第6話奇妙な展開
あの事件から一週間が過ぎた。
私は予想に反して、快適な生活を送っている。
てっきり、まっすぐ拷問部屋まで連れて行かれるか、分厚い鉄ごしらえのとてつもなく太い鉄格子が嵌った牢屋に入れられるか、研究所のようなよく分からない機械でいっぱいの場所に連れて行かれて体中をくまなく検査されるか、いずれにしてもよくない事が目白押しだった私の頭は、目的地に着いたと知らされた途端、想像とはあまりに落差があった光景を見て一瞬停止した。
そこは、何の変哲もない洋館だった。
かなり山奥で、成程ここなら一般人が間違って侵入するという事態はあり得ない。が、寄宿学校の寮を思わせる木造の建物の温かみが、鉄格子とは違い過ぎて、私はしばらく放心した。
お金持ちの別荘の間違いでは?
それが正直な感想だった。そして、そうではないのかと今も疑っている。
人が何人も住めそうな建物は、私と、あと軍人が二人ほど。
一人は優しそうな女性、一人は、これぞ軍人というようないかつい男性だ。
女性がいる理由は恐らく私が子供だから。そして、男性がいる理由は恐らく私が暴れても逃げられないように常に傍にいるためだろう。
一週間経ったが、何も進展がないまま、私は久しぶりにぬいぐるみで遊んだり、絵を描いたり、絵本を読んだりした。
勿論、普通の子供と何も変わらない生活だ。
可愛い洋服に身を包んで、おやつを食べて、にこにこ笑う。
ようやく子供らしい生活を満喫するのが軍の隔離施設。
この世は奇妙なことで溢れ返っている。
下の方から大人達の声がした。ここ一週間毎日必ず連絡を取っている彼らの周りに、不必要に私は近寄らないようにしていた。怪しまれたらそこで終わりだからだ。
それに、何を話しているかはなんとなく聞き取れた。
何かあの子供のことで気付いた事はないか?
毎回彼らは私の状態を把握しようとしているらしく、これまで一緒に住んでいる二人が報告した事で、目ぼしいものと言えば
「どうやら、あの子は左利きみたいです。」
ということだ。通常、魔法の特性を持って生まれる人間は確実に右利きだ。右旋回は自然の摂理でもある。天体や衛星の公転自転。ネジやドアノブの回る方向。自然の生き物は何でも、右に沿って生活する。魔法が使えるとなれば尚のこと。
つまり、利き手が左ということは、その魔術師が不確定要素の塊であるという言い換えも出来る。実際、偉大な魔術師の中には左利きだったという逸話が残されている人も多い。
右利きの偉大な魔術師はその十倍いるのにも関わらず。
何やら熱心にそのことを話していたのが三日前だ。私は、クマのぬいぐるみを抱きしめながら、そっとアスに声を掛けた。
「また、利き手のことでも話しているのでしょうか?」
『さあ。』
「あんまり意味はないと思います。」
『確かに』
近付いてくる足音がやけに多いのが気になったが、私はアスとの会話を中断してドアの方を向いた。蝶番が軋んだ音を立てて、ドアが開いた。
そこには、常駐していた二人の他にあと五人。皆軍服を着て私を見下ろした。
「出かけるから支度をしなさい。」
「教授!グラフィアス教授は何処にいらすか!」
慌てふためきながら、丸眼鏡をかけただらしのない身なりをした研究員が、グラフィアスの下を通り過ぎていく。
標本越しに見える研究室は、足場がないほど散らかっていた。羊皮紙が至る所から噴出し、分厚い辞典や図鑑は積み上げられ、試験管やフラスコの中身は火にかけられてもいないのにぐつぐつ音を立てている。
ルーペ、顕微鏡、本、水槽、よく分からない鉢植えの植物、よく分からない生き物の化石、よく分からない大量の薬品、などなど、科学に詳しくない者は立ち入ることを禁ずると言わんばかりの散らかりよう。否、散らかっているという状態を通り越して威圧感さえ覚える室内は、無限迷路、要塞と表現した方が良いのかもしれない。
絶妙な均衡を保って天井近くまで積まれている本の重量が幾らになるか、考えるだけで恐ろしい。運悪く下にいた人間は確実に首の骨を折って即死だ。
グラフィアスは、にんまりと微笑んだ。
―此処の異常さを気にも留めないとは、かなりの期間此処に他人が出入りしていないことを暗に物語っていた。
時間が経って放置していた実験用具なんかが積み重なったんだろう。
そう考えるなら、その人物の観察眼は猿にも劣る。
現に、書物の迷路を見て、研究員は不自然さに気付くこともなくただ、雑然とした室内の雰囲気に気圧されて、すぐにいなくなった。
私が片付けない?
そんな訳があるか。
私がこの世で一番嫌いものが、何なのか知らないとは言わせない。
それは整頓されていない室内や、だらしのない身なりだ。
万年筆が元の位置に戻っていないだけでその日から一週間は不機嫌に過ごせる。
その私が、此処まで猥雑とした部屋を私自身の研究所に作るものか。
この部屋は、昨夜適当に研究所内にあるものを寄せ集めてみただけだ。その気になれば一瞬で全てのものをもとある場所へ帰すことも出来る。
要するに、芝居の舞台装置だ。
ここまで散らかった部屋に、建物の持ち主がいるとは誰も思わないだろう。
一言一言鬱陶しい軍人が子供を置いて帰るまでここで籠城し、その後、子供を歓迎する。
極めて合理的な計画だ。
隠し部屋の中で、グラフィアスは鼓膜を震わす音を聞いて、
「来たか。」
とだけ言った。
軍専用の偽装一般車両が、研究所の中に入ってきた音だ。
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