第7話研究所にて
私は、車を降りて、辺りを見回した。
図鑑の中でしか見た事のない珍しい木が何本も植えてあり、年期を感じさせる左右対称の病院のような無機質な建物がそびえ立っていた。
植物もそれなりに手入れされて、建物も老朽化して綻びが生まれている訳でもない。しかし、年月の長さはしっかり醸し出すあたり、昔気質な人物を連想させる土地だ。
何だか、そこにあった土地に堅い人物が移り住んで放置されていた空間が変化した。そんな感覚があった。伸び放題の雑草や、ひびの入った飛び石が、手入れされているものよりも建物自体にすら馴染んでいるからだ。
今は正午、影が一日の中で一番なりを潜める時間帯の筈なのに、建物の精巧な装飾のせいだろうか、それとも、何か別の原因があるからだろうか、地面に降り立った時に感じた悪寒のような感覚が、薄れるどころか周囲を見る度にじわじわ増していった。
何かの研究所だろうか?
私が建物に続く鉛色の煉瓦道を眺めていると、後ろから「こっちだ。来なさい。」とやや語気の強い声が飛んできた。
私は、七人の軍人に囲まれて煉瓦道を歩いた。
見上げないと表情すら窺えないがっちりした体格の大人達はしきりに襟元に隠した通信機で連絡を取っていた。「何、教授がいない?」「全くあの奇人は……」何か問題でもあったのか、声だけがかなり険しい。辛うじて聞き取れた「教授」という言葉に、私は驚いた。
今から会いに行く人物は学者か研究者なのだろうか。
山中の洋館から移動する直前、「今から君の身元引受人に会いに行く」とだけ言われたが、私は不信感でいっぱいだ。どうして一般人にわざわざ核弾頭を預けるようことを……
現に私を今囲んでいるのは軍人の中でも特殊部隊並みの実力者だ。
血管が浮いた腕、服の上からでも分かる筋肉、発声訓練で鍛えられた声帯特有の低い声。
猛獣相手でもここまでの警固はしない。
ぴりぴりした空気に頭からつま先まで浸りながら私は足を踏み入れた。
重厚な木製の扉の向こうから、白衣を着崩した丸眼鏡の気弱そうな男性が項垂れながらやってきた。
「皆さん、申し訳ありません、はあ、教授を探し回ったのですが、はあ、研究所にはどうやらいらっしゃらないようでして、はあ。」
息を切らし、手入れのされていない散切り頭を爆発させて、がっくりと肩を落とす男性に、軍人の一人が対応した。
「そうか、御苦労だったなトーマス。帰って休め。」
労わるように優しくトーマスという研究者の肩を叩く軍人。それによって、感激の涙を浮かべるトーマス。
話題に挙がっている教授という人は、相当人を弄ぶ人物なのだろうか。
おいおい泣いているトーマスに、他の人も口々に慰めの言葉を掛けている。
私は、大人達の後ろで、ぼんやりと研究所の中を観察した。研究所という割には、物が少ないように感じる。うっすらと埃が舞い、日頃の清掃ではどうにもならない古い建物特有の光景が広がっていた。廊下には何もなく、擦り切れた絨毯が敷かれている。病院みたいだった。
規則正しく並ぶドアの向こうにはどんなものがあるのだろうか。
好奇心がうずいたものの、私は特にその場を動くこともなく、日光浴をする亀のようにじっとしていた。
大人達が何やら相談をしていたが、やがて、
「ユウェルちゃん、君、こっちにおいで」
と、トーマスの腫れ物に触るような緊張の色が全開の声がしたので、私は至って素直に
「はい。」と返事をした。
玩具のようにギクシャクした動きで、トーマスは私の手を引いて、
「では、この子は教授がお預かりします。」と私を連れてきた軍人七人に頭を下げた。
彼らは、浮かない表情をしていたが、「そのように頼む。」とだけ残して、建物から去って行った。
「ユウェルちゃん、今から僕は教授を探しに街に出るから、君は、ここで待っていてもらえるかな?」
額に脂汗を浮かべながら、引きつった笑みでトーマスは、私を二階に案内した。
二階も、一階と同じく、淡い日光が落ちていく埃を輝かせていた。階段は見た目に反して軋んだりせず、部屋のドアを開けた時も蝶番がしなるわけでもなかったが、幽霊屋敷のような建物だ。人が生活している気配がまるでない。私は、階段を上ってすぐの一部屋に半ば押し込まれるように案内され、「ここで待っていてね」というトーマスの声を聞き流し、ドアが閉まり、トーマスの足音が遠ざかっていくのを待った。
足音が、二階の奥へ吸い込まれていくのを聞き分け、私はなるべく音をたてないように扉をそっと開けた。
―「教授を探しに街に出るから……。」
「僕は街に帰るから」の間違いだろう。
彼の顔や言葉の節々から滲み出ている感情が読み取れない私ではない。
さっさと仕事を済ませて、危険物質から遠ざかりたいというのが彼の偽りない感情だろう。
全く、失礼な人だ。
私は興味関心の赴くままに、直線の多い建物の中を歩いた。
『やっと、殺気を振りまく軍の人間はいなくなったが、今後の方針はどうする心算だ?ユウェル?』
背後から、声だけが聞こえる。
アスは普段は幽体化している為、存在を魔術師にも感知されにくい。勿論姿も目視出来ない。今までは、軍人が私に近付く度に、彼らの背後に回って様子を監視していた。
今は、私の後ろにいる。
「アス、私を引き取った人って、どんな人なんでしょうね?」
『さぁ。国軍が正規の手続きを踏んで引き渡したあたり、一角の人間であることは間違いないだろうが、もしユウェルに危害を加える輩だと解った時には、それなりの対応をするだけだ。』
「ですよね……。」
『まあ、学者か。その可能性は五分と五分だな。人道に悖る研究をする人間か、否かという違いだろう。』
「………。」
実体験がある為、私は否定せずに、廊下を進んだ。
その先に、一つだけ、扉を開け放たれたままの部屋があったのだ。
好奇心が極限までうずくものの、結局人のものに無断で触るような感性は持ち合わせていない私は、今まで通り過ぎた部屋のドアノブに近付いてすらいなかったが、一番奥の、やけに光が差している部屋を見て、心臓が跳ね上がった。
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