龍が翔ぶ

 テーマは「傘」、超・妄想コンテスト参加作品です。


      *




 スクランブル交差点の信号が青に変わっても、渡り始める人はいなかった。

 誰もがLEDビジョンを見上げている。


 もうすぐ、龍が翔ぶ。


 これだけたくさんの人がいるのに、静かだ。

 二十六年前に起きた暴動事件がきっかけで、スクランブル交差点の中心から半径五十メートルの範囲は五十五デシベル以上の音を出すことが禁止となった。

 もちろん会話も含まれる。

 物心ついた頃から「交差点では小声で話す」と教えられた僕たちには当たり前の光景。


 東京へ巨大隕石が向かっていることが発表されたのは三カ月前のこと。

 それと同時に、ミサイルによる迎撃破壊を行うことも明らかになった。来るべき時に備えた自衛手段として、秘密裏に開発を進めてきた地対空ミサイル「奮龍」の存在が公になったのだ。


「奮龍って第二次世界大戦の頃から研究していたらしいぜ」

 前に立っている緑髪の男が、彼女のピアスだらけの耳へ顔を近づけて囁いている。

「マジぃ!? 歴史の教科書の話じゃん。百年以上前からなんてありえなーい」

 小声で驚くなんて、マナーを守った真面目な子だ。


『間もなく、巨大隕石を破壊するために奮龍が発射されます。それでは中継先を呼んでみましょう。習志野駐屯地の大井さん?』

 ビジョンの中のアナウンサーが呼び掛けている。

 中継は立川、久里浜、横田、朝霞、北富士、座間、厚木と次々に切り替わっていった。

 東京を襲う未曽有の危機を回避し、人々の命を守らなけばならない。

 失敗が許されないこの作戦では、八方向からミサイルを打つことで誘導誤差を限りなくゼロに近づける方法が採られた。

 仮に一発目が外れても二の矢、三の矢が次々と飛んでいく。


 ビジョンではカウントダウンが始まった。

 交差点を横切る車さえ、今はない。

 みな、静かに胸の内で数を浮かべる。


 この作戦が失敗するとは、誰も思っていないのだろうか。


『奮龍の発射、十秒前となりました!

 五、四、三、二、一、発射!』


 ビジョンが八分割となり、各々の場所から奮龍が飛び立っていくさまが映し出される。


『眩い八本の光が尾を引き緩やかな弧を描きながら、一点へと向かって行きます! 天空より降り注ぐものから身を護る、まるで東京の上空に現れた巨大な――』


「傘なんかじゃない。あれは鳥かごさ」


 背中から低く呟く声が聞こえた。


 振り向くと、みんながこちらに顔を向けビジョンを見上げている中、黒い山高帽を被った老人が遠ざかっていく。


 気付かぬうちに、僕たちは重力に捉われていたのか。




               ― 了 ―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る