第2話 彼の家 : 彼女の会社
翌朝、足の腫れはほとんど引いていた。
とはいえ、ヒールを履くわけにはいかないので、フラットシューズをチョイスする。
脇に目をやると、テーピングでぐるぐる巻きにされたパンプスが玄関に転がっていた。
楽しそうにマジックを塗っている天海先生の顔が浮かんで、思わず微笑む。
外は、昨日の雨が嘘のような、さわやかな晴天だった。
まだ少し肌寒い。
「確か、この川沿いって言ってたわよね。そしておんぼろアパート……? そんなのあったっけ?」
マンションを出て、北に向いて歩き出した。
道路を渡って、いつもお世話になっているコンビニを横目に、川沿いの道を少しずつ北上してみる。
キョロキョロしながら公園を通り過ぎ、通りの手前まで来た時、少し奥まった箇所が目に入った。
半信半疑で覗き込んでみる。
「わ、何これ?! こんな所にこんな建物あったかしら?」
その辺りとは全く風貌の違う、古めかしいアパートがそこにあった。
どれ程築年数が経っているのだろう。
何より、周りには重厚な邸宅が並んでいるなかで、そこだけがまるでタイムスリップでもしたかのような、ノスタルジックな佇まいだった。
外に並んだ ポストには住人の名字が書いてあり、1階と2階の8戸いずれにも違う名前がかかれている。
ただ、3階の301号室だけに『F』と書いたポストがあり、なぜか3階だけはポストが1つしかない。
「ん……これじゃ断定できないわね。もう! 仕方がないなぁ!」
鉄の臭いがするような古めかしい階段を、手すりを持ちながら危なげにカンカンと音を鳴らし上がっていく。
「私、まだ足に痛みあるんだけどな」
ぶつぶつ言いながら301号の玄関を探す。
階下とは全く違って、3階はいくら進んでもドアが出てこない。
ワンフロア全てが一室になっているようだ。
「なに?! この作りは……」
廊下の突き当たりに、建物に不似合いな豪華な玄関ドアが見えてくる。
『藤田』と書かれた立派な表札がかかっていた。
インターホンを押してみる。
反応はない。
「もー! せっかく上ってきたのに。どうして留守なの?!」
やむを得ず、また階段をゆっくり下りる。
左足が少しズキズキする。
「私の足が悪化したらあいつのせいなんだからね!」
そういいながら、集合ポストのところに戻った。
「しかし……ホントにノスタルジックな建物よね。この辺なら土地も高いから、マンションなんかがすぐ立つはずなんだけど……」
カバンから取り出した黒のカードケースを眺める 。
『F』のポストに入れていいものかどうか……
「大切なものかもしれないのに、鍵のついていないポストに入れるのもね……あれ?! これは?」
見覚えのある封筒が ポストから少しはみ出していた。
印象的な赤く大きな封筒。
それは、かれんの勤める事務所がプロデュースする大規模なファッションイベントの招待状にそっくりだった。
少し引っ張ってみると、やはり思った通りのインビテーションカード。
間違うはずもない、かれんはこのイベントの総合プロデューサーだ。
「なぜ彼にこのカードが? 関係者か……それか、その家族とか?」
疑問に思いながらも、確認したカードをポストに戻す。
「ほら、こんなに簡単に他人に郵便物を見られちゃうんだから。このポストにこのカードケースは入れられないわね」
ため息をつく。
「また出直さなきゃならないなんて、本当に面倒な人ね!」
そう呟きながら家に引き返した。
でもあの招待状、宛名も住所も書いて
なかったわ、誰かが直接投函したとか?
藤田健斗……一体何者なのかしら?
彼の事がますます解らなくなったわ……
ふと、カードケースの最後の2枚の写真が気になった。
初めて見たときの、あの懐かしい感じはなんだったんだろう?
「しょうがない、もう少し預かっておくしかないわね」
さっきより少し陽が高くなっている。
春はすぐそばに来ているみたいだ。
見上げれば、川沿いのサクラのつぼみが膨らんできている。
さあっと吹き上げる風にも、春の兆しを感じる。
なんだか不思議な予感が胸を高鳴らせた。
携帯電話が鳴った。
会社からだ。
「はい、もしもし。あ、由夏?」
「休みの日にごめんね。かれん、今から出てこられない?!」
「別に構わないけど、どうしたの?」
「クライアントに渡すデータ、一部が飛んじゃって……一から作成するより原案から起こした方が早いと思うんだけど……
あの企画は、かれんと相談して立てたでしょ。頭借りたくて……」
「いいわ、一旦着替えに帰るから……」
「え、外出先?」
「あ、大したことないから。そうね、1時間で行くわ」
「助かる! ごめん!」
「待ってて!」
かれんは家に戻り、オフィス用に身なりを整えると、ローパンプスを履いて駅に向かった。
休日の電車の中は空いていて、春を思わせるような温かい日差しが差し込んでいる。
きらきら光る海を望める南側の窓が眩しくて、山々で目を癒す北側の窓に移った。
そのパノラマを贅沢に満喫しながら、ゆったりドアにもたれる。
休みの日の電車っていいな。
思えば、この冬も忙しく、休みの日は専ら家にこもってパソコンに向かい作業をしていた。
しばらくまともに休んでないな。
ママはいいわね。イギリスで存分に楽しんで
るはずよ。バッグでもおねだりしちゃおうか
しら。
そんなことを思いながらも、自分がいかに仕事が好きなのか、最近では素直に認められるようになった。
今日もこうして休み返上でオフィスに向かうことになっても、ちっとも嫌じゃない。
駅に着いたとたん、どっと人混みが押し寄せる。
そうか、休みの日だからか。
小さい子を連れたファミリーや外国人観光客の姿も多い。
仕事でこもると、世間の動向に疎くなるな
ダメダメ、イベントコンサルタントが錆び
付いてしまったら会社はおしまいよ!
足早にオフィスビルへ向かう。
駅から直通通路を通り、東雲コーポレーションの自社ビルに入る。
パスで入り口を入るとエレベーターホールへ急ぐ。
いつもならここまでの間に何人の人と
ご挨拶をするか……
今日は閑散としていて、より広く感じる。
7階で下りてすぐ左手に、彼女の会社がある。
『ファビュラスJAPAN』と書かれたオフィスドアを開ける。
「かれん! 早い!」
「でしょ?」
「さすがはわが社のworkaholic!」
「ちょっと、せめてhardworkerにしてくれない?病気みたいじゃない!」
コートをかけて、『エグゼクティブプロデューサー 三崎かれん』の重厚なプレートが置いてあるデスクに、資料のつまったカバンをドンと置いた。
「じゃ早速、始めますか!」
第2話 彼の家 : 彼女の会社 -終-
→ 第3話 『ファビュラスJAPAN』
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