第5話裏の事情
窓を全て閉めきり、外部との接触をことごとく拒否するような険悪な空気が漂う中、部屋の中央、講壇付近に待機していた軍服の男が「これから会議を始めます」と硬い声で宣言した。
今から話し合う議題が相応に重い内容であることはその声を聞いただけで明らかだった。
長机が円状に配置され、出席者の顔が一目で確認できるようになっている室内には、実に様々な人間が出席していた。ドルマンと呼ばれる肋骨状の飾りが上衣に付いた一目で軍の上役とわかる恰幅のいい男性が五人。幾何学模様が服の随所に加えられている高等魔術師が男女合わせて七人。白衣を纏って銀縁眼鏡をした研究者が二人。スーツを着こなした男性政治家が三人。
どの人間も、ファブニール国内で絶大な影響力を持つ業界人だ。魔法、軍事、政治、科学。国力を左右する全ての分野が揃って出席している会議は稀だ。机の一番入口に近い席が、一席だけ取り残された小島のように佇んでいた。空席だったのだ。会議からなるべく遠ざけられ、必要とあらばすぐに摘み出す。そんな想像を喚起する席が、座る筈だった人間のことを待っているようにも見えた。
会議を進行している男性は、そのことにすぐ気が付いたが、誰に確認を取るまでもなく話を進めた。
「先日起こった魔法寄宿学校襲撃事件についてですが、マスメディアを使い、事件を収拾致しました。襲撃者の制圧及び確保は、我々国軍が扱ったことになっております。問題は、事件の際、身柄を確保した少女についてです。」
少女、という単語が進行役の男性の口から出た途端、会議に出席している大人達がざわめいた。
それを気にせず、進行役の男性は続ける。
「現在、軍の施設で隔離しています。状態は至って良好。目立った奇行や暴力性はなく、まさに、「普通の子供」です。しかし……」
一旦言葉を切り、進行役の軍人は、手元の機械を操作した。壇上に、映像が大きく映し出される。そこには、学校の校庭と思しき場所で、紫の炎のような高濃度のエネルギーが火山の噴火のように溢れている写真だった。地面には亀裂が無数に入り、隕石の落下地点のように陥没している。そして、その中に平然と立つ牡丹色の髪の少女。
「齢六歳の少女が扱える魔法の範疇を優に超えているな…」
畏怖の混じった声音で、魔術師の一人が言った。
「その通りです。次に、」
映像が切り替わり、次に出てきた写真に、会場が恐怖に包まれた。
「嘘だろう?!」「そんな、馬鹿な…」「何かの間違いじゃないの?!」「まずいぞこれ」
そこには、少女の頭上に現れた、巨大な黒い山羊のような獣がいた。
大きな植物のように棘のある角に、宝飾品を幾つがぶら下げ、黒い毛の上に赤い紋章のようなものが走っている。
山羊、と一言に言えないのは、通常の山羊とは異なる体の特徴が多々あったからだ。
まず、大きく曲がった角は、年輪のように角の形に沿って薔薇の棘のような禍々しさを発し、紅い眼の下に、左右二つずつ大中小という感じで紅い模様があるので、まるで目が六個もあるような錯覚に陥る。身体は強靭で逞しく、そして、奇怪だった。
「皆さんの仰る通り、これは紛れもなく悪魔の一種です。それも、上級悪魔、魔王級のものでしょう。我々は、少女を出来るだけ刺激しない様、施設でこの怪物のことを聞き出そうとしましたが、成果は上がりませんでした。」
「少女って言うけれど、その子の身元は?保護者か何かがいるならそっちを当たった方が…」
出来るだけ平静を装って、白衣を着た女性が発言したが、
「いえ、残念ながら、この子は数か月前に孤児院に引き取られた孤児です。それも孤児院には一カ月ほどしかおらず、すぐに寄宿学校に入学したため、この子のことをよく知る大人はいません。孤児院にいる前は孤児の労働者として農家の手伝いをしていたそうです。」
進行役の冷めた声に、会場は静まり返った。
「悪魔召喚者か、随分と物騒な世になったもんだな。」
誰ともなく、そんな言葉が会議室の天井近くを飛翔した。
重々しい空気で窒息寸前まで緊張が高まりつつあった中、
大きな破裂音がした。
「御集りかな皆さん!私がいない事に心ある方が誰か一人でもそこの進行役君に進言してくれる事を今か今かと待ち望んでいたんだが、どうやら当てが外れたらしい。しっかし、ファブニールの重役が勢揃いするなんて滅多にないことだ。この希少さ、きっと明日は初雪だ。いや~皆さんそんな表情で見ないで欲しい。そこの召喚魔法理事会会長!何巨大な虫が突然神聖な会議に乱入したかのような顔をなさっているんです。そう、そこの貴女。貴女しかいませ……」
「君は約束の時間というものの意味が解らんのか!」
突然入り口近くの空席に破裂音と共に現れた男性が嵐のようにまくし立てていたのを、軍服の男性が一喝した。闖入者に、その場にいた全員が顔を向けた。
そこには、「何でやってきた問題人!」と、しっかり書かれていた。
誰の目から見ても、彼が正直な感想を言えば列席を拒否されるはずの人間であることは明らかだったが、彼は摘み出される事はなかった。
その代り、誰の目にも諦めに似た感情が現れていた。
「それで、何故この重要な会議の遅れたのかお聞かせ願おうか、グラフィアス教授?」
ステンレスのように冷めた低い声で、軍服の男性が訊いた。
グラフィアス教授と呼ばれた長身の男性は、白衣の襟を正して、応じた。
「会議室に繋がっている廊下側の壁と魔法で同化していました。」
「するなよ。」
「誰かが気付くかと思って、そのまま待っていたら、結局誰も気付かなくって最終的に締め出されました。」
「当たり前だろ」
「だから、入り口のドアからそっと侵入して会議の内容を聞いていました。」
「見張りが五人も並んでいたのにか!?」
「ああ、普通に入れましたよ。」
その会話を聞いていた何人かは頭を押さえて卒倒した。最高水準の防衛魔法を施した仕掛け扉に加え、腕利きの護衛を出し抜く手腕に驚いたわけではないのだろう。
対応していた男性も、「もういい」と一言言って、会議の進行役に向き直った。
進行役も、頷いて会議を再開した。
「今回の議題は、この少女をどうするか、秘密裏に施設で管理するか、あるいは…」
私達の手で、闇に葬るか。グラフィアス教授が巻き起こしたカオスが、その一言によって完全に消滅した。言いようのない黒い何かが部屋を侵食し始めた。
唐突に、進行役の手元にあった端末に、通信が入った。
「プサルテリウムからです!」
「繋げ!」
プサルテリウム、という単語に、全員が反応した。肌が痺れるような緊張が部屋を駆け巡る。
『ご機嫌麗しゅう。』
気品に満ち満ちた、蠱惑的な女性の声が繋がれた端末から流れた。
『一族を代表して、今回の、悪魔の違法使役をしたという少女について申し上げますわ。』
絶対支配者
という単語がここまで似合う人間はいないだろう。通信から聞こえる女性は、エリザベート・バートリー・プサルテリウム。悪魔の研究を秘密裏に認められている魔法の名家、プサルテリウム家の当主だ。甘く歌うような声は続く。
『あの少女は、プサルテリウム家の子供ではありません。ですので、そちらで好きに対処して構いませんわ。生かすも、殺すも。』
余りにも明確な言動に、その場にいた全員の背筋が冷たくなった。
『では、今日はこれで』
と、一方的に通信が切られ、無機質な端末の音だけが後に残った。
会議の出席者の中では、密かに持ち上がっていた話だ。この国で、悪魔と言えばあの家の他に筋がない。ならば、あの家の子供という関係なのか。それなら、何も言わずに、あの家に少女を引き渡せば問題は解決するのではないか。それに、例え血縁ではなかったとしても、悪魔を召喚できる逸材にあの家の人間が興味を示さない筈がない。言ってしまえば、この会議は、如何にしてあの少女をプサルテリウム家に受け入れてもらえるかを話し合う会議だった。
その可能性があっさり潰れてしまえば、残るは……
気まずい沈黙が、辺りを覆い尽くした。しかし、時間が経つにつれて、出席者たちの顔に冷たい決心が徐々に宿っていった。始めから、これ以外に選択肢がないとでもいうように……
人間は、大義の為ならどこまでも残虐になれる。
それが、身寄りのないたかが子供一人ともなれば尚のこと。
身勝手な正論がまかり通る世の中、出席者以外に話が漏れていない事柄を収めるのは容易いことだ。それに……と出席者たちはこうも考えた、「もし、国民投票を仮に行ったとしても、危険因子を生かそうなどというふざけた考えを持つ人間は一人もいやしないだろう。」と。
彼らは、彼らの正義を全うしようとした。大勢の救済の為に少数の人間を犠牲にするという正義を。
そして、それは簡単なことの筈だった。
たった一人の未知数がいなければ……
「この少女を引き取ってもいいかな?」
白衣を纏った、奇特な男性、グラフィアス教授は子猫を引き取るかのように言った。
「はあああああ?!」
異口同音の悲鳴が上がった。
「引き取ると簡単に言うが、どうする心算だグラフィアス教授。まさか貴君の助手にでもするのか?異端のものに愛された少女を……」
「そうだが、何か問題でも?」
と聞き返す彼を見て、いよいよ出席者の顔が青白くなっていった。
「このまま会議を進めたところで、子供を処刑するのは決定。何故なら国際法で裁かれでもしたら、内憂外患まっしぐらのこの国は沈没するからだ。かと言って、頼みの綱であるプサルテリウム家からは、まだ対話もしないうちに交渉は破談。軍の施設に隔離?そこまで貴方方が温厚だった例はないと思うが……」
飄々と解説をしているが、灰色の瞳には、鋭い眼光が宿っていた。
その眼には、全てお見通しだ、と書かれているような感じがした。
「まあ、別に処刑でも私は一向に構わないがね。尤も…」
あの少女を殺せたらの話だが。
そう続く無慈悲な単語が、大人たちの胸にことごとく突き刺さった。
考えまいとしていた可能性が完全に露呈した息苦しさが、拍車をかける。
「先程の映像が子供の全力であると何故言える?相手は魔王級の悪魔を召喚し使役できる『魔術師』だ。純真無垢な只の子供じゃない。底が知れない才能を迂闊に潰して…」
「もういい。解った。」
教授の声を遮るように、誰かが言い放った。
「グラフィアス教授に一任する」
その言葉を、教授は満足そうに受け取った。
同時刻
重厚で繊細な調度品に囲まれ、豪華な刺しゅうを施した猫足の椅子に腰掛ける美しい女性がいた。傍に男性が控えている。
「良かったのか?あの娘を手放しても?」
半年間探し続けてようやく居場所が判明したのに。
と続く男の言葉を聞いて、女性は豊かな牡丹色の髪を払った。
「手放す心算はないわ。」
ワンショルダーの体のラインを強調したワインレッドのドレスが、彼女が足を組み替えた事で、衣擦れの音をさせる。
エリザベート・バートリー・プサルテリウムが、屋敷の写った写真を片手に溜息を吐く。
その屋敷は、ユウェルが半年前に出て行ったプサルテリウムの分家、キトラルザス家の屋敷だった。
「ただ、あの家や、外の世界でも、才能を開花させつつあるあの子の姿を、もう少し見てみたくなったわ。それに……」
今あの子が戻ったところで、教育できる大人が残ってないでしょう?
その言葉を耳にした途端、無表情を保っていた男性が僅かに瞠目した。
「確かに…。」
「今は一族内の揉め事を収拾するのが先よ。」
「善処します。」
エリザベートは、手に持っていた写真を一瞬で炭に変えた。
血のように紅い瞳は、恐ろしく冷酷な光があった。
「裏切り者にはそれ相応の地獄を見てもらいましょう。」
夜が更けていく。
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