新たなる受難①

「潰れちゃった……んですか? え……っと、どうしましょう」


見上げた桃香の目に、このビルで何度か見かけたことのある端正な顔が映った。おそらく同じビルで働いているだろうこの男性は、いつも忙しそうに速足で歩いている。それをうっとり見つめている女性も少なからずいたし、ほかの女性社員が噂話をしているのを聞いたこともあったが、如月のことでいっぱいいっぱいの桃香としては、ちょっと見た目がいいだけの知らない男に熱を上げるほどの余裕はなかった。


今も落ちた袋の中で無残につぶれているだろうスイーツのことで頭がいっぱいだ。


「どうしようはこっちのセリフだよ。なんだか話題のシュークリームらしいから、残業しているやつらが喜ぶかなと思って買ってきたのに……」


袋を拾い上げ、中に入っていた箱の蓋を開けた男は、大げさなため息をついた。


「あー、まともなのが2~3個しか残ってない。……これじゃ配れないから、お前が責任取って食え」


「……え? いや、でも悪いし……」


「悪い、じゃないだろ。こんな無残につぶれているものは配れないし、俺は甘いものが苦手だから代わりに食えって言ってるだけだろ」


「い、いや、でも……」


おどおどする桃香に、男は苛立ったように眉を上げた。


「でも、じゃない。持っていけ」


「あ、はい……」


つい癖で、如月と話しているときのようにうつむいて袋を受け取る桃香を、男は呆れたような目で見降ろした。


「そうやって背を丸めて歩いているから、前が見えなくてぶつかってくるんだろ。俺は横によけたのに、わざわざこっちに向かってくるんだもんな。もっとシャンとしろ」


「す、すみません……。弁償します」


財布を取り出そうと桃香がバッグに手を突っ込むと、男はその腕をつかんで引っ張り出した。


「そういうのはいいから。これから気を付けてくれれば」


「でもそういうわけには……」


「気が済まないって? じゃあ、今度埋め合わせをしてもらおう」


「埋め合わせ、ですか? 同じシュークリームを買ってもっていきましょうか」


「今日はそれで売り切れたから、今行っても買えない。それにシュークリームはもういい。あとで声をかけるから、そしたら俺の言うことを聞けばいい」


雑用か何かを言いつけられるのかと思った桃香は、何度も首を縦に振る。


「分かりました! あ、でも仕事が終わってからでいいですか……? そしたら、いつでも大丈夫です」


桃香の言葉にうなずいた男は、今度はスマホを取り出した。


「じゃ、連絡先」


「え?」


「そっちのフロアにいきなり行くわけにもいかないだろ。だから、連絡先」


「ああ……はい」


桃香もスマホを取り出し、連絡先を交換する。


「紺野祐太郎で登録しといて。……そう、その字」


桃香もフルネームを告げ、祐太郎はすばやく入力する。そして胸ポケットにしまい込み、すでに閉じていたエレベーターのボタンを押した。


「そろそろ戻らないと。よけいな時間を食ってしまった」


「本当に、すみませんでした」


桃香が深々と頭を下げている間に、男はエレベーターに乗りこみ、姿を消した。

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