* 国土事象局からの使い
* * *
ミールガイヤ・ファラシードは伯爵家の次男ではあるが、レイザンブール城青虎棟に執務室を置く、国土事象局長官室に属している。
直属の上官は、文官の中では一番上位の役職である長官だ。
その上官、レイドン・ドゥリッツ国土事象局長官が言うわけだ。
「ちょっと行って見てきてよ」と。
まぁそう言われれば行くしかない。
上位文官だの本部勤めだのと華やかな職のように言われるが、実際のところは上官に使われるだけの睨まれれば仕事がやりづらくなるだけの、しがない文官ということだ。
国土事象局。
そこは国土の事象に関すること、ようするに魔素が国土に引き起こす変化に関することを担当している機関だ。
局のうちのほとんどの部署がレイザンブール城青虎棟にあり、貴族の相談窓口をはじめ予算の割り振りだの人員の配置だのを担当する部に分かれている。
現地調査部だけが、魔法を使った魔道具の点検と馬車の所有の関係で、王城にほど近い城下にあった。
現地へ行くのは基本的に現地調査部が担当しているわけで、他の部の者が行くことはない。
行ったとしても貴族の相談窓口になっている調整部の者が、せいぜい初回時に挨拶するくらいだ。
なのに自分が行くということを向こうにどう説明したものかねぇと、ミールガイヤ・ファラシードは心の中で天を仰いだ。
行くこと自体については、楽しみでもあるのだ。
領主は王城で顔を合わせることも多かった元近衛団長。学院時代はクラスは違ったが同じ年で顔見知りでもあった。
気も遣わずに仕事ができるだろうし、デライト領は美味なワインの産地である。これがただの旅行であれば、手放しで楽しめたことだろうに。
調査へ行く当日。
ミールガイヤが城下の現地調査部へ行くと、すでに馬車も担当者もそろっていた。
通常の定期調査は、手が空いている者から順番に割り振られる。
魔獣が活性化していたり、地割れから濃い魔素が出ていたりと危険度が上がると、担当者が選ばれ専任することになるのだ。
担当長は壮年のベテラン調査員で、もう一人はテリオス・ロビーという眠そうなようすの若者だった。
だいじょうぶなのだろうか。担当長に目でたずねると、苦笑しながらうなずいた。
「この子は若いけど、魔量は多いし仕事はできますから」
その言葉通り、御者席に座ったテリオスは上官二人を乗せた馬車ごと[転移]させ、デライト子爵領の領主邸の敷地内へと馬車を走らせた。
馬車に揺られながら、ミールガイヤは感心していた。
「――確かに、魔量は多いみたいだね。馬車ごと[転移]で往復できるってことだろう?」
「ええ。転移先で何かあった時のために、往復できる者にしか使わせていませんからね。できるのはうちには四人しかいませんよ。しかも魔道具の扱いにも長けている」
「ほお、見た目によらないというかなんというか……」
「そういえば、今回、担当者を募集した時に珍しく目が開いていましたね。ぱっちりと目が開いて手を挙げてましたから、よっぽど海系魔脈の調査がしたかったのでしょうね」
実際は研究熱心で好奇心旺盛であるらしい。
それならばデライト領の調査はおもしろいことになるかもしれない。
ミールガイヤは軽くそんなことを思っていた。
結果、ある意味、おもしろいことになった。
◇
眠そうな目だったはずの若手調査員は目をキラキラ――いや、ギラギラとさせながら、ふさふさの白く大きな体を触りまくっていた。
ちょっと……それ神獣様だけど遠慮って言葉知ってる……?
ミールガイヤが止めに入れないほど、テリオスは興奮している。
まぁ、わからなくはない。だって、え、本当にあの小さかった白狐がああなっちゃうの? っていうか話してるんだけど……?! と、びっくりな事実が目の前にある。
その横で、長官のお気に入りの黒髪の衛士ちゃんことユウリが少し困った顔をして笑っている。
さっき馬車のうしろを見たら、神獣の背に乗っていたのが見えた。
神獣とそこまで意思の疎通ができるものなのか。そんな話は初めて聞いた。だいたい神獣自体がすごく希少な存在で、その生態もよく知られていない。まさかこんな大きくなった上に話までできるとは。
そしてそんな存在を普通にそばに置いている彼女を、普通と呼ぶのは無理がある。
――――光の申し子。
耳元でそうささやき長官が見てきてと言ったのは、魔素でもダンジョンでもなく彼女だ。
光の申し子がどういうものなのかは、ミールガイヤも知っている。
この国の有事の際に、神が遣わしてくれるという存在だ。
上官がどういうつもりでそんなことを言い出したのかは、わからない。息子の嫁になどとふざけたことを言ってはいたが、そればかりではないのだろう。
すぐ横にいる担当長は、神獣の姿やユウリの雄姿については何も言わなかった。さすがベテラン調査員。ちょっとのことでは動じないし、貴族に対して余計なことは言わない方がいいとわかっている。
今は退職を言い出したテリオスについてレオナルドと話をしていた。
話し合いはすぐに終わり、担当長はテリオスを神獣様から引きはがし、退職の説明を始めた。
「――――ファラシード国土事象局長官室長」
レオナルドが口元に笑みを浮かべて前に立った。目は全く笑っていない。
――――怖っ!
怖すぎるだろう! 国王陛下の獅子!!
「デライト卿――――いや、レオナルド。そんな怖い顔するな」
「それはその口の重さによるだろうな。ミールガイヤ」
ああ、わかっていたのか。目的はユウリ嬢だと。
それはそうか。長官室長が現地調査になんか来るわけがないものね。
ミールガイヤは情けなく眉を下げた。
どうりでなんで来たのか聞かないはずだ。
怖い顔をした大男の圧がすごい。
レオナルドは話をしてみれば気持ちのいい男だし、滞在はとても楽しかった。できればいい関係でいたい。
ユウリ嬢だって、赤くなったりすぐころころと表情を変え、とても素直なお嬢さんだ。
何より、おかしい力があると思われるかもしれないというのに、自分たちを助けてくれた。人が良く優しいのだ。
それを受け止め、咎めずにフォローにまわるこの男も、また優しいのだろう。
食えない上官より、この二人の味方をしたくなるのは仕方がないことだ。
こんな損な役目を押し付けた長官に「何もなかったですよ」と、ちょろっと嘘を付くくらいはしてもいいだろうとミールガイヤは決めた。
「昔馴染みのよしみと、未来の夫人のかわいい笑顔を乗せれば、開かないほどの重さだよ」
そう言うと、レオナルドは怖い目のまま答えた。
「笑顔の代わりに色ガラス飾りのグラスと、白狐印の回復液を付けよう」
――――ユウリ嬢の笑顔はだめなのか!!
思わず白目になるほどの心の狭さだった。
「……まぁそれなら、うちの妻の笑顔がついてくるから十分かな」
ミールガイヤがそう答えると、レオナルドはやっと目元まで笑った。
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