第3話 『ファビュラスJAPAN』
「うー、疲れた!」
「でも初稿よりずっといいプランに仕上がったじゃない!」
「ホント、怪我の功名! ブラッシュアップ出来てるわ」
由夏が満足そうに資料を束ねている。
「ま、私の休日はなくなったけどね」
「えへっ、ディナーおごるから許して!」
「よし、許す! 行こう!」
一面ガラス張りのエレベータホールから、海に沈む大きな夕陽が見える。
「今日は一段とキレイ」
「ホントね!」
2人の顔を真っ赤に染め上げる太陽をうっとり眺める。
ホールの奥までのびる夕日が、本来はパステルブルーの『ファビュラスJAPAN』のプレートを赤く染めている。
『ファビュラスJAPAN』を立ち上げたのは4年前、かれんの大学卒業と同時に設立となった。
学生の頃から経済経営を学びながら、父が会長を務める東雲コーポレーションで、インターン催事担当としてマーケティングに携わった。
中でもイベント企画に関しては、学生ながらも実績を出し、実力を認められての起業となった。
その時一緒に働いた、同じ大学の藍澤由夏と白石葉月も巻き込んで、この『ファビュラスJAPAN』を立ち上げたのだった。
「ワオ! 今日はイタリアン?」
「そう! このお店ね、夏のブライダルフェアの会場にぴったりだと思って、この前商談したのよ。かれん、名刺出して」
「了解! 由夏も充分workaholicだと思うよ!」
「まあね」
大きな目でバチッとウィンクする。
「こんばんは!『ファビュラスJAPAN』の藍澤です。先日はお話を聞いていただいてありがとうございました。本日はご挨拶を兼ねてお食事させていただこうと参りました」
「ファビュラスJAPAN、エグゼクティブプロデューサーの三崎かれんと申します」
「仕事終わりのワインはサイコーね!」
由夏はあっという間にグラスを空ける。
「何度も言うけど、今日はオフだったはずなんだけどね」
「まぁまぁそう言わず、飲んで飲んで」
由夏は学生の頃から、気配りの達人だった。
社交的で人たらしな由夏に、公私ともにこれまで何度助けられたことか。
「東雲会長、しばらくお会いしてないけど、かれんも会ってないの?」
「うん。パパはほとんど本社にいるからね。たまにこっちに居るときに食事に行ったりしてたけど、ホントしばらく会ってないなぁ」
「それでも仕事は続々やって来るわけね。娘を信頼してるのね」
「娘だけだったらこうは行かないわ、優秀なスタッフがいて『ファビュラス』だからね」
「そうそう! じゃあカンパイ! 次は何を飲む?」
「明日も仕事だってこと忘れないでよ」
「ハイハイ、じゃあ次はスパークリング?」
「全くもう……で、優秀なスタッフの葉月さんは?」
「今日はデートみたいよ、お泊まりで。温泉だって」
「今季最後の温泉か、いいわね。お土産は温泉饅頭かしらね」
「リア充葉月にお土産もらってばっかりよね。たまにはお土産買う側に回りたいわ」
「由夏、あのカレは? 商社マンの……」
「ストップ! 目下忖度中につき、審議はまた後程」
「あ……そう。わかりました。私から見れば、由夏も、なかなかリア充よ」
「かれんがworkaholicだから気付かないだけよ! 恋愛なんてね、至る所に転がってるのよ。かれんはそれを拾わないだけ!」
「そんなつもりはないんだけどな」
空になったグラスを置いて、しばらくかれんを見つめる。
「んー、そういう無頓着な所もいいんだろうな……かれんの知らないところで泣いてるオトコも居るはずよ!」
「やめてよ、今はworkaholicで結構よ!」
「真面目な社長ですこと。そうだ私、今は恋は審議中って言ったでしょ? それが効いてるのか、最近、ショーモデルのスカウトが立て続けにヒットしてて! もちろんメンズモデルの! やっぱりイケメンに目がいっちゃうからかな、街にはいい素材がゴロゴロ……あら! あの子も良くない?」
店の入り口付近で食事しているカップルを指差す。
「確かに、由夏の好みのパーツよね。手足が長くて、頭が小さくて」
「そう、首が細くて三角筋が発達し過ぎてないカラダ! さっそく声かけちゃおうかな!」
「え? ここで?」
「どこでも関係ないわよ! スカウトは一期一会! ねぇ、あの彼女の方も可愛いから、ブライダルショーの素人モデルの枠で2人で出てもらうのはどうかな?」
「あ、それはいいわね!」
「決まり! そうとなればすぐ商談、行ってきます!」
「あ、由夏……」
人なつっこい笑顔で近寄っていった。
ホント、由夏には関心するわ。
確かにあの彼なら由夏が見境なく
声かけちゃうのもわかるかも。
あのスタイル……
あれ?どこかで見たような……
誰かに似てるけど……誰だっけ?
「ただいま!」
にこやかに由夏が戻ってきた。
「ホントよくやるよ。決断力と瞬発力は由夏の右に出る者はいないわ」
「まあね」
彼らのテーブルに会釈を投げ掛ける。
かれんも、ぴょこんと頭を下げた。
「で、どうたったの?」
「八割五分ってとこかな。イベントの主旨と場所は伝えたから、あちらのスケジュールと彼女の意向次第ってとこ。名刺渡して連絡先も聞いてきたから、しばらくしたらまたコンタクト取ってみるわ」
「アクティブ!」
「今回ダメでもさ、彼氏だけ貸してくれないかなぁ……無理だよね……女の子のモデルは沢山いるけど、あの子たちに見合うメンズはなかなか見つからないのよね……まず身長をクリアしないと」
「苦労かけますね、プロデューサー」
「まあ半分趣味でやってるからね。任せなさい!」
「心強い! でも、由夏ってさぁ、自分の彼氏はああいうタイプじゃないよね?」
「そうなの、バーチャルな世界では『リカちゃん人形の男友達』みたいな……」
「昔、持ってた! 『レンくん』やら『ハルトくん』やら?」
「そうだな、どっちかって言うとバービー人形の男友達の『ケン』かな?……とにかくバーチャルはそっちがいいんだけど、やっぱりリアルはね……顔が近い方が好きかな?」
「へぇ、そこは全く別なのね」
「かれんはどっちかなぁ……」
「もう! いいの! そこは聞かないで」
「じゃあ……別の質問」
由夏は今度はフォークを置いた。
「なに?」
「その足、どうしたの?」
「え…」
「気づかないとでも思った? そんなローヒール履いて、ちょっと引きずってるじゃない」
「鋭いなあ……昨日ね、ちょっと転んで……」
「だったら今日呼ばなかったのに! みずくさいんだから!」
「大丈夫よ、たいしたことないから来てるんだって」
「そう?」
「そうよ!」
「あ!…」
「どうしたの? かれん?」
「ううん、なんでもない…」
「変なの。酔った?」
「ああ……酔ったかも?!」
思い出した。
さっきの彼のスタイルが誰に似ているのか。
長身で、顔が小さくて、首が細くて、 手足が長くて、無駄には三頭筋が発達していない、『はるとくん人形』のような男……
昨日の、藤田健斗だ。
なんか、めんどくさい……
怪我のことを含め、由夏には話さないで
いっか。
「どうした? 足でも痛む?」
「ううん、全然」
「 強がっちゃって! かれんさぁ、誰かいつもそばで支えてくれるようなオトコ、いないの?」
「 いないわよ! 知ってるくせに。そう言ったらどうせ仕事がコイビトなんでしょう、とか言われるんだろうけど」
「そう! かれんは生身の人間と恋愛してないもんね 。仕事か、もしくは『彼氏のようなコンビニ』ですか? 『彼氏より優しいコンビニ』だっけ?!」
「もう! それ以上突っ込まないで! 今が自由で楽しいの」
「 そんな独身貴族のメンズみたいなこと言って! 適齢期の麗しき女子が、仕事とコンビニに癒されてるだけだなんて、ホント悲しいわ!」
「 全然! 毎日とっても充実してるし」
「まあ、私たちってさ、周りにメンズが多いじゃない? いつの間にか特定の相手をあまり必要としない生活になってるのかも 。誰かにそばにいて欲しいっていうような、ある意味静かな時間もあんまりないし」
「確かに! ここ何年もそういう状態続いてるからね、むしろ一人になりたい時はあっても、って感じ」
「そうそう。でもさぁ、これってヤバイ状態じゃないの?!」
「まあ、客観的に見れば私はヤバい、に入るかもだけど、由夏は大丈夫でしょ?」
「いやいや、メンズモデルばっかりスカウトしてるとさ、目も肥えてきちゃうし、そろそろ本気で自分の恋も探さなきゃいけない時期になってるのかな?!」
「だから忖度?」
「まあ、そこは今はなんとも……適齢期がもはやネックとなってる感じ」
「そうなの? 由夏みたいな即決派でも色々考えちゃうんだもんね。私なんて……」
「まあ、かれんが後ろ向きになる気持ちもちょっと分かるわ。恋愛ってさ、かなり生活を左右されちゃうじゃない、心のキャパシティを占めるというか、すごく自分が不器用になった気分になるよね?」
「そうそう。仕事へのスイッチが難しくなったり、今まで平気だった事にも面倒くささを感じたり」
「 どうしても恋愛に時間を割きたくなるもんね 。それを妨げだと思っちゃうと、やっぱり相手ともうまくいかないんだよね」
「なんか、キャッキャ言ってた大学の時が懐かしいね」
「ホント。今は気軽に恋愛もできないわ」
「だからさ結局『コンビニな彼氏』がいいナンテ言うんだよね」
「あはは、そうかも」
「だからってね、かれんは『彼氏より優しいコンビニ』に行き過ぎよ! たまには 自炊したりとか もうちょっと体のこと考えてもらわないとね!」
「なに?
急に食生活の話?」
「そう。お節介な親戚のオバチャン登場! うるさいと言われても、社長に倒れられたら私たちもたまったもんじゃないからね! しつこく言わせて貰うわよ!」
「 はいはい、ご心配をかけてすいません。以後、気をつけます」
「わかればいいのよ。じゃあカンパイ!」
「私から言わせると、由夏の酒量も結構心配のタネなんだけど……」
「あー大丈夫大丈夫! お酒の強さに関してはそんじょそこらのオトコにも負けない自信があるし!」
「ああそうでした……」
『彼氏より優しいコンビニ』は かれんの自宅のすぐ北側にある道路を渡って、角にあるコンビニのことだ。
母と二人暮らしとはいえ、当時からほとんど母が留守の状態、仕事が軌道に乗るまでは、遅くまで仕事をしている時期が続き、自炊は苦ではないけれど、すぐに温かいものが食べたくて、コンビニに寄ってから自宅に帰るのが日課になっていた。
3年前、ようやく仕事が軌道に乗りだした頃、それと同時に彼と別れた。
とにかく頭をいっぱいにしたくて、遅くまで毎日仕事をして、毎日コンビニに寄って帰る日々が続いた。
その時、 いつもその時間に いた店員の一人と 時折会話する仲になった。
「今日は寒かったですね」とか「桜がもうすぐ咲きそうですよ」とか。
「あ、桜の花びらが髪についてます。ちょっといいですか?」そう言って腕を伸ばして取ってくれたこともあった。
「今日は大分遅いですね。電車が遅れたんですか?」「毎日遅いけどお仕事忙しそうですね。 大丈夫ですか?」「 昨日いらっしゃらなかったからちょっと心配しちゃいました」……
そうやって短い会話をしながら 、ほんの少しずつ心が触れ合っていくのを感じ、彼の笑顔に癒されて家に帰ることを、かれんは心地よく思っていた。
宅急便を持ち込んだときに、「三崎かれんさんっておっしゃるんですね」と言われ、その時彼の河野と書かれた名札を見て「かわのさんとよみますか?」「いえ、こうのです」という会話をした。
そんな会話が半年ほど続いた時、『ファビュラスJAPAN』は大きなサマーイベントを任されて、地方で数日仕事をする事になった。
イベントは大盛況で終わり、しばらくぶりに日常に戻り、ゆっくりと出来るなと安堵して立ち寄ったコンビニに、河野さんは居なかった。
翌日もその翌日も。
雑誌を補充している女子店員さんに声をかけて、「河野さんは?」と聞いた。
「あ、別のお店に移られたんです。もともと実家が北陸の方で、そちらで店長をされるみたいですよ」
頭がスッと白くなった。胸の鼓動も早くなる。
「そうですか。 ありがとうございました」
冷静を装って頭を下げて立ち去ろうとした時、別の男子店員さんが駆け寄ってきた。
「ひょっとして三崎さんじゃありませんか?」
「はいそうです」
「良かった! 河野さんから預かってるものがあって…待っててくださいね」
そう言って、小さな 封筒を持ってきた。
受け取って家に帰ってから、そっと開いてみた。
綺麗なカードが入っていた。
溢れんばかりの花があしらわれたカードの真ん中に、金色で「Thank you」と書かれている。 開いてみると、彼の人柄を思わせるような丁寧な字で書かれていた。
「あなたに毎日会えると思うと、仕事も楽しかったです。いつも遅くまで仕事をされていて少し心配ですが、これからも頑張ってください。 ありがとうございました。 河野 英嗣」
そこには、それ以外連絡先も書いていなかった。
相手を思いやりながらも、永遠の別れを彼は決めたのだと思った。
しばらく喪失感は拭えなかった。
特に精神的に疲れた日は、コンビニに立ち寄ることを避けるようにもなった。
何気ない日常の中にも、知らないうちに自分の中に大きな場所を占めていることがあるんだと、この時初めて知った。
そして時間が、少しずつ心から寂しさを洗い流してくれることも。
『彼氏より優しいコンビニ』は本当は彼自身を さしていた。
当然、そんなことは由夏も知らない。
もちろん今では、心置きなくコンビニに行けるようになったが、桜が咲くと少し河野さんの笑顔を思い出すこともある。
けれど私にとって『彼氏より優しいコンビニ』は『人』ではなく『ハコ』になった。
20代前半、ほのかな恋の始まりだったのかもしれない。
「ねえかれん、来週のさあワールドファッションコレクションだけど、チケットの売れ具合、ハンパないって聞いた?!」
「うん、東雲コーポレーションの広報部の竹内さんがわざわざ連絡くれて」
「毎年動員数が増えていくよね、このままじゃハコを変えないといけなくなるかな?!」
「そうね、今年の動員数を見て、また、会議することになりそう」
「そりゃ、リサーチに長けてるであろうスポンサー自体が、今年は3割増だからね、大いに期待を持たれてるってのは肌で感じるわね。
ゲストモデルが「レイラ」っていうのもポイント高いしね!」
「そこはやはり由夏の手腕が効いたわね! 毎回そうだけど、今回もいいブッキングだわ。かなり盛り上がりそう! 頑張んなきゃ!」
第3話 『ファビュラスJAPAN』 ー終ー
→第4話 『ワールドファッションコレクション』
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