新たなる受難⑤

エレベーターホールを出ると、ほとんど来客がなく実用一辺倒の桃香の会社とは雰囲気がまったく異なるオフィスが見えてきた。


(同じビル内なのにこんなに違うなんて……びっくりだなぁ)


正面には赤を基調とした受付ブースがあり、中央に白い電話機と小さなボードが置いてある。ネットでよく見るおしゃれなオフィス百選などに掲載されそうな、洗練されたレイアウト。電話機の横に置いてある内線一覧表を見たものの、部署までは聞いていなかった桃香はどこにかければ良いのか分からない。困った顔をしてスマホを取り出し、SNSで祐太郎に内線番号を尋ねようとしたときだった。


きれいに整えられたセミロングの髪に、上品なスーツを身にまとった美しい女性が姿を現した。桃香に気づいたとたん、感じの良い優しい微笑みを浮かべて尋ねる。


「いらっしゃいませ。お約束ですか?」


「いえ……あ、はい。約束というほどではないのですが、紺野さんにお渡ししたいものがあって」


すると女性は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに元の表情に戻り、問い返した。


「紺野、でございますか?」


「……はい」


女性が近づくにしたがって、美咲はその場から逃げ出したくなった。


桃香はほとんど社内にこもっているせいで、あまり身なりに構わなくなっていた。ファッション業界に入社したのだから……と、最初の頃こそ頑張っていたものの、ほとんど外に出ることはないし、如月があまり良い顔をしないこともあって、だんだんオーソドックスで動きやすく、地味なものばかり選ぶようになっていた。

その服装はこの場にはカジュアルすぎて浮いているし、化粧だってほとんどしていない。アホ毛だって立っている。一分の隙もないいでたちで、天使の輪もつやつやと輝いている女性の前に立つと、あまりにも自分がみすぼらしく感じられて仕方がなかった。


「紺野はただいま来客中ですので、差支えなければ私がお預かりいたします。いかがいたしますか?」


「あ……じゃあ、お願いできますか? 生ものなので、お手数ですが冷蔵庫で保管していただけると助かります。では、紺野さんによろしくお伝えください」


そそくさとその場を去ろうとした桃香を、女性の声が追いかける。


「恐れ入りますが、お名前を教えていただけますか?」


「あ! すっ、すみません! きっ、木下と申します!」


慌てて勢いよく頭を下げる桃香に、女性はまた驚いたように目を見開く。名前を聞いただけなのに、なぜそんなに怯えるのかと不思議に思ったのだろう。ほんの少し困惑の色が混じった微笑みを浮かべ、頷いた。


「木下様でございますね。では、いらっしゃったことは紺野に伝えますので」


「あ、いえ、けっこうです。お詫びの品だというのはお伝えしてますので、お渡しいただければそれで……。では、失礼します」


「エレベーターまでお送りいたします」


そのままエレベーターホールへと逃げ込もうとした桃香のあとを、女性はついてきた。エレベーターのドアが閉まるまで深くおじぎをしているので、桃香も深々と頭を下げる。


(たしかこういうの、就活前に習ったような……。実際、社会に出てからは使ったことがないから忘れてた)


冷や汗をぬぐいながらエレベーターの数字をぼんやり眺めていると、ふいにスマホの着信音が響いた。画面には、紺野祐太郎と表示されている。


たった今、来客中といわれたばかりなのに……と桃香は戸惑った。


「も……もしもし?」


すると、低い声がぶっきらぼうに告げた。


『そのまま、下で待ってろ』


「……はい?」


思わず問い返す桃香に、声が聞こえづらかったと勘違いしたらしい祐太郎は、同じセリフをゆっくりと繰り返す。


『そのまま、下で、待っていろ』

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