獅子子爵、登城する 2
「領地の方でその後変わったことはないかい?」
青虎棟の二階にある国土事象局長官執務室へ通された。近衛団執務室とほとんど同じ作りだ。
ソファへ掛けると、レイドン・ドゥリッツ国土事象局長官が向かいのソファーに座る。
「自衛団から、一部地域で魔物が活発化しているという報告がありました」
聞かれるがままに答えると、ドゥリッツ長官は顎に手をあてた。
「――――やはりそうか。地下の魔脈が洞窟で活性化して魔素が漏れているんだろうね。どの辺だい?」
「デライト側の海の方です」
「それならまだいいか。デラーニ山脈の方だったら元々魔素が濃いから、面倒なことになっただろうね」
濃い魔素は力の強い魔獣や魔物を呼びやすい。それに魔素大暴風の発生地にもなりかねない。海の近くの方がまだましな状況だ。
「こちらからも近々また調査に向かうよ」
「忙しいところ申し訳ございません。よろしくお願いします」
「いやいや、こんなことを言ったらあれだけどさ。山系の魔脈と海系の魔脈が合流するかもしれないなんて、珍しい事象だからね。興味深いよー。研究者がよろこぶよー」
「――――そうですか」
手をわずらわせるわけではないのならよかったが、領主としては心配になる話だ。
「夫人はこの話もう知ってるの?」
長官がふとそんなことを聞いた。
夫人ではないと言うべきかもしれないが、ユウリを狙っているように見えるのであえてそこは否定しなかった。
「いえ……」
「そう。女の人はいやがる人も多いからね。王都の別邸に別居している家もあるし、出て行っちゃった家もあるしね。早めに伝えた方がいいかもしれないよ」
「多分問題ないと思いますが……」
多分問題ないどころではなく歓迎しそうなのだが。
「そうなのかい? 女の人は魔物とか魔獣とか嫌いでしょう」
「彼女は
「あー、ますますいいなぁ……。嫁とは言わないからうちの部署に欲しいくらいだよ。明るく気持ちいい対応だし、仕事はがんばるし、魔物に対して忌避感もないし――――光の申し子だって噂を差し引いても、欲しい人材だなぁ」
ドゥリッツ長官は小声でそんなことを言って、ニコリと笑顔を浮かべた。
俺は飲みかけていたお茶を慌てて飲み込んだ。――――やはり食えないお人だ。
昼食に誘われて応じると、長官は「夫人も呼びなよ」と正面入口の受付に立っていたユウリに声をかけてしまった。
ユウリはこちらをチラッと見て応じ、長官と長官補佐の笑顔が倍になった。
これでユウリが夫人ではないとわかったらどうなるのか、想像すると怖い。
青虎棟の食堂『白髭亭』は受付のすぐ近くにある。中は広く主に文官たちが食事をしている。近衛団もここで食事をする者が多い。
ユウリがこの国に来た当初はよく来たなと思い出していると、となりを歩くユウリも同じことを思っていたのか俺を見上げて言った。
「ちょっとなつかしいですね」
「そうだな」
「その節はいつもごちそうになってしまって、ありがとうございました」
「俺もユウリの美味い食事をいただいたから、ありがとうございますだな」
二人で笑っていると、そばにいた長官補佐が真顔になるのが見えた。
仕切られた長官専用のフロアには給仕がおり、食事の準備をしてくれる。
出される食事は同じだが、食器はきちんとしたものが使われている。貴族の来客にも対応できるようにとのことらしい。
軽く自己紹介などを交えながら、会食が始まった。
長官が夫人と呼ぶのをユウリは「――夫人ではないのですが……」と控えめに訂正したが、「ああ、まだ婚約者なんだ。でもすぐでしょう?」と流した。
ユウリは困った顔をしてこちらを見たものの、それ以上の否定はしなかった。
ユウリを狙っていそうな人たちが前にいて、できれば本当に夫人になってもらえないかと思っているから否定しなかったんだが――――俺が否定してやるべきだっただろうか……。
彼女は場を読み過ぎるところがあると思う。時々、それが切ない。
今まできっとそんな風に暮らしてきたのだろう。我慢しなくてもいいと、無条件で優しくしたくなる。
が、今は手元のシュカを撫でた。
「――――でね、デライト領の魔脈が活性化しているようなんだよね」
どういうわけだか、長官は魔脈の話をユウリに振っている。
食事の時にふさわしい話題ではないが、もしかすると本当にユウリが気にしないのか試したいのかもしれない。
そこで「魔物なんて嫌」と口から出たら、嫁においでという話をするためかとは疑い過ぎか。
「魔脈――ですか。勉強不足で申し訳ないのですが、どういったものですか?」
「ああ、いや、普通の女性は知らないことも多いから気にしないでね。魔脈っていうのはね、地下を通る魔素の通り道ってところかな。地質や隙間によって魔素が通りやすい場所があるんだよ」
「それが活性化するとどうなるんですか」
「魔獣や魔物がね、活性化する」
ユウリが目を丸くしている。
「――強くなってしまったり……?」
「そうだねぇ、活発になったり繁殖行動が増えたりだね」
なるほどと頷くユウリに、ドゥリッツ長官は首を傾げた。
「そういうの嫌じゃない?」
「……嫌というか……増え過ぎたら困ると思いますけど、魔獣たちも好きで活発になるわけではないですしね。仕方がないのではないでしょうか」
「そうだよねぇ……やっぱり、夫人いいなぁ。息子の嫁は諦めるから、うちの職員にならない? なんなら長官補佐でも」
「――――俺降格?! 長官ひどい!!」
「ハハハ。そんなのレオナルド君が許すわけないじゃない。ねぇ?」
ねぇ? と振られて「ええ」と苦笑するしかない。
長官は「――――ああ、でも……」と続け、眉を寄せて気の毒そうな顔をした。
「――――夫人。ダンジョンができるかもしれないって聞いたら、さすがにちょっと気になるよね?」
――――長官。やはり亀裂を入れようとしてましたね…………。
ユウリははっきりと表情と目の色を変えた。
「――――ダンジョン?! ダンジョンですか?!」
長官の思惑とは反対の方向に。
「レオさん! ダンジョンできるんですか?! 入ってもいいですか?! 赤鹿の話を聞いてから、いつかレオさんとダンジョンに行きたいって思ってたんです。うれしい……。で、いつできるんですか?」
なんて可愛いことを言ってキラキラと輝く目で見上げてくるから、
「――――いつになるかはまだわからないんだ。だが、できたらユウリが好きなだけ行こう」
と答えた。
だから問題ないと思いますがと言ったのに。
向かいに座る長官と補佐が、真顔で俺たちを見ていた。
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