* 辺境伯家に吹く新しい風
これは、しまったな――――。
北の辺境伯領主、サリュード・ゴディアーニは目を泳がせ指先で顎を撫でた。
もう少し落ち着いて行動しなさいという亡き母の声が聞こえた気がした。
ゴディアーニ辺境伯家には息子が三人おり、長男は結婚して子どももいるものの下の二人は三十代で独身だった。
末の息子は最近叙爵され、領地で
だが二番目の息子は、学生のころから持ちかけられる縁談に興味を全く示さなかった。
領主の跡は継げないが、領の仕事でも国軍の方の仕事でも就ける職はたくさんあり、生涯暮らすのに困らない。
そんな立場に縁談が持ちかけられることは度々あったが、本人は放っておいてほしいという姿勢を貫いていた。
異性に興味がないのかもしれない、そういう生き方もいいだろうと、辺境伯は次男の好きにさせていた。
しかし、ここにきて、結婚したい女性がいると言うのだ。
聞けば亡くなった先代のスリンド子爵の元夫人で、十歳になる息子がいるらしい。
スリンド子爵といえば、代替わりが多いことで名を知られている。領主の血筋が短命だと言われているが、現子爵も病弱でほとんど社交界に顔を出さないところを見ると本当らしい。
その息子とやらはだいじょうぶなのだろうかと、辺境伯は純粋に心配になった。
病弱な子であれば治療費もかかるだろう。気丈にも実家に頼らず女手ひとつで育てるのは大変なことだ。
そこまで想像すると居ても立っても居られずに、相手の女性エヴァ・リルデラの実家であるミルータス男爵家へ出向いた。
ちょっと挨拶にという軽い気持ちで行ったのだが、家は大変な状況だった。
「先触れはいただいていたのですが、あいにくこんな状況で……。ゴディアーニ卿がいらしたというのに、なんのおもてなしもできないありさ――――」
「うわーーーーん!! 兄様がぶったーーーー!!!!」
「お客様が来てるのに騒ぐから!!」
「お兄様もうるさいの!!」
「おなかすいたよーーーー!!!!」
辺境伯と同年代くらいのミルータス男爵は、人の好さそうな笑みで「みんなちょっと静かにねぇ。おじいちゃんちょっとお話してるからね」と言った。だが、子どもたちに聞こえている様子は全くなかった。
ゴディアーニ辺境伯は、従者に持たせていた手土産(本来であれば出迎えた使用人に渡すはずだった)をその場で開けて、子どもたちへ差し出した。
「ほら、こちらに菓子があるぞ」
怖がられる容姿であることは承知しているが、しゃがんで笑顔を見せればかなりましだということも学習している。
子どもたちは一瞬しーんとなって辺境伯を見ていたが、怖いもの知らずの一番小さい子が手を出したことでわっと寄って来た。
「ありがとう、おじ様!」
「ありがとうございます!」
「ありがと……おじい様?」
「違う違う。おじ様かお兄様って言っておけって母様が言ってただろう?」
「おじ様!」
それぞれお礼を言うと、テーブルでもくもくと食べだした。
食べている間は静かなものだ。
「お気遣いいただきありがとうございます……息子たちは仕事に行っておりまして、その間こちらで孫たちを見ているものですから、毎日大騒ぎでして」
「……これはなかなか大変ですな」
「ええ。でももう学園の寮に入った子たちの方が多いですからね。だいぶ楽になりました」
ハハハと男爵は笑った。
確か子どもが三男五女だと聞いている。それは孫たちも多いだろう。
これでは実家にもいられなかっただろうなと、幼子一人連れて働きに出たエヴァの状況がわかったような気がした。
王城は住む場所もあるし、働いている間子どもを見てくれる場所もある。だから子どもを育てながら働いている女性は多いと聞く。
ゴディアーニ家でも、規模は小さいが使用人たちの子どもを見る専任の者もおり、親が心配なく働けるようになっていた。そうやって代々の働き手も育ててきたのだ。
家の中をこっそりと見回せば手入れが行き届いていないようで、辺境伯は心を決めた。
「――――うちは人手が足りてなくて困っておりましてねぇ。もし働いてくれる方がいれば受け入れたいのですが、どうでしょう? この度、次男が結婚したいと言うもので、新しい館で働ける人も探しておりましてね」
「息子さんがご結婚されるのですか。それはおめでたいことでございます。お話も大変ありがたいのですが、なぜそんな親切にしていただけるのか心当たりがなく……」
辺境伯は「あっ」と片手で口元を覆った。
「……すっかり話すのが遅くなりましたが、ミルータス卿。その結婚を望んでいる相手が、お宅のご令嬢エヴァ嬢だという話をしに来たのですよ」
「ええ?! うちのエヴァですか?!」
「えーーーー!! エヴァおば様結婚するのーーーー?!」
「お菓子のおじ様と?!」
「けっこん! けっこん!」
子どもというのは、案外大人の話を聞いているものだ。
正しく聞いているかはその子によるが。
また騒ぎだした子どもたちに、辺境伯は思わず笑みを漏らした。
ここにいるのは元気で素直な子どもたちと、人の良さそうな領主。きっとまだ見ぬご令嬢もいい人だろう。
あっという間に話が進み、軽い挨拶のつもりがすっかり結婚するという話でまとまってしまった。
こんな風に、ペリウッド・ゴディアーニとエヴァ・リルデラの結婚は、本人たちの知らないところで思いもしない早さで決まったのだった。
その数日後。
辺境伯と長男が話をしていた談話室へ、複雑な顔をした次男がやってきた。
結婚話もまとまり幸せいっぱいのはずなのに、なぜその表情なのか。
「父上……。いい話と悪い話があります。どちらから聞きますか」
「……では、いい話から聞こう」
「エヴァの退団が決まりました。明日からでもこちらへ来られそうです」
「おお、そうか。それは楽しみだな。新しい館は注文してあるからもう少し待ってくれ」
「本当に楽しみだね。アマリーヌも義弟嫁ができるのがうれしいみたいで、いっしょにドレスを選びたいって言っていたよ」
笑顔を見せる父と兄に、ペリウッドは困った顔を向ける。
「あー……それはありがたいことですが――――悪い方の話も聞いてください。エヴァの抜けた穴を埋めるのに…………ユウリ嬢が駆り出されました。近衛団に戻ってくるそうです……」
部屋に沈黙が落ちた。
ユウリ嬢。光の申し子。レオナルドの思い人。
別居していた長男の嫁アマリーヌをこちらへ戻すきっかけをくれ、ペリウッドとエヴァも出会わせてくれた。
その恩人である令嬢は、惜しまれる中やっと退団できたと聞いていたのに――――。
「父上……私は恐ろしくてレオの元へは行けません……」
次男の言葉にゴディアーニ辺境伯は、自分がお詫びに行くべきだろうなと遠い目をした。
だが、こんなにも良くしてくれた光の申し子に、一体どんなお詫びをすればいいのか。
それは全く思いつかなかった。
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