顔を上げて④
「社長がなんでも気軽に話せって言ったんじゃないですか」
すました顔で相田が突っ込むと、祐太郎は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「仕事のことや、職場環境についてだ。人材評価について話せとは言っていない」
「あら。でも才能があるって言われて嫌な気持ちになる人なんていないですよね、松山さん」
「そうだね。僕だって、社長に高評価されたから入社したようなもんだし」
笑顔で応じる松山に、桃香が尋ねる。
「松山さんも、転職されたんですか?」
「そうだよ。前の職場がいわゆるブラック企業でね。ふらふらになっていたところを、社長が拾い上げてくれた」
「そうなんですか。……紺野さんて、優しい方なんですね」
感心した様子の桃香に
「口調はつっけんどんだけど」
と相田が笑いを含んだ声で答える。
「おい、いい加減にしろよ。……ところで、木下さんが入社した場合は、基本的に彼のアシスタントとして勤めてもらう」
「もしご縁があれば、その時はよろしく」
松山はPCに向き直り、自分の仕事に戻った。
「じゃあ、次は……もし入社すればほぼ同期になる子を紹介するね」
次に相田は、入口付近のブースに座っている男性のもとに案内する。
「鈴木君、今、いいかしら」
声をかけられて振り向いた男性は中性的な顔立ちで、まるで人形のように整った顔立ちをしていた。女装をしたら、道行く男性は確実に振り向くであろうその美しい顔立ちに、桃香は驚きを覚えながら見入る。
「はい。なんですか? ……ああ、社長のいちお――」
振り返った鈴木は、桃香を見たとたん笑顔で何かを言いかけたが、それを祐太郎がさえぎった。
「鈴木。ここに入って、どのくらいになった?」
椅子に肘をかけ、少し斜めに構えた鈴木は、悠々とした態度で答える。
「え? ああ、そうですね……。ちょうど二か月ですかね」
「よくネットでも見かけるような、先輩社員からのアピールポイントみたいなものを述べてみろ」
「ええ? 先に言ってくれれば考えておいたのに、急に言われても……」
「ないのか? この会社には、いいところが?」
社長の祐太郎に迫られても、鈴木はまったく動じない。
「やだなぁ、そんな風に脅されたら――嘘ですって。そんな怖い顔しないでくださいよ。そうだなぁ。代表はまるで暴君のように見えるけど、じつはシャイで不器用だとか?」
「……いい加減にしろよ、鈴木」
らちが明かないと思ったのか、祐太郎はむっつりとした顔をして自分の席へと戻っていく。彼が十分に離れてから、鈴木はくすくす笑いながら桃香に向き直った。
「年上なのに、ああいうところが面白いよね。本当のところ、この会社は実力をきちんと評価してくれる点が好きだな。嫉妬とかやっかみなしで。
代表はぶっきらぼうに見えて、きちんとこちらの意見を聞いて、正しいと思えば反映してくれる。多少からかっても根に持ったりしないし」
すると相田が突っ込みを入れた。
「鈴木君はちょっとやりすぎがちだけど! ――彼、T大経済学部を卒業して大手商社の商品戦略部に入社したんだけど、この性格が災いして、そりゃもう上の人から総スカン食らったのよね」
その言葉に、鈴木は頷く。
「エリートと言いながら、器が小さい人ばかりだったよね」
「またそういうこと言っちゃうから……。あ、あとリフレッシュルームとかも見てみる? じゃあ、こっち」
次に案内されたのは、座り心地のよさそうなソファーやスツールが数種類置いてあり、カートリッジ式のコーヒーメーカーやその他ドリンク類が様々置いてあるサイドボードもあるスペースだった。
テレビや本もあり、まるで誰かの部屋に遊びに来たような雰囲気が漂っている。
「基本的に、飲み物はここで各自自由に用意して飲むことになってるの。お客様が来たときは、受付兼みんなの秘書である私が提供します。雑用も新人に押し付けることはなくて、各自それぞれができることをやるって感じかしら。
もちろん、忙しい人には手が空いてる人がフォローしてあげるし、その辺はバランスが取れるようにしてる。……うちの会社、面白い人ばかりでしょう? おかげで退屈しないのよね」
説明しながら相田はソファーに座り、寛いだ様子できれいな足を組んだ。
「紺野さんて愛想がないから誤解されがちなんだけど、ああ見えてけっこう優しいのよ。初めてあなたがここに来たときは、彼のファンが突撃してきたのかと思って通さなかったの。ごめんなさいね」
「いえ、ぜんぜん。私こそ、突然申し訳ありませんでした……」
桃香の言葉を聞いて、相田は肩をすくめる。
「いいのよ、そんなに固くならなくても。私、先輩後輩とかぜんぜん気にしないから。その性格がたたって、私も木下さんと同じような境遇になったんだけどね。だから勝手に親近感を持ってるの」
「え? 私と? 相田さんがですか?」
「そう。いじめられてた女性社員の肩を持ったら、最恐と呼ばれるお局に目を付けられちゃって。だからといって辞めるのは負けたようで癪だったんだけど、私たちがやりあってるせいで職場の空気がかつてないほど悪くなったって上司に言われて。
しかも助けたはずの女性社員が、いつの間にかお局側に回っててね。なんだか急に馬鹿らしくなっちゃって、すっぱり辞めたの」
「やりあった……って、すごいですね。怖くなかったんですか?」
「ぜんぜん。だって自分より若い子たちに仕事を押し付けて、さぼりまくってるのも許せなかったし」
そう言って胸を張る相田に、桃香は憧れの視線を送った。
――自分だったら無理だ。転職を考えている今だって、如月が背後に立つと緊張して指が震えるのだから。
「本当に、時間の無駄だと思うよ。あの人の下にいるのって。同じビル内に転職するのは気まずいだろうけど、あの人って出社も退社もきっちり同じ時間でしょ? ちょっとずらせば一度も会わずに済むだろうし」
そう言われて初めて、同じビル内に転職するデメリットに気づいた桃香は、唖然と口を開いたままになった。
「……そうか。そうですよね。なんでそこに気づかなかったんだろう、私。あー、やっぱりダメだ。相当、抜けてますよね」
すると相田はきゅっと眉を寄せた。
「だから、そんな風に自己否定に入っちゃダメだよ。木下さん、バイトではけっこう評価されてたんでしょ? だったらもっと輝けるはず。それ以上潰される前に、早くうちに来なさい」
「そうなんですけど……」
「うちが嫌なら、断ってくれていいって言っただろ?」
いつの間にかリフレッシュルームに来ていた祐太郎が、口を挟んだ。飛び上がらんばかりに驚いた桃香は、胸を手で抑えながら振り向く。
「……は、はい! 嫌なんかじゃないです。それどころか魅力的な職場だなと思っています」
「それなら、四の五の言わずにうちに来い。こっちは受け入れ態勢を整えておくから、木下さんは辞職の準備を進めて」
祐太郎の言葉に、桃香はとうとう首を縦に振った。
「は……はい。ありがとうございます」
「じゃあ、入社に当たっての細かいことに関しては相田と詰めて。何かトラブルがあったら、すぐにメッセージなり電話なりするように。この間、酔っていたからあえて渡さなかったんだが……これ、俺の名刺」
差し出された名刺を受け取り、桃香は頭を下げる。
「本当に、何から何までありがとうございます。来週にでも、本社と退職に関して相談したいと思います」
すると祐太郎は口の端を上げて、ふっと微笑んだ。
「今日からは、顔を上げて歩け。誰にもぶつからず、前に進めるように」
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