が手を差し出す。


しかし、りつはその手を取らなかった。


「健斗、僕は足をくじいてしまったんだ。ここから健斗に引き上げてもらっても、僕が自分で歩けなかったら、怪我をしている健斗一人で僕と花梨を支えられない」


「なんとかなるよ。俺が何とかするから!」


「健斗、僕は大丈夫。ここで待ってるから、花梨を頼む」


「だったら、とにかくそこから上がって待ってたらいいじやないか! ほら! 早く手を伸ばせよ!」


半狂乱になる健斗に、りつは諭すように言う。


「ダメだ健斗、出血がひどくなってるだろ、これ以上、体に力を込めたら健斗も気を失うぞ。そうしたら花梨を助けられないだろ。僕はここで待ってる。大丈夫だから、花梨を先に連れて行ってくれよ。頼む。健斗!」


りつは健斗に花梨を託した。


「わかったよ……律。花梨は任せて」


「うん、頼むよ」


「待ってろ、律! すぐに助けを呼んでくるからな!」


「ああ、待ってるよ、健斗!」


律の言葉を胸に、雨と涙をぬぐいながら、花梨を背負って山道を歩く。


シャツの血が広がっていっても、腹部の痛みは鈍い。


しかし今度は、足首に差すような痛みがはしる。


それでも花梨を背負い、道のない斜面を上っていった。


「おい! こっちだ! 子供を見つけたぞ!」


捜索隊に見つけられ、花梨を隊員に引き渡す。


毛布をかけて健斗を抱えようとする隊員が驚いた顔をした。


「君、怪我してるじゃないか! ちょっと見せて!」


その手を制して健斗は言った。


「崖にあの子の兄がまだ残されています! 早く助けないと、崖が崩れてしまったら……案内するんで! 早く行きましょう!」


強引に行こうとする健斗を隊員が止める。


「君! そんなに出血してるのにまた森に入るなんて無茶だ!」


「そんなことどうでもいい! 律を! 律を早く助けなきゃいけないんです!」


健斗の気迫に押されて、一人の隊員が応急処置する。


「これはひどいな……すぐに病院に行かないと……」


「いえ! 助けにいきます! 早く行きましょう!」


健斗は、先程の隊員を急かして森に入っていく。


「やむを得ない、彼は俺たちがカバーするから、無線で救急車をこっちに呼んでおいてくれ」


隊員は健斗に駆け寄って、その身体を支えて森に入っていった。


「こちらB班、女の子に続いて中学生男子一人を発見。もう一人の中学生の捜索の案内をするために森に徒歩で入った。隊員3人が同行。怪我の程度はかなりな重症。左腹部、脇腹に木が刺さって貫通、出血もあり、木を抜かずに固定して応急処置したが、歩いているうちに出血が増える可能性あり。現地点に救急車を要請。以上」


雨足が強くなるなか、隊員に支えられながら山に入る。


「君、本当に大丈夫なのか?」


「俺よりりつの方が苦しんでるかもしれない……早く……早く行かなきゃ……」


うわ言のように繰り返す健斗の肩を、隊員は力を込めて支えた。


「ここです!」


隊員が一斉に捜索を始めた。


健斗が叫ぶ。

「律! どこだ律! 助けに来たぞ、律! 何で見えないんだ、律!」


律が居るはずの崖を覗く。

その崖が、崩落していた。


すぐそばの木に、律の靴が片方だけ引っ掛かっているのが見えた……


目が眩むような、遥か下の方に目をやると、木々の合間から赤く染まった袖口と律の手だけが見えた。


「律……どうしたんだ?!……律! 助けに来たって言ってるだろ!……律……返事しろよ! 律! 律!」


暴れるように叫ぶ健斗を、隊員が制圧する。


救助隊が素早くロープを使って崖を下っていく。


その間も健斗は隊員に押さえられながら叫び続けていた。


無線から聞こえた言葉は、非情な答えだった。


健斗の、言葉にならない叫び声が森中に響き渡った……


そして健斗は、ガクンと膝を折るようにその場に崩れ、気を失った。


第26話 森での悲劇 Leave The Forest 

              -終-


→第27話 健斗の苦悩

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