第4話 ワールドコレクション 前日
毎年、春を迎える少し前のこの時期は、イタリアの大手ファッションメーカー『Frances Georgette』主催のファッションショーをメインとした、「オータムコレクションJAPAN」が開催される。
多くのスポンサーや提携企業、コスメ、美容、メディア業界がところ狭しとブースを構え、来場するゲストに商品やサービスのプロモーションを行う、この大規模なイベントに向けて、親会社である東雲コーポレーション各部署と、あらゆるファッション界のプロを集結させて、入念に打ち合わせてきた。
かれんの会社『ファビュラスJAPAN』は、このファッションイベントの企画から演出に至るまで、全般を任されていた。
会場は毎回、近くに海を臨むコンベンションホールで行われる。普段は様々なライブやイベントが開催されている大きなハコで、毎年多くのゲストが訪れている。
三年目となる今回も、かれんをはじめとする『チーム:ファビュラス』は、コンセプトに基づいたイベントブースのチョイスとオファー、ランウェイの配置に至るまで、かなりな時間を費やして準備し、総合的にプロデュースしてきた。
イベント前日、搬入された機材の設置が早朝からが始まり、音響や演出のリハーサルから、各ブースのチェックまでと、目が回るような忙しさが続く。
かれんは責任者としてあわただしく動き回っていた。
「あ、かれん!」
「由夏、お疲れ」
「ねえねえ、聞いて聞いて!」
「どうしたの?なんだか嬉しそう」
「うちのクリエイターの1人が帝央大学出身で、ちょっとそこの情報学部のコンピューター借りて空間イメージ考えてたんだけど、息抜きに中庭を散歩してたらね、ナント! まさかの大学にイイ素材が歩いてるわけよ!」
いつになく由夏が盛り上がっている。
「いい素材って、またモデルのスカウト?」
「そうそう! まさかのエリート帝央大学によ、まして超ド級の男子モデルが転がってるなんて夢にも思わないじゃない!」
「え?! 男子モデルなの?」
「そう! だから飛び付いちゃって。で、話しかけたのね、そしたらなんと、学生じゃなくて准教授ですって!」
あまりにも頭の中のイメージとかけ離れて、拍子抜けしてしまう。
「准教授? あんまり若くないんじゃ……」
「なにいってんの?! 私のお眼鏡にかなうオトコよ、若くなくても素敵に決まってるじゃない?!」
「まあ、たしかに……」
「このあとモデルのリハーサルなの。彼も出るから、楽しみにしててよ! かれん!」
相変わらずテンション高いな、由夏は。
早速出演させるナンテ……
でも由夏は鼻が利くからなぁ……
由夏が推した子達はどんどんメジャーに
なってきているし。
あれだけ興奮してたら相当なのかも……
まあメンズは希少だからね。
かれんは各展示ブースを回り、当日の流れを説明したり、各企業の出展物が今回のイベントのコンセプトに合っているかなどを、一軒一軒チェックして回った。
「ゲストの導線の確保は完璧にしてくださいね、当日は相当な人数が並びますので混乱が起きないように入念に行ってください」
「あとは、こちらのブースにキャストが到着する予定時間帯も伺えますか?」
「配布物のチェックもさせてくださいね」
「わあ、これ! かわいいですね、絶対人気が出ると思いますよ。せっかくなんで、ここにも置きましょう」
的確で無駄がなく、終始にこやかな彼女の対応は各企業ともに評判が良く、彼女にプロデューサーとしての絶大な信頼をおいていた。
とにかく忙しかった。いくつ企業ブースを回っても終わる気がしない。
ランウェイの方では素人モデルのリハーサルが行われている。
何度も音楽がかかっては止められて、の繰り返し。
またあの厳しいコーチの指導に泣き出す女の子が出るんじゃないかと、少し心配になる。
ブースを移動中、音楽が中々切れないなぁと思っていたら、何やら熱い歓声が聞こえていた。
わかった! 例の准教授ね?!
女子スタッフの声がひときわ高い。
きっとそのなかには由夏も加わっているにちがいない。
そう思いながら、次の企業に挨拶をする。
年に一度のこのイベントは、本当に準備も労力もかかり、終わるその瞬間まで気が抜けない仕事ではあるが、やりがいも楽しさも達成感もある。
ま、女子力もあがるしね!
各ブースから頂いた試供品を、引きずるような大カバンに入れて、また次のブースへ移動した。
スタッフルームに戻ったのは3時を回ってからだった。
「かれん、お疲れ様」
「あー疲れた、私まだお昼食べてないの」
「え、そうなの?! だったらこれもどう?今あたしがイチオシのスムージー!」
「うわ……すごくグロテスクな色ね……お弁当にあわないから遠慮しとくわ」
「もう! 体にイイのに……良薬は口に苦しって言うじゃない!」
「あ……やっぱり味も悪いわけね……」
「まあ、多少はね。私はすっかり慣れちゃったから大丈夫だけどね。おかげでほら、お肌もツルツルなんだから」
「わかったわかった、由夏は美肌だしイイ女よ!」
「わかればイイの!」
由夏は差し出したスムージーを引っ込めて、かれんにお弁当と箸を渡した。
「そう言えば、今日のモデルさんたちどうだったの? 私、ブースを回ってたから見られなかったんだけど」
「うん、相変わらずケイコ先生に喝いれられて半泣きな子も居たには居たけど、今年は割りと優秀な方だと思うよ。それより!」
「なに?」
「例の男性モデル!」
「准教授の?」
「そう! もー、めちゃめちゃ良かったのー!」
「そうなんだ」
「スタイルは申し分ないし、まあ学生よりは年齢も上だから、体もできてるし、何より着こなしって言うのかな、何を着てもそれらしく見えちゃうの! ランウェイ歩いてもサマになるし、何て言うの、視線とかアゴの使い方とか、自己演出が上手いのかな? 見てて飲まれちゃう感じ!」
「メロメロね、単なるイケメンじゃなくて?」
「いやもちろんイケメンなんだけど、雰囲気がもうヤバくて、見てた女子がため息もんだった」
「あ、それは遠くからでも聞こえたわ」
「もうケイコ先生が惚れ込んじゃってさ!」
「え?それはすごいね! ケイコ先生を唸らせるなんて本物かも?!」
「でしょ? かれんにも見てほしかったな」
「午後からは少しゆとりはあるから見てみようかな」
「それがさ、午後から講義があるからって大学に帰っちゃったの」
「帰ったの?! そう……まあ若くして准教授になるくらいだから変わり者なんだろうけど。話は合いそうにないわね」
「そんなに難しい人じゃないよ、気配りもできてるし」
由夏はスムージーをズズッといわせながら飲み干した。
「あ、そういえば……」
ストローをくわえながら話す。
「なに?」
「彼に私がスムージーを勧めたら、かれんと全くおんなじ事言って断られたのよ。意外と気が合うんじゃない?」
「そうかしら?」
バタバタっと片付けて、そばにあったお茶のペットボトルもかれんに手渡した。
「じゃあお先! かれん、働きすぎるなよォ!」
「オッケー!」
由夏はあわただしく出ていった。
いえいえ、あのスムージーは誰でも
敬遠したいはず……
由夏の話に、いつものように元気をもらって、かれんはお弁当をほおばった。
「会場内の各スタッフの皆様、本日のリハーサルはここまでとなります。お疲れ様でした。明日は本番です。多くのゲストの方々がこの日を楽しみにしてお越しになられます。最高の一日だったと言っていただけるような演出を、皆様と一丸となって実現させたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」
『ファビュラス』の仕事では、このようなアナウンスもすべて代表であるかれんが行っている。
キャストとスタッフの人達には自らの声を届けたいという、かれんのこだわりだった。
アナウンスを終えて控え室に戻る。
「かれん、お疲れ」
「お疲れ様、由夏。あ、葉月も一緒だったんだ!」
「うん、葉月とご飯いくんだけど一緒にいかない?」
朗らかな表情で葉月もうなずく。
「あー、行きたいけど、今夜中に構成を頭にいれときたいから…今日はやめとく」
「そっか、総合プロデューサーは遊んでられないわね。了解!」
「ごめん」
「そんなのいいわよ。それよりかれん、今日はお母さん居るの?」
「それがさ、まだ帰ってこないのよ、不良母なんだから」
「家に食べるものあるの?」
「いつも言ってるでしょ?私のうちの近所には、コンビニといういつでも温かく迎えてくれる彼氏が居るからって」
「彼氏より優しいコンビニ……でしょ?」
「そう! なのでご心配なく。おでんでも買って帰るわ」
「それが心配だっつーの!」
「大丈夫大丈夫! 2人こそ、今夜は飲むなよー!」
2人して「飲まないよー!」
「嘘つきー!」
そう言い合って笑って別れた。
由夏も葉月も大学では専攻こそ違ったけれど、同じくプランナー繋がりで、ここ数年は大きな仕事も彼女らに任せるほど、公私共に信頼している。
さあ、明日は本番だ。
おおきく伸びをして、資料にもう一度
目を通してから帰る準備を始める。
年に一度のこの仕事、父の会社の傘下にイベント会社を設立してから、一番大規模なもので、かれんが全面的に任されるようになった。
信頼されている分、プレッシャーも感じるが、毎年成功させてきている経験から自信もついてきていた。
ここはまだ会場が家から近くて助かるわ。
どうしても寝不足になっちゃうし。
まだ目を通せてない資料もあるしな…
素人モデルのプロフィール冊子に目をやる。
まあ由夏が選んだんだから間違い
ないか、これは任せちゃお!
その冊子だけを残して会場を後にした。
電車の車両は空いていて、静かだった。
海から山へ向かう車窓からは、見事な夜景が広がる。
なんだか夜景みるのも久しぶりだわ。
一際美しく輝くところに目をやる。
夏はあそこで花火があったのに、結局は
イベント会場の屋根の下でほとんど観られ
なかったなぁ。
この仕事をしている限りはずっとこんな感じだろうけれど、素敵なものを、より素敵に演出して、多くの人を喜ばせていると自負している。
たまには傍観者側にたってみるのも
必要かもね。
さらにうっとりと夜景をながめる。
あ……お腹がなった……
辺りを見回す。
幸い近くには誰もいない。
空腹に勝るものなしか……そっと笑った。
駅から川沿いの道に入り、自宅マンションを通りすぎて、『彼氏よりも優しいコンビニ』に直行する。
ヤバい、疲れと空腹でどれを見ても美味しそうに誘ってくる。
悩むなぁ、今日はスイーツ食べてる
場合じゃないのに、でもとりあえず買っ
といて……さっき、おでんって
言っちゃったから気になるなぁ……
かごの中にものが増えてくる。
「うわー! こんな時間からそんなに食べるのか?! ブタになるぞ!」
突然、後ろから声がして、慌てて振り返る。
「あ! 藤田健斗!」
「なんでフルネームなんだよ?! しかし……昨今の女子ときたら、こんな時間にそんなボリュームの夜食をとるのか? まるで工事現場の兄ちゃん並みだな」
「ちがうわよ、明日忙しいから買いに来られないと思って今夜買っておくだけで……って、なんであんたに言い訳しなきゃなんないのよ! なによその顔!」
吹き出しそうな顔をしながら、かれんの話を聞いている。
「そりゃそうだ、じゃあたっぷり食ってさっさと寝ろよ、じゃあな」
そう言って藤田健斗は、また後ろを向いたまま、ふらふらと手を振って、コンビニを出ていった。
う……なんか腹立つな。
彼が手に持つビニール袋には、似つかわしくないハイセンスなメンズファッション誌が入っていた。
藤田健斗のくせに、あんなのを
読むんだ……意外。
今日もダンサー張りのゆったりジャージでの登場だったし、全く彼と関連付けは出来なかった。
雑誌コーナーに行って、彼が買ったものと同じメンズファッション誌の表紙を眺める。
なになに?
春のトレンドアイテム?
攻めのコーデ50選??
ないない、藤田健斗に合致するワードが
見つからないわ。
まあ……考えても仕方がないから早く
帰ろっと。
彼の「ブタになるぞ」が頭から離れなくて、大きなシュークリームを棚に返してからレジに向かう。
支払いをしようとしてカバンを覗きこむと黒のカードケースに気付いた。
あ! 返すチャンスだったのに!
あんなこと言うからすっかり忘れちゃった
じゃない。もう!
コンビニを出て北の道を見る。
当然彼の姿はない。
まあ、どうせこの辺でうろうろしてるんだろ
うから、いつか会う機会はあるでしょ。
そう思いながら南向きに歩いて家に向かう。
明日の成功を予感させるような大きな月が
かれんの背中を優しく照らしていた。
第4話 ワールドコレクション前日 ー終ー
→第5話 ワーコレ当日 驚きの事実
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