顔を上げて①
そのままホテルで食事をするのかと思ったのだが、祐太郎は外へ出て、すたすたと歩き始めた。
足の長さが違うからすぐに距離が離れて、桃香が小走りになったとき、祐太郎が足を止めて腕時計を覗きこんだ。
桃香が追い付くと、また歩き始める。距離が離れると腕時計を……というのが繰り返されるうち、
(もしかして、私に合わせてくれてる?)
と桃香は気づいた。
「すみません、歩くのが遅くって……」
「何度も言っているが、別に俺に謝る必要はないよ。予約の時間を過ぎていないか確認しているだけだし。謝罪の安売りは止めたほうがいい」
「え? ……す……はい」
別に安売りしているつもりはないのに……と言い訳したくなったが、そこはぐっとこらえた。よけいなことを言って、また説教されてもつらい。
「着いた。ここだ」
祐太郎が示したのは、意外にもこじんまりとしたイタリアンレストランだった。
「かわいいお店ですね」
「一応、有名ガイドブックで三ツ星もらってるけどね」
「えっ。まじですか」
驚く桃香に、祐太郎は笑みを浮かべた。
「まじだ。正確には、三ツ星もらったレストランで総料理長を努めていた人が独立して開店した店だけど」
「へえー」
感心しながら祐太郎のあとについて中に入った桃香は、外観通り素朴な雰囲気の店内に寛いだ気分になる。
「紺野さん。お待ちしておりました」
ほかにも店員はいたが、彼らにはほかの客へ対応するように指示をして、店長らしき中年男性が満面の笑みで出迎えた。
「お久しぶりです。どうですか、最近は」
「おかげさまで。順調です」
「それは良かった」
軽く握手をしたあと、男性は奥の席へと案内し、テーブル上に置いてあった「特別予約席」という札を取る。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、俺はお勧めコースを。飲み物は……これもコースに合うものを見繕ってください。木下さんは、アルコール類は飲める?」
「はい」
どちらかといえば、好きだ。嬉しそうに頷く桃香に、祐太郎はさらに尋ねた。
「苦手なものはある?」
「とくにないです」
「じゃあ、彼女も俺と同じで」
「かしこまりました」
男性が下がっていくと、桃香は恐縮しながら小さな声で尋ねた。
「あの……お話というのは……?」
すると祐太郎は組み合わせた手を口元に置き、質問を返す。
「どうしてそうなってしまったんだ?」
「はい? あの、何がですか?」
「木下さんは、どうしてそんな風にいつもオドオドするようになったんだ?」
「私が、ですか? えーと……失礼ですが、私、紺野さんとお会いしたことありましたっけ?」
同じビルだからすれ違ったことくらいはあるかもしれないが、会話を交わしたことはないはずだ。
桃香はまた(知らないうちに、何かしてしまったのだろうか)と思い、冷や汗をにじませる。
「会ったというか……たぶん君が新入社員だった頃だと思うけど、俺に挨拶したこと、覚えてる?」
当時の記憶を探っても、まったく何も浮かんでこない桃香は首をひねる。
「いえ。ぜんぜん」
「同じビルだってだけなのに、あんなに元気に、笑顔で挨拶する子って珍しいなと思って覚えていたんだ。何度か見かけたあとぱったりと姿を見なくなって、退社したのかと思っていたら、まるで別人のようになって登場したから驚いたよ」
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