新たなる受難④
『昨日は大変失礼いたしました。代わりのシュークリームをお渡ししたいので、紺野さんがいらっしゃる階を教えてください。仕事が終わり次第、お伺いしたいと思います』
個室に入ってメッセージを送ったあと、桃香はホッと息をついた。
(……迷惑をかけているお詫びに、如月チーフの分も買えばよかったかな……)
しかしそうすれば周囲の人たちの分も買わなければならないし、一個250円をフロアの全員分用意するとなると、かなりの出費になる。
(チーフだけにこっそり、ってわけにもいかないし。旅行のお土産を渡しても、如月チーフには喜んでもらえたこともないしなぁ……)
入社して一度も如月に笑顔を向けてもらった記憶はない。土産物を渡してもいつも当然といった顔をして受け取る如月に、胸の内でいつもため息をついていた。
席に戻ると、渉外担当でほとんど社内にいない望月保美が席につき、愛想笑いを浮かべながら如月と話していた。
「いえ、私じゃないですよ。あそこはけっこう並ぶから、寄ってる暇なんてありませんて」
「ええ? じゃあ誰なのかしら。近所と思ってたまに寄っても、いつも混んでるじゃない? 私が行くときって、いつも売り切れてるし。話題になってるから、一度は食べてみたいって思ってるんだけど……」
その会話が聞こえてきたとき、桃香はなんだかイヤな予感がした。
「お疲れ様です」
ぼそぼそと望月に挨拶し、すぐ仕事に集中するふりをしたのだが――
「木下さん、リュクレのシュークリームって誰のか知ってる?」
と、望月が尋ねてきた。隣の席の如月がこちらをにらんでいる気配を感じながら、桃香はひきつった笑顔で答える。
「それ、私のです……」
「――あら。わざわざ私たちのために買ってきたの?」
自分のために買ってきたのだと勘違いして珍しく猫なで声を出す如月に怯えつつ、桃香は横を向く。
「あの……いえ……すみません、それ、私のです。後で知人に渡す予定でして……」
「あ、そう」
とたんに不機嫌な顔になった如月はプイと顔をそらし、「せかっく行ったなら、少しは気を利かせて私たちの分も買ってくればいいのに」と、つぶやいた。望月は慌てた顔で、如月と桃香を見比べている。自分が話を振ったせいで、如月の機嫌を損ねてしまったと後悔したのだろう。申しわけなさそうな顔でちらりと桃香を見たが、何も言わずに再度出かける準備を始めた。
(やっぱり、買うべきだったかなぁ……)
――そうしたら、少しは如月の笑顔を見ることができたのだろうか。
出費を気にして社内の分を買ってこなかった自分を不甲斐なく思いながら、桃香は震える指をぎゅっと握りしめた。
その日、いつも以上に嫌味を言われながらなんとか業務を終え、桃香は心身ともに疲労困憊の様子で給湯室へ向かった。エナジーバー二本をかきこんだだけではやはりお腹が持たず、気持ち悪いほどの空腹感もあって、足が少しふらついている。
如月の不機嫌の元となったシュークリームの箱を冷蔵庫から取り出し、深いため息をついた。
(とにかく、紺野さんにこれを渡せば多少は気持ちが軽くなるし……。そしたらどこかによって、何か軽く食べて帰ろう)
早く何かを入れてほしいと悲鳴を上げるお腹をなだめながら、桃香は彼が働いているという二階上のフロアへと向かったのだった。
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